- 三人が並んだ時、一番に目が行くのがサン子だった。個人的にはカラオケの場面で声をひそめて歌う所が好き。特に、20日のマチネの回は、笑いをこらえようとしてもつい吹き出してしまう程で、シローとニ子の大事なシーンに目が行かなかった(^^;)。
- イチ子。シローに惚れられ、ニ子に恋。けれどもニ子は女の子。
ニ子。イチ子に惚れられ、センセに恋。けれどもセンセは手を出さない。
サン子。プーと付き合い、シローに恋。一途な心を知りたくて。
シロー。サン子に気にされ、イチ子に恋。自分を好きになれなくて。
- 僕は芝居を見る時、無意識の内に主人公を探します。最初、三人の中ではイチ子が舞台を引張っているように見えました。イチ子の悩みが一番深刻に思えたから。ところが、次第に舞台が動き始めると、それぞれの女の子たちの深刻な悩みが次々と現われ、終わった時には、みんなが主人公としてそこに立っていました。構成がとてもしっかりとしている芝居だと思いました。三人の女の子達はみんな自分の言葉としてセリフを語っていました。カーテンコールを受ける時の表情も素晴らしく、後味のいい舞台となりました。
少女たちは最後に自殺したのでしょうか? でも、それにしては明るいラスト。「ポジティブ」とうたってあるのだし、最後の歌も明るいし、王子様も星に帰っていったのだから、シローの目には空を飛んで行く少女の姿が映っていたのかもしれません。それにしてもシローは、誰もついてきてくれないのに、チケットを無駄にしたくなかったのか、ディズニーランドへ来てしまったんですね(^_^)。
この芝居は都合、二回みました。最初見た時は、イチ子に感情移入していました。でも、三人が死を選ぶ理由が分からなかった。厳しい現実に破れたわけでもないのに。
二度目に観た時、この舞台は、ニ子を中心に回っているんだと思いました。死んだ原因はやっぱりわからなかったけど、青春の痛みは伝わってきました。ニ子は先生と不倫していますが、先生は手すら握ってくれません。でも好きなんです。少女の恋は一途だけど、現代の女の子は、ドライであるべき宿命を背負っています。精一杯、明るさを装うけど、自分のひねくれた性格が大嫌いだったニ子。
シローに、「イチ子さんの気持ち分かってあげて下さい」と言われたとき、「あんた、何いってんの?」と去って行くニ子。そんな事あんたにいわれる筋合いじゃないわよ。と言わんばかりの厳しい表情が胸にズシンときました。
四人の気持ちはそれぞれに交錯して、行き違っています。思う人と思われる人の違い。みんなに優しくありたいけど、ごまかすのはいやだ。性急に結論を出す必要なんてないのに。いままでどおりでいれば、誰も傷つかないのに‥‥。
ポジティブって何でしょうか? 生きて行く事でしょうか? その答えはやっぱり分からない。もしかしたら、これは、少女のおとぎ話。「こうして、三人の中学生は、一緒に自殺してしまいました」っていう‥‥。昔、映画で見たシーンにこんなのがありました。失恋する度に「私は死んだのよ」といって、自分のお葬式をする少女。
ネガティブ版だったら、自殺は容易に納得できたと思います。でも、あえて、それをポジティブとした。ここらに前川さんの狙い(というか決意)があるのでしょうか。
ネガの裏側にはポジがあり、現実はいつも、ポジとして現われる‥‥。う〜ん、言葉遊びになって、何書いてんのか自分でも分からないや。(^^;)
ネガとポジって、同じ事を別の立場からいってるのでしょう。思う人と思われる人。これも、ネガとポジの関係。立場が変われば、傷付けられる人が、傷付ける立場にかわる。それがいやだったのかな?
ニ子は、入り日を見る(*1)代わりに、友達と死ぬ事を選んだのでしょう。岡田由紀子が死んだ時、後を追い掛けるようにダイブしていった少女達のことを思い出します。考えれば考えるほど、観劇後の爽快感とは別に、ネガティブな部分を内包しているお芝居だったのかもしれません。
(*1)ニ子は「星の王子様」を読んでいた。王子様は、自分の住んでいる小さな星で、日に何度も入り日を見るのが好きだった。
- アンファン・テリブルプロデュース
- 「センチメンタル・アマレット・ポジティブ」☆☆☆
劇 場:明石スタジオ 期 間:1992/12/15 〜 12/20
観劇日:12/19 15PM、12/20 15PM
時かけ