カッコーの巣の上を


加藤健一事務所『カッコーの巣の上を』☆☆☆

 僕が最初に映画で衝撃を受けたのがミロシュ・フォアマン監督の「カッコーの巣の上で」でした。その芝居を大好きな加藤健一さんがやると言うので期待していったのですが、やはり映画に比べて緊張感に欠けていたかなと云うのが正直な感想です。どうしても映画と比較してしまう僕がいけないのかも知れませんが、チーフが初めて喋るシーン、マクマーフィが“重たいもの”(映画ではたしか水道でした)を持ち上げるシーン、そして、特にスーパーシリーズのテレビを皆で見るシーンの盛り上げ方には物足りなさを感じました。
 もちろん加藤さん達は健闘していたと思います。オープニングで観客をいきなり患者たちの世界に引きずりこむ手際のよさはいつもの通りだし、カードさばきや、ライターの火に手をかざしてみせるところなど、いつもながら感服してしまうのです、が、やはり、マクマーフィにはどうしても、ジャック・ニコルソンの影がちらついてしまうのです。あの帽子に、あの皮のジャンパーに‥‥。

 これから先は映画の感想になってしまうことをお許しください。ぼくにとって「カッコー」は、とても大切な映画なのです。

 チーフはもっと大きくてかっこよかった。マックが持ち上げられなかった、コンクリート製の水道を引っこ抜き、窓ガラスに叩きつけて、病院の外へ悠然と走り去っていくラストシーンには、当時の観客だれもが涙を禁じえなかったものです。

 ラチェットはもっと冷酷で、患者たちへの狂気ともいえる愛情に支配された人だった。患者は彼女にとってのかわいい子供にすぎなかったのだ。そのラチェットと対立するマックは、悪い人だろうとは思っていても、ギラギラする魅力にあふれていた。

 体中がざわっとしたワールドシリーズの場面。テレビを切られた後、突然マックが叫び出す。「打ったぁ、打ちました。バッター二塁を回って三塁へ。三塁打です」
何人かの患者がそれに気がつく。続けてマクマーフィ、「さぁ、九回の裏、一打さよならの場面を迎えました。迎えるバッターは四番打者、ピッチャー一球目を投げたぁ」やがてマックにつられた患者たちは何も分からないまま、映っているはずのないテレビ画面に向かって声援を始めるのです‥‥。いけない。興奮してしまった。

 舞台に戻って、結婚式のときのハーディングの言葉は、あれは良かったと思います。が、総じて、舞台の患者たちは、精神病に見えませんでした。もちろん精神病とは何かという問題も残ると思います。もともと、それを考えさせるのもこの映画のテーマの一つでしたから。


『カッコーの巣の上を』 加藤健一事務所
91年11月3日 本多劇場

by.時をかける少年



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