インドで出会った"神様"


 今冬、私は年来の念願かなって短期間だが、インドを旅行する機会を得た。確とした理由もなくただ行きたいと焦り続けた理由は、訪れてみて初めてわかった。砂ぼこりの中を牛やはだしの人々が行く風景も、れんがや土壁の家々が点在する、霞がかった美しい緑の田園も、みんないつか夢の中に出てきたものの様だったし、どこを歩いても、「帰ってきた」という懐かしさを呼びおこすものばかりだったから。

 私が米国の人気作家サリンジャーに傾倒していたのはもう十年以上になるだろうか。東洋思想に関心の深い彼の作品が好きで、また一方では法華経の影響の濃い宮沢賢治にも傾倒していた事もあり、作家の宗教を理解しなけれは、作品もある一線以上には理解出来ないと思いあたり、多感な十代のなかばにして、宗教書を読みふけるはめになってしまった。

 サリンジャーの作品で一番印象に残っているのは、「フラニーとズーイー」のラストで、世俗に拒絶反応を示して、病的に自分の殻にとじこもってしまった妹に対し、俳優の卵である兄が、「太ったおばさんのために靴を磨いておけ」という、今は亡き長兄の言葉を思い出させるシーシである。「太ったおばさん」というのはキリストの事ではないのか?

 一番卑俗な人間の中にさえ、神が存在しているということを思い出せ。高尚っぽい悩みにしがみついているつもりで、お前は実はナルシシスムにひたっているだけだ。それがわかれば、まず、お前の今の状態を心配している母親の持ってきたスーブを受け取って飲むところから始めるんだね、というのである。

 このころの私は将来、陽が昇ったら謙虚に礼拝して野に出て働き、日が沈めば一日働けた事を感謝して祈り、あかりのともった我が家へ帰る素朴な農夫の様に、何か天則に従った、自然な、本来あるべき宗教的な生活を営めるような職業につきたいと願っていた。

 大学に入って絵を勉強し始めて間もないころ、「精神世界」「インド」「タントラ」「瞑想」といった言葉がブームのように周りにあふれていて、私も今思い出すと恥ずかしいが山ほどそのたぐいの本を読んだり、瞑想をかじったりした時期がある。いろいろと、自分の能力のことも含め、悩んでばかりの時期だったからかもしれない。でも結局、ある日、そんな事とは100%無関係に、偶然に、冬の陽だまりの中に一人ぽつんと立っていて、言葉では表せないが遍在神のようなあるものに出会ってしまった。そして、それと前後して、大学の恩師に「何のためにそんなことに足をつっこむ?すべてすばらしい絵を描きたいがためでしょう。一心に絵を描きさえすればいい。求めるものは、自分がそれにふさわしい器になった時、向こうからやって来るんです」と教えられたのをきっかけに、あの日出会ったあるものに対して、再会を一心に願いつつ、絵を描く事を一つのアプローチの方法と定めて、「恋文」を描き続けることになった。フラニーの心境と自分とが重なって、目が開けていく思いだった。

 絵を描く時、画家はそれぞれのテーマを持っているが、最終的に出来上がった絵の中には、モチーフの姿を通して、描いた者自身の魂のあり様があらわれる。結局は自己の魂を描いているのだか、やはり描く対象には、それぞれこだわりがある。私は、サリンジャーの言った、「太ったおばさん」にこだわっていた。別におばさんでなくとも、限りなく普通の人聞で、だけど本人が気付いてなくてもまたは知ってて隠していても、「神を内包した人」だと、どうしてもわかってしまうような、そして本当にあくまでも普通の人、そんな人に憧れてしまうのである。

 インドの田舎町のホテルの庭で花の写生をしていると、ヒンドゥー教のシヴァ神を祭ったほこらの番をしている白髪のおじさんがしばらく見ていた後で、「私のシヴァを描いてくれ」と、にこにことシヴァを指さし、私の背を押した。はだしで祭壇に上がり、上物とは言い難い派手なシヴァを描く手元をのぞきこむおじさんの表情は真剣そのもの。次に彼に画帳を向けて、「おじさんを描かせてね」というと、緊張した笑顔を見せて神妙にすわり直して、ポーズしてくれた。子供みたいで扁平な顔をした外人の私に向かっていとも優しく謙虚に真剣に、またあどけなく応対してくれたのである。

 鉛筆でたどる皺の中に、慈愛深さが哀しい程あらわれている。「ほら出来た」と画帳を見せると、また笑って真剣に見、その後で私の額に印をかいてくれた。見えなくなるまで合掌していてくれた。終始、笑顔と手ぶり身ぶりだけの会話だったが、後で部屋に戻り、画帳を開いて主人に説明しながら、先刻別れたはかりのおじさんの皺だらけの笑顔を思うと、理由もなく涙が出そうになり、隠すのに困ってしまった。そのおじさんが、私が探していた「太ったおばさん」たちの一人だったのだと気付いたのは、日本に帰った後のことである。

松生歩