「あの街へ…」あいさつ


 ひとつの絵としては独立しないような、拙いアプローチばかりのたくさんの絵は、「あの街へ…」という、私自身の作った、ひとつのお話にそって描かれています。

 表現しよう、と、試行錯誤する、その過程をさらけ出すみたいで、並べるのは、とても恥かしいのですが、ちゃんと絵としての推敲を重ねて熟考して作り出す以前の、ただ浮かび上がったイメージそのままの本当に正直な絵たちです。

 時々、こんな仕事についた発端について考えてみて、思い出すことがあります。それは、小学校の3年か4年の頃、クラス全員で、競うようにして作った、それぞれ自分一人だけの、オリジナル絵本のこと。

 公立校でしたが、図書にとことん熱心で、児童たちもみんな心から本を愛していました。私は400字詰原稿用紙に80枚分のお話を書きました。どの子も間に3〜4枚の水彩のさし絵と、表紙・裏表紙を描き、製本まで一人で仕上げて、全員の作品を、学級文庫に並ベ、とっかえひっかえ、読みあいました。夢が原稿用紙からはみ出るくらいにつまった本ばっかりで、上手下手に関係なく、みんな素晴らしい出来でした。

 自分に疑問を抱いた時には、あの頃の自分を基準にしたいと思うのです。何の報いもなく、ただ、内側から湧き上がってくるものを、えんぴつでつかまえて、心から楽しんで、わくわくしながら書いていたあの頃。昔も今も、文につけた絵で(文ももちろん下手にしても)、レベルダウンしてがっかりして、“ああ、心の中に描いたものは、もっと素晴らしい、ものだったのに!”って、悲しくなるのは変わりませんが、あの時、無心でやって、自分で本に仕立てて、小さな手の上に軽いけれども確かな手応えその上に、見えないけれど、両親の愛情や慈しみ。そして、もっとどこか上の方、頭のはるか上、空の光のもっと彼方から、その手の上にまでぶわりと届いて包みこむ、何かあったかな、なつかしい、不可思議なもののまなざし(胸をしめつけられるような)…そんなものを、ごく自然に、よろこび一杯に胸に抱きしめていた、幼い自分。

 それこそが、本当の幸せで、そんな行いこそが、日々のささやかな、あるべきつとめだと思ったりして、そんな私なりの原点に戻りたいと日々願っているのです。

 この「あの街へ一」というお話は、作為的でなく、ただ、浮かんだものを自動筆記のように書きました。ただ、少し書いている間に願った事は、いつでも帰ってこれて、いつでも帰っていかなければならない場を、ここに、ささやかに、書きとめておければ一ということでした。

 この中には、私が育てられた間に、身をもって教えられた様々のことが童話仕立てで、語られています。でも、これは、童話ではなく、登場人物も、ほとんどモデルがあり、エピソードもひとつずつ、全部、意味があります。

 このお話も絵も、私は、自分自身へのおくりものとしてかいたのですが、でももし一人でも、縁があって、たまたまこれに出会ってくれた人と、一行一行心の中で、なぞときをしながら、接点をみつけて、お話のはるか、先へと旅してゆけたら、こんな幸せなことはないと思っています。

                           松生 歩