☆ きみちゃん ☆

Kimi-A little GirL Wearing Red Shoes



     赤い靴
             作詞 野口雨情
             作曲 本居長世

    赤い靴はいてた女の子
    異人さんにつれられて
    行っちゃった・・・・・♪

    横浜の埠頭から船に乗って
    異人さんにつれられて
    行っちゃった・・・・・♪

    今では青い目になっちゃって
    異人さんのお国に
    いるんだろう・・・・・♪

    赤い靴見るたび考える
    異人さんに逢うたび
    考える・・・・・♪



赤い靴の女の子に会いに行くため
麻布十番にでかけました。




都営地下鉄大江戸線の麻布十番で降りて
3分ほど歩くと小さな公園があります。
そこにきみちゃんの像が立っています。



きみちゃん



パティオ十番のきみちゃん

都営地下鉄大江戸線「麻布十番駅」を降りると
近くの公園に「赤い靴をはいた女の子」
の像があるのを前々から聞いていました。

9月始めの昼下がり,思い切って訪ねることにしました。

すると,駅から歩いて2,3分のところに公園を見つけました。
公園は,多目的広場パティオ十番といいます。

商店街の近代化を目指した計画の一つとして
この公園が作られました。

そこを訪ねて意外なことを発見したのです。
女の子はアメリカには行かなかったのです。

像の前には次のように書いてありました。



   きみちゃん

   赤い靴はいてた女の子は
  今,この街に眠っています。

  野口雨情の童謡「赤い靴」の
  詩にはモデルがありました。
  その女の子の名前は「きみちゃん」。

  きみちゃんは赤ちゃんの時,いろいろな
  事情でアメリカ人宣教師の養女に出されます。

  母かよさんは,
  きみちゃんがアメリカに行って
  幸せに暮らしていると信じて
  雨情にこのことを話し,この詩が生まれました。

  しかし,きみちゃんは病気のため
  アメリカには行けませんでした。

  明治44年9月,当時麻布永坂町,
  今の十番稲荷神社のあるところにあった
  孤児院でひとり寂しく亡くなったのです。
  まだ,9歳でした。

  母と子の愛の絆を,この
  「きみちゃん」の像に託して,今
  みなさまの幸せを祈ってやみません。

        麻布十番商店街振興組合






近くのお店で詳しい案内書をいただきました。

ぼくの知らなかった
事実がだんだんはっきりしてきました。

そして
商店街の方たちがきみちゃん
大事にしていることが伺えました。




   赤い靴の女の子きみちゃん


   誰もが知っている野口雨情の「赤い靴」。この童謡は
  大正10年に書かれ翌11年に本居長世が作曲したものです。

   女の子の名は「岩崎きみ」。明治35年7月15日,日本
  平の麓,静岡県旧不二見村(現在の清水市宮加三)で生
  まれました。
  
   きみちゃんは赤ちゃんの時,いろいろな事情で母親
  「岩崎かよ」に連れられて北海道に渡ります。母親に再
  婚の話がもちあがり,かよは夫の鈴木志郎と開拓農場に
  入植することになります。

   当時の開拓地の想像を絶する厳しさから,かよはやむ
  なく三歳のきみちゃんをアメリカ人宣教師チャールズ・
  ヒュエット夫妻の養女に出します。かよと鈴木志郎は開
  拓農場で懸命に働きますが,静岡から呼んだかよの弟
  「辰蔵」を過酷な労働の中で亡くし,また,開拓小屋の
  火事など努力の甲斐なく失意のうち札幌に引き上げます。
  
   夫志郎は北鳴新報という小さな新聞社に職を見つけ,
  同じ頃この新聞社に勤めていた野口雨情と親交を持つよ
  うになります。かよは世間話のつれづれに,自分のお腹
  を痛めた女の子を外人の養女に出したことを話したので
  しょう。

   「きみちゃんはアメリカできっと幸せに暮らしていま
  すよ」。
   こんな会話の中で,詩人野口雨情の脳裏に赤い靴の女
  の子のイメージが刻まれ,「赤い靴」の詩が生まれたの
  です。

   後年,母かよは
  「雨情さんがきみちゃんのことを詩にしてくれたんだよ」
  とつぶやきながら,
  「赤い靴はいていた女の子・・・・」
  とよく歌っていたそうです。その
  歌声はどこか心からの後悔と悲しみに満ちていたのです。

   ところが赤い靴の女の子は異人さんに連れられていか
  なかったのです。

   母かよは,死ぬまできみちゃんはヒュエット夫妻とア
  メリカに渡り,幸せに元気に暮らしていると信じていま
  した。

   しかし,意外な事実が分かったのです。

   きみちゃんは船に乗らなかったのです。ヒュエット夫
  妻が任務を終え帰国しようとしたとき,きみちゃんは不
  幸にも当時不治の病といわれた結核におかされ,身体の
  衰弱もひどく長旅ができず,東京のメソジスト系教会の
  孤児院に預けられたのです。
   
   薬石の効無く,一人寂しく幸薄い九歳の生涯を閉じた
  のは,明治44年9月15日の夜でした。

   きみちゃんの亡くなった孤児院,それは明治10年から
  大正12年まで赤坂永坂にあった鳥居坂教会の孤児院でし
  た。
  
   今,十番稲荷神社のあるところ,旧永坂町50番地にあ
  ったこの孤児院は女子の孤児を収容する孤女院として
  「麻布区史」にも書かれています。

   三歳で母かよと別れ,六歳で育ての親ヒュエット夫妻
  とも別れたきみちゃんは,ただひとり看取る人もいない
  古い木造の建物の二階の片隅で病魔と闘い続けました。

   熱にうなされ,母かよの名を呼んだこともあったでし
  ょう。温かい母の胸にすがりたかったでしょう。

   それもできないまま,秋の夜,きみちゃんは幸薄い九
  歳の生涯を閉じました。母かよがきみちゃんの幸せを信
  じて亡くなったであろうことが,ただ救いでした。

   この街,麻布十番に眠ったきみちゃんを思うとき,赤
  い靴の女の子「きみちゃん」の心安らかなことを祈り,
  今,私たちの幸せを心から喜び感謝しなければならない
  と思います。
  
   母と子の愛の絆をこの「きみちゃん」の像に託し,み
  なさまの幸せを祈って,平成元年2月,麻布十番商店街
  はパティオ十番に「きみちゃん」の像を建てました。
   
            麻布十番商店街振興組合




左側に十番稲荷神社,右側に麻布十番駅



     赤い靴
             作詞 野口雨情
             作曲 本居長世

    赤い靴はいてた女の子
    異人さんにつれられて
    行っちゃった・・・・・♪

    横浜の埠頭から船に乗って
    異人さんにつれられて
    行っちゃった・・・・・♪

    今では青い目になっちゃって
    異人さんのお国に
    いるんだろう・・・・・♪

    赤い靴見るたび考える
    異人さんに逢うたび
    考える・・・・・♪




       横浜には赤い靴の女の子の像があります。
       海の方を見て悲しそうに,寂しそうに
       座っているのです。
       歌詞には 「横浜の波止場から・・・」
       と書いてあります。

       これは「きみちゃん」の像だったのです。


       同じ「きみちゃん」の像を,
       最後の地,麻布十番で発見しました。
       きみちゃんは麻布十番で眠っていたのです。

       同じ「きみちゃん」の像は,
       そのほか,
       生まれ故郷の静岡県日本平,
       そして
       母かよさんが入植した開拓農場のあった
       北海道留寿都村にもあるそうです。


横浜の波止場麻布十番パティオ

2002.9.15