■□■□■ 日露戦争当時の竹島資料(オロモルフの)■□■□■

 竹島問題のテレビ報道を見ていると、いったいどこの国のテレビなのかと、がっかりします。
 何らかの参考になると思いますので、以下に、日露戦争当時の竹島関連の資料をご紹介いたします。
 出典は、『極秘本 明治三十七八年海戦史(全112冊)』です。

 まず、日露戦争当時に日本が竹島を百パーセント自国領土として活用していた事を示す図面を記します。
 竹島領有と日本海海戦とは密接に関係しており、この図面は明治38年(1905年)二月の「閣議決定と島根県告示」の直後で日本海海戦の直前のものですが、これに対して朝鮮政府は何の抗議もしていません。

「1 竹島を望楼として利用していた事を示す図面」
 円弧の範囲が、視界のきく範囲です。
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〈日露戦役における竹島望楼図〉

「2 竹島が隠岐を経由して海底ケーブルで大阪まで連絡していた事を示す図面」
 韓国領の欝陵島との間は予定となっていますが、竹島は日本領として大阪まで連絡していました。
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〈日露戦役における竹島海底ケーブル図〉

 以上のほかにも、当時の海軍は、竹島の水質検査や島の詳細な形状調査やそこで働いている日本人からの聞き取り調査(たとえば氏名や収入や収穫の売り先など)など、多くの資料を残してくれています。それらには島の図面も付されています。

 その資料の題名を記しておきます。

「明治三十八年一月五日對馬艦長海軍中佐仙頭武央ヨリ水路部長に提出セルリヤンコールド島概要」(リヤンコールド島とは竹島のこと)
「明治三十八年六月十二日海軍技手木口吉五郎ノ提出セル竹島視察報告」
「明治三十八年六月十四日第三艦隊司令官海軍少将武富邦鼎ノ提出セル竹島視察報告」
「明治三十八年六月十五日橋立艦長海軍大佐福井正義ノ提出セル竹島視察報告」

 このうち武富海軍少将による報告はきわめて詳細なもので、図面として竹島全体の形状図や望楼をの置場所などまでが記されています。
 下記にその図面を掲載します。
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〈日露戦役における武富海軍少将の竹島報告の図面〉

 ついでながら、下記もどうぞ。

「対馬を狙う韓国の野望」
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〈対馬を狙う韓国の野望〉

(とにかく日本の政治家やマスコミの呑気さと臆病さには呆れます。明治人の気概に学べと言いたいです)


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