■□■□■■□■□■ 朝日選書『高峰譲吉の生涯』を批判する(オロモルフ) ■□■□■


◆◆◆ まえがき ◆◆◆

 高峰譲吉伝は、戦前から戦後にかけて、断続的に出版され続けています。
 平成に入ってからも出されており、著者が知っているだけでも、次のような書物があります。

(1)アグネス・ミル『高峰譲吉伝 松楓殿の回想』雄松堂(平成三年/改訂版平成十二年)
(2)飯沼信子『高峰譲吉とその妻』新人物往来社(平成五年)
(3)真鍋繁樹『堂々たる夢――世界に日本人を認めさせた化学者・高峰譲吉の生涯』講談社(平成十一年)
(4)飯沼和正・菅野富夫『高峰譲吉の生涯 アドレナリン発見の真実』朝日選書(平成十二年)
(5)山嶋哲盛『日本科学の先駆者 高峰譲吉』岩波ジュニア新書(平成十三年)
             (以下(4)を朝日本、(5)を岩波本と略称いたします)

 こういう出版はとても良いことであり、とくに(4)は、目的の一つが、アメリカで消されてしまったアドレナリンの名誉回復にありますし、(5)は若者の愛国心を呼び覚ますような箇所もありますので、一見、まっとうな本のように思えます。
 しかし、よく読んでみましたところ、その内容に多くの疑問が生じました。
 高峰譲吉の名誉(つまりは日本の名誉)を傷つけるような箇所や、戦前の日本の歴史への大きな誤解があるように思えるのです。

 以下は、(4)の朝日本の記述に対する著者の反論です。それは、つぎの三点に分けられます。

A 渡米理由の特許の件でウソをついたという記述
B 連名にすべき上中の業績を無視し抹殺したという記述
C 日露戦争への貢献の軽視

 以下、順に、著者の反論を記します。


◆◆◆ A 渡米理由の特許の件でウソをついたという記述 ◆◆◆

 高峰譲吉は、日本初の人工肥料会社を設立したあと一八九〇年に、アメリカの醸造業者に誘われて、一家をひきつれてアメリカに渡り、以後定住して、ヂアスターゼの発明、アドレナリンの発見など多くの成果をあげ、さらに日露戦争時にアメリカ世論を日本の味方につけるために私財を投じ、その後もポトマック河畔の桜など日米親善に尽くしました。また、三共株式会社設立・理化学研究所創設・黒部ダムの提案など、日本国内の発展にも尽力した偉人です。

 この偉人がなぜアメリカの醸造業者に渡米を誘われたかと言いますと、麹を使った日本酒の醸造法を洋酒製造に活かすことを考えて外国特許を取ったところ、それを読んだアメリカの業者が、非常な興味を示したからだ――とされています。
 これは、高峰譲吉自身が述べていることです。

 ところが朝日本には、

【譲吉が出国する(一八九〇年)以前に『欧米各国の政府に特許出願し、・・・その特許を得た。・・・』という彼の発言には、うそか、もしくは何かの誤魔化しがある。】

 ――と記されているのです。
 つまり、朝日本の著者は、特許調査をした結果、渡米前の譲吉の特許は発見できなかったとして、「高峰譲吉はウソをついている」という結論に達しているのです。

 しかしこれは、大変な間違いです。
 著者の調査では、一家をつれて渡米する一八九〇年(明治二十三年)よりかなり前に、少なくともイギリス、フランス、ベルギー、アメリカの四カ国に『高峰式元麹法』の特許を出願しており、そのうち登録がもっとも遅かったアメリカでも、その日付は渡米のずっと前なのです。
 具体的に記します。

◇イギリス特許は、渡米の三年六ヶ月前に出願され、二年八ヶ月前に登録されています。
◇フランス特許は、渡米の二年九ヶ月前に出願され、直後に登録されています。
◇ベルギー特許も、フランス特許と同じです。
◇アメリカ特許は、渡米の一年六ヶ月前に出願され、一年二ヶ月前に登録されています。
         (特許そのものの掲載は、かなり特殊ですので、省略いたします)

 登録されればその内容は印刷されて誰でも閲覧できますので、それを見た業者が興味を持って、譲吉に渡米を打診してくるのは当然のことです。
 すなわち譲吉はウソなどついておらず、また誤魔化してもおりません。
 そもそも特許というものは、登録されればその内容が公刊され、万人が閲覧できるのですから、特許を得たか得ないかを誤魔化すことなど、しようと思ってもできる筈がありません。
(なお外国との連絡は、海底ケーブルによる電信がすでに通じていましたので、一日で可能でした。アメリカとの連絡もヨーロッパ経由で可能でした)

 ここで、この四件の特許の出願理由について、簡単に触れておきます。
 イギリス特許を出願したのは、譲吉が肥料の原料調査のためイギリスに滞在していた時です。
 このことについて譲吉は想い出談の中で、「同道した益田孝氏が往路の船中で、外国に特許を出したらどうか」と勧めてくれた――と語っています。
 そこで機敏な譲吉は、滞英中に出願したのでしょう。
 益田は三井財閥の有力者で、さすがに先見の明が有ったと思います。

(これは、日本人が外国で得た最初の特許である可能性があります。少なくとも国際的に役に立った特許としては最初です)

 フランスとベルギーの特許は帰国後ですが、この二国は無審査国で、取りやすかったと思います。
(イギリスが審査主義をとるのはこの時代の直後ですので、イギリスへの譲吉の出願にも審査はなかったと思いますが、そのかわり、反対がないかどうか一般の意見を聞く制度があり、これが審査に準じるはたらきをしていたので、フランス、ベルギーと違って登録までに一年近くかかっています)

 アメリカ特許はその後になっていますが、イギリスへ出願したすぐ後でアメリカにも渡っていますから、ほぼ同時にアメリカへの出願を試みた可能性があります。
 もしそうだとしたら、先願主義のイギリスと違って先発明主義のアメリカでは、実施例が無いとして拒絶されたのかもしれません。
 そこでイギリス、フランス、ベルギーで特許を得た実績を強調し、文章を書き直して再出願した・・・という推理がなりたちます。
 あくまでも推理ですが・・・。

 ちなみに岩波本の著者は、朝日本を元にしているらしく、譲吉がアメリカに渡った理由の発明を、ずっと後で出願された『種麹』(日本からアメリカに輸送する際などの種麹の保存法)という発明に求めて、その内容を詳しく解説しております。
 これも、朝日本を信じてしまったための大きな間違いです。

 高峰譲吉がアメリカの醸造業者に認められたのは、日本酒の醸造法を洋酒に応用するアイディアを出願して得た特許であり、種麹の保存法は、渡米後の発明です。
 このような特許調査は、特許局に相談すれば、比較的簡単にできるものです。
 朝日本の著者は、そういう簡単な特許調査を怠って、「特許は無かった」と軽率に結論づけて、「高峰譲吉はウソをついた」という重大な侮辱を、伝記に記しているのです。


◆◆◆ B 連名にすべき上中の業績を無視し抹殺したという記述 ◆◆◆

 高峰譲吉のアドレナリンの研究は、世界で初めてホルモンの純粋抽出に成功したものであり、ノーベル賞をおくられて当然の大成果でした。
 ところが、朝日本の著者は、この発見は助手の上中のもので、それを譲吉が盗んだかのごとき記述をしているのです。
 この記述も、著者にはとうてい容認できません。
 その理由は以下のとおりです。

(a)研究というものはテーマを見つけることから出発するものであり、そのテーマを完遂するための研究方法を考え出すことはもちろん、経費や助手を集めることもまた研究の一部です。そういう意味でこの研究の主体はあくまでも高峰譲吉であり、上中は助手であって、けっして共同研究者ではありませんでした。

(b)有名な八木アンテナの発明や江崎氏のノーベル賞のトンネル効果の発見も、最初に現象を見つけたのは助手や学生です。しかし彼らは連名になどなっておりません。問題の重要性を見抜く力のある共同研究者ではないのですから、当然のことです。そのうえ、上中は譲吉の私費によって雇われていた人物であり、したがって八木博士や江崎博士の上記の助手や学生たちよりさらに明確に、共同研究者ではありませんでした。

(c)上中啓三はアドレナリンの研究のあと、それに匹敵する研究は行っていませんし、日本に帰国してからも、ジアスターゼを日本でも製造できるようにするなど譲吉の成果を改良する研究しかしておりません。つまり高峰譲吉を離れたあと、譲吉の世話で三共株式会社に入社して、恵まれた研究環境にあったにもかかわらず、国際的に認められるような独自の研究成果は無いのです。したがって上中に連名になるほどの力量があったとは、とうてい思われません。

(d)譲吉の遺言の中で上中の名があるのはジアスターゼの項目で、アドレナリンの所ではない。これは意図的に上中の功績を消そうとしたためだ――という説が朝日本にもっともらしく記されていますが、これもおかしいです。
 遺言が書かれた時代の上中の主要な仕事は、アドレナリンの研究ではなく、タカジアスターゼの日本での生産方法でしたから、譲吉がジアスターゼの箇所に上中の名を記したのは当たり前です。
 おそらく譲吉ほど良心的ではない学者なら、どこにも上中の名は記さなかったでしょう。 上中は、アドレナリンが成功した直後に、譲吉から十二分の報酬を受けておりましたから・・・。

(e)上中啓三の名誉のために記しておきますが、氏は人格者であり、譲吉没後も、自分の業績を誇大に宣伝するようなことは全く無く、譲吉への尊敬を終生語っていました。これは伝記作家の池田宣政(南洋一郎)がじっさいにインタビューして記録していることです。したがって今になってこの問題で譲吉を非難することは、譲吉への冒涜であるだけでなく、上中への冒涜でもあります。

(f)また、この問題で譲吉の人格を疑わせるような記述をなすことは、譲吉の成果を剽窃した米国学者を有利にしてしまうでしょう。

 アドレナリンの純粋抽出が高峰譲吉の成果である事は明白です。
 学問の世界は、お金を貰って言われたとおりに実験したり記録をつけたりしただけで共著論文が出るほど甘いものではないと思います。


◆◆◆ C 日露戦争への貢献の軽視 ◆◆◆

 日露戦争時にアメリカの世論を日本の味方につけるために、高峰譲吉が日本政府の依頼を受けて、私費を使って奔走したことは、よく知られており、しかも当時渡米して活躍した外交官の金子堅太郎がこれを高く評価しています。譲吉の奔走によって、高橋是清の外債募集も大いに助けられたそうです。
(そういう事もあって、高橋是清は高峰譲吉の主催するアメリカでの講演会で講演をしたりしています)
 ところが、昭和末から平成にかけての高峰譲吉伝は、朝日本や岩波本にかぎらず、この功績をまったく無視しております。
 その原因には、日露戦争そのものを評価しない戦後の教育があるように思えて、残念でなりません。


◆◆◆ むすび―― ◆◆◆

 この朝日本は、アドレナリンの発見者は日本人であり、それをエピネフリンと呼ぶのは大きな間違いだと訴えており、その点については高く評価し敬意を表します。
 ところが、その尊敬すべき高峰譲吉について、「ウソ」とか「発見者の助手を抹殺」とかいった奇妙な記述をして、せっかくの伝記を台無しにしているのです。
 そういう間違いの大元には、戦後教育の弊害があるような気がしてなりません。
 その意味で、この朝日本は、いかにも朝日新聞社的な本であります。

 今後この朝日本が、高峰譲吉を知りたいという若い人たちの「信頼すべき重要な参考書」になるのかと考えますと、やりきれない思いがいたしまして、この拙文を投稿しました。
(なお、この朝日本には、人名の間違いなどケアレスミスもたくさんあります)


◆◆◆ 付記 ◆◆◆

 著者が読んだ範囲内の話ですが、この二十年間で最善の朝日本は、島田謹二先生の『ロシア戦争前夜の秋山真之(全二冊)』(一九九〇年)ではないかと思います。私はこの本で、世界で一セットしか見つかっていないという『極秘本明治三十七八年海戦史(全一五〇巻)』のことを知り、防衛庁図書館で見せてもらいました。驚異的な戦史(正史)だったので感激しました。それまで謎だった当時の無線技術までが、じつに詳細に書かれていたのです。この戦史を読まないで日露戦争を安易に批判している史家がたくさんおります。


オロモルフの論考リストに戻る