■■■ ロシア一等水兵カイランスキーの手記(オロモルフ)■■■


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4236『ロシア一等水兵カイランスキーの手記1』◆◆◆

ロシア一等水兵カイランスキーの手記

 日本海海戦によって日本の捕虜となったロシア兵の手記や本はたくさん翻訳されていますが、これはかなりのインテリの一等水兵の手記で、母国の新聞に送ったものです。
 当時のロシア政府に反発していたらしい人物ですし日本側に読まれることを知って書いているので、完全に客観的かどうかは分かりませんが、ロシアと日本の民度の違いが表現されいると思います。
 とくに、兵卒たちが将校に虐められ奴隷のような生活をしていた話は、他にも多く書かれていますから、本当だったのでしょう。
(大阪朝日新聞明治三十八年六月五日より)

▲二十七日 時已に十二時我露國艦隊は朝鮮海峽に入り戰鬪隊形を以て北東に向ひ進行せり。そのときクニヤージ、スワロフは司令官旗を翻へし先頭にあつて進行しつゝ對馬附近に到りしに敵の偵察艦は我と同一進路を以て島に沿ひ進行し居りしを認めたるも何の命令もあらざりしが午後一時に及ばんとする時旗艦より信號あり、曰く右方より敵の装甲巡洋艦數隻現はれたり。此れ即ち日本軍艦常磐、高千穂、出雲の諸艦なり。然るに我艦隊は依然として針路を變ぜず十節以下の速度を以て進行し病院船アリヨール、コストロマも亦追尾せり。偵察艦隊はウラルを先頭として此れに隨ひ運送船カムチヤツカ、カレーヤ、アナツイリ、ゼムチユーグ、イズムルード、スウエトラナ及曳船汽船スウイリールの諸船を伴へり。又巡洋艦アルマーズ、モノマフ及び水雷驅逐隊はロゼストウエンスキー提督及びネボカトフ提督の率ゐる兩艦隊の中央に占位しありたり。二十七日

▲午後二時に至るや スワロフは敵艦に向ひ砲火を開始せしに敵はこれに應ぜず、退きて霧中に隠れ暫時にして敵の戰鬪艦四隻二等巡洋艦二隻及び水雷艇隊より成る完備せる日本艦隊現はれたり各艦は盛んに十二吋砲を發射するも其の多くは敵艦に達せざりし然るに我艦隊は已に隊列を亂し敵火を被りつゝありしを以て我は其敵に激烈なる砲火を加へたり。此時彼我の位置は已に三十カーベリトに近接し居たり。予は終始艦橋に立ちて彼我の行動を注意せしに我が砲彈は多く達せざるか或は飛過して命中するもの甚だ尠し。茲に於てか初めて驚けり。我艦隊は戰術及び戰略上の智識なく且全く我將校の神經的にして沈着ならざると過度の熱心との結果は漸次不利に陷るべきを。臆病者と狂して覺めざるの状態にあるものとが我艦隊中に在りて我等の妨害をなせしに過ぎざるなり。

▲スワロフの艦橋 は火焔につゝまれたるも尚射撃を繼續したり。此時日本軍艦淺間は非常に傾きたるも尚射撃に間斷なかりし。我が艦は艦首に穴を穿たれ之を修繕せんとしたるに艦は漸次に沈没し始めたるを以て信號に依り端艇を下し乘組員が之に入らんとしたる時予をして遺憾に堪へざらしめたるものあり。そは他なし我將校なり。將校は乘組下士卒を救助する方法を講ぜず

▲只己自らの救命に汲々として狼狽の外なかりし予は第十三號艇に乘るべき規定なれども少尉補クレインゲリスは予を手にて突き叱して曰く汝は何處に行かんとするか、汝の眼には將校を認めずやと。予は唯々退きて次の端艇を待つか或は艦と共に溺死するあるのみ。此肝要なる激戰中少尉補の行動に對し尚罵詈の聲平時の如く高かりし。斯くの如き例を引くは敢えて無趣味ならざるべしと信ず故に予は之を記さんに予は艦長の命により艦尾砲長兼經理部長代理大尉アンツオーフの許に赴きたるに此處にも亦驚くべき光景を見たり。大尉の傍に命令傳達者として水兵ウォカーニンなるもの立ち居たりしが誤つて命令を傳達したり。斯くの如きはしばしば見る所なるも大尉は怒つて彼れの面部を打てり。戰鬪に從事することを閑却して彼を苦しめり。斯くの如きは度々演ぜられたり。又戰鬪の訓練は行ふも只艦上の掃除のみやらせたり。又艦の食物に至つては最下等のものにして家畜に取りては稍々好物なるべし。余等の俸給は只少尉補ハシチユーフが酒保にて腹を肥やす資に供せらるゝに過ざるなり。彼等の商賣振りは先づ掠奪に似たりと評すべし。露國將校の爲すべからざる所業と謂ふべし。見よ彼等は恤兵品をも賣却したり。加之各港灣に至る毎に相場も著るしく騰貴せしめたり。予は是れにて露人の眞相を穿つを止むべし斯の如き状態なりしも吾は


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4237『ロシア一等水兵カイランスキーの手記2』◆◆◆

▲第十號端艇に乘りて助命 を得たり。當時同乘したる將校二名あり。一をワシレンコイワニフスキーと呼び一をアルツーホフと云ふ。アルツーホフは冷靜沈着の人なり。予は始めスウイリ號に近づきたるが我艦乘員の半數は已に同船にあり。又其の中に艦長副長僧侶ありたり。予等はアナツイリ號に収容せられんとするも浪高くして同號に接近すること極めて困難なりし。此時

▲カムチヤツカには砲彈雨の如く注ぎ同艦員は救助の方法を講じつゝありし。予等の収容されしアナツイリ號は敵と我艦隊との中間にありて約二時間最も不愉快なる境遇を思ふの止むなきに至れりカムチヤツカは遂に沈没し海中に陷りたるもボートは乘組員を滿載して我艦の傍を通過したり、此時敵の水雷艇一隻我が艦の側面に來り予等は帽を振り挨拶したるに敵は答禮を爲し彼我共に砲火を止め我艦は海峽の波浪中を漂ふこと二日にして

▲一島に漂着したり。予等は之を見て朝鮮國海岸なるべしと推定せり。予等は唯飢餓と濕氣とに苦しみたるを以て俄に助命の方法を講ぜざるべからず。故に疲れたる手に櫂を握りて陸地に向ひたるに

▲何ぞ圖らん日本の陸地 にして予等は須佐に着したるなり。時に午前二時なりき。日本の警官は萬事周旋至らざるなく市民漁夫の多數も亦予等の状況を諒察し歡待至らざるなく罵詈或は不快なる動作を爲すもの全くなし。

▲日本人は實に親切なる人民なり 予等は將校二名水兵三十一名にして或る寺院に収容せられ寺僧は直に火を以て予等を暖め飯又は魚其他種々なるものを饗せられ、其待遇實に自己の兄弟を遇する如くにして敵たる予等を遇するとは思はれざりし人々は皆來つて予等に密柑巻煙草等を與へ挨拶を述べ歡待至らざるものなかりき。我が(露國)新聞記者が日本に對して訝かしき記事を掲げ虚報を傳ふるを想起し寧ろ大なる不快を我(露國)新聞記者に向つて懐くに至れり。

▲一言して日本を評せば 彼等は實際文明人にして世界に高く位置を占むるものなり。予等は二日間滞在したるが其の間縣知事及び該地の官吏有志等來訪して將校等と名刺の交換を爲し食物果物衣類等の必要品を寄贈せられ別に護衛兵も附せずして或島に送り茲にて

▲水雷艇に乘る 乘組將校及水兵等(小川少佐の艇隊なり)は予等を遇すること實に親切にして日本酒、ウイスキー及び種々の物品を寄贈せられ艇中を自由に歩行し是を觀覽するを許せり。水兵等は自國の同僚に接する如くにして予等に不快の感を起さしめず。是れを見るに日本は全く歐洲風の開化人にして予等は確かに彼等より優るべからざるなり。予は艇上に於て緊要なる且留意すべき事實を認めたり。即ち艇長及び將校水兵は同一の境遇に滿足して敢て間隔なく相互に友情を以て結合せり。然も服從の規律戰時教育は完全せり。一言すれば彼等は

▲平等主義 を採るものなり。其將校は下士卒に煙草を與ふるなど常に見る所にして我國露國の將校の如く手に棒を持つて追ひ使ふが如き予は之を見ること嘗てなし。然れども各兵は他に促さるゝこともなく罵詈を被ることなく迅速に且能く己の職務を盡せり。下關(大里の誤り)に着したるは午前なりしが此處にて又々日本人の智識と才能に一驚を喫したり

▲収容所 には便利なる家屋幾棟となく列り一室に十五人を入れ將校には一室を與ふるの準備なり建築は總て空氣の流通に意を用ひ理想的衛生家屋と稱すべし。決して露國の兵卒集合所等の比にあらず。當所に着したるときは予等を消毒浴場に入れ十分清潔に浴せしめ衣類所持品を消毒し傷病者を診察せしめ各自の室に導れたり。其後直ちに毛布を渡され茶を給せられ良きパンとソツプをも與へられたり。其他不足を感ぜざらしめんとして意を用ひくれしは實に感謝の外なし。収容所には衛兵あれども予等を拘束することなく、散歩の自由を與へたり。兄弟よ汝は必ず

▲此文章を第一欄(ルス新聞)に編入し絶無なる蠻行ありと謂ふが如き虚報の新聞紙に現れざるやう世人に示すべし 且之を以て世人に大日本人に對し大いに感謝すべきを知らしめんことを期せよ。予は神の佑助に依り健康なり只輕傷を負ひたるのみ。予に關しては我が海軍々司令部に通報せらるべし。
      汝の兄弟 二等巡洋艦一等水兵
             レフ、カイランスキー



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