■□■□■ 小学生の日本神話――神代下――(オロモルフ)■□■□■

◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2881『小学生の日本神話89』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下1

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>1

 さて、高天原のお話にもどります。
 天照大神の御子の正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと*1)は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと*2)の御娘の栲幡千千姫(たくはたちぢひめ*3)と結婚して、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと*4)をお生みになりました。
 高皇産霊尊はこの御孫をとてもかわいがりました。
 そして、この御孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中国(*5)と呼ばれる日本の国土の君主にしようと思われました(*6)。

*1:前に記しました。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)によって天照大神の宝玉から生まれた長子。
*2:高所より降臨する神聖な生成の霊力の神。『古事記』では高御産巣日神と書かれ、また高木神と呼ばれています。『日本書紀』の正文ではここではじめて記されます。一書では少し前にあります。千五百柱の神を生んだとされています。
*3:栲は紙や布の材料となる楮(こうぞ)、幡はそれで織った布。千千は数が多いの意味。布を織る立派な女性の意味。
*4:天神の立派な御子で稲穂が賑やかに実る意味を持つ。
*5:天上と地下の国の間なのでこのように言われたとされます。また古代の大和は水郷地帯で一面の葦原であり、その中の微高地に人々が住んでいたので「葦原中国」と言われたという説もあります。古代における出雲一族の支配は大和の地にもおよんでいたらしいです。
*6:『古事記』では御子の天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)が最初の葦原中国支配者の候補で、あとで御孫の瓊瓊杵尊に変わったことになっています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2883『小学生の日本神話90』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下2

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>2

 ところが、葦原中国の様子を見ますと、蛍のように怪しく光る神や、五月の蠅のようにうるさく騒ぐ神がいました。また草や木もみな精霊を持って喋っていて、不気味でした。
 そこで高皇産霊尊は、高天原の多くの神々を集めて、つぎのように質問しました。
「わたしは葦原中国のわるい神を除いて、平和な国にしたいと思う。そのためには誰を葦原中国に行かせたらよいだろうか。皆、意見を言いなさい」
 高天原の神々は、
「天穂日命(あまのほひのみこと/*)が良いと思います。とても優れた神です」
 ――と答えました。

注*:天穂日命とは、天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)によって、天照大神の宝玉から生まれた五男神の二番目の神で、天上界の稲穂の霊力をあらわしています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2885『小学生の日本神話91』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下3

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>3

 そこで高皇産霊尊は、葦原中国を平定して瓊瓊杵尊の降臨にふさわしい国土にするために、天穂日命を派遣なさいました。
 ところがこの天穂日命は、平定どころか、出雲の大己貴神の言いなりになってしまって、何もせず、三年たっても帰ってきませんでした。
 そこで高皇産霊尊は、天穂日命の息子である大背飯三熊之大人(おおせいみくまのうし/*1)を派遣なさいました。
 しかしこの神も、大己貴神の言うとおりになってしまって、父親と同じく何もせず、高天原に帰ってきませんでした(*2)。

*1:名の由来ははっきりしませんが、背に飯を背負い神饌を献ずるという意味だろうか――と言われています。名に「大人(うし)」のつく神は、人間の姿をした防塞神に多いそうです。「うし」とは貴人、支配者といった意味です。たとえば「沼のうし」とは「沼の支配者」の意味で、この「・・・のうし」が縮んで「ぬし」になり、「主(ぬし)」と書かれるそうです。

*2:なんだかとても情けない話しですが、瞬く間に平定されたとして大和朝廷の祖の偉大さを強調するよりは、信憑性があります。大和朝廷の先祖にとって、山陰から大和までを支配していたらしい出雲一族がいかに強敵だったかを示すエピソードと考えられ、神話に史実が反映していると推察できるからです。
 高天原の使者がやられてしまう話はまだ続きます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2889『小学生の日本神話92』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下4

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>4

 そこで高皇産霊尊はもう一度高天原の神々を集めて、どの神を送ったらよいかを相談なさいました。
 神々は、
「天国玉(あまつくにたま/*1)の子の天稚彦(あめのわかひこ/*2)は勇ましい神です。派遣してみたらどうでしょう」
 とお答えしました。
 そこで高皇産霊尊は、天稚彦に天鹿児弓(あまのかこゆみ/*3)と天羽羽矢(あまのはや/*4)を授けて、葦原中国に派遣なさいました。
 しかし天稚彦もまた忠実ではなく、葦原中国に到着するとすぐに顕国玉(うつしくにたま/*5)の娘の下照姫(したでるひめ/*6)と結婚して、そのままそこに住み着いてしまい、
「わたしが葦原中国を治めよう」
 ――と言って、高天原には何も言いませんでした。

*1:天上の神を守る神霊
*2:世継ぎの意味
*3:鹿のような獲物がよくとれる弓
*4:大蛇でも退治できる矢
*5:現実の国土を守る神霊(大国主命の別名)。天国玉と対の神名。
*6:下界まで明るくする女性の雷神。天稚彦と下照姫の結婚は、穀神と雷神の結びつきによって稲がよく稔ることを意味し、新嘗祭の主役になるとされる。この時点ですでに天稚彦は葦原中国の支配者になっているらしい。
(天稚彦と穀物の関係がよくわかりませんが、父親の天国玉は高皇産霊尊が生んだ多数の子のひとり? どなたか教えてください)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2895『小学生の日本神話93』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下5

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>5

 高皇産霊尊は、天稚彦からの報告が無いので不思議に思われ、無名雉(ななしきぎし)を葦原中国に送って、どうなっているのか調べさせました。
 雉は飛んで行って、天稚彦の家の門の前に植わっている神聖な樹木の梢に止まりました。
 それを天探女(あまのさぐめ/*)が見つけて、
「不思議な鳥が来て、木の梢にとまっています」
 ――と、天稚彦に知らせました。

*:天上界の、隠されたものを探り出す女。のちに「あまのさぐめ」→「あまんじゃく」と変形し、「天邪鬼」の漢字で表現されるようになりました。人を困らせる悪い精霊とされます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2898『小学生の日本神話94』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下6

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>6

 天稚彦は、高皇産霊尊から賜った天鹿児弓と天羽羽矢を取り出して、雉を射ました。
 その矢は雉の胸をつらぬいて、高天原の高皇産霊尊の御前まで届きました。
 高皇産霊尊はその矢をご覧になって、
「この矢は昔、私が天稚彦に授けた矢である。天稚彦が国神(くにつかみ)と戦って血がついたのであろうか」
 ――とおおせられて、その矢を葦原中国に投げ返されました。
 するとその矢は、落下して、仰向けになっている天稚彦の胸に突き刺さりました。
 そのとき天稚彦は新嘗の儀式をして臥眠しているところだったのです(*1)。
 天稚彦はたちまちにして死んでしまいました。
 これが、「反矢(かえしや)恐るべし(*2)」ということわざの語源です。

*1:高天原の許しを得ずに葦原中国の支配者になって、勝手に新嘗祭をつかさどっていたということらしいです。
*2:矢には霊魂が宿っており、射損じて敵方に拾われると、逆に射返されて殺されるという信仰が、諺になりました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2902『小学生の日本神話95』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下7

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>7

 天稚彦の妻の下照姫は悲しんで大声で泣いたので、その泣き声は高天原までとどきました。
 父親の天国玉はその泣き声を聞いて、天稚彦が死んでしまったことを知り、すぐに疾風(はやち/*1)に命令して、遺体を高天原まで運ばせました。
 そして遺体を安置する家をつくって、葬式をおこないました。
 そのとき、雁と雀をつきそわせました(このところ良い表現はないでしょうか)。
 天国玉は、八日八夜のあいだ、大声で泣き悲しんで、歌いつづけました(*2)。

*1:風が遺体を運ぶという話は古くから信じられていたそうです。
*2:葬儀におけるこのような風習は、『魏志倭人伝』にも書かれています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2905『小学生の日本神話96』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下8

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>8

 死んだ天稚彦は、葦原中国で活動していたとき、味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ*1)と仲良しでした。
 そこで味耜高彦根神は高天原に昇って、天稚彦を弔いました(*2)。
 ところが、この神の容貌が天稚彦とそっくりだったため、天稚彦の家族たちは、
「天稚彦はまだ生きておられたのだ」
 ――と言って、帯にすがりついて泣いたり喜んだりしました。
 死んだ天稚彦と間違えられた味耜高彦根神はすっかり怒り、顔を真っ赤にしてどなりました。

*1:刀剣と雷神の結合した神名だそうです。耜は畠を耕す鋤で、広い意味での刀剣。
*2:死者をむち打たないという日本の習慣が古くからのものだった事が、こういう神話から分かります。そもそも天稚彦は高皇産霊尊の御命令に背いて相手方についてしまったのですから、わざわざ高天原で建物をつくって葬儀をするなど、許されない筈です。なのに、高皇産霊尊や天照大神は、葦原中国の神が葬儀のために高天原に来ることすら、許しているのです。
 死んでしまえば朝敵にも優しいという風土です。日本の近代史研究に来日する外国の学者は、西郷隆盛の巨大な像が宮城のそばに建っていることに驚くそうです。明治天皇は反逆した旧幕臣たちに、のちになって多くの叙勲をしておられます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2908『小学生の日本神話97』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下9

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>9

 顔を真っ赤にして怒った味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)は、
「朋友だから弔うのが礼儀だと思って、汚らわしいのもいとわずに遠方から来たのだ。そのわたしを死者と間違えるとは、いったいどういうわけか」
 ――と言って、腰に帯びた剣・大葉刈(おおはがり/*1)を抜いて、喪屋を切り倒してしまいました。
 この喪屋が地上に落ちて山になりました。
 今の美濃の国の藍見川(*2)の川上にある喪山(*3)がそれです。
 世の人々が、生きている人を死んだ人と間違えるのを嫌うのは、この事件がはじまりです。

*1:大きな刃をもつ刀。刈はマサカリのカリ。原文に、この剣のもう一つの名前として「神戸剣」があげられています。怪しく鋭い剣という意味だそうです。『古事記』では「神度剣」とされています。

*2:岐阜県の相川だそうです。

*3:その付近にある葬送山か喪山か、といわれているそうです。

(いま気づいたのですが、天稚彦の葬儀は『古事記』では地上でなされ、親族が高天原から地上の葦原中国に降りているのですね)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2912『小学生の日本神話98』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下10

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>10

 期待された天稚彦も役目を果たせませんでしたので、高皇産霊尊は三度、神々を集めて、葦原中国に出す使いは誰がよいのか、相談なさいました。
 神々は、
「磐裂根裂神(いわさくねさくのかみ/*1)の子の磐筒男(いわつつのお/*2)と磐筒女(いわつつのめ/*3)が生んだ経津主神(ふつぬしのかみ/*4)がよろしいでしょう」
 とお答えしました。
 ところがその場に、天岩窟に住んでいる神、稜威雄走神(いつのおはしりのかみ/*5)の子の甕速日神(みかはやひのかみ/*6)の子の◎速日神(ひのはやひのかみ/*7)の子の武甕槌神(たけみかづちのかみ/*8)が居合わせました。
 この武甕槌神が進み出て、
「どうして経津主神だけが丈夫で、わたしは丈夫ではないのか」
 ――と、語気はげしく申し上げました。

◎:漢を火ヘンにした字

*1:伊弉諾尊が火神を斬ったときに生まれた神。*2*3も同様。
*4:刀剣神の祖。「ふつ」はふっつりと斬るの擬音語とのこと。
*5:霊威のある刀剣神。
*6:伊弉諾尊が火神を斬ったときに生まれた神。*7も同じ。*8も同じとの説有。

(伊弉諾尊が剣を振るったときに生まれた刀剣の神、武勇の神が次々に出てきます。いよいよ武力を背景にした折衝が予感されます)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2912『小学生の日本神話98』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下11

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>11

 武甕槌神の「われこそは丈夫(ますらお)だ」という言葉がとても激しかったので、高皇産霊尊は、経津主神にこの武甕槌神をつけて、葦原中国の平定のために派遣なさいました(*1)。
 この二柱の神は、出雲国の五十田狭(いたさ/*2)の小汀(おはま)に降って、十握剣(とつかつるぎ/*3)を抜いて逆さに地面に突き刺し、上を向いた切っ先にあぐらをかいて座り、大己貴神に申しました。

*1:『古事記』では武甕槌神に天鳥船神がつきそって降ったとされており、経津主神は出てきません。『古語拾遺』では経津主神は香取神宮の神、武甕槌神は鹿島神宮の神とされています。両神ともに刀剣神で、東国を抑える武の神として崇敬されています。

*2:島根県大社町稲佐とされます。

*3:この大振りの剣は、のちの神武東征のおりに、高皇産霊尊や天照大神の命によって武甕槌神が神武天皇の軍勢の危機を救うために地上に降ろしました。大和朝廷が成立したとき物部氏の遠祖の宇摩志麻遅命が勅命によって宮中に奉斎しましたが、崇神天皇の御代に伊香色雄命によって物部氏の総氏神である石上神宮に祭られました。同神宮の主祭神布都御魂大神の御神体です。戦国時代に織田勢などの略奪から守るために拝殿奥の禁足地の地下に埋める形で奉斎されていましたが、明治になって菅政友が許を得て発掘しました。政友が描いた大体のお姿は神道大系で拝観することができます。観光案内のパンフレットに書いてあります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2918『小学生の日本神話99』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下12

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>12

 高天原の使者である経津主神と武甕槌神は、剣の切っ先の上にあぐらをかくという凄い迫力で、大己貴神に伝えました。
「高皇産霊尊は皇孫をこの地上の国に降ろし、おだやかに治めさせようとのお考えをお持ちだ。そこでわれわれ二人の神を遣わして悪い神を除き平和な国にさせようとなさったのだ。国を譲るかどうかあなたのお考えを聞かせなさい」
 大己貴神はつぎのように答えました。
「私の子の意見を聞いて、ご返事いたしましょう」
 大己貴神の子は事代主神(*1)といい、そのとき出雲国の三穂(*2)の崎で魚釣りを楽しんでいるところでした。
 そこで大己貴神は事代主神のところに使いを出しました。

*1:事柄や事件を、その代わりの言葉を使って宣言する神。託宣の神といわれます。古代においては言はすなわち事であり、実際の事件とそれを示す言葉とは同じ重みをもっていました。大己貴神がわざわざ事代主神に返事をさせようとしたのはこのためといわれます。

*2:島根半島東端の三保関とされています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2924『小学生の日本神話100』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下13

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>13

 そこで大己貴神は、熊野の諸手船(もろたぶね/*1)に使者の稲背脛(いなせはぎ/*2)を乗せて事代主神のところに行かせました。
 稲背脛は、高皇産霊尊のみことのりを事代主神に伝え、どのように返事したらよいかたずねました。
 事代主神はつぎのように言いました。
「今天神(あまつかみ)のおたずねがありました。わたしの父は国をお譲りなさるでしょう。わたしの気持ちも同じです」
 そして事代主神は海中に幾重もの蒼柴籬(あおふしかき/*3)をつくり、船竅iふなのへ/*4)をふみ傾けて去りました。

*1:熊野の木材でつくった速くはしる船。
*2:「いなせ」は承知するかしないかを問いかける意味。「はぎ」は足。是非を問う使者のこと。
*3:常緑の小木でつくった祭祀の場所という意味らしいです。
*4:船の側面の意味か。事代主神は皇孫に国を譲るために、海中に祭祀の場所をつくってその中に去っていったという意味らしいです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2930『小学生の日本神話101』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下14

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>14

 使者の稲背脛は戻って、このことを大己貴神に報告しました。
 大己貴神は、我が子の言葉を聞いて、経津主神と武甕槌神につぎのようにお答えしました。
「わたしが頼りにしていた子もすでに国をお譲り申し上げました。そこでわたしもお譲りいたしましょう。もしわたしが抵抗したならば、国内の神々も抵抗するでしょう。しかしわたしが承知してお譲りすることを決めれば、それに従わない神はいないでしょう」
 それから大己貴神は、かつてこの国を平定したときに杖としていた広矛(ひろほこ/*1)を経津主神と武甕槌神にお渡しして、
「わたしはこの矛で国を平定しました。天孫がもしこの矛を用いて国をお治めになれば、必ず国は平安になるでしょう。今からわたしは百足らず(ももたらず/*2)八十隈(やそくま/*3)に隠れます」
 ――と仰せられ、姿を消してしまわれました。

*1:幅の広い矛。祭祀用とされます。
*2:八十にかかる枕詞。百に足りない数という意味です。
*3:直接的には多くの曲がり角という意味で、遠い隅の方にある幽界という意味らしいです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2935『小学生の日本神話102』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下15

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>15

 大己貴神はすべての神は帰順するだろうと申しましたが、反逆する邪神もすこしはありましたので、経津主神と武甕槌神はそれらの邪神を退治して、高天原に戻り、この結果を報告しました。
 そこで高皇産霊尊は、皇孫(*1)の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を、眞床追衾(まとこおうふすま/*2)で覆って、地上世界に降臨させられました。
 皇孫は天磐座(あまのいわくら/*3)を押し離し、また天八重雲(あまのやえくも)を押し分けて、威風堂々と良い道を選んで、日向の襲の高千穂峰(たかちほのたけ/*4)に天降(あまくだ)られました。

*1:皇祖と対の言葉だそうです。皇位の継承者ですが、天照大神の御孫でもあります。
*2:追は覆。衾は夜具。皇孫に着せられる寝具で新生児の象徴。解説には穀霊として復活誕生することを意味すると書かれています。貴い宝を夜具にくるむ話は一般的らしい?
*3:祭壇でありいまで言えば司令所でもあるそうです。ここでは高皇産霊尊の座所。
*4:宮崎県と鹿児島県の間にある高千穂峰。現在のこの両県は古代においては日向国と呼ばれていたらしいです。いまでは宮崎県東部という印象ですけど・・・。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2941『小学生の日本神話103』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下16

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>16

 こうして高千穂の峰に天降られた瓊瓊杵尊は、{木+患}日(くしひ/*1)の二上(ふたかみ/*2)の天浮橋(あまのうきはし/*3)から浮島(うきしま)の平らなところに降り立たれました。
 しかしそこは土地が良くなかったので、良い土地を求めて丘続きに進んで(*4)、吾田(あた/*5)の長屋(*6)の笠狭(かささ)の岬(*7)にお着きになりました。

*1:{木+患}とは羽根つきの羽根に使う堅い実がなる木だそうですが、ここではこの字を使って奇霊(くしひ)を表しているとのこと。
*2:峰が二つの山で聖山とされる。
*3:虚空にかけられた橋。
*4:良い国をお探しになるために小高い場所を選んで歩きました。
*5:薩摩半島西南部の加世田市(今の南さつま市)付近とされます。
*6:加世田市と川辺郡の間に長屋山という名が残されている。
*7:川辺郡西端の野間岬のこと。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2945『小学生の日本神話104』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下17

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>17

 皇孫瓊瓊杵尊がお着きになった笠狭の岬に、一人の人物がおりました。
 その人は事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ/*1)と名乗っていました。
 瓊瓊杵尊が、
「ここに国があるだろうか」
 ――とおたずねになりますと、その人物は答えました。
「ございます。どうか気の向くままにゆっくりとなさってください」
 そこで瓊瓊杵尊はこの土地に滞在なさいました。
 ところで、その土地には鹿葦津姫(かしつひめ/*2)という美人がおりました。またの名を神吾田津姫(かむあたつひめ/*3)、あるいは木花之開耶姫(このはなのさくやひめ/*4)と申しました。
 瓊瓊杵尊はこの美人におたずねになりました。
「おまえは誰の子か」
 美人はお答えしました。
「私は天神(あまつかみ)が大山祇神(おおやまつみのかみ/*5)を娶ってお生みになった子です」

*1:事に優れ国に優れた長い稲の意味――といわれています。
*2:「かし」は九州南部の地名で、そこの豪族加志公(かしのきみ)の娘という意味。
*3:「吾田」は地名。巫女的神性を有するので神が頭につく。
*4:木の花(穀物の豊作不作を占う桜の花)が咲く姫。
*5:偉大な山の精霊。性別不詳。全国多数の神社の祭神になっています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2951『小学生の日本神話105』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下18

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>18

 そこで(*1)瓊瓊杵尊はこの姫をおそばに召しました。
 するとこの木花之開耶姫は、一夜のうちに身ごもりました(*2)。
 瓊瓊杵尊は怪しんで、
「それはわたしの子ではないだろう」
 そ仰せられました。
 姫は怒り恨んで、出入り口のない産屋をつくり、その中に閉じこもりました。

*1:男性からこういう家族の事などを聞かれて答えるのは、結婚の申し込みを承諾することを意味します。
*2:一夜のうちに身ごもるのは、聖婚を意味します。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2958『小学生の日本神話106』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下19

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>19

 そして木花之開耶姫は誓約して、
「私が身ごもった子が天孫の御子でなかったならば、生まれ出る子は焼け死ぬでしょう。たしかに天孫の御子ならば焼け死ぬことはないでしょう」
 と申しました。
 そしてその産屋に火をつけて焼きました。
 御子は焼け死ぬことなくお生まれになりました。
 初めは、煙の先から、火闌降命(ほのすそりのみこと/*1)がお生まれになりました。隼人らの始祖です。
 次に、火の熱を避けて、彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと/*2)がお生まれになりました。
 さらに、火明命(ほのあかりのみこと/*3)がお生まれになりました。尾張連らの始祖です。
 あわせて三柱の御子でした。

 それから長い時間がたって、天孫瓊瓊杵尊が崩御されました。
 そこで、日向(ひむか)の可愛(え/*4)の御陵に葬り申し上げました。

*1:火が燃え進んでゆく意味とか稲が実ってゆく意味とか言われています。隼人は薩摩隼人で九州南部の種族。

*2:火が盛んに出る神霊の意味とか稲の穂が盛んに出る意味とかいわれています。神武天皇のお名前と同じです。頭につく彦は火子で立派な男子。古代には役職名でもあった?

*3:火が明るく燃える意味とか稲穂が色づく意味とか言われています。ここで第三子ですが、一書では違っていたります。『古事記』では火照命と書かれ第一子です。『古事記』の天火明命は一代上で瓊瓊杵尊のご兄弟となっています。饒速日命でもあります。『勘注系図』は『古事記』に近いようです。各豪族の伝承に食い違いがあり、混乱しているようですが、古代の大豪族尾張氏や海部氏の始祖が皇室の祖の瓊瓊杵尊と近い血縁とする点では同じです。

*4:宮崎県延岡市の北方の可愛岳らしい。

 この項はここまでですが、この部分の一書は重要ですので、次回に簡単に記します。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2965『小学生の日本神話107』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下20

<葦原中国の平定、皇孫降臨と木花之開耶姫>20

 この項には、一書が第一から第八まであります。相当な量です。
 その中でも「第一」は重要で長く、のちに有名になった話がたくさん出ています。
『古事記』にもっとも近いのは正文よりむしろこの「一書の第一」です。
 そこに何が書かれているかを、簡単に箇条書きにしてみます。

(一)
 天照大神が『三種の神器』を瓊瓊杵尊にお授けになられた。

(二)
 瓊瓊杵尊のお付きとして一緒に天降る五柱の神――五部神――を天照大神がお決めになった。
 それは――
「中臣の上祖天児屋命」(藤原家の遠祖)
「忌部の上祖太玉命」
「猿女の上祖天鈿女命」
「鏡造りの上祖石凝姥命」
「玉造りの上祖玉屋命」
 ――の五柱の神です。
 朝廷にとって重要な職業集団の祖です。

(三)
 その次に天照大神の瓊瓊杵尊への有名な勅があります。
 天壌無窮の神勅です。
 オロモルフのような年代が習った小學國史の巻頭に記されておりました。
「豐葦原の千五百秋の瑞穂の國は是れ吾が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。さきくませ。寶祚の隆えまさんこと、當に天壤と窮りなかるべし。」
 読みを記します。
(とよあしはらのちいほあきのみづほのくには、これあがうみのこのきみたるべきくになり。よろしくいましすめみまゆきてしらせ。さきくませ。あまつひつぎのさかえまさんこと、まさにあめつちときはまりなかるべし。)

(四)
 すすむべき道に謎の神猿田彦大神が出現して天鈿女命と問答します。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2970『小学生の日本神話108』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下21

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>1

注:文字化けするので環境依存の二字を読みの同じ「鵜」一字で表します。

 高天原から降臨された瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の御子のうち、兄の火闌降命(ほのすそりのみこと)と弟の彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の物語をつぎに記します。
 兄の火闌降命は生まれながらにして海の幸を得る霊力をお持ちでした。
 弟の彦火火出見尊は生まれながらにして山の幸を得る霊力をお持ちでした。
 そこで兄は海幸彦、弟は山幸彦と呼ばれていました。
 あるときこのご兄弟は相談なさり、たがいに得意とするものを交換してみよう――ということになりました。
 そこで海幸彦は山幸彦の弓矢を持ち、山幸彦は海幸彦の釣り針を持ちました。
 しかし二人ともうまく獲物を得ることはできませんでした。
 兄の海幸彦は後悔して、弓矢を山幸彦に返し、自分の釣り針を戻してほしいと申しました。
 ところが弟の山幸彦は兄の釣り針を無くしてしまっていました。海で魚釣りをしているうちに無くしてしまったのです。なにしろ広く深い海ですから探す方法などありません。

 このことから兄弟喧嘩がおこり、山幸彦は不思議な体験をすることになります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2975『小学生の日本神話109』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下22

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>2

 困った弟の山幸彦は、新しい釣り針をつくって兄に渡しました。
 しかし兄の海幸彦は承知せず、自分が持っていた元の釣り針を返せ――と迫りました。
 山幸彦は心を痛め、自分の短刀をつぶして新しい釣り針をたくさんつくり、海幸彦に渡しました。
 それでも海幸彦は弟を許さず、元の自分の釣り針でなければ受け取らない――と言って、弟を責めました。
 そのため山幸彦は悲しんで、海辺で溜息をついておられました。
 するとそこで、塩土老翁(しおつちのおじ/*)に出会いました。
 老翁は「なぜ悩んでおられるのですか」とたずねました。
 山幸彦は、これまでの事を老翁にお話しなさいました。

*:前に笠狭の岬で皇孫瓊瓊杵尊と対話した事勝国勝長狭の別名で、瓊瓊杵尊の御子の一人。潮流の神で、海に関係する話があると、ときどき現れます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2981『小学生の日本神話110』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下23

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>3

 すると塩土老翁は、
「もうご心配はいりません。わたしがお助けいたしましょう」
 ――と申し上げました。
 そして、隙間の無いように編んだ駕籠をつくり、その中に山幸彦をお入れして海に沈めました(*1)。
 そうすると、不思議なことに、その駕籠は自然のうちに美しい浜辺に着きました。
 山幸彦は駕籠を出てしばらくお歩きになると、海神の宮殿(*2)がありました。
 その宮殿は背の低い綺麗な女垣にかこまれ、美しく輝く高楼がありました。

*1:日本における潜水艦の元祖です。水が入らないように隙間無く造られていることに注意。原文は無目籠。
(日本神話には、空を飛ぶ船だの水に潜る船だの宇宙にまで届く梯子だの天空から地上を撃つ矢だの、近現代的な技術の遠祖が出てきます)

*2:のちの竜宮城です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2985『小学生の日本神話111』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下24

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>4

 その宮殿の門の前には井戸があり、そのそばに一本の神聖は杜(かつら/*1)の樹があり、その枝葉はよく茂っていました。
 山幸彦はその樹の下で、これからどうしようかと迷い、行きつ戻りつしていました。
 すると、脇の小門から一人の美女が出てきて、井戸で水を汲もうとしました。
 その水に男の姿が映ったので、振り向くと、そこに山幸彦がいました。
 美女は驚いて宮殿に戻り、両親に、
「門の前の木の下に、珍しい客人がいらっしゃいます」
 と知らせました。
 両親とはこの宮殿の主の海神とその妻でした。
 つまりこの美女は海神の娘だったのです。

*1:杜(かつら)は境界木という意味。ここでは天神が降臨する場所。楓はヲカツラ、桂はメカツラだそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2989『小学生の日本神話112』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下25

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>5

 娘の知らせを聞いた海神は、それは賓客にちがいないと思い、宮殿の中に幾重もの敷物を敷いて、山幸彦を招き入れました。
 そして、なぜこんなところまでお出でになられたのか、おたずねしました。
 そこで山幸彦は、これまでのことを詳しくお話しなさいました。

 海神は早速、大小の魚を集めて、釣り針を知らないか、きびしく質問しました。
 魚たちは、
「それは存じません。しかし鯛の赤女(あかめ)が、口に病気があるといってここに来ておりません」
 ――とお答えしました。
 そこで海神は赤女を召して口の中を調べると、そこに失った釣り針がありました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2994『小学生の日本神話113』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下26

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>6

 このようなことがあって、山幸彦は無事に釣り針を見つけたわけですが、龍神の娘がとても気に入ったので、結婚を申し込みました。
 龍神の娘は名を豊玉姫(とよためひめ/*)といいましたが、この申し込みを承知しました。
 そこで山幸彦はこの姫を花嫁にして、しばらくはこの宮殿で暮らしました。
 やがて三年がたちました。
 海底の宮殿はとても良いところでしたが、地上で生まれた山幸彦は、しだいに、生まれ故郷が恋しくなってきました。
 そのため、ときどき大きな溜息をおつきになりました。
 豊玉姫はそれを聞いて心配になりました。

*:豊かな宝玉に神霊がつくとされる。神に仕える巫女の名の典型。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2998『小学生の日本神話114』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下27

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>7

 豊玉姫は父親である海神に話しました。
「天孫の山幸彦さまは、ひどく悲しげで嘆いておられます。おそらく、地上の郷里を思い出しておられるのでしょう」
 これを聞いた海神は、山幸彦を自分の部屋に招き入れて、
「天孫が郷里に帰りたいとお思いでしたら、わたしがお送りいたしましょう」
 ――と申し上げました。
 そして、先の釣り針をお渡しして、次のようにご注意申し上げました。
「この釣り針を兄上の海幸彦にお返しするとき、ひそかに釣り針に向かって『貧鉤(まじち/*1)』と仰せられて、そのあとでお渡しするようになさいませ」
 それからたま海神は、「潮満瓊(しおみつたま)」と「潮涸瓊(しおふるたま)」とを差し上げ、その効能をお教えしました(*2)。

*1:この釣り針を持つと貧乏になる――という意味です。
*2:この二つの瓊については次に語られます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3002『小学生の日本神話115』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下28

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>8

 海神は山幸彦につぎのように申し上げました。
「潮満瓊(しおみつたま)を水にひたすと、潮がたちまち満ちてくるでしょう。これであなたの兄上の海幸彦を溺れさせなさい。もし兄上が悔いて謝ったら、潮涸瓊(しおふるたま)を水にひたしなさいませ。そうすると潮が自然に引いて兄上は助かるでしょう。こうして悩まされたら、兄上も自然に降伏なさるでしょう」
 山幸彦は、この不思議な二つの瓊(たま)を持って、帰ろうとしましたが、そのとき豊玉姫が申し上げました。
「わたしは身ごもっています。出産は近いでしょう。私は風波が激しい日を選んで海辺に出てまいります。どうか海辺に産屋をつくっておいてください」


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3006『小学生の日本神話116』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下29

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>9

 山幸彦は地上に戻り、海神に教えられたとおりに行動しました。
 そのため兄の海幸彦は苦しめられ、反省して申しました。
「今後、わたしはあなたの俳優(わざおき/*1)の民となりましょう。どうかお助けください」
 そこで山幸彦は、お許しになりました。
 詫びた海幸彦――ご本名火闌降命(ほのすそりのみこと)――は、吾田君小橋(あたのきみおはし/*2)の本祖(*3)となりました。

*1:滑稽な所作をして神や人を楽しませる職業。「わざ」を「おく(招く)」から「わざおき」と言うらしい。

*2:隼人の地らしいです。隼人には大隅隼人と阿多隼人があるとのこと。

*3:『日本書紀』では、ある氏族の明確な始まりを「始祖」と記し、それより遠い先祖を「遠祖」「上祖」「本祖」(とおつおや)として使い分けています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3012『小学生の日本神話117』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下30

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>10

 しばらくすると、妻の豊玉姫が、約束どおり波風のはげしいときに、妹の玉依姫(たまよりひめ/*)をつれて海岸にやってきました。
 そしていよいよお産という時に、山幸彦に頼みました。
「私が赤ん坊を産むときには、どうか産屋をご覧にならないでください」
 しかし山幸彦は見たい気持ちを我慢することができず、ひそかに産屋の中を見てしまいました。
 そこでは豊玉姫は龍の姿になって赤ん坊を産もうとしていました。
 見られたことを知った豊玉姫はひどく恥ずかしがって、恨み言を申しました。

*:神霊が寄りつく女性の名。巫女を示す名で普通名詞に近い。この場合の妹の玉依姫はのちに重要な役割を果たしますし、同時に古代における結婚の習慣を表しているとも言われます。そのことは後に・・・。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3018『小学生の日本神話118』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下31

<海幸・山幸説話と鵜草葺不合尊>11

 豊玉姫は申し上げました。
「もしわたしがこのような恥ずかしい思いをしなかったならば、これからも海と地上を往来して、天孫との仲は続いたことでしょう。しかしはずかしめを受けたからには、どうして夫婦仲よく暮らすことができるでしょうか」
 そして豊玉姫は、生まれたばかりの赤ん坊を草で包んで海辺に置き、海に入り、陸と海をつなぐ道を閉じて永遠に姿を消してしまいました。
 山幸彦は赤ん坊に彦波瀲武鵜草葺不合尊(ひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと/*1)と名づけられました。
 それからながい月日がたって、山幸彦すなわちご本名彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)は、崩御されました。
 御陵は日向の高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ/*2)です。

*1:鵜の羽で産屋の屋根を葺こうとしたがふき終わらないうちに降誕された貴く勇ましい男神――といった意味らしいです。

*2:鹿児島県霧島市溝辺町麓とされています。

[一書は第一から第四まであります。このうちの第一と第三では、御子を育てたのは豊玉姫が海底に帰ったあとも陸上に留まった妹の玉依姫だった――としています。この玉依姫こそが、初代の神武天皇の生母です]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3022『小学生の日本神話119』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代下32

<神日本磐余彦尊ら四男神の誕生>

 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と海神の娘豊玉姫の間に降誕された彦波瀲武鵜草葺不合尊(ひこなぎさたけうかやふきあえずのみこと)は、豊玉姫の妹の玉依姫に育てられましたが、成人なさると、その玉依姫を妃にお迎えになりました(*1)。
 そして、四柱の男神をお生みになりました。
 その四柱の神とは――

「彦五瀬命(ひこいつせのみこと/*2)」
「稲飯命(いないのみこと/*3)」
「三毛入野命(みけいりのみこと/*4)」
「神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと/*5)」

 ――です。

 のち、彦波瀲武鵜草葺不合尊は九州の地で崩御され、吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ/*6)に葬られました。

[一書は第四まであります]

*1:何かの事情で母親の若い妹(赤ん坊にとっての伯母)に育てられて、その伯母と結婚する話は、母系社会の名残であるとの説もあります。近親間の婚姻はずっと後まで皇族間で多数あり、多くの天才が生まれています。

*2:「ひこ」は日の子で貴い男性。「いつ」は厳、「せ」は神稲だそうです。

*3:稲と霊(ひ/い)かとされます。

*4:「みけ」は御食、「いり」は神霊が体内に入る、「の」は野。という見解があります。野とは農業の基盤です。

*5:神々しい大和の地である磐余を示す名前。他の御兄弟は名の末が「命」で、この御方だけが「尊」で、使い分けられていますが、それはこの神がのちの神武天皇だからです。磐余は桜井市から橿原市にかけての古代の地名で、神武東征の終着の土地です。
 この神には一書で別名が記されています。
「狭野尊(さののみこと)」(一書の第一にあります。幼名とされています)
「さ」は神稲、「の」は野です。
「磐余彦尊」(一書の第二)
「神日本磐余彦火火出見尊」(一書の第二)

 彦火火出見尊が海神の娘を妃として産んだ彦波瀲武鵜草葺不合尊以外は、天照大神の御子以後、代々「稲に関係した名」が付けられています。この四柱の兄弟神も同様です。

*6:鹿児島県鹿屋市吾平町とされています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3023『小学生の日本神話120』◆◆◆

▼『日本書紀』

 前回で、『日本書紀』の神代(巻一、二)はおわりです。
 ここまで、正史である『日本書紀』の神話を調べてきたのですが、『日本書紀』の神武天皇の物語が終わりましたら、やはり『古事記』を書いてみたいと思うようになりました。
 この企画を始めたときは、出雲井晶先生の二冊の御本を調べましたので、それでよいと思っていたのですが、調べているうちに分かりましたのは、『古事記』を元にはしているが、ほとんど創作といってよいほどアレンジされており、また地元に残る多くの伝承を加味していることでした。
 したがってこれを『古事記』の小学生向けの解説だと思って読むのは無理があるように思います。
 というわけで、『日本書紀』が終わりましたら、『古事記』そのものについても、サマリーを作ってみようと思うようになりました。
 もちろん最終的には『日本書紀』を中心にする考えに変わりはありません。

 さて『日本書紀』ではここから巻三の神武天皇即位前紀に入ります。
 即位前紀は、有名な神武東征の物語、長い『日本書紀』の中でもっとも面白い物語です。

 次回から『日本書紀』における神武東征譚です!


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