■□■□■ 小学生の日本神話――神代上――(オロモルフ)■□■□■

◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2801『小学生の日本神話59』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話0

『古事記』を中心にした出雲井先生の御本の紹介を終わりましたので、次に、『日本書紀』に見られる神話のやさしい要約作りに入ります。
 ご存じのように『日本書紀』の神話には、主要な物語(正伝)のほかに「一書」という別伝がたくさんあります。
 その中には重要な記述もあります。
 ですから小学生向けの要約づくりは大変なのですが、まずは正伝のみを記し、あとで重要な別伝を加えようと思います。
(別伝については、最初は、「一書」がいくつある――という数字のみを記します)

 主に参考にするのは小学館の新編日本古典文学全集の中の『日本書紀』全三巻です。分かりやすく整理するための小見出しなども、この本に従います。
(これを補うのに飯田武郷の『日本書紀通釈』全六巻を用います。明治期に書かれた注釈本の昭和15年の改版です)

 疲れてしまうので、ゆっくりとやります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2803『小学生の日本神話60』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上1

<天地開闢と三柱の神>

 大昔は天と地がまだ分かれず、はっきりとしない状態でしたが、次第に澄んで明るい天と、重い地に分かれました。
 そして、その中に、つぎの三柱の神が生まれました。
(神様を数えるときは「柱」という言葉を使います)
 はじめのうちは、ちょうど魚が泳ぐように島が浮かび漂っていましたが、そこに、葦の芽のように一つの物が生まれ、それが神となりました。
 この神を国常立尊(くにのとこたちのみこと)と申します。
 次に、同じようにして国狭槌尊(くにのさつちのみこと)が生まれました。
 さらに次に、同じようにして豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)が生まれました。
 この三柱の神様は、男神だといわれています。

 国常立尊は日本の国土をしっかりしたものにする神様です。
 国狭槌尊は日本の国土を若々しいものにする神様です。
 豊斟渟尊は日本の国土を豊かな水でうるおす神様です。

[一書は六種あります]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2806『小学生の日本神話61』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上2

<四対偶の八神>

 三柱の神がお生まれになったあと、以下の四組八柱の男女の神々がお生まれになりました。

 泥土煮尊(うひじにのみこと)・沙土煮尊(すひじにのみこと)
 大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫邊尊(おおとまべのみこと)
 面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)

 泥土煮尊・沙土煮尊は、守りを固めるための盛り土の神です。
 大戸之道尊・大苫邊尊は、門から敵が入るのを防ぐ神です。
 面足尊・惶根尊は、男と女を代表する神です。
 伊弉諾尊・伊弉冉尊は、互いに協力する夫婦を代表する神です。

 この四組の神は、前に書かれているのが男神、後に書かれているのが女神で、全部を数えると八柱の神になります。

[一書は二種あります]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2809『小学生の日本神話62』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上3

<神世七代>

 以上の四組の男女の神様と、その前の三柱の神様を合わせて「神世七代」といいます。
 一組の男女の神様を二柱として数えますと、ぜんぶで十一柱の神々になります。

[一書は一種あります]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2809『小学生の日本神話63』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上4

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>1

 伊弉諾尊と伊弉冉尊は、空中にかかっている「天浮橋」という橋の上にお立ちになり、「下界の底のほうに国はないだろうか」と、天之瓊矛(あまのぬほこ)を下に向けて探られました。
 すると、そこには青い海があり、その海水が矛の先から滴り落ちて固まって、島ができました。
 自然に固まってできたという意味で「オノ馭慮島」という名前をおつけになりました。
 そして伊弉諾尊と伊弉冉尊は、この島に降りて結婚し、国々を産もうとなさいました。
 そこには神聖な御柱(みはしら)がありました。(建てました●)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2811『小学生の日本神話64』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上5

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>2

「オノ馭慮島(おのごろしま)」のオノは難しい漢字で文字化けを起こすので書けないのですが、この島名の意味は、
「おのずから(自然に)凝って(固まって)できた島」
 ――という意味のようです。
『古事記』では読みは同じで別の表記「淤能碁呂島」になっています。
 この島は伊弉諾尊・伊弉冉尊の国生みの舞台になり、ここから日本列島が誕生するのですが、舞台になったこのオノ馭慮島だけは国生みで生まれたのではなく、矛の先から落ちた滴で自然に出来たのです。
(その場所は淡路島の周辺だという伝承もあります)

 さて、この島には神聖な御柱(おそらくとても大きな柱)があるのですが、その表現が『古事記』と『日本書紀』では少し違います。
『古事記』では、「見立天之御柱」と書かれています。
『日本書紀』では、「以オノ馭慮島、為国中之柱」と書かれています。

 めんどうなことには、『古事記』の表現「見立」の解釈は定まっていません。
 私が主に参考にしている小学館の訳注書では「(その島で二柱の神は)天の御柱を見いだした」――とあります。また新潮の西宮一民氏の校注では、「よく選んでおいた木で柱を立て」――の意とあります。これは本居宣長の解釈と似ています。
 ただし本居宣長はこの御柱を、伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の住む八尋殿のための柱としていますが、西宮氏は別のものとしています。

 いずれにせよ『古事記』の文章では、島の主要部に神聖な御柱が立てられていることが分かりますが、『日本書紀』の文章はそうではありません。
 直訳すると、「オノ馭慮島を国中の柱として」となり、島を比喩としての日本の柱として――という意味にも受け取れてしまいます。
 小学館の訳注書ではこの部分は直訳のままになっています。
 本居宣長は、御柱の基礎になるのは島そのものなので(神聖な御柱のために島が出来ているので比喩表現ではなく)、同じことである――としています。
 また、平田篤胤は天浮橋からおろした矛が柱になったという説を述べているそうですが詳しいことは知りません。

 ややこしいのですが、『古事記』と『日本書紀』を比べますと、最初に矛の先から自然に出来た島に神聖な御柱(および八尋殿という御殿)をお建てになった――と解釈するべきなのでしょう。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2814『小学生の日本神話65』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上6

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>3

 伊弉諾尊・伊弉冉尊は御柱を廻ってご結婚しようとなさり、男神の伊弉諾尊は左から廻り、女神の伊弉冉尊は右から廻りました。
 そして御柱のむこう側でお顔を合わせました。
 女神の伊弉冉尊が「ああ嬉しい、立派な男神に会えて」と言われました。
 男神は「わたしが先に声をかけたほうが良い、やりなおそう」と言われて、やりなおして、無事に結婚式をすませ、夫婦になられました。

(一書や『古事記』では結婚して最初に生まれたのが蛭子でしっかりした島ではなかったので高天原に戻って天神に相談した結果、御柱廻りをやりなおしたことになっていますが、『日本書紀』の正文ではごく簡単に書かれています)

(夫婦になられるときの二神の会話について、小学生向けの多くの書物で問題ある文章がよく見られます。中にはあきらかな間違いもあります。次回に批判します)


◆◆◆オロモルフ号の航宙日誌2817『小学生の日本神話66』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上7

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>4

 伊弉諾尊・伊弉冉尊の御柱廻りの儀式の箇所で、小学生向けには翻訳しにくい文章があります。

『古事記』では――
「問其妹伊邪那美命曰、汝吾身者、成々不成合処一処在。爾、伊邪那岐命詔、我身者、成々而成余処一処在。故、以此吾身成余処、刺塞汝身不成合処而、以為生成国土。」

『日本書紀』では――
「因問陰神曰、汝身有何成耶。対曰、吾身有一雌元之処。陽神曰、吾身亦有雄元之処。思欲以吾身元処、合汝身之元処。於是陰陽始遘合為夫婦。」

 たいへん有名な箇所ですが、年少者へのやさしい神話解説には、こういう箇所は出雲井先生のようにさらりと記すべきで、直訳はするべきでないと感じています。
 古代人のおおらかな発想が理解できる年頃になって原文を読めばよいと思います。

 以下に、とても不思議な訳を引用してみます。
 TM氏の『世界一おもしろい日本神話の物語』です。全ふりがなつきですから、若い人向けのコンパクトな本です。

 ・・・国づくりをはじめるにあたり、イザナキは妹(いもうと)のイザナミにたずねました。
「おまえのからだのでき具合はどうだい?」
 するとイザナミはこう答えました。
「わたしのからだはほぼ完全だと思うのですが、ただ一カ所だけ穴があいているようで足りない部分があります」
 イザナキのからだにも、うまくできていないように見える部分がありました。
「わたしのからだには、一カ所だけ余分な部分があるようだ。なので、わたしのからだのこの余分をおまえの足りないところに差し入れてふさいで国を生み出そうと思うのだが、どうだろうか」
 たずねられたイザナミは、「それがよろしいでしょう」と答えました。

 とても露骨で不思議な訳文です。
 穴という言葉を使って兄が妹と交合したと小学生に教えています。
『記紀』が書かれた時代やその前に時代における「妹」という漢字に当てはめられた日本語は「いも」であって「いもうと」ではありません。
「いも」という大和言葉の主要な意味は「いとしい恋人や妻」であり、そのような用法は『記紀』に無数にあります。
 兄弟姉妹の「妹(いもうと)」が主要な意味となったのはずっと後の時代です。
 兄弟姉妹の用法については、この掲示板に連載し、保存頁に保存しておきました。
 ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kyuoudai.htm

 以上が現時の少年少女が読む日本神話の実情です。
(ことわっておきますが、これは小学生も読む本であって、伝説の学問的研究書ではありません)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2820『小学生の日本神話67』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上8

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>5

 光山勝治の『まんが日本の神話』は悪い本だとは思わないのですが、時々首を傾げます。
 問題の箇所は、

「私の体はできあがっていてできあがらないところが一つあります」
「私の体はできあがっていてできすぎたところが一つある
 この私のできすぎたところを
 できあがっていないところに
 刺し塞いで国を生もうと思うが
 どうだろう」
 ・・・・・
「お互いの体の
 できすぎたところと
 できあがらないところを
 発見して
 そこを擦り合わせました」

 この前半は『古事記』の文章の直訳に近いですが、なぜマンガに直訳を――と思いますし、後半の「体の・・・を発見して」とか「擦り合わせ」といった表現は『古事記』にも無いと思います。
(前の本の訳に「(体にあいた)穴」という言葉が使われていましたが、こういう言葉も『古事記』や『日本書紀』には無いと思います)

 どうも、子供向けの日本神話を書く人たちは、この伊弉諾尊・伊弉冉尊の婚姻神話の箇所になりますと、原本にも無いような露骨な言葉を嬉々として使いたがるようです。

 前にご紹介したことのある平山忠義『日本の神話』では、男神と女神が降りて、国々を作った――と、あっさりと書かれています。
 玉川大学中学部の部長をしておられた先生がお書きになった本ですが、流石です。

 さらに最初にご紹介した出雲井先生の『日本の神話』では、まったく違った表現で男女の違いを記しておられます。すなわち、精神面の違いだという翻案です。
 唯一、「手をつないで寝ました」という処が関係あるといえば有ります。
 ここは、文章の流れからいって、私は違和感を持ちました。

(次に、『古事記』にある「いも(妹)」を、各社の代表的な本でどのように訳しているかを、少し調べてみます)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2823『小学生の日本神話68』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上9

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>6

 前に『古事記』の文章に「問其妹伊邪那美命曰・・・」と、伊弉諾尊が伊弉冉尊を呼ぶのに「妹」という漢字が使われており、これをそのまま「妹(いもうと)」と後の時代の使い方で直訳している子供向けの本があることを記し、批判しました。
 このような直訳の理由の一つは、「妹という漢字の使い方の歴史を知らないための錯覚」でしょうが、そのほかに、「海外の兄妹婚神話や近親婚禁忌の影響を受けているという学説」を元にした訳もあるようです。
 では、現在一般に入手しやすい大人向けの『古事記』の訳文に、「妹」に対してどのような訳がつけられているのでしょうか。
 少々気になったので、家にある本を調べてみました。訳文の無い解説書の場合にはフリガナを記しました。

(1)本居宣長『古事記傳』(江戸時代)→[「いも」と読む。女性の意味。くわしい解説がある」]
(2)植松安『古事記新釋』大同館(大正八年)→[「いも」とふりがな]
(3)物集高量『古事記大鏡水鏡』日本文學叢書刊行會(大正十一年)→[「いも」とふりがな。現在の妹とは使い方が違うと解説]
(4)次田潤『古事記新講』明治書院(大正十三年)→[「いも」とふりがな]
(5)塚本哲三『古事記祝詞風土記』有朋堂(昭和五年)→[「いも」とふりがな]
(6)植松安・大塚龍夫『古事記全釋』不朽社(昭和九年)→[「御妃神」と訳]
(7)笛木謙治『新釋古事記』大洋社(昭和十三年)→[「后(きさき)」と訳]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2825『小学生の日本神話69』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上10

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>7

(8)福永武彦『古事記』河出書房(昭和三十一年)→[「妻」と訳]
(9)倉野憲司『日本古典文学大系古事記』岩波書店(昭和三十三年)→[「妻」と解説]
(10)神田秀夫・太田善麿『日本古典全書古事記』朝日新聞社(昭和三十七年)→[「いも」とふりがな]
(11)倉野憲司『古事記』岩波文庫(昭和三十八年)→[「いも」とふりがな。解説で夫婦]
(12)尾崎知光『古事記全』白帝社(昭和四十七年)→[「いも」と読む。女神であることを示すと解説]
(13)荻原浅男・鴻巣隼雄『日本古典文学全集古事記上代歌謡』小学館(昭和四十八年)→[「いも」とふりがな。訳文では単に「妹」。解説で、散文に用いられる場合は兄妹の妹(いもうと)の意味とある]
(14)西宮一民『古事記』おうふう(昭和四十八年)→[「いも」とふりがな]
(15)次田真幸『古事記』講談社学術文庫(昭和五十二年)→[「女神」と訳]
(16)西宮一民『新潮日本古典集成古事記』新潮社(昭和五十四年)→[誕生した時の「妹」は「女性」、婚姻時の「妹」は「妻」と解説]
(17)山口佳紀・神野志隆光『新編日本古典文学全集古事記』小学館(平成九年)→[「妻」と訳]
(18)三浦佑之『口語訳古事記』文藝春秋(平成十四年)→[「妹(いも)」と訳。兄と妹の近親婚であると解説]

 これを見ますと、全18冊のうち兄と妹の近親婚を匂わせているのが(13)、はっきりとそう書いてあるのが(18)で、それ以外の16冊は妻とか妃とかいった意味にとっています。
 興味深いことがあります。
 それは、同じ小学館でも、(13)と後に出た新編の(17)とでは「妹」の訳がまったく違うことです。旧編では兄妹婚ですが新編ではそうではありません。
 それからもう一つ興味深いのは、TM氏の子供向けの本と(18)との関係です。(18)は平成十四年の刊行ですが、TM氏の本は平成十七年刊行です。TM氏は(13)に従ったと書いていますが、(18)の影響を受けた可能性もあります。
 私には学問的な論争をする力はありませんが、小中学生が読む本であることを留意して書いていただきたいものだと思います。
『古事記』や『日本書紀』のこの場面は口語訳すると品が無くなりますが原文はおおらかではあるが下品ではありません。
 それなのに「妹(いもうと)とセックスした」とか「穴」とか「互いにヌードを見て擦り合わせ」・・・といった原文にも無い下品な超訳!を小学生に読ませるのは反対です。
 先日も病院の待合室に置いてある子供向きの本を見たら、ずいぶんと自虐史観とかHな雰囲気とかがありました!


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2827『小学生の日本神話70』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上11

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>8

 以上、『古事記』を元にした小中学向けの日本神話における「妹」問題について記しましたが、『日本書紀』ではそういう問題はありません。「妹」という表記は使われていないからです。
 使われているのは陽神(おかみ)陰神(めかみ)です。

 さて、『日本書紀』にもどります。
 こうして伊弉諾尊と伊弉冉尊は神聖な結婚をなさり、まず島々をお生みになりました。
 はじめに淡路島をお生みになり、ついで日本列島の島々をお生みになりました。
 それは、本州・四国・九州・隠岐・佐渡・北陸地方・山口県屋代・岡山県児島半島(昔は島だった)です。
 八つなので「大八洲(おおやしま)」という日本列島の名ができました。

(注:島と大きな国土とがまざって書かれており、北陸が書かれているのに関東から北東の方は書かれていませんが、古代においてはまだ日本列島の地理がよく分かっていなかったのでやむをえません。当時地理がだいたい分かっていたのは九州から大和にかけてです。しかしそれでも瀬戸内海の重要な島と日本海側の重要な島が記されているのは立派だと思います)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2829『小学生の日本神話71』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上12

<オノ馭慮島(おのごろしま)での聖婚と大八洲(おおやしま)国の誕生>9

 前に書き忘れましたが、ここまで、
[一書は十種あります]

<天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊の誕生>1

 伊弉諾尊・伊弉冉尊は、
 次に「海」を生みました。
 次に「川」を生みました。
 次に「山」を生みました。
 次に「木の祖」を生みました。
(木の祖とは杉や檜など、家を建てるときに有用な材木となる木です)
 次に「草の祖」を生みました。
(草の祖とは、家の屋根をつくるときに役立つカヤ・ススキなどです)

 それから伊弉諾尊・伊弉冉尊は相談して、
「わたしたちはすでに日本の国土とその上にある山や川や草や木を生んだ。海も生んだ。このあとは国土の主人となる者を生むべきだ」
 ――とお決めになりました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2832『小学生の日本神話72』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上13

<天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊の誕生>2

 そこで伊弉諾尊と伊弉冉尊は協力して日の神をお生みになりました。
 お名前は大日◎貴(おおひるめのむち)と申し、また天照大神(あまてらすおおみかみ)とも申します。
(◎は靈の下を女にした字)
 この御子は明るく美しく輝き天地の隅々まで照らしました。
 伊弉諾尊・伊弉冉尊のご夫婦は喜び、天の御柱をつかって天上の世界にお上げになりました。
 その次に月の神をお生みになりました。
 お名前を月読尊(つくよみのみこと)と申します。
 この御子の放つ美しい光も、天照大神につぐ明るさでした。
 そこでやはり天上にお送りになりました。

(このあとで蛭子が生まれましたが、三年たっても脚が立ちませんでしたので、丈夫な船に乗せて風のまにまに離されました。この條は小学生向けには書かない予定ですが、古代から出産にはある確率で犠牲がつきもので、流産もあれば育たない子供が生まれることもあり、さらには難産で母親が犠牲になることもあります。そういう悲しい体験が神話にも反映していると考えられます)

(ここで注意すべきは、天照大神ですら伊弉諾尊と伊弉冉尊の生んだ子(みこ)と表現されていることです。そこからずっと子孫がつながって人間の世界になるのが日本神話の特色の一つで、神の世界と人間の世界の間に断絶がありません。そして、土地や山川草木と人間の遠い先祖は、同じく伊弉諾尊・伊弉冉尊がお生みになったものであり、血の繋がった兄弟姉妹です。つまり自然と人間は同じ親から出た一族なのです。だから日本民族においては自然は収奪の対象ではなく保護し共存すべき仲間です。この点が樹木をどんどん切ってしまう収奪専門の国々とは違います。日本の森林比率が世界一高いと言われるのは、このような民族性があるからです・・・というような事を書こうと思います)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2834『小学生の日本神話73』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上14

<天照大神・月夜見尊・素戔嗚尊の誕生>3

 伊弉諾尊・伊弉冉尊は、つぎに、素戔嗚尊(すさのおのみこと)をお生みになりました。
 この神は強く乱暴で、いつも大声で泣いていました。
 そのために人々は弱り病気で死に、山の木々も枯れてしまいました。
 そこで伊弉諾尊と伊弉冉尊は、
「おまえはひどい乱暴者なのでこの国にいてはならない。遠い根の国に行きなさい」
 ――と言われて、追い払ってしまわれました。
 根の国とは遠いところにある地底の国です。

[一書は十一種(正文より長いくらいの重要な一書もあります。有名な神社の祭神には、ここの一書に書かれている神様が多くおられます)]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2836『小学生の日本神話74』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上15

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>1

 素戔嗚尊は親である伊弉諾尊に言いました。
「お言葉にしたがって根の国に行こうと思いますが、その前に高天原に昇って姉上の天照大神にお目にかかりたいのです」
 伊弉諾尊はこれをお許しになりました。
 そこで素戔嗚尊は高天原に昇り、天照大神のところに行きました。

 このあと、男神の伊弉諾尊はこの世界をおつくりになる仕事をすべて終えられたので、隠退なさることになり、淡路国に御殿をつくって静かに永久にお姿が見えなくなりました。
(いまでも伊弉諾尊がお住まいになる神社があります)

(女神の伊弉冉尊のことは、『日本書紀』の正文ではいつのまにか消えているのですが、この前の節のいくつかの一書において、また『古事記』において、難産でお亡くなりになり、死後の世界である黄泉の国に行かれ、伊弉諾尊がそれを追いかけて騒ぎが起こる話があります。また、国土のあと多くの神々を生んだ話があります。とくに『古事記』においては、天照大神他の三神は伊弉冉尊がお隠れになったあとで男神の伊弉諾尊から生まれたことになっています。『日本書紀』の正文だけでは女神のその後が分かりませんので、一書や『古事記』で補う必要がありますが、黄泉の坂での葛藤を詳しく書くかどうかは未定です。とても有名な話だし、死というものの現実を感得するきっかけにもなるので、多少は書いた方がいいかもしれません)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2838『小学生の日本神話75』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上16

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>2

 さて、素戔嗚尊が高天原に昇ろうとなさると、海は激しく揺れ動き、山はすさまじく鳴り響きました。これは素戔嗚尊のご性格が荒々しかったからです。
 天照大神は弟の素戔嗚尊が乱暴者であることを知っておられたので、驚き、
「弟がやってくるのは、高天原を奪うためだろう。父母である伊弉諾尊・伊弉冉尊のお教えによって子供たちのいる場所は定まっているのに、なぜこの高天原を狙おうとするのか」
 ――と言われました。
 そして、髪を結び裳を縛って袴のようにし、八坂瓊の五百箇御統(やさかにのいおつみすまる*)を髪や腕に巻きつけ、弓矢を身につけ劍の柄を握りしめ、堅い土をまるで淡雪のように蹴散らして、素戔嗚尊を激しく叱りました。

(*:多くの玉を紐でつないだ飾り。『三種の神器』と同様のもの。古代の重要な宝)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2840『小学生の日本神話76』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上17

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>3

 素戔嗚尊はお答えになりました。
「わたしには高天原を自分のものにしようなどという悪い心はありません。父母の命令ですので根の国に行こうと思います。ただ、その前に姉上に会いたくて、こうして雲や霧を踏み渡って昇って来たのです。姉上が怒っていらっしゃるとは思ってもいませんでした」
 天照大神は、
「お前が悪い心を持っていないと、どうしてわかるのか」
 ――と仰せられました。
 素戔嗚尊は申しました。
「姉上と誓約(うけい)をいたしましょう。誓約の間に御子を生むことにいたしましょう。もしわたしが生む御子が女ならば私に悪い心があると思ってください。男ならば悪い心はないと思ってください」

(誓約(うけい)というのは、神のご判断をうかがう方法です。はじめにある事を決めて、そのとおりになれば正しく、違っていれば正しくない、となります)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2842『小学生の日本神話77』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上18

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>4

 天照大神は、素戔嗚尊の誓約(うけい)の申し出を承知なさり、素戔嗚尊が身につけていた大きな劍を手にとると三つに折り、それを天真名井(あまのまない)と呼ばれる神聖な井戸の水で清めてガリガリとこまかく噛み砕き、吹きすてました。
 すると、その霧のような息のなかから、つぎの三柱の女神が生まれました。

 田心姫(たごりひめ)
 湍津姫(たぎつひめ)
 市杵島姫(いちきしまひめ)

 この三女神は、天孫降臨に先立って福岡県の宗像大社に鎮まったとされています。
 田心姫は沖津宮(玄界灘の沖ノ島)、湍津姫は中津宮(海岸に近い大島)、市杵島姫は辺津宮(陸地の田島の地)に、それぞれ祀られています。
 皇室によって古くから大切にされてきた神社で、官幣大社です。
 沖ノ島は神の島として保存されてきたことは有名で、発掘調査によって古くから国家としての祭祀がなされてきたことが立証されています。
 遣唐使の無事を祈ったともいわれます。
(先に記した伊弉諾尊が祀られている淡路の伊弉諾神宮も官幣大社です)

 三女神の神名の由来ですが、田心姫は一書や『古事記』の田霧姫から、霧から生まれたことを意味するようです。湍津姫は聖なる天真名井ですすいだことを意味する名、市杵島姫の市杵は身を清める斎の意味だそうです。
 なおこの三女神は海の道案内でもあり、別名を道主貴(みちぬしのむち)といわれますが、神名の別名に「貴(むち)」がつくのは他に天照大神と大国主命の二神のみだそうです。

 神社本庁の「まほろば」から宗像大社のお写真を拝借しました。
 上は辺津宮、中は中津宮と沖津宮(沖ノ島)、下は400隻もの漁船が出る「みあれ祭」の壮観です。
 ↓↓↓↓↓


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2844『小学生の日本神話78』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上19

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>5

 つぎに素戔嗚尊が、天照大神がお体に巻きつけておられた八坂瓊の五百箇御統(やさかにのいおつみすまる)を取って、天真名井ですすいで噛み砕き、吐きました。
 するとその霧のような息から、つぎの五柱の神が生まれました。

 正哉吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)
 天穂日命(あまのほひのみこと)
 天津彦根命(あまつひこねのみこと)
 活津彦根命(いくつひこねのみこと)
 熊野(木+豫)樟日命(くまののくすひのみこと)

 天忍穂耳尊の「天」は天上界という意味の尊称、「忍穂」は立派な稲穂、「耳」は霊々(みみ)で接尾辞、「尊(みこと)」は命(みこと)より上位の尊称。その前の正哉吾勝勝速日は勝利を意味する言葉。
 天照大神の宝玉から生まれたこの神(天忍穂耳尊)こそ、皇室の直系の祖であり、この神を仮に一代目としますと、天孫降臨なさった瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は二代目、建国なさった神武天皇は五代目となります。
 日本人のほとんどは皇室と何らかの形で血のつながりがありますから、これを読む小学生のほとんどは天照大神の宝玉の子孫なのです。

 他の四柱の神については次回に説明します。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2846『小学生の日本神話79』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上20

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>6

 ほかの四柱の神について、簡単に記します。

 天穂日命(あまのほひのみこと)は、出雲大社を奉斎してきた豪族・出雲臣(いずものおみ/出雲国造)の祖であり、また同時に朝廷の葬儀や造墳を担当した土師連(はじのむらじ)の祖でもあります。
 なぜこの神の子孫が出雲大社を奉斎する役目についたかといいますと、葦原中国(出雲*)の大己貴神(大国主命*)との折衝に派遣されたものの、逆に籠絡されてしまったからです。
 現在の出雲大社は千家が奉斎していますが、現在の宮司さんは天穂日命から数えて(たしか)八十四代です。皇室を除くと日本最長の家系です。
(このほか元伊勢籠神社の海部家が八十二代で有名です)

 天津彦根命(あまつひこねのみこと)は、河内の豪族で国造家である凡川内直(おおしこうちのあたい)や山代国の豪族で国造家である山代直(やましろのあたい)の先祖です。

 活津彦根命(いくつひこねのみこと)の系譜は不明です。名の意味は、活力のある太陽の子です。

 熊野(木+豫)樟日命(くまののくすひのみこと)も、子孫が誰であるか不明です。名の意味は、奥まった野の奇霊(くすひ)らしいです。「くま」という言葉は語源的に「神」と結びついているようです。

(*:葦原中国と出雲の関係や大己貴神と大国主命の関係はややこしいので、どう書こうか迷っています。『日本書紀』と『古事記』で違いますし)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2848『小学生の日本神話80』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上21

<素戔嗚尊と天照大神の誓約>7

 神々が生まれたあと、天照大神は、
「八坂瓊の五百箇御統はわたしのものです。だからそこから生まれた五柱の男神はわたしの子です」
 ――とおっしゃり、引き取ってお育てになりました。
 また、
「大きな劍は素戔嗚尊のものなので、そこから生まれた三柱の女神はおまえにあずけます」
 ――とおっしゃり、素戔嗚尊にお授けになりました。

[一書は三種あります]

(この誓約によって素戔嗚尊に高天原を奪う悪い心がないことは明白になったのですが、素戔嗚尊の乱暴な性格はなかなかなおりません。そのためにこのあと、高天原にたいへんなことがおこります)

(注意すべきは、この時点ではまだ天照大神は間違いもおかす不完全な神として描かれていることです。素戔嗚尊の気持ちを見破ることができず、誓約に破れており、弟の素戔嗚尊を教え諭すこともできないでいます)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2850『小学生の日本神話81』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上22

<素戔嗚尊の乱行と追放>1

 天照大神との誓約に勝利した素戔嗚尊は、高天原に居座って、ひどい乱暴をはたらくようになりました。
 たとえば、春には天照大神の神田に二重に種をまいたり、あぜ道を壊したりしました。また秋には馬を田に放って農業の邪魔をしました。
 さらに、天照大神が新しく収穫したお米を祝う新嘗というお祭りのための御殿を汚しました。
 もっとひどいこともしました。
 天照大神が着物を織っているところに馬を投げ入れたので、驚いた天照大神は身体に怪我をしてしまったのです。
 天照大神はすっかり立腹し、天石窟(あまのいわや)にお入りになり、その入り口の磐戸を閉じてかくれてしまわれました。
 そのため、国中が闇になり、昼と夜の区別もわからなくなりました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2852『小学生の日本神話82』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上23

<素戔嗚尊の乱行と追放>2

 困った多くの神々は、天安河辺(あまのやすのかわら*1)という河原に集まって相談しました。
 すると思兼神(おもいかねのかみ)という頭の良い神様が、天照大神に出ていただく方法を考えだし、皆でそれを実行しました。
 それは次のような方法でした。
 縁起の良い鶏を集めて長鳴きをさせました。
 力の強い手力雄神(たちからおのかみ)を磐戸の近くに隠れさせました。
 中臣連(なかとみのむらじ*2)の遠い先祖の天兒屋命(あまのこやねのみこと*3)と、忌部(いみべ*4)の遠い先祖の太玉命(ふとたまのみこと*5)が、天香山(あまのかぐやま*6)の五百箇眞坂樹(いおつまさかき*7)を根もいっしょに掘り取って、天石窟(あまのいわや)の前まで運びました。

*1:天上界の多くの州のある河原。

*2:代々大和朝廷の神祇祭祀をつかさどってきた氏族。藤原家の祖である藤原鎌足は中臣の出身なので、天兒屋命は大豪族・藤原家の祖でもあります。

*3:神のご意思を皇孫に伝えることを仕事とする神さま。のちに天孫降臨に従います。藤原氏の氏神社である春日大社には天兒屋命が祀られています。

*4:大和朝廷の祭祀の実務を担当したとされる氏族。『古語拾遺』はこの氏族の伝承を記した書。

*5:立派な霊魂の神という意味で、司祭者的職能に基づく名。

*6:大和の天香具山。

*7:五百箇→枝葉が豊かに茂った/眞坂樹→眞は美称、坂樹は境木(境界の木)で、神の宿る聖域を示す樹木。榊。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2857『小学生の日本神話83』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上24

<素戔嗚尊の乱行と追放>3

 据えられた眞坂樹の上のほうの枝には八坂瓊の五百箇御統(*1)を掛け、中ほどの枝には八咫鏡(やたかがみ*2)を掛け、下のほうの枝には青和幣(あおにきて*3)と白和幣(しろにきて*4)を掛けました。
 そして皆で、天照大神にお出になってくださるようにと、祈りました。

*1:前に記したものです。
*2:大きく神聖な御鏡
*3:「にきて」は柔らかな繊維、「幣」は神への献げ物、「青和幣」は麻の繊維でつくられている。
*4:同上。「白和幣」は栲(コウゾ)の樹皮からつくる白い繊維。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2862『小学生の日本神話84』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上25

<素戔嗚尊の乱行と追放>4

 それから、△女君(さるめのきみ*1)の遠い先祖である天鈿女命(あまのうずめのみこと*2)が、手に邪気をはらう矛を持って、巧みに、滑稽な踊りをしました。
(△は援を獣偏にした文字)
 さらに、榊を髪飾りにするなどして、かがり火をたき、桶を伏せてその上で神懸かりになって踊りました(*3)。
 天照大神は、自分が隠れてから世界は暗くなって皆困っているはずなのに、どうして賑やかなのかと、不思議にお思いになり、磐戸をすこし開けて外をご覧になりました。
 そのとき手力雄神はすぐに天照大神のお手を取ってお出し申し上げました(*4)。
 中臣神と忌部神はただちに注連縄を戸のところに張って、二度と天照大神がお入りにならないよう、境界としました。
 そして「二度と中にお入りなさいませんように」とお願いしました。
 神々は素戔嗚尊を叱って厳しく処罰し、高天原から追放しました。

*1:大和朝廷の鎮魂祭で舞楽をする女性を出す氏族。
*2:神霊のよりしろで髪飾りをした女性の神。
*3:正文には桶を伏せて神懸かりになった――とあるだけで、伏せられた桶の上に乗ったという描写も、踊ったという描写もありませんが、多くの訳書で上記のように書かれています。
*4:手力雄神が少しだけあいた磐戸を力ずくで引き開けた話は、一書の第三にのみあります。

[一書は三種あります]

(天石窟(あまのいわや)隠れの事件のとき、天鈿女命が肌を露出させて踊り狂ったという描写は、『古事記』にはありますが『日本書紀』にはありません。一書にもありません。かつて新しい歴史教科書の日本神話が国会で問題になったとき、左翼政党の女性議員が「ストリップを中学生に教えるのか」というとんでもない言いがかりを言ったことがあります。むろんナンセンスな質問ですが、それは非正史とされる『古事記』にはあっても正史である『日本書紀』には無いのですから、「教科書は正史を教える」と答えれば良かったと思います。もっとも反日議員たちは、素戔嗚尊を罰したのは残酷だとか誓約(うけい)は非科学的だ――などといくらでも文句をつけてくるでしょう)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2866『小学生の日本神話85』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上26

<素戔嗚尊の八岐大蛇退治>1

 高天原を追われた素戔嗚尊は、出雲国の斐伊川(ひいかわ*1)の川上にお着きになりました。
 そのとき、人の泣き声が聞こえてきました。
 不思議に思ってその声の方に行くと、一人の老人と一人の老婆が、少女を間にして泣いていました。
 素戔嗚尊は、
「おまえたちは何者だ。どうしてそのように泣いているのか」
 ――と訊ねました。
 老人は答えました。
「わたしは国神(くにつかみ*2)で、脚摩乳(あしなずち*3)と申します。そこにいる妻は手摩乳(てなずち*4)と申します。この少女はわたしの子供で、奇稻田姫(くしいなだひめ*5)と申します。もともとわたしには八人の女の子がいましたが、毎年一人ずつ八岐大蛇(*6)に食べられてしまい、この子だけが残りましたが、もうじきこの子も食べられてしまいます。逃げることなどできません。それで泣いていたのです」

*1:現在では宍道湖に注いでいる大きな川。
*2:土地の神(詳しくは神道辞典など参照)。
*3:脚無しの精霊という解釈がある。蛇を意味する名らしい。
*4:これも手無しの精霊で蛇を意味するという解釈がある。
*5:霊妙な稲田の守護神。人身御供の巫女として稲田を守る意味があるらしい。
*6:八つの頭と八つの尾をもった大蛇で、多くの渓谷を持つ斐伊川の表象とされる。

(この話は、斐伊川の精霊である大蛇に奉仕する祭に選ばれる巫女が過酷な儀礼をしていた史実を反映しているという説がある。また、斐伊川の氾濫によって多くの犠牲が出た史実と関係するという説がある)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2868『小学生の日本神話86』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上27

<素戔嗚尊の八岐大蛇退治>2

 素戔嗚尊はそこにいる娘が気に入ったので、
「その娘をわたしの妻にもらえないか」
 と申し出ました。
 脚摩乳は、
「おおせのとおりにいたします」
 と答えました。
 喜んだ素戔嗚尊は娘を助ける計略をたて、娘を櫛に変身させて髪に挿して隠しました。
 そして脚摩乳と手摩乳の夫婦に命じて、上等の酒をたくさんつくらせました。
 それから八つの酒桶を棚に置いて、そこに酒をいっぱいに入れて、大蛇が来るのを待ちました。
 しばらくすると、大蛇がやってきました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2870『小学生の日本神話87』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上28

<素戔嗚尊の八岐大蛇退治>3

 八岐大蛇には頭と尾がそれぞれ八つもありました。
 目は赤いホオズキのようで、背中には松や柏の木が生え、大きさは八つの丘や八つの谷におよぶほどでした。
 大蛇は酒が好きだったので、八つの酒桶を見つけると、八つの頭をそれぞれ酒桶に入れて酒を飲み、酔って寝てしまいました。
 それを見て素戔嗚尊は飛び出し、身に帯びていた十握劍(とつかつるぎ)という大きな劍を抜いて、大蛇を斬りつけ、退治しました(*)。
 ところが尾の部分を斬ろうとすると、堅いものに当たって十握劍の刃がすこし欠けました。
 ふしぎに思ってその部分を切り裂いてご覧になると、中に一つの劍がありましたので、素戔嗚尊はそれを取り出しました。
 とても立派な劍で、大蛇の上にはいつも雲がかかっていたので、天叢雲劍と呼ばれました。

*:『記紀』を読みますと、古代の大和朝廷やその御先祖は、戦いの場合、後方に回ったり、酒を飲ませて油断させたり、老人に化けたり、娘に化けたり、恩賞を与えたり・・・など、極力損害を少なくする戦術を採用しています。戦わずして勝つ戦術です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌2876『小学生の日本神話88』◆◆◆

▼『日本書紀』の神話 巻第一 神代上29

<素戔嗚尊の八岐大蛇退治>4

 素戔嗚尊は、その剣を見て、
「これは霊剣だ。わたしのものにするわけにはいかない」
 ――とおおせられて、天照大神に献上なさいました(*1)。
 それから素戔嗚尊は、結婚の場所をさがして、出雲の清地(すが)にお着きになりました。
 その地で素戔嗚尊は「わたしの心は清々(すがすが)しい」とおおせられました。
(それでこの地をスガとよびます。『古事記』では須賀です。*2)
(*3)
 そしてそこに宮殿をお作りになりました。
 その宮殿で奇稲田姫とご結婚され、御子が生まれました。大己貴神(おおあなむちのかみ)と申します(*4)。
 そのあと素戔嗚尊は、
「わが子の住む宮殿の責任者に脚摩乳と手摩乳を命ずる」
 とおおせられ、この二柱の神に稲田宮主神(いなだのみやぬしのかみ)という名をおつけになりました。
 こうして、子孫の住む宮殿の責任者を定めたのち、素戔嗚尊は根国に行かれました。

[一書は六種]

*1:この剣はのちの世になって日本武尊が草を薙いで火攻めから皆を救ったので草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼ばれるようになりました。
 大和朝廷が最高の宝とした『三種の神器』の一つです。
 はじめは八咫鏡とともに伊勢神宮に奉斎され、日本武尊の活躍のあと、熱田神宮に奉斎され、現在に至っています。
 一方、素戔嗚尊が草薙剣を大蛇から取り出すときに使った十握剣ですが、これは朝廷に使えた大豪族物部氏の総氏神である石上神宮に、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)の御神体として奉斎されています。

*2:島根県雲南市大東町須賀。

*3:正文の中に「ある伝では」という注のような形で、このとき素戔嗚尊がお詠みになった次の有名な歌が記されています。短歌の祖です。
「や雲たつ 出雲八重垣 妻ごめに 八重垣作る その八重垣ゑ」

*4:偉大な土地の貴い人の意。一書の第二では六世の孫とされています。また『古事記』では六世の孫大国主命の別名です。大己貴神や大国主命の話は、『古事記』『日本書紀』『日本書紀一書』でずいぶん違うので、どう書いたらよいのか迷います。『古事記』や一書に面白い話がたくさんあるのですが、正史の正文ではないので・・・。


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