■■■ 陣屋のマイナビ女子オープン観戦記(オロモルフ)■■■


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5154『世相家事雑感』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2011年 4月 6日(水)22時18分2秒◆◆◆

▼マイナビ女子オープン

 ――のタイトル戦、第一戦の大盤解説を旅館「陣屋」に見学に行ってきました。
 最後は特典で、終局以後の感想戦の現場を見せてもらいました。
 かつて、昭和20年代から30年代に、升田−木村戦とか、大山−升田戦とかが行われた伝説の対局室です!
 詳細は明日以後に・・・。


◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記1 ◆◆◆

「マイナビ女子オープン」とは、現在女流棋士界に五つ(今年から六つ)あるタイトル戦の一つで、主催の中心は「株式会社毎日コミュニケーションズ」で、将棋連盟と女子プロ将棋協会が共同主催の形をとっています。
 同社が販売を受け持っている「週刊将棋」が長年開催してきた女流公式戦をタイトル戦へと発展させたもので、現在が四期目。
 タイトル獲得者は「女王」という称号が付きます。
 優勝賞金は500万円で、女流タイトル戦としては最高額です。
 毎日コミュニケーションズによれば、女性の職業開拓に貢献するのが目的だとか。
 予選、本戦はトーナメント、決勝は五番勝負で、三勝で決まります。持ち時間は決勝が三時間、それ以前は40分。
 前身の棋戦からオープン形式でアマの参加も可能ですが、アマが勝ち抜く事は至難ですから、実質的にはプロ棋士の対局が中心となります。

 これまでの女王は、
 第一回 矢内理絵子(相手甲斐智美)
 第二回 矢内理絵子(相手岩根忍)
 第三回 甲斐智美(相手矢内理絵子)
 第四回の女王を決めるのが、今度の五番勝負で、女王甲斐智美に、新進の上田初美が挑戦しています。

◎甲斐智美――
 1983年5月、出身石川県七尾市(将棋連盟の記事)/川崎市(一般の記事)。(今年五月で28歳)
 師匠:中原誠十六世名人
 1997年二級(14歳でプロデビュー)
 1998年一級
 1998年奨励会入り
 2003年初段
 2006年三段
 現在、「女王」「女流王位」の二冠。つまりこれまでの五タイトルのうち二タイトルを保持。
 アマ時代から豪腕少女として知られていた人です。おそらく唯一の短所は、健康面でしょう。スタミナが心配です。

◎上田初美――
 1988年11月、出身東京小平市。(今年秋で23歳)
 師匠:伊藤果七段
 2001年二級(13歳前にプロデビュー)
 2002年一級
 2003年初段
 2008年二段
 二年前にタイトル戦の女流王将に挑戦して敗れたことが有ります。
 よくテレビの解説を担当して愛想を振りまいています。
 去年あたりから一段と強くなったという印象です。

 マイナビ女子オープンの広報サイトから、この二人が四月五日に対局した写真を示します(私が撮った写真は後ほど出します・・・)。
 左が甲斐智美、右が上田初美です。立会責任者は藤井九段です(上の写真の緑のテーブルの向かって右に坐っている男性。左の金髪は橋本七段だと思います)。
 服装ですが、これが女流棋士のタイトル戦の標準的な礼装の一つ。上田はこの服装で指すのは初めてらしい。メガネは後半にかけました。顔立ちが普段とは全く違って見えます(笑)。甲斐は最初からメガネです。
 こういう服装で将棋を指すことに憧れる将棋好き少女が多いらしい。

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記2 ◆◆◆

 鶴巻温泉の有名旅館「陣屋」は、大昔に別の場所にあった著名な別荘を移築したらしいのですが、自然の趣を残した広い庭園で知られます。
 すぐそばまで高層ビルが迫ってはいますが、なんとか森を保っています。
 家内は何度も知人と来ております。
 私は今回が二度目。
 前に来た時は、将棋対局は無い日でしたから、対局部屋を見せてもらったり、廊下にたくさん展示されている昔の対局風景などを見学しました。
(この掲示板でその写真をお見せした事があります)
 さて、写真の上が「陣屋」の入口で、マイナビ女子オープンという掲示が立てられていました。
 この附近で取材陣の人が写真を撮っていました。
 少し行くと、二人ほど番頭さんが立っていて、案内してくれます。
 なぜ、玄関に着く前の道に番頭さんが立って案内するのかといいますと、それは、昭和26年に「陣屋事件」という有名な事件が起こったからです。
 それ以来、門から玄関までの道に番頭さんが立ってお客さんを案内するようになったのです。

「陣屋事件」とは――

 昭和20年代の升田幸三の実力は大変なもので、それまでにない新手を工夫して勝ちまくっていました。
 当時の有名棋戦の中には、名人戦の他に王将戦がありました。
 昭和26年が第一期でした。
 この決勝は七番勝負ですが、昔よくなされた差し込み制度で、三番勝ち越すと、「平香交じり」になりました。これは平手と香落ちとを交互に指すというものです。
 ふつうは名人が香車を落とすのですが、大変な強さだった升田は、当時の名人の木村義雄に対して三勝して、自分の方が香を落として指すという対局に追い込んでしまったのです。
 升田は日本一の棋士を目指して家出するとき、名人に香落ちで勝つ――という書き置きを残したそうですが、それが実現してしまったのです。
 そういうわけで、名人木村義雄に対して升田が香車を落として指すという前代未聞の対局が、この旅館「陣屋」でなされる事になったのですが、ところが定刻になっても升田が姿を現しません。
 結局この対局は中止になってしまったのですが、升田は質問に対して、「「陣屋」には行ったが玄関に誰もおらず入る事が出来なかったので帰ってしまった」と答えたのです。
 この事件は「陣屋事件」と呼ばれて大評判になり、将棋に関心の無い人でも「陣屋事件」は知っているほどでした。
 旅館の側は、「そんな事はない」と言いましたが、結局うやむやになり、それ以後、そういう事が絶対に無いようにと、番頭さんが必ず玄関に入る手前の道に立ってお客さんを迎えて案内するという習慣が出来たのです。
 多くの人は、木村名人に屈辱を与えるのは忍びないと、升田が旅館のせいにして対局を棄てたのだろう・・・と考えています。
(その後、升田は大山も差し込みましたが、しばらくして差し込み制度は過酷すぎるというので、無くなりました)

 まあ、そういうわけで、昭和26年の陣屋事件以来の習慣を守る番頭さんに案内されて、二番目の写真にある道を少し行きますと、「大盤解説会場」という札が立っていて(写真下)、左に折れると会場に行ける事がわかりました。

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記3 ◆◆◆

 昨日の写真の矢印のように左に行きますと、写真上のような道があり、その左側が写真中のような綺麗な池になっています。
 池を眺めながら行くと、写真下のような玄関があります。
 この玄関を入って左がレストラン、右が宴会場で、その宴会場が大盤解説場になっています。
 古風な和風旅館ですから、宴会場に入るには、靴を脱ぎスリッパも履きません。

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記4 ◆◆◆

 玄関を入って右に行くと、そのさらに右側に、「大盤解説会場」と書かれた入口がありました(写真上)。
 そこを入って受付で会場費を払いました。会場費は二千円で、あとの出入りは自由。開始は二時で、終わりは終局までです。
 その間、コーヒーは飲み放題。
 入口の逆側にトイレがあり、比較的現代風で綺麗なのでほっとしました。古い旅館なので、母屋の方のトイレはとても古いタイプなのです。
 かなり広い部屋で、こういう場所で大盤解説を聞くのは生まれて初めてなので、ドキドキしました。畳の部屋に椅子と机を置いてあります。
 お客さんはごくわずかで、最初のうちは15人くらい。終わりごろになっても30人はいなかったと思います。
 前の方の席があいてましたが、恐ろしいので後の方のなるべく目立たない場所に座りました。私も目立つのは苦手ですが、家内はとくに苦手で、できれば誰にも知られずに一生を終わりたいという性格なのです。こういう女性を妻にして、本当に良かったと思います。
 前の方の光景は、(写真中)のとおりです。
 左側に、対局盤面を真上から写した映像が、投影されています。
 中央には解説用の大盤があります。大盤といってもこの程度の人数ですから、さほど大きくは有りません。たぶん磁石の作用で駒が吸い付くのでしょう。どのくらいの力で吸い付くのか、ためしてみたかったのですが、恥ずかしいのでやめました。
(写真中)には写っていませんが、右側に、対局風景を横から撮った映像を映したテレビが置いてあります。それを(写真下)に示します。
 対局は午前から始まっており、持ち時間は双方3時間ですから、もうかなり進んでいる筈です。
 というので、家を出る前にインターネットで見て来ました。それからさほど進んではいないようでした。
 中盤の難所ですから、両者とも長考するのでしょう。
 先手の上田二段が居飛車、後手の甲斐二冠が振り飛車です。
 これは、前々からの得意業とは逆です。甲斐二冠が居飛車で上田二段が振り飛車を得意にしていた筈なんですが、最近では変わってきたらしいです。
 ウロウロドキドキしているうちに、解説者の佐藤慎一四段が入ってきました。
 こういう人です。
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http://www.shogi.or.jp/player/kishi/sato-shinichi.html

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記5 ◆◆◆

 いよいよ解説が始まりました。(写真上)をご覧ください。
 大盤の向かって右にいるのが佐藤四段で、左は手伝いの人です。
 佐藤四段って、テレビで一度か二度見ただけで、あまり知らなかったのですが、よく喋る人でした。
 大盤から少し離れた右側にいるのが、女流将棋界のパイオニアである蛸島女流五段です。
 渋谷に道場の有った高柳門下。
 男だけだったプロ将棋の世界に最初に入った女性として知られており、若い頃、一般新聞などにも紹介されて、評判になっていた人です。
 女流棋士が出来た当初は、女流名人になるなど、得意の中飛車戦法で活躍しました。
 女流棋士会の会長などもつとめ、現在65歳で、女流将棋界の長老として普及活動に邁進しつつ、今でも現役で対局もしています。
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http://joshi-shogi.com/lpsa/prof/takojima.html

 この蛸島さんについては、帰り際に恐縮してしまうような事が起こりました。それは後ほど・・・。
(ついでながら、私の家内の母親は明治生まれで今生きていれば百歳を過ぎていて、蛸島さんの母親以上の年齢ですが、四十代になって子育てが一段落してから急に将棋がしたくなり、当時将棋連盟会長だった加藤治カ名誉九段のご自宅を訪ねて弟子入り志願し、認められました。昭和二十四年ごろの話です。しかし旦那が猛反対して離婚かも知れない騒ぎになり、やめてしまいました。少女時代、男に負けた事が無かったらしいので、惜しいことしました。続けていれば歴史に残ったかも・・・?)

 解説者として事前に名前が報道されていたのは佐藤四段だけで、その他の棋士も随時登場する――となっていました。
 対局場のそばにプロ棋士の控え室があって、そこに男女何人かが集まっており、そこにいる人が頼まれて手伝いに来るらしいです。
 その最初の手伝いが蛸島さん。
 その次に現れたのが、(写真中)の左側に立っている高野六段です。
 中原十六世名人のお弟子さんで、甲斐二冠の兄弟子に当たるため、応援に駆けつけたとのこと。師匠は甲斐さんには指導したが自分には指導してくれなかった、などと冗談を言いながら、控え室のプロたちの意見をあわただしく解説して、去ってゆきました。
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http://www.shogi.or.jp/player/kishi/takano-h.html

 しばらくして蛸島さんが控え室に戻り、その次に佐藤四段のお相手をしたのが、斎田晴子女流四段。
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http://www.shogi.or.jp/player/joryu/saida.html

 斎田さんは、名誉職的高段者をのぞけば女流プロの最上位にいる人で、タイトルもこれまでに四期獲得。デビューしたころはその強豪ぶりが有名で、一般の新聞でも写真入りで大きく取り上げられました。男性高段者を破った事もあります。いまやベテランの域ですが、あいかわらず強く、またテレビ解説でも知られます。
(写真下)の左のピンク色が斎田さんです。
 この斎田さん、オロモルフにとっては<女神のような人>でして、この後、驚天動地の珍事が起こるのですが、それは明日に・・・。

 集まった観客たちは、服装は皆ラフでしたが、おだやかで紳士的な態度で、好感が持てました。一人だけ、前の方でやたらと解説者に話しかける人がいましたが・・・。
 プロ棋士の人たちは、全員が紳士的で、とくに女流プロの人たちの礼儀正しい態度には感心しました。

 肝心の対局ですが、後手の甲斐二冠がやや有利という局面が続いています。
 持ち時間もだいぶ無くなってきて、中盤から終盤へと移行しつつあります。
 甲斐さんは中盤以後がとても強いのです。
 タイトルを取るような人は、誰でもそうですね。
 中盤以後のねじりあいに、力を発揮します。

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記6 ◆◆◆

 やがて佐藤慎一四段に換わって瀬川晶司四段が登場しました。
(写真上)の右の人です。
 この人は、じつに61年ぶりに、奨励会四段を経ないでプロになったというので有名になりました。
 詳しいことは知らないのですが、奨励会を退会したのち、サラリーマンをしながらアマで活躍し、その成績から銀河戦などに出てプロを相手に勝ち越したので、試験をしてプロ入りを認められたとか。昔の花村さんについで、61年ぶりの途中採用プロとして話題になりました。
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http://www.shogi.or.jp/player/kishi/segawa.html

 さて、だいぶ局面も進んだので、「次の一手」というクイズの出る時間になりました。
 当たった人への賞品は、立会の藤井九段の色紙と、対戦している甲斐二冠・上田二段の色紙、および本や雑誌です。
 本や雑誌はともかく、色紙には価値がありますから、注目です。
(写真1)で瀬川四段が持っているのが、藤井九段の色紙です。

 さて、その局面ですが、それは(写真中)でした。
 全体として後手の甲斐が優勢で、5七に歩をたらし(#)、2八に交換した飛車を打ち込んで、上田の王を追いつめようとしています。
 これに対して上田は、交換した飛車を両金取りの3一に打ち込みました。
 ここで甲斐二冠がどうするかが、「次の一手」クイズでした。
 答えの候補としては、かまわず攻める、一方の金は犠牲にして片方の金を避ける、銀を4二に打って両金ともに守り、同時に飛車取りとする、桂馬を4一に打って両金ともに守る・・・などがあります。

 私の棋力では、純粋にゲームとして見て正解を探すなど、出来る筈がありません。
 そこで考えたのは、女性の心理でした。
 家内は、孫に強要されて駒の動かし方をやっと覚えたというレベルですが、時々指しています。
 前にも書きましたが、家内の母親は明治生まれですが将棋が好きで、子育てが一段落してから原宿にお住まいだった加藤治カ名誉九段のお宅に押しかけて弟子入り志願したほどの人です。
 ですから、家内にはその遺伝が多少はあるのでしょう。駒の動かし方もよく分からないにしては、けっこう強い面もあります。
 で、横で見ていますと、金と銀を偏愛する将棋です。
 昔から川柳に、「ヘボ将棋、王より飛車を、可愛がり」というのが有りますが、家内の場合は、王よりも飛車よりも金銀を大事にするのです。
 自分の金銀は取られないように頑張るし、取った金銀は絶対に使おうとしません。使うのは勿体ないと言うのです。
 これは要するに、結婚以来ずっと安い給料をやりくりして苦労を重ねて来たので、カネヘンのつく金や銀を使うのは、ゲームであっても本能的に嫌うのです。

 甲斐二冠も、若いとはいえ女性ですから、家内のような本能が多少は有るのではないか――と推理しました。
 すると、二つの金のどちらかを犠牲にするとは、考えられません。だから、とにかく両方の金を同時に守ろうとするだろう。
 そう考えて駒台を見ますと、持っているのは歩と桂と銀です。
 銀は財布にしまっておきたいに違いない。
 歩では両金取りは防げない。
 だとすると、桂馬を打つしかない。
 そう判断しまして、「4一桂馬」と書いた紙を提出いたしました。
 で、蓋を開けてみたら(皆が考えている間は局面の映像は消しています)、(写真下)のように、見事に的中してしまったのです。
 オロモルフがプロの将棋で「次の一手」を当てるなんて、春の珍事です。

 ばんざ〜〜い!!!!!







#:「歩をたらす」という言葉は、たしか加藤治カ名誉九段が初めて使ったのではないでしょうか?


◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記7 ◆◆◆

 さて、この大当たりですが、同じ答えを出した人が何人かいましたから、色紙は抽選になりました。
 各人がクジを引くのでは時間がかかりますから、斎田晴子女流四段が代理でひきました。
 その結果、藤井九段の色紙は他の人でしたが、甲斐二冠の色紙が、オロモルフに当たってしまったのです。
 オロモルフのくじ運が良いのではなく、斎田さんの人柄が良かったのですね!
 まあ、プロ棋士の色紙というのは、お金を出せば入手は可能ですが、購入とクジとでは感じがまったく違います。
 瀬川四段から貰った色紙は、(写真上)のようなものでした。
 なんだか、悟りをひらいた老人のような題字ですが、甲斐さんって若いにしては、ある意味苦労人なのです。

 家内は色紙は当たらず、本や雑誌をくれるというので、「将棋世界」の最新号を貰ってきました。
(写真中)に示します。
 これは将棋連盟で昔から出していて、昭和20年代に加藤治カ名誉九段が編集長として尽力して、現在の形の大元を作ったと言われます。
 いまは、編集責任が将棋連盟で、発売は毎日コミュニケーションズです。
 私にとっては懐かしい雑誌なので、書庫を探して、私が持っている一番古い「将棋世界」を探してみました。
 それが(写真下)です。
 昭和25年の11月号です。仙花紙です。
 この時代はお金が有りませんから、毎月買うような事は不可能で、買うのは一年か二年に一冊で、あとは立ち読みでした。
 この雑誌にある順位戦の記録は面白いです。
 升田と大山が順位戦の上位で戦っています。

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記8 ◆◆◆

 さて、大喜びしている間にも、戦局は進み、甲斐二冠がやや有利のまま終わりに近づきました。
 佐藤慎一四段が戻ってきて、解説は佐藤四段と瀬川四段の掛け合いになりました。
 どうやって詰ますだろうか・・・という話題になりかかったとき、とつぜん佐藤四段が「頓死だっ!」と叫びました。
 その場面が(写真上)です。
 あとでインターネットを見ますと、プロ棋士の控え室でも「頓死」だと騒然としたそうです。
 では、どういう場面だったかと言いますと、上田二段がもう敗局を覚悟して最後の形づくりのように7五に桂馬を打ちました。
 むろん放置すれば甲斐王は詰みます。ですから甲斐としては王手を続けるか自玉の詰みを無くす手を指す必要があります。
 ところが、(写真中)のように、王手でもなく自玉を守るでも無い手を指してしまったのです。6九角打ちです。
 上田はかえってびっくりしたらしい。
 すでに秒読みが続いていましたが、とにかく(写真下)のように6三と金と寄せて、そこで甲斐二冠が頓死に気づいて投了してしまいました。
(写真中)から(写真下)へ、そして詰むまでは、弱い素人でも分かるような手順です。
 ▼6三と金、▽8二玉、▼7一角成、▽9二玉、▼8一成角、▽同玉、▼7二銀打、▽9二玉、▼8三桂成までです。
 私でも少し考えれば分かりそうな手順です。
 おそらく、どうやって相手を詰ますかを必死で考えているうちに、頓死筋を失念してしまったのでしょう。
 プロの解説では、ここは5三桂としてと金を払っておけば何でもなかったそうです。
 こういう頓死は高段者でもたまに有ることのようです。
 有名なのは、羽生名人が「三手詰め」に気づかずに負けてしまった例です。
 しかたありません。
 秒読みは魔物ですね。
 あと、体力の問題も有ったかもしれません。

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◆◆◆ ▼マイナビ女子オープン観戦記9 ◆◆◆

 頓死で終わってしまったあと、係の人が佐藤、瀬川両四段となにやら話をしているので、何かと思いましたら、感想戦の見学が許可されたとのこと。
 将棋盤を囲んだ両対局者を直接目にする事が出来ますので、皆大喜びで、対局場に行きました。
 木村、升田、大山などの伝説の対局がなされた部屋です。
 静かに部屋に入りますと、ご両人の姿が見えました。
 それを(写真上)と(写真下)に示しました。
 右側が甲斐二冠、左側が挑戦者の上田二段です。とても小柄に見えました。
 頓死ではいかにも悔しいでしょうが、プロ棋士の礼儀としてそういうそぶりは見せません。また勝った方も、決して嬉しそうなそぶりは見せません。礼儀正しいのです。後のインタビューでも、上田二段は頓死には触れず、自分の将棋の出来を反省していました。
(写真上)の背中が写っている三人の中央が藤井九段、右が橋本七段です。
(写真下)の見物人の中に王将と書いた半纏を着ている人がいますが、この人が少々うるさかった人です。悪気は無いようでしたが。
 来ていた女流棋士は、蛸島女流五段と斎田女流四段の他に、最近客員から正規棋士になった北尾まどか女流初段がいたようですが、はっきりとはしません。あとお一人、いたような気もします。
 もう夕方になってきましたので、先に失礼する事にし、そっと部屋を出ました。
 部屋から廊下に出た所に靴を脱ぐ場所があり、そこに靴を脱いで置いておいたのですが、驚いたことに、そこに蛸島五段がおられて、
「御靴は分かりますか?」
 ――と声をかけて下さいました。
 あわてて、
「ハイ、そこに・・・」
 と言うと、さっと手を伸ばして、その靴を取って、私の前に置いて下さったのです!
 これにはビックリしまして、しどろもどろにお礼を言って靴を履きました。
 すると蛸島五段は丁寧にお辞儀をして、
「どうも有り難うございました」
 ――と言われるではありませんか!
 こちらもあわてて、夫婦で頭を下げて、
「有り難うございました」
 と挨拶しました。
 蛸島五段といえば、男子のみだったプロ将棋の世界に最初に入った女性であり、女流棋士会の会長職をつとめ、初代の女流名人、女流王将のタイトルを獲得した、泣く子も黙る女流棋界の最長老です。
 それがこの腰の低さですから、まったくの驚きでした。
(思いの外小柄な方でした)
 というわけで、楽しい半日を過ごしました。
 タイトル戦は三勝までですから、これからが楽しみです。
 次は四月の二十二日の筈です。場所は、予定では将棋の里で知られる天童市でしたが、大震災のために将棋会館に変更になりました。
(この日の模様はNHKテレビで放映していましたから、再放送がもし有れば、ご覧ください)

(注・・・その後上田初美が連勝して、三連勝でタイトルを獲得し、三段になり将棋連盟の正会員になりました)

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