■□■□■ 朝鮮の戸籍制度――李氏朝鮮時代末期の戸籍――〔「戸籍制度」の基礎知識〕(解法者)■□■□■


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(22) 投稿者:解法者 投稿日:2008年 9月27日(土)06時56分41秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(1)−「甲午戸籍」(1)<

 甲午農民戦争(1894年)は出兵した日本軍によって鎮圧されたが、これを機に開化派の「金 弘集」を首班とする政権が成立し、奴隷制など身分制度の撤廃を図った。これが1896年〔明治29年〕の「戸口調査規則」(勅令第61号〔建陽元年9月1日〕)および「戸口調査細則」(内部令第8号〔建陽元年9月8日〕)の公布を生んだ。これについて日本の戸籍制度の影響があったことは否定できない。
 これまでの朝鮮の戸籍制度は、新羅時代から李氏朝鮮時代を貫いていた制度(以下「旧制度」という)の目的である@ 国家が人民に賦役・課税(徭役という)を課すための基礎資料の確保、A 封建的身分の把握、B 人民を土地に従属させるために逃亡の禁止、にあった。しかし、この新戸籍制度(「甲午戸籍」と呼ぶことにする)は戸籍編成の目的を
「全国的戸数と人口を詳細に編籍して、人民をして国家が保護する利益を均しく与える」(戸口調査規則第1条)と規定した。
 これはこれまでの国家的統制から福祉目的に戸籍制度を変えるもので、画期的なものであった。これは日本の戸籍制度に倣ったものである。ただ、精神とは異なって旧制度を払拭できなかったことは後に示すとおりである。
 戸籍は3年1成籍から毎年1月に成籍し、戸籍編製のため戸口様式を統一し、地方行政機関を通じて各戸主に配布した。その用紙は左右対称となっており、戸主は左右両面に後記の所定欄に記載し、官庁から契印をもらい、右を官庁に渡し左を戸主に下付してもらうようになっていた。漢城府の5署および各府牧郡はそれを基に集計表である「統表」を作成し(同規則第33条)、そのうち1本を謄書し国王に上奏することとなっていた(同規則第3条、細則第11条)。また戸主に1通を交付したこと(細則第1条・2条)は旧制度と変わらなかった。

 ★ 甲午改革
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E5%8D%88%E6%94%B9%E9%9D%A9

 ※ 『韓国戸籍制度史の研究』崔 弘基 第一書房 1996年10月25日
   (以下 崔 弘基前掲書(1)という)
   「韓国戸籍制度の発達」崔 弘基(『戸籍と身分登録(新装版)』
   (シリ−ズ比較家族 第T期 7 )利谷信義・鎌田 浩・平松 紘
   165頁 早稲田大学出版会 2005年1月25日)(以下 崔 弘基前掲書(2)
   という


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(23) 投稿者:解法者 投稿日:2008年 9月27日(土)06時53分25秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(2)−「甲午戸籍」(2)<

 戸籍の編成方式は、@「統」と「戸」の番号、A 戸主の姓名、B 年齢、C 本貫、D「職(身分)」、E「業(職業)」、F 前居住地、G 移居月日、H 4祖の「職(身分)」および名、外祖父の「職(身分)」および名、I 母の姓(名の記載はない)、J 妻の姓(名の記載はない)、K 同居親族の姓名、L 寄食者の数、M 雇用者の数、N 家宅(所有・借家の別、瓦葺・草葺の別)を<1枚の紙>に記載細目別に記した。
 これを見るに、@ 戸主も含め4祖の「職(身分)」、A 家宅(所有・借家の別、瓦葺・草葺の別)、を記載するなど、国家的統制を排除できなかった。Aについてはこれまでの旧制度に見られなかったものであるが、中国の「周」時代にも見られた(『経世遺表』丁 若 巻13地官修制 戸籍法条)制度で、貧富を国家が把握する目的で設けられたものである。
 「統」とは戸を一定数に管理する制度で、旧制度では5家を以って統を編成していたが、ここでは10戸を以って統を編成した。ここで「戸」としたのは、旧制度と異なり「同居」の者を原則として記載したことによる。この点で「同居」を原則としない旧制度の「家」戸籍制度とは大きく異なっていた。制度の目的は「統内の人民を領率」することにあった(同規則第2条)が、旧制度では戸籍の末尾に附記されるに過ぎなかった「統括表」が戸籍と分離して作成されたことは、国勢調査としての意義を一層明確にしたものである。
 この「作統制」と並んで「戸牌制」が採られていた。「戸牌制」とは地名、統号、戸号、職業、姓名を記したもの〔戸牌〕を門戸に掲げる制度で、旧制度の身分別に個人を把握するのではなく、家戸を中心として人口を把握する手段となっている(末尾の『韓国戸籍制度史の研究』崔 弘基 226頁)。


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(24) 投稿者:解法者 投稿日:2008年 9月30日(火)14時00分42秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(3)−「甲午戸籍」(3)<

 具体的な「甲午戸籍」の例を挙げる。資料は崔弘基の前掲書 222頁を参考にして作成
1.表題    戸籍表  第三九号
2.本籍地   慶尚北道 河陽郡  北面輸斯里 東上洞 第四統第九戸
3.戸主名   学生 輸桂  年 五十一  本(本貫)慶州 職業 幼学 農人
4.父名    学生 東和
5.祖父名   学生 振鶴
6.曽祖父名  学生 命堤
7.外祖父名  司課 徐 師幹
8.母名    宋氏(名前は記載しない) 本(本貫)恩津
9.妻名    鄭氏(名前は記載しない) 本(本貫)鳥川
10.寄口    男 3口  女 1口
11.雇傭    男 1口  女 1口
12.現存人口  男 4口  女 2口  共合 6口
13.家宅    己有(自己所有)  瓦 間   草 3間(草葺の家屋に居住)
        家宅(借家)    瓦 間   草間(借家なし)
                           共合 3間
14.戸籍官    光武十年一月十二日   郡守  金 容復   印

 ★ 漢城などでは警察の所管となっていた。地方では地方官庁の所管となっていた。
   最終的にはその地の長官が認証することとなっていた。(以下同じ)

 ※ 図で示したかったが、罫線が投稿したら消えてしまったので、不本意ながら
   このような形で投稿しました。書式は縦書(以下同じ)


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(25) 投稿者:解法者 投稿日:2008年 9月30日(火)13時58分6秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(4)−「甲午戸籍」(4)<

 具体的な「甲午戸籍」の「統表」の例を挙げる。資料は崔弘基の前掲書 225頁を参考にして作成

1.場所    漢城府  鐘路署   鐘路坊 鐘路第二契  第三統 第七戸
2.統表名   第四号  署長 金 大加  印  交番所 李 俊道
3.戸号    戸主名  人口 男 口
  第一    鄭 東道    男  参   女  弐  家宅 瓦  参間
  第二    李 参澤    男  弐   女  四  家宅 瓦  四間
  第三    趙 燦徳    男  四   女  弐  家宅 瓦  弐間
(以下省略)
  第十    丁 寿男    男  2   女  2  家宅 草  弐間

           合口 男 32   女 34  家宅 瓦 六  参十六間
                              草 四  十参間
                          共 計 十  四十九間

戸籍官  建陽弐年五月六日  漢城判イン(伊の人偏がない−長官)  河 鐘守 印


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(26) 投稿者:解法者 投稿日:2008年10月 3日(金)05時15分9秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(5)−「隆熙戸籍」(1)<

 「甲午戸籍」は毎年1回の編製で、身分変動が速やかに登記されないという問題が生じたので、統監府が設置された時代の1909年〔明治42年〕に「民籍法」(法律第8号〔隆熙3年3月〕)および「民籍法執行心得」(内部訓令第39号〔隆熙3年3月〕)が制定された(以下「隆熙戸籍」と呼ぶことにする)。
 この制度の特徴は、@ 戸籍の戸口を調査・把握する手段というより「家」と「家における個人の身分関係」を公示または証明する公証文書としての地位の確立、A 戸籍を法の領域に移行した、点にある。@は先の作統制(10戸制)と戸牌制と完全に決別して個人の身分関係の「登記制度」として確立したことに注目すべきである( 崔 弘基前掲書(1)227頁)。
 「隆熙戸籍」の特色としては、〈1〉編年制がなくなり、戸主が戸籍事項に変更があった場合に申告を行うこととし、永久保存となった(民籍法執行心得第11条)。この変更事項とは、@ 出生、A 死亡、B 戸主の変更、C 婚姻、D 離婚、E 入籍、F 廃養、G 分家、H 一家創立、H 入家、I 廃家、J 廃絶家の再興、K 附籍。L 移居、M 改名、N 親権または管理権の喪失および失権の取消、O 後見人または補佐人の就任、更迭および任務の終了、など総ての身分関係の変動が含まれている(民籍法第1条2)。
〈2〉戸籍事務の管掌と戸籍簿の保管は、原則として本籍地の府尹および邑面長が行い、「甲午戸籍」および旧制度のように謄書を上級行政機関に上送制度は廃止された。〈3〉身分変動がある度に戸主に申告を督促し、警察官に戸口調査をさせた。〈4〉戸籍(「民籍簿」という)は洞・里別に地番あるいは統、戸の順番に従って編綴され、除籍された戸は除籍簿に別に編綴された。〈5〉戸籍には居住地でない抽象的な家の所在地を意味する本籍地名と地番、あるいは統、戸の番が記載されるようになった(民籍法記載例1項)。〈6〉封建的身分の表示が廃止された。すなわち、これまでの戸主の4祖と職業などの記載が必要なくなったのである。
 これらのことから、「隆熙戸籍」は、戸籍を封建的身分から解放し、さらに「本籍地」の表示を行うことにより居住を共にする生活単位ではなく戸主を中心とする戸主の親族の表示が確立したことにある。ここに「戸籍制度」として父系血縁主義からの脱却の実現を図ったのである。なお、戸主の親族でない同居者もその末尾に家族別に附籍され、その趣旨を欄外に記載することとしたが、これは旧制度を受継いだものである。まだ、「隆熙戸籍」は過度期的な色彩を有していたといい得る。


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(27) 投稿者:解法者 投稿日:2008年10月 3日(金)05時10分28秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(6)−「隆熙戸籍」(2)<

 「甲午戸籍」もそうだったが、「隆熙戸籍」の創設に関しては、混乱は見られなかった。その理由としては、〈1〉「李氏朝鮮時代」に「族譜」が盛んに作成され、登載された世系が膨大なものとなって、「戸籍」には登載することが不可能であったこと、〈2〉朝鮮に近代化に伴い朝鮮人の意識の中に個人意識が芽生え、家族という概念が醸成され自己の身の回りに存在する親族の系譜のみを登載すればよいという傾向が高まった、と考えられる。朝鮮人の意識の変化を促したのは、日本の働き掛けも大きかったということを忘れてはならないが、先のとおり朝鮮人のなかにも「戸籍」よりも「族譜」に重点が置かれており、容易に「族譜」と「戸籍」の分化を受け入れたと考えられる。

 戸籍に記載する(入籍者の範囲)は、@ 戸主、A 戸主の直系尊属、B 戸主の配偶者、C 戸主の直系卑属およびその配偶者、D 戸主の傍系親およびその配偶者、E 戸主の非親族、となっている(民籍法執行心得第3条)。また、総ての入籍者は、家族内における身分関係が明示されると共に家の連続関係まで表示されることとされた。すなわち、@ 「身位」欄に戸主または戸主との関係(民籍法記載例9項)、A 「父」、「母」欄にその実父母の姓名(民籍法記載例5項)、B「出生欄」に男女の別の出生順位および庶子または私生児(民籍法記載例6項)、を記載することによって父母との関係を明らかにしながら「事由」欄には身分上の総ての変動事項を記載する(民籍法記載例10項)こととなっている。さらに、女子についても他の親族と同じく@ 年齢ではない出生年月日、A 姓(戸主と同本同姓の場合は省略)、B 名、を記載することとし、これまでの「名」を記さなかった旧習を廃止した。これは画期的なことで「女子蔑視」の朝鮮の悪弊の一つを払拭するものであった。また、これまで姓名が与えられなかった「奴婢」にもそれが与えられることになったことである。
 「隆熙戸籍」の特徴を一言でと言われれば、「戸主制」(従来の戸主とは異なり「家」の概念が持ち込まれている)のということになる。


◆◆◆ 朝鮮の戸籍制度(28) 投稿者:解法者 投稿日:2008年10月 4日(土)20時22分45秒 ◆◆◆

>李氏朝鮮時代末期の戸籍(7)−「隆熙戸籍」(3)<

 「隆熙戸籍」および「新戸籍」について「水野直樹」が『植民地に戸籍制度を導入し、住民の登録を行ったのは、植民地支配を維持するためであった。個々の住民の身分関係を把握するにとどまらず、植民地支配秩序の中で支配者/被支配者の関係を維持・固定化することにも戸籍は使われた』と批判する(末尾参照)。しかし、戸籍制度の本質は国家の人民を統制するものであったことは、朝鮮の戸籍制度の歴史が示すところである。いや、世界でも同じである(欧州では教会が管轄地の民衆を統制〔献金を募る〕するために戸籍を作成したこともあるが、本質は同じ)。
 ここで、彼が看過しているのは、『日本が改革を行ったのは、戸籍制度の国家的統制色を薄めて戸籍制度の近代化(国家が人民を保護するための人民の掌握という福祉目的の実現)を図ろうとするものであった』ことである。すなわち「甲午戸籍」から「新戸籍」の流れのなかで、戸籍制度の国家的統制色を薄めて戸籍制度の近代化という側面を図ったことを看過している点で彼の批判は極めて一方的であり、とうてい容認できない。彼はこれを否定するのであろうが、仮にそうであったとしても、朝鮮の各時代も<支配秩序の中で支配者/被支配者の関係を維持・固定化することにも戸籍は使われた>のである。これを日本が行うから否定し、朝鮮が行うのは許すのであれば、カンボジアにおけるホロコ−ストも是認される。批判は公平でなければならない。
 日本の「植民地暗黒史観」の者たちは日本統治の貢献面を全く認めないが、こうした考えは韓国でも今や支持されない。一例を示すと『朝鮮総督が朝鮮人の土地を奪った』とされていたが、朝鮮総督府が統治直後から行った「土地調査事業」では所有権・耕作権の確認に際し、日本人・朝鮮人の区別なく公平に行われたことが、当時の各地で行われた資料が発掘されて明らかになっている(私もこれを紹介した)。韓国での「朝鮮総督土地収奪論」はすでに破綻し、今では誰もこのことを言わない。なぜか、このことを強調した日本人(水野もその一人)・在日朝鮮人は口をぬぐって沈黙している。何でもかんでも「日本の行ったことは悪かった」と言うのは<思考の停止>である。

 ★ 民籍法
    http://ameblo.jp/dreamtale/day-20070820.html
    http://ameblo.jp/dreamtale/day-20070821.html
    http://dreamtale.ameblo.jp/dreamtale/entry-10044294048.html

 ★ 族譜など
    http://asj.ioc.u-tokyo.ac.jp/html/031.html


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