■■■ 小学生の日本神話12――古事記「神武天皇」――(オロモルフ)■■■


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4409『小学生の日本神話374』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月 2日(日)10時29分27秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇1

<一、東征>

 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと/*1)とその同母兄・五瀬命のおふたりは、高千穂宮で相談をなさって、
「どこの地に行けば、天下の政治を平安に執り行うことができるだろうか。やはり東に行くことにしよう(*2)」
 と仰せられて、早速日向から出発して筑紫に向かわれました。

*1:後の神武天皇

*2:臣下が天皇に対する尊敬語で書かれていますが、意訳しました。

 神武東征の物語は前に記した『日本書紀』を参考にして下さい。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4413『小学生の日本神話375』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月 4日(火)09時58分53秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇2

<一、東征2>

[承前]

 そして豊国(*1)の宇沙(*2)にお着きになったとき、その土地の宇沙都比古(うさつひこ/*3)と宇沙都比売(うさつひめ/*3)の二人が、足一騰宮(あしひとつあがりのみや/*4)をつくって、お食事を差し上げました(*5)。
 その土地から移動して、筑紫の岡田宮(*6)に一年滞在なさいました。

*1:大分県と福岡県東部。豊前と豊後。

*2:大分県宇佐市。

*3:宇佐地方の豪族の兄妹。

*4:宮の四本の柱のうち三本が短く丘の上にあり一本が下の川に立っている建築らしいです。

*5:お食事を差し上げたということは、服属を意味する儀礼。

*6:福岡県遠賀川河口付近らしいです。

 このあたりの描写は大和政権の先祖の行動としてとても興味深いので、地図(小学館古事記)を示します。
 なお『日本書紀』の方がずっと詳しく書かれています。
 神武天皇が船で日向を出発なさったときの様子は、伝承として地方に残っており、日本海軍の発祥ともされているのですね。
(出雲井晶『教科書が教えない神武天皇』参照)

↓↓↓↓↓

(東征経路の図の写真)




◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4459『小学生の日本神話376』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月18日(火)10時47分18秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇3

<一、東征3>

[承前]

 その岡田宮から進んで安芸国の多祁理宮(たけりのみや/*1)に七年滞在なさいました。
 さらにそこから進んで吉備の高島宮(たかしまのみや/*2)に八年滞在なさいました。
 そしてその高島宮から進んで行こうとなさったとき、速吸門(はやすいのと/*3)で、亀の背に乗って釣をしながら袖を振っている人に、出会いました。

*1:現広島県。場所の詳細は不明。安芸郡と言われます。

*2:現岡山県。場所の詳細は不明。岡山市宮浦と言われます。

*3:潮流が激しく流れる海峡で、明石海峡と言われます。
   しだいに大阪に近づいたことがわかます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4463『小学生の日本神話377』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月20日(木)10時23分33秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇4

<一、東征4>

[承前]

 神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)がこの人物を呼び寄せてお訊ねになりました。
「お前はだれなのか」
 その人物は答えました。
「私は国つ神です」
 さらに、
「お前は海の道を知っているのか」
 というお訊ねに答えて、
「よく知っています」
 と申しました。
 そこで神倭伊波礼毘古命は、
「私の部下にならないか」
 とおっしゃいました。
 するとその人物は、
「お仕えいたしましょう」
 と申しました。
 そこで槁機(さお/*1)を渡してその人物を船に引き入れると、神倭伊波礼毘古命は、槁根津日子(さおねつひこ/*2)という名をお与えになりました。
 これは倭国造(やまとのくにのみやつこ/*3)の先祖です。

*1:船を進める棹。

*2:船頭/水先案内役をつとめる神という意味。

*3:倭の首長で、その一族が昔神武天皇の水先案内役を務めたという伝承を持っていたようです。

(『日本書紀』では豊予海峡で似たエピソードがあり、その名は椎根津彦とされ、倭直部(やまとのあたひら)の祖とされています。同じ伝承が少し違った形で記録されたようです。)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4467『小学生の日本神話378』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月22日(土)11時08分9秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇5

<二、五瀬命の戦死1>

 さて、伊波礼毘古命の一行は、その播磨国から大阪湾に向けて進み、浪速の渡(なみはやのわたり/*1)を経て、青雲の白肩津(しらかたのつ/*2)に停泊しました。
 このとき、登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ/*3)が、軍勢を率いて待ちかまえていて、戦いました。
 神倭伊波礼毘古命は船に積んでいる楯を持って降り立ちました。
 そのためその地は楯津(たてつ/*4)と名づけられました。いまでは日下の蓼津(たでつ)と言われます。

*1:現在の大阪市中央区から北区にかけてのあたり。湖から大阪湾に注ぐ流れの速い出口。当時の大阪湾はずっと奥まで入り込んでおり、さらにその奥は汽水湖になっていて生駒山系にまで続いていた。

*2:「青雲」は白にかかる枕詞。「白肩」は白い潟。東大阪市日下町から枚岡町にかけて。

*3:「登美」は奈良市富雄といわれます。その土地の豪族という意味。

*4:東大阪市日下町のあたりらしいです。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4473『小学生の日本神話379』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月25日(火)11時38分33秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇6

<二、五瀬命の戦死2>

[承前]

 このようにして登美能那賀須泥毘古と戦っているとき、五瀬命は、御手に痛矢串(いたやぐし/*1)を受けました。
 そして申されました。
「日の神の御子として、日に向かって戦うことはよくなかった。だから卑しい敵から傷を負わされてしまった。これからは迂回して、背に日を受けて戦おう」
 それから南の方から迂回なさり、血沼海(ちぬのうみ/*2)に到着して、その御手の血を洗いました。それでそこを血沼海といいます。

*1:痛手を負わせる矢。

*2:現在の和泉のあたりの海。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4477『小学生の日本神話380』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月27日(木)11時43分39秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇7

<二、五瀬命の戦死3>

[承前]

 一行はその血沼海の地から迂回して、紀伊国の男之水門(おのみなと/*1)に着きましたが、そこで五瀬命は、
「卑しい敵から受けた傷で死ぬのか」
 と雄叫びして、お亡くなりになりました。
 そのためこの水門を男之水門と呼ぶのです。
 陵は紀伊国の竈山(かまやま/*2)にあります。

*1:現和歌山市の紀ノ川の河口。

*2:現和歌山市和田に竈山神社があります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4481『小学生の日本神話381』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月29日(土)10時58分20秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇8

<三、熊野の高倉下1>

 五瀬命の戦死ののち、伊波礼毘古命一行はその地から大きく迂回して熊野の村(*1)に到着しましたが、そのとき、大きな熊(*2)が見え隠れして、姿を消しました。
 すると、伊波礼毘古命はその毒気に当てられて気を失われ、軍勢もみな気を失いました。
 そのとき、熊野に住む高倉下(たかくらじ/*3)が、一振りの太刀を持って、伊波礼毘古命が倒れている所に来て、その太刀を献上すると、伊波礼毘古命はたちまち正気に戻って起き上がり、
「長いこと寝てしまったなあ」
 とおっしゃいました。

*1:現在の新宮市のあたり。

*2:土地の首領を意味します。

*3:倉の中から宝剣を見つけたことからの人名。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4485『小学生の日本神話382』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 5月31日(月)11時21分51秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇9

<三、熊野の高倉下2>

[承前]

 そして、その大刀(*1)をお受け取りになったとき、その熊野の山の荒ぶる神は、自然のうちにすべて切り倒されてしまいました。
 意識を失って倒れていた軍勢も、みな正気づいて起き上がりました。
 それで、天つ神の御子・伊波礼毘古命が、高倉下にその大刀を手に入れたいきさつをお訊ねになると、高倉下はつぎのように答えました。
「私は夢を見ました。その夢とは――
『天照大御神・高木神の二柱の神が、建御雷神(たけみかずちのかみ/*2)をお呼び寄せになって、「葦原中国はひどく騒がしいようだ。わが御子たちは病気で悩んでいるらしい。その葦原中国は、もっぱらお前が言向けた国である。だから建御雷神よ、お前が降るのがよい」とおっしゃいました。
[続く]・・・』

*1:原文では「横刀」。腰に吊すのではなく横たえて持つ大刀。

*2:かつて国譲りの交渉に成功した刀剣神(既出)。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4493『小学生の日本神話383』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月 4日(金)11時12分48秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇10

<三、熊野の高倉下3>

[承前]

『・・・それに対して、建御雷神は答えて、
「私が降りなくとも、その国を平定した大刀があります。この大刀を降ろすのがよいと思います。(この大刀の名は、佐士布都神(さじふつのかみ/*1)といいます。またの名は甕布都神(みかふつのかみ/*2)といいます。またの名を布都御魂(ふつのみたま/*3)といいます。この大刀は石上神宮に鎮座しています(*4))そしてこの大刀を降ろす方法は、高倉下の倉の上に穴をあけて、そこから落とし入れましょう」
 ――と、天照大御神、高木神に申し上げました。
 [続く]・・・』

*1:「佐士」の意味は未詳らしいです。「布都」は切れ味の良い剣でふっつりと勢いよく断ち切ること。

*2:「甕」は「厳」の借字で、勢いが盛んであること。

*3:物を断ち切る音の神格化。

*4:奈良県天理市の神社。物部一族の総氏神。有名な七支刀が伝わっている神社です。この大刀は石上神宮の主祭神の第一です。神宮では布都御魂大神と言われています。神話に出てくる名剣のうち、熱田神宮に祀られた三種神器・草薙剣以外の剣はみなこの神社に祀られています。主祭神の第一はこの布都御魂大神ですが、第二は、饒速日命の十種神宝の布留御魂大神、第三は、素戔嗚尊が八岐大蛇を切って草薙剣を取り出した時に使った布都斯魂大神です。盗難を怖れたらしく拝殿背後の禁足地にこれら御神体が隠されていましたが、明治になって発掘され、第一の御神体布都御魂大神が発見され、さらに数年して、第三の御神体・布都斯魂大神らしきものが発見されたそうです。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4499『小学生の日本神話384』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月 7日(月)09時34分24秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇11

<三、熊野の高倉下4>

[承前]

 「『・・・このようにして建御雷神が私(高倉下)に、「よく探してお前がその大刀を取って、天つ神の御子に献上しなさい』と申しました。その夢のお告げのとおり、倉の中に大刀がありましたので、ここに持って参りました」
 と、高倉下は答えました。

(この次は八咫烏の先導になります)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4503『小学生の日本神話385』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月 9日(水)10時59分27秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇12

<四、八咫烏の先導1>

 このような事が有ったのち、さらに高木大神の次のお教えがありました。
「天つ神の御子よ、ここから奥は、荒れすさぶ神がたくさんいて危険です。すぐに入ってはいけません。いま天から八咫烏(*1)を派遣しますから、その道案内に従って行くと良いでしょう」
 そこで御子は、その教えのとおりに、派遣された八咫烏の後についていらっしゃると、やがて吉野川の下流に着きました。
 するとそこに、魚をとる仕掛けを作って魚を捕っている人がいました。
 御子が
「お前は誰か」
 とお聞きになると、
「私は国つ神で、名は贄持之子(にえもつのこ/*2)といいます」
 と答えました。
(これは、阿陀の鵜飼(*3)の先祖です)

[続く]

*1:八咫烏をシナ伝説の太陽に棲む三本足の烏と同一視する意見がありますが、それは違います。栄光出版社『女性天皇の歴史』の第三章に詳しく書いておきましたので、錯覚しておられる方はどうかご覧ください。この保存頁にもあります。

*2:神や天皇のために食物を献上する者。

*3:現在の奈良県五條市阿田のあたりで、漁業で知られる場所。

[続く]


◆◆◆  オロモルフ号の航宙日誌4507『小学生の日本神話386』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月11日(金)11時24分37秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇13

<四、八咫烏の先導2>

[承前]

 そこからさらに進んみますと、尻尾の生えた人が井戸の中から出てきました。
 その井戸は光っていました(*1)。
 そこで御子は、
「お前は誰か」
 とお訊ねになりますと、答えて、
「私は国つ神で、名は井氷鹿(いひか/*2)といいます」
 と申し上げました。
(これは吉野首(よしののおびと/*3)の先祖です)
 そこを通って山に入ると、また尻尾の生えた人に出会いました。
 その人は、岩を押し分けて出てきました。

*1:尻尾の生えた人とは、山で働く人が獣皮の尻当てをしていた姿であろうという説があります。また光る井戸とは、朱や水銀を掘っているのではないか、との説があります。
(奈良県は水銀朱の産地)

*2:井は井戸、氷鹿(ひか)は光るの意味。そのままの名です。なお吉野郡川上村に井光(いかり)という地名があるそうです。

*3:吉野首の首(おびと)は大人(おおひと)で、姓(かばね)のひとつ。『日本書紀』で天武十二年に連(むらじ)の姓を与えられています。また『新撰姓氏録』では、吉野連が祀る神を水光神(みひかのかみ)としています。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4511『小学生の日本神話387』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月13日(日)10時47分34秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇14

<四、八咫烏の先導3>

[承前]

 その岩を押し分けて出てきた尻尾のある人に、御子がお尋ねになりました。
「お前はだれなのか」
 その人は答えて、
「私は国つ神で、名は石押分之子(いわおしわくのこ/*1)といいます。いま天つ神であられる御子がいらっしゃったとお聞きし、お迎えに参ったのです」
(これは吉野の国巣(くにす/*2)の祖先です)
 ――と申し上げました。
 一行はその地から道の無い山中を踏み穿って(踏み分けて)、宇陀に進みました。
 それで、そこと宇陀の穿(うがち/*3)といいます。

*1:『日本書紀』では磐排別之子と表記されています。行動そのままの名です。

*2:吉野郡吉野町国栖あたりの土着民とされます。後に朝廷の大嘗祭など祭の時に、歌舞を奏し、御贄を献上しました。

*3:宇陀郡菟田野町宇賀志といわれています。

[続く/次は宇迦斯兄弟の登場です]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4515『小学生の日本神話388』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月15日(火)11時23分29秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇15

<五、兄宇迦斯と弟宇迦斯1>

 伊波礼毘古命の一行がたどり着いた宇陀の地には、兄宇迦斯(えうかし/*1)と弟宇迦斯(おとうかし/*1)の二人の豪族がいました。
 そこで伊波礼毘古命は八咫烏を派遣して、
「いま、天つ神の御子がここへお出でになられた。お前たちはお仕え申すか」
 と聞きました。
 すると兄宇迦斯は鏑矢で八咫烏を射て、追い返しました。
 そのためその鏑矢が落ちた地を訶夫羅前(かぶらさき/*2)といいます。

*1:宇迦斯は穿つから来た名で、地名でもあります。奈良県宇陀郡菟田野町に宇賀志という地名が残っているそうです。(前出)

*2:この地は未詳らしいです。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4519『小学生の日本神話389』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月17日(木)11時23分47秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇16

<五、兄宇迦斯と弟宇迦斯2>

[承前]

 兄宇迦斯は、御子の一行を「迎え討とう」と言って、その土地で軍勢を集めようとしましたが、うまく集めることが出来ませんでした。
 そこで大きな御殿をつくり、その中にバネのついた仕掛けを作って、御子にお仕えしましょうとウソを言って、待ちかまえました。
 そのとき、弟宇迦斯は、御子をお迎えに行って、拝礼して申し上げました。
「私の兄の兄宇迦斯は、天つ神である御子の使者である八咫烏を矢で射て追い返し、待ち受けて攻撃しようと軍勢を集めましたが、あまり集まらないので、御殿を造ってその中に仕掛けを置いて、御子を殺そうとしています。そこでそのことをお知らせに来ました」

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4523『小学生の日本神話390』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月19日(土)12時07分24秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇17

<五、兄宇迦斯と弟宇迦斯3>

[承前]

 それを聞きまして、大伴連らの先祖である道臣命(みちのおみのみこと/*1)と久米直らの先祖である大久米命(おおくめのみこと/*2)の二人が、兄宇迦斯を呼びつけて申しました。
「おまえが御子のために造った御殿には、お前が先に入ってお仕え申す態度をはっきりと見せなさい」
 そして太刀の柄を握り矛をしごき矢をつがえて、兄宇迦斯を御殿の中に追い入れたところ、兄宇迦斯は自分の作った仕掛けに討たれて死んでしまいました。
 二人はすぐにその遺体を引きずり出して斬りました。
 そのためその地は宇陀の血原(*3)といいます。

*1、2:邇邇芸命の降臨の際にお供した豪族です。子孫は長く皇室にお仕えしました。

*3:奈良県宇陀郡室生村(現宇陀市室生区)田口附近とされます。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4529『小学生の日本神話391』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月22日(火)11時13分49秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇18

<五、兄宇迦斯と弟宇迦斯4>

[承前]

 御子・伊波礼毘古命は、弟宇迦斯が献上した食事を、すべて部下の兵士たちにお与えになり、つぎのような歌をお歌いになりました。

 宇陀の 高い砦に 鴫を捕る罠を張って
 わたしが待っていると 鴫はかからないで
 勇ましく大きな 鯨がかかったぞ
 古女房が おかずを欲しがれば
 立ちそば(錦木)のような 肉の少ないところを 削いでやれ
 可愛い女が おかずを欲しがれば
 いちさかきのように 肉の多いところを たくさん削いでやれ
 うおー
 うわー
(*1)

 御子に従った弟宇迦斯は、宇陀の水取等(もひとりら/*2)が先祖です。

*1:『日本書紀』の時も苦労しましたが、こういう歌を小学生向けに訳すのは困難です。

*2:宮中で飲料水、粥、氷室などを担当する職業


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4533『小学生の日本神話392』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月24日(木)10時39分1秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇19

<六、久米歌1>

 御子の一行はそこからさらに進んで、忍坂(おしさか/*1)の大きな室(むろ/*2)に着きましたが、その室には尾の生えた土雲(つちぐも/*3)という獰猛な連中がたくさんいて、待ちかまえて吠えていました。
 そこで、御子は部下たちに命令して、ご馳走をその連中にお与えになりました。
 そのとき、多くの給仕する人を決めて、太刀を持たせ、その給仕人に、「歌を聞いたらいっせいに土雲たちを斬れ」とご命令になりました。

*1:現奈良県桜井市忍坂。橿原の地に近接していることがわかります。

*2:大きな洞窟(西宮)。または窓の無い大きな家(小学館)。

*3:雲は蜘蛛。土着の賊。

[続く/ここから久米歌が次々に出てきまして、書き方が難しいです]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4537『小学生の日本神話393』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月26日(土)10時34分20秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇20

<六、久米歌2>

[承前]
(ここでは西宮先生の本に従います)

 その歌とは、

 忍坂の 大室屋に
 人多に 来入り居り
 人多に 入り居りとも
 みつみつし(*1) 久米の子(*2)が
 頭椎い(くぶつつい/*3) 石椎い持ち 撃ちてし止まむ
 みつみつし 久米の子らが
 頭椎い 石椎い持ち 今撃たば宜らし

 天皇の軍勢がこのように歌って、久米の兵士たちが刀を抜いていっせいに土雲を撃ちました。

*1:御稜威からきた久米に懸かる枕詞。いかめしく強いの意味。

*2:久米部の兵士たち

*3:椎(つつ)は刀剣(つち)の意味。頭椎い 石椎いは柄頭が石の刀剣。これが通説ですが、頭槌、石槌と記して、先が固まりのようになった槌、先が石の槌――という解釈があります。どちらが正しいのか分かりませんが、刀を抜いて攻撃するのに槌の歌を歌うのも変です。はっきりしません。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4541『小学生の日本神話394』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月28日(月)11時09分36秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇21

<六、久米歌3>

[承前]

 そののち、登美毘古(とみびこ/*1)を撃とうとなさったときに天皇の軍勢が歌った歌は、

 みつみつし 久米の子らが
 粟生(あはふ/*2)には かみら(*3)一本
 そ根がもと そ根芽つなぎて(*4)
 撃ちてし止まむ

*1:登美能那賀須泥毘古(登美の長髄彦)

*2:粟の畑。

*3:匂いの強い韮

*4:韮の根と芽をいっしょに引き抜くように敵を数珠つなぎに討ち果たすことらしいです。

(このあたりの久米歌と呼ばれる戦争の歌については、多くの人が興味を持ち、なかには外国の研究者も興味を持って研究しているようです)

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4545『小学生の日本神話395』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 6月30日(水)11時49分24秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇22

<六、久米歌4>

[承前]

 それからまた、天皇の軍勢は歌いました。

 みつみつし 久米の子らが
 垣下に 植ゑしはじかみ(*1)
 口ひひく(*2) われは忘れじ
 撃ちてし止まむ

*1:山椒

*2:口がピリピリする(痛手を)

 神武天皇の時代の軍歌って面白いですね。
 植物や動物を譬えにもってきて歌にしております。
 あと二つありますが、乗りかけた船ですので、続けます。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4549『小学生の日本神話396』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月 2日(金)10時55分0秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇23

<六、久米歌5>

[承前]

 それからまた、天皇の軍勢は歌いました。

 神風の 伊勢の海の
 大石(おひし/*1)に 這ひもとほろふ(*2)
 細螺(しただみ/*3)の い這ひもとほり(*4)
 撃ちてし止まむ

*1:海の大きな石を敵の城塞にたとえています。

*2:這いまわっている。

*3:小型の巻き貝。天皇の軍勢が集まっている有様を貝で喩えている。

*4:敵の周囲を這いまわる。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4553『小学生の日本神話397』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月 4日(日)12時21分43秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇24

<六、久米歌6>

[承前]

 また、兄師木、弟師木(えしき、おとしき/*1)を撃とうとされたとき、軍勢はすこし疲れました。
 そこで次の歌を歌いました。

 楯並めて(たたなめて/*2) 伊那佐(いなさ/*3)
 木の間よも い行きまもらひ(*4)
 戦へば われはや飢ぬ(*5)
 島つ鳥(*6) 鵜養が伴 今助けに来ね(こね/*7)

*1:奈良県桜井市の元磯城(しき)郡の豪族兄弟。磯城はのちの大和朝廷本拠地のそば。「しき」は石の丈夫な城という意味らしいです。

*2:伊那佐の枕詞。楯を並べて矢を射る意味。

*3:奈良県宇陀郡榛原町の伊那佐山とされます。

*4:行きつつ見張りながら。

*5:腹が減ったよ

*6:鵜の枕詞。食料を調達する役目の人たちが常に伴をしていましたが、その中に鵜飼いをして川で漁をする人たちがいたそうです。

*7:助けに来てくれ。

(このあたりの記述は、『日本書紀』と違ってこまかな説明が省かれています)

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4557『小学生の日本神話398』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月 6日(火)10時53分26秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇25

<六、久米歌7>

[承前]

 さてそのように戦って勝利したところで、邇芸速日命(にぎはやひのみこと/*1)が参上しました。
 そして天つ神の御子に、
「天つ神である御子が天降りなさったと聞きましたので、そのあとを追って参上いたしました」
 と申し上げ、ただちに天の印の神宝を献上して、御子にお仕えしました。
 そして、その邇芸速日命が登美毘古の妹の登美夜毘売を娶って生まれた子は、宇麻志麻遅命(うましまじのみこと/これは物部連・穂積臣・采女臣(うねめのおみ/*2)の先祖です)。
 天つ神である御子はこうして、荒れすさぶ神たちを平定して秩序をつくり、従わない者を打ち払って、畝傍の橿原宮にお住まいになって、天下を治めました。(*3)

*1:邇邇芸命と同じく天降って、神武天皇より先に大和の地に居た神。神武天皇とは親戚筋にあたる天つ神。物部系の史書『先代旧事本紀』参照。

*2:宇麻志麻遅命は立派な――といった意味らしいです。土地の豪族の妹と結婚して子供が出来たという事は、外部から来た邇芸速日命がその土地の支配者になっていたという事です。物部は有名な軍事を司った氏族。穂積は大和山辺郡穂積地方の豪族。采女は采女を統率した氏族。

*3:『日本書紀』ではくわしく書かれている事が、とても簡単に記されていますので、ちょっと分かりにくいです。『日本書紀』の方を読み直してみてください。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4562『小学生の日本神話399』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月 9日(金)11時55分40秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇26

<七、皇后を選ぶ1>

 神武天皇が日向におれらた時、阿多の小椅君(おばしのきみ/*1)の妹で名を阿比良比売(あひらひめ/*2)という女性を娶って、多芸志美々命(たぎしみみのみこと/*3)、岐須美々命(きすみみのみこと/*4)というお二人の御子がおられました。
 しかしこの大和の地で皇后とするための乙女をお捜しになりました。
 そのとき大久米命が、つぎのように申し上げました。
「このあたりに一人の乙女がいまして、神の御子といわれております。三島の湟咋(みぞくい/*5)の娘の勢夜陀多良比売が(せやだたらひめ/*6)生んだ姫です。名を比売多々良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ/*7)と申します。

*1:阿多は薩摩半島一帯のこと。小椅君とは小椅地方(加世田市――合併して南さつま市――の領主の意味。

*2:大隅半島のあたりの地名から来た名。

*3、*4:名の意味は不明らしいです。多芸志美々命は神武天皇が崩御なさった時、反乱を起こします。初代天皇の御兄弟が殺し合うという古代の大事件です。

*5:三島は大阪府北部(摂津)の古名、湟咋も摂津にちなむ名。

*6:勢は夫(せ)、夜は矢(や)で、次に語られる丹塗矢伝説を受けた名です。

*7:初代皇后になる御方です。名の意味は次回に。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4566『小学生の日本神話400』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月11日(日)12時09分57秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇27

<七、皇后を選ぶ2>

[承前]

 勢夜陀多良比売はたいへん美しい姫だったので、三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ/*1)は一目見て心をうばわれ、赤く塗った矢に姿を変えて、溝を伝って便所に行き、姫の陰部を突きましたので、姫は驚きうろたえました。
 そしてその矢を床のそばに置いたところ、矢はたちまち立派な男性の姿になりました。
 こうして大物主神はその姫と結婚して、生まれた娘の名は富登多々良伊須々岐比売命(ほとたたらいすすきひめのみこと/*2)といいました。
 しかしこの富登(ほと)という言い方を嫌って、のちに名を改め、比売多々良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ/*3)と呼ぶようになりました。
 こういうわけで、その姫のことを神の御子というのです」
 ・・・これが大久米命が申し上げたことでした。(*4)

*1:三輪山の大神神社(おおみわじんじゃ)に古くから祀られている神です。この神社は朝廷が認めた日本最古の神社とされています。大物主神については、いろいろな説があります。とくに大国主神との関係について、意見が多くあるようです。

*2:富登(ほと)というのは女性の陰部のこと。この言葉の用い方には厳しい禁忌が有ったそうです。

*3:頭に「比売」が有って奇妙ですが、「富登」の言い換えだそうです。「多々良」は製鉄の蹈鞴だそうです。「伊須気余理」は神霊が寄りつくの意味だそうです。全体としては陰部に矢を立てられて身震いをして神霊がよりつく巫女といった意味ですが、製鉄にもかけられています。矢は神霊のよりつく串に同じで、赤く塗った神聖な矢に当たった娘が神の巫女となる風習を物語にしたようです。
『日本書紀』では、媛蹈鞴五十鈴媛命とされ、かなり変更されています。
 大物主神が姿を変えて媛と結婚する話は、『日本書紀』の〈倭迹迹日百襲姫命〉の所にもあります。いずれも、三輪山の神に仕える巫女を選ぶ時の風習に関連した説話のようですね。

*4:この丹塗矢伝説を小学生向けに書くのは難しいので、本にするときは表現を工夫しようと思います。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4570『小学生の日本神話401』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月13日(火)11時32分40秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇28

<七、皇后を選ぶ3>

[承前]

 あるとき、七人の娘たちが高佐士野(たかさじの/*1)に遊びに出かけましたが、その七人の中に伊須気余理比売がおりました。
 そこで大久米命は、その姫を見て、天皇に歌を捧げました。

 倭の 高佐士野を
 七行く をとめども 誰をし枕かむ
(大和の 高佐士野を 七人で行く 乙女たちの中の 誰を妻になさいますか)

*1:高い、日のよく当たる野――の意味だそうです。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4574『小学生の日本神話402』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月15日(木)11時44分41秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇29

<七、皇后を選ぶ4>

[承前]

 そのとき、伊須気余理比売は娘たちの先頭にいました。
 天皇はそれをご覧になって、伊須気余理比売が先頭にいるのをお知りになって、歌で大久米命にお答えになりました。

 かつがつも いや前立てる 兄をし枕かむ
(まあ言うなら、一番前にいる 年長の娘(*1)を妻にしよう)

 そこで大久米命は、天皇のお気持ちを、その伊須気余理比売に伝えました。

[続く]

*1:古い時代の兄弟姉妹の用法につきましては、前に掲示したことがあります。下記の保存頁をご覧ください。

 ↓↓↓↓↓

■□■□■ 奈良時代までの兄弟姉妹の表現方法(オロモルフ)■□■□■
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/kyuoudai.htm

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4579『小学生の日本神話403』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月18日(日)12時30分31秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇30

<七、皇后を選ぶ5>

[承前]

 大久米命の話を聞いた伊須気余理比売は、その入れ墨をした鋭い目を見て不思議に思い、次のように歌いました。

 あま つつ ちどり ましとと など黥ける利目
(雨鳥、鶺鴒、千鳥、頬白の目(*1)ように、あなたはなぜ入れ墨した鋭い目なのですか)

 すると大久米命は歌で答えました。

 をとめに 直に逢はむと わが黥ける利目
(娘さんにじかに逢おうと、鋭い目をしているのです)

 この返歌を聞いて、伊須気余理比売は、
「お仕えいたしましょう」
 ――と、結婚を承諾しました。

*1:目を縁取る羽の色が鋭い鳥を並べています。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4583『小学生の日本神話404』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月20日(火)10時48分43秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇31

<七、皇后を選ぶ6>

[承前]

 さて、その伊須気余理比売(いすけよりひめ)の家は、狭井河(さいがわ/*1)のほとりにありました。
 天皇は、その伊須気余理比売のところにお出でになって、一晩お休みになりました。
〔その川を佐韋河と呼ぶいわれは、その川のほとりに山百合がたくさんあるが、山百合のもとの名は佐韋というからである(*2)〕

*1:流れの位置は変わったかもしれませんが、現在でも存在する川です。霊山三輪山から流れ出て、大神神社の北側にある摂社狭井神社のすぐ北を流れて、やがて初瀬川に合流する川です。昔は今よりずっと水量が多かったと思います。

*2:「サイ」という山百合の呼び方については、「さわやか」という意味との説があります。また「サイ川」には、水の音が騒がしいという意味があるようです。この二つが結びついて、川名説話が出来たのでしょう。「騒がしい」という意味は、このあとの事件とも関係してきます。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4587『小学生の日本神話405』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月22日(木)12時07分29秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇32

<七、皇后を選ぶ7>

[承前]

 伊須気余理比売はその後、宮中にお入りになりましたが、そのとき天皇は、次の御製をおつくりになられました。

 葦原の しけしき小屋に 管畳
 いやさや敷きて わが二人寝し
(葦原の中の粗末な小屋に菅のむしろを清らかに敷いてわたしたち二人は寝たことだ)

 このように皇后となられた伊須気余理比売がお生みになったのは、
 日子八井命(ひこやいのみこと)
 神八井耳命(かむやいみみのみこと)
 神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)
 ――の三柱の御子(*1)です。

*1:お三方ともに狭井河に関係するお名前だという説が多いようです。
   三番目の神沼河耳命が第二代の綏靖天皇です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4591『小学生の日本神話406』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月24日(土)11時15分44秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇33

<八、当芸志美々命の反逆1>

 神武天皇が崩御なさったのち、皇后のお生みになった三方の御子を、異母兄にあたる当芸志美々命(たぎしみみのみこと/*1)が、殺して自分が皇位につこうとなさいました。
 皇后だった伊須気余理比売はその当芸志美々命と結婚しておられましたが、その事を知って心を痛め、御子たちに歌で知らせました。

 狭井河よ 雲立ち渡り 畝傍山
 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
(狭井河には雲が立ち渡っている 畝傍山には木の葉がざわざわと音をたて 嵐が吹こうとしている/*2)

 畝傍山 昼は雲とゐ 夕されば
 風吹かむとそ 木の葉さやげる
(畝傍山は昼は雲と一つになって静かだが 夕方になると 嵐が吹こうとして木の葉がざわめいている)

*1:神武東征前の阿比良比売との間の御子。庶兄。正式の皇后の子ではなく、とくに末子相続の時代では皇統を継ぐ立場では無かったでしょう。

*2:皇后陛下がお詠みなった御歌の最古であり、また短歌形式の和歌としても、とても古いと思います。「畝傍山」は都を意味します。「雲立ち渡り」には二つの意見があるようです。一つは、狭井河から雲が起こって畝傍山に嵐を吹かせる、で、他は、狭井河の平和を示す象徴としての雲です。西宮先生は後者のご意見。伊須気余理比売と当芸志美々命が住まっているのが畝傍山で、三人の御子がいるのが狭井河ならそうなりますね。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4595『小学生の日本神話407』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月26日(月)11時02分45秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇34

<八、当芸志美々命の反逆2>

[承前]

 この御歌をお聴きになって当芸志美々命の計画を知って驚かれた御子(*1)は、すぐさま当芸志美々命を殺そうとなさいました。
 そのとき、三番目の神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)は、兄で二番目の神八井耳命(かむやいみみのみこと)に、
「兄上が武器を持って宮殿に入って当芸志美々命を殺してください」
 ――と頼みました。
 そこで神八井耳命は武器を持って行きましたが、手足が震えて何も出来ませんでした。

*1:皇后がお生みになった三方の御子(同母兄弟)は、前に書きましたが、上から順に、
 日子八井命(ひこやいのみこと)
 神八井耳命(かむやいみみのみこと)
 神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)
 ――です。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4599『小学生の日本神話408』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月28日(水)10時42分52秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇35

<八、当芸志美々命の反逆3>

[承前]

 そこで弟君の神沼河耳命が兄の持っていた武器をかわりに手に取って、宮殿に入って当芸志美々命を殺しました。
 そこで人々はその神沼河耳命を讃えて、建沼河耳命(たけぬなかわみみのみこと)と呼ぶのです。
 このようなことがありましたので、二番目の神八井耳命は三番目の神沼河耳命に皇位をゆずることにし、次のように申しました。

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4604『小学生の日本神話409』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 7月30日(金)11時11分36秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇36

<八、当芸志美々命の反逆4>

[承前]

(兄が弟に対して)
「わたしは敵を殺すことができませんでした。あなたは見事に敵を殺しました。ですから私は兄ですが皇位につくべきではありません。あなたが天皇となって天下を治めてください。私はあなたを助け、身を慎んで祭祀の役としてお仕えいたしましょう」

[続く]


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4608『小学生の日本神話410』 投稿者:オロモルフ 投稿日:2010年 8月 1日(日)10時16分14秒 ◆◆◆

▼『古事記』の神話 中巻 神武天皇37

<八、当芸志美々命の反逆5>

[承前]

 ここで日子八井命(*1)は、茨田連(うまらたのむらじ)・手島連(てしまのむらじ)の先祖です。
 また神八井耳命は、意富臣(おおのおみ)・小子部連(ちいさこべのむらじ)・坂合部連(さかいべのむらじ)・火君(ひのきみ)・大分君(おおきだのきみ)・阿蘇君(あそのきみ)・筑紫三家連(つくしのみやけのむらじ)・雀部臣(さざきべのおみ)・雀部造(さざきべのみやつこ)・小長谷造(おはつせのみやつこ)・都祁直(つけのあたい)・伊予国造(いよのくにのみやつこ)・信濃国造(しなののくにのみやつこ)・陸奥磐城国造(みちのくのいわきのくにのみやつこ)・常陸那珂国(ひたちのなかのくにのみやつこ)・長狭国造(ながさのくにのみやつこ)・伊勢船木直(いせのふなきのあたい)・尾張丹羽臣(おわりのにわのおみ)・島田臣(しまだのおみ)らの先祖です。(*2)
 神沼河耳命は天下を治めました。

 神倭伊波礼毘古天皇の宝算は百三十七歳です。御陵は畝傍山の北方の白檮尾のほとりにあります。

*1:神八井耳命と似たお名前で、業績がはっきりしません。本居宣長によると、神八井耳命の御子が誤って兄弟とされたのだろう、ということです。『日本書紀』には出てきません。

*2:これらの詳細は本居宣長の古事記伝をお読みください。これらは血縁というわけではなく、統率の系統なのでしょう。

[これで『小学生の日本神話』を終わります。長くかかりましたが、『日本書紀』の神話と『古事記』の神話と著名な方の子供向け神話の書き直しがすみました。これを小学生向けに纏めるのはとても難しくて、私には無理かもしれません。]



一覧に戻る