■■■ 小学生の日本神話9――古事記「大国主神」――(オロモルフ)■■■


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3926『小学生の日本神話279』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神1

<稲羽の白兎1>

 この大国主神には、大勢の兄弟神がいらっしゃいました。
 しかし、どの神も、国土を大国主神にまかせました。
 その理由とは次のようなものでありました。
 その兄弟の神々は、みな、稲羽(いなば/*1)の八上比売(やかみひめ/*2)と結婚したいと思い、あるとき、一緒に稲羽に行きました。
 そのさい、大穴牟遅神(おおあなむじのかみ/*3)に袋を負わせて(*4)、従者として連れてゆきました。

*1:因幡国、いまの鳥取県東部。

*2:因幡国八上郡という古い地名があり、そこから付けられた名。いまの鳥取県八頭郡。

*3:大国主神のこと。前回記しましたように大国主神には全部で五つの名前があり、場面によって使い分けられています。

*4:貴人が旅行するとき、旅行用品を入れた袋を身分の低い従者がかついで行きましたから、この事によって兄弟の中での大国主神の地位が印象づけられます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3930『小学生の日本神話280』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神2

<稲羽の白兎2>

 大穴牟遅神の兄弟一行が気多の岬(けたのみさき/*1)に着いたとき、そこに肌が赤くなった兎が倒れていました。
 いじわるな兄弟たちはその兎に、
「おまえはこの海水を浴びて、風に当たって、高い山の上で寝ていなさい。そうすれば治る」
 ――と教えました。
 そこでその兎は、教えられたとおりにしました。
 ところが、海水が乾いてくると、兎の身体の皮が風に吹かれて裂けてしまいました。
 兎は痛くて泣き伏してしまいました。
 兄弟のあとから荷物を担いでやってきた大穴牟遅神は、その姿を見てふしぎに思いました。

*1:現在の鳥取県気高郡。鳥取市の白兎海岸に気多岬という伝説地があります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3935『小学生の日本神話281』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神3

<稲羽の白兎3>

 大穴牟遅神はその兎を見て不思議に思い、
「お前はどうして泣き伏しているのか」
 ――とおたずねになりました。
 すると兎は答えました。
「私は隠岐島にいましたが、ここまで渡りたくなりました。しかし方法がありません。そこで海にいるワニ(*1)をだまして、「どちらが一族の人数が多いか数えよう。だからお前は自分の一族をぜんぶ連れてきて、隠岐から気多の岬までずっと並びなさい。そうしたら私はその上を走りながら数えよう。そうすればどちらが多いか分かるだろう」このように申しました」

*1:神話のワニは前にも出てきました。そこで記しましたが、サメのことだろうという説が有力なようです。


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▼『古事記』の神話 上巻 大国主神4

<稲羽の白兎4>

(兎の話の続き)
「・・・このように言いますと、ワニたちは騙されて海の上に並びましたので、わたしはその上を数えながら渡って、この海岸に降りようとしたとき、「お前たちは騙されたんだよ」と言いますと、最後のワニが怒って私の毛皮を全部剥いでしまいました。それで泣いていたところ、大勢の神々が通りかかって、「海水を浴びて風に当たっているとよい」と教えてくれましたので、そのようにしておりますと、身体が傷だらけになってしまったのです」


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3943『小学生の日本神話283』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神5

<稲羽の白兎5>

 兎の話をお聞きになった大穴牟遅神は、その兎につぎのようにお教えになりました。
「急いでこの河口に行き、真水で身体を洗いなさい。それから附近の蒲の花(*1)を取って敷き詰めて、その上に横たわって転がりなさい。そうすればお前の身体はもとのように治るだろう」
 兎はこの教えにしたがって、そのとおりにしたところ、傷は治りました。
 これが稲羽の白兎(*2)です。いまでは兎神(*3)といわれます。

*1:蒲には穂ができ花が咲きますが、その花粉は古来薬用だったそうです。

*2:原文では素兎と書かれています。兎の毛皮を衣服に見立てて、素の字を使ったとされます。素は繊維の白さを表現するそうです。白兎と書くと月の異名になるそうです。

*3:兎神とは、つぎに出てきます巫女八上比売のお使い(神使い)だったそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3947『小学生の日本神話284』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神6

<稲羽の白兎6>

 この兎は大穴牟遅神に、つぎのように予言しました。
「あの大勢の兄弟の神々は、八上比売と結婚することは出来ないでしょう。袋を背負ってはいても、あなたがお嫁さんにするでしょう」

(これでこの白兎の項はおわり、大穴牟遅神が大変な苦難に遭遇する場面に移ります。なお八上比売は神に仕える巫女で、その地方の有力者たちの憧れの的だったのですね。この『古事記』の記事には、須佐之男命の子孫のことが詳しく記されています。大穴牟遅神=大国主神はそのうちの六代目、六世神です。大和朝廷の神話に出雲の神々の事蹟が詳しく記され、またその遠祖の須佐之男命が大和朝廷の祖である天照大神の弟神であるとされるのは、大和朝廷がいかに出雲の勢力に気をつかっていたかを示していると思います。出雲豪族と大和朝廷の確執はずっと後になっても『日本書紀』などに記されていますし、出雲大社の建立も出雲一族を宥めるためだったと言われます。『魏志倭人伝』においても、九州から邪馬台国に行く途中に「出雲」らしき「投馬」という大きな国があると記されていますが、邪馬台国=大和朝廷とすれば、『魏志倭人伝』と『古事記』の神話とはよく一致いたします。出雲→イズモ→ズモ→ズマ→投馬。投の音にはズがあるそうです)


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▼『古事記』の神話 上巻 大国主神7

<二、根の堅州国を訪問1>

(ここから、大穴牟遅神に降りかかる大きな苦難の物語になります。この苦難を経て大穴牟遅神は大国主神になるのです)

 大穴牟遅神の大勢の兄弟に結婚を迫られた八上比売は、申しました。
「わたしはあなたがたとは結婚はいたしません。大穴牟遅神と結婚いたします」
 これを聞いた兄弟神たちは怒り、大穴牟遅神を殺してしまおうと、相談します。
 そして伯耆の国(ほうきのくに)の手間(てま/*1)の山に着いたとき、大穴牟遅神に、
「赤い猪がこの山にいる。われわれは上から追いかけて下りるから、お前は下で待ち受けて捕まえなさい。もし捕まえなければ、お前を殺すぞ」
 ――と命令しました。
 それから兄弟神たちは、猪に似た大きな石を火で焼いて、転がり落としました。
 それを大穴牟遅神が捕まえたところ、たちまちその焼け石で焼かれて、石に張り付いて死んでしまいました。

*1:現在の島根県西伯郡会見町天万だそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3955『小学生の日本神話286』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神8

<二、根の堅州国を訪問2>

 大穴牟遅神が焼け石に張り付いて死んでしまったのを知った母親の刺国若比売は嘆き悲しんで天に参上し、神産巣日之命(*1)に訴えました。
 すると神産巣日之命は、すぐに、△(刮の下に虫)貝比売(きさかいひめ/*2)と蛤貝比売(うむかいひめ/*3)を地上に遣わして、大穴牟遅神を生き返らせるようになさった。

*1:造化三神の一柱。もっとも原初の神。

*2:△貝(きさかい)は赤貝のことだそうです。で、「きさぐ」とは「こそげる」という意味で、赤貝の殻には刻(きさ)があるので言うそうです。ですから△貝比売は赤貝の擬人化で、「こそげる」能力を持っていることになります。

*3:蛤の擬人化。蛤(うむ)と母・乳母(おも)をかけているらしいです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3961『小学生の日本神話287』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神9

<二、根の堅州国を訪問3>

 神産巣日之命によって派遣された△貝比売は、焦げて焼け石に貼り付いていた大穴牟遅神の身体をこそげ落として集めました。
 同じく派遣された蛤貝比売は、それに母乳を塗って生き返らせました。
 大穴牟遅神は、たちまち立派な青年になって、歩き出しました。
 これを見た兄弟神たちはさらに怒り、また殺そうと相談しました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3967『小学生の日本神話288』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神10

<二、根の堅州国を訪問4>

 兄弟神たちはまたもや大穴牟遅神をだまして山につれて入り、そこにあった大きな樹を切り倒して割れ目にくさびを差し込み、広がった割れ目の中に大穴牟遅神を入らせました。
 そして、入ったとたんにくさびを抜いて、大穴牟遅神を殺してしまいました。
 大穴牟遅神が居なくなったので母親の刺国若比売は泣きながら探し求めたところ、割れ目に挟まれている大穴牟遅神を見つけ、その樹を裂いて取り出して生き返らせました。
 母親は、
「お前がここにいたら、兄弟たちに亡ぼされてしまうでしょう」
 と言って、すぐに紀国(きのくに/*1)の大屋毘古神(おおやびこのかみ/*2)のところへ人目を避けて避難させました。

*1:紀伊の国。

*2:木で造られた家屋の神ですが、ここでは紀伊の国の木の神でもあります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3970『小学生の日本神話289』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神11

<二、根の堅州国を訪問5>

 一目を避けて隠れた大穴牟遅神を、兄弟神たちは探し求めて追いつき、弓に矢をつがえて、大屋毘古神に渡すよう求めました。
 大屋毘古神は大穴牟遅神を木の股をくぐり抜けさせて逃がし、
「須佐之男命がいらっしゃる根之堅州国(*1)に向かいなさい。きっとうまく取りはからって下さるでしょう」
 と教えました。

*1:地底の堅い土地の国(黄泉国)。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3974『小学生の日本神話290』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神12

<二、根の堅州国を訪問6>

 そこで大穴牟遅神は、その教えに従って、ご先祖神の須佐之男命がおられる場所に行きましたところ、そこにはその娘の須勢理毘売(すせりびめ/*1)がいて、二人は目配せして結婚しました。
 須勢理毘売は家に戻って須佐之男命に、
「とても立派な男神が訪れました」
 ――とお知らせしました。
 須佐之男命は大穴牟遅神をご覧になって、
「これは葦原色許男神(あしはらしこおのみこと/*2)という者だ」
 と仰せられました。
 それから須佐之男命は、子孫である大穴牟遅神に、厳しい試練をお与えになりました。

*1:須勢理(すせり)は勢いよくどんどん事を進めるといった意味だそうです。チラと目配せしただけでいきなり結婚してしまうのですから、凄い女性ですね。あとでいろいろと騒動も起こすらしいです。

*2:辞儀どおりには「地上の国の醜い男」ですが、いろいろな説があるようです。一つは、知らない間に娘と結婚したしまった男への反発、もう一つは将来地上世界を担う強い男だという表現です。「醜男/しこお」には醜いという意味と強いという意味があるようです。鬼に似ていますね。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3979『小学生の日本神話291』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神13

<二、根の堅州国を訪問7>

 須佐之男命は、大穴牟遅神を蛇のいる部屋に寝かせました。
 そのとき須勢理毘売は、「蛇のヒレ(*1)」を大穴牟遅神に渡して、
「蛇が喰いにきたら、このヒレを三度振って追い払いなさい」
 と教えました。
 そこで、妻に教えられたとおりにしたところ、出てきた蛇はおとなしくなりました。
 そのため大穴牟遅神は無事に朝を迎え、その部屋から出ました。

*1:「ヒレ」は領巾と書かれます。女性が肩にかける装飾用の薄い布地ですが、これをヒラヒラと振ることによって悪を追い払う力があると考えられていたようです。
〈饒速日命〉が天降るときに天津神が授けた十種の神宝の中に三種の「ヒレ」があり、その一つがこの「蛇ヒレ」があったと伝えられています。
「ヒレ」を振るの「フル」も霊的な意味を持ち、神霊を移すという意味もありますが、『先代旧事本紀』には天津神の教えとして「この十宝を一二三四五六七八九十と言いてフルへ、ゆらゆらとフルへ」とあり、そうすると死んだ人も生き返ると記されています。
 大和の石上神宮(いそのかみじんぐう)は七支刀が収蔵されていることで有名ですが、そこに祀られている布留御魂大神(ふるのみたまおおかみ)は十種神宝の霊威であり、この神宮の近くを流れる川は布留川であり神域は布留山です。
 布留を読み込んだ歌は万葉集にも数多くあります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3984『小学生の日本神話292』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神14

<二、根の堅州国を訪問8>

 大穴牟遅神が無事だったのを知った須佐之男大神は、その次の夜には、大穴牟遅神をムカデと蜂が出る部屋に入れました。
 すると須勢理毘売が前のように、ムカデと蜂を除けるヒレ(*1)を授けました。
 それで大穴牟遅神は、無事に一夜と過ごすことができました。
 須佐之男大神による試練はまだまだ続きます。

*1:〈饒速日命〉が天神から授けられた十種神宝の中には、蜂を退治する蜂ヒレもあります。また品物ヒレという、それ以外のヒレもあります。
 古代においては、夜寝ているときに家の中に入り込んでくる蛇、蜂、ムカデなどは人々の恐怖の的であり、どうやって追い払うかに苦労しており、その苦労が神話に結実しているのだと思います。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3988『小学生の日本神話293』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神15

<二、根の堅州国を訪問9>

 蜂やムカデの部屋に入れても大穴牟遅神が無事だったのを知った須佐之男大神は、鳴鏑(かぶら/*1)を広い野原の中に射込んで、その矢を取ってこいと、大穴牟遅神に命じられました。
 そこで大穴牟遅神がその野原に入ると、その周囲を火で焼きました。
 周囲から燃えてくる火で、大穴牟遅神が逃げ道が無くて困っていますと、ネズミがやってきて、
「内はほらほら、外はすぶすぶ」(*2)
 ――と言いました。
 そこで大穴牟遅神がその場所を踏んだところ、下に穴があり落ち込みました。そして穴に入っている間に、火はその上を通り過ぎて行きました。
 ネズミは須佐之男大神が射た鳴鏑をくわえて持ってきました。見ると、矢の羽はネズミがかじって無くなっていました。

*1:音のする鏑矢のこと。

*2:「ほらほら」は洞穴を意味するとか、いろんな説があるようです。西宮一民先生は、ネズミの鳴き声を模したまじないの言葉だろうと言っておられます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3992『小学生の日本神話294』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神16

<二、根の堅州国を訪問10>

 大穴牟遅神が火の中で行方不明になったので、妻になった須勢理毘売は葬式の用具を持って泣きながら須佐之男大神のところへやって来ました。
 須佐之男大神は、大穴牟遅神がすでに死んでしまったのだと思い、その野原に出ました。 するとそこへ、生き延びていた大穴牟遅神が、例の矢を持って現れ、その矢を須佐之男大神に差し上げました。
 大神の命令を守ったのです。
 すると大神は、大穴牟遅神を家につれて帰り、広い部屋に入って、自分の頭にたかっているシラミを捕れと命じました。
 大穴牟遅神が須佐之男大神の頭を見ると、そこには、シラミではなく沢山のムカデがうようよとしていました。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌3997『小学生の日本神話295』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神17

<二、根の堅州国を訪問11>

 大穴牟遅神が須佐之男大神の頭髪のムカデに困っていると、妻の須勢理毘売がやってきて、椋(むく/*1)の木の実と赤土とを大穴牟遅神に与えました。
 そこで大穴牟遅神はその実を口に入れて噛み砕き、赤土を口に入れて混ぜて吐き出しました。
 その様子を見た須佐之男大神は、ムカデを噛み砕いて吐いているのかと思い、心の中で良い奴だと思い、ぐっすりと寝てしまいました。
 そこで大穴牟遅神(*2)は、須佐之男大神の頭髪をその部屋の垂木に縛り付け、五百人かからないと動かせないような巨大な岩でその部屋の入り口を塞ぎました。

*1:椋の実は赤紫で、これと赤土を混ぜるとムカデのように見えることから来たらしいです。また、ムカデとムクとは発音も似ています。

*2:このあたりでは大穴牟遅神という主語は略されているようですが、強いて主語を書きますと、大穴牟遅神ではなく須佐之男大神が述べた色許男命に変化しているようです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4002『小学生の日本神話296』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神18

<二、根の堅州国を訪問12>

 そうして須佐之男大神が出られないようにしておいて、大穴牟遅神は妻の須勢理毘売を背負って、須佐之男大神の生太刀(いくたち/*1)と生弓矢(いくゆみや/*2)と天の沼琴(あめのぬこと/*3)を持って、逃げ出しました。
 するとそのとき、その天の沼琴が樹木に触れて、大地が揺れるほどの音をたてました。
 そのため、寝ていた須佐之男大神が目を覚まし、驚いて、その部屋全体を引き倒しました。
 しかし垂木に結びつけられた髪の毛をほどいている間に、大穴牟遅神は遠くへ逃げることができました。

*1:活き活きとした力を持つ太刀という意味だそうです。

*2:同様です。これら太刀と弓矢は軍事力の象徴であり、同時に政治力の象徴です。

*3:「ぬこと」の「ぬ」は瓊で玉の意味。玉飾りのついた豪華な楽器。神託をあらわし、宗教的支配権の象徴です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4006『小学生の日本神話297』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神19

<二、根の堅州国を訪問13>

 ようやく髪の毛をほどいた須佐之男大神は、葦原中国との境である黄泉ひら坂まで来て、はるか遠くの大穴牟遅神に呼びかけました。
「お前が持っているその生太刀と生弓矢で、お前の腹違いの兄弟を坂の裾まで追い、川の瀬まで追って追放し、おまえが大国主神(*1)となりなさい。また宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ/*2)となって、わたしの娘の須勢理毘売を正妻としなさい。そして、宇伽(うか/*3)の山の麓でしっかりとした盤石の上に太い宮柱を建て、高天原に対して千木を高くそびえさせ、そこに住みなさい。こいつめ」
 大穴牟遅神は言われたとおりに、悪い兄弟を追い払って、国をつくりました。

*1:葦原中国の支配者という意味。

*2:「うつしくに」は現実のこの世界。「くにたま」はその世界を支配する霊。

*3:現在の島根県出雲市一帯らしいです。

(こうしていろいろな名前を持つ大穴牟遅神は、数多の試練を乗り越えたのち、現実のこの国の主である大国主神となりました。史実との照合で言えば、山陰から大和までの広い地域に勢力を持っていた出雲一族の大和朝廷への反乱を避けるために、出雲の伝承を重んじた神話を朝廷の神話の中に組み入れたのだろうと思います。ですからこの神話も、史実を反映する側面があると思います)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4010『小学生の日本神話298』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神20

<二、根の堅州国を訪問14>

 こうして大穴牟遅神は大国主神となって、須佐之男大神の娘の須勢理毘売を正妻とするのですが、そもそも兄弟の争いの元になって八上比売はどうなったのでしょうか。
 八上比売は約束どおり大穴牟遅神と結婚はしました。お妃の一人としてです。
 しかし正妻の須勢理毘売が気の強いやり手の女性だったため、それを怖れて、生まれた子供を木の股に挟んで実家に帰ってしまいました。
 そこでその子供は木俣神(きまたのかみ/*1)と言われます。
 別名を御井神(みいのかみ/*2)といいます。

*1:「木俣」は幹が二つに分かれてYの字のようになっている樹で、神の依代(よりしろ)と考えられていました。

*2:「御井」は神聖な井戸という意味ですが、こういう井戸(湧水)の周囲に木俣を植える習慣があったそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4014『小学生の日本神話299』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神21

<三、八千矛神1>

 大穴牟遅神は大国主神となりましたが、国の中心となる武力の神ともなりましたので、武力をあらわす八千矛神(やちほこのかみ)とも呼ばれました。矛が多数という意味です。
 さて、この八千矛神が、高志国(こしのくに/*1)の沼河比売(ぬなかわひめ/*2)を御妃にしようと行幸(*3)なさったとき、その沼河比売の家に着いて、次のようにお歌いになりました。

「八千矛神は八島国のうちに妻を探していたのだが、遠い遠い高志国に賢く美しい女がいると聞いて、求婚をつづけ、太刀の緒もまだ解かず上着もまだ脱がないでいるのに、乙女の寝ている家の板戸を何度も押し揺さぶって立っていると、(以下次回)」

*1:越の国。北陸地方のこと。以下の話は、出雲の勢力が遠く北陸にもで及んでいたことを示しています。出雲風土記にも北陸遠征の話があります。

*2:越後国の沼川郷の女性といった意味。沼川郷は現在の糸魚川市で、古来翡翠の産地として有名で、近畿地方にまで輸出されていたそうです。翡翠のとれる川の神格化ですが、そういう玉の産地を支配したのですね。奴奈川(ぬなかわ)神社という神社があります。また、出雲風土記にもこの結婚の話があります。

*3:行幸とは天皇陛下のみに使用される言葉ですが、出雲一族の先祖に敬意を表して使用しています。大和朝廷がいかに出雲に気を遣っていたかがわかります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4019『小学生の日本神話300』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神22

<三、八千矛神2>

「・・・何度も板戸を引っ張って私が立っていると、青山(*1)では鵺(ぬえ/*2)が鳴いてしまった。さ野つ鳥(*3)雉も鳴き騒ぐし庭つ鳥(*4)鶏も鳴いている。いまいましくも鳴くのが聞こえるこの鳥のやつめ。こんな鳥は、打って鳴くのをやめさせてくれ。そう伝えてくれ、従っている海人馳使いよ(*5)。これが事の次第です。この物語をどうぞ」

 これを聞いた沼河比売は、まだ戸を開かずに、家の中から歌ってきかせました。

*1:緑の濃い山

*2:トラツグミのことらしいです。深夜に物思いに耽ることの象徴らしいです。

*3:野にいる鳥

*4:庭にいる鳥

*5:これは諸説あるようですが、西宮先生は、武人八千矛神の従者としています。海人部のしきたりからの説です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4023『小学生の日本神話301』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神23

<三、八千矛神3>

 沼河比売が家の中で歌うことには・・・
「八千矛の神の命よ、私は弱い女ですから、私の心は入り江の中の州にいる鳥のように、殿方を求めております。いまはわがままな鳥ですけれども、あとではあなたの思い通りの鳥になりましょうから、鳥は殺さないでください。したがっている従者の方よ、これが事柄を伝える言葉です。そう伝えてください」
 沼河比売の歌はまだ続きます。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4027『小学生の日本神話302』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神24

<三、八千矛神4>

「・・・緑濃い山に日が沈むと、夜になりましょう。朝日のようににこやかなお顔でお出でになり、栲綱(たくづの/*1)の白い腕を淡雪(*2)のように若々しい私の胸を撫でてかわいがり、玉のように美しい手を枕にして、脚を伸ばしてお眠りになるでしょうから、むやみに恋いこがれておっしゃいますな。八千矛の神よ。これが事の次第を語る言葉です」
 そこで八千矛神は待って、その夜は結婚せず、翌日の夜にめでたく結婚なさいました。

*1:楮(こうぞ)でできた綱。白い色なので白にかかる枕詞。

*2:反日史家による妄言のひとつに、騎馬民族征服説があります。しかしそれにしては、『記紀』には天皇が馬に乗って活躍する話がありませんし、一族が海をわたる苦労話もありませんし、また寒い地方から来たにしては雪の話がほとんどありません。
 この雪の話の例外的な一つが、この「淡雪の(阿和由岐能)」です。しかしこれは、出雲地方から北に遠征した時の話の中であり、騎馬民族とは無関係に雪が出てくるのは当然です。ただでさえ雪の多い山陰の北部なのですから・・・。しかも、若い女性の胸の形容としての使われ方で、雪で馬が苦労した話ではありません。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4032『小学生の日本神話303』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神25

<三、八千矛神5>

 さて、この遠征先でのご結婚を知って、正妻の須勢理毘売はひどく嫉妬なさいました。
 そこで八千矛神は困ってしまい、出雲から大和へお逃げになろうと、身支度して出発しようとなさったとき、片方の手を御馬の鞍にかけ、片方の足をあぶみにかけて、お歌いになられました。

「ぬばたまの 黒い御衣を
 しっかりと 身に付け
 沖の鴎が胸元を取り繕うように 胸元を見ると
 袖のあげおろしも この衣は似合わない
 岸辺に寄せては引く波のように 後に脱ぎ捨てて
 かわせみのような 青い御衣を
 しっかりと 取りそろえて身につけ
 沖の鴎のように 胸元の着付けをみると
 袖のあげおろしも この衣はやはり似合わない
 そこで岸辺に寄せては引く波のように 後に脱ぎ捨てて
 山の畑に蒔いた 赤色の染め草を臼でつき
 ・・・


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4036『小学生の日本神話304』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神26

<三、八千矛神6>

「・・・
 その染料にする草木の汁で 赤く染めた衣を
 とても丁寧に 身につけて
 沖の鴎のように 胸元の着付けを調べると
 袖の上げ下ろしも これで十分だ
 いとしい 妻よ
 群鳥(*1)のように わたしが人々と行ってしまったら
 引鳥(*2)のように わたしが引かれて行ってしまったら
 けっして泣いたりはしないと お前は強がりを言うが
 大和(*3)の 一本の薄のように
 うなだれて お前は泣くだろう
 その吐息は朝方の雨霧となって 立つだろう
 若草のような わが妻よ
 これが事柄を語る言葉だ これをどうぞ」

*1:群れをなして行くことの枕詞
*2:鳥の集団の一羽(引鳥)が飛び立つと他もいっせいに飛び立つことから来た枕詞
*3:出雲の話なのに大和の薄が出てくるのは奇妙ですが、大和を中心にして書かれた神話なので、こういう表現になったのでしょう。

 このあと、須勢理毘売の返歌があります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4041『小学生の日本神話305』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神27

<三、八千矛神7>

 この八千矛神の歌に対して、后である須勢理毘売は、大御酒杯をとり、夫である八千矛神のそばに寄り添って、杯を高く上げて歌いました。(*)
「八千矛の神の命よ わが大国主命よ
 あなたこそは 男でいらっしゃるのだから
 めぐっておられる 島の岬でも
 めぐっておられる 磯の岬でも
 若草のような お妃をお持ちでしょうが
 わたしといえば 女ですから
 あなたのほかには 男はおりません
 あなた以外に 夫はありません

*:后、大御など、天皇陛下に対する敬語が、ここでも用いられており、大和朝廷が出雲一族に対して最大限の敬意を表していることがわかります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4048『小学生の日本神話306』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神28

<三、八千矛神8>

「・・・ ・・・
 綾織りのとばりの ふわふわとゆれる中の
 絹織りの夜具の やわらかな肌触りの下で
 楮の繊維の さやさやと音をたてる下で
 淡雪のような わかわかしく柔らかな胸を
 栲綱(たくづの/*1)のような 白い腕を
 たっぷりと愛し かわいがり
 玉のような手 美しい手を枕にし
 身体を伸ばして お眠りなさい
 さあこのお酒を お召し上がりなさいませ」

 須勢理毘売がこのように歌うと、八千矛神と須勢理毘売は誓いの杯をかわし、手を首にかけあって、現在にいたるまで出雲大社に二神仲よく鎮まっておられます(*2)。
 以上の物語を神語りと申します。

*1:前に出ています。白さの枕詞です。

*2:嫉妬深い正妻と仲直りしてご夫婦で出雲大社に祀られた物語で、長い歌が四首あります。これはおそらくは、出雲地方に古くから伝わる伝説なのでしょう。現在遺っている出雲風土記には、このとおりの物語はありませんが、断片的には残されています。
 ただし現在の出雲大社の御祭神には須勢理毘売の名は見えず、摂社に祀られているようです。この件についてお詳しい方がおられたら、お教えください。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4052『小学生の日本神話307』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神29

<四、大国主神の系譜1>

 この條では、大国主神(八千矛神)の他の御妃との間の御子やその子孫の神名が記されますが、神名の意味が不明な神が多いそうです。
 出雲地方に古くから伝えられてきた先祖神の名を並べたからなのでしょう。
 したがって本節では、神名についての一々の解説ははぶきます。
 しかしともかく、以下の多くの神名が『古事記』に記されているのは、大和朝廷にとって出雲の存在感がじつに大きかったことを意味していると思います。
 また、出雲地方から大和に移り住んだ豪族がいたことが推定される神名もあるようです。

**********

 この大国主神が胸形の奥津宮(おきつみや/*1)に鎮座される神、多紀理毘売(たきりびめ)を娶って生まれた子は、阿遅(金+且)高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)。つぎに妹高比売命(いもたかひめのみこと)。またの名は下光比売命(したでるひめのみこと)。この阿遅(金+且)高日子根神は、今では迦毛大御神(かものおおみかみ/*2)という。

*1:沖ノ島。ここに祀られている多紀理毘売は須佐之男命の娘に相当(天照大神との祈誓(うけい)によって須佐之男命の劍から生まれた)しますから、出雲に関係の深い女神です。

*2:大和の葛城山麓の豪族鴨氏の奉斎神なので、鴨氏は出雲から大和に移住したと想像されています。神武東征を助けた八咫烏で知られ京都に神社のある賀茂(鴨)県主一族とは別だそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4056『小学生の日本神話308』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神30

<四、大国主神の系譜2>

 大国主神がまた、神屋楯比売命(かむやたてひめのみこと)を娶って生まれた子は、事代主神(ことしろぬしのかみ/*1)です。また、八島牟遅能神(やしまむじのかみ)の娘、鳥取神(ととりのかみ/*2)を娶って生まれた子は、鳥鳴海神(とりなるみのかみ/*3)です。この神が日名照額田毘道男伊許知邇神(ひなてりぬかたびちおいこちにのかみ)を娶って生まれた子は国忍富神です。この神が、葦那陀迦神(あしなだかのかみ)、またの名は八河江比売(やがわえひめ)を娶って生まれた子は、速甕之多気佐波夜遅奴美神(はやみかのたけさはやじぬみのかみ)です。

*1:のちの国譲りの際に大きな役割を果たします。託宣の神です。

*2,3:鳥は霊魂を運ぶとも考えられていたようです。こういう事から、卑弥呼の正体とされる〈倭迹迹日百襲姫命〉の迹迹(とと)は神聖な鳥のこと、との意見もあります。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4062『小学生の日本神話309』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神31

<四、大国主神の系譜3>

 この神が、天之甕主神(あめのみかぬしのかみ)の娘、前玉比売(さきたまひめ)と結婚して生まれた神は、甕主日子神(みかぬしひこのかみ)です。またこの神が淤加美神(おかみのかみ)の娘、比那良志毘売と結婚して生まれた神は、多比理岐志麻流美神(たひりきしまるみのかみ)です。またこの神が比々羅木之其花麻豆美神(ひひらぎのそのはなまずみのかみ)の娘、活玉前玉比売神(いくたまさきたまひめのかみ)と結婚して生まれた神は、美呂浪神(みろなみのかみ)です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4068『小学生の日本神話310』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神32

<四、大国主神の系譜4>

 この神が、敷山主神(しきやまぬしのかみ)の娘、青沼馬沼押比売(あおぬうまぬおしひめ)と結婚して生まれた神は、布忍富鳥鳴海神(ぬのおしとみとりなるみのかみ)です。さらにこの神が、若尽女神(わかつくしめのかみ)と結婚して生まれた神は、天日腹大科度美神(あめのひはらおおしなどみのかみ)です。さらにこの神が、天狭霧神(あめのさぎりのかみ)の娘、遠津待根神(とおつまちねのかみ)と結婚して生まれた神は、遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)です。

 これらの、八島士奴美神から遠津山岬帯神までを、十七世の神といいます。(*1)

(これでこの條は終わりですが、計算してみますと、十五代しかありません。そこで、第七代の異母兄にあたる阿遅(金+且)高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)と事代主神を加えて十七世としたのだろうという説があります。そのためわざわざ十七代といわず十七世と書いたのだろうというのが、西宮先生の推理です。いずれにせよ、敵対勢力だった出雲豪族に伝承されていた神名を最大限取り入れて融和をはかっていることが分かります。つぎは大国主神の治世の悩みとそれを助ける神の存在で、そこにも大和朝廷が出雲を重視していた痕跡が認められます)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4072『小学生の日本神話311』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神33

<五、大国主神の国づくり1>

 さて、こうして国を治めることになった大国主神が、出雲の御大(みほ/*1)の岬におられたとき、波頭を伝って、天のガガイモ(*2)の船にのって、雁の皮(*3)を着物にして、近づいてくる神を見ました。
 そこで大国主神はその神の名を訊ねましたが、返事がありません。
 大国主神に従っている神々に聞きましたが、誰も知りません。
 そのとき、タニググ(*4)が言いました。
「これは、久延毘古(くえびこ/*5)がきっと知っているでしょう」

*1:島根半島の東端の美保埼とされます。

*2:多年生の蔓草で、その実を割ると船に似た形になるそうです。

*3:原文では{我+鳥}という字で、これは雁を家畜化した鳥だそうです。

*4:谷を潜るという意味で、ヒキガエルのことだそうです。

*5:崩え彦という意味で、痛んだ姿の案山子のことだそうです。身体不自由な知恵者という意味が含まれているらしいです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4076『小学生の日本神話312』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神34

<五、大国主神の国づくり2>

 そこで大国主神は、すぐに久延毘古を呼んで訊ねました。
 久延毘古は答えました。
「これは神産巣日神(かみむすひのかみ/*1)の御子の少名毘古那神(すくなびこなのかみ/*2)です」
 この答えを聞いて驚いた大国主神は、すぐに高天原の神産巣日御祖命のところにつれていきました。
 すると神産巣日神は、
「これは本当に私の子である。私の手の指からくぐり抜けて行った子だ。この子は汝葦原色許男命と兄弟となって、国をつくり固めるであろう」
 ――と仰せられました。

*1:すでに何度か出てきた神名です。この世界の最初に出現した造化三神の一柱です。前にも大国主神を助けています。

*2:こびとの姿で常世国から訪れて幸をもたらすと信じられてきた神。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4081『小学生の日本神話313』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神35

<五、大国主神の国づくり3>

 そこで大穴牟遅(*1)と少名毘古那の二柱の神は、協力してこの国を治めました。
 そしてその後、少名毘古那神は常世国へ渡って行かれました。
 この少名毘古那神のことを知っていた久延毘古とは、今で言う山田の案山子(*2)です。
 この神は、歩くことはできませんが、この世界の事を何でも知っているのです。

*1:大国主神のことです。この名で語られることも多くあります。

*2:原文では「曽富謄(そほど)」です。案山子をあらわす古語で、平安以降は「そほず」などと言ったそうです。「そほ」は濡れる、「ど」は人だそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4086『小学生の日本神話314』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神36

<五、大国主神の国づくり4>

 少名毘古那神が去ってしまったので、大国主神は嘆息し、
「わたし一人でこの国をどうやってうまく治めることができるだろうか。わたしと協力してこの国を治めてくれる神はいないだろうか」
 ――と言われました。
 すると、海面を光らせて近づいてくる神が見えました。
 その神は、大国主神にこう仰せでした。
「わたしをよく祀るのならば、わたしはあなたに協力して国づくりをしよう。もし祀らなければ、国づくりはできないだろう」
 これを聞いた大国主神は、
「あなたを祀るには、どのようにしたら良いのでしょうか?」
 とお尋ねになりました。
 するとその神は答えて、
「大和の青々とした垣のようにめぐる東の山の上に祀って仕えなさい」
 と仰せでした。
 大国主神はそのようになさいました。
 これが、御諸山(みもろのやま/*1)の上に鎮座されている神(*2)です。

*1:大和(現桜井市)の三輪山のことで、後にもこういう表現がよく使われています。その三輪山の麓が大和です。すなわち大和の東側の山が三輪山です。

*2:大和の地で古くから大物主神(おおものぬしのかみ)と呼ばれて崇敬されてきた神のことです。

 この一節によって、大和朝廷が出雲豪族を従えた過程が推測できます。大和に古くから祀られてきた神を出雲の大国主神に祀れと命じたわけですから・・・。
 しかしこれについてはいろいろな説があるようです。
 出雲豪族は神武東征より前に大和まで進出していた、とも考えられ、三輪山の大物主神を出雲一族の神と考える推理もあるようです。

 さて、この大和の地、三輪山の麓こそが、最近の発掘で『魏志倭人伝』の邪馬台国ではないかと、新聞に書かれるようになった纏向遺蹟のある場所です。
 つまり、『魏志倭人伝』と『日本書紀』や『古事記』とは完全に結びついているのです。
 纏向という地名は現在は町名には残っておらず、『日本書紀』や『古事記』に出てくるものです。
 西暦200年代に日本列島に大きな動きがあり、三輪山麓に巨大が都が出現します。最盛期には藤原京にも匹敵するほどでした。それは長年の発掘によって分かっていましたが、その年代が西暦200年の前半に始まるらしいという事が、ごく最近になって明確になってきました。
 この、三輪山麓の巨大な都を、外国から見たのが『魏志倭人伝』であり、内部から日本人が記録したのが『日本書紀』や『古事記』である――という小生の推理は、平成21年になってきわめて信憑性を増してきたのです。
 邪馬台国=大和国
 卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命
 ――という説です。
 読みもよく似ており、現在学者の間では多数派になりつつあります。
 詳細は保存頁の『卑彌呼と日本書紀(第四版)』にありますので、参照して下さい。
 ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/hozonpage4.htm


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4090『小学生の日本神話315』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神37

<六、大年神の系譜1>

 さて、大年神(おおとしのかみ/*1)のことですが、神活須毘神(かむいくすぶのかみ)の娘の伊怒比売(いのひめ)と結婚して、まず大国御魂神(おおくにみたまのかみ)、つぎに韓神(からのかみ/*2)、つぎに曽富理神(そほりのかみ/*3)、つぎに白日神(しらひのかみ)、つぎに聖神(ひじりのかみ)、これら五柱の神が生まれました。
 また大年神が香用比売(かぐよひめ)と結婚して生まれた神は、大香山戸臣神(おおかぐやまとおみのかみ)と御年神(みとしのかみ)の二柱の神です。
 また大年神が天知伽流美豆比売(あまちかるみずひめ)と結婚して生まれた神は、奥津日子神(おくつひこのかみ)と奥津比売神(おくつひめのかみ)またの名大戸比売神(おおへひめのかみ)の二柱の神です。大戸比売神はみなが拝んでいる竈(かまど)の神です。

*1:立派な稲の実りを示す神だそうです。
 須佐之男命の子孫は、大きく二つの系譜に分かれています。
 一つは、八岐大蛇退治で助けた櫛名田比売(くしなだひめ)との間に生まれた八島士奴美神以下十七世の神で、その中心は大国主神です。
 もう一つは、神大市比売との間に生まれた大年神を祖とする二十四神です。
 前者は国造りに参画したとして伝承に残る神々。
 後者は有名神社の祭神や農耕生活の中にとけ込んだ神、また朝鮮からの帰化人が信仰していた神(*2*3など)などをここに纏めて系譜化したものとされます。
 なお神大市比売という名は一般名詞に近い神名と思われます。たとえば、卑弥呼の正体と思われる〈倭迹迹日百襲姫命〉の別名もこれで、宮内庁の表示ではこれが使用されています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4098『小学生の日本神話316』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神38

<六、大年神の系譜2>

 つぎにお生みになったのは、大山咋神(おおやまくいのかみ)、またの名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)です。この神は、近江国の日枝山(*1)に鎮座され、また葛野の松尾(*2)に鎮座されている、鳴鏑を使う神です。
 つぎにお生みになったのは、庭津日神(にわつひのかみ)、つぎに阿須波神(あすはのかみ)、つぎに波比岐神(はひきのかみ)、つぎに香山戸臣神(かぐやまとおみのかみ)、つぎに羽山戸神(はやまとのかみ)、つぎに庭高津日神(にわたかつひのかみ)、つぎに大土神(おおつちのかみ)、またの名は土之御祖神(つちのみおやのかみ)。この九柱の神です。
 以上の大年神の子は、大国御魂神から大土神まで、合わせて十六柱の神です。

*1:比叡山、日吉大社だそうです。

*2:現京都市西京区の松尾神社だそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4106『小学生の日本神話317』◆◆◆

▼『古事記』の神話 上巻 大国主神39

<六、大年神の系譜3>

 大年神の御子のうち、羽山戸神が大気都比売神(おおけつひめのかみ)と結婚して生まれた子は、若山咋神(わかやまくいのかみ)です。つぎに若年神(わかとしのかみ)です。つぎに妹若沙名売神(いもわかさなめのかみ)です。つぎに弥豆麻岐神(みずまきのかみ)です。つぎに夏高津日神(なつたかつひのかみ)またの名を夏之売神(なつのめのかみ)です。つぎに秋毘売神(あきびめのかみ)です。つぎに久々年神(くくとしのかみ)です。つぎに久々紀若室葛根神(くくきわかむろつなねのかみ)です。
 以上、八柱の神です。

(これで大国主神の章は終わります。つぎは忍穂耳命と邇邇芸命の章に入ります。大国主神一族と大和朝廷の祖との戦いです)



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