■□■□■ オロモルフのエッセイ集(オロモルフ) ■□■□■


◆◆◆ 1.軍艦マーチの雑学 ◆◆◆

▼ある日のテレビで、海自のもつ大型艦「おおすみ」が、イラクの陸自用の装備を運ぶために呉を出港する光景が映し出されておりました。
 北海道で積載してイラクに向かうそうです。

▼「おおすみ」は日本最大級の自衛艦ですが、ブリッジを片寄せた甲板がひじょうに広く、空母に近い形をしています。ヘリの発着をやりやすくするためですが、この自衛艦ができるとき、北京政府が猛反対しました。
 将来空母をつくる準備段階と考え、さらに垂直離着陸機を積めば小型空母にもなるという想像なのでしょう。
 そのくせ自分たちは、空母を購入したりしております。なんという勝手な国なのでしょうか。

▼それはともかくとして、この出港の式典で、まず国歌演奏があり、ついで石破長官の挨拶があり、指揮官の挨拶があり、そして150名全員が一列になって乗り組むとき、軍艦マーチが鳴り響きました。
(いかにもNHKらしく、反対運動をしている少人数のプラカードを映したりもしておりましたが、一応国歌と軍艦マーチを伏せなかったのは、進歩です)

 というわけで、軍艦マーチについての雑学を少々。

▼メール新聞「台湾の声」によりますと、台湾では最近風邪薬のテレビCMに軍艦マーチが使われていて、日に何十回も軍艦マーチが聞こえてくるそうです。
 軍艦マーチのアジアでの人気はいまでも高く、たとえばミャンマー国軍の軍歌にも採用されています(キングレコードCD『軍艦マーチのすべて』に収録)。

▼軍艦マーチは瀬戸口藤吉が明治30年頃に原型『軍艦』を作曲し、それが何回かアレンジされて『軍艦行進曲』になり、今では『軍艦マーチ』と呼ばれています。
 明治30年代といいますと、江戸時代からの日本的音楽の感性と、西洋音楽の感性とが、単なるつぎはぎではなく融和して、近代日本独自の旋律やリズムが誕生した時代です。
『軍艦マーチ』はその代表です。

▼『軍艦マーチ』の中間部分には『海ゆかば』の歌詞が『君が代』の旋律で歌われる部分がありますので、すこし知るところを記してみます。

▼『万葉集』にある『海ゆかば』の最後は「可敝里見波勢自/かへりみはせじ」となっており、『続日本紀』の『海ゆかば』の最後は「能杼尓波不死/のどには死なじ*」となっております。
(*のどかな死に方はできないと覚悟している、との意味)
 これは、東国で金が産出したという目出度い知らせをうけて、聖武天皇が東大寺に行幸したとき(天平勝宝元年/七四九年)の宣命の中の、大友一族を賞賛する言葉の箇所に大友氏の言立(誓いの言葉)としてあります。
 この言立引用に感激した大友家持がつくったのが『万葉集』の歌だそうです。
 両者のちがいは最後の一句だけで、有名なのは「かへりみはせじ」の方ですが、「のどには死なじ」の方に曲をつけたものもあります。

▼昭和十二年に信時潔が作曲した『海行かば』は戦争中に大ヒットしましたが、これは「かへりみはせじ」の詩でした。
 そのはるか前の明治十三年に東儀季芳が作曲した『海ゆかば』は、海軍の内部でのみ歌われた特殊な歌だったそうですが、『続日本紀』の詞「のどには死なじ」を使っています。
 こちらの曲は戦時中の『海行かば』とはまったく違っていて、同じころに林広守が撰曲したとされる『君が代』に酷似しています。素人には区別がつきません。
 おそらく、元歌が『君が代』と同じだったのでしょう。

▼『軍艦マーチ』の中間部分に使われているメロディーは『君が代』を編曲したように聞こえますが、じつはこの古い方の『海ゆかば』を採ったものだそうです。
 昭和十六年にレコーディングされた徳山lの『軍艦マーチ』を聞きますと、「のどには死なじ」をきちんと歌唱しています。戦後の海自のレコーディングでも「のどには死なじ」が歌われています。

▼ちなみに、瀬戸口藤吉は、戦時中に百万枚**を売った空前のヒット曲『愛国行進曲』の作曲家でもあり、また『君が代』作曲の歴史を研究した先達でもありました。
(**かなりのお金持ちでなければプレイヤーを持っていなかった時代ですから、当時の百万枚は今の一千万枚以上の値打ちがあります。当時、国や軍部が大宣伝しても売れない歌もありました。『愛国行進曲』を国歌にしたらどうか、という人がけっこうおられます)


◆◆◆ 2.怪奇金策号 ◆◆◆

▼怪奇『金策号/キムチェック』
 昨年、平成14年、小泉総理が北朝鮮訪問を発表した8月30日の直後から、能登半島沖合に北朝鮮の奇妙な船団が出没し、日本の警備船に船体を見せびらかせるようにして航行してから去ってゆくという奇怪な事件が起こりました。
 その中に、日本側にはっきりと船腹を撮影させた船があり、その船腹には『金策号』と記されていました。
 ブラックジョークのように思った日本人も多かったのですが、防衛庁は、『金策』とは北朝鮮の地名であると発表しました。
 しかしそれが北の英雄の名だとは言いませんでした。

▼人名としての金策
 これについて、月刊日本の論説委員である山浦嘉久は、つぎのように記しています。
 金日成はコミンテルンの捏造に乗って平壌に凱旋したが、その後粛清によってソ連派を壊滅させて独裁権力を確立したと言われます。
 このとき金日成にソ連派粛清を助言したのが金策とされています。
 金策は、併合時代に朝鮮にいて諜報活動した明石元二郎(日露戦争時の諜報活動の責任者で後に台湾総督)とも密接なつながりがあったとされ、息子には「国泰(国家安泰)」というじつに日本人的な名をつけています。
 ソ連派粛清の功績によって、出身地の「城津」は「金策」と改称され、また「金策工科大学」という大学が出来ています。
「城津」とは、北緯40度40分のあたりの東海岸にある町です。
 当然ながら『金策号』はこの日本にゆかりの金策氏から来た船名で、日本のマスコミは(以下の古代史も念頭に置いて)そのメッセージを読みとるべきでした。

▼『日本書紀』にある「金策」も重要です。
 日本の古代文献では「金策」は「キンサク」または「こがねのふだ」と読みます。
『日本書紀』の孝徳天皇の即位前紀に、
「辛亥(645年6月15日)に、金策を以ちて阿倍庫梯麻呂大臣と蘇我山田石川麻呂大臣とに賜ふ」
 ――とあります。
 この金策は、黄金製の札に詔を書いて臣下に贈るもので、勲章に近いものだと思います。
 また、天智天皇元年(662年)五月の記事に、
「大将軍大錦中阿曇比邏夫連等、船師一百七十艘を率て、豊璋等を百済国に送り、勅を宣りて、豊璋等を以ちて其の位を継がしむ。又、金策を福信に予ひて、其の背を撫で、褒めて爵録賜ふ。時に豊璋等と福信と、稽首みて勅を受け、衆、為に涕を流す」
 ――とあります。


◆◆◆ 3.皇太子殿下御発言問題の本質 ◆◆◆

▼皇太子殿下の御発言が波紋を呼んでおり、また、宮内庁の責任者が逆に皇太子を批判するコメントを出したりしております。
 宮内庁を批判する声も多くあり、それももっともだとは思います。
(官庁全体が無責任化している日本で、宮内庁だけが健全である事など、あり得ません)

▼しかし、事の本質は、少子化にあります。
 現在日本の女性の産むお子さんの数は、二人よりずっと少なく、しかも年々減り続けております。
 ほんとうは皇族方こそ、こういう衰退に歯止めをかけていただきたいのですが、じつは、皇族方の方が、むしろ「さらに少子化」が進んでいるのです。
 これでは、皇室典範をどう改正しようと、たちまち衰亡してしまいます。
 まことに残念ながら、いまの宮内庁にも皇族方にも、そういう本質を見据えたお言葉は見られません。
 内心ではこの本質問題を考えておられるのでしょうが、御製にも出ていないようです。

▼厳しい近未来
 現在の皇族方の中に、これからご結婚なさる年齢の方が9人おられますが、全部女性!なので、ご結婚とともに皇族から外れます。
 また、20年もすれば、現在60歳以上の皇族は、長寿であっても事実上引退でしょう。
 だとしますと、20年後には、天皇の血を引く皇族は、たったの三名になり、しかもお世継ぎはゼロという惨状になるのです。たったの20年で、です。

▼皇室典範
 皇族の範囲を拡げることはもちろんですが、すくなくとも皇室典範に、
「皇族の責務は皇統を絶やさないよう努力すること」
 ――という意味の条文をもうけ、かつ、他の法律を超越してあらゆる科学的方法を採用可能にするべきです。

▼高円宮様がお亡くなりになったのは、じつに残念です。
 皇族の中でただお一人、三人のお子さまをもうけられたのが高円宮様でした。
 また、特攻隊を哀惜する劇をご覧になって、その主役の人に「自分たち皇族が言えないことを言ってくれてありがとう」と言われたそうです。
 ほんとうに残念なことをしました。

▼というようなわけで・・・
 皇太子の御発言についての議論は、本質から外れているような気がしてなりません。天皇陛下や皇太子殿下が、この本質的問題について、どのようにお考えなのか、不安でなりません。
(拙著『女性天皇の歴史』栄光出版社を参考にしてください)


◆◆◆ 4.わかりにくい年金制度 ◆◆◆

▼年金問題で思うこと1
 持論のくりかえしになりますが、抜本的には、少子化問題です。
 これを解決しないかぎり、どんな制度も、いずれは破綻します。

▼年金問題で思うこと2
 年金行政に携わるお役人たちが、無責任な運用をして、国民のお金を無駄にしたというニュースがよくありますが、誰も責任をとっておりません。
 これでは国民が不信感をもつのは当然です。
 すでに引退している役人を含めて、厳しく追及して責任をとらせるべきです。

▼年金問題で思うこと3
 公務員にとても甘い制度を抜本改善すべし。
 これは、オロモルフが痛感したことです。
 オロモルフはかつて半官半民の組織にいましたが、その年金制度は、予告も何もなしに、入社時の約束?がつぎつぎに破られて、不利になってゆきました。
 しかし国家公務員は、そういう事はほとんど無かったようです。それは家内が昔国家公務員だったのでわかります。
 わずか一年勤めただけでしたが、その恩典は半世紀たっても消えないのです。ただし家内はそれを若いころに放棄してしまいましたが・・・。

▼年金問題で思うこと4
 じつに分かりにくい制度であり、かつ、つい最近まで、年金行政においては、国民への周知を怠ってきました。
 オロモルフは、勤務の前半は半官半民、後半は私大でしたから、自動的にお金をとられておりましたが、家内は一年勤めただけで、あとは子育てとオロモルフの手伝いに専念しましたので、国民年金でした。
 任意加入の時代に入りました。
 しかし、それに加入したのは、親戚から教えられたからで、国から教えられたからではありませんでした。
 オロモルフもまったく知りませんでした。
 年金って、じつに分かりにくいのです。
 息子たちも知らずにおり、家内が勧めて、やっと入りました。
 これをもって、国会議員さんたちを弁護するわけではありませんが、このわかりにくさとPR不足は、お役人の責任だと思います。
(お役人を監督する政治家の責任でもありますが)

▼年金問題で思うこと5
 それにしても、年金を払ったかどうかが、政争の道具にされているのは、本末転倒です。
 大事な法案が他にたくさんあるのに!


◆◆◆ 5.職業選択の自由と愛国心 ◆◆◆

▼日本には職業選択の自由
 ――がありますが、ではどうやって自分に向いた(好みの)仕事を探すかに悩む若者がたくさんいるので、いろんなノウハウ本があるようです。
 なかなか自分に合う仕事が探せなくて、点々と職を変えたり、親のスネかじりで30を過ぎてしまったりする人が多いらしい(なかには40過ぎたり50過ぎたり!)。
 また、せっかく就職しても、五月病でやめてしまう人も多いとか・・・。

▼オロモルフの考えでは
 今の日本の就職情報に、肝心なことが欠けているので、こういう現象が起こるのだと思います。
 それは、「日本のために何をなすべきか」という愛国心に基づく仕事探しです。
 21世紀の日本を、より良い国、より強い国にするためには、何をなすべきか、今の日本には何が欠けているか――をまず考え、そしてその中から、自分に向いた仕事を探すべきです。
 それが無いと根無し草になってしまいます。

▼オロモルフは、結婚も
 同じ事だと思っております。
 日本の繁栄のために多くの子孫を残すことこそ、若い男女が結婚する目的の第一であるべきです。


◆◆◆ 6.允恭天皇の長の謎 ◆◆◆

▼允恭天皇の話
 産経新聞に連載中の八木荘司さんの『蘇る民族の歴史』の第五回(3月20日)に興味深い話が出ていました。
 オロモルフが知らなかった事です。

▼末子相続
 これは、古い時代の天皇に言えることで、神武天皇もそのように書かれているのですが、第19代の允恭天皇の事績からも、それが読みとれるのです。
 朝廷の末子相続が消えたのは、だいたいこの時代らしいのですが、それに関連して、次の一節の読みが問題なのです。
 それは、
「其長生之」
 ――です。
 説明は八木さんの本文を読んでいただきたいのですが、これを、「一家の長」という意味にとるか、「長生き」という意味にとるかで、話が違ってくるのです。
 允恭天皇は兄弟の下の方なので、「一家の長」という意味だったとすれば、末子相続が裏付けられ、神武天皇の実在性の間接的証拠にもなるという話です。
 しかし「長生き」では何のことか分かりません。末子が長生きしないと皇位を継げないと奇妙な事を仁徳天皇が述べていることになるのです。

▼戦前と戦後の『日本書紀』の比較
 オロモルフが見ましたら、「其長生之」のすぐ前に、よく似た言葉「長之」がありましたので、この両者の訳を、家にある本で比較してみました。
 本来似た訳である筈だと思いますが、戦後は無関係な訳になりました。

☆飯田武郷(原本明治、S15改版/奈良平安からの伝統的読み方)
長之:このかみにして
其長生之:このかみにて生けりとも

☆岩波(S40/この時から後者のみ読みが変化したらしい)
長之:このかみにして
其長生之:長く生くとも

☆中央公論社(S62)
長之:兄であって
其長生之:長く生きても

☆講談社(S63)
長之:年上で
其長生之:長生きしたとしても

☆ニュートンプレス(H4)
長之:年長で
其長生之:長く生きても

☆小学館(H10)
長之:このかみにして
其長生之:長く生けりとも

 戦後に家永三郎らが編纂した岩波の『日本書紀』以後、神武天皇の非実在説には都合が良いが、文章全体としては矛盾のある訳文になったという話らしい。
 オロモルフが明治の飯田武郷の本を推薦する所以でもあります。

(戦前にも、「長く生きても」という別訳を載せる本もあるようですが、主体は「このかみにて」です。ですから戦後の本も、もし変更するにしても、両者を載せるべきでしょう。
 おそらく、このような訳文が変わってしまった箇所は無数にあると思います。ですから、戦後の岩波本以降の本で『日本書紀』を勉強した人は、たとえ良心的な正論派であっても、奈良時代〜終戦直後までの本で勉強した人とは、話が合わないでしょう。
 オロモルフは新しい教科書運動をしている人に「新しい『日本書紀』の翻訳」を呼びかけましたが、反応ゼロでした。
 近現代史では洗脳が解けていても、それより前の歴史、とくに古代史では洗脳されたままの人が新しい歴史教科書運動をしている――というのは、南原次男さんのご指摘です。田中卓先生も似たことを言っておられました。前途遼遠です)


◆◆◆ 7.兄と弟で冷や汗 ◆◆◆

▼『女性天皇の歴史』
 ――の第一刷で、用明天皇が推古天皇の「実兄」なのに「実弟」と書いてしまった箇所を見つけました。
(読者に指摘されたのではなく自分で見つけたので良かったです!)

 さほど売れているわけではありませんが、版元のストックとして第二刷をつくる事になりましたので、その機会に直そうとしたのですが、心配になって辞書を見ますと、「実兄」という言葉は、何種類かの意味がある事がわかりました。
 そこで、「同母兄」「異母兄」という表現に変更しました。
(この本でも、別の箇所ではほとんどこういう表現にしてあります。なぜか用明天皇の箇所に「実弟」としていたのです)

 この表現は厳密性を欠いておりますが、天皇の皇子皇女の問題なので、誤解される事は無いだろうと、考えました。
 また、古代史の専門書では、ほとんどが「同母兄」という表現を使用しています。

 以下は、そのときに国語辞書を見た記録です。

▼オロモルフの常識は世間の非常識?
 オロモルフはさほど常識のある方ではなく、「当たり前」と思っている事が、世間では「当たり前ではない」事がよくあります。
 今回の「実兄」と「同母兄」の問題もそうかも知れません。

▼漠然と考えていたこと
 これまでオロモルフが漠然と考えていた「兄」についての分類とは、

(1)両親が同じ兄→実兄
(2)父親は同じで母親が違う兄→母親違いの兄(腹違いの兄)
(3)母親は同じで父親が違い兄→父親違いの兄
(4)父母ともに違う兄→こういう戸籍上の兄もあります。
(5)配偶者の兄または姉の配偶者→義兄
(6)杯を酌み交わす義兄弟の兄

▼「同母兄」といった表現をする時の分類
 古代の皇族に関して、同母兄といった使い方をするときの分類は、たぶん、

〈1〉同父同母兄
〈2〉同父異母兄
〈3〉異父同母兄
〈4〉異父異母兄(今でもあるが、とくに古代には多いかも)
〈5〉義兄

▼このようにいろいろと疑問が
 出ましたので、家にある国語辞書をひいてみました。

『改版 言海(吉川弘文館/明治37年初版、明治44年改版)』
「項目なし」

『大増訂 日本大辭典 ことばの泉(大倉書店/明治41年)』
正編「項目なし」
補遺「父母を同じくする兄。」

『辭林(三省堂/明治44年)』
「まことの兄。同父母の兄。」

『大言海(冨山房/昭和7〜12年)』
「項目なし」

『辭苑(博文館/昭和10年)』
「父母を同じくする兄。」

『大辭典(平凡社/昭和11年)』
「まことの兄。父母を同じくする兄。義兄などの對。」

『修訂 大日本国語辭典(冨山房/昭和14〜16年)』
「まことのあに。同父母の兄。(義兄などの対)。」

『模範新辞典(金鈴社/昭和27年)』
「項目なし」

『広辞苑(岩波書店/昭和30年初版)』
第一版「父母を同じくする兄→義兄。」
第二版「同前」
第三版「同前」
第四版「父母を同じくする兄。実の兄。」(義兄との対比をやめています)

『新訂 大言海(冨山房/昭和31年)』
「項目なし」

『新言海(日本書院/昭和34年)』
「実際の兄。両親を同じくする兄。」

『角川国語辞典(角川書店/昭和44年)』
「父母を同じくするあに。[対]義兄。」

『新明解国語辞典(三省堂/昭和46年)』
「(義兄と違って)同じ父(母)から生まれた兄。実の兄。」

『日本国語大辞典(小学館/昭和47〜51年)』
「実の兄。同父母の兄。義兄などに対していう。」

『新総合国語辞典(旺文社/昭和53年)』
「項目なし」

『国語大辞典 言泉(小学館/昭和61年)』
「血のつながった実の兄。→義兄。」

『大辞林(三省堂/昭和63年)』
第一版「同じ親から生まれた兄。」
第二版「同前」

『日本語大辞典(講談社/平成元年)』:
「両親を同じくする兄。one's elder brother」

『現代国語例解辞典第二版(小学館/平成5年)』
「自分と血のつながった実の兄。←→義兄。」

『大辞泉(小学館/平成7年)』
「同じ父母から生まれた兄。」

『岩波国語辞典 第六版(岩波書店/平成12年)』
「同じ父母から生まれたあに。実のあに。」

▼国語辞書の論理とは?
 以上のように、国語辞書を調べてみますと、定義がまちまちです。
「実の兄」といった、単なる言い換えのような説明もあります。
「血のつながった」という表現もありますが、あいまいです。いろんなつながり方がありますから・・・。
「同じ父母」という表現が多数ありますが、これは父も母も同じと理解しています。
「義兄」と対応させた辞書も多いですが、これは論理が通りにくいです。
 対応するとは限りませんから・・・。

▼結局、辞書的定義では
 結局、大きく分けて、「実兄」の辞書的定義には、

(甲)父母ともに同じ兄(どちらかが違えば言わない)
(乙)父か母かまたは双方が同じ兄(どちらかが同じなら言う)

 ――の二種類があり、(甲)の辞書が多いが、(乙)の辞書もある。
 また、二種類の意味がある――と書いてある辞書は見つからない。
(なぜ、「二種類の意味がある」と書かないのか不明です)

▼「同母兄」の曖昧性
「同母兄」には、
(A)「同父同母兄」
(B)「異父同母兄」
 ――の二種類がありますから、「同母兄」だけでは厳密な表現にはなりません。
 しかし、天皇陛下の皇子皇女を論じている場合は、同父を前提としているので、厳密ではないが、間違えられる心配はないでしょう。
 おそらく歴史家は、そういう暗黙の前提のもとに、「同母兄」という表現を使っているのでしょう。
(以上は、兄を弟、姉、妹としても同様です)

▼法律用語
 ――としては、どういう定義がなされているのでしょうか?
 権利や義務は戸籍上の親子関係できまるから、以上の分類はあまり意味が無いのでしょうか?


◆◆◆ 8.神社あれこれ ◆◆◆

◆◆ 8.1 八幡大神 ◆◆

▼NHK
 見るともなしにNHKを見ていましたら、宇佐八幡宮の話をしていました。
 伝統的な美を強調する番組です。(たぶん再放送)
 映像はとても綺麗だったのですが、祭られている祭神の説明が、なんだか変でした。
 NHK的な偏りを感じました。

▼宇佐八幡宮のご祭神
 〈八幡大神〉〈神功皇后〉〈比賣(ひめ)大神〉
 ――という神名が出てきました。これは宇佐八幡宮の表現法なのですが、もっとも重要な〈八幡大神〉についての説明がまったくありませんでした。

▼宇佐八幡宮についての神道辞典の解説1
 戦後の『神道事典』(國學院大學日本文化研究所編)
 における宇佐八幡宮の項には、
「祭神:應神天皇、比賣大神、神功皇后」
 ――とあります。

▼宇佐八幡宮についての神道辞典の解説2
 戦前の『神道大辭典』(臨川書店による戦後の復刻)
 における八幡宮の項には(少し意訳)、
「八幡宮は應神天皇を中座として左右に比賣大神と神功皇后を配して、三座を一体として奉祀する。左右二座については異なる場合もあるが、主祭神に至っては一貫して動かない。中には應神天皇一神をもって八幡宮として奉祀する神社も少なくない」

▼宇佐八幡宮そのもののホームページの解説
 由緒のところに、つぎのようにあります。
「八幡さまは應神天皇の御神霊」

▼八幡大神を通常の辞書でひきますと、次のようにあります。
 八幡大神は、應神天皇を中心として二神を配したものとされるのが一般で、時には應神天皇のみを八幡大神とすることもあります。

▼なぜ應神天皇が出てこない?
 NHKが、なぜ應神天皇を隠してしまったのか、その理由は推理できます。
 應神天皇は日本を周辺まで統一し、さらに朝鮮半島奥地にまで遠征して、任那を確立し百済を一種の係属国とした天皇で、したがって武力を尊ぶ源氏の崇拝をうけ、源氏の氏神様となった偉人です。
 NHKは、武によって朝鮮半島にまで進出した天皇の名を出すのが嫌だったのでしょう。そしておそらく、任那を認めるのも嫌なのでしょう。(オロモルフの邪推なら幸い)

▼古代の物語
 八幡さまがいつから祀られ、いつから應神天皇の神霊という信仰ができたのかについては、いろいろな議論があって、わからないことが多いそうです。
 しかし、千年もの間、全国二万五千もの八幡様とともに應神天皇として崇敬されてきたことは、歴史的事実であり、それを嫌って言及しないのでは、解説にならないと思います。

◆◆ 8.2 珍しい番組 ◆◆

▼今朝のNHK第一で、珍しい番組がありました。
 神社の話ですが、寄木神社(たぶん品川の海の近くで、日本武尊や弟橘姫がご祭神)に参拝して、珍しい狛犬とか、あれこれを説明。
 解説者は外山さんという人で、全国の神社一万社以上を廻っているという凄い人。
 小さな神社なのですが、じつはこの神社の狛犬については、前にある落語家で全国の狛犬を研究している人が、紹介しておりました。

▼さて、ここからです。
 古い神社の話はNHKでも時々出てきます。
 しかし、そういう神社探訪番組を見ておりましても、探訪者や記者が拝殿で参拝している姿って、ほとんど見ないのです。
 で、いつも不満に思っていたのですが、今回はその外山さんが、「二拜二拍手一拜」という作法をレポーターに説明しながら、きちんと参拝しておりました。
 さらに説明して、手を合わせるお寺の拝みかたとは違う――と念を押していました。
 それを見てその番組のゲストらしい女性が、「今までお寺式に拝んでいたが、これからは・・・」――と述べておりました。
 こういう点が、ひじょうに珍しい番組だと思った次第です。
(タレント諸氏の神社での態度はメチャメチャですが、オロモルフが見ました唯一礼儀作法のきちんとしたタレントは、林家三平の奥さんと林屋こぶ平など息子娘たちでした)

◆◆ 8.3 江戸人の好きな習合神 ◆◆

▼箱根神社
 ある土曜日に、箱根園と箱根神社に行ってきました。
 孫が箱根園の水族館に行きたいというので、そのついでに箱根神社に行こうと、ついて行きました。家族四人の小旅行です。
 足の痛みが心配でしたが、電車とタクシーがほとんどなので、大丈夫でした。
 箱根園はほんとうにチャチ。芦ノ湖の景色でもっております。
 箱根神社は、いわゆる田舎の由緒ある神社という趣でした。
 宮司さんが熱心なためか、二拜二拍手一拜という教えが、あちこちの看板に書いてありました。日の丸も掲揚されておりました。

▼ご祭神
 箱根神社のご祭神は、瓊瓊杵尊、木花咲哉姫命、彦火火出見尊で、日本神話のエリート一族です。
 駒ヶ岳の麓に立派な社殿がありますが、駒ヶ岳の頂上に奥宮があります。その奥宮のそばに、大元は第五代の孝昭天皇の御代(!)にできたという立て札がありました。超古いですが、要するに綺麗な山を神として古くから祈っていたのでしょう。
 本格的な創建は、757年で、箱根権現とも言われるように、インドの神様が日本に来て日本の神として示現したといわれます。つまり、仏教からできた神社で、明治になって中心がお寺から神社になったらしい。
 源頼朝を助けたとされ、武家の信仰を集め、いまでも、選挙になると「戦勝祈願」の政治家秘書さんが、大勢来るそうです。
 巨大な杉が凄い! そうとう古そうです。
 ロープウエイで駒ヶ岳頂上まで行きましたが、じつに庶民的な感じの二人連れがたくさん。それと、なんだか下品な外人さんも何人か・・・。

▼仏教から出たと言えば・・・
 オロモルフは、若いころ、父親に連れられて、いくつかの社寺に行っていました。
 赤坂のお稲荷さん(豊川稲荷)、浅草の聖天さま(待乳山聖天)などです。
 祖母は、不忍池の弁天様を熱心に拝んでおりました。
 面白いのは、どれも、インドの神が仏教の守り神となって日本に紹介され、それが日本の神になってしまった(らしい)神様であることです。
 豊川稲荷は、豊川市のお寺のお堂のダキニテンで、インドの神が日本に来て(語呂合わせで)狐の精になってしまったらしい。大岡越前が江戸に勧請したものらしいです。
 聖天様も、歓喜天といって、象の頭をした仏教の守り神です。
 弁財天は、もちろん、インドから来た女神で、日本に来てからは、日本神話の市寸嶋比売命(天照大神の娘で厳島神社などのご祭神)といっしょになってしまいました。
 由来はともかくとして、私の祖母は旗本の娘で、かつ江戸商人に親戚がたくさんおりまして、そういう人たちが信心する雰囲気の中で、父が熱心になったらしいです。
 地図で見ると、不忍池の弁天さんはお寺だし、江ノ島の弁天様は神社です。
 豊川稲荷はお寺の別称でもあるそうですが、地図では神社マークです。

▼共通点は芸者さん!
 こういうごちゃごちゃした社寺に集まるのが、江戸庶民の好みだったようで、これらの共通点をあげますと、戦前は芸者さんが熱心に信仰していたという事です。

▼箱根神社の御神札の袋にあった御製御歌
 目に見えぬ神にむかひてはぢざるは 人の心のまことなりけり 明治天皇御製
 朝ごとにむかふ鏡のくもりなく あらまほしきは心なりけり 昭憲皇太后御歌
(ともに有名な歌です)


◆◆◆ 9.嗚呼戦後日本の象徴/小泉総理訪朝 ◆◆◆

『嗚呼戦後日本の象徴』 投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月22日(土)13時10分34秒

◆李承晩ライン
 韓国は、昭和27年に李ラインを日本海に一方的にひいて領土権を主張し、平和に操業していた多くの日本漁船を拿捕し、3900人もの漁民を拉致し、そのうえ竹島を占領してしまいました。

◆韓国・北朝鮮が得た教訓
 これによって両国は、貴重な教訓を得ました。
◎教訓1
「日本人を拉致すると、日本は怒って返せと詰め寄ったり攻めてきたりするどころか、少し返しただけで沢山のお金をくれる」
◎教訓2
「日本の領土を占領すると、日本は怒って返せと詰め寄ったり攻めてきたりするどころか、お金をくれて、しかも領土は占領したままでも、ニコニコしている」

◆韓国・北朝鮮が得た教訓の結果
◎結果1
「推定400人もの拉致事件が起こった」
◎結果2
「竹島はすでに韓国領になってしまったので、次は対馬を韓国領にしようと張り切っている」

◆日本の外交
 日本の外交は超弱体だと思いますが、仮に手練手管に長じた愛国者が外交をやったとしても、限界があるでしょう。
 アメリカが特許や著作権を武器に世界制覇を狙って奏功しつつあるのは、独創力の他に外交力があるからであり、さらに外交力の背後に強大な軍事力があるからです。
 日本はその両方が無いので、ドンドン真似されてしまいます。

◆軍事力の中核
 さらにその軍事力の中核は何かといいますと、当然ながら、「核兵器」です。

◆朝鮮半島との困難な関係の歴史
 これは古代からで、二千年の間、日本の安全をおびやかし続けております。
 統一新羅の前に北朝鮮を支配していた高句麗は、日本に「お前の国はオレの国より下だから、いろいろと教えてやろう」という国書を送ってきました!
 朝鮮の大元をつくった新羅は、間諜を派遣して、日本の「三種の神器」の一つの「草薙剣」を盗みました!
 その後の平安時代以降も、侵犯事件は無数にあります。


『小泉訪朝』 投稿者:オロモルフ  投稿日: 5月23日(日)13時22分18秒

▲小泉訪朝に思う。
 昨日の日記『嗚呼戦後日本の象徴』に書いた昭和27年の教訓1のとおりの結末です。
 たくさん拉致して、少し返せば、日本は金品をくれて感謝する――という、昭和20年代からの歴史の(相手国にとっての)教訓です。
 今回の小泉総理が成功したとか失敗したとかいうのは、前の総理(たとえば村山総理)との比較の問題もあり難しいですが、マスコミが戦後日本の歴史の流れ(大げさにいえば2000年前からの歴史の流れ)の一環としてこの問題をとらえていない――という事が問題だと、感じます。

▲テレビを見ていて思い出すこと。
 テレビで、成功・失敗、賛成・反対・・・と議論しているのをチラと見て、思い出すことがあります。
 昭和27年の李ライン問題で日本は散々な目にあい(ふつうの国なら戦争を起こすような目にあい)、それをお金を払うことで解決したわけですが、さまざまな後遺症がありました。
 たとえば、海底ケーブルの修理の船が危険な海域に行くとか行かないとかいう問題で、共産系の組合と社会党系の組合と企業(国)とが三つどもえの(国内での)争いをおこし、裁判がエンエンと続いたのです。
 韓国はこれを見て大笑いだったでしょう。
 戦前の日本ならば、日本人は一致団結して相手に立ち向かったのですが、アメリカに占領されてからの日本は、まず第一に国内で足を引っ張り合って時間をつぶし、相手を哄笑させてしまうのです。
 海底ケーブルの件も、世にも情けない結末でした。

▲裁判員法の不思議
 反日的な団体が反対していないのが、なんだか不気味です。
 一般の常識人がみんな辞退し、特定の思想の持ち主だけが辞退しなかったら、どうなるんだろうか?


◆◆◆ 10.皇室についての噂話について ◆◆◆

◎以下のことは、本や雑誌で散見される皇室がらみの噂なのですが、詳しいことがわかりません。
 どなたか、きちんとした資料をご存じないでしょうか。

◎甲:――
 皇太子妃時代の美智子皇后陛下が、宮中で聖書を広めるべく講読をはじめたため、昭和天皇が激怒され、美智子皇后が昭和天皇の前でひれ伏して(土下座して)詫びた事件。
 このとき、肝心の夫である現天皇陛下がどのようなご意見だったのか、分からないのですが、放置しておられたのでしょうか?
 この件以来美智子皇后陛下は日本の歴史を勉強されたらしく、先般の英語で読書の重要性を訴えた講演記録にも、日本神話は出てきますが聖書は出てきません。

(なお、戦後の皇室ではキリスト教徒が懸命の布教活動をして、香淳皇后はすっかり洗脳されて賛美歌を歌っておられ、宮様方も洗脳され、かろうじて昭和天皇のがんばりで皇室のキリスト教化が阻止されたという話)

◎乙:――
 戦後、占領軍のキリスト教徒から教育を受けられた今上天皇陛下は、戦後の現憲法がお好きで、憲法改正の動きに対して「平和憲法を守れ」という「みことのり」を言われて、一部の人たちが怒って、「天皇は退位せよ」と叫んだという事件。

◎丙:――
 現在の皇太子殿下は、どういう教科書で日本の歴史を勉強なさったのでしょうか?
 学習院および宮中で。

 こういう話はチラチラとは見かけるのですが、これらに的を絞って書かれた本は、どこかにあるでしょうか?


◆◆◆ 11.皇太子殿下の御文書と違和感 ◆◆◆

2004/06/09 (水) 12:23:03 オロモルフ号の航宙日誌600『違和感』

▼皇太子殿下の御文書
 ――が、昨日テレビで報道されました。
 また、宮内庁長官の会見模様も。
 しかし、釈然とせず、違和感を持ちました。
 皇室の方々も、宮内庁も、その他の人たちも、問題の本質から目を背けているように思えてならないのです。

▼問題の本質
 ――は、皇族の少子化と、それを改善する努力が見られないことにあります。
 皇太子と妃殿下のご出産のことだけではありません。
 それは、現在の科学と法律のもとでは、やむをえないことであり、ご夫婦には何の責任もありません。
 問題は、そのような事への備えが、戦後の皇室/皇族にも宮内庁にも政府にもまった無かったという事です。
 たとえば、将来の皇太子のどなたかが、ご結婚なさったとして、その妃殿下が事故か病気で出産不能となり、かつ、他の皇族にも男子がおられないケースというのは、十分に考えられるのですが、それへの事前の対処がまったく出来ていなかったという事です。

▼対処とは?
 いろいろありますが、女性天皇云々は、別の話です。
甲:たとえば代理出産のような科学的方法が採用できるように、法律を改正する。
乙:皇族の範囲を増やす。具体的には、第四世の孫までを皇族とし、現在の第三世孫の女王方が結婚なさっても皇族に止まるようにし、そのお子さん方も皇族とする。
 この甲乙を即時実行するだけで、女性天皇を認めなくても、事態は大幅に改善されます。
(現在皇族には、これから結婚なさる年齢の方が九名おられますが、その全員が女性です)
 甲については、あまり言われた事がありませんが、乙はすでに何人かの方が主張しておられることです。

▼お願い
 このような事は、露骨には言えないでしょうが、何らかの間接的表現で、天皇陛下や皇太子殿下が言われれば、世の中は大きく動くと思います。
 お歌で表現なさるとか、内廷以外の皇族の御発言を利用なさるとか・・・。

▼心配なこと
 とても心配なのは、今上天皇陛下も皇后陛下も、戦後民主主義的なご発想での行動やご発言をなさった事があることです。
 そして、昭和天皇のような皇室の歴史の勉強はしておられません。
 前に、皇太子殿下と趣味の面でお付き合いのある方の本が出版されましたが、その編集者と話したことがあります。その雰囲気から、皇太子殿下の今後についても、とても心配になりました。


◆◆◆ 11.万世一系の誇りとは ◆◆◆

オロモルフ号の航宙日誌643『万世一系』

◆ほかの掲ヲ板で「万世一系」が話題になっていましたので、少し調べてみました。
 オロモルフにとっては自明のことで、その定義がどうの、といった事は考えたことがなかったのです。

◆「万世一系」という思想は、いつごろから文献に現れたのでしょうか。
 この言葉は明治憲法の第一条にあって有名になったらしいのですが、明治憲法が出る前に、どのような文献に出ていたのでしょうか?
 その精神は、どうやら、北畠親房の『神皇正統記』のようです。

 巻一に、つぎのようにあります。
「(天竺に似た面もあったが・・・)されど是は天祖より以来、継体違はずして唯一種まします事、天竺にもその類なし。」
「唯我が国のみ、天地開けし始より今の世の今日に至るまで、日嗣を受け給ふ事邪ならず。一種姓の中におきても、おのづから傍より伝へ給ひしすら、猶ほ正に帰る道ありてぞたもちましましける。これしかしながら、神明の御誓あらたにして、余国に異なるべきいはれなり。」
 これを簡明に言えば「万世一系」の誇り――という事になるのでしょう。
 暴力によって乗っ取られたことがないし、多少の問題があっても、また元に戻っている――という誇りが、万世一系の精神なのだろうと思います。
『神皇正統記』は南北朝正統性を争っていた時代に天皇の帝王学のために書かれたものですから、とくに強調したものと思われます。

◆ほとんど同じ言葉。
 巌垣松苗(東園)の『国j略』(1826年刊行)に、
「歴正天皇、正統一系、亘万世而不革」
 ――とあるそうです。
 これから「万世一系」という言葉を使ったのかもしれません。
 巌垣は、江戸後期の漢学メ。

 それから、書経に、
「万世永頼、梍T功」
 ――という言葉があるとか・・・。

◆いくつかの愛国メの本から
 伝わってきますのは、血統が続いているという事もありますが、別種の豪族が武力暴力によって先帝一族を殲滅して自分が次の天皇になる――といった、世界の他の国々のようなことはなかったという日本の――超長い――歴史を誇りにしているように思われます。
 天皇陵にしたって、2000年も前のお墓を、その当桙フ人の直接の子孫であるわれわれが、同じような作法で参拝しております。
 こんな国は世界のどこにもありません。
 他の国では、こういうものはほとんど観光用の遺跡です。


◆◆◆ 12.韓国の猛追と日本の油断 ◆◆◆

『韓国の猛追と日本の油断』 投稿者:オロモルフ  投稿日: 6月18日(金)13時36分41秒

◎いろんな掲示板で、韓国批判が渦巻いております。
 そのなかには、韓国の工業面での力の無さを指摘するものも多いです。
 韓国が猛烈に真似をして、それを恥じる文化が無いらしいことは、オロモルフも感じております。
 しかし同時に、韓国を批判する論客の中にも油断があると感じます。
 そのことを数値で示します。

◎1975年における、特許実用新案出願数の日韓比較

日本:314110
韓国:  8378

人口十万人あたりにすると、

日本:248
韓国: 18

すなわち、韓国は日本の7パーセントに過ぎませんでした。

◎2000年における、特許実用新案出願数の日韓比較

日本:388879
韓国:110195

人口十万人あたりにすると、

日本:313
韓国:233

すなわち韓国は日本の74パーセントに達したのです。

◎韓国の猛追
 日本と韓国の特許制度は、前はほとんど同じでしたが、最近では違っております。
 したがって、74パーセントという数字は、実態で言えばもう少し減ると思います。
 それにしても、ほとんど無視できた25年前とはまったく違っております。
 韓国が25年間で十倍になったのに対して、日本はほとんど変わらないのです。
 じつは日本は、バブル以後、かなり減ったのですが、韓国はこの20年、増え続けているのです。
 アメリカへ出す特許でも、韓国企業は日本を猛追しています。

◎批判と同時に、日本もしっかりせねば!

 オロモルフも韓国への批判はかなり持っておりますが、それよりも心配なのは、日本人の油断です。
 テレビを見ますと、何だか惚けてしまったような日本の若者(オロモルフより若いという意味ですので、70歳以下という意味です)が多いようで、心配です。
 発明特許で欧米と死闘を演じた明治人とは、まったく違う人種になってしまったようです。


◆◆◆ 13.毒入り飲み水事件 ◆◆◆

▼オリンピックに想う

 オリンピックでの日本選手の活躍を見て、思い出すことがあります。

 山本忠興先生という有名な先生が早稲田におられました。
 電気の専門家で、モータの研究で優れた功績をあげ、第一回の十大発明家に選ばれた先生です。
 早稲田の理工学部の創立に貢献して、二十三年間も理工学部長を務めました。
 また、多くの大学や専門学校の創立に尽力しました。

 明治時代にドイツの大学に留学して、電気工学で有名なアルノルト教授に学んで大きな成果をあげ、その後アメリカのGE社の有名なスタインメッツ博士にも学びました。
 ドイツからアメリカに渡るとき、アルノルトがスタインメッツにあてて書いてくれた紹介状には、「日本人は驚くべき人種です」と書かれていたそうです。

 山本忠興先生は、学術研究だけではなく、アジアの留学生を早稲田大学に数多く受け入れて親日家を育てました。
 また、学生スポーツの振興にも尽力しました。
 たとえば、

 昭和三年のアムステルダム五輪で総監督
 昭和七年のロサンゼルス五輪で陸上監督

 などを務めました。

 この山本先生が、昭和5年、世界学生選手権大会で総監督となり、学生スポーツ選手をひきつれてヨーロッパを転戦したとき、ドイツの競技会にも出ました。
 そして優れた成績をおさめました。

【【【【【 ところが、ドイツ人はそれを妬み、あるドイツ人が飲み水に毒を入れてテーブルの上におきました。】】】】】

 うっかりそれを飲んだスポーツ選手は、次々に倒れ、運動どころではなくなりました。
 今なら、大いに抗議するでしょうが、当時の日本にはそういう力はありませんでした。
 山本先生は、ドイツに留学した経験もありますし、また日独の親善にも努めていた人でしたが、それでもどうにも出来ず、殺されては大変だと、必死で逃げ帰ったそうです。
(山本忠興伝より)

 こういう苦難を、明治・大正生まれの方々が必死になって克服して、日本選手はオリンピック金メダルを、アジアの先頭を切って、獲得するようになりました。
 それから50年以上たって、他のアジア諸国、中国や韓国がたくさんのメダルをとるようになりました。

 日本人は――とくにマスコミの人たちは(ついでに近隣諸国も)――戦前の山本忠興先生たちの辛酸を忘れるべきではないと思う次第です。


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