■■■ オロモルフのエッセイ集6 MISC(オロモルフ)■■■


◆◆◆ ▼日露戦役と時計の件 ◆◆◆

 前に日露戦役中の軍艦の時計について質問しましたが、書誌家の方や船の研究家の方から少しずつ資料を戴きまして、だいぶ分かってきました。
 まだ具体的な事(たとえば「信濃丸」のどことどこに航海用の時計が据え付けられていたのか、など)は分かりませんが、常識は出来てきました。
 もう少し資料が集まったら、纏めたいと思います。
 それにしても、(戦争であっても)五分や十分の遅れは遅れのうちに入らなかった明治って、良い時代でしたね。


◆◆◆ ▼天気予報 ◆◆◆

 本当に当たりません。
 地デジが入るようになって、住んでる町の天気予報が出るのですが、直前(三時間前)のものでも当たりません。
 当たらなかった理由の説明も無いし、お詫びもありません。
 毎日毎日、半分しか当たらない天気予報を流し続けております。地デジの天気予報ほど役に立たないものはありませんね。
「明日の天気はだいたい今日と同じでしょう」
 ――と言っておくのが一番当たる確率が高い、という笑話があります。


◆◆◆ ▼テレビ ◆◆◆

 今日は朝から「鬼平」と「剣客商売」を見て、将棋NHK杯を見ていたら、もう疲れてしまったので、やめました。
 午後からラグビーもあるし、仕事になりません。
「剣客商売」の新しいシリーズの息子役の山口馬木也って、ああいう役に似合いますね。前の配役よりずっと良いです。
 素朴で生真面目で強くて親孝行で・・・と、世の親にとっては理想の息子ですよ。


◆◆◆ ▼パクリ新幹線 ◆◆◆

 ――が世界記録を出したとか、新聞で話題ですけど、そんなこと、わかりきっていました。
 目先の利益を求めて結果大損するという思慮の浅い日本人が多すぎます。
 武士は食わねど高楊枝でやってほしいけど、金の亡者が多いですから、無理でしょうね。
 私は日露戦争とか発明特許史とか、いろいろと書いてきましたから、中国人の性格については戦前から心ある日本人が警告していた事を知っていますし、騙された戦前の日本人も多い事を知っています。
 なのに、いつまでたっても学習しないんですね。


◆◆◆ ▼竹島はどこへ行った? ◆◆◆

 昨日の新聞に雑誌「正論」の広告が出ていました。
 この雑誌はだいぶ長いこと購読していましたが、最近になって家計節約のために購読中断しました。面白そうな号だけ買います。
 で、興味を持って広告に有った(かなり詳しい)目次を見たのですが、尖閣とか北方とかは有りますが、竹島という文字は見えませんでした。
 尖閣は今のところは占領はされていません。
 日本の領土なのに外国に占領されているのは、ロシアに占領された北方四島と韓国に占領された竹島です。
 二つの占領された領土のうち、法的に日本にとって有利なのは竹島です。北方四島は多少微妙なところがあり、米国との関係もありますが、竹島はそういう微妙な事はありません。法的に明かであり、米国との取引もありません。
 なのに、竹島だけが、一般雑誌の中ではもっとも右よりと思われる「正論」にすら出ていないのは、とても不思議です。
 マスゴミは、占領されてしまった島はもう忘れろ――とでも思っているんでしょうか。


◆◆◆ ▼目立つ尾行者 ◆◆◆

 テレビのミステリーを見ていていつも思うのですが、じつに見つかりやすい尾行をしますね。
 潜入捜査もそうです。
 あれじゃ、たちまち気づかれてしまうではないか――と、いつもテレビの前で叫んでおります(笑)。
 もともと俳優さんというのは、目立つ人柄だと思います。目立つのが好きだし風貌も目立ちやすい。
 そういう人たちが、テレビ映りの良いように演技するわけですから、じつに分かりやすい尾行者になるのでしょう。
 現実に潜入捜査を若いころしていた――という人と話した事がありますけど、じつにもう、分かりにくい御方でした。
 一時間くらい話して別れたあと、その人の風貌を思いだそうとしても、どうしても思い出せませんでした。顔も声も体つきも、およそ特徴が無いのです。
 そういう人でないと、本当の尾行は出来ないのだと思います。
 あと、ミステリードラマに出てくる一般市民の人たちって、じつによく他人の顔とか車とかを覚えていますね。これも驚きです。
 私なんか、車に乗っていたのか自転車だったのかさえ、忘れてしまいます。


◆◆◆ ▼外出 ◆◆◆

 昨日は久しぶりに小田原まで外出したので、四時間ほどでしたけど、疲れてしまって、木村駿吉の話は略します。
 往復に二時間、買い物が二時間です。
 小田原の駅も、私が近くに転居したときとは、ずいぶん変わりました。
 綺麗になりました。
 駅ビルが出来、なんとか恰好がつきました。
 有隣堂も進出しました。
 駅の近くをフラフラと歩いていると、道ばたで津軽三味線とかいうのを凄い勢いで弾いている人がいました。
 結構上手かったです。
 閑そうな人がそばでじっと聞いていました。
 お金は出していないように見えました。
 それから小さな喫茶店で少し休みました。かなり古い喫茶店のように見えました。
 駅の周辺は全部が裏通りのような感じです。
 帰りに駅ビルの屋上から小田原城を写しました。
 むろん昔からのものではありません。
 象の梅子さんも死んでしまいましたね。
 昔は、小田原城の周囲が動物園になっていたらしく、今でもその名残があり、長生きの動物がひっそりと暮らしています。
 なんだか、死ぬのを待っているような雰囲気でもあり、気の毒にもなりますが、予算の問題があるのでやむを得ないのでしょう。
(駅前が変わったといえば、藤沢駅周辺も凄い変化ですね。私が初めて藤沢駅を降りた時は、ほんとうに田舎の駅前という感じでした)

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◆◆◆ ▼地点数字の合理と不合理 ◆◆◆

 日露海戦にあたっては、秋山眞之を中心とする天才的な参謀たちが、最大限の工夫を凝らしています。
 その工夫には、陣形などもありますが、私としては情報伝達の方法に興味があります。
 その一つに「地点記号」があります。
 海上のある地点を表現するのに、「北緯・・・東経・・・」といった長い表現を使ったり、「xx島西方##浬」といった曖昧になりがちな表現を使うのではなく、アルファベットや数字を用いる方法です。
 これによって、地点の表現がきわめて短い文章や電文で可能となり、またとても精密になりました。
 アルファベットによる表現では、たとえば、聯合艦隊が待機して砲撃の猛練習を行った鎮海湾奥は「C地点」と呼ばれています。また対馬南端と壱岐北端を結ぶ線の中央は、バルチック艦隊が通過した重要地点ですが、ここは「TU」地点と呼ばれていました。

 もう一つの数字による地点表示は、「敵艦隊見ユ 地点203」で有名となりましたが、三桁の数字を海域に規則正しく割り振るものです。
 北緯東経ともに10分おきに線を引き、その交点に三桁の番号を付けたのです。
 そして、西から東へ10分すすむごとに数字を1だけ増やし、陸地にいたると折り返して10分北の西端へすすんで、また西から東へ数字を増やす・・・という方法です。

 203附近を例示してみます。
 北緯33度20分東経127度40分=200
 北緯33度20分東経127度50分=201
 北緯33度20分東経128度00分=202
 北緯33度20分東経128度10分=203
 北緯33度20分東経128度20分=204
 北緯33度20分東経128度30分=205
 ・・・・・・

 このあたりはきっちりとしており、海軍参謀中枢の合理性を感じ、感心します。
 しかし私はあるとき、不合理?な番号付与がなされている海域がある事に気づきました。
 何カ所かあるのですが、たとえば、北緯34度10分の線を見てみます。
 もし地点203のあたりと同様だとすれば、

 北緯34度10分東経128度30分=330
 北緯34度10分東経128度40分=331
 北緯34度10分東経128度50分=332
 北緯34度10分東経129度00分=333
 北緯34度10分東経129度10分=334←
 北緯34度10分東経129度20分=335
 北緯34度10分東経129度30分=336
 北緯34度10分東経129度40分=337
 北緯34度10分東経129度50分=338
 北緯34度10分東経130度00分=339
 北緯34度10分東経130度10分=340

 のようになる筈です。
 ところが実際には、地点340というのは、10分だけずれていて、

 北緯34度10分東経130度20分=340

 なのです。
 なぜか、お分かりでしょうか。
 じつは、
 北緯34度10分東経129度10分
 という地点は、対馬の陸地であり、そこには地点番号はつけられておらず、したがって1番ずつずれて、東経130度20分が340になっているのです。

 こういう番号の飛びは別の箇所にも有りますが、これは地点番号をとても分かりにくくしています。
 陸地だろうが海上だろうが、緯度経度の順に規則正しく番号を振ればいいのに――と思います。
 私には分かりませんが、海軍なので、海上のみを見て番号を振るのが当然だったのか、それとも陸軍との縄張り?でも有ったのでしょうか・・・?
 秋山眞之のような合理精神で固まっていたような人が、こういう例外のある番号の振り方をするのは、どうも得心がゆきません。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4868『世相家事雑感』◆◆◆

▼最近の和製宇宙探査機

 ――は、失敗が多いですね。
 事前に十二分のテストをしたんでしょうか?
 日本の技術水準が心配です。
 新技術には失敗がつきものですから、絶対ダメとは言いませんが、やはり責任者は責任を取るべきだと思います。
 青い顔で頭を下げればすむ――というものではありません。
 少し前の「はやぶさ」はよくやった、との報道には違和感があります。
 血税ですから・・・。

▼我が意を得たり!

【ストックホルム=木村正人】ノーベル化学賞受賞者の根岸英一・米パデュー大特別教授(75)が6日、ストックホルムで本紙のインタビューに応じ「地球温暖化を防ぐため二酸化炭素(CO2)排出量を減らしましょうというのはばかげた方法だ。もっとCO2がほしくなるようにもっていかなければ」と語り、水とCO2から炭水化物や酸素をつくる光合成を人為的に起こす研究の必要性を強調した。インタビューの要旨は次の通り。

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http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101207/erp1012072037010-n1.htm

 私が普段からこの掲示板で再三再四主張していた事を、ノーベル賞の根岸教授が言って下さいました。
 空気中の二酸化炭素(炭酸ガス)はじつに貴重な資源であり、これを活用すれば、石油も出来るし食料も出来ます。
 出し放題の中国や米国が何もしないで、日本だけが節減節減を強制されるのは、じつにバカバカしい話です。
 日本は技術力をもって逆手を取るべきです。中国が炭酸ガスを出せば出すほど、日本の資源が増すのです!

▼スシ食いねえ

 森の石松が清水次郎長の代参として四国の金刀比羅宮にお礼参り(仇討ちに成功したお礼)をした帰り、船で江戸っ子が次郎長の話をしているのを聞いて、その子分の大政小政は出てきても森の石松の名がなかなか出てこないので焦れて、
「わすれちゃあいねえか」
 ・・・
「江戸っ子だってねえ」
「神田の生まれよ」
 ・・・
「スシ〜食いねえ、酒もってこい」
 ・・・
「バカは死ななきゃなおらねえ・・・」
 という漫才調の掛け合いの面白さは、あまりにも有名。
 私はテレビでしか見ていませんが、浪曲も聴いたし、ドラマでも何度か見ました。
 数日前には杉良太郎の「次郎長三国志」でその場面をやってました。
 的場浩司の石松役はまあまあとして、他の配役に少々不満はあるものの、こういう場面を最初に創作した人って偉いですね。
「旅姿三人男」の作詞作曲者も偉い。あれ一曲で名を残しました。
(大政、小政、森の石松の三人)
 ところで、「次郎長三国志」の作者の村上元三の名を聞くと、いつも思い出すのは「佐々木小次郎」です。
 終戦まもないころ、新聞連載を熱心に読んでいました。
 戦争中に疎開先の親戚の家で吉川英治の「宮本武藏」を読み、それで佐々木小次郎の名を知っていたので、夢中になったのです。
 食べ物に飢え、活字に飢えていた時代です。


◆◆◆ ▼名探偵モンク ◆◆◆

 最近名(迷?)探偵モンクをよく見ています。
 とくに選んで見ているわけではなく、ちょうど茶の間で食事している時間帯に放映されるからです。
 少々わざとらしいけど、面白いです。
 日本の探偵ものと違って、なかなかネタが割れませんし、最後に拍子抜けするようなこともありません。
 外国の推理ドラマを見ていますと、日本の同種ドラマがいかに影響受けているかが分かります。時々そっくりなのもあります!
 小説でも、それがあるらしいですね。賞を貰った作品がじつは・・・といった話を、前に評論家の方から聞きました。
 外国の真似ではない日本独自の推理ドラマの筆頭は、なんといっても、観光案内を主目的にしたシリーズですね。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4873『世相家事雑感』◆◆◆

▼墓参

 日曜日は東京青山に墓参に行ってきました。
 子供たちやお嫁さんなども一緒に。
 それから、息子の一人がやっている診療所に医療機械の見学に行き、そのあと、新宿の中村屋で軽食を食べて解散。
 胃カメラとか超音波とか、いろいろ見ましたけど、医療機械って値段が高いので大変ですね。あと、お医者さんって、患者さんの容態が急変したりするので、休む間がありません。戦前ですが、祖父が真夜中に呼び出されて往診に出て行くのを思い出しました。息子のところにも、墓参の最中、何度も電話がかかってきていました。老人ホームを担当しており、危篤になる老人が多いらしい。
 中村屋は個室を予約したので、落ち着けました。
 昔は個人でカメラなど持っておらず、とくに戦時中は写真など撮れませんから、疎開先の光景は、私が描いた下手な絵で残っているだけです。それらをデジカメに撮って配りました。疎開先は何カ所もあり転々としたのですが、いまや私の絵だけが当時を偲ぶよすがです。
 その中に、村の小学校の教室の教壇周辺の光景を鉛筆で描いたのがありまして、これは我ながら貴重だと思いました。
 あと、祖父が明治20年に医者になった時の卒業証書のコピーなど。これも見る機会はあまり無いと思いましたので。今まで保存している人は少ないでしょう。なにしろ、東大医学部という名前が出来る前のものです。
 七時帰宅。
 私ももう歳なので、けっこう疲れました。


◆◆◆ ▼立見尚文伝 ◆◆◆

 マツノ書店から、立見大将伝の復刻が届きました。

◎土屋新之助『立見大將傳』日正社(昭和三年十一月)

 立見尚文は、幕末から明治初期、そして日清戦争を戦った猛将で、日露戦争時にはすでに60歳でしたが、その才能を高く評価されて参戦。
 とくに黒溝台の奮戦は有名で、欧米では日本随一の戦術家として高く評価されました。
 歴史のイフですが、立見が日本陸軍にいなかったら、日露戦争は敗北し日本人は奴隷にされていたかも知れません。
 この本は、入手が困難な戦前唯一の伝記の復刻という事です。
 立見大將については、前に、

◎柘植久慶『常勝将軍 立見尚文(上下)』PHP

 をご紹介しました。
 日露戦争勝利から二年を経ずに没しましたが、日露戦争に心身をすり減らして没した軍人はたくさんいます。兒玉源太郎もそうですが、立見大將もその一人でした。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4881『世相家事雑感』◆◆◆

▼5パーセントとは?

 法人税を5パーセント引き下げるという話があります。
 この5パーセントというのが、私には分からないのです。
 ふつう5パーセントというと、100万円の税金が95万円になることを意味します・・・というのが私の感覚です。
 この感覚だと、現在が40パーセントだったとしますと、40×0.95=38ですから、38パーセントになるという事です。
 しかし事実は、40パーセントが35パーセントになるという事らしい。
 だとすると、私の感覚では、12.5パーセント下げると言わないといけません。


◆◆◆ ▼日本海「ノ」海戦 ◆◆◆

 日本語の「ノ」って、処理の仕方が難しいです。
 たとえば――
 明治38年5月27日から28日にかけて、日本の聯合艦隊がロシアのバルチック艦隊を打ち破った戦いを、東郷平八郎が「日本海海戦」と名づけました。5月30日のことです。
 これを佐世保から軍令部に送った電文では、「ニホンカイノカイセン」とされ、これを原文に直した受信紙には「日本海ノ海戦」と記されています。
 ですから、東郷平八郎の考えは「日本海ノ海戦」で、受け取った方がのちに縮めて「日本海海戦」にした――と解釈できます。
 しかし本当にそうか? と言われると、何とも言えなくなります。
 日本語の「ノ」は、つけたり消えたり、自在だからです。
 たとえば――
 丹波国は、発音する時は「タンバノクニ」という事が多く、「タンバクニ」とはあまり言いません。「ノ」を略する時は、「タンバコク」と音読みします。訓読みだと「ノ」が入り、音読みだと入らないようです。
 似たことは、多くの地名に言えます。
 人名にも言えます。
 摂津守は「セッツノカミ」で、漢字で書いたら消えている「ノ」が、発音すると出てきます。かといって摂津之守とはあまり書きません。
 日本語の「ノ」は出たり消えたり自由自在です。
 そういうわけで、東郷平八郎は「日本海海戦」と書いたが、それを電報に打つ時に、「ニホンカイノカイセン」と打ち、受け取った方が受信紙に「日本海ノ海戦」と記したのかも知れません。
 電報は有線でも無線でも、仮名しか打てませんから・・・。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4892『世相家事雑感』◆◆◆

▼プラグの抜き差し

 蘭姫のアンカを一日に二回、入れています。夕方と深夜の二回です。
 液体の入った袋を電気で暖めて、小屋に入れると、数時間は持ちます。犬自体の体温が高いので、もっと持つかもしれません。
 で、家の中で事前に電気で暖めるのですが、そのとき、テーブルタップからアンカまで、線をつながないといけません。
 じつはそれが大仕事なのです。
 テーブルタップにプラグを抜き差しするとき、とてもきつくて、私の腕力ではなかなか動かないのです。
 また、そのコードのアンカ側をアンカのコンセントに入れるのも大変です。品物によって楽に入ったりなかなか入らなかったり、すぐに抜けてしまったり・・・。
 毎日文句を言いながらやっております。
 ちなみに、テーブルタップはタイ製、アンカとコードは中国製です。
 たぶん、寸法を測ると基準値には入っているのでしょう。しかし入り方が昔の日本製とは違うのだと思います。昔の日本だと、許容が0.1以下とすると職人さんが頑張って0.01以下にするという伝統が有りましたが、たぶん外国では0.1前後になっているのでしょう。
 他にもコードの堅さが尋常ではなく曲がらないとか、紐がとても持ちにくいとか、いろんな事があります。
 いま国産にしたら、日本人もいい加減になっているので、似たようなものしか出来ないのでしょう。

▼テレビの案内役

 テレビでいろんな施設を案内するのに、若い女性が登用されてる事が多いのですが、なんだかとても空虚な発言が多いように思えます。
 昨日も美術家の施設案内がありましたが、なんだかとても表面的なような気がしました。
 温泉の案内などなら、まあまあですけど。
 テレビのニュース番組でも、意見を言わされる人たちの発言が、誰でも言えるような事だったり、空虚だったり、間違っていたり・・・することが多いです。
 しっかりした発言はとても少ないと思います。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4896『世相家事雑感』◆◆◆

▼咸臨丸の時計

 日露戦争海軍の時計について前に質問しましたが、ある方から、咸臨丸の話を教えてもらいました。
 それによりますと、日本側の航法責任者の小野友五郎は、クロノメーターを少なくとも三個所有していたそうです(どこ製かは不明)。このうち一個は途中で故障し、二個を使用したそうです。
 一方航法指導の米人ブルックは少なくとも八個所有しており、出港前に小野のものと比較したところ、その違いは24秒だったそうです。
 当時の時計としてはよく一致しています(小野のものは幕府の天文台で較正したと思います)。
 小野は数学者としても著名な人で、いろいろな天体観察をしており、ブルックを驚かせていますが、航海中のクロノメータの誤差はブルックのものが遙かに優っていたようです。
 以上のようなわけで、幕末の咸臨丸にもかなりの数のマリンクロノメーターが積まれていたので、明治30年代の軍艦にはかなりの数の高性能のクロノメーターが有ったと思います。
 しかし分からないのは、無電室にそれが置かれていたかどうかです。
 なお士官の中には自費で懐中時計を所有している人もかなり居たらしいです。
 聯合艦隊の無電室の時計についてはまだ未解決ですので、どなたか御存知でしたら教えて下さい。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4900『世相家事雑感』◆◆◆

▼無線技術の先駆者

 木村駿吉への評価は、戦前(昭和20年より前)と戦後でずいぶん違います。
 その最大の理由は、日露戦争への評価だと思います。
 これは高峰讓吉についても言えることですが、日露戦争は日本の侵略戦争だった――という曖昧な認識が行き渡っていましたので、日露戦争に貢献した木村駿吉は知名度が落ちましたし、高峰讓吉の日露戦争への貢献は伝記にもほとんど書かれなくなりました。
 そこで私は『発明特許の日本史』において讓吉の貢献を出来るだけ描くようにしましたし、日露戦争のために生まれてきたような木村駿吉伝を、『無線技術の日本史』として書いている途中です。
 軍人ではない貢献者ですら戦後は忘れられたのですから、まして無線電信に対する軍人の貢献は完全無視と言って良いでしょう。
 戦後無視された軍人で、日本の無線技術の歴史に逃すことの出来ない人物は、山本英輔です。
 山本英輔は軍人としてもきわめて有能で、勲章に囲まれた人ですが、技術面でも極めて有能で、第二艦隊の参謀になってからも無電の実験的研究を続けて、多くの資料を報告しています。
『極秘明治三十七八年海戦史』に沢山出ています。
 私が感心します山本英輔の貢献は、次のようなものです。

甲:明治36年、木村駿吉に協力していた時
1.アースの取り方の問題の解決。
2.検波器の性能向上に顕微鏡を導入したこと。
乙:明治37年から38年の戦役中
3.夜間の電波伝搬の定量的研究(山本現象=電離層反射)。
4.横架式アンテナの定量的研究(逆L型アンテナ)。

 とくに3.と4.は、木村駿吉や松代松之助も気づいて居なかった事で、明らかに「日本初」です。
 3.は日露戦役後に日本海軍が「山本現象」と名づけて大規模な実験を行っています。
 4.は、大正から昭和初期にかけてのアンテナの理論研究によって裏付けられた逆L型の先取りです。
 山本英輔の戦時中の研究は、日露戦争関連でかつ研究者が軍人であるため無視され続けてきましたが、日本の無線技術の歴史に絶対に記すべき業績だと思います。
 写真上は、日本海海戦において第二艦隊旗艦「出雲」の艦上に張った、山本式アンテナの形状です。事前に入念な実験をして、この形を採用したのです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4902『世相家事雑感』◆◆◆

▼浬とマイル

 日露戦役の無電機の調査をしておりますと、長さの単位で迷うことがあります。
 たとえば、海軍では、浬(海里)のことをマイルという習慣があるので、木村駿吉が「##マイル」と言うと、じつはこれは「##浬」のことだったりします。
 ですから、うっかり換算すると、何割も違ってしまうのです。
 陸軍はまた別ですし、とてもややこしいです。
 こういう換算の間違いは、インターネットにも時々見られます。
 旧暦と新暦の換算もそうですね。
 有名な資料集の中で、年は換算されず月日だけ換算されている旧暦を再度換算して変な新暦表示になっているものを発見しました。
 さらに明治時代には、単位の表記に珍しい漢字を使っていて、それが崩し字ですから、判読に苦しむことが多いです。

▼無電の到達距離

 日露戦役時は技術未発達の時代ですから、当時の軍艦や望楼の無電の到達距離は、じつに様々です。
 一応三六式では80浬ということになってはいますが、それは条件の良い場合であって、実際には40浬しか届かなかったり、いろいろだったようです。
(駆逐艦にも無電機を積みましたが、こういう小型艦は最初から20〜30浬程度です)
 その原因はじつに多様でして、とても簡単に表現はできません。
 電源の性能から諸部品の性能のバラツキもありますが、もっとも大きいのは、アンテナの張り方だったようです。
 なにしろ軍艦の上はマストや煙突や無数の鋼鉄線があり、それらがすべて電波を妨害していまして、張り方の形状によって電波の送受効率がまったく違ってきてしまいます。
 しかも方向性があります。ある方角にはよく出るが、別の方角には出ない――という事が顕著にあります。なにしろ軍艦そのものが細長く、そこに煙突やマストや鉄線が有るわけですから・・・。
 それが双方の軍艦の向きで違ってきますから、話はとてもややこしく、AB二隻の軍艦の間で無電実験をしても、ABがそれぞれどのような方角を向いていたかで、到達の仕方がまったく違ってしまうのです。
 しかも、電波の強度を測る測定器などありませんから、トンツーが正確に受信できたかどうか――で測らねばなりません。
 多くの日露戦争の資料では、このようなアンテナ問題をまったく考慮しておりませんので、届いたとか届かなかったとかいう表現は、あまりアテにならないのです。
 そうかといって、「分かりません」とばかり言うわけにもいきませんから、「条件が良ければ70浬は届いたらしい」とか「とてもうまく行った時は80浬以上届くこともあったらしい」などと、あまり科学的ではない表現をせざるをえないのです。
 そのような時代にありまして、アンテナの張り方を工夫し、その放射が軍艦の向きでどのように違うかを実験した山本英輔は、まさに日本のアンテナ技術の先駆者でした。


◆◆◆ ▼日露戦争と大東亜戦争 ◆◆◆

 この二つの大戦争の開戦直前の日本首脳陣(政治家や軍幹部)の新技術への関心や理解や実行力を比べますと、まさに雲泥の相違ですね。
 日露戦争直前の日本の政治家は、必死になって新技術を取り入れようとしており、また同時に技術の内容をよく理解していました。どんなにカネがかかっても取り入れようとしていた事が資料から分かります。
 しかし大東亜戦争直前の日本幹部たちは、レーダーの研究に反対したり、仲間内で争ったりしていて、戦後になって厳しく批判されています。
 イギリスなんか、チャーチルが先頭に立ってレーダー開発に邁進していたそうですし、アメリカは国を挙げて原爆完成を急いでいました。
 そう言うとき、日本の政治家は何をしていたんだろう・・・と思ってしまいます。
 技術に疎い政治家が国を動かすという日本の宿痾は、大正時代からでしょうか。
 いま明治期の通信技術の研究をしていて驚くのは、伊藤博文の技術と技術者への理解の深さです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4970『世相家事雑感』◆◆◆

▼秘密兵器

 テレビのプロ野球番組を見ていたら、いくつかの球団の秘密兵器紹介が有って、ドラゴンズの秘密兵器として「ぶ〜ちゃん」が出てきました。
 ドラゴンズの公式サイトでは、

 内野手
50 中田 亮二なかた りょうじ 生年月日 1987年11月3日
身長・体重 171cm 107kg
投打 右投左打
出身地 大阪
血液型 A型
趣味 音楽・DVD鑑賞

 亜細亜大から去年入りました。
 この体重は、日本人選手の最高だそうですが、けっこう足も速いし守備も良いです。
 長距離ヒッターというよりもアベレージヒッターだと言われています。
 しかし去年も一軍で多少はやったので、秘密兵器というほどではありませんね。
 守備位置は一塁以外は無理でしょうから、代打専門でしょう。
 一軍で左の代打の切り札になってほしいです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4979『世相家事雑感』◆◆◆

▼皇統の危機

 ――はまだ去っていません。
 なにしろ政府がこういう状態ですから、今後も危機は去る事はないでしょう。
 で、いまだに保守派らしい人たちの間で、男系女系の論争がなされています。
 わたしはもちろん男系永続を願う者ですが、それはきわめて困難な事で、よほどの抜本策が無ければなりません。
 なぜなら、このままでは男系の皇統はかならず絶えてしまうことを、数学が証明しているからです。とても良い条件が続いたとしても、四代もつかどうか、分かりません。
 これは数学的事実であって意見ではありません。
 ですから、男系の皇統を願うためには、なんらかの方法で断絶を避ける具体案を示さなければなりません。
 しかしそれが、ほとんど聞こえて来ないのです。
 前にある掲示板でこの問題の議論が有ったとき、「戦後皇族から離れた方々を復帰願って皇族の範囲を広げよ」という意見の人に対して私は、現在元皇族で男系が断絶しないで伝わっていて、かつ、皇族に復帰願ったり現女性皇族の結婚相手となるべき御方が、どなたとどなたなのか、御名前家系年齢御人柄などを具体的に教えてほしい――と頼みましたが、それきりご返事は有りませんでした。答えられなかったのだと思います。質問されて答えられない事を主張するのは無責任だと思います。
 具体案を示している点では、男系にこだわらない意見の人の方がむしろ理性的だと思います。
 やむをえない場合のみ女系を認める案、庶系を認める案、などがありますが、それらは数学的な根拠を持っています。
 現在のような民法意識で男系が続かない事は、多くの国民の戸籍簿を調べればすぐに理解できると思います。
 庶系や養子を認めない純粋の男系が四代以上続いている家系がどのくらいあるか、調べてみてください。
 おそらく、ほとんどの家系が、四代以下で断絶している筈です。幕末から昭和前半までは少子化は無かったわけですが、それでも四代以上の純男系は難しいのです。
 今は、男系か女系かで議論する時ではなく、具体案を練る時だと思います。
 嗚呼、それにしても、少子化は日本を亡ぼしつつあります。
 自分たちは少子化に甘んじていて、皇室にだけその反対を願うのは不遜だと言われてもやむをえません。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4985『世相家事雑感』◆◆◆

▼日本の歴史

 渡部昇一さんの『日本の歴史(全八巻)』が、最後の年表を残して完成しましたね。
 とても理性的でかつ愛国心に溢れている歴史解説ですので、若い人に読んでほしいです。
 もちろん全部意見が合うわけではありません。
 自分とまったく同じ見解の人などこの世にいるはずはありません。
 ですから私は、日本の伝統文化を大切にしようという気持ちが有って、かつご意見の五割が自分と合っていれば応援する事にしています。
 渡部昇一さんの歴史についての見解は七割が合いますので、支持しているわけです。
 七割も合う人って、じつに珍しいです。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌4991『世相家事雑感』◆◆◆

▼黄文雄さんの本

『それでも、中国は日本を越えることができない! ほんとうの理由77』WAC

 黄文雄さんは、厖大な文献調査の上に成り立つ学術的な書物から軽く読める啓蒙書まで無数に書いておられますが、これは啓蒙書です。
 77の目次は書けませんので、八つの章から一篇程度ずつ書き出します。
第一章 国家・民族
「中国からの大脱走は年間三百万人、やがて日本列島は中国人で埋めつくされる」
第二章 経済・国民生活
「核戦争なら絶対勝つ、世界の富はすべて中国の手に入る」
第三章 社会・環境
「党中央、公安、軍とまで組織提携する四千三百万人の中国ヤクザ」
「二千万人を突破した乞食がギルドを組織し、世界進出をはかる」
第四章 科学・技術
「探求するよりも盗むほうが手っ取り早い」
第五章 政治・民衆
「十数億の人民が一斉に銭ゲバに狂奔し、平等について一顧だにしない」
「中国から逃げ出したいというのが、中国人の人生最大の夢」
第六章 軍事・外交
「日本人の平和思考とはまったく異質な、中国人の戦略思考」
第七章 道徳・精神
「中国人の人命観は日本人とはまったく異なる」
「核戦争で国民の半分が死んでも、中国の女性はまた子供を生む」
第八章 文化・文明
「勝者は歴史をつくり、敗者は学ぶのが中華史観」

 本の表題は日本人を励ますような意味ですが、書かれている事を読むと、日本列島が中国人の島になる時代がすぐそこまで来ている予感がして戦慄を覚えます(トインビーがそのように予言したらしい)。事実、日本全土で中国人がらみの難問題が無数に起こっているらしいです。
 黄文雄さんは、私の書いた本について御手紙を戴いた事もあり、親近感があります。文献調査には定評のある方で、一見プロパガンダ的に見える節でも、すべて裏付けがあります。
(別件ですが、日本が中華民国を承認して公文書で清国を支那と改称したのは大正二年七月です。この直前の大陸混乱の時代、木村駿吉も無電施設の問題で清国に渡ったり清国を見張る日本海軍の無電機の世話をしたり、大変だったようです。いろいろと記録が残っています。大陸の政変/騒乱も無電技術の面から見ると、また別の興味深さがあります)

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◆◆◆ ▼電気の教科書 ◆◆◆

 先日、日露戦争の直前から直後まで、海軍の水雷術練習所で使用された電気の教科書を入手しました。
 和装の二冊本で、相当な厚さです。
 これによって、当時の海軍の電気担当者たちがどのような知識を有していたかが分かりました。
 水雷は当時としては電気をもっともよく使う兵器ですから、電気の事は水雷術練習所で教えられていました。
 士官たちの養成ではありませんから、理論的な事はわずかで、そのかわり、実用的な知識が満載です。
 面白いと思ったのは、電気回路の基本である「抵抗」「コイル」「コンデンサー」のうち、「抵抗」と「コイル」は多くの頁が割かれていますが、「コンデンサー」の話は少なかったことです。
 木村駿吉の話を読んでも、コンデンサーのことは少ないです。
 まあ、当然ですね。
「コイル」は、発電機にも電動機にもインダクションコイルにも多用されますが、「コンデンサー」は性能の測定もほとんど出来ませんし・・・。
 むろん無電回路に多く使われてはいますが・・・。
 交流現象面でも、「コイル」についてはファラデーが相当詳しく研究していますが、「コンデンサー」については、マクスウエルの変位電流説が最初です。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5016『世相家事雑感』◆◆◆

▼測距計からの電気信号

 日露戦役時の三笠はじめ大型艦には、測距計から各砲台への電気信号による連絡装置が積載されていました。
 艦橋の測距計は今も横須賀の記念艦三笠に有りますが、それによる測定結果を、すべての砲台に電気信号で瞬時に送るようになっていました。
 三笠見学を案内して下さった事務長さんが、その装置の事を説明して下さいましたが、装置そのものは失われてしまい、残っていないようでした。
 残念に思いましたが、大体どのようなものであったのかは、先日の水雷術練習所の電気教科書で分かりました。時計を精密にしたような装置です。昔のブリゲー式電信機とも似ています。カラクリ儀右衛門が作った電信機を思い出します。たぶん電気信号の原理も似たようなものだったと思います。電線は四本だったらしいです。
 教科書には、音声管では聞こえないから電気信号で送るのだ・・・と書かれています。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5025『世相家事雑感』◆◆◆

▼名探偵モンク終了

 ちょうど朝食の時間にスカパーでやっていたモンクが終わりました。最後は日本と同様な特別版で二回に分けられ、内容は活劇調で、あまりモンクらしくありませんでした。
 なんでも特別拡大版はあまり面白くありません。
 このところ外国産のミステリーを見る事が多くなりましたが、気づくのは、凶悪犯罪者の国籍問題です。
 外国映画をよく見ている家内も言ってましたが、あちらでは、凶悪犯罪者がロシア人だったりメキシコからの不法移民だったりすることはざらです。
 しかし日本の推理ドラマでは、滞日外国人が凶悪犯罪者になることは滅多にありません。私が見た範囲では皆無です。
 前にある推理ドラマで、近隣国から最近日本に来た人間が犯人らしいという設定があり、興味を持って見ていたら、最後にどんでん返しがあり、本当に悪いのは日本人で近隣国人は日本人に騙されていた――という結果で終わりました。
 希に外国人が出てきても、ほとんどはこうなります。
 アメリカのミステリーとは大違いです。
 警察の調べでは、外国人の日本での犯罪は非常に多いのですから、これはとても変です。
日本人名の外国人もたくさんいますし・・・。

▼民主党のゴタゴタ

 ほんとにしょうもない話ですが、民主党が国民になした約束はどうなったんでしょうね。
 前にもここに書きましたが、私が民主党の約束ごとの中で唯一賛同したのは、後期高齢者医療保険とかいう天下の悪法の撤回でした。
 あれは、私に言わせれば、老人夫婦は喧嘩別れして別々に暮らしなさい、そして早く墓に入りなさいと言っているに等しいです。
 しかし民主党はその唯一正しいと思った約束を反故にして、すっかり忘れているようです。
 ところで、菅直人の顔って、野球のハンカチ王子に似ていますね。こんな事言うと、ハンカチ王子が怒るかな・・・

▼弔意・木原信敏さん

 13日、心不全のため、84歳で亡くなったのですね。
 哀悼の意を表します。
 産経新聞の記事では、早大卒業後に東通工(後のソニー)の新採用一期生として入り、日本初のテープレコーダー、世界初のトランジスタVTR、家庭用VTR(ベータマックス)などを次々に開発。平成二年紫綬褒章・・・とあります。
 これに少し追加しておきます。
 木原さんは、早稲田の専門部機械科を出た人で、ソニー創始者の井深大さんが専門部で講師をしていて、その才能を見て誘って入社しました。
 その後、井深さんがちょっとしたアイディアを出すと、それをたちまち試作してしまうという天才的な技術者として活躍しました。上記新聞記事以外にもトランジスタラジオ、トランジスタテレビなど数え切れないほどのソニー製品の開発に関与しています。
 明治期の通信技術で活躍し無電にも貢献した松代松之助みたいな人でした。
 ソニー常務、専務取締役などを経て後には「ソニー木原研究所」の社長となりました。
 科学技術庁長官賞、アメリカ電子電気学会最優秀論文賞など多くの受賞歴があり、また平成四年にはオクラホマ大学名誉博士号を贈られています。
 自伝の書影をご紹介します。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5028『世相家事雑感』◆◆◆

▼新幹線車体の模倣

 中国に輸出した新幹線車体をほぼ100パーセント模倣して、それを中国製として輸出しようとしている事に対し、日本の製造企業が文句を言ったところ、スピードは中国の方が上だから真似ではないと、まるで日本の方が真似しているような言い方だったとかで、日本企業が激怒していると、宮崎さんのメルマガにありました。
 日本企業の呑気さには開いた口がふさがりません。
 中国人のやり方がそんな風であることは、百年も前から分かっております。歴史の本にちゃんと書いてあります。
 こういう企業の幹部は、宮崎正弘さんや黄文雄さんや渡部昇一さんや高山正之さんの本を読んだ事が無いのでしょう。
 そして要するに、今すぐカネがほしい――という愛国心皆無の動機で輸出したのでしょう。


◆◆◆ ▼ゴルゴ13のプロフィール ◆◆◆

 一昨日のテレビで、芸能人の蘊蓄競争の番組があり、そこで、
「ゴルゴ13のプロフィールは謎に包まれているが、唯一分かっている事がる。それは何か?」
 ――という問題が出ていました。
 答えは「血液型がA型」でした。
 ゴルゴ13は日本人らしいというだけで、本名も出生もこれまでの人生も全く不明という事になっています。
 じつはこういう出生と経歴だった――という話は何度か有りましたが、土壇場で「やはり違う」となっていました。
 だから何も分からないという設定なのですが、「血液型がA型」というのは、読者がゴルゴ13の行動を理解しやすくなるように、作者が意図的に描いたものなのだそうです。作者がテレビ画面に出てそう言っていました。血液型が分かると理解しやすくなるのかどうか、知りませんが、とにかく分かっているのはそれだけです。
 そこで早速、それが出ている巻を探して見たら、確かにそう書いてありました。
 ゴルゴ13は現在160巻くらいのようですが、私はリイド社版を102巻まで揃えて、そこでエネルギーが尽きてやめてしまいました。ですからウチの書棚には1巻から102巻まで有りまして、血液型の話は第61巻でした。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5058『世相家事雑感』◆◆◆

▼古書店めぐり

 私の古書店めぐりの原点は終戦直後の東京です。当時はその日その日を食べてゆくのが精一杯の時代で両親が苦心惨憺していましたから、子供達に本を買うお金などなく、ほとんどがバラックの書店での立ち読みでしたが、古書店でうんと安い本があると、乏しいお小遣いで買ったりしていました。戦前の本というよりも、戦後の仙花紙本が流れていたようです。
 というわけで、私の古書との遭遇は、立ち読みとタダに近い本の購入でして、内容にはあまり関係ありませんでした。
 高校大学時代には土曜日ごとに神田をうろつきましたが、特別な目的は無く、明治時代のマクスウエルの電磁気学とか、昭和初期の電気の本とかを見つけて喜んでいました。
 SF関係の古書探しをはじめた時代は、もう古書街をうろつく時間はなく、主にカタログ購入でした。また古書マニアの知人に依頼していました。たまには古書市に行きましたが、そういう時は大量にSFを買っていました。
 そういうわけで、ある一定の目的で古書街を歩くということはあまり経験していませんが、特別な目的もなく神田を歩くというのも、けっこう楽しくて、土曜の夕方帰ってくるとぐったりして、日曜は一日寝ていたりしました。
 今は昔の遠い夢の中のような光景です。

▼コレクターの書庫

 私がこれまでに見たコレクターの書庫の中でもっとも印象的だったのは、ミステリー評論家として知られた中島河太郎先生の大金庫です。
 SFコレクターとして当時最高だった柴野拓美さんのお供をしてお伺いしたのですが、廊下に大きな金庫扉があり、ギギッとそこを開けると、中は完全耐火の二階建ての大書庫でして、日本に二セットしか無いと言われた「新青年」の全巻揃いなどがずらりと並んでいました(最近の情勢は知りませんが、昭和40年代に「新青年」の全巻揃いを目撃した人って、そうはいないと思います!)。
 まあ要するに、金庫扉の耐火大書庫に住宅が附属しているような御家ですね。それとも巨大防火書庫を住宅で覆っているというべきでしょうか?
 そのとき中島先生は、どうしても古書で入手出来ないものは国会図書館でマイクロフィルムで入手している――と、大きなキャビネの中のマイクロフィルムを見せて下さいました。
 私が国会図書館のマイクロに興味を持つようになったきっかけは、この中島先生のキャビネでした。キャビネと言っても大型タンスくらいの大きさは有り、応接間に置かれていたと記憶しています。
 中島先生にはその後、SF書誌が出来るたびに贈呈し、その都度丁寧な御礼状をいただきました。
 たしか亡くなる直前にも、早稲田の図書館で早大電気の海野十三関係の資料を調べている――と書かれた御手紙を戴きました。
 まさにミステリー資料蒐集の鬼と呼ぶにふさわしい御方でした。

▼「焚書」コレクター

 いろいろな分野の古書コレクターが存在しますが、その中でもっともユニークなのが、「焚書」コレクターでしょう。中でも私が感心するのは、澤龍さんです。
 昭和20年に米国を中心とする進駐軍がやってきて日本を占領し、アメリカは正義の国で悪いのはみな日本だと猛宣伝しましたが、その宣伝工作の一つに、アメリカにとって都合の悪い本(その大部分は本当の事が書いてある!)の没収がありました。
 これがGHQ焚書といわれているものです。
 占領後にいろいろな資料が出て、没収された本は約7200冊であることが分かり、その書名も分かってきました。
 没収といっても、本好きな日本人が焼けなかった家の隅に置いてあった本まで探して没収する事など出来ませんし、一部の図書室にも残ったようです。
 そういう本が占領後に古書店に出るようになりましたが、澤さんは、この焚書7200冊を全部集めるという作業を長い年月をかけて実行され、ついに5000冊以上も集めたというのです!
 そしてそのコレクションを元にして二冊の本を出版されました。
 私は澤さんのその本にあるリストを丹念に見まして、拙宅にも「焚書」が10冊!ほど有ることを確認しました。全部戦後古書で買ったものです。
 その中には大川周明の本なども有りますが、ありがたい事に海野十三の本も有りました。
 このGHQ焚書問題につきましては、そこに含まれていた古典SF作家に的を絞った考察を、いずれしてみようと思います。

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◆◆◆ ▼写真のデジタル化 ◆◆◆

 デジカメが出来、その写真を処理するソフトが出来るようになってから、資料整理がじつに便利になりました。
 いまやっているのは、何十年か前にフィルムの一眼レフで撮った写真をデジタルに直してパソコンに入れる作業なのですが、これには二種類やり方があります。
 一つは焼き付けられた写真をデジカメで撮ってパソコンに入れる方法で、もう一つはフィルムを直接デジタル化する方法です。
 今回のものは幸いフィルムが見つかりましたので、装置を使ってフィルムから直接パソコンに入れました。
 あとは修整ソフトを使ってあれこれ処理するだけです。
 最大の難関は、必要とするフィルムがどこにあるかを見つける事でして、光を通さないと何が写っているのか分かりませんので、とても探しにくいのです。何冊もの厚いファイルにぎっしりと入っているので、苦労します。
(木村駿吉関係のマイクロフィッシュも全部デジタル化しました。マイクロのデジタル化は家では無理で、業者に依頼しましたが、なるべく安価にしようとした結果、粗くて読みにくい字になってしまいました・・・こういう事には出費を惜しんではならないという教訓でした。反省)


◆◆◆ ▼テレビ ◆◆◆

 地上波のいくつかのテレビを見ますと、同じ時間帯に同じようなニュースを一斉にやりますね。
 あれだと、チャンネルはずっと少なくて良いと思ってしまいます。
 天気予報もそうですね。
 Aテレビの気象予報士は明日は雨だと言い、Bテレビの予報士は晴れだと言って、どちらが当たるだろうかと楽しみたいのに、まったく同じ事しか言いません。
 これだと、アナウンサーが気象庁のコメントを読み上げるだけで十分だという気がします。
 そうかといって、地方地方の予報が当たるかというと、私の住んでいる場所では、ほとんど当たりません。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5082『世相家事雑感』◆◆◆

▼ゆるい八百長

 将棋の二枚落ちについて――

甲:定跡に従ってオーソドックスな手を指し、終盤になっても周囲で見ている素人さんにも分かるような手を指す。

乙:わざと奇妙な手(プロが見れば悪手だが素人には分からない手)を指して下手を困惑させ、下手の失敗を誘う。

 甲は下手にとって「銀他伝」「三歩突切り」といった定跡の勉強になりますが上手の勝率は低い。乙は嵌め手に近くて一種のごまかしだが上手の勝率は高い。

 いま仮にこういう事が有ったとして、負けてもいいから甲を選ぶことがはたして八百長と言えるのか? という問題です。
 完全な素人とプロ高段者が指す将棋は指導将棋であって真剣勝負ではありませんから、教育的配慮というものを考えねばなりません。八百長と教育指導との間には広いグレーゾーンがありますね。

 八百長といえば、相撲問題についてたけしが、相撲の発祥は神に奉納する儀式なので、それをいけないとは言えない・・・と発言していましたね。

▼死んで行く役柄

 テレビの推理ドラマで、真面目に生きようとするのだが次々に不幸にみまわれて人生をはかなみ、諦めきって死んでゆく薄幸の女性――というのが、時々出てきます。
 そういう役柄にとても似合うのが、木村多江ですね。
 ごく最近、この人が生き延びる役を演じて賞か何かを貰って、死なない役が来ると「生きていていいんでしょうか」と聞いてしまう――と笑っていました。
 一昨日、「ゼロの焦点」を見ていたら、やっぱり不幸が重なって無抵抗で死んでしまう役をやってました。似合いますね(笑)。
 薄幸の女性を演じる女優さんで、私がこれまで見ていて感心したのは、大河内奈々子です。この人は死ぬ役専門ではなくむしろ逆ですが、今にも死にそうな役がとても似合っていたので驚きました。
 話は飛びますが、木村も大河内も結婚して子育てしていますね。頑張ってください。


◆◆◆ ▼ハンコ行政 ◆◆◆

 明治時代の無電機の調査をしておりますので、当時の海軍省や軍令部の書類を見る機会が増えました。
 そこで気づきますのは、押されているハンコの数の増加です。
 日露戦争が終了してから、書類に押されるハンコの数が急増しているのです。
 お役所的な組織が充実してきますと、書類とハンコと会議が増えて、実質が減ってゆくのでしょうか。
 その一例をご覧に入れます。
 ハンコだらけで本文が読めない有様です。
 こんなにたくさんハンコを押していたのでは、戦争する時間が無くなってしまいそうで、昔の事ではありますが、心配になります。

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◆◆◆ ▼バカの足し算 ◆◆◆

 亀井静香って、時々面白い事言いますね。
 現内閣が緊急に大臣を増やそうという案を出した事について、バカとバカとバカを足してもバカ――とか言ったらしい。
 つまり、

「バカ」+「バカ」+「バカ」=「バカ」

 ――です。
 しかしそれは計算が違います。

「バカ」+「バカ」+「バカ」=「バカの三倍」

 ――が正しいです。これは「三倍のバカ」に近い値だと思います。

 総理はたぶん、
「バカ」+「バカ」+「バカ」=「利口」

 ――と思っているのでしょう。算数以前の問題です。
 お見せした明治の書類のハンコでも分かりますように、組織が増えれば増えるほど書類と会議が増えて実質が減ります。
 当然ながら周囲の役人はほとんど実質をやる時間が無くなり、役所はパンクしてしまいます。

 じつは、書類とハンコというのは、役人を仕事したような気分にさせる魔法の道具なのです。
 私もごく短い期間、役人に近いような仕事をした事がありますが、たしかに、打合せをしてその内容を書類にしてそこにお偉方何人ものハンコを押してもらうと、いかにも立派な仕事をしたような気持ちになるんです。


◆◆◆ ▼西南戦争の情報伝達 ◆◆◆

 昨日の産経新聞の産経抄に、西南戦争時の通信手段は人の往来と手紙が主で、混乱はやむを得なかった――と書いてありました。
 しかしこれは、正確ではありません。
 一般的では有りませんでしたが、すでに電信が東京〜九州間に通っていました。
 政府側は、討伐にあたって情報伝達の重要性をよく認識しており、戦場となった周辺に多くの電線を臨時に布設し、また臨時の電信局を設けて活用していました。
 一般庶民が電信を自在に使う時代では有りませんでしたが、お金さえ出せば誰でも東京と通信出来ました。
 下の写真に、私が『国際通信の日本史』に書きました、西南戦争時の電信ケーブル布設作業の写真と、田原坂の戦いを報告する政府側受信紙を示します。
 逓信博物館に保存されているものです。

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◆◆◆ ▼中道風迅洞さん死去 ◆◆◆

 ――というニュースがありました。朝日新聞サイトにこう有りました。
 中道風迅洞さん(なかみち・ふうじんどう=元NHKプロデューサー、本名中道定雄〈さだお〉)が15日、心不全で死去、92歳。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前11時から東京都中野区上高田1の31の4の天徳院会館で。喪主は長男正樹さん。
 1941年にNHKに入り、戦後はラジオでドキュメンタリーや「とんち教室」などの娯楽番組を手がけた。09年3月まで、NHKラジオ「文芸選評」の「おりこみどどいつ」選者を務めた。

 ここにはあまり書かれていませんが、NHKを退職してからは、現代風の都々逸の普及に尽力し、多くの本を書いたり会を主催したりなさっていました。
(私もちょっとだけ文通した事があります)

 たとえば、下のような本があります。
 ご冥福を祈ります。

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◆◆◆ ▼奇跡のカメラ紛失事件!◆◆◆

 蘭姫を連れて散歩に行くときは、抱いたりウンチをかたづけたりしますので、ヨレヨレのレインコートを着ます。刑事コロンボ以下です。
 で、そのレインコートのポケットにデジカメを入れて、何か面白い花でもあれば撮るようにしているのですが、そのポケットはとても紛らわしくて、同じようなポケットで入れると落ちてしまうようなのと隣同士です。
 いつもは気をつけているのですが、つい油断して、花木の写真を撮ったあと、落ちる方のポケットに入れてしまったようです。
 気づいてみたら、ポケットに有りません。
 道を戻って探しても有りません。
 安いカメラだし、中の写真はほとんどパソコンに入れてあるので、諦めましたが、夜になって家内が、やっぱりもう一度探してみよう――というので、懐中電灯を持って家内と探しに出ました。
 心当たりの場所を探して見つからず、もう一度探して諦めて帰ろう――と思っていた時、向こうから来た車が目の前で止まりました。
 不思議に思って運転席を見ると、外人さんがいて、こちらに声をかけて、「カメラを探しているのか」とたどたどしい日本語で言います。
 驚いて、返事をすると、「小さいカメラだろう、あの家だ」と近くの家を指さします。
 私は、あの家の人が拾って持っていると教えてくれたのだと思いましたが、そうではなく、その外人さんがその家に住んでいるらしい。
 ウロウロしていると、持って来てくれました。
 こちらが考えていたような場所に落ちていたらしいです。
 最敬礼して帰りました。
 ちょうど探しに出た夜のその時間ピッタリに、昼間拾った人が車で通りかかるというのは、とても珍しい事だと思います。
 その場所で探す時間が十秒違っていたら、あるいはその人が車で通りかかる時間が十秒違っていたら、永遠に会えず、失っていたでしょう。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5236『世相家事雑感』◆◆◆

▼ややこしいインチ物指

 フォトスタジオという写真ソフトの寸法指定がインチになっているので、仕方なくインチ用の物指を探して買ったのですが、そこでまた悩みが出てしまいました。
 そのインチ尺は、インチの中が八等分されているのです。
 しかしフォトスタジオでは1.8、1.9、2.9・・・というように、インチの下は十等分です。
 インチというのは25.4ミリですから、最低でもその1/10まではほしいです。本当は0.01インチまでがほしいのですが、それは我慢するとしても、物指が十等分ではなく八等分では、またまた話がややこしくなってしまいます。
 明治以来の日本の伝統で、日本の尺・寸・分の「一分」と「(1/8)インチ」がほぼ等しいことから、一インチの八分の一を分と呼んでいたので、職人さん用のインチ物指が八等分になっているのでしょうか。
 あるいは、欧米でもそうなっているのでしょうか?
 またインチはフィートの1/12だというし、じつにややこしいです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5246『世相家事雑感』◆◆◆

▼流石は中国製

 滑る止めシートを探して、やっと見つけたのが中国製であることは、前に記しましたが、流石だという発見がいろいろとあります。
 ふつうこういうシートには細かな模様があります。
 アメリカ製も日本製も、売っているものは、その模様に従ってきちんとカットされ、整然と筒に捲かれています。
 しかし今回のものは、模様を無視して適当にカットされており、筒に乱暴に捲かれております。
 流石です。
 もう驚きませんが、自分で本棚の大きさに切る時には苦労します。
 整然とカットされていれば、その模様に従って鋏を入れれば良いのですが、非整然ですと、模様に従っていると曲がってしまいます。
 始めはそれに気づかず、苦労してしまいました。
 仕方ないので、物指しで測ってマジックで線を引いて、その線を頼りに切っております。
 あと筒に捲く時に折れ曲がったりしているのは、もう棄てるほかありません。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5248『世相家事雑感』◆◆◆

▼昨今の政府

 原発問題であるところで言ってました。少し変形して記します。

「頭隠してシリ隠さず」という言葉があるが、
 今の民主党政府は「事実隠してウソ隠さず」だ。

 それにしても、真相がほとんど分かりませんね。
 政治行政が何をしていたのか分からないのは原発に限りませんが、技術問題がこれほど分からないのは原発独特のものですね。
 事故の有った当時、テレビやラジオでの専門家の解説がどうにも理解出来ず、イライラして叫んでおりましたが、それは要するに、分かっていないのに分かっているように喋っていただけだったのですね・・・たぶん・・・。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5261『世相家事雑感』◆◆◆

▼平和度って何?

 平和度1位アイスランド 日本は2年連続3位

 シドニーなどを拠点とする国際研究機関「経済・平和研究所」などは30日までに、各国・地域の平和度合いをランク付けした2011年の「世界平和度指数」を公表、アイスランドが1位、日本は2年連続で3位となった。最下位はソマリア。
 英調査機関などが153の国と地域を対象に、外国との紛争やテロの危険性、人権状況、政治の安定度など23項目の要素を数値化した。
 日本は暴力事件の少なさやテロの危険性の低さなど治安面で評価されたが、前年に続き、北朝鮮や中国との緊張関係がマイナス要素とされた。
 前年トップのニュージーランドが2位となり、4位はデンマーク、5位はチェコだった。(共同)

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 こういうランク付けが無数にありますけど、変に思う事が多いです。
 日本の評価が良かろうと悪かろうと、いちいちニュースにする必要など無いような・・・。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5267『世相家事雑感』◆◆◆

▼稲荷神社

 昨日行った皮膚科の診療所のすぐ側に稲荷神社が有ります。江戸時代に大山参りに行く江戸庶民が通った道沿いにあり、古くから知られた神社だそうです。
 数年前に大幅に境内が削られて、拝殿が鳥居のすぐ側に移転しました。
 皮膚科の待ち時間が長かったので、拝みに行って写真を撮りました。
 その拝殿の石段で母子連れが遊んでいましたので、拝むと子供を拝んでいるような・・・。
 上は鳥居の前の大銀杏です。市の天然記念物になっている巨大な樹です。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5308『世相家事雑感』◆◆◆

▼原子力技術者の流出を危惧

 ――している論者の話を、『月刊日本』で読みました。
 たしかにそういう危惧が有ります。
 だいぶ前、バブルの前後、職を失ったり窓際で冷遇されていた技術者たちが韓国企業に買われて、戦後積み上げた日本の技術が大量に流出した事は、当時の新聞やテレビにも出ていて、印象的でした。
 毎週土曜になると日本の国際空港は韓国行きの日本人技術者で溢れたと、テレビでも放映されていました。
 こうして日本の技術者をカネで買い取った韓国企業のレベルは大いに上がり、のちに日本の産業を苦しめるようになりました。
 今ここで原子力技術者を冷遇すると、待ってましたとばかり中国に買われて、中国の原子力技術のレベル向上に大きく寄与し、戦後営々と積み重ねてきた日本の原子力産業が危機的になるだろう――という警告が、上の雑誌に書かれていました。
 やがては中国から、本当は日本人が開発した原子力技術を高額で購入しなければならない事態に陥るだろう・・・との警鐘です。
 同感です。
 日本は明治以降、百年以上の年月をかけて、努力に努力を重ね、世界で一二を争う技術大国になったことは、私も『国際通信の日本史』や『発明特許の日本史』に、多数の例を挙げて縷々記しました。
 そのような、多くの日本の先人たちの百年以上もの努力の積み重ねを、一時の情緒的反応で失ってはならないと思います。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5343『世相家事雑感』◆◆◆

▼コグマノコロスケ

 SFファンが関心を持つ戦前の少年雑誌としては、何と言っても「少年倶楽部」が一番です。次が「譚海」でしょうか。
 これに異存はありませんが、私個人の戦前の思い出としては、「幼年倶楽部」が圧倒的です。
 私が親から与えられた子供時代の読み物といいますと、まず最初が「キンダーブック」でした。
 そしてその次が「幼年倶楽部」でした。
 これは「少年倶楽部」の幼年版ですが、小学校の前半でしたから、読んでいた期間はかなり長かったと思います。
 やがて「少年倶楽部」の年齢になりましたが、そのころ(小学生後半になりかけ)はすでに戦争の影響で物資が不足し、雑誌も薄くなり、前の号を供出しないと新しい号が買えないなど、本を保存しておくのが好きな人間にとってはとても苦しい時代になり、それから一年か二年で疎開となり空襲となって、読み物など何も無い時代になってしまいました。
 そういうわけで、海野十三など「少年倶楽部」関連の本は何冊か買ってもらってそれをクラスのトモダチに奪われる(苦笑)という苦い経験はしたものの、「少年倶楽部」という雑誌に親しんだ期間はごくわずかでした。
 したがって、私の読み物の最初の体験は、「幼年倶楽部」・・・とくにその附録でした。
 附録の中でも、特別面白かったのは、「コグマノコロスケ」でした。
 コロスケという小熊が、動物村の中でいろんな活躍をする絵物語です。
 その多くの物語の中で、後々まで記憶に残ったのは、「飛行機の製作」です。
 コロスケが、紙飛行機にヒントを得て、材木で骨組みを作りそれに紙を貼って、折り紙の紙飛行機を巨大にした飛行機(グライダー)を作り、それに乗って活躍するのです。
 この話によって私は、「折り紙の飛行機を元にして人の乗れる大きさの本物の飛行機を作る」という考え方を学んだのです。
 この発想は、技術系研究者としての私の原点であり、また同時にSF作家としての私の原点でもありました。
 ・・・当時の本はむろん残っていませんから、古本でこの「コグマノコロスケ」を買いたいと思ってきましたが、他に買いたい本が多くて、なかなか実現しないで来たのですが、今回ようやく、附録の形のものを少しだけですが入手しました。相当な高額でした。
 写真の中は昭和10年9月号の附録、下は昭和11年6月号の附録です。
 下の写真にあるのが、幼年期の私にショックを与えたコロスケ自作の飛行機です。
 ただし、私がこの話を読んだのは、単行本になってからではないか――と思います。
 とても懐かしい思い出です。

▼写真

 「幼年倶楽部」附録の「コグマノコロスケ」。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5344『世相家事雑感』◆◆◆

▼写真

 コグマノコロスケ。昭和12年3月と6月。
 この絵柄を見ると、小学校低学年の時代が思い出されて、無性に懐かしくなります。

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◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5350『世相家事雑感』◆◆◆

▼台風

 ――の影響が出てきましたね。
 少しは涼しくなりそうですが、雨は雨で、やっかいな事も多いです。
 家が流される人がいたり・・・。
 昔の事ですが、無線雑誌の日本一のコレクターとされるIさんが、海野十三のSFが掲載されていた戦前の『ラヂオ科學』の全巻揃いを知人に貸したところ、台風による崖崩れで本が全部埋まってしまって消滅してしまったそうです。
 お電話口で、とても残念そうにその話をしておられました。ずいぶんと運の悪い全巻セットですね。
 戦前の『ラヂオ科學』の全巻揃いは、『新青年』全巻揃いくらいの価値がある稀覯セットです。
 数十年前、多くのSFファンが探したのですが、消滅してIさんの話以外には情報は無かったようです。ばら売りも滅多に出ません。
 私も数冊持っているだけです。
 この全巻揃い、日本のどこかに潜んでいるでしょうか?
 どなたか、『ラヂオ科學』の全巻揃いを見た方、おられますか?


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5354『世相家事雑感』◆◆◆

▼ラヂオ科學

 一昨日『ラヂオ科學』の話を少ししましたので、思い立って、インターネットの「古本屋」というサイトを検索してみました。
 多少は出ていましたが、案の定、古い方は見つかりませんでした。
 私が持っている一番古いのは昭和九年の号ですが、その前後は持っていません。
 編集長の柴田さんとその後継者の南波さんがどのような御方だったのかをIさんから伺った事がありまして、後継者に連絡した事が有りますが、すでに散逸しているようで、無理でした。
 昔は古書店にいくらでも有った本が、どこを探しても見つからなくなる現象は、時々有りますが、『ラヂオ科學』はその代表的な例ですね。
 同じラジオ=無線関係でも、学術的な雑誌は、あちこちに保存されているのですが、大衆的な雑誌は図書館では棄ててしまいますし、所有者が亡くなると遺族が棄てますので、残らないのです。
『ラヂオ科學』の全巻セットを持っている図書館なんて、どこにも無いと思います。
 アメリカの議会図書館には断片的には有るらしいですが・・・。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5378『世相家事雑感』◆◆◆

▼驚異の耐久性

 戦前に亀子束子を発明した西尾正左衛門の子孫が運営しておられる「亀子束子西尾商店」の亀子束子が長持ちする事は、ずいぶん前に書いたと思いますが、犬の食器洗いに使い始めてからもう何年にもなるのに、いまだに平然として原型を保ち、活躍しています。
 毎日何回も使っています。
 前に使っていた、近所のスーパーで買ってきた亀子束子は、どこの国で作ったのか分かりませんが、一ヶ月も保ちませんでしたから、これは驚異です。
 私がこれを入手しましたのは、発明者の西尾正左衛門の正確な没年を知ろうと、御遺族にお尋ねしたのがきっかけでして、その資料を取り入れた『発明特許の日本史』をお礼に贈呈しましたところ、本家の亀子束子を送って下さったのです。
 本家は凄い!


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5378『世相家事雑感』◆◆◆

▼哀悼 嬉野泉さん

 お悔やみが遅いと叱られそうですが、じつは知りませんでした。
 最近はファンダム事情にとても疎いので・・・。
 現在、SFの同人誌ってどのくらい出ているのかと、インターネットで調べていて、知りました。
 嬉野泉さんは医学博士で石巻で医師をしておられたSFファンのBNF(ビッグネイムファン)でして、年齢は私より数年上ですが、ファンダムに登場したのはかなり後であり、著名同人誌『宇宙塵』に作品を発表するようになったのもかなり後でした。
 そのため私はお名前やお出しになっていた同人誌『ボレアス』の題名は知っていましたが、面識は有りませんでした。
 作品の多くは同人誌ですが、一般の書籍にも有ります。
 SF大会で受賞なさった事もあります。
 東日本大震災で犠牲となったSFファンはもちろんおられるでしょうが、いわゆるBNFは、たぶん嬉野泉さんお一人でしょう。
 心よりお悔やみ申し上げます。
 なお、『ボレアス』の「嬉野泉追悼号」が先月末に出ています。充実した内容です。娘さんのお話も載っています。
 下記にあります。
 ↓↓↓↓↓
http://www.asahi-net.or.jp/~NX5H-AKYM/bope/ui_tsuitou_gou.pdf

 最終号の第43号が追悼号とは!(涙)


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5396『世相家事雑感』◆◆◆

▼SF同人誌

 私がSFファンとしての活動を始めてからしばらくして、日本中に数多くのSF同人誌ができました。SFファンジンと呼んでいました。コミック中心のものも有りました。
 しかし昭和の終わりごろから次第に減り、平成になってどんどん減ったらしく、今では定期的に出るSF同人誌はとても少なくなっているようです。『宇宙塵』も『ボレアス』も終刊ですし。
 そういうわけですから、このあたりで、SFファンジンの歴史をまとめた資料集を作ってほしいです。
 そうしませんと、創立者や初期の同人も次第に他界されて、知る人も減り、資料集めもできなくなってしまうでしょう。
 私は、一応はいただいたSFファンジンは棄てずにファイルに綴じて持ってはおりますが、見ますと、創刊号から終刊号まで揃っているのは、まず有りません。
 五号から十号までとか、そういった中途半端なものがほとんどです。
 たぶん、多くのSFファンがそんな風だと思います。
 市販された雑誌は、古書として出る事もありますが、ファンジンが古書目録に出ることは滅多に有りません。
 ですから、熱心な人が創立者やその周辺の人を訪ねて日本中を駆け回って雑誌を集め、整理し、纏めないと、大部分のファンジンは歴史に残らずに埋もれてしまうと思います。
 幸い現在は複写装置が安価で高性能で携帯すらできますから、人材さえいれば、可能性はあります。
 ただ、時間と体力と知力と熱意とお金と・・・いろいろ有りませんと、実行は不可能でして、そういう人材が出るのはなかなか難しそうです。
(私がやっているSF同人誌は創刊号から全部保存してありますので、今のところは大丈夫です。見せるのは恥ずかしいような編集が多いのですが・・・)




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