■■■ オロモルフのエッセイ集2 東日本大震災(オロモルフ)■■■


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5091『地震』◆◆◆

 備中處士さん、解法者さん、ありがとうございます。
 私の方は下記のような状態で、災害というほどのものは有りませんでした。
 解法者さんの所は本が全部落ちたとか、それは大変ですね。復旧は大変だと思います。
 備中處士さんの所はいかがだったでしょうか。

 私の方は・・・
 午後、蘭姫の散歩から帰ったら、家がやけに揺れ出しました。
 近年珍しいほどの大揺れ。
 幸い停電にはならず、水も出ましたが、念のために風呂桶に入れておきました。
 テレビを見ると、宮城県の方は大変らしい。
 震度七って半端じゃありません。
 皆さんの御家はいかがですか?
 こちらの方は、一瞬たじろぎましたが、なんとか。
 少し鎮まってから本棚を見ると、本の並び方があちこち歪んで床に文庫本が散乱。大型のファイルもかなり落下しました。
 この家に転居してから、本の並び方が歪んだ事は何度か有りましたが、床に散乱した事は初めてなので、テレビでこの町の震度を見たら、1と書いてあります。
 変だなあ・・・震度1なら、これまで何十回も有って、本やファイルが落ちる事など無かったのに。
 本棚はすべて補強してありますから、震度3の時も大丈夫でした。
 何だか変。
 そこで市のサイトを見たら、震度4だったとあり、トップ頁以外は地震の影響で今は見えませんとありました。実際には震度4強だったでしょう。
 というわけで、これから本棚の整理をします。数日はかかるでしょうけど、掲示板連載は一日休んでから復活します。
 本を並べる順序はデータベースに入れてあるのですぐ分かります。
 パソコンを見ながらの整理は無理なのでプリントしないといけませんけど。

 生活用では、一時間くらいしたら水道水が黄色く濁ってきて、しばらくは飲めません。手を洗うのも不安で、私は風呂場に汲んだ水で洗っています。家内は平気なんですが、何という神経なのか・・・?
 私は非常用のペットボトルの水を飲んでいます。

 夕方になって娘が勤務先から帰れなくなったことがわかり、一人で家にいる孫を家内が迎えに行って、こちらで夜を過ごすことになり、バタバタしています・・・。
 息子の一人は診察中に地震になり、診察室の棚が倒れ、患者さんとともに近所に避難し、少し収まってから別の部屋で診察を再開したらしい。幸い倒れた患者さんは居なかったようです。注射の最中や内視鏡の最中に大揺れでなくて良かったです。
 もう一人の息子は電話をかけてくれて、無事らしくほっとします。
 激震や津波に遭った地域は大変でしょう。
 とりあえずは、神戸大震災のような事は起きていないらしいですが・・・。

 あと絶句するような事がありました。
 夜の七時半ごろになって、住んでいる市から家内の携帯にメールが入り、「宮城の方で大地震が起こったので注意してください」と書いてありました。そんな事誰だって知ってますよ。
 この市の水道がどうなのか火事がどうなのか家の倒壊がどうなのか、震度がどうだったのか、市役所としてはどういう態勢をとっているのか、など、何も書いてありませんでした。
 もの凄く呑気です。

 テレビで気づいたこと。
 津波警報の地図ですが、大津波警報の海岸を濃い赤にし、その他をピンクや橙色にしているのがNHKとかTBSとかで、大津波をピンクや橙にしてふつうの津波警報を赤にするという奇妙な描き方をしているのが日テレと東京でした。
 とても紛らわしいのでこういう事は統一してほしいです。
 電源を切る時にピッピッピッとなり入れる時にピーッと鳴る電気器具と、その反対の鳴り方をする電気器具とがあって混乱するのと、ちょっと似た紛らわしさです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5092『地震2』◆◆◆

▼【李登輝元台湾総統】の言葉
(台湾の声より引用)

日本の皆様へ

日本観測史上最大の「東北・太平洋沖地震」の発生をテレビで知りました。

津波で押し流された家や車、そして、火災、家に戻れない方々。亡くなった方もおられます。次々報道される災害状況を見て、1999年9月21、台湾で起きた大地震を思い出すと同時に、現在日本の皆様の不安や焦り、悲しみなどを思い、私は刃物で切り裂かれるような心の痛みを感じております。

人間には力の及ばない大自然の猛威を前に、畏敬の念を抱いても、決して「運命だ!」とあきらめないでください! 元気を出してください! 自信と勇気を奮い起こしてください!

今は、一刻も早く地震の余波が収まることと復旧を、遠い台湾の空の下でお祈りしております。

台湾元総統 李登輝

2011年3月11日午後8時


◆◆◆ ▼Re:解法者さん、YOSHI-CHIKAさん、松本宣秀さん ◆◆◆

 YOSHI-CHIKAさんは、避難なさったのですか!
 かなり大変だったのですね。でも、ご無事なようで何よりです。
 解法者さんのご苦労、お察しします。
 東京でありながら、水や食事を得るのも大変なのですね。
 それに比べれば私の所は軽いと思いました。もっとも食事も水も非常用品を使っておりますが。
 松本宣秀さん、
>いざというときに地域の人々の避難所として開放できるように進めて参ります。
 力強いお言葉、感服します。
>(科学的に原発はどうなってるのでしょうか?心配です)
 原発は海水の近くでないとまずいので、どうしても地震や津波に弱い場所になってしまいますね。あと、反対運動の比較的弱い場所でないと出来ませんし。


◆◆◆ ▼海上から ◆◆◆

 ヘリを積載した大型の船舶がたくさん有るといいですね。
 海上に停泊してそこから陸地にヘリを飛ばして救助した人を船舶に運んで治療し搬送するという方法。
 現在の海自の護衛艦は「ひゅうが型」はじめほとんどがヘリ搭載の筈です。「ひゅうが」は十機以上のヘリを積み、甲板から同時に三機が離発着できるそうです。
 強風が無ければこの作戦は成功するでしょう。
 たぶん、現在実行中でしょう。


◆◆◆ ▼災害関連 ◆◆◆

 ついに四号機も火災に・・・。米軍がポンプを持ってかけつけて消してくれたという話を読みましたが本当か・・・?
 五、六号機の温度も上がっているとか・・・じつにきわどいです。
 我々は祈るほかありません。
 一方津波による死者数はやはり数万にはなりそうですね。
 米軍空襲以後最大の惨劇です。


◆◆◆ ▼地震 ◆◆◆

 昨日の夜、書類のゴミ取りを写真ソフトでやっていたら、かすかな予震のあと、大きな揺れが・・・。
 先日の東北関東地震(言いにくいので東東地震と略します)の時と同じくらいの揺れで、しかし時間が短かったです。
 震度は4と5の間くらいでしょうか。
 いまのところ近所に火事は起こっていないらしい。怪我で病院に担ぎ込まれた人はいるらしい。
 興味深いのは、収まったあと気になって書庫を見ますと、前回大きく動いて床にも落ちたのと同じ場所が大きく動いていました。
 今回はごく一部しか床には落ちませんでしたが。
 前回動かなかった場所は今回もまったく動きません。振動工学で計算できるんでしょうか。
 目下、本が書棚から落ちない方法を研究中です。安上がりな方法で何とかならないか。
(この数日本の並びを直していたのがパーになってがっかり。被災地に比べれば天国みたいなものですけど)


◆◆◆ ▼出来る事 ◆◆◆

 とりあえず、災害地の外にいる一般人にとって出来るのは買い占めしない事と節約と寄付でしょう。
 テレビを見ていたら、お金は無理だから、品物を送りたい――という主婦らしい女性がいましたが、それは当面無理でしょう。
 被災地では、救助にしても運送にしても、専門家以外は動けません。
 前の災害時にも、家の中の不要品を集めて段ボールに入れて供出した人がいましたが、かえって困ったようでした。
 運送出来ない時にそんな事しても困るだけですね。
 規格の決まった大型段ボールに入れた、水・食料などをヘリで大量に送ろうとしている時ですから。
 それよりも、買いだめしないでお金を出す方が上でしょう。


◆◆◆ ▼日本人の長所と短所 ◆◆◆

長所:災害が生じた時の協力と頑張りのすばらしさ。
短所:災害が生じる前の用心深さの欠落。

 これは、神戸大震災の後で痛感したことで、何度かこの掲示板に書きました。
 長所は言うまでもありません。世界一だと思います。
 短所は残念ながら解消されていません。明治時代から同じです。
 日露戦争の日本海軍の旗艦「三笠」は、多くの戦死者を出し、満身創痍になりながら頑張り続け、ついに圧倒的勝利をおさめました。
 そころがその直後のこと、佐世保に凱旋したのち、勝った勝ったと大喜びして油断した水兵たちがロウソクの灯りで酒盛りし(むろん禁じられています)、そのロウソクが倒れて火薬庫に火がつき、大惨事となりました。
 戦争での戦死者よりずっと多い犠牲者が出ました。
 艦長は責任を感じて自殺を図りました。

 神戸大震災の時ですが、神奈川でも非常用品売り場に人々が押しかけ、非常用品が空っぽになりました。
 ところが翌年になると、非常用品売り場にはほとんど人が来なくなり、したがって用品もあまり置かなくなり、とても不便になってしまいました。
 私は仕方ないので、主に通販で非常用品を購入しました。
 このとき私は、つくづく、日本人は用心深さが欠けているなあ――と思ったものです。
 福島原発の発電機の事を知れば知るほど、ますますそう感じるようになりました。
 ある意味、もっと臆病にならないといけませんね。


◆◆◆ ▼自称専門家の解説 ◆◆◆

 自称専門家の学者バカみたいな人の解説はもうやめてほしいです。
 さきほども、民間船を派遣してそこから小舟で岸に物資を運んで――などと言ってる解説者がいましたけど、訓練していない民間船でそんな事できるんですか?
 港もそれ以外の海岸も津波でメチャメチャな修羅場で・・・?
 逆に事故が起こって自衛隊に助けてもらうような羽目になるのでは?
 仮に小舟がたどり着いたとしても、陸地の側からも海岸に近づく事がほとんど不可能ですから、誰が運ぶんでしょうか。
 被災者が瓦礫をかき分けて海岸まで取りに行くんですか?
 ヘリで海から――ともこの人は言ってましたが、それはいま日米両軍が軍艦を使って懸命にやってるじゃないですか! 屋上にSOSを書いて助けを求めた人たちを見つけて助けたのも海からヘリで来た米軍だとか。
 この人の言うような事は、上陸用舟艇で猛訓練するとか、数万トン以上の「強襲揚陸艦」みたいな軍艦がなければ無理でしょう。
 日本の自衛隊は持っていないのでは?
 某政党の反対で・・・
 とにかく、民間船舶が活動できるのは、被害の少なかった港への運搬が第一で、第二が海陸からのアプローチが何とか復旧した港だと思います。
 そうなる迄は軍事作戦でなければ無理です。
 使えなくなった港と空港の復旧は軍としても最重要な作戦の一つ(これをしないと派遣された軍隊が飢え死にしてしまいます)ですが、日本軍にはそういう装備は少ないようですね。仙台空港の復旧作業も米軍がやってくれたらしい。


◆◆◆ ▼流石はアメリカ ◆◆◆

 昨日「強襲揚陸艦」の話をしましたが、流石はアメリカで、早速派遣してくれて、もう日本沿岸に到着したらしいですね。これは強力な助っ人になると思います。空母以上です。規模は知りませんが。


◆◆◆ ▼水道水が黄色になった理由 ◆◆◆

 地震の直後に水道水が黄色になり、水道管がどこかで壊れたのかと思い、数日は食事には使わなかったのですが、その理由が思い当たりました。
 このあたりの水道は、貯水池の水と川の水と地下水との三つを混ぜているようです。
 そのうちの地下水が濁ったのではないでしょうか。
 地下水の取水場は、じつは我が家から見えるような場所にあります。ごく小さな井戸です。


◆◆◆ ▼日米両軍の抑止力 ◆◆◆

 現在日米両軍が懸命な救助活動を続けていて、感謝しておりますが、両軍が大きな兵力を被災地に展開しているという事実は、被害者救助だけではなく、暴動発生への抑止力にもなっていると思います。
 時々いる不心得者による乱暴を除きますと、ありがちな暴動は起こっていないようで、これは日本人のモラルの高さを示しているもので、外国でも注目しているようです。
 しかし、日本にいるのはモラルの高い日本人だけではありません。
 某半島の北の方の某国などは、スキあらばと狙っているそうです。
 しかし、被災地に両国の精鋭が展開しており、近海には米軍の空母がいます。被災地近海に派遣された米軍艦は10隻以上だそうです。
 ですから、もし組織的な暴動を起こすと、たちまち殲滅させられるでしょう・・・と考えると思います。
 被災地に展開された両軍は暴動への抑止力にもなっていると思います。


◆◆◆ ▼犠牲者の埋葬 ◆◆◆

 火葬場が間に合わずご遺体を運ぶ事も出来ないので、土葬もやむなしとなったらしいですね。
 それで思い出すのは、東京大空襲です。
 三月の東京下町の大空襲が有名ですが、火葬場に運んで火葬するなどとうてい不可能な状態でしたから、臨時に、焼け跡で各自が火葬してよい――というお触れが出ました。
 火葬というのはいろんな手続きが必要で、医師の判断も当然必要ですが、現実はそれどころではありませんでした。
 それからしばらくして五月に山の手の原宿、青山、千駄ヶ谷などの大空襲があり、私の祖父はいったんは逃げのびたところ、その翌日、逃げた人たちが集まっている場所に猛烈な爆撃があり、死んでしまいました(むろん全員が民間人です)。
 しばらくして父が疎開先から駆けつけて、遺体を探し出して近くの人たちと協力してその場で火葬したのですが、人間の身体というのは水分が多いですからなかなか灰にならず、とくに腹の部分が燃えなくて、とても困ったそうです。
 父はこの話しをよくしておりました。
 今度の場合は大空襲とは条件がまったく違いますから、医師の確認の後に土葬も可というのは、もっともは話だと思います。許可簡略化の火葬も可能らしいですが。


◆◆◆ ▼津波の想定 ◆◆◆

 福島第一原発では、津波の想定が最大5.6メートルだったそうです。ずいぶん低いですね。実際にはあの場所でも10メートルくらいは来たらしい。
 一方東北電力の女川原発では、想定9.1メートルで、被害は無く、逆に避難所として開放しているとか・・・。
 これに加えて福島第一では非常用の自家発電の予備が無かったのですから、甚大な被害が有ったのは当然ですね。
 想定外などとは絶対に言えません。
 被害の無かった女川原発がそばに有るんですから・・・。
(地震加速度については、最大設定が福島第一が600ガル、女川が580ガルで、どちらも揺れは設定内だったそうです)


◆◆◆ ▼米軍の活動 ◆◆◆

 ――について興味を持っていましたが、これまでテレビではチラッと触れる程度で、具体的な事は分かりませんでした。
 不思議に思っていたのですが、昨夜NHK・BSで、米軍活動の特集をやっていました。私としては初めて見る、米軍の救済活動の実態でした。
 陸・海・空がどのように分担しているのか、主力と思われる海軍が空母を中心にどのように洋上に展開しているのかを解説し、また実際に空母に乗って艦長にインタビューしたり、救難用のヘリに乗って取材したりしていました。
 ヘリが上空から助けを求めている集落を発見して食料と飲料水を降ろす光景や、涙を浮かべて喜ぶ村民の姿などが映し出されていました。
 いつもNHKで感じる米軍批判のニュアンスはほんの僅かで、よく分かる特集だったと思います。
 官邸からの要望で作ったのでしょうか?


◆◆◆ ▼避難訓練の効果 ◆◆◆

 いま避難所に避難している人たちは、これからの健康状態は不明ですけど、とりあえずは、家を津波で失ったが命はつなぎ止めたという人たちです。
 人数は、テレビによると20万人くらいらしいですが、親戚を頼った人などを入れると30万人はいるでしょう。
 一方亡くなった方は、まことにお気の毒ですが、推定3万人でしょう。
 つまり、津波で家を失った人のほぼ一割です。
 これは凄い確率だと思います。
 あれだけの大災害に遭いながら、しかも大至急高所に避難しなければならないのに、九割は助かったわけです。
 おそらくこれは、日常の避難訓練が効果を上げたからでしょう。

◆◆◆ ▼関東大震災 ◆◆◆

 ウチのすぐそばに、関東大震災の震源地だと言っている場所があります。タクシーで15分くらい。本によると本当の震源地は相模湾らしいけど、それでもあんまり遠くはありません。嫌だなあ・・・。しかも家の近くに松田なんとかいう活断層がある!
 昔我が家は東京原宿に住んでいましたが、祖母に聞きますと、関東大震災の時には庭に大きな亀裂が入って、危ないので戸板を敷いたそうです。
 家そのものは倒れず(平屋でした)、火事にもならずに助かりました。
 祖母が亡くなったとき、親戚の人が、「下町に住んでいて祖母の家まで必死で逃げのびた。祖母が作ってくれた味噌汁のおいしさが忘れられない」と言っていました。


◆◆◆ ▼強襲揚陸艦見参! ◆◆◆

「強襲揚陸艦」待望論を何度か書きましたが、ようやく、救援に駆けつけた米軍「強襲揚陸艦」の勇姿を写真で見ました。
 エセックスという軍艦でした。
 排水量四万トン以上。全長257メートル。
「大和」には及びませんが、かつての日本を代表した戦艦「陸奥」「長門」より巨大です。
 資料を見ますと、前に東京都が防災訓練をしたとき、石原慎太郎の肝いりで、その訓練に参加した実績が有るのですね。
 じつに頼もしいです。
 早速、港が壊れた孤島の人たちを救うために資材を強襲揚陸させたとか。
 こういう頼もしい軍艦を自衛隊に持たせないようにした元凶は誰だ! 切腹せよ!


◆◆◆ ▼読売新聞より引用 ◆◆◆

 日米同盟は、民主党政権発足で大きく揺らいだが、地震や原発対応をきっかけに、より一層深まりつつある。
 ・・・・・
 自衛隊、米軍は「前例のない」(防衛省幹部)規模の部隊を派遣している。自衛隊は27日午前9時現在で、陸海空3自衛隊の総定員の半分近い約10万6900人、航空機539機、艦船53隻を投入した。一方、今回の支援を「TOMODACHI(トモダチ)作戦」と銘打った米軍の態勢は陸、海、空、海兵隊の4軍で約1万6000人、航空機113機、原子力空母「ロナルド・レーガン」を含む艦船12隻だ。特に、海兵隊では、移設問題で揺れる普天間飛行場(沖縄)に所属するヘリ部隊などが物資輸送などを展開している。
 米軍はこれらの部隊を統括するため、在日米軍司令部のある東京・横田基地に「統合支援部隊(JSF)」を新設した。米軍の指揮官は、地震発生直後は、フィールド在日米軍司令官(空軍中将)だったが、JSF発足に伴い、格上のウォルシュ米海軍太平洋艦隊司令官(海軍大将)になった。
 自衛隊幹部は「今回の地震、原発に対し、自衛隊と米軍は、日本侵略の有事に準じる体制で臨んでいる。共同訓練などで積み重ねた米軍との協力の真価が問われている」と指摘する。
(NHKがBSで米軍特集をやってから、急に各紙で米軍の活動の話が出るようになりましたね。どういう圧力が働いたのでしょうか)


◆◆◆ ▼ああマスゴミ ◆◆◆

「酒井信彦の日本ナショナリズム」より
大震災報道で再確認したマスコミの異常・腐敗
(前略)
 そのように実質的に無内容な、集中豪雨的な報道をマスコミが行ってしまうのは、結局のところ、そうするのが一番楽だからであろう。要するに安直な番組作りに走ってしまっているのである。これは、昨年だったか、酒井法子の覚せい剤事件に関する報道と、実によく似ている。大変だ大変だと大報道をしているが、それは単に面白がって空騒ぎをしているだけなのである。津波被害や原発事故と言う、最高度の深刻な問題の報道にも、マスコミの堕落体質は、見事に露呈してしまうのである。
 更に今度の大震災報道に関連して、とくに異常さを感じたのは、テレビの放送のあり方である。テレビ放送は、地震発生直後は一般番組のみならず、コマーシャルまですべてを削除して震災報道を行っていた。それが一週間ほど経過した頃から、一般番組も放送するようになった。そこでは従来のお笑いタレントを多用した軽薄番組や、愚劣なグルメ番組も復活してしまったのだが、殆ど復活していないものがある。それは普通のテレビコマーシャルである。
 私にはテレビで、普通のコマーシャルが出てこずに、例の公共広告機(AC)のコマーシルばかり流されなければならない、その理由が分からないが、仮に正当な理由があったとしても、現状は余りにも異常である。同一のコマーシャルが、これでもかこれでもかと、執拗に繰り返して流されているが、これは明らかに一種の精神的な拷問あり、多大な嫌悪感すら感じてしまう。こんな有様がもう何日も続いているが、一向に改善されない状況を見ていると、日本人の精神の劣化を、まざまざと認識することができる。
(酒井という人、元東大教授らしいけど、分かりやすい事を言いますね。私と意見が合う事が多いです)


◆◆◆ ▼『TIME』の記事(宮崎メルマガより)◆◆◆

 震災後のボランティアが拡がり、友情の輪が拡がり
 政府の無能だけがひたすら顕著になる日々に若者が立ち上がる

 若い世代のなかには、何をして良いか分からないが、何かをしなければいけないという焦りが拡がり、ボランティアや寄付行為が拡がり、中央募金会と赤十字に寄せられた金額は未曾有の数字となり、義援金ばかりか救援物資は品目の指定があったにも拘わらず各自治体の窓口に積み上げられた。

 これを目撃した全米最大の週刊誌『TIME』は称賛を込めてこう書いた。
「バブル崩壊後、それ以前の日本の好景気をしらない日本の若者らは右肩下がりの経済と不況と就職難の環境下、無気力に沈殿してきた。引きこもり、落ちこぼれ、親のすねかじり、フリーターの生活、将来に大きな夢を描くこともなく日々、流されるままの状況に埋没し、大学の卒業式を経てはじめて日本では大人の扱いを受ける。そういう世代が、この災禍で人生に目覚めた。生まれて初めて人生のエネルギーを感じ、立ち上がったのだ。無数の若者がボランティアに駆けつけ、あるいは遠隔地では街頭募金に馳せ参じ、自分には何が出来るのか、いやきっと何かが出来ると信じて新しい動きを始めた。埼玉アリーナには500人のボランティア募集に毎朝、1500名が並んだ。殆どが若者だった」(4月4日号)。

 日本人は精神的にまとまりさえすれば、時間はかかるかも知れないが日本の復興は約束されたようなものである。
 日本の未来を悲観してはなるまい。

▼「国民一流、政治家とマスコミ三流」

 ――という解法者さんの言葉が、ますます真実味を増してきましたね。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5145『世相家事雑感』◆◆◆

▼火事の少なさ

 今回の東北大震災ですが、犠牲者のほとんどは津波に巻き込まれたのが死因らしいですね。じつに悲惨なご遺体があり、探している自衛隊の隊員たちも衝撃を受けるらしい。
 ただ、この津波による犠牲者は、推定三万人であり、避難者の一割で、あの家々の惨状から見ますと、奇跡的なまでの少なさだと思います。
(インドネシアの津波の犠牲者は二十万人以上といいますから)
 これは、前にも書きましたように、あの地方の普段の避難訓練のたまものだと思いますが、あと気づくのは、火事の少なさです。
 むろん相当数の火事は発生したでしょうが、死者や行方不明者の多くが火事による――という話は聞きません。
 これもおそらく、ふだんから火事に気をつけていたからでしょう。
 津波をかぶった箇所では、津波によって火は覆われてしまったでしょうけど、そうではなくて強烈に地震を受けた地域は広大な面積ですから、そこでの火事の少なさは印象的です。
 東北地方の人たちは本当によくやったと思います。
(関東大震災では、ほとんどの犠牲者は火事によっています。昭和20年の空襲もそうでした。神戸大震災でも火事による犠牲者が多かったように聞いています)


▼薄まる悲惨さ

 テレビでも新聞でも、無数のご遺体は映りませんから、被害地の悲惨さは数分の一に薄まっていると思います。
 だから、実際にはもっとずっと正視に耐えないような実状なのでしょう。
 発見され収容されたご遺体はごく一部でしょうから、大部分は瓦礫の中や海に沈み、骨になってから発見されるのかもしれません。
 戦後東京に戻ってから、食糧難のために庭を耕して畑にしていましたが、親に言われて耕していると、よく骨が出てきました。
 たぶん動物の骨でしょうが、ひょっとしたら・・・?
 被災地のご遺体に関しては、これからますます大変になってくると思います。
 仮にお骨が見つかったとしても、それがどなたのものなのか、鑑定するのは大変な事ですから、長く分からないままかもしれません。
 素人では、残されたお着物で推理できる程度でしょうか?
 空襲の時も、関東大震災の時も、そうだったと思います。
 ウチの場合も、青山の墓地に埋葬されている祖父のお骨が、はたして本当に祖父のものなのかどうか、分かりません。空襲で死んだ直後に多くの他のご遺体といっしょに火葬しているので・・・。


▼奇跡の携帯光

 携帯って役に立つのですね。
 テレビに出ていた母と娘は、自宅の屋根に登ったものの、その屋根が水で流され、屋根にしがみついたまま海に流されてしまいました。
 漂流四時間。
 近くを、帰ってくる漁船や、逃げた漁船が通るのですが、気づいてくれません。
 携帯を持っていましたが、電話そのものは不通です。
 しかしふと思いついて、携帯の光を使えないかと、携帯を光らせたままで、必死で振りました。
 ほとんどの船は気づきませんでしたが、ある人の小さな漁船がついに気付き、助けてくれました。
 その人は、海に浮かぶ瓦礫を避けるために前の電気だけをつけていて他はつけていなかったので、気づいたらしい。
 その人の名は、下の名しか言わなかったので、分からなかったのですが、避難所に避難したあと、必死に探して、やっと見つけて、お礼を言う事が出来ました。
 その漁船の人は、家族を高台に逃がしてから、自分は港にいた漁船に乗って沖に出て、津波がひいたあとで帰るところでした。港に係留したままだと津波で破壊されてしまうが、海に出ていれば助かるのですね。
 その人の家族のうち父親は高台に逃げ遅れて亡くなったそうです。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5224『世相家事雑感』◆◆◆

▼津波を乗り切った釜石の中学生

 みのもんたの番組で、釜石の中学生が頑張って、小学生や保育園児や病人を含めて、大勢を助け、自分たちも全員が助かったという話をやってました。
 3000人の人たちが一人も犠牲にならなかったとか・・・。
 その番組が正しいとして、大まかに紹介しますと、次のような事です。
 その中学では、避難訓練を繰り返していましたが、その指導に当たった群馬大の教授は、次の三条件を徹底して生徒に教えていたそうです。

(1)想定を信じるな。
(2)最善を尽くせ。
(3)率先避難せよ。

(1)について――
 自然というものは想定など出来るものではない。だから、お役所から配布される津波想定地図などは信用してはいけない――というのが教授の意見で、この意見を中学生に繰り返し教えていたそうです。
 そのお役所からの地図が画面に出ていましたが、その中学校とすぐ側にある小学校は、完全に津波予想の圏外にありました。
 しかし事実は、その校庭から15メートルもの高さにまで水が押し寄せ、三階の窓に自動車が突き刺さるような有様で、屋上に逃げていても全員死んでいただろうとの先生の述懐でした。

(2)について――
 とにかく相手が自然では、このあたりで良いだろうという安易な考えは禁物で、とにかくどこまでも時間と体力の許すかぎり逃げなくてはいけない――という教えです。

(3)について――
 自然の大災害が有ったとき、周辺の人たちに逃げろ――と叫んでも無理で、自分たちが必死で逃げることによって、その姿を見た人たちがこれは大変だと思って同様に逃げるようになる。それが率先避難の効用です。

 もともとこのあたりには高校は無いので、学生といえば中学生です。そこで普段から、中学生が中心になって災害に対処しようと考えていたそうです。

 では、この三つの教えを元に訓練を続けていた中学生がとった行動はどうだったのかと言いますと、大地震が来たとき、校長は校内放送で逃げよと言うつもりだったが停電で放送出来ず、やむをえずハンドスピーカーを必死で取り出して叫んだそうですが、その時にはすでに生徒たちは走り出していたそうです。→(1)と(2)の教えですね。

 その姿を見た隣の小学校でも、これは大変だと、逃げ出しましたが、小学低学年はそんなに早くは走れません。そこで中学生が小学低学年の手を引くなどして、走ったそうです。→(2)と(3)の教えですね。

 途中に保育園があり、そこの先生たちが園児を何人も一度に抱いている姿を見て、中学生が園児を抱いて走り出しました。また、車いすを押す中学生もいたそうです。普段の教育ですね。

 そしてついに第一避難所に着いたのですが、中学生たちはそれでも安心はしませんでした。崖崩れなどが起こっているのを見て、ここも危ないかもしれないと判断し、さらに上にある第二避難所を目指しました。→(1)と(2)の教えですね。

 そしてついに全員が第二の避難所に着いたとき、津波が襲ってきて、学校はもちろん第一避難所すらも津波に襲われたそうです。
 小学生の手を引き園児を抱えて走り抜いた距離は1.2キロだったそうです。

 こうして、(1)(2)(3)の教えと普段の訓練と、危機の時は自分たち中学生が中心になるという気構えによって、全員が無事だったのです。

 この話を聞いて私は、とくに(1)の「想定を信じるな」の教えに感心しました。
 偉い学者の話に逆らうような事を、一人の学者が中学生全員に教えたのですから・・・。
 なんでも「想定外でした」を言い訳にする人たちに鉄槌を下すような番組でした。


◆◆◆ オロモルフ号の航宙日誌5314『世相家事雑感』◆◆◆

▼釜石の奇跡

 という産経新聞の昨日の記事に、群馬大院教授の片田敏孝氏の話が出ていました。
 小中学生たちに、
「役所から配られるハザードマップ(津波の被害想定地図)など信じるな。とにかく高い場所にどこまでも逃げろ。」
 ――と教え、その教えを受けた中学生が中心となって、小学生や附近の人を従えて徹底して走って逃げ、一人の犠牲者も出さなかったという事です。
 驚くのは、決められた第一避難場所すら危ないと自主的に判断して、さらに高い場所まで逃げて助かったのだそうです。
 さらにこの教授の注意として、
「逃げていない人の家を探して注意などするな。逃げ遅れる。それよりも、大声で叫びながら走りなさい。そうすれば皆驚いて走り出すだろう」
 ――というのがあり、実際にそうだったそうです。
 保育園の園児が助かったのは、そのためだそうです。保育園の人が驚いて園児を抱いて走り出し、それを中学生が助けて走ったらしい。
 写真を見ますと、この中学はハザードマップの外側に有ったにもかかわらず、屋上まで津波の被害を受け、三階くらいに自動車が引っかかっていました。
 また、役所で決めた第一避難場所までも津波が来ていたそうですから、そこに留まっていたら皆死んでいたでしょう。
 これは、前に私がこの掲示板に記した話で、保存頁にも保存してあります。
 テレビで見て感激したので書いたのですが、その後、イギリス、ドイツなど外国からも多くの取材が有ったそうです。




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