■□■□■ 平田神社参拝記録(オロモルフ)■□■□■


0.まえがき

 平成十九年三月二十八日、家内と二人、平田篤胤を祀る平田神社に参拝してきました。
 言うまでもありませんが、平田篤胤は江戸後期の大学者で、何百人というお弟子さんを教え、そのお弟子さんたちが明治維新後に活躍して近代日本の基礎をつくりました。
「大山参り」の時にご紹介した、関東總鎮護・大山阿夫利神社を復興させた権田直助もその一人でした。

 さて、天気は晴れのち曇りで、まあまあの参拝日和。
 場所は、東京新宿駅から小田急線の各駅停車の最初の駅「南新宿」から北西に少し行ったところです。
 地図では5分で行けるように見えるのですが、道が複雑で、十五分以上かかりました。
 駅のホームの下あたりに、1/3000の地図でもわからない獣道のような道があり、そこを通らないと短距離では行けないのです!
 帰りは道がわかったので五分で駅につきましたが、昔の田舎の道をそのまま道にしてしまったので、細い道がごちゃごちゃと続くのです。
 私は原宿で生まれ育ったので、明治神宮の原宿側はだいたいわかるのですが、その反対の代々木の側はさっぱりわかりません。
(明治神宮には親子三代にわたってお世話になりました。ありがとうございます)



1.全景(北→南)

 でも何とか到着しました。
 ここからは写真をご覧ください。
 ビルの中にある――と聞いていたのですが、たしかにそうですね。
 三階建てのビルの一階が神社と社務所になっていました。



2.全景(南→北)

 逆からの写真です。合格祈願という文字が見えます。
 家内によると、小田急線の窓からここが見えたそうです。
 さて、参拝する前に、平田神社の概要を、神社で配られている説明文で記しておきます。

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平田神社案内

『御祭神』
平田篤胤(ひらた・あつたね)大人命一七七六〜一八四三
近代日本の夜明け前を開き(島崎藤村の不朽の名作「夜明け前」に詳しく述べられています*)、宗教改革と古典文化復興を通じて、明治維新の指導原理の基となった偉大なる宗教家、思想家、学者、教育者として知られています。国学の四大人の一人として崇められ、没後に神霊真柱大人(カムタマノミハシラノウシ**)という謚号霊神号を賜り、神として祀られました。

『御神徳』
御祭神は次のことを司り、御導き下さる神様です。
一、文化(学問、芸術、道徳、宗教)
一、健康(医薬)
一、豊かな生活(財運)
一、世直し(社会開発、社会革命)
一、人生指針(易占、教導)

『由来』
明治初年、東京柳島横川町(墨田区)に平田家邸内社として創祀。
明治十四年十一月、明治天皇の御下賜金をもとに東京小石川第六天町(文京区)に遷座。昭和三十四年十一月、現在地に遷座。
昭和六十二年六月、社殿その他施設全面新築完成。

『例祭』
毎年十一月三日(文化の日)

『所在地』
東京都渋谷区代々木三−八−十電話(〇三)三三七〇−七四六〇

『受付』
午前九時〜午後五時

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 以上のような有り難い神社です。

(*オロモルフによる注1
島崎藤村の『夜明け前』は明治維新後に、平田篤胤を尊敬する地方の青年の苦闘を描いていますが、平田篤胤はもちろん、多くのお弟子さんたちが登場します)

(**オロモルフによる注2:
大人命の大人はウシと読みます。ウシとは古語で主人とか偉い人とか首長といった意味です。のちに「XXの首長」という意味の「XXノウシ」の「ノウシ/NOUSI」が変化して「ヌシ/NUSI」となり、それに「主」という漢字が当てはめられ、現在よく使われる主(ヌシ)になったという話もあります。いずれにせよウシとヌシは古くからほぼ同意です。ちなみに、ウシにズボンや靴を履くのハクをつけて「ウシハク」とすると偉い人が強権をもって土地住民を支配する意味になり、大國主神を批判する言葉として『古事記』に出てきます)



3 鳥居

 鳥居の知識は無いのですが、明神鳥居と言うんでしょうか。



4 拝殿へ

 お辞儀をして拝殿へ。



5 拝殿

 拝殿で参拝。礼をしてパチパチ。
 この右に社務所の窓口があり、そこに女の方が座っていてじっと見ておられますので少々緊張。
 あとでもうお一人女の方が出てこられました。
 拝殿の奥はとても綺麗で、光り輝く写真も撮りましたが、ここでは遠慮しておきます。
 奥は暗いのに、写真に撮ると光り輝いているのです!



6 学業成就の御神札

 社務所でこの御神札を頂きました。
 平田篤胤大人命は超人的な勉強家でしたから、学業成就の神様なのです。
 オロモルフ夫妻は今更学業成就でもないのですが、子供達や孫のために頂きました。



7 御朱印

 御朱印も頂きましたが、筆で書いていただく予定がちょっと失敗しました。



8 「合格祈願 平田神社」と書かれたエンピツ

 こういうエンピツを頂きました。御神札のオマケです。
 どこでもいいから合格しますように・・・と孫にやりました。



9 社務所で勧められた小説

◎荒俣宏『帝都幻談上下』文藝春秋(200703)

 社務所の方が、荒俣さんが平田篤胤の事をお書きになった――とこの本を紹介してくださいました。
 荒俣さんが平田篤胤に強い興味をお持ちであることは、対談本――

◎荒俣宏+米田勝安『よみがえるカリスマ平田篤胤』論創社(200012)

 で知っていましたので、てっきり伝記かと思って買いましたら、そうではなく、お得意の幻想小説「帝都もの」でした。
 平田篤胤はむろん出てきますし、娘やその婿であとを継いだ平田銕胤も出てきます。
 さらに、『仙境異聞』の寅吉とか、『稲生物怪録』が出てきます。

 荒俣さんが対談なさった米田勝安さんは、平田篤胤の第六代宗家当主を継いだ方で、事業家としても有名だそうです。
 平田篤胤・銕胤・延胤・盛胤・宗胤・そして米田勝安さん。
 米田さんは平田家とは母方の血筋で、盛胤の曾孫に当たりますが、第五代に子供がいなかったのであとを継いだのだそうです。
 しかし四代目、五代目と一緒に暮らしていたそうですら資格は十二分ですね。二代目の銕胤も婿養子ですから、伝統的に女系なんですね。
 また、現在の平田神社の宮司さんは奥様だという事です。
 たぶん社務所でお会いした方だと思います。

 平田篤胤の遺品には膨大な原稿があり、使っていた机もあり、それが丁寧に保存されているそうです。よく戦災を免れたと思います。前記対談本に一部が写真で紹介されています。たぶんこの三階建ての建物の中にあるのでしょう。
 原稿類は対談本が出たころには未整理だったそうですが、備中處士さんのお話しでは、その後目録作りが進んだそうです。
 とにかく幕末の大天才ですね。



10 平田篤胤が使用していた穴あき机

 長いこと机に向かっていると、肘が痛むことがあります。私の場合、書き物をするときに左腕の肘を机に強く押し付ける癖がありますので、しばらくすると痛くなってきます。そこで小さなクッションを机の上に置いています。
 平田篤胤もそういう癖があったらしく、さらに超人的な研究と執筆活動を続けた人ですから、左の肘がおかしくなってしまったようです。
 そこで、肘が痛くならないように、机に穴をあけ、そこに麻布を張って使用したのです!
 それがこの写真です。前記対談本から撮りました。
 びっくりしますね。

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 私は平田篤胤については専門的な知識はまったく無いのですが、超能力者の記録などを読んで平田篤胤を見直したのは、その学問への手つきがきわめて近代的・科学的である事がわかったからです。
 昨今のテレビのUFO番組や超能力番組のようなバカバカしさはありません。
 篤胤を狂信的な国粋主義者だと非難する進歩的文化人?がいるそうですけど、とんでもないですね。
 荒俣宏さんに言わせると、南方熊楠以上の知の巨人で、途方もないスケールの万能の学者です。
(荒俣さんは前に私の著作を褒めて下さったことがあり、それ以来私は氏のファンになりました(笑))
 それはともかく、博覧強記で知られる荒俣さんが「熊楠以上の巨人」と言うんですから間違いありません。
 まさしく神様です。

(以上はチャンネル桜の憂児さんの掲示板「古来閑話」に掲載したものです)


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