■□■□■ 日本と半島で異なる議論の伝統(オロモルフ)■□■□■

 良心的日本人と某半島近隣国とでいかに議論の仕方が違うかは、正論新風賞の古田博司さん等が李朝時代からの歴史的由来(儒教論争の伝統)を含めて説明しています。
(たとえば『韓国・北朝鮮の嘘を見破る(文春新書)』・・・など)
 以下は、「日韓歴史共同研究委員会」の委員として苦労なさった古田氏らの解説をわたし流に纏めたものです。

◎議論の伝統〔甲〕
 事実を客観的に調査して資料をつくり、その資料をもとに論理を組み立てて結論を出し、その結論を相手に丁寧に説明する。

◎議論の伝統〔乙〕
 自分にとって都合のよい結論を最初につくり、その結論を支持する資料だけを探し(見つからなければ自分で創作し)、それを貼り付けて結論を補強し、大声で相手を威圧する。

〔甲〕は良心的な日本人の議論の伝統です。
〔乙〕は半島近隣国の五百年前からの伝統です。

 要するに〔乙〕は何百年もの間に身にしみついた伝統文化で、彼らにとってはそれが正しい方法なのです。

 以上は古田氏らの解説を纏めたものですが、以下は私の感想です。

 上の半島的な論法に対して某大陸近隣国の場合は、史実と論理を無視する点では同じでも、方法は〔乙〕とは少し違うように思います。強大な武力を背景にして威嚇しつつ微笑し、餌をぶらさげて見せます。またもちろん、〔甲〕と〔乙〕の中間もあります。たとえばアメリカが日本を批判するときなどは、甲乙を巧みに使い分けるように思います)

 よくインターネットで、憂国の人たちが、近隣国に対して、「何という大嘘つきだ。恥を知れ」と叫んでいるのを見ます。
 しかしこの怒りの言葉は、「嘘(*)をつくのは悪いことで、恥ずかしいことだ」という文化(考え)を持っている(ごくわずかな)人たちにしか通じないと思います。
 世界の多くの人たちは、「嘘は悪い」とか「恥」とかいう観念とは無縁で、もっとも大切だと思っているのは「お金」だからです。

 だから重要なのは、「自国内の団結」と「他の国々への宣伝」です。
 この二つが苦手な日本人は常に悲劇の主人公です。
(むろん、より根源的には武力です。〔乙〕のような議論をする人たちは武力に弱いのです)

(*:漢字の「嘘」には、もともと日本人の言う「ウソ」の意味はありません。「妄言」「妄説」などは「ウソ」という意味らしいですけど・・・)


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