■□■□■ 石川英輔の御本紹介=江戸時代暗黒説への反論(オロモルフ)■□■□■

■石川英輔さんの新刊文庫

◎石川英輔『大江戸開府四百年事情』講談社文庫(200607)

第一章 徳川幕府の政治
第二章 盛んになる農工商業
第三章 江戸の暮らし
第四章 江戸時代の多様性
第五章 江戸時代は二百六十五年続いた!
(2003年に出た本の文庫化)

■石川英輔さん

 技術系の感覚でユニークなSFを書いて作家としてデビューした方ですが、私は昔からの知り合いでして、いつもご本を戴いています。
 上掲書は最近贈呈して下さったものです。
 SF小説は今でも書いておられますが、最近では、江戸時代の研究家・啓蒙家として有名で、NHKテレビのお江戸ドラマ(お江戸でござる/道中でござる)の解説でも、毎週のように温顔を拝見します。
 おそらくは、過去への時間旅行SF執筆のために江戸時代の研究を始められたのでしょうが、大変な資料収集と分析の能力で、いまでは、歴史の専門家を超えてしまったと思います。
 そして、その歴史観は、きわめて健全です。

■たとえば、次のような言葉が記されています。

「・・・身売りの証文が10点あったとしても、それが全体の中でどの程度の割合を占めるかがわからなければ、個人的な問題と考えるべきなのか社会的な問題と考えるべきかも判断できない。仮に人口10万人の町でのことなら、その人以外の99990人は身売りしなかったことになるが、いちいち「私は身売りをしなかった」と書き残す人はいないから、その記録は残らない。
 ・・・酒を飲めない人が日記に毎日「今日も酒を飲まなかった」と書かないように、普通の人は当たり前のことを記録に残さないから、10万人の町で99990件の「私は身売りをしなかった」という記録が残っているはずがない。史料至上主義の立場に立って、史料のない部分を無視すれば、残るのは身売りした人の記録だけになる。
 母集団の大きさを無視したこういう記述を読むと、まるで全員が身売りしたとまではいわなくても、身売りする方が当たり前の社会だったような印象を受けるのだ」

 飢饉や一揆の問題でも同じですが、石川英輔さんは、江戸時代暗黒説に対して数量的な検討を加えて、きわめて論理的な反論をしておられます。

■石川英輔さんが講談社から出している文庫本

 石川英輔さんの著作は人気が高いので、四六版などで出たあと、みな文庫になっています。
 したがって入手は容易です。
 以下に記します。

◎大江戸神仙伝
◎大江戸仙境録
◎大江戸遊仙記
◎大江戸仙界紀
◎大江戸仙女暦
◎大江戸仙花暦
(以上はSF小説)

◎大江戸えねるぎー事情
◎大江戸テクノロジー事情
◎大江戸生活事情
◎大江戸リサイクル事情
◎大江戸えころじー事情
◎雑学「大江戸庶民事情」
◎大江戸番付事情
◎大江戸庶民いろいろ事情
◎大江戸開府四百年事情
(以上が江戸時代の解説書の主体)

◎大江戸生活体験事情(共著)
◎2050年は江戸時代
◎数学は嫌いです!

 一般の方々には、(江戸時代解説書の主体)と記した九冊をお薦めします。

■エネルギー物質とエントロピー

 石川英輔さんは、エネルギーや物質に着目して江戸時代を現代と比較していますが、同時に、エントロピー概念による比較もなしておられます。
 こういうところも、いかにも技術者らしい発想で、好感がもてます。

■もう一つのたとえ話

 上の「身売り史料」への反論の次に笑話が記されていますので、引用しておきます。
「(江戸時代暗黒説の)著者は「事実を述べただけ」というかもしれないが、事実は必ずしも真実ではないのである。こういう笑い話がある。
 たまたまある貨物船に乗り合わせた船長と一等航海士はとても仲が悪かった。その船会社では、航海日誌は、船長と一等航海士が当直の日に交代でつけることになっていたが、船長は毎回「今日の非番の時、一等航海士はずっと酒を飲んでいた」と書いた。腹を立てた一等航海士が、「非番の日に酒を飲むのは私の勝手で、当直の時には一滴も飲まないのに、なぜわざわざそんなことを書くのか」と抗議すると、船長は、「私は事実を書いただけだ」と答えた。
 一計を案じた一等航海士は、次の当直の日誌から「昨日の船長は、当直中酒を飲まなかった」と書いた。毎回同じことを書くので、今度は船長が腹を立てて、「こういう書き方をされると、日誌を読んだ重役たちに誤解されるから書かないでほしい」と抗議すると、一等航海士は「貴方と同じように、私は事実を書いているだけだ」と答えた。

 つまり、二人とも、事実の一部だけを書く、つまりウソではないが真実ではないことを書くことで相手を攻撃したのである。私たちが江戸時代に対して抱いている暗い印象も、似たような方法で作り上げられた部分が多い。
 具体的にいうなら「量としては圧倒的に多い普通の生活は、記録にないため無視し、記録に残っている異常な社会現象だけをくわしく説明する」方針で、事実ではあるが真実ではない江戸時代の姿を教えられたのだ。しかも、それが〈異常現象史〉なのだという説明がないから、大部分の日本人は、江戸時代は人権無視の暗い封建社会だと思いこむようになったのである」

■これはいろんな憂国の士が

 ――前々から言っている考えですが、石川英輔さんは、技術者的な感覚でじつに詳細に数値的分析を加えておられるので、同じ言葉でも、迫真力が違ってくるのです。
(石川英輔さんは、もともとは印刷技術の専門家で、学会から賞を受けているような有能な技術者です。専門方面の立派な著作もあります)

■とくに飢饉の話は

 ――すでに有名になっています。
 偏ったイデオロギーで江戸時代を暗黒とする論に対して、石川英輔さんはじめ多くの憂国の士が、上のたとえ話と似た筆法で反論しておられるようです。
 たしかに住民が餓死するような飢饉はありましたが、そういう悲惨な史料が残っていない年や場所では、人々は普通に暮らしていたわけでして、そういう普通に暮らせた年や場所の方が、圧倒的に多いのです。
(江戸時代の日本は、たいていの場所に文字の書ける人がいました)

■江戸時代暗黒説は戦前から

 ――ありました。
 戦後の暗黒史観は左翼的イデオロギーによるのでしょうが、戦前のものは、明治維新を賞賛するために、その前をことさら悪く言う人がいたためのようです。
 オロモルフが戦前戦中の小学生時代に習ったのはそういう暗い江戸史観でした。

■江戸の飢饉について面白いのは

 ――同じ理系でも技術畑の石川英輔さんとは対極にある理学者の板倉聖宣(理学博士)さんの原子論的考察で、「物質不滅の原理」に基づいて暗黒説を論破しておられます。
 これは渡部昇一さんが称揚しておられる考え方です。

■板倉聖宣さんの「物質不滅の原理」によるお米の研究

 話が板倉さんに移ってしまいますが、江戸暗黒史観を論破する有名な説なので記しておきます。
 といっても私もうろ覚えですので雑談にすぎず、興味をお持ちの方は、板倉さんの著作をお読みください。

◎江戸時代の農民は気の毒で、稗や粟などの雑穀をやっと食べる程度でいつも飢えていた、と言う人が多いらしい。

◎江戸時代は史料が豊富に残されていて、それらから、農民が作っていた穀類は石高にして、米が七割、残りが麦と雑穀半々だった。
 しかし暗黒史観では、米は年貢米として武士階級に搾取されてしまい、農民は食べられなかった――とされるらしい。

◎板倉さんの原子論的「物質不滅の原理」によりますと、

A 武士階級の人数は農民に比べてほんのわずか(多くて5パーセント?)で、どう計算しても、そんなに多くの米を食べられる筈がない。

B それに、ありあまる量の米を奪っても、それだけで生きてはいけない。
 おかずもいるし、衣服や刀も買う必要がある。家もいる。それに、もし米だけ大量に貰っても、煮炊きする釜も薪も無かったら、食べることが出来ず、お米の山を前にして飢え死にしてしまう。

C だから、年貢として取り立てた米を売ってお金や他の物資に換える必要がある。そのためには商人に売ることになる。

D その商人は、買った米を自分たちで食べたのだろうか?
 商人の人数は、武士と同程度であり、そんな多くの米を食べられるわけがない。それに、儲けるために買うのだから、買った米はどうなるのだろう?

E 日本は江戸時代でも海外との貿易をしていたが、米を輸出したという話は、国内にも外国にも残されていない。
・・・・・・・・

 板倉さんは、こういう論法で、様々な史料を駆使して、米の行方を追って、日本の農民が米を食べられずに飢えていたのはおかしい――という結論に達します。

 板倉さんは、この話を聞いた反日教師から、「お前は江戸時代の農民が可哀想だとは思わないのか」と詰問されたそうです。
 可哀想とかそうでないとかいう話ではないのですけどね・・・。

 オロモルフは、別の意味で、暗黒史観に疑問を抱いています。
「日本全国の農民がそんなに飢えていたら、身体が弱って病気になり、次の年に農作物を作る人がいなくなるのでは? だとすると武士階級も共倒れになるのでは?」

■江戸時代の農民と女性の地位

 この後は本当の雑談です。
 石川英輔さんのご本には、江戸の女性の地位についても、いろんな話が書かれています。
 江戸幕府ができたころは、女性の人口が少なかったため、相当な女性上位だったらしい。
 それが時間とともに女性が増えてきて、そうでもなくなったようですが、幕末になっても、日本の女性の地位は相当高いものだったらしい。

 これは、来日した多くの欧米人の記録に、驚きとともに記されています。
 とくに同じアジアの近隣国と比較して驚いたようです。

 私は戦前戦中に小学校で江戸時代暗黒説を習ったので、江戸の女性の地位や身分制度について誤解がありましたが、聞いてみますと、我が家でも女性は相当上位だったとか。

 私の曾祖父は江戸開府の時に家康に従って江戸入りしたと伝えられる家系の旗本でしたが、その妻、つまり曾祖母は、近在の農村の出でした。
 どういう農家かは分かりませんが、特別な家ではなかったようです。
 テレビでお馴染みの江戸城大奥に勤務してハクを付けた(?)のち、旗本と結婚したのです。

 父の記憶によりますと、この曾祖父母の家庭は徹底した女性上位で、農家出身の妻の方が酒飲みで数段威張っており、旗本の夫は、妻の荷物を持ってトコトコとあとをついてゆくような有様だったらしいです。
 ですから、女性の地位についても、学校で習ったことと我が家の言い伝えとは、かなり違うのです。

 私の自宅の書庫はSFが充満しておりますが、書庫として使っている五つの部屋に「SF擁書楼1〜5」という名をつけております。
 これは江戸時代の学者・小山田與清(おやまだともきよ)の真似です。
 小山田は、農村の生まれですが学問が好きで、江戸に出てお金を貯めて「擁書楼」という図書館をつくりました。
 これは、日本における私立図書館の最初だそうです。
 このほかにもいろんな例があり、地方の農村から江戸に出て成功した人は結構いるようです。私の曾祖母もそのうちの一人?(笑)

 女性の旅行についても、田上菊舎、荒木田麗など多くの江戸時代の女流作家が、日本各地を歩いて文学修行をし、その道中日記を残しているそうです。

 もちろん旅行の容易さとか人数とかは今とは違います。
 なにしろどこに行くにも歩くわけですから、女性はとくに大変だったでしょう。

 いずれにせよ江戸時代には、数多くの女性の日記が残されているのです。
 これは、アジアの他の国ではほとんど無いことだろうと思いますし、欧米でも少なかったでしょう。


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