■□■□■ ツュンベリーとタウンゼントの記録(オロモルフ)■□■□■


 以下は、江戸中期の日本を観察したヨーロッパの学者ツュンベリーの記録と、戦前の中国を観察したアメリカの外交官タウンゼントの記録を対比しながら記したものです。
 某掲示板に連載して好評でしたので、保存いたしました。
(オロモルフ)


『ツュンベリーとタウンゼントの記録1』

◆◆◆ 1.ツュンベリーとは ◆◆◆

 ツュンベリーはスウェーデンの医学や植物学の学者で、1743年生まれ。
 有名なリンネなどに師事して医学博士となりました。
 オランダ船の船医となって世界一周旅行をし、1775年8月に長崎に着いて、その翌年オランダ商館長フェイトの侍医という名目で江戸参府旅行に随行し、その年の3月4日(日本暦の一月)に江戸に向け出発し、6月30日に長崎に戻りました。
 品川着が4月27日で、江戸発が5月25日ですから、ほぼ一ヶ月江戸に滞在したことになります。
 また、往路に二ヶ月近く、帰路は一月強かかっていたことがわかります。
 ツュンベリーはその年の12月に長崎を離れ、のちに旅行記を書いて出版しました。
 この旅行記の中では、日本に関する部分がいちばん資料的に充実しているといわれます。
 それは、日本人が提供する資料がそれだけ多く、きちんとしていた事を意味しています。
 そのため、江戸中期の日本人の様子が、じつによくわかるのです。

 その日本篇の翻訳が、

◎ツュンベリー(高橋文訳)『江戸参府随行記』平凡社東洋文庫(1994)

 ――です。
 翻訳は戦前にもありますが、これが一番入手しやすい筈です。
 有名な本なので、ご存じの方が多いと思いますが、オロモルフにとって参考になる記述がたくさんありますので、中国についてのタウンゼントの記録と対比しながら、ピックアップしてみます。


『ツュンベリーとタウンゼントの記録2』

◆◆◆ 2.ツュンベリーの記録についての解説者の感想 ◆◆◆

 訳書の巻末に木村陽二郎という人が解説を書いていますが、そのなかで、次のように言っています。

「・・・ツュンベリーのこの書を読むと、自分の小学生時代の日本を思い出す。ツュンベリーの時代と私の小学生のころの日本との差は、小学生のころと現在の日本との差よりずっと少ないような気がして、やはり昔がなつかしくなるのである」

 まったく同感です。
 この本には、日本人の欠点とか、日本の原始的な面とかもいくつかは書かれていますが、それらもすべて含めても、上と同じ感想を持ちます。

 オロモルフの少年時代は、ツュンベリーの時代と170年の差がありますが、その170年の変化よりも、オロモルフの少年時代と現在との60年の変化の方が、ずっと大きいと感じます。
 もちろんそれは、悪い方への変化です。

 ツュンベリーは、日本人の一部に見られる素行の悪さが、悪いオランダ人の影響だとしていますが、この60年間に日本人が受けた外国人の悪行は、天文学的な数にのぼります。
 国内に住む不良外国人も激増してしまいました。
 自信を失った日本人が悪い影響を受けるのは当然です。


『ツュンベリーとタウンゼントの記録3』

◆◆◆ 3.ツュンベリーに関連して江戸から明治初期にかけての日本人の記録 ◆◆◆

 欧米人が当時の日本人をどのように見ていたかの記録を丁寧に調べた本として、

渡辺京二『逝きし世の面影(日本近代素描I)』葦書房(1998)

 ――があります。
 この本は、たしか和辻哲郎賞を受賞したはずです。
 この本の著者は、第一章で述べています。

「実は一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川文明とか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。明治期の高名なジャパノロジスト、チェンバレンに「あのころ――1750年から1850年ごろ――の社会はなんと風変わりな、絵のような社会であったことか」と嘆声を発せしめた特異な文明である」

 江戸時代の日本人に自由が無かったと錯覚している人は、ぜひこの本を読んでほしいと思います。当時のヨーロッパや他のアジア諸国の実情をよく知っているツュンベリーにとって、とても印象的だった江戸中期の日本人の「自由」を再確認することができます。


『ツュンベリーとタウンゼントの記録4』

◆◆◆ 4.タウンゼントとは ◆◆◆

 タウンゼントは、下記の本の翻訳で最近評判になりました。

◎ラルフ・タウンゼント(田中秀雄・先田賢紀智共訳)『暗黒大陸中国の真実』芙蓉書房出版(2004)

◎著者の略歴(この本より)
 アングロサクソン系アメリカ人。コロンビア大学卒。新聞記者、コロンビア大学英文科教師を経て国務省に入る。1931年上海副領事として中国に渡る。満洲事変に伴う第一次上海事変を体験。その後福建省の副領事として赴任。1933年初めに帰国。外交官を辞め、大学講師のかたわら著述と講演活動に専念。親日派の言論を展開したため、真珠湾攻撃後は1年間投獄される。5冊の著作すべてに極東アジアに関する鋭い知見を披露している。

(原著は1933年にアメリカで出版されましたが、その復刻が1997年に出ており、訳者はたぶん復刻を参考にしたのでしょう)
(ここにはありませんが、訳者のあとがきでは、戦後は共和党関係の仕事をしたらしい)

[この人とこの本の存在は、日本でも一部憂国の士には知られていたそうですが、翻訳が無かったので、一般の人が知るのは、これが最初です]

◎訳者紹介
 田中秀雄:――
 1952年福岡県生まれ。慶応大学文学部卒。日本近現代史研究家。著書に『映画に見る東アジアの近代』『国士・内田良平』など。
 先田賢紀智:――
 1955年鹿児島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。県立高校英語科教諭。近現代史を研究。著書に『インドネシア紀行』など。
(お二人とも、展転社から本を出すなど、保守系の論客としての活動を続けている人です)

◎読んだ感想
 読み出したらやめられない本です。
 大東亜戦争前のシナ大陸の実相を、実体験をもとに記しており、シナに甘い母国のアメリカへの忠告の書なのですが、その内容は、そっくりそのまま、現在の中国に当てはまり、また日本への忠告そのものになっております。
 ごく一部に、日本についての錯覚もあるようですが、じつに勉強になります。
 また、シナに甘いアメリカ宣教師への痛烈な批判は、現在の日本のマスコミにもそのまま通じます。


『ツュンベリーとタウンゼントの記録5』

◆◆◆ 5.タウンゼントの本の書評 ◆◆◆

◎宮崎正弘氏による書評(台湾の声より)
 本書は民族派、保守派にとって必読の資料的価値がある。
 ラルフ・タウンゼントという人物は以前から識者の間で知られていた。日本を擁護し、真珠湾攻撃直後に「反米活動」で逮捕され、一年間投獄されたアメリカの良心。タウンゼントは米国の上海領事館副領事から福建省で副領事をつとめたが、ジャーナリストでもあったので、観察が鋭く、汚染された河と汚い小舟しかない当時の中国を旅行した。
 訳者の田中氏らは、どうにかして日本人に忘れられた、このアメリカ外交官を顕彰しようとして処女作を手に入れ、多くの人の協力を得て、ここに訳出した。その功績や大である。
 この本は1933年の作品でタウンゼントが米国大使館上海副領事として、日々、かの猥雑なペテン師だらけの国で実際に目撃した出来事と、直接体験から考えに考えての中国人論を展開し、日本の経営する満洲こそ、中国人にとって天国ではないかと、その真実を報告しているのである。
「中国人はただ働けて束縛されずに生きられれば、どんな旗がはためこうとまったく気にしない。懐具合が良くて家族が無事でいればあとはどうでも良いのである」(280頁)。
 だから「満洲は中国人にとって天国」となった。
 事実、日本が経営した満洲の評判を聞いて数十万の漢族が入植した。学校は日本人より中国人のほうが多かった。
 元も清も、いや唐でさえ、異民族王朝である。吐番、大月氏、突厥、金と数え上げればきりがない異民族王朝が三百年つづこうとも、漢族は気にしなかった。
 著者の中国への学識が方々で生かされていて、しかも64年前の中国人の本質といまのそれとはまことに同一軌道をまわっている事態を、読者は感嘆と同時に体得するだろう。

[宮崎正弘氏は、中国問題のほか国際的な特許問題にも詳しい保守系の評論家として、著名な人です]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録6』

◆◆◆ 6.タウンゼントの本の翻訳者の言葉 ◆◆◆

◎なぜ『暗黒大陸中国の真実』を翻訳したのか(台湾の声より)
 田中秀雄(訳者)

 著者のラルフ・タウンゼントはほとんど日本では知られていない。しかし一度その経歴と人生を知るとほとんどの人は茫然としてしまうだろう。その行動の一貫性と数奇な運命に対してである。もっとも彼は戦前、敢然と日本を弁護し、ルーズベルト政権や中国を批判した親日派ジャーナリストとして、一部の外交専門家、言論界ではわりに知られていた。彼が忘れられたのは、日本の敗戦後である。ちょうど我々がGHQの思想統制と洗脳教育の中で、戦前一切のことを呪わしく思わされ、戦前の真実の姿を忘れさってしまったように、タウンゼントのことも忘れられていったのだ。

 しかしそのタウンゼントがGHQの職員たちの源流であるルーズベルト政権のニューディーラーたちを政権発足当時から批判し続けていたとすれば、読者はどう思われるだろう。

 彼はその著書の中で、ルーズベルト政権内部に巣食うコミンテルン勢力=彼言うところの「新自由主義」の危険性について、指摘していたのである。

 当然彼らは日本が中国大陸において共産主義と戦っている理由を理解しないわけで、真珠湾攻撃後、タウンゼントが反米活動の容疑で一年間牢獄生活をさせられるのは、いわばその言論活動の宿命ともいうべきものであった。

 また当然彼の思想は、戦後のGHQ占領体制を批判する立場にあるのだ。彼が今日よみがえるべき理由もここにある。

『暗黒大陸 中国の真実』は彼の処女作である。外交官としての彼中国の現地で見た生々しい赤裸々な中国人の実際の姿をルポしたものである。

 彼が見たのは貴重だ。排外活動で被害を受けているのは日本だけではない、アメリカもそうなのだということ、また当時の中国人と今の彼らがどう違い、似通っているか、なぜアメリカ人は中国を支持し、日本を非難したか、タウンゼントの慧眼から様々な示唆を読者は得られるに違いない。
(平成16年9月1日)


『ツュンベリーとタウンゼントの記録7』

◆◆◆ 7.タウンゼントの本の訳者のあとがき ◆◆◆

 ・・・・・
 日本の敗戦を彼(タウンゼント)がどう見ていたか、まだわからない。
 しかし、彼の著作は日本の敗退で起こる極東の混乱を予想しており、それは中国の共産政権樹立、朝鮮戦争の勃発という形で現実となった。
 彼の予言は的中したのである。
(彼は)戦後、日本人んは忘れられたまま、1975年に亡くなった。
 ・・・・・
 いずれにせよ、1930年代のアメリカ外交で日本寄りの態度を取り続けようとすることがいかに困難だったかは、マクマリー*やタウンゼントの体験によって知られよう。
(*元北京駐在公使で国務省と対立して外交官を辞めた人物)
 ・・・・・
 宣教師たちが中国でひどい目に遭っているのに、実際の本国への報告では中国に寛大で日本に厳しい見方をしている。
 このことが、昭和十年代にアメリカの対日世論が厳しくなっていく大きな流れの原因にもなっていたという事実がある。
 こうしたからくりの内幕も、タウンゼントの慧眼によって確かめ得るだろう。
 本書の最後に、1927年の国民党軍による南京虐殺事件に対して、南京在住の宣教師たちが国民党政府を非難した声明書が紹介されているが、そこに、1937年のいわゆる《南京事件》で、日本批判をしたマギー牧師の名前があることに注目されたい。
 彼のこの豹変の理由もまた、タウンゼントの観察から理解されることだろう。
 ・・・・・


『ツュンベリーとタウンゼントの記録8』

◆◆◆ 8.タウンゼントと編纂者の言葉 ◆◆◆

◎著者タウンゼントによるまえがき(1933年)の一部
 最近の中国関連本には、ありのままの真実を伝える本が極めて少ない反面、感傷的、いわばお涙頂戴式の本があふれている。
 本書はありのままの真実を伝える本である。
 中国人のありのままの姿を伝えるのが本書の狙いであるから、読み進むうちに胃がムカムカきたら、それで所期の目的は果たせたと思う。
 中国で現在何が起こっているかを正確に調査したら、ほとんどが見るも恐ろしい、胸が悪くなるような結果しか出てこない。
 中国人の行動自体が恐ろしい、胸が悪くなるようなものだから当然である。

◎復刻本にあるウィリス・A・カートによるまえがき(1997年)の一部
 本書は、いわゆる共産主義時代の到来前に書かれている。
 この五十年間、中国の共産主義者は自国民を約一億人も殺害している。
 銃殺、縛り首、踏み殺し、引きずり殺し、殴り殺し、のこぎり挽き、切り刻み殺し、飢え死に等と、ありとあらゆる方法で殺してきたのである。
 なぜこのようなとてつもない数の人間を殺したのか。
 それはマルクス・レーニン主義の罪ではあるが、同時に中国文化そのものの罪でもある。
 なんとなれば、国民がその支配者に虫けら同然に殺され、虐待されてきたのが中国五千年の歴史であるからである。
 著者のタウンゼントはこう述べている。
「四億の民(今では世界人口の五分の一にあたる十億を超えるが)の苦悩と実態」と。
 しかし、好むと好まざるとにかかわらず、今日中国は世界の大国となり、将来も無視できぬ存在である。
 しかし中国はいつまで経っても中国であり、変わることは絶対ありえない。
 いくら我々が我々の国民の血税をつぎ込んで援助しても、中国が変わることはないのである。


『ツュンベリーとタウンゼントの記録9』

◆◆◆ 9.両書からの抜粋 ◆◆◆

[ツュンベリーの記録のキャプションは、オロモルフが適当につけました。タウンゼントの記録のキャプションは、訳書にあるものを簡略化しております。オロモルフの感想は[ ]に入れてあります]

◆ ツュンベリーの記録(日本)1 ◆
◎1『日本人は第一級の民族』
「地球上の三大部分に居住する民族のなかで、日本人は第一級の民族に値し、ヨーロッパ人に比肩するものである。・・・その国民性の随所にみられる堅実さ、法の執行や職務の遂行にみられる不変性、有益さを追求しかつ促進しようという国民のたゆまざる熱意、そして百を超すその他の事柄に関し、我々は驚嘆せざるを得ない。・・・また法の執行は力に訴えることなく、かつその人物の身上に関係なく行われるということ、政府は独裁的でもなく、また情実に傾かないこと、・・・飢餓と飢饉はほとんど知られておらず、あってもごく稀であること、等々、これらすべては信じがたいほどであり、多くの(ヨーロッパの)人々にとっては理解にさえ苦しむほどであるが、これはまさしく事実であり、最大の注目をひくに値する。私は日本国民について、あるがままを記述するようにつとめ、おおげさにその長所をほめたり、ことさらその欠点をあげつらったりはしなかった。」

■ タウンゼントの記録(中国)1 ■
◎1『協調より反目を好む』
 ・・・・・
「中国人だけだと、なぜかうまくいかない。
 必要なものはすべて揃っている。
 しっかり監督すればちゃんと働く。
 仕事熱心で頭も良い。
 しかし致命的に欠けているものが二つある。
 それは正直と協調性である。
 しかもこの二つは直そうとしても直せないような感じがする。
 大人数の仕事となると中国人だけではうなくいかない。
 ・・・・・
 驚くほど裏切り者が多い。」


『ツュンベリーとタウンゼントの記録10』

◆ ツュンベリーの記録(日本)2 ◆
◎2『オランダ人の愚行』
「このように極端な検査(長崎での持ち物検査)が行われるようになった原因は、オランダ人自身にある。・・・原因にはその上に、数人の愚かな士官が軽率にも日本人に示した無礼な反発、軽蔑、笑いや蔑みといった高慢な態度があげられよう。それによって、日本人はオランダ人に対して憎悪と軽蔑の念を抱くようになり・・・その検閲はより入念により厳格になってきた」
[長崎のオランダ人は、奴隷をたくさん連れてきてこき使っていて素行が悪く、密輸などやりたい放題で、そのため日本側は反感を持ち、必死で検査をしていたという話です]

■ タウンゼントの記録(中国)2 ■
◎2『チップを多く渡すな』
「・・・・・
 車夫は見るからに哀れな姿をしている(もちろん演技が上手だからである)。
 そこでつい、チップを弾むことになる。
 すると逆に、「騙された」と大声を上げられる。
 また「この客は上海語がわからないな」と思うと、回りで見ている苦力仲間のウケを狙って怒鳴り散らす。
「余分に払うとは金勘定もできない間抜けだ」と思って怒鳴ったり泣きついたりして、さらにふんだくる。
 情け無用の世界である。
 こちらがチップを弾んで「雪の中、裸足でご苦労。少ないがこれで一杯やってくれ」と言っても信じられないのだ。
 試しに、ちょっと乗っただけで1ドルやってみた。
 1ドルといえば彼らにとって二日分の稼ぎである。
「騙された」と言って激怒しなかった車夫は一人しかいなかった。
 宣教師たちは「田舎には本当の気高い中国人がいる。チップを弾めば皆大喜びする」と言っているが、私はそういう爽やかな人には出会ったことがない。
 ・・・・・」
[このエピソードは、ごく最近の日本での凶悪事件を想起させます。
 工事現場で働いていた中国人に、近くの親切な日本人がお茶やお菓子の差し入れをしました。すると、その中国人がその日本人の家に強盗に入って殺してしまいました。
「差し入れをするのだからきっと大金持ちだろうと思って強盗に入った」
 ――と言ったそうです。
 上のエピソードと根は同じですね。
 嗚呼、世界を知らない日本人!]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録11』

◆ ツュンベリーの記録(日本)3 ◆
◎3『中国と異なる夫婦のあり方』
「日本は一夫一婦制である。また中国のように夫人を家に閉じこめておくようなことはなく、男性と同席したり自由に外出することができるので、路上や家のなかでこの国の女性を観察することは、私にとって難しいことではなかった」
[これは長崎から江戸までどの地方でも同じだったらしいです。江戸時代から明治初期に日本に来た外国人は、日本の女性がシナや朝鮮の女性とはまったく違う扱い――つまり奴隷ではない扱い――を受けていることに驚いた記録を残しています]

◎4『世界一の親切』
「そこでは宿の主人から、かつて私が世界のいくつかの場所で遇されてきたより以上に、親切で慇懃なあつかいを受けた」

■ タウンゼントの記録(中国)3 ■
◎3『人類共通の人情がない』
「・・・・・
 中国人は二人連れで舟旅をする・・・一人旅で病気になると・・・船頭は迷わず病人を川に投げ捨てるからである。
 ・・・・・
 悪いのは迷信であって船頭が悪いのではないかもしれない。が、違う。投げ捨てられそうな人を見て「可哀そう」という人は一人もいない。逆に、少し助けてやれば病気が治りそうな場合でさえ、誰も全く関心を示さないのである。
 車が倒れて人や馬が下敷きになるような事故がよく起こるが、野次馬ばかりで誰一人、助けようとしない。この冷淡さこそが中国人の典型のようである。」


『ツュンベリーとタウンゼントの記録12』

◆ ツュンベリーの記録(日本)4 ◆
◎5『左側通行の規則』
「この国の道路は一年中良好な状態であり、広く、かつ排水の溝をそなえている。・・・上りの旅をする者は左側を、下りの旅をする者は(上りから見て)右側を行く(要するに左側通行)。つまり旅人がすれ違うさいに、一方がもう一方を不安がらせたり、邪魔したり、または害を与えたりすることがないよう、配慮が及んでいるのである。このような状況は、本来は開化されているヨーロッパでより必要なものであろう。ヨーロッパでは道を旅する人は行儀をわきまえず、気配りを欠くことがしばしばある。・・・さらに道路をもっと快適にするために、道の両側に灌木がよく植えられている」
[これが、最初に出てくる、江戸への往路での交通規則の記録です。左側通行が明記されています]

■ タウンゼントの記録(中国)4 ■
◎4『中国人の特異性』
「あるアメリカ人領事が目撃した話である。
 任地の揚子江上流でのことで、西洋人には信じられないことだが、中国人にはたいした事件ではないそうである。
 豚と中国人を満載したサンパンが岸近くで波に呑まれ転覆し、豚も人も投げ出された。
 岸で見ていた者は直ちに現場に漕ぎ出し、我先に豚を引き上げた。
 舟に泳ぎ着いた人間は、頭をかち割って殺し、天の恵み、とばかりに新鮮な豚肉を手にして意気揚々と引き上げ、後は何事もなかったかのようにいつもの暮らしが続いたという。
 ・・・・・
 最近のある戦闘で捕まえた敵方の将校の一団をどう殺そうかと議論になった。
 そして、ばらばらの釘を飲ませてやろうということになった。
 飲ませてから、効果観察のため整列させた。
 約二時間後に死亡したそうである。
(ある夕食会で中国のお偉方から聞いた自慢話)」


『ツュンベリーとタウンゼントの記録13』

◆ ツュンベリーの記録(日本)5 ◆
◎6『有益な里程標』
「里程を示す杭が至る所に立てられ、どれほどの距離を旅したかを示すのみならず、道がどのように続いているかを記している。この種の杭は道路の分岐点にも立っており、旅する者がそう道に迷うようなことはない。
 このような状況に、私は驚嘆の眼を瞠った。野蛮とは言わぬまでも、少なくとも洗練されてはいないと我々が考えている国民が、ことごとく理にかなった考えや、すぐれた規則に従っている様子を見せてくれるのである。一方、開化されているヨーロッパでは、旅人の移動や便宜をはかるほとんどの施設が、まだ多くの場所においてまったく不十分なのである。ここ(日本)では、自慢も無駄も華美もなく、すべてが有益な目標をめざしている。それはどの里程標にも、それを立てさせたその地方の領主の名前がないことからもわかる。そんなものは旅人にとって何の役にも立たない」

■ タウンゼントの記録(中国)5 ■
◎5『ユク神父の記録』
「・・・・・
 ある日、通りを通る車から聞きなれない声がしたので、何事かと行ってみると車数台に生身の人間が積まれていた。
 近寄ってよく見ると手の甲を釘で突き刺され、車に打ち付けられているではないか。
 警備の役人に訳を尋ねたところ、「ある村で盗みがあり、(村の)全員捕まえたらその中に犯人がいるだろうと思って、連行して来た」そうである。
 それを聞いてユク神父は、「いくらなんでも全員の手を釘付けるのは酷かろう」と抗議をした。
 警備隊長が答えて曰く「たまたま捕り手が手錠を忘れたのです。こういう時はこれが一番ですよ」。
 そこで、「無罪の者を引き渡してくれないか」と頼んだ。
 隊長曰く、「承知いたしました。潔白が証明され次第釈放します」
 恐ろしいことに、この件で驚いているのは外国人のユク神父だけで、周りで見ていた中国人は誰も驚いていない。
 静謐な天子の国と言われる国で、(無実の者も全員)手の甲を釘で打ち抜いても、誰もそれを不自然だと思わないのである。」

[掌を釘でうちつける話は、『三国志』の『東夷伝』にも出てきますが、大陸や半島の伝統なのでしょうか]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録14』

◆ ツュンベリーの記録(日本)6 ◆
◎7『清潔好きに驚く』
「(瀬戸内を船で通ったときの描写)投錨するとかならず、日本人はしきりに陸に上がって入浴したがった。この国民は絶えず清潔を心がけており、家でも旅先でも自分の体を洗わずに過ごす日はない」

◎8『大切にされている子供達』
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。学校では子供たち全員が、非常に高い声で一緒に本を読む。・・・」

■ タウンゼントの記録(中国)6 ■
◎6『本心から信者になった者はいない』
「(ある宣教師医師が理想に燃えて中国に渡ったが、我慢できなくなって二年で帰国した。
 父親も宣教師だったので、その父のことを質問したところ、こう答えた。)
「なくなる直前、父はこう申しました。(信者になった中国人は)一人もいない。名目上は数千人もいたが、真の信者はたったの一人もいない、と」
 宣教師たちのご尽力にはまことに頭が下がる。
 人里離れた内陸部で、何度裏切られても辛抱強く勤める姿は「神々しい」ものであるが、もしかすると、単なる間抜けかもしれない。」


『ツュンベリーとタウンゼントの記録15』

◆ ツュンベリーの記録(日本)7 ◆
◎9『大阪の豊かさに驚く』
「海岸に臨みかつ国のほぼ中央に位置した大阪は、地の利を得て国の最大の貿易都市の一つになっている。国中のあらゆる地方からあらゆる物が信じ難いほど大量に供給されるので、ここでは食料品類が安く購入でき、また富裕な画家や商人が当地に住みついている」

◎10『世界でも稀な快適さ』
「その国のきれいさと快適さにおいて、かつてこんなにも気持ち良い旅ができたのはオランダ以外にはなかった。また人口の豊かさ、よく開墾された土地の様子は、言葉では言い尽くせないほどである。国中見渡す限り、道の両側には肥沃な田畑以外の何物もない」

■ タウンゼントの記録(中国)7 ■
◎7『平気で嘘をつく』
「中国に長くいる英米人に、「中国人の性格で我々とは最も違うものを挙げてください」と訊いたら、ほぼ全員が躊躇なく「嘘つきです」と答えると思う。
 ・・・・・
 欧米では、嘘は憎悪や軽蔑と同じ響きをもつものであるが、中国語にはそういう語がない*。
 必要がなかったからである。
 そこで、それに近い中国語を使って「嘘ではありませんか?」と言ったとしても、非難の意味はない。
 ましてや侮辱には全くならない。
(中国人にとってのウソとは)特別な意味のない言葉なのである。
 中国人の言動は誤魔化しとすっとぼけに満ちているが、暮らしているうちに、真意がわかるようになる。」

[*:70年以上も前にタウンゼントがこの事を喝破しているのに、日本人は戦後になっても学習していませんね。
 ところで、「嘘」という漢字の意味はシナ語と日本語でまったく違います。もとの漢字の「嘘」には日本人の言う「ウソ」の意味はありません。「息を吐く」「嘆く」「すすり泣く」といった意味しかありません。日本人がいう「ウソ」にやや近い言葉に、「妄言」「虚言」などがあるそうですが、そもそも「ウソをつくのは恥ずべきことである」という文化が無い(あるいはほとんど無い)ので、タウンゼントとは話が通じなかったのだと思います。牽強付会の巧みなアメリカ人と通じないのだから、善良無比な日本人と通じるわけはありません。「ウソについての文化がまったく違う」ことをよく認識しないと、とんでもない事になります]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録16』

◆ ツュンベリーの記録(日本)8 ◆
◎11『一本の雑草もない田畑』
「(大阪から京都への道の感想)私はここで、ほとんど種蒔きを終えていた耕地に一本の雑草すら見つけることができなかった。それはどの地方でも同様であった。・・・農夫がすべての雑草を入念に摘みとっているのである。雑草と同様に柵もまたこの国ではほとんど見られず、この点では名状し難いほどに幸運なる国である」

[ツュンベリーはリンネに学んだ植物学者でもあるので、雑草の種類に注意を払っており、こういう感想が出たらしい。また柵云々とは、ヨーロッパではその地その地の領主たちが、防衛のために柵で農地や領地を囲うために、農民を苦役する伝統があり、それとの比較をしたらしい。話は飛びますが、幕末から明治にかけて来日した欧米人は、日本の家屋にカギらしいカギが無いのに泥棒などの事件がほとんど起こっていない事に驚く記事をたくさん書いています。飛脚がたった一人で現金を運んでいても、事故はほとんど起こらなかったらしいです]

■ タウンゼントの記録(中国)8 ■
◎8『敵の面子を潰す』
「・・・・・
「嫌がらせ」もよくあることで、あの孔子ですら平気である。ある時、招かれざる客が来たので居留守を使った。
 諦めて客が帰ろうとするのを見て、孔子は窓辺に出て胡弓を弾いた。
「ああ、孔子様は私のことをこういう風に扱っていらっしゃるんだなあ」とわからせるためであったという。」

[この「孔子による嫌がらせ」の話は『論語』に出てきますが、日本の論語の本では無理矢理「美談」として解説されています。孔子が人格的に酷い人物だった事は、日本にはほとんど翻訳されてこなかったので、日本人は知らないのだそうです。人肉食も好きだったそうです。北京大学の教授が痛烈な孔子批判をしているそうです]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録17』

◆ ツュンベリーの記録(日本)9 ◆
◎12『天皇への崇敬』
「天皇は町なかに自分の宮廷と城を有し、特別な一区画のように濠と石壁をめぐらし、そこだけでも立派な町をなしている。・・・軍の大将である将軍は、最高権力を奪取した後もなお、天皇には最大の敬意を表していた」

◎13『アカデミーのように』
「そして国のアカデミーのように、印刷物はすべて天皇の宮廷にだけ保管されるので、すべての本はまた当地の印刷機で印刷されるのである」

[12の後半の一文は、易姓革命的な伝統のある国の人には理解し難いことだったのでしょう。南朝の忠臣・北畠親房は『神皇正統記』の中で、この事を「万世一系」の本質としています。13は京都での印象で、すこし誤解があるのでしょう]

■ タウンゼントの記録(中国)9 ■
◎9『幻影を抱かずに現実に立ち向かった宣教師』
「・・・・・
 一九二七年から二八年、中国領土にいた八千人に上る外国人宣教師のうち五千人が退去させられている。
 どこへ退去したのか。
 日本である。
 しかし日本に避難したものの、日本人が好きになれない。
 可哀相な人間がいないからである。
 アメリカ人とは不思議なもので、可哀相だと思えない相手は好きになれない人種である。
 宣教師は特にこの傾向が強い。
 可哀相な人間を見ると、我が身の危険をも顧みず、救ってあげようという殉教精神がわき上がるのである。
 だから中国人は全く有り難い存在なのだ。
 ところが日本は、ドイツに似て、規律正しく、町は清潔で落ち着いている。
 これでは宣教師の出る幕がない。
 だから宣教師に好かれないのである。」

[これもまた、じつに鋭い指摘ですね。オロモルフも終戦時にそれを感じました。終戦時の日本人は宣教師にとって可哀相に見えたのです!]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録18』

◆ ツュンベリーの記録(日本)10 ◆
◎14『学ぶことに熱中する日本人』
「(江戸について二人の医師と接触して)二人とも言い表せないほどにうちとけ、進んで協力し、学ぶことに熱中した。そして前任者にはなかった知識を私が持っていたことから、次々と質問を浴びせてきた。・・・彼らの熱心さに疲れ切ってしまうことがよくあったが、彼らと一緒に楽しくかつ有益な多くの時を過ごしたことは否めない」

[これらの日本人から、植物の標本などを入手したらしいです]

◎15『有事への配慮』
「日本のすべての町には、火災やその他の事故に備えて行き届いた配慮がなされている。寝ずの番をする十分な数の確かな見張り番が、あらゆる地点に置かれており、暗くなると夕方早々から外を廻りはじめる」

■ タウンゼントの記録(中国)10 ■
◎10『虐殺されても中国人をかばう宣教師』
「・・・・・
 福州を流れる川の上流でのこと。
 高齢のイギリス人宣教師が二人、追剥に捕まり「裁判され」、「帝国主義者」にされ、「残虐なる死刑」に処された。
 生涯を聖職者として現地住民のために捧げた二人に待っていたのは、体中を切り刻まれ、長時間悶え苦しみ殺されるという無惨な最期であった。
 当然ながら、中国国民党「政府」は何もしなかった。
 政策の一環であるから、助けるわけがない。
 ・・・・・
「馬鹿は死ななきゃ直らない」と言うが、何度騙され、何度殺されても直らないのが宣教師なのだ。
 ・・・・・
 どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である。
 宣教師はこの辺のところを見逃してきた。
 何度死んでもわからない。」

[何度死んでもわからない――とは痛烈な皮肉ですが、日本人にもあてはまりますね。何度騙されてもわかりません。「どうしても殺せない相手には敬服し信服するのが中国人である」――という事が、心優しい日本人には分からないのです。]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録19』

◆ ツュンベリーの記録(日本)11 ◆
◎16『町の家は二階建て』
「江戸の家屋はその他の点では、他の町と同じく屋根瓦で覆われた二階屋であり、その二階に住むことはほとんどない」

◎17『印刷の綺麗さ』
「私はまた、日本の魚類についての彩色図を載せた、大きな四つ折りの二巻からなる印刷本も買うことができた。これは、この国で出版された最高に美しい本の一つであり、その図はヨーロッパで素晴らしい賛辞を得るに違いないと思えるほどに、うまく彫版で印刷され、かつきれいに彩色されている」

[日本人の本好き、本の多いこと、印刷技術に凝ることは、昔からですね。黒船のペリー提督も日本では農村にも書店があることに注目して記録していますし、千年以上前の本がこんなにたくさん残されている国はめったにありません。世界最古の百科事典も日本人がつくったと言われております]

■ タウンゼントの記録(中国)11 ■
◎11『巨額の援助を不満とする中国人』
「・・・・・
 演技のうまい中国人にコロッと騙されているのである。
「期待していたアメリカ人に裏切られ失意のどん底に落とされた」と迫真の演技の中国人。
「ああ、期待を裏切ってしまった」と反省するアメリカ人。
 行商だろうが苦力だろうが主演男優、女優になれる。
 ・・・・・」

[アメリカ人でさえ騙してしまうのですから、お人好しの日本人を騙すのなんて簡単なのでしょう]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録20』

◆ ツュンベリーの記録(日本)12 ◆
◎18『一日三回の食事』
「(一行のなかの)日本人は自分たちの通常の食事様式を守っていた。一日三回食事をし、そしてたいていは魚と葱を入れて煮た味噌汁を食べる」

[昔の日本人は一日二食だったという話もありますが、ツュンベリーの見た江戸中期の日本人は三食だったのですね。食事の内容は健康的ですね]

◎19『鳥類や庭園』
「鳥通りという通りにいる多数の鳥類を見た。あらゆる地域からここへ集められたものであり、有料で見せたり、また販売したりしている。
 町中にはまた、かなり上手に造られた庭園があり、温室はないがいろいろな種類の植物、樹木、そして灌木がある。それらは他からここへ運ばれ、手入れされ、栽培され、そしてまた販売もされている。ここで私は使えるかぎりの金で、鉢植えのごく珍しい灌木や樹木を選んで購入することにした」

[この購入植物は、アムステルダムの植物園にまで送られたそうです。もしツュンベリーが江戸郊外の広大な植物栽培を見たら、驚愕したことでしょう]

■ タウンゼントの記録(中国)12 ■
◎12『民を思う指導者がいない』
「中国人に根本的に欠落しているのは「品格」である。
 それゆえに指導者が生まれず、風見鶏で、死ぬまで足の引っ張り合いをしている。
 だからアメリカ人に向かって「教育援助が足らない」と責め立てるのである(援助が足らないのではない。中国人の経営ミスで効果が上がらないのである)。
 何千といる学士様や修士様まで自分のことは棚に上げて、アメリカを非難している。」

[タウンゼントの見方はじつに鋭いです。中国人に根本的に欠落しているのは「品格」である――と70年以上も前に喝破しております。最近の中国の映像には、明かに「品格」がありません。オロモルフの祖父母は昔、日本に亡命中の孫文を預かっていましたが、やはり「品格」は無かったらしいです。貸した家をメチャメチャにされたとぼやいていました。彼らは口はうまいのですが・・・]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録21』

◆ ツュンベリーの記録(日本)13 ◆

[以下は、『日本および日本人』という巻にある記述です]

◎20『すばらしい国民性』
「(日本人の)国民性は賢明にして思慮深く、自由であり、従順にして礼儀正しく、好奇心に富み、勤勉で器用、節約家にして酒は飲まず、清潔好き、善良で友情に厚く、率直にして公正、正直にして誠実、疑い深く、迷信深く、高慢であるが寛容であり、悪に容赦なく、勇敢にして不屈である」

◎21『世界でもっとも礼儀正しい民族』
「日本人を野蛮と称する民族のなかに入れることはできない。いや、むしろ最も礼儀をわきまえた民族といえよう」

[今の日本人は江戸時代の日本人を見習うべし!
 なお、「疑い深く、迷信深く」というのは、要するにキリスト教では無いという意味だと思います。また「高慢」というのは誇り高いという意味だと思います。この本の訳者の日本語は時々疑問符がつきます]

■ タウンゼントの記録(中国)13 ■
◎13『自虐趣味のアメリカ人』
「調査委員会は、しつこいほど「柔軟性のある宣教師を中国に派遣するよう」主張している。どうも曖昧な物言いである。
「良かれ」と思ってやったことの「お返し」が侮辱、脅迫、人格否定である。
 それでも笑顔で耐えているのである。
 これ以上どうしろと言うのか。
 ・・・・・
 ここまで来ると自責、自虐趣味である。」

[この宣教師の態度は、現在の日本の政府・役人・マスコミの北京や韓国政府への態度と同じですね。すべては70年以上も前と同じです]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録22』

◆ ツュンベリーの記録(日本)14 ◆
◎22『法に準拠した自由は日本人の命』
「自由は日本人の生命である。それは、我儘や放縦へと流れることなく、法律に準拠した自由である」

◎23『オランダ人の悪を嫌う日本人』
「日本人は、オランダ人の非人間的な奴隷売買や不当な奴隷の扱いをきらい、憎悪を抱いている。身分の高低を問わず、法律によって自由と権利は守られており・・・」

[日本人が自由だという事と、法律の適用が身分の上下によらず公正だという事がよほど印象的だったらしく、何回も記されています]

■ タウンゼントの記録(中国)14 ■
◎14『混乱が絶える日は一日もない』
「中国では混乱が絶える日が一日もないが、人は良いが無知なアメリカ人報道関係者はきれい事ばかり言っている。
 中国に住んでいる人には信じられない記事ばかりである。
「目指すものが違うから戦う」ということは、中国ではありえない。
 目指すものは同じである。
 賄賂、略奪、何でも良い、ただ「金」である。
 ・・・・・
 この(一九三三年までの)二十二年間、身の危険を感じることが多くなった。
 いっそのこと兵隊になったほうがよい。
 兵隊なら食いっぱぐれはない。
 銃剣を振り回せば食糧調達は思いのまま。」

[この記述もまた、70年前とは思えません。現在の日本マスコミにも当てはまりそうです]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録23』

◆ ツュンベリーの記録(日本)15 ◆
◎24『好奇心の強い民族』
「この国民の好奇心の強さは、他の多くの民族と同様に旺盛である。彼らはヨーロッパ人が持ってきた物や所有している物ならなんでも、じっくりと熟視する。そしてあらゆる事柄について知りたがり、オランダ人に尋ねる。それはしばしば苦痛を覚えるほどである」

[日本人の旺盛な好奇心と勉強好きは、幕末に来た欧米人によって数多く記されていますが、江戸中期でも同様だった事が、この記事でわかります]

◎25『器用さと発明好き』
「この国民は必要にして有益な場合、その器用さと発明心を発揮する。そして勤勉さにおいて、日本人は大半の民族に群を抜いている。彼らの銅や金属製品は見事で、木製品はきれいで長持ちする。その十分に鍛えられた刀剣と優美な漆器は、これまでに生み出し得た他のあらゆる製品を凌駕するものである。農夫が自分の土地にかける熱心さと、そのすぐれた耕作に費やす労苦は、信じがたいほど大きい」

[黒船のペリー提督も、日本人の器用さと発明好きが印象的だったらしく、「やがては欧米の強力な競争相手になるだろう」と予言しています]

■ タウンゼントの記録(中国)15 ■
◎15『ビールの泡より早く消える愛国の士』
「彼らはアメリカ人をだますコツを知っている。
 ・・・・・
 アメリカ人は「国家統一のため、血判状を認め、統一戦線に合意する指導者たち」という記事にコロッとだまされてしまう。
 ・・・・・
 そもそも統一戦線合意の目的は「自分の縄張りを荒らされない」、ただそれだけである。」


『ツュンベリーとタウンゼントの記録24』

◆ ツュンベリーの記録(日本)16 ◆
◎26『節約という美徳』
「節約は日本では最も尊重されることである。それは将軍の宮殿だろうと粗末な小屋のなかだろうと、変わらず愛すべき美徳なのである」

[鎌倉幕府の執権北條時頼の母松下禅尼が、破れた障子を自分で修繕して質素倹約を教えた話は有名で、その影響で時頼はご馳走など食べなかったそうです。元寇で活躍した相模太郎こと北條時宗はその息子です。鎌倉開祖の源頼朝も徹底して質素だったそうです]

◎27『乞食のいない珍しい国』
「またこんなにも人口の多い国でありながら、どこにも生活困窮者や乞食はほとんどいない。一般大衆は富に対して貪欲でも強欲でもなく、また常に大食いや大酒飲みに対して嫌悪を抱く」

[江戸時代の庶民の生活に関しては、とても誤解が多いように思います。左翼史観の影響もあるでしょうし、時代劇の影響もあるのでしょう。江戸時代の日本は、乞食のほとんどいない世界でも珍しい国だったのです]

■ タウンゼントの記録(中国)16 ■
◎16『世界史上類例のない中国の悲惨』
「これは世界史上類例のないことである。
 血の海に膝まで浸かり、村といわず町といわずことごとく絞られ荒らされ、死者、拷問、餓死者が毎年数百万もでるのに、何万という大学出の学士様は手をこまねいているだけで何もしない国。
 こういう国は世界のどこにもない。」

[これは戦前、大正から昭和ヒトケタごろの話ですが、戦後も変わりませんね。というよりもっと酷くなったと思います。]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録25』

◆ ツュンベリーの記録(日本)17 ◆
◎28『印象的な清潔好き』
「清潔さは、彼らの身体や衣服、家、飲食物、容器等から一目瞭然である。彼らが風呂に入って身体を洗うのは、週一回などというものではなく、毎日熱い湯に入るのである」

[この清潔好きと風呂好きも、相当印象的だったらしい]

◎29『驚くほどの親切心』
「日本人の親切なことと善良なる気質については、私はいろいろな例について驚きをもって見ることがしばしばあった」

[日本人の親切さと犯罪の少なさは、幕末から明治初期に来日した欧米人によっても、数多く書かれていますが、江戸中期も同様だった事が、ツュンベリーの記録でわかります]

■ タウンゼントの記録(中国)17 ■
◎17『犠牲者は圧倒的に住民である』
「もちろん三百万もの人間が戦えば、多くの死者が出る。
 ところが、兵隊の死者はごく少ない。
(一九三一年の対共産党戦に関する楊将軍の報告)
 河西で、
 死者:    186000人
 難民の死者:2100000人
 ・・・・・
 数百万単位で人が死ぬことはざらにある。
 大洪水や大飢饉があると数百万単位で死者が出る。
 あの太平天国の乱(一八五一〜六四年)では二千万人が消えた。
 この数字は外国人研究者がはじいた数字である。
 第一次世界大戦の戦死者数をはるかに超えている。」

[アメリカの研究者の試算で、戦後にシナ大陸で死んだ数は一億という話がありますね。]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録26』

◆ ツュンベリーの記録(日本)18 ◆
◎30『善良だが脅迫には負けない』
「国民は大変に寛容でしかも善良である。やさしさや親切をもってすれば、国民を指導し動かすことができるが、脅迫や頑固さをもって彼らを動かすことはまったくできない」

[これが江戸中期の日本人ではなく、現在の日本人への評価ならとても嬉しいのですが・・・]

◎31『正義を守り身分に左右されない裁判所』
「正義は広く国中で遵守されている。・・・裁判所ではいつも正義が守られ、訴えは迅速にかつ策略なしに裁決される。有罪については、どこにも釈明の余地はないし、人物によって左右されることもない。また慈悲を願い出る者はいない」

[他の国々を知っている当時のヨーロッパ人にとって、身分の上下によらない日本の裁判の公正さは驚くべきものだったらしく、同じ発言がしばしば出てきます]

■ タウンゼントの記録(中国)18 ■
◎18『命の恩人のイギリス人を非難する孫文』
「・・・・・
 孫文の「三民主義」は中国人の聖書となっていて、・・・・・「三民主義こそ中国を導く精神的支柱」という虚構が定着している。
 ・・・・・
(孫文は)イギリスへ逃れたこともある。
 その時、中国政府の暗殺命令を受けた刺客に襲われ、危ういところでイギリス人に友人に助けてもらったが、その恩を忘れ、イギリス人の悪口を書き散らしている。」

[孫文の偶像視は危険ですね。保守系の論客が孫文批判をかなりしているようです。前に記しましたが、昔私の祖父母が亡命中の孫文を預かっていて、あまり良い印象は持たなかったようです。だからどう――という話ではありませんが]

◎19『大義に殉じる心がない』
「「いつになったら、どうしたら混乱は収まるのですか?」とよく聞かれる。
「気配すらない」これが答えである。
 ・・・・・
 何百年もの間、何十億という中国人が病に冒され苦しんで死んできたのに、「病は治るものだ」と暢気に構えているのである。
 ・・・・・
 だから、民衆が立ち上がって悪代官を追放しようということにはならないのである。」

[70年以上前に「(混乱が収まる)気配すらない」と喝破したタウンゼントの正しさは、まさに現在、証明されつつあります]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録27』

◆ ツュンベリーの記録(日本)19 ◆
◎32『契約はきちんと守る』
「(外国人に対しても)・・・いったん契約が結ばれれば、ヨーロッパ人自身がその原因をつくらない限り、取り消されたり、一字といえども変更されたりすることはない」

[江戸の中期でも、日本には「契約を守る」という社会のモラルが出来ていたことがわかります]

◎33『これほど盗みの少ない国は世界にない』
「正直と忠実は、国中に見られる。そしてこの国ほど盗みの少ない国はほとんどないであろう。強奪はまったくない。窃盗はごく稀に耳にするだけである。それでヨーロッパ人は幕府への旅の間も、まったく安心して自分が携帯している荷物にほとんど注意を払わない」

[その後の二百数十年の間に、来日する外国人が激増し、それとともに、日本人による犯罪も増えてしまったようです]

■ タウンゼントの記録(中国)19 ■
◎20『世界を欺く中国政府』
「国際会議があるたびに「阿片撲滅に奮闘する中国」という記事しか読んだことのないアメリカ人は、大々的な阿片製造と消費の実態を知ったら「エーッ」と驚く。
 二年前、中国は国際査察に断固反対した。
 毎年春になると畑一面の白いケシの花が咲く。
 ・・・・・
(阿片禁止の法令が)発令の最中、春に収穫した阿片がせっせと中国中の市場に運ばれていた。
 ・・・・・
 さらに面白いことがある。
 ケシの栽培は州知事の命令である。
 命令で種が配られる。
 ・・・・・
 軍のやり口が見事。
 まず「違法」のお触れを無視し、阿片を栽培させる。
 いざ収穫期になると、「違法である」と言って百姓から金を巻き上げるのである。」

[通常の犯罪者より兵隊さんの方がずっと怖いそうです]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録28』

◆ ツュンベリーの記録(日本)20 ◆
◎34『皇室への崇敬』
「国民の内裏に対する尊敬の念は、神そのものに対する崇敬の念に近い」

[これは注目に値する記述です。江戸時代は徳川の時代で、天皇は国民から軽視されていた(あるいは天皇など知らない人が多かった)――という人がおりますが、そうでも無かったことがわかりますので]

◎35『道路の良さと左側通行の規則』
「道路は広く、かつ極めて保存状態が良い。そしてこの国では、旅人は通常、駕籠にのるか徒歩なので、道路が車輪で傷つくことはない。そのさい、旅人や通行人は常に道の左側を行くという良くできた規則がつくられている。その結果、大小の旅の集団が出会っても、一方がもう一方を邪魔することなく互いにうまく通り過ぎるのである。この規則は、他に身勝手な国々にとって大いに注目に値する。なにせそれらの国では、地方のみならず都市の公道においても、毎年、年齢性別を問わず――とくに老人や子供は――軽率なる平和破壊者の乗り物にひかれたり、ぶつけられてひっくり返り、身体に損害を負うのが珍しいことではないのだから」

[これが二度目の左側通行の説明です。歩く人全員が左側通行を守っているようです。ここでは「規則」という言葉を使っています。何らかの文章になった規則があったのか、それともそのように奨励されていたのでしょうか。武士が刀を左側にさすことから来た習慣らしいのですが]

■ タウンゼントの記録(中国)20 ■
◎21『日本人と中国人』
「・・・・・
 中国人と日本人は全く違う人間だが、アメリカ人には違いがわからない。
 地理的に近いから性格も似通っていると思っている。
 これほど大きな誤解はない。
 ・・・・・
 確かに、日本人と中国人は体つきがよく似ている。
 が、似ているのは体型だけで、性格は似ても似つかない。
 ・・・・・
 短い旅行でも違いがわかる。
 他人に対する態度が大きく違う。
 儲け話になると腰が低くなるのが中国人。
 日本は違う。
 自然に腰が低くなり、礼をもって接すること自体に喜びを見出している。
 例えば、通りを歩いていて、何かを落としたら誰かがサッと拾ってくれる。
 中国には、スラム街よりひどく、鵜の目鷹の目の連中が多い。
 ・・・・・
(しかし日本人は)アメリカ人の手本になるような行動を示してくれるのである。」

[今でも分かっていないアメリカ人がおりますね。とくにインテリ以外は]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録29』

◆ ツュンベリーの記録(日本)21 ◆
◎36『良質な刃物』
「刃は比類ないほどに良質で、特に古いものは値打ちがある。それはヨーロッパで有名なスペインの刃を、遙かに凌ぐものである」

◎37『神社への崇敬』
「私は、神道信奉者らが祭日や他の日にどのような心境でこの社にやってくるかということが漸次わかってきたが、そのさい非常に驚くことが多かった。彼らは何かの汚れがある時は、決して己れの神社に近付かない」

■ タウンゼントの記録(中国)21 ■
◎22『アメリカ人はなぜ日本人より中国人を好きになるのか』
「・・・・・
 上流階級の日本人は「武士に二言はない」というサムライである。
 サムライとは名誉を重んじ、自らの言動に責任を持つ伝統を重んじる特権階級である。
 ・・・・・
 中国は全く別で、言葉の意味はころころ変わる。昔から嘘つき呼ばわりされても誰も侮辱だと思わない。
 そういえば、嘘とか嘘つきという言葉がない。
 先ほど、(アメリカ人は)ちょっとだけ付き合うと中国人が好きになる人が多いと言ったが、長らく付き合うと、圧倒的に日本人が好きになる。
 ・・・・・
(アメリカ人が)ちょっと滞在して中国人が好きになるのは、中国がどん底の国だからである。
 アメリカ人は可哀想な人に愛着を持つのである。
 もう一つの理由は、日本がアメリカの安全を脅かす存在だからである。」

[中国では嘘という漢字に、日本人が言う「うそ」という意味はありません。むろん中国にも「うそ」に近い用語はたくさんありますが、日本人と決定的に違うのは、「恥ずかしいこと」「悪いこと」といった意味が(ほとんど)無いことらしいです]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録30』

◆ ツュンベリーの記録(日本)22 ◆
◎38『伊勢神宮への参拝』
「なかでもこの国の二、三の寺社は特に注目されており、あたかもイスラム教徒がいつもメッカを訪ねるように、国のあらゆる地方からそこへ向けて遍路の旅が行われる。特に伊勢神宮はその一つであり、この国最古の神、すなわち天の最高の神天照大神を祭っている、社は国中で最も古くかつ最もみすぼらしく、今ではいろいろ手を尽くしても修復できないほどに古びて朽ちている。なかには鏡が一つあるだけであり、まわりの壁には白い紙片がかけられている。・・・老若男女を問わずすべての信者は、少なくとも一生に一度はここへの旅をする義務があり、そして多くの信者は毎年ここに来る」

[ツュンベリーの旅は式年遷宮の六年後なので、それほど古くなっていたとは思えません。伝聞による記述かもしれません。白い紙片とはたぶん紙垂のことでしょう。
 今年は有名な宝永二年(1705年)のおかげ参りから300年の記念の年ですが、ツュンベリーは、こういうおかげ参りの話を聞いて記録したのでしょう。なにしろ、歩く以外に方法の無かった時代に、九州から東北までの日本人の十人に一人以上が集まったのです]

■ タウンゼントの記録(中国)22 ■
◎23『ペテン師たちの排外運動』
「中国人は世界に冠たる詐欺師、ペテン師である。
 アメリカ人に対して略奪から人殺しまで何でもしながら、責任逃れだけは上手である。
 国全体が乱れていようが構わない。」

[くりかえしますが、70年前のこの話は現在にも通用するのでは?]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録31』

◆ ツュンベリーの記録(日本)23 ◆
◎39『盲人を大切にする国』
「寺社の聖職者以外にも二、三の異なる聖職がある。なかでも盲目の聖職は最も特殊なものの一つと言えよう。それは盲人だけからなっており、他には類を見ないものであるが、国中にある」

[盲人がどくとくの権利をもっていたことも江戸時代の特色で、だからこそ塙保己一のような盲目の大学者も出たわけです]

◎40『一夫一婦制と婦人の自由』
「この国の男性が娶れる婦人は一人だけで、何人も娶ることはない。夫人は自由に外出できるし、人々の仲間にはいることもできる。隣国のように隔離された部屋に閉じこめられていることはない」

[隣国とはシナのことらしいのですが、ツュンベリーにとって日本女性が自由であることはとても印象的だったようです]

■ タウンゼントの記録(中国)23 ■
◎24『柳条湖の鉄道爆破』
「(公使が本国に送った報告書は間違っていると記したうえで)
 在中米英の官民の大勢はこうである。
「・・・我々が何年もこうあるべきだと言っていたことを日本がやってくれた」
「頼むぞ、日本軍。徹底的にやっつけてくれ」」

[これもまた貴重な証言です。タウンゼントの記録は、小堀桂一郎先生や渡部昇一先生も高く評価しておられるようです]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録32』

◆ ツュンベリーの記録(日本)24 ◆
◎41『歴史学と家政学が必修』
「国史は、他のほとんどの国より確かなものであろうとされ、家政学とともに誰彼の区別なくあらゆる人々によって学ばれる」

[いまの教育よりずっと良かったですね]

◎42『裁判官の数の少なさと公平さ』
「法学についても広範囲な研究はなされていない。こんなにも法令集が薄っぺらで、裁判官の数が少ない国はない。法解釈や弁護士といった概念はまったくない。それにもかかわらず、法が人の身分によって左右されず、一方的な意図や権力によることなく、確実に遂行されている国は他にない。法律は厳しいが手続きは簡潔である」

[身分によらず裁判が公平という驚きがまたも書かれております。おそらくツュンベリーは、江戸の警察組織については知らなかったのでしょう。もし調べていたら、人口に対してあまりにも警察官の数が少なく、にもかかわらず犯罪の少ないことに驚いたでしょう]

■ タウンゼントの記録(中国)24 ■
◎25『軍艦を盾に賠償金を取った田村総領事』
「(以下大意)
 昭和七年の上海事変の直前のこと。
 福州でも収奪目的の学生秘密結社がたくさんあり、ある日本人教師夫妻が脅されていた。
 そこで日本の田村総領事は、福州当局や警察に警備を依頼した。
 中国人の顔を立てたのである。
 ところが、警備にあたった中国兵は、ある日とつぜん姿を消し、日本人夫婦はたちまち殺されてしまった。
 グルになっていたとしか思えない。
 田村総領事は「これは重大な過失である。遺族に五万ドルの賠償金を払うべきだ」とした。
 ところが中国当局は言を左右してまともな返事をしない。
 そこで田村総領事は、日本海軍に打電して軍艦を向けてくれと頼み、それを中国側に話した。
 そうしたら急に五万ドルを持ってきた。
 ・・・・・
 日本海軍は実際に来た。
 中国人には田村式が一番である。
 それ以後、福州では日本人殺害や反日行動がピタリと止んだ。
 日本人は最高の扱いを受けるようになった。」

[このエピソードほど、中国の役所の性格を示すものはありません。現在の北京政府が真に重視するのは、核兵器を持っている国だけだと言われます。総理も大臣もマスコミも田村総領事を見習ってほしいです。タウンゼントの言葉を繰り返します。<中国人には田村式が一番である>]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録33』

◆ ツュンベリーの記録(日本)25 ◆
◎43『進んでいる測量術と地図』
「測量術については、かなり詳しい。したがって一般的な国とそれぞれの町に関する正確な地図を持っている。一般的な国の地図の他に、私は江戸、都、大阪、長崎の地図を見た。さらにたいへんな危険をおかして、禁制品であるそれらを国外へ持ち出すこともできた」

[このあとの話ですが、伊能忠敬が世界を驚かせた精密な日本全図を作り上げます。ペリーが伊能地図を持って黒船でやってきて、測量したところ、伊能地図がきわめて正確であることが分かって驚いたそうです]

◎44『子供達のための学校』
「子供たちに読み書きを教える公の学校が、何か所かに設けられている」

[江戸時代の日本人の識字率は世界最高だったと言われています。今も最高です。最近ゆとり教育であやしくなっておりますが]

■ タウンゼントの記録(中国)25 ■
◎26『満州国は三千万の中国人には天国である』
 それに比べ、日本が支配する満州国はどうであろうか。
 ・・・・・
 あそこに暮らす約三千万人の中国人には満州国は天国である。
 中国の領土保全・門戸開放・機会均等等を説いたいわゆる「九カ国条約」が結ばれてから十年、一体全体、誰かの役に立ったか。

[これは、渡部昇一さんが長年言い続けてこられた事ですね]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録34』

◆ ツュンベリーの記録(日本)26 ◆
◎45『工芸品はヨーロッパを凌駕』
「工芸は国をあげて非常に盛んである。工芸品のいくつかは完璧なまでに仕上がっており、ヨーロッパの芸術品を凌駕している」

◎46『紙の豊富さ』
「紙は国中で大量に製造される。書くという目的の他、印刷、壁紙、ちり紙、衣服、包装用等々であり、その大きさや紙質はまちまちである」

[以上二件は、世界的に有名ですね]

■ タウンゼントの記録(中国)26 ■
◎27『楽しい借金の踏み倒し』
「中国人に融資返済を求めるのは、まるで戦争の賠償金を取り立てるようで実に愉快である。
 借りる時は「耳を揃えてお返しします」と借用証書をだす。
 貸す側も利益を当て込んで、喜んで融資する。
 ところが、返済期限になると何やかやと難癖を付ける。
 加えて契約を反故にするような事態が起こる。
 昔からある中国の手である。」

[ここに「昔からある」と書かれていますが、この「昔」とは昭和一桁時代から見た昔です。それが今でもまったく同じです。日本が貸した膨大なカネも投資も、いつ戻ってくるんでしょうか。戦前のそれは、戻ってこないどころか、さらにふんだくられました。]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録35』

◆ ツュンベリーの記録(日本)27 ◆
◎47『漆器の素晴らしさ』
「日本で製造される漆器製品は、中国やシャム、その他世界のどの製品をも凌駕する」

◎48『町や村でも品物は豊富』
「日本人が家で使う家具は、台所や食事のさいに使う物を除けば、他は極めて少ない。しかし衣服その他の必需品は、どの町や村でも、信じられないほど多数の物が商店で売られている」

[村でも同様に商品が豊富であることを記しています。江戸時代の農民の貧しさを強調する人たちに読んでほしい]

■ タウンゼントの記録(中国)27 ■
◎28『毅然とした態度をとれ』
「典型的な中国人評を紹介しよう。
「『礼には礼で答える』という精神が全くない」
 これである。
 ・・・・・
 ある国が中国に優しく接したとする。
 そういう優しさが理解できないから、これ幸いとばかりにその国の人間を標的にする。
 遭難者が近くまで泳いできても誰も助けない国である。
 ・・・・・
 こういう国との付き合いを誰が望もうか。」

[このことが分からない多くの日本人!]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録36』

◆ ツュンベリーの記録(日本)28 ◆
◎49『日本ほど放埒の少ない国は世界にない』
「日本の法律は厳しいものである。そして警察がそれに見合った厳重な警戒をしており、秩序や習慣も十分に守られている。その結果は大いに注目すべきであり、重要なことである。なぜなら日本ほど放埒なことが少ない国は、他にほとんどないからである。さらに人物の如何を問わない。また法律は古くから変わっていない。説明や解釈などなくても、国民は幼時から何をなし何をなさざるかについて、確かな知識を身に付ける。そればかりでなく、高齢者の見本や正しい行動を見ながら成長する」

[現在の高齢者よ、昔の高齢者を見習いなさい!]

■ タウンゼントの記録(中国)28 ■
◎29『千変万化の交渉術』
「「どことなく怖い」。
 これがすべての中国人に持つ第一印象である。
 ・・・・・シロアリの大群に食われるような怖さ、絶えず見張られているような陰湿な怖さである・・・・・。
 一日たりとも油断できない。
 もう一つどうしようもないことがある。
 中国人には「ノー」の意味がわからない。
 例えば、入学希望者に「残念ながら入学できません」とお断りしても承知しない。
 何日でも何週間でもやって来る。
 ・・・・・
 いくら負けても涼しい顔。
 十九世紀、中国の領土保全を定めた九カ国条約のはるか前のことだが、痺れを切らしたイギリスとフランスにこてんぱんにやられたことがあった。
 また一九〇〇年、義和団が蜂起し、北京を包囲した時は日米英等の連合軍に鎮圧された。
 しかし、いくら負けても涼しい顔をするのが中国人。
 ・・・・・
 同情を得る天才である。
 これを承知して交渉に当たらなければならない。
 ・・・・・
 目的のためには手段を選ばず。
 ・・・・・
 上から下まで、自分のことしか考えず、何でもかんでも分捕ろうとする人間である。
 ・・・・・
 史上最強の征服王・ジンギス・カーンまで手玉に取った中国人である。
 単純なアメリカ人など物の数ではない。」

[やれやれ。タウンゼントさんも相当頭にきておりますね]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録37』

◆ ツュンベリーの記録(日本)29 ◆
◎50『金持ちに都合の良い罰金がない』
「ここでは金銭をもって償う罰金は、正義にも道理にも反するものと見なされる。罰金を支払うことで、金持ちがすべての罰から解放されるのは、あまりにも不合理だと考えているのである」

[たしかにそうです! 罰金刑を公平にするには、その人の年収に比例して決めるべきでしょう]

■ タウンゼントの記録(中国)29 ■
◎30『中国外交の危険性』
「セオドア・ルーズベルト大統領は「アメリカの中国化」という言葉をよく使った。
 中国人にすぐ同情するアメリカの世論のことを言ったのである。
 ・・・・・彼の判断は正しかった。
 中国人は、いわゆるアメリカ人的考えをまともに受け入れないが、アメリカ人はお涙頂戴の中国人の嘘八百話を、まるで福音書の如く信じているのである。」


『ツュンベリーとタウンゼントの記録38』

◆ ツュンベリーの記録(日本)30 ◆
◎51『飲食店は和やかで喧嘩がない』
「日中は、寺男が寺院の鐘をついて時刻を知らせる。また、茶屋や宿屋はどこも非常になごやかな雰囲気で、喧嘩や酔っぱらいには滅多にお目にかからない。それに比べて北欧の西部地方は、それらがあまりにも日常的で、まったく恥ずべきことである」

◎52『犯罪の少ない国』
「当地では犯罪の発生もその処罰も、人口の多い他の国に比して確かにずっと少ないといえよう」

[穏やかだった日本の飲食店も、少なかった日本の犯罪も、ついに外国に追い付いてしまいました!]

■ タウンゼントの記録(中国)30 ■
◎31『中国問題は日本にとって死活問題』
「日本経済はアジア大陸にかかっている。
 アメリカは広く世界を相手に貿易を行い、その上国内資源が豊富であるから大したことはない。
 ところが、日本にとってアジア大陸はまさに命綱である。
 こう考えて初めて、日本の怒りが理解できるのである。
 ・・・・・
 日本の主張はこうである。
「列強は『領土保全・門戸開放・機会均等』を厳守するよう日本に迫った。しかるに中国には何も言わない。日本に協力するよう、中国に言わない」と。
 アメリカとイギリスの肝いりでできた門戸開放政策のおかげで国土を切り取られなかった中国は、恩を仇で返すことが多すぎる。」

[当時の日本の立場を理解する数少ないアメリカ人として、タウンゼントはアメリカでは孤立していたでありましょう。しかし彼のこの本が最近になってアメリカで復刊した事実は、ようやく真相に気付いたアメリカ人が増えてきたという証左でもありましょう。]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録39』

◆ ツュンベリーの記録(日本)31 ◆
◎53『日本の農民には他国のような苦しみがない』
「日本では農民が最も有益なる市民とみなされている。このような国では農作物についての報酬や奨励は必要ない。そして日本の農民は、他の国々で農業の発達を今も昔も妨げているさまざまな強制に苦しめられるようなことはない。農民が作物で納める年貢は、たしかに非常大きい。しかしとにかく彼らはスウェーデンの荘園主に比べれば、自由に自分の土地を使える。(スウェーデンの農民が農業以外の苦役に従事しなければならない例をいくつかひいて)日本の農民は、こうしたこと一切から解放されている。彼らは騎兵や兵隊の生活と装備のために生じる障害や困難については、まったく知らない。そんなことを心配する必要は一切ないのだ」

[ヨーロッパの農民の苦役の話は、前に記しました]

■ タウンゼントの記録(中国)31 ■
◎32『誇張されすぎる日本脅威論』
「しかし忘れてはいけない。
 国際紛争の原因は双方にあるのである。
「日本人は戦う覚悟はいつでもできてはいるが、挑発されるのでなければ戦わない」ということが、日本人と長く付き合ってみればよくわかる。
 ・・・・・
(日本の)この三十年の外交は世界に類を見ないほど言行一致している。」

[戦前、昭和初期にも、こういうアメリカ外交官がいたのですね。さぞ孤立していたことでしょう。感謝せねば!]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録40』

◆ ツュンベリーの記録(日本)32 ◆
◎54『驚くべき農民の仕事ぶり』
「農民の根気よい草むしりによって、畑にはまったく雑草がはびこる余地はなく、炯眼なる植物学者ですら農作物の間に未知の草を一本たりとも発見できないのである」

[植物学者としての感想です。]

■ タウンゼントの記録(中国)32 ■
◎33『アジアの問題児は中国』
「結論を述べよう。
 アジア問題の本質はなにか。
 それは、時代の流れに逆らう中国人の頑迷さである。
 問題の本質はここにあるのであるが、「それとてたいした問題ではない」と、中国に居を構えるアメリカ人は言っている。
 期待しすぎてはいけない。
 現在の権益を保持できればそれで十分である。
 ・・・・・
 誰もが異口同音に『中国人の裁判にかかったら最後、まともな裁きを絶対期待できない』と話していた。
 そして、でたらめ裁判の例を山ほど聞かされた。」

[このあたりの記述では、1927年の南京事件などで中国人がアメリカ人にいかに酷い仕打ちをして生首を並べても、アメリカ宣教師が中国人を弁護すると、宣教師を批判しています。また別の箇所で、酷いことをする中国人を弁護し、紳士的な日本人を嫌うアメリカ宣教師のことが記されています。なお現代中国の裁判の酷さについては、オロモルフの知人で特許関係の仕事をしている人がぼやいておりました。日本では想像もできないような不正が平然となされているとか・・・]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録41』

◆ ツュンベリーの記録(日本)33 ◆
◎55『他の国のような飢饉がない』
「日本には外国人が有するその他の物――食物やら衣服やら便利さゆえに必要な他のすべての物――はあり余るほどにあるということは、既に述べたことから十分にお分かりいただけよう。そして他のほとんどの国々において、しばしば多かれ少なかれ、その年の凶作や深刻な飢饉が嘆かれている時でも、人口の多いのにもかかわらず、日本で同じようなことがあったという話はほとんど聞かない」

[それでも何回かは飢饉があった――という話がこのあとにありますが、江戸時代の飢饉についての戦後の教育は、あまりにも大げさです。たしかに飢饉の記録はありますが、それは当時の人にとっても異常だったからこそ記録に残されているのであって、その記録の無い期間や無い地方は、ずっと食物があって平穏だったわけです。そういう眼で見ますと、江戸時代は世界の水準に比べて、じつに飢饉が少なかったと言える――と、石川英輔さんはじめ、正統史観の研究者が述べています。板倉聖宣氏は、江戸時代の農民が飢えてなどいなかった事を「物理学の保存則」を使って論理的に証明した有名な学者ですが、その講演を聴いた左翼教師が「お前は江戸時代の農民が可哀想だとは思わないのか」とじつに非科学的な反論をしたそうです。]

■ タウンゼントの記録(中国)33 ■
◎34『パール・バックの偽善』
「ところで、あのパール・バックは南京虐殺の時、南京から夫と日本へ避難し、日本で「平和ってほんとに良いものですね」と書いている。
 ところが去年・・・・・殺人・略奪の収まった南京に戻ったときのことを、「驚いたことにみだらな落書きが一つもないではありませんか」と書いて中国人を持ち上げている。

[略奪にはげんでいるときに落書きなどしてはいられない――と、パール・バックを批判する文章。]

 ・・・・・
 中国人を絶賛するパール・バックが書いていないものがある。
 あの時、南京では何が起こっていたか。
 中国兵は笑いながらイギリス領事をその庭先で撃ち殺した。
 無抵抗のアメリカ人も一人、同様になぶり殺しにした。
 ・・・・・邸に逃げ込んだ五十人の外国人に、雨あられと弾丸を浴びせた。
 ・・・・・
 こういうことを、パール・バックは一切書いていないのである。」

[このあたりの南京事件とは、1927年の事件。多数の外国人がシナ人に襲われ殺された事件です。パール・バックの偽善は、おおくの人が指摘しているようですね。]


『ツュンベリーとタウンゼントの記録42』

◆ ツュンベリーの記録(日本)34 ◆
◎56『商売はとても繁盛している』
「商業は、国内のさまざまな町や港で営まれており、また外国人との間にも営まれる。国内の商取引は繁栄をきわめている。そして関税により制限されたり、多くの特殊な地域間での輸送が断絶されるようなことはなく、すべての点で自由に行われている。どの港も大小の船舶で埋まり、街道は旅人や商品の運搬でひしめき、どの商店も国の隅々から集まる商品でいっぱいである」

[ツュンベリーにとって印象的だった江戸中期日本人の実態を表すキーワードには、
「裁判で身分差別がない」
「女性が奴隷ではない」
「自由」
「清潔」
「正直」
「公正」
「勤勉」
「節約」
「巧みな工芸」
「商品が豊富」
「犯罪が少ない」
 ・・・などいろいろありますが、「自由」という言葉が頻繁に出てきます。
 おそらく、来る前に聞いていたことと反対の自由な日本人の姿を見たのでしょう。
 下層の農民や上役に仕える武士にすら自由がある、と述べています。
 この点についても、戦後の教育はおかしいです。
 たとえば二宮尊徳は農民の出ですが、頼まれて武士階級の指導者になっています。
 オロモルフの曾祖父は旗本でしたが、家系図を見ますと、一家の婚姻相手は、農村・商人・学者などいろいろです。
 江戸に日本初の私立図書館をつくった小山田与清は、農家に生まれて江戸に移って商人になり、のちに学者になった人です。]

■ タウンゼントの記録(中国)34 ■
◎35『事実を見て対中国政策の誤りを認めよ』
「つまり、今までの対中国政策は失敗だったと素直に認める以外ないのである。
 金を貸せば、返してもらえないばかりか悪用される。
 学校や病院を建てたら、火をつけられる。
 宣教師は宣教師で、いくら中国人の中に飛び込んで命がけで働いても、教え子に拷問され虐殺されている。
 ただ外交援助するばかりで、何の罰則もなく甘い顔ばかりしてきたから、かえって暴虐の限りを尽くしてきたのである。」

[戦後の日本の対中外交も、まさにこのようなものだったと思います。膨大な経済援助の結果が反日暴動です!]

[以上、ツュンベリーの『江戸参府随行記』とタウンゼントの『暗黒大陸中国の真実』の二冊の本から抜粋しました]


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