■□■□■ 七五調による昭和前半歌謡曲の分析(オロモルフ)■□■□■


■■■ 0.目次 ■■■

1. まえがき
2. 七五調の定義と歴史
3. 七五調に関係する音数律の分類
4. 長歌にみる七五調の萌芽
5. 七五調歌謡曲の遠い先祖「今様」
6. 純粋七五調歌謡曲
7. 合いの手が入る純粋七五調歌謡曲
8. 都々逸形式の七五調歌謡曲
9. 合いの手が入る都々逸形式の七五調歌謡曲
10.純粋七五調と都々逸形式を重ねた歌謡曲
11.純粋七七調の入る七五調歌謡曲
12.五音句ではじまる七五調歌謡曲
13.七五調とは遠い形式の歌謡曲
14.昭和前半歌謡曲における七五調の音数句構成の基本形
15.むすび


■■■ 1.まえがき ■■■

 タイトルに「分析」と書きましたが、そんな大げさなものではなく、単なる趣味の考察です。
 私が比較的知っている昭和前半の歌謡曲を中心にして、七五調を座標軸とした検討をしてみました。
 七五調的な文体は、ハード研所員にも得意な方がおられ、SFの創作にも役立つ検討だと思います。
 例にあげるのは、どうしても好きな歌(たとえば古賀メロディやテイチク発売など)が中心になってしまいますから、客観性には乏しいかもしれません。
 また、あくまでも詩についての考察で、曲についてのものではありません。
 詩は七五調でなくとも曲は七五調的な歌謡曲はたくさんありますが、そういう検討はしていません。

■■■ 2.七五調の定義と歴史 ■■■

 七五調についての研究論文や著作はいろいろとあるでしょうが、勉強している時間がありませんので、ここでは国語辞書や百科事典類の知識のみを我流で纏めてみます。

**********

 わが国の古くからの和歌・歌謡・詩などは、五音句と七音句を音数律の基本単位としていて、多くの場合、この両句の反復によって全体が構成されています。
 ここで、
「五音句→七音句」と続く形を五七調。
「七音句→五音句」と続く形を七五調。
 ――と言います。
(本稿では「5・7」「7・5」という書き方もします)

 歌の雰囲気としては、
◎五七調は重厚。
◎七五調は軽妙。
 ――とされています。

 長歌についての歴史的変遷を見ますと、『万葉集』で代表される奈良時代までは五七調が主体で、平安時代に入って七五調が出てきました。
 たとえば平安初期の『古今和歌集』には五首の長歌がありますが、そのうち三首までが七五調とされています。

 一方短歌については、『記紀』や『万葉集』にすでに七五調の萌芽が見られ、平安時代の『古今和歌集』〜鎌倉時代の『新古今和歌集』・・・と七五調が盛んになってきました。
(短歌の場合、五七調を二句切れ、七五調を初句切れ・三句切れと言うようです。二句切れとは、最初の二句の末尾に意味の段落がある形式、初句切れ・三句切れとは、一句めの末尾と三句めの末尾に意味の段落がある形式の事です)

 この七五調は江戸時代の狂歌・俗謡・語り物・三味線唄などにまで継承され、明治時代に入っても明治大正演歌・新体詩・流行歌・歌謡曲・懐メロ調演歌・・・と受け継がれてきました。

**********

 以上が辞書類の解説を纏めたものですが、本稿では昭和前半(昭和十年前後から昭和三十年ごろまで)の歌謡曲に着目します。
 それは、長い日本の音数律の歴史の中で、昭和前半の歌謡曲が七五調の全盛期を担ったのではないか――と推理するからです。
(他の年代の歌はあまり知らないという事もあります)

 なお、七五調という言葉の定義ですが、ここでは、「7・5」に特色があれば、他の音数句が混ざっていても七五調の歌謡曲と称します。
 とくに歌謡曲においては七七調と七五調は切り離せませんので、「7・7」が入っていても多くの場合七五調と呼んでいます。
 ただし厳密に言いたい時は、「7・5」のみで構成される音数句配列を純粋七五調と言うことにします。
 同様に「7・7」のみを純粋七七調と仮称します。
 純粋七七調は七五調の雰囲気を持っているため、分析の対象といたします。


■■■ 3.七五調に関係する音数律の分類 ■■■

 ここで、音数によって、七五調歌謡曲の歌詞構造の基本単位を分類しておきます。


◎一句単位

(甲)「5」
(乙)「7」


◎二句単位
 最小単位である(甲)と(乙)の組み合わせで出来る二句は、次の四種です。

(A)「5・5」
(B)「5・7」
(C)「7・5」
(D)「7・7」

 このうち(C)が七五調の基本で、(D)が七五調と親和性のある七七調です。
 昭和前半の七五調の歌謡曲に頻出するのは(C)と(D)ですので、この二つをさらに組み合わせた単位を次に記します。


◎二句×二行(四句)単位
 歌謡曲には二句×四行がとても多いのですが、この四行は二つの二行に分割できますので、二句×二行が一つの単位になります。
 下の「+」という記号は、二句単位を一行として、それが二行あるという意味です。

〔1〕(C)+(C)=「7・5+7・5」←純粋七五調
〔2〕(C)+(D)=「7・5+7・7」←逆都々逸形式
〔3〕(D)+(C)=「7・7+7・5」←都々逸形式
〔4〕(D)+(D)=「7・7+7・7」←純粋七七調

 このうち昭和前半の歌謡曲で多く使われているのは、純粋七五調の〔1〕と、「7・7」が前置される〔3〕です。
 とくに〔3〕は、江戸時代後期以降に流行した都々逸の形式で、昭和前半の歌謡曲はこれを大幅に取り入れていますので、本稿では重視しています。
 一般に「7・7」は「7・5」と親和性があります。

 残りの二つの中で、純粋七七調の〔4〕はかなり有ります。二行配列の純粋七七調は、歌謡曲では純粋七五調に近い雰囲気を持っているようです。

 残った〔2〕の逆都々逸形式は、「7・7」が「7・5」の後ろにつく形ですが、これは少ないようです。
 つまり、「7・7」は「7・5」と親和性を持つが、その親和性は、二行配列で「7・7」が「7・5」の前に置かれた都々逸形式のときに強く、後に置かれた逆都々逸では弱い――ということです。
(わかりにくいかもしれませんが、あとで具体例を出します)


■■■ 4.長歌にみる七五調の萌芽 ■■■

 長歌は五音句と七音句が・・・5・7・5・7・5・7・5・7・・・と交互に続き、最後だけ7が重なりますが、意味の段落が7と5の間に来れば五七調になりますし、5と7の間に来れば七五調になります。
 しかし意味の段落というのは主観が入りまして、私にはとても分かりにくいものです。
 以下に、長歌について、検討してみます。

『万葉集』に、山部赤人による次の有名な長歌があります。

天地の・分かれし時ゆ
神さびて・高く貴き
駿河なる・冨士の高嶺を
天の原・振りさけ見れば
渡る日の・影も隠らひ
照る月の・光も見えず
白雲の・い行きはばかり
時じくぞ・雪は降りける
語り継ぎ・言ひ継ぎ行かむ
冨士の高嶺は

 これを5と7という音数で表現しますと、つぎのようになります。

5・7
5・7
5・7
5・7
5・7
5・7
5・7
5・7
5・7


「5・7」という二句単位で始まってそれがずっと続き、最後に「7」一句があって終わるのが長歌の基本形ですが、山部赤人のこの短い長歌はその基本形に忠実です。
 意味を考えてみましても、大体は「5・7」から次の「5・7」に移る箇所が意味の段落になっているように思えます。
 つまり辞書に書かれているように、この万葉長歌は五七調です。

 この長歌には、短いながらも「5・7」が九つありますが、これを出来うるかぎり縮めて二つだけにして、

5・7
5・7


 ――としますと、短歌になります。
 すぐに分かりますように、これは、
「二句切れの五七調短歌」
 です。

 この形式の短歌の言葉のつながりを変更して、最初の「5」で意味の段落があり、つぎの「7・5」の末尾で意味の段落があるようにしますと、


7・5
7・7

 となって、
「初句切れ・三句切れの七五調短歌」
 になります。
 上の二行を独立させて「5・7・5」のみにしたものが俳句や川柳です。

**********

 つぎに、七五調の始まりとされる『古今和歌集』にある長歌を吟味してみます。
 有名な紀貫之の長歌を取り上げます。

ちはやぶる・神の御代より
くれたけの・代々にもたえず
あまびこの・音羽の山の
春がすみ・おもひみだれて
さみだれの・空もとどろに
さ夜ふけて・山ほととぎす
・・・・・
5・7
5・7
5・7
5・7
5・7
5・7



 ――です。
 ここまでは五七調のように思えるのですが、上の最後の句あたりから、七五調でも良いように思えてきます。
 書いてみます。

山ほととぎす・なくごとに
誰もねざめて・からにしき
たつたの山の・もみぢ葉を
見てのみしのぶ・かみな月
しぐれしぐれて・冬の夜の
庭もはだれに・ふる雪の
・・・・・
7・5
7・5
7・5
7・5
7・5
7・5



7・7

(この形で区切ると、標準形の長歌では、冒頭が「5」で末尾が「7・7」になります。つまり、このような段落で途中を極限にまで減らしますと、


7・5
7・7

 ――となりまして、七五調の短歌そのものになります)

 以上は、五七調だと思って音読していると、途中で何だか七五調に思えてくるなあ――という程度の事ですが、後半を音読すると、たしかに七五調に聞こえます。

 辞書に『古今和歌集』の長歌五首のうち三首は七五調だ――と書いてありますので、探してみますと、この紀貫之の長歌がいちばん七五調的でしたので、引用しました。

 なお長歌は『古今和歌集』にも五首しか無く、以後衰退し、『新古今和歌集』には一つも無いと思います。


■■■ 5.七五調歌謡曲の遠い先祖「今様」■■■

 最初から意識してつくられた七五調の遠い先祖は、平安後期に流行した「今様」だと考えられます。
「今様」は神仏に捧げる歌謡が世俗化したものといわれており、たしかに仏教を詠んだものが多いのですが、その内容はきわめて庶民的で、大衆歌謡という側面を色濃くもっています。
 有名な『平家物語』にいくつかの「今様」が載っています。
 また、「今様」を集めた歌集としては平安末期にできた『梁塵秘抄』が有名で、これは後白河天皇が編纂なさったと言われています。
 内容の多くは消失していますが、それでも五百首以上が発見されています。
 大衆歌謡的な内容の「今様」を四首ご紹介しておきます。

『平家物語』より
(悲恋物語の主人公である白拍子の佛御前が平清盛の前で歌った今様です)
君をはじめて・見るおりは
千代もへぬべし・姫小松
御前の池なる・亀岡に
鶴こそ群れいて・遊ぶめれ
7・5
7・5
8・5
8・5

『平家物語』より
(左大臣をつとめた後徳大寺実定の今様。実定は今様の名手として知られています)
古き都を・来てみれば
浅茅が原とぞ・荒れにける
月の光は・くまなくて
秋風のみぞ・身にはしむ
7・5
8・5
7・5
7・5
(安徳天皇の一時期福原(現神戸市)に遷都したとき、元の京の都を訪ねた歌だと思います)

『梁塵秘抄』より
春のはじめの・歌枕*
霞鶯・帰る雁
子の日青柳・梅桜**
三千歳に実る・桃の花***
7・5
7・5
7・5
7・5
(*「春のはじめの・歌枕」とは、春の名物を集めれば――といった意味です)
(**「子の日」とは、長寿を願う儀式の日)
(***「三千歳に実る」は、三千年に一度実 のなる目出度い桃という意味)

『梁塵秘抄』より
春のはじめの・歌枕
霞たなびく・吉野山
鶯佐保姫・翁草*
花を見捨てて・帰る雁
7・5
7・5
8・5
7・5
(*「佐保姫」とは春を司る女神)

 所々に「7」のかわりに「8」が出てきます。
 これは厳密には「8=4・4」ですが、「8≒7」と考えてよいと思います。七五調と「8」の関係についてはまた後に記します。


■■■ 6.純粋七五調歌謡曲 ■■■

 さて、昭和前半の歌謡曲の検討に移ります。
 まず「7・5」のみで成立している純粋七五調の歌をピックアップしてみます。
 短い方から長い方に並べて、同じ長さはタイトルの50音順にしています。
 ほとんどは「7・5」×4ですが、これは前記の二行配列〔1〕「7・5+7・5」を二つ重ねたものでもあります。

 すなわち、
〔1〕+〔1〕=「純粋七五調+純粋七五調」
 ――が中心です。

注:以下の歌謡曲の題名のあとの(A/B/C)は、(作詞家/作曲家/歌手)という意味です。

 なお、音数の数字はほとんど勘でやっていますので、間違いがあるかもしれません。間違っていたら、お教えください。


『酒は涙か溜息か』
(高橋掬太郎/古賀政男/藤山一郎)
酒は涙か・溜息か
心のうさの・捨てどころ
7・5
7・5

『並木の雨』
(高橋掬太郎/原野為二/ミス・コロンビア)
並木の路に・雨が降る
どこの人やら・傘さして
帰る姿の・なつかしや
7・5
7・5
7・5

『赤城の子守唄』
(佐藤惣之助/竹岡信幸/東海林太郎)
泣くなよしよし・ねんねしな
山の鴉が・啼いたとて
泣いちゃいけない・ねんねしな
泣けば鴉が・またさわぐ
7・5
7・5
7・5
7・5

『江ノ島悲歌』
(大高ひさを/倉若晴生/菅原都々子)
恋の片瀬の・浜ちどり
泣けば未練の・ますものを
今宵なげきの・桟橋の
月にくずれる・わが影よ
7・5
7・5
7・5
7・5

『男の純情』
(佐藤惣之助/古賀政男/藤山一郎)
男いのちの・純情は
燃えて輝く・金の星
夜の都の・大空に
曇る涙を・誰が知ろ
7・5
7・5
7・5
7・5

『婦系図の歌(湯島の白梅)』*
(佐伯孝夫/清水保雄/小畑実・藤原亮子)**
湯島通れば・思い出す
お蔦、主税の・心意気
知るや白梅・玉垣に
のこる二人の・影法師
7・5
7・5
7・5
7・5
*最初の題名が『婦系図の歌』で戦後の映画化のときから『湯島の白梅』と呼ばれました。
**なおこの歌が本当に清水保雄の作曲なのかどうかについては、大きな疑問があります。
 この疑問は、あとに出てきます『勘太郎月夜唄』についても同じです。

『女の階級』
(村瀬まゆみ/古賀政男/楠木繁夫)
君に捧げた・純情の
愛が女の・生命なら
弱い涙は・今日かぎり
すてて茨の・道を行く
7・5
7・5
7・5
7・5

『慈悲心鳥』
(佐藤惣之助/古賀政男/楠木繁夫)
愛と泪に・流れゆく
若き二人の・思い出は
海の真珠の・浪の色
虹よ消ゆるな・いつまでも
7・5
7・5
7・5
7・5

『島の船唄』*
(清水みのる/倉若晴生/田端義夫)
小島離れりゃ・船唄で
今日も暮れるか・海の上
いつもおいらは・波まくら
ひとり船頭で・暮らすのさ
7・5
7・5
7・5
7・5
*バタヤンのデビュー曲で、のちの一連のバタヤンの船モノの元祖です。

『白い椿の唄』
(佐藤惣之助/古賀政男/楠木繁夫)
雪もかがやけ・青春の
花は涙の・おくりもの
風にさびしく・泣きぬれし
あわれ乙女の・白椿
7・5
7・5
7・5
7・5

『新妻鏡』
(佐藤惣之助/古賀政男/霧島昇・二葉あき子)
僕が心の・夫なら
君は心の・花の妻
遠くさみしく・離れても
啼くな相模の・鴎どり
7・5
7・5
7・5
7・5

『緑の地平線』
(佐藤惣之助/古賀政男/楠木繁夫)
なぜか忘れぬ・人故に
涙かくして・踊る夜は
ぬれし瞳に・すすり泣く
リラの花さえ・なつかしや
7・5
7・5
7・5
7・5

『目ン無い千鳥』
(サトウハチロー/古賀政男/霧島昇・松原操)
目ン無い千鳥の・高島田
見えぬ鏡に・いたわしや
くもる今宵の・金屏風
誰のとがやら・罪じゃやら
7・5
7・5
7・5
7・5

『別れの磯千鳥』
(フランシスコ座波/福山たか子/近江俊郎)
逢うが別れの・はじめとは
知らぬわたしじゃ・ないけれど
切なく残る・この想い
知っているのは・磯千鳥
7・5
7・5
7・5
7・5

『別れ船』
(清水みのる/倉若晴生/田端義夫)
名残りつきない・果てしない
別れ出船の・かねがなる
思いなおして・あきらめて
夢は潮路に・捨ててゆく
7・5
7・5
7・5
7・5

『加藤隼戦闘隊』
(田中林平・旭六郎/原田喜一・岡野正幸
 /灰田勝彦)
エンジンの音・轟々と
隼は往く・雲の果て
翼にかがやく・日の丸と
胸に描きし・赤鷲の
印はわれらが・戦闘隊*
7・5
7・5
7・5
7・5
7・5
*最後の行は8・5ですが、二番や三番は「愛機に祈る・親心」「心でにぎる・操縦桿」など「7・5」になっています。

『日の丸行進曲』
(有本憲次/細川武夫/各社歌手)
母の背中に・小さい手で
振ったあの日の・日の丸の
遠いほのかな・思い出が
胸に燃えたつ・愛国の
血潮のなかに・まだ残る
7・5
7・5
7・5
7・5
7・5

『しのび泣くブルース』
(藤浦洸/万城目正)
虹の七色・消えたとて
せめて紅色・ひといろは
燃ゆる心の・奥ふかく
秘めてひそめて・思い出に
ああひとふしの・ブルースに
心みだれる・この夕べ
7・5
7・5
7・5
7・5
7・5
7・5


■■■ 7.合いの手が入る純粋七五調歌謡曲 ■■■

 以下の歌詞は、間に「7・5」以外の句(たとえば嘆声)が入る例ですが、一種の合いの手やかけ声のようなもので、基本は純粋七五調だと思います。


『愛の小窓』
(佐藤惣之助/古賀政男/ディック・ミネ)
花の都に・身を拗ねて
若き生命を・散らすやら
夜の巷を・流れゆく
君がパイプの・(ああ)うす煙
7・5
7・5
7・5
7・(2)5

『旅姿三人男』
(宮本旅人/鈴木哲夫/ディック・ミネ)
清水港の・名物は
お茶の香りと・男伊達
見たか聞いたか・あの啖呵
粋な小政の
粋な小政の・旅姿
7・5
7・5
7・5

7・5

『湯の町エレジー』
(野村俊夫/古賀政男/近江俊郎)
伊豆の山々・月あわく
灯りにむせぶ・湯のけむり
ああ・初恋の
君をたずねて・今宵また
ギターつまびく・旅の鳥
7・5
7・5
(2)・5
7・5
7・5

(こういう変形は、作曲家の希望によってなされる事も多かったと思います)


■■■ 8.都々逸形式の七五調歌謡曲 ■■■

 都々逸は江戸時代以降に発達した七五調通俗歌謡の典型で、民謡が元になったとされています。
 前記しました〔3〕「7・7+7・5」の形式です。
 例をあげます。

霧もかすみも・ただ人の世の
鐘に撞木の・あてどころ
7・7
7・5
(平山蘆江)

出舟入舟・数々あれど
義理の波越す・舟はない
7・7
7・5
(同前)

 さて、このような、都々逸の音数律である、
〔3〕「7・7+7・5」
 ――は、民謡/新民謡に多数ありますが、昭和前半の歌謡曲にも、純粋七五調に負けないほど沢山あります。
 なかには、都々逸そのものを流用した歌詞もあります。
 以下に、そのような歌謡曲を並べてみます。
 すべて、都々逸形式を二つ重ねて構成されています。

 すなわち、
〔3〕+〔3〕=「都々逸形式+都々逸形式」
 ――です。


『愛の灯かげ』
(西條八十/古賀政男/近江俊郎・奈良光枝)
住むに家なき・小鳩のわたし
雨に泣いてた・焼野原
やさしく呼んだ・あなたの声に
ほのぼの咲いた・愛の花
7・7
7・5
7・7
7・5

『越後獅子の唄』
(西條八十/万城目正/美空ひばり)
笛にうかれて・逆立ちすれば
山が見えます・ふるさとの
わたしゃみなし児・街道ぐらし
ながれながれの・越後獅子
7・7
7・5
7・7
7・5

『おしどり道中』
(藤田まさと/阿部武雄/上原敏・青葉笙子)
堅気育ちも・重なる旅に
いつか外れて・無宿者
知らぬ他国の・黄昏れ時は
俺も泣きたい・ことばかり
7・7
7・5
7・7
7・5

『落葉しぐれ』
(吉川静夫/吉田正/三浦洸一)
旅の落葉が・しぐれに濡れて
流れ果てない・ギター弾き
のぞみも夢も・はかなく消えて
唄もなみだの・渡り鳥
7・7
7・5
7・7
7・5

『男のブルース』
(藤間哲郎/山口俊郎/三船浩)
ネオンは巷に・まぶしかろうと
胸は谷間だ・風も吹く
男ならばと・こらえちゃみたが
恋の痛手が・命とり
7・7
7・5
7・7
7・5

『おんな船頭唄』
(藤間哲郎/山口俊郎/三橋美智也)
嬉しがらせて・泣かせて消えた
憎いあの夜の・旅の風
思い出すさえ・ざんざら真菰
鳴るなうつろな・この胸に
7・7
7・5
7・7
7・5

『かえり船』
(清水みのる/倉若晴生/田端義夫)
波の背の背に・揺られて揺れて
月の潮路の・かえり船
霞む故国よ・小島の沖よ
夢もわびしく・よみがえる
7・7
7・5
7・7
7・5

『十九の春』
(西條八十/江口夜詩/ミス・コロムビア)
流す涙も・輝きみちし
あわれ十九の・春よ春
菫つみつつ・散る白露に
泣きし十九の・春よ春
7・7
7・5
7・7
7・5

『すみだ川』
(佐藤惣之助/山田栄一/東海林太郎)
銀杏返しに・黒繻子かけて
泣いて別れた・すみだ川
思い出します・観音さまの
秋の日暮れの・鐘の音
7・7
7・5
7・7
7・5

『妻恋道中』
(藤田まさと/阿部武雄/上原敏)
好いた女房に・三行半を
投げて長脇差・永の旅
怨むまいぞえ・俺等のことは
またの浮世で・逢うまでは
7・7
7・5
7・7
7・5

『名月赤城山』
(矢島寵児/菊地博/東海林太郎)
男ごころに・男がほれて
意気がとけ合う・赤城山
澄んだ夜空の・まんまる月に
浮世横笛・誰が吹く
7・7
7・5
7・7
7・5

『夢よもういちど』
(西條八十/古賀政男/奈良光枝)
派手に咲いても・ダリアの花の
露の涙を・誰が知ろ
何故に消えるぞ・女の夢は
夢よ返れよ・もういちど
7・7
7・5
7・7
7・5

『麗人草の歌』
(松村又一/加藤光男/林伊佐緒)
愛の涙に・やさしく濡れて
咲くが女の・生命なら
何故に散らした・あの夜の風よ
今は返らぬ・夢かなし
7・7
7・5
7・7
7・5


(こう見てきますと、純粋七五調と比較して、都々逸形式は民謡調というか、古典的な感じがします。そして、とても数が多いです)


■■■ 9.合いの手が入る都々逸形式の七五調歌謡曲 ■■■

 次に、同じ都々逸調ですが、合いの手とか擬音とかわずかな変調とかの入る歌謡曲を並べてみます。


『浅草姉妹』
(石本美由起/遠藤実/こまどり姉妹)
なにも言うまい・言問橋の
水に流した・あの頃は
鐘が鳴ります・浅草月夜
化粧なおして(エー)
化粧なおして・流し唄
7・7
7・5
7・7
7(2)
7・5

『熱海ブルース』
(佐伯孝夫/塙六郎/由利あけみ)
昨日来た街・昨日来た街
今日また暮れて
つきぬ情ひの・湯けむりよ
雨の匂ひも・やさしく甘く
君は湯上がり・春の顔
7・7

7・5
7・7
7・5

『ズンドコ桜』*
(大高ひさを/倉若晴生編曲
 /田端義夫・安城美智子)
咲いた桜に・なぜ駒つなぐ
駒が勇めば・(パッと)花が散る
散った花びら・あの娘の胸に
濡れてほんのり・恋心
7・7
7・(2)5
7・7
7・5
*これは、後に記すズンドコ節の変形ですが、都々逸そのものを流用しています。
 バタヤンの十八番です。

『蘇州夜曲』
(西條八十/服部良一/霧島昇・渡辺はま子)
君がみ胸に・抱かれて聞くは
夢の船歌・恋の歌
水の蘇州の・花散る春を
惜しむか柳が・すすり泣く
7・7
7・5
7・7
8・5
(これは合いの手ではなくわずかな変形です)


注:「8」について――

 七五調の歌詞には時々「8」があらわれますので、少し検討してみます。
「8」=「4・4」ですから「4」について考えてみますと、
「4・4・4・4」=「8・8」
 は散文に近くなって歌としては落ち着きがありませんが、
「4・4・4・3」=「8・7」
 や
「4・4・5」=「8・5」
 は七五調との親和性があり、こうした使い方の「8」は「7」に近いようです。

 平凡な例ですが、
「枝垂れた・柳が・ゆらゆら・揺れてる」(4・4・4・4)
 は散文的ですが、
「枝垂れた・柳が・ゆらゆら・揺れて」(4・4・4・3)
 とか、
「枝垂れた・柳が・ゆらゆらと」(4・4・5)
 としますと、歌詞の雰囲気になります。
 最後の句から「た」だけを除いて、
「枝垂れ柳が・ゆらゆらと」
 にしますと「7・5」になります。

 歌詞の中には、一番では「8・5」だが二番は「7・5」になっている――といった例も多くありますから、歌謡曲の「8」は「7」の微妙な変形として出てくることが多いようです。

「7」に近いこのような「8」の使い方は、歌謡曲に始まったものではなく、前にご紹介した奈良平安の長歌にもあるし今様にもあります。短歌にもあります。
 都々逸にもたくさんあります。例をあげます。

花はくれない・柳はみどり
あしたはあしたの・風がふく
7・7
8・5
(平山蘆江)

もみじ踏み分け・奥山あたり
わたしの心で・鹿が啼く
7・7
8・5
(同前)

(これは有名な百人一首の短歌、
奥山に
紅葉ふみわけ・なく鹿の
声きくときぞ・秋はかなしき

7・5
7・7
(猿丸大夫)
――のもじりですが、こういうもじりは、平安時代から短歌や今様にも見られるようです。もちろん江戸時代になると狂歌など数え切れません)

 おまけとして、純粋七七調が純粋八七調に変形した例を記しておきます。

『恋のアマリリス』
(西條八十/服部良一)
赤いはなびら・アマリリス
窓にやさしく・咲いた日に
わたしの胸にも・春風吹いて
ひらいた蕾の・ああ恋の花
7・5
7・5
8・7
8・7(または8・(2)5)


■■■ 10.純粋七五調と都々逸形式を重ねた歌謡曲 ■■■

 純粋七五調の二句×二行、
〔1〕「7・5+7・5」
 と、都々逸形式の二句×二行、
〔3〕「7・7+7・5」
 とは、七五調的な音数律の典型ですから、この二つを重ねた歌謡曲も当然あります。

 まず、純粋七五調が先にくる、
〔1〕+〔3〕=「純粋七五調+都々逸形式」
 ――です。


『悲しき竹笛』
(西條八十/古賀政男/近江俊郎・奈良光枝)
ひとり都の・たそがれに
思い哀しく・笛を吹く
(ああ)
細くはかなき・竹笛なれど
こめし願いを・君知るや
7・5
7・5
(2)
7・7
7・5

『九段の母』
(石松秋二/能代八郎/塩まさる)
上野駅から・九段まで
勝手知らない・じれったさ
杖を頼りに・一日がかり
倅来たぞや・会いにきた
7・5
7・5
7・7
7・5

『ここに幸あり』
(高橋掬太郎/飯田三郎/大津美子)
嵐も吹けば・雨も降る
女の道よ・なぜ険し
君を頼りに・私は生きる
ここに幸あり・青い空
7・5
7・5
7・7
7・5

『旅の夜風』
(西條八十/万城目正
 /霧島昇・ミス・コロムビア)
花もあらしも・踏みこえて
行くが男の・生きる道
泣いてくれるな・ほろほろ鳥よ
月の比叡を・ひとり行く
7・5
7・5
7・7
7・5


 つぎに、都々逸形式が先に来る、
〔3〕+〔1〕=「都々逸形式+純粋七五調」
 ――の歌謡曲を示します。

**********

『雨に咲く花』
(高橋掬太郎/池田不二男/関種子)
およばぬことと・諦めました
だけど恋しい・あの人よ
儘になるなら・いま一度
ひと目だけでも・逢いたいの
7・7
7・5
7・5
7・5

『裏町人生』
(島田磬也/阿部武雄/上原敏)
暗い浮世の・この裏町を
のぞく冷たい・こぼれ陽よ
なまじかけるな・薄情け
夢もわびしい・夜の花
7・7
7・5
7・5
7・5

『むらさき小唄』
(佐藤惣之助/阿部武雄/東海林太郎)
流す涙が・お芝居ならば
何の苦労も・あるまいに
濡れて燕の・泣く声は
あわれ浮名の・女形
7・7
7・5
7・5
7・5


 同じ複合でも、どちらが先に来るかで、歌詞の雰囲気が微妙に違うような気もしますが、少ないサンプルでは結論は出ません。

**********

 ちょっと珍しい例をあげておきます。


『トンコ節』*
(西條八十/古賀政男/久保幸江・楠木繁夫)
君と別れて・ただひとり
帰る夜みちで・煙草をすえば
伊達のライタも・音ばかり
涙じめりで・火がつかぬ
ネー・トンコ・トンコ
7・5
7・7
7・5
7・5
(2・2・2)
(*『トンコ節』は昭和24年発売と昭和26年発売の二種類がありますが、これは昭和24年の歌詞です。わたしは24年の方が好きです)

 これは〔2〕「7・5+7・7」という逆都々逸形式の二行に純粋七五調を複合させた構成になっています。
 すなわち、
〔2〕+〔1〕=「逆都々逸形式+純粋七五調」
 ――です。
 こういう構成は珍しいようです。なかなか探せません。

 後置される「7・7」は「7・5」との親和性が低いと、前に記しましたが、前半の二行を音読するとそのように思えます。
 ただし後半の二行が純粋七五調になっているので、歌詞全体としては締まっています。

 似た例をもう一つ記します。


『青い流れに』
(佐伯孝夫/吉田正)
青い流れに・ほろほろと
風もないのに・赤い花散る
熱い思いに・ふるえる心
この木陰・いつの日君かえる
青い流れに・ほろほろと
散るは花かよ・涙かよ
7・5
7・7
7・7
5・9
7・5
7・5


 これは私のとても好きな歌なのですが、逆都々逸形式の二行にはじまって散文調の二行にうつり、最後は純粋七五調の二行で締めています。
 この例からも、逆都々逸形式〔2〕の七五調との親和性の薄さがわかると思いますし、逆都々逸形式だけで歌詞をつくるのが難しい事もわかると思います。
 この逆都々逸形式の音数律は短歌から最初の五音句を除いたものですから、これを重ねた歌詞を無理につくると、歌謡曲ではなく短歌もどきになってしまうのかもしれません。

 上の二つの例はどちらも、最後の二行を純粋七五調にする事によって、「七五調の歌謡曲らしさ」を保っていると思います。


■■■ 11.純粋七七調の入る七五調歌謡曲 ■■■

 再掲になりますが、七五調の歌謡曲によく使われる言葉を「二句×二行」で区切って単位にしますと、

〔1〕「7・5+7・5」←純粋七五調
と、
〔3〕「7・7+7・5」←都々逸形式
の二種類が代表的なわけですが、歌謡曲にはその他に、

〔4〕「7・7+7・7」←純粋七七調
 ――がよく使われます。

(7=3+4=4+3ですが、そこまで細かくは切らないでおきます)

「7・7」という二句の繋がりは、七五調の短歌や都々逸にも入っていて、「7・5」を補強する役割を果たしており、「5・5」のように散文的な雰囲気で七五調を崩すようなことはありません。
 つまり、「7・7」は「7・5」と強い親和性があります。とくに「7・7」が前置される都々逸形式ではその傾向が強くあります。
 さらに純粋七七調の〔4〕は、「7・5」と混ぜなくとも、〔1〕の純粋七五調に似た雰囲気を持っているようです。

 民謡は七五調の宝庫ですが、中には八木節のようにエンエンと「7・7」が続くものもあります。
 歌謡曲にも――数は多くありませんが――四行のすべてが「7・7」だけで構成される構造があります。

 すなわち、
〔4〕+〔4〕=「純粋七七調+純粋七七調」
 ――です。


『青い背広で』
(佐藤惣之助/古賀政男/藤山一郎)
青い背広で・心も軽く
街へあの娘と・行こうじゃないか
紅い椿で・瞳も濡れる
若い僕等の・生命の春よ
7・7
7・7
7・7
7・7

『流れの旅路』
(吉川静夫/上原げんと/津村謙)
紅いマフラーを・いつまで振って
名残り惜しむか・あの娘の馬車は
はるかあの丘・あの山越えて
ゆくかはるばる・流れの旅路
7・7
7・7
7・7
7・7


(この他後出の『憧れのハワイ航路』もこの構成です)

**********

 次に、純粋七七調の〔4〕「7・7+7・7」と都々逸形式の〔3〕「7・7+7・5」の複合を示します。この歌詞構造もかなりあります。

 すなわち、
〔4〕+〔3〕=「純粋七七調+都々逸形式」
 ――です。


『勘太郎月夜唄』
(佐伯孝夫/清水保雄/小畑実・藤原亮子)*
影かやなぎか・勘太郎さんか
伊那は七谷・糸ひく煙
棄てて別れた・故郷の月に
しのぶ今宵の・ほととぎす
7・7
7・7
7・7
7・5
(*この歌も『湯島の白梅』と同様、作曲が真に清水保雄かどうか、かなり疑問視されているようです)

『玄海ブルース』
(大高ひさを/長津義司/田端義夫)
情け知らずと・嘲笑わばわらえ
ひとにゃ見せない・男の涙
どうせ俺らは・玄界灘の
波に浮き寝の・かもめ鳥
7・7
7・7
7・7
7・5

『サーカスの唄』
(西條八十/古賀政男/松平晃)
旅のつばくろ・淋しかないか
おれもさみしい・サーカスぐらし
とんぼがえりで・今年もくれて
知らぬ他国の・花を見た
7・7
7・7
7・7
7・5

『上州鴉』
(山本逸郎/島田逸平/瀬川伸)*
銀の朱房に・ねぐらを追われ
旅を重ねた・上州鴉
何のこの世に・未練はないが
一度行きたい
一度行きたい・母の里
7・7
7・7
7・7

7・5
(*歌手の瀬川伸のほとんど唯一のヒットソングです。瀬川伸は瀬川瑛子の父親です。金歯を光らせながら歌っておりました。当時はマイナーだったタイヘイレコードでした)

『人生劇場』
(佐藤惣之助/古賀政男/楠木繁夫)
あんな女に・未練はないが
なぜか涙が・流れてならぬ
男ごころは・男でなけりゃ
わかるものかと・諦めた
7・7
7・7
7・7
7・5

『ヅンドコ節(波止場シャンソン)』*
(島田磬也/倉若晴生編曲?/田端義夫)**
波止場鴉と・笑はば笑へ
伊達にゃ見せない・男の度胸
渡る命も・夜風に拗ねて
嚥へ煙草の・苦笑い
7・7
7・7
7・7
7・5
(*ズンドコ節には、自然発生的にできたメロディーがたくさんあるようですが、これと『ズンドコ桜』はその典型です。最初『波止場シャンソン』という題がつけられたらしいのですが、岡晴夫の歌に同じ題名があるので、括弧付きになったのでしょう)
(**昔バタヤンを劇場によく聴きに行きましたが、かならずこの『ズンドコ節』を替え歌で歌ってお客さんを沸かせておりました)

『母紅梅の唄』
(清水みのる/利根一郎/菊地章子)
夢を一つに・くれない染めて
かおるこの花・いのちの小花
風よなぶるな・吐息にさえも
ゆれて哀しく・散るものを
7・7
7・7
7・7
7・5

『港シャンソン』
(内田つとむ/上原げんと/岡晴夫)
赤いランタン・夜霧に濡れて
ジャズがむせぶよ・埠頭の風に
明日は出船だ・七つの海だ
別れタバコは・ほろにがい
7・7
7・7
7・7
7・5

**********

 上のタイプはけっこう数がありましたが、一方、純粋七七調二行と純粋七五調二行を複合させた歌謡曲、すなわち、
〔4〕+〔1〕=「純粋七七調+純粋七五調」
 ――は数が少ないようです。
 しかしそれでも次ぎのような例があります。


『港に赤い灯がともる』*
(矢野亮/八州秀章/岡晴夫)
暗い空だよ・きらりと光る
切れたテープか・鴎の鳥か
(ああ)
港に赤い・灯がともりゃ
残る未練の・すすり泣き
7・7
7・7
(2)
7・5
7・5
(*台詞入りで知られるの大ヒット曲です)


■■■ 12.五音句ではじまる七五調歌謡曲 ■■■

 ここの目的は歌謡曲における七五調の調査ですから、五七調はピックアップしていませんが、とても少ないようです。
 五七調の知られた歌として、たとえば島崎藤村の『椰子の実』がありますが、これは有名ではあっても歌謡曲とは言い難いと思います。


『椰子の実』
(島崎藤村/大中寅二/東海林太郎)
名も知らぬ・遠き島より
流れ寄る・椰子の実一つ
故郷の・岸を離れて
汝はそも・波に幾月
5・7
5・7
5・7
5・7

 やはり五七調になると、雰囲気がまったく異なりますね。


 これとは違って、
 五音句で始まっても、基本は七五調
 ――という歌謡曲はかなりあります。
 代表的な例を示します。


『影を慕いて』
(古賀政男/古賀政男/藤山一郎)
まぼろしの
影を慕いて・雨に日に
月にやるせぬ・わが想い
つつめば燃ゆる・胸の火に
身は焦がれつつ・しのび泣く

7・5
7・5
7・5
7・5

『青春日記』
(佐藤惣之助/古賀政男/藤山一郎)
はつ恋の
涙にしぼむ・花びらを
水に流して・泣きくらす
あわれ十九の・春の夢

7・5
7・5
7・5


 都々逸にも、五音句ではじまる形式があります。


神様も
聞いてくれそな・日本晴れの
空のどこかで・啼く雲雀

7・7
7・5
(平山蘆江)

道ばたの
泥にまみれし・名もない草の
枝に咲いても・花は花

7・7
7・5
(同前)

(注:この形式の都々逸で二行目と三行目を入れ替えますと、

7・5
7・7
――となり、短歌になります。

むらさめの
つゆもまだひぬ・槇の葉に
霧立ちのぼる・秋の夕暮

7・5
7・7
(寂蓮法師)


 都々逸と短歌では音読した時の雰囲気がまるで違います。
 音数配列は酷似しているのに、行を入れ替えただけで、まったく別の世界になってしまうのです。つくる人の態度にもよるのでしょうが・・・)


「5・5」で始まる歌謡曲もあります。

『憧れのハワイ航路』
(石本美由起/江口夜詩/岡晴夫)
晴れた空・そよぐ風
港出船の・ドラの音愉し
別れテープを・笑顔で切れば
希望はてない・遙かな潮路
あああこがれの・ハワイ(ー)航路
5・5
7・7
7・7
7・7
7・7

(この歌は基本は七七調です。前の節および次ぎの節を参照してください)


■■■ 13.七五調とは遠い形式の歌謡曲 ■■■

 数多い昭和前半の歌謡曲のなかには、どう捻っても七五調にはならない音数句配列のものもあります。
 そういう例をいくつか記します。


『港が見える丘』
(東辰三/東辰三/平野愛子)
あなたと二人で・来た丘は
港が・見える丘
色あせた桜・唯一つ
淋しく・咲いていた
船の汽笛・咽び泣けば
チラリホラリと・花片
あなたと私に・ふりかかる
春の午後でした
8・5
4・5
8・5
4・5
6・6
7・4
8・5


『港に灯りの点る頃』
(藤浦洸/平川英夫/柴田つる子)
港に灯りの・点る頃に
かすかに聞こゆる・流浪の歌
夜霧が涙に・ゆれてゆらゆらゆら
明日は出船の・青いシグナル
8・6
8・7
8・9
7・7

『夢淡き東京』
(サトウハチロー/古関裕而/藤山一郎)
柳青める日・つばめが銀座に飛ぶ日
誰を待つ心・可愛いガラス窓
かすむは・春の青空か
あの屋根は
かがやく・聖路加か
はるかに・朝の虹も出た
誰を待つ心・淡き夢の町東京
8・11
8・9
4・8

4・5
4・8
8・11


 上の三つの歌謡曲は、七五調の基本とはかけ離れていて、音読するときわめて散文的です。

(ただし曲にした場合は七五調と同様になります。曲としての歌謡曲の基本は二拍子と三拍子ですから、作曲家は七五調であろうがなかろうが、2×n、または3×nになるように言葉を音符に当てはめてゆくわけで、歌う場合には散文的にならないのは当然です。
前の『憧れのハワイ航路』の出だしの「5・5」にしても、歌う時の「晴れた」の「ハ」は「ハアア」ですし「そよぐ」の「ソ」は「ソオオ」ですので、実質「7・7」と同じ扱いで作曲されています)


■■■ 14.昭和前半歌謡曲における七五調の音数句構成の基本形 ■■■

 これまでの例で見たところでは、七五調的な歌謡曲の音数句構成の基本とは――


◎二句を単位にすれば、

(C)「7・5」
(D)「7・7」

の二種類。


◎二句×二行を単位にすれば、

〔1〕「7・5+7・5」=純粋七五調
〔3〕「7・7+7・5」=都々逸形式
〔4〕「7・7+7・7」=純粋七七調

の三種類。
・・・という事になります。

 数学的には二句×二行は全部で四つあるのですが、おもしろいことに、
〔2〕「7・5+7・7」=逆都々逸形式
 の歌は少ない(らしい)のです。
(もちろん『トンコ節』のような特殊な例はありますが)


◎二句×四行を単位にすれば、

 ついで、代表的な二句×四行の歌謡曲の構造の多い少ないを調べてみます。
 二行単位を「 」でくくって表現します。
 無理してやっと見つけたような特殊な例は除きます。


〔1〕+〔1〕
 =「7・5+7・5」+「7・5+7・5」
 =純粋七五調+純粋七五調
(圧倒的に多い)

〔3〕+〔3〕
 =「7・7+7・5」+「7・7+7・5」
 =都々逸形式+都々逸形式
(圧倒的に多い)

〔4〕+〔3〕
 =「7・7+7・7」+「7・7+7・5」
 =純粋七七調+都々逸形式
(やや多い)

〔1〕+〔3〕
 =「7・5+7・5」+「7・7+7・5」
 =純粋七五調+都々逸形式
(少しは有る)

〔3〕+〔1〕
 =「7・7+7・5」+「7・5+7・5」
 =都々逸形式+純粋七五調
(少しは有る)

〔2〕+〔1〕
 =「7・5+7・7」+「7・5+7・5」
 =逆都々逸形式+純粋七五調
(少ない)

〔4〕+〔1〕
 =「7・7+7・7」+「7・5+7・5」
 =純粋七七調+純粋七五調
(少ない)

〔4〕+〔4〕
 =「7・7+7・7」+「7・7+7・7」
 =純粋七七調+純粋七七調
(少ない)


 圧倒的に多いのが上段の二つの構造である事がわかりました。
〔1〕〜〔4〕の組み合わせですから、4×4=16通りある筈ですが、すぐ目につくのはこの八種くらいでした。
 これ以外の八種類(*)も、探せば出てはくるでしょうが、数は少ないと思います。

*:ここに無い八種類とは、逆都々逸形式を含む六種と、純粋七七調で締める「純粋七五調+純粋七七調」および「都々逸形式+純粋七七調」の二種です。
 つまり、「7・5」で始まって「7・7」で締める逆都々逸形式を含む構造、および、歌詞全体の最後が「7・7」の連続になる構造が少ないようです。
 後者はおそらく、短歌的になってしまうのでしょう。

**********

付1
 上の分類は四行の歌詞を前後の二行ずつに分けて考えたものですが、むろん別の分け方もあります。
たとえば――
7・5
7・7
7・5
7・5
 の場合、これを逆都々逸形式+純粋七五調と見るのではなく、中央の都々逸形式を「7・5」で挟んでいる――という見方です。
 しかし歌詞の意味のつながり方からは、この見方はやや苦しいようです。

付2
 擬音語・擬態語について――
 日本語は擬音語(ピヨピヨ、ヒューヒューなど)や擬態語(モジモジ、グルグルなど)がひじょうに多い言語(英語の数倍ある)として知られていて、しかも使用頻度がとても高いそうです。
 たしかに、日常会話には頻出しますし、エッセイ・小説・物語などの散文にもずいぶん出てきます。和歌にも多くあるそうですし、明治以降の詩にもけっこうあるそうです。
 昭和前半の歌謡曲は大衆的な日本語を凝縮したような歌詞を持っていますから、かなり有るだろうと思いましたが、調べてみると少ないようです。
 むろん有りますが、日常会話に比べて数は少ないように思えます。
(ここまでに記した歌詞を見ると、「チラリホラリ」「ゆらゆらゆら」「ほろほろ」など出てきますが、例外的です)
 七五調歌謡は擬音語・擬態語とは親和性が乏しいようです。


■■■ 15.むすび ■■■

 私の父は典型的な七五調人間で、日常会話にも自然に都々逸が混ざるような人でした。
 一方母は五七調人間でして、したがって話はどうもかみ合わなかったです。
 現在の私の家族で七五調人間は私くらいで少数派です(苦笑)。
 べつに七五調と五七調が対立するわけではありませんけど、なんとなく分かれるような気がします。

[完]


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