夏のイルクーツク、バイカル湖 
                 1999.8.6〜8.13

 今回のイルクーツク、バイカル湖への旅行はナターシャが昨年産んだ男の子マクシムと
夫サーシャに会いに行くのが第一の目的でした。ナターシャは90年8月に「青いバイカル
とシベリア8日間」というツアーでバイカル湖に行ったた時にリストビャンカの港で遊ん
でいた子どもで、写真を撮ってやったのがきっかけで、その後文通を続け、今までに4回
会いに行っています。その他に、イルクーツクに行く度に知り合いが増え、今回は5人の
友人や文通相手を訪ねることも目的でした。

 今回の旅行は、先ずイルクーツクまでどうやって行くのかが問題でした。前回イルクー
ツクに行った時(97年12月)には、新潟ーイルクーツク線の飛行機がありましたが、お
客が少なくて、廃止されていました。韓国や中国からイルクーツクに入る方法はないかと
検討してみたがだめでした。結局、ハバロフスクかウラジオストク経由で行くしか方法は
ないということになり、行きにハバロフスクで1泊し、10日間という日程になりました。
しかし、夏の間だけ新潟ーイルクーツク線が復活するかもしれないという情報がでてきて、
結局それが実現して従来通り新潟から直行便でイルクーツクへ行くことができました。

8月6日(金)
 シベリア、極東各地(イルクーツク、ハバロフスク、ウラジオストク)と新潟を結ぶ飛
行機は午前中にロシアを出発し、午後新潟に着き、夕方またロシアに飛んで帰るという形
になっています。
 私達の乗るイルクーツク便も17:00の出発です。名古屋から新潟までは飛行機で行く
のですが、その時間がまったくもって都合が悪いのです。朝、7時55分の飛行機の次は
夕方で、これでは間に合わないので朝の便に乗らざる得ません。

 8時50分には新潟に着き、スーツケースはコインロッカーに預け、町まで出かけ映画
でも見ることにしました。空港から万代シティまではバスで30分。万代シティにも映画
館が数軒ありますが、見たい映画ではなかったので喫茶店に入り、新聞でどこでどんな
映画をやっているかを調べ、「となりの山田君」を見ることに決め、店の人にその映画館
の場所を聞いたが、古町にあるということだけしかわかりませんでした。とりあえず古町
までバスに乗り、降りたところで年配の女の人に聞いてみたが違う映画館を教えてくれた
ので、今度は子ども連れの若い人に聞いて、ようやく映画館まで辿り着きました。これで
もう新潟市の半分以上の映画館には行けるようになりました。

 映画を見た後、お昼はしばらく日本食は食べられないからとそば屋に入り、天ざるを食
べましたが、全然美味しくなかった。新潟空港行きのバス(14:30分発)に乗り空港へ
戻るともうチェックインが始まっていて、中学生の団体ともう一つ大人の団体が手続きを
していました。石川県根上町の人たちが姉妹都市提携を結んでいるシュフホフ市へ行くと
ころだということが、帰りの飛行機も同じだったのでその時にわかりました。

 チェックインの時に、今日はお客さんが多いのでビジネスクラスにしますねと言われ、
「ラッキー!」と喜びましたが、乗ってみると「どこがビジネスクラスなんじゃ?」とぬ
か喜びだったことに気がつきました。前の座席との間隔がエコノミークラスより気持ち広
いかなというだけで、座席のシートも同じ、3列-3列の配置も同じ。

 17:00定刻どおり出発。ロシアへの旅行で時間通りに物事が進むのは非常に幸運なこ
とです。私達の乗った飛行機はツポレフ154というロシアの飛行機。ロシアで長距離路線
や国際線によく使われている飛行機で150人乗りくらいの大きさです。どこからか蠅が入
ってきて飛び回っているのがロシアの飛行機らしい。

 離陸してしばらくすると食前酒(ビール、赤ワイン、白ワイン、ジュース、コーラ、ス
プライト等)が配られた後、機内食がでました。メニューはフランスパンとバターロール、
野菜サラダ(しょうゆドレッシング付)、魚のトマトソースかけ、海老と貝柱のミルク煮、
デザートは果物(メロン、巨峰)とババロア風ケーキ。食後にはコーヒー叉は紅茶が配ら
れます。こういうふうに書くとかなり豪華な機内食のように見えるが、たいしたことはあ
りません。あまり他の国際線に乗ったことがない私としては、あの狭い座席では何を食べ
ても大して変わらないような気がするんですが。

 予定通り飛行機は21:50分、イルクーツク空港に到着。気温は15℃。リュックから
ジャンバーを出して着る。以前来た時、ジャンバーをスーツケースの中に入れておいた
ので、半袖、夏姿でとても寒い思いをしたので、今回はちゃんとリュックに入れておき
ました。

 さて、飛行機から降りてそれからが大変です。いかに早く入国審査、税管検査を受け
るか。100人以上も乗客がいると、最後の人が終わるのは2時間から3時間後です。これ
は決して誇張ではありません。入国審査も二つしか窓口が開かないのでどうしても時間
がかかってしまいます。今回は早く出ようと考えて行動し、入国審査もスムーズに終わ
り、税関審査に行くと、申告用紙を配っているではありませんか。私たちは旅行社で作
ってくれたのがあり、機内で所持金も記入して持っていると見せたところ、様式が変わ
ったので書き直してくれとのこと。しかも渡してくれた用紙は英語で書かれてあるので
す。英語の苦手な私は一瞬パニックです。でも内容は同じようなものなので何とかそば
にいた人に聞きながら書き直しました。息子にも同じように書かせたところ、税関審査
のところで「息子は何歳だ?」と聞かれ、15才だと答えると16才未満は申告しなくて
よいと言われました。そんなこんなで外に出られたのは11時10分でした。私達は早い
方だったにもかかわらずこの時間だったので、最後の人たちは12時を過ぎまでかかった
のではないでしょうか。

 空港の外にはイーラとスヴェータ、そしてスヴェータのお兄さんが車で迎えに来てく
れていました。車は名古屋に留学しているスヴェータが日本で買って、ウラジオストク
まで船で運び、そのあとシベリア鉄道でイルクーツクまでお兄さんと二人で運んだとい
うものです。だから日本車で乗り心地もよかった。空港から町までは30分。

 今回泊まったホテルはアンガラホテル。日本で予約した時、ホテルから旅行社にファ
ックスがきて、私達の予約した3階の部屋はアジアンスタイルの部屋で学生向きだから、
7階にもっと良い部屋があり、日本人はみんなそこに泊まるので7階に変更することを
勧めるということでしたが、値段が倍近くになるのでそのままでよいと答え、もしあま
りにひどければ、その時に現地で変更するということにしました。

 ところが部屋は全然普通の部屋と変わらない。電気のスイッチ等が中国語で書かれて
あったので以前は中国人がよく泊まっていたのかなと思う。ポットやカップの絵柄も中
国のものでした。部屋の広さは確かに日本のビジネスホテル並の狭さでしたが、石鹸、
歯ブラシ、シャンプー、シャンプーハット、バスタブ、電話、テレビ、扇風機、ポット
(電気ではない)、スリッパ(というよりゴム草履に近いもの)がありました。

 8月1日から6日の12時まで工事でお湯が出ないと1階のロビーに書いてあったが、
今日の12時から出るというのはラッキーでした。だが12時過ぎだったにもかかわら
ずお湯は出ませんでした。水で顔を洗って寝ました。ベットは古いらしく、スプリング
がギシギシいっていたし、枕も中に何が入っているのか、ところどころに固い物があり、
柔らかい部分を選んで寝ました。夜中に水の流れる音で目がさめ、「雨かな?」「トイ
レの水が流れっぱなしなのかな?」と思い、浴室を覗いてみるとシャワーヘッドから勢
いよくお湯が吹き出しており、あわてて止めました。浴室の床はびしょびしょでしたが
換気扇をつけて寝たら朝にはすっかり乾いていました。

8月7日(土)
7時過ぎに起きて窓から通りを見ると、歩いている人はみんな長袖で、コートを着てい
る女性もいました。8時にレーナのところに電話をすると言ってあったので、部屋から
電話したがつながらない。各階にいるいるジェジュールナヤという係りの女性に聞いて
みると、最初に0を回さなければならないということで、ようやくレーナと連絡がつき、
10時にホテルのロビーで待ち合わせることにしました。

 朝食は部屋と同じ3階の端にあるレストランでバイキング方式でした。料理の内容は
ちょっと淋しいものでした。ハムが3種類、人参サラダ、ビーツ入りのサラダ、チーズ、
パンは黒パンだけ、ヨーグルトもカップに入ったのがあったが、大きいのでやめました。
紅茶、コーヒーももちろんあります。ロシアのバイキング方式の朝食に行くといつも不
満に思うのは、食器やスプーン、コップ等が足りないことがしばしばあり、従業員に
言ってそれらのものが出てくるのを待っているか、食べるのを諦めるかということにな
ることです。

 さて10時にレーナと1階のロビーで待ち合わせていますが、レーナについて少し紹
介しておきましょう。レーナは最初に書いたナターシャのいとこです。お母さん同士が
姉妹です。97年の12月にイルクーツクに来た時にナターシャはまだイルクーツクに住
んでいましたが、お母さんはバイカル湖畔のリストビャンカに帰っていたので、いとこ
のレーナの家へ招待してくれたのでした。(詳しくは「冬のイルクーツク」をみてくだ
さい)14歳と11歳の女の子がいて、夫ボーヴァは織物工場で働いています。レーナ
もそこでできた製品をキオスクみたいなところで売っています。

 10時に雅浩と1階のロビーに降りて行くともうレーナは来ていました。夫のボーヴ
ァと下の子のカーチャが一緒でした。ボーヴァの車で迎えに来てくれていたのでした。
イルクーツクの町を見て行こうということになり、アンガラ川沿いにあるシベリア鉄道
開通を記念して建てられたオベリスクを見、アンガラ川に作られたダム(ダムの上が道
路になっている)と水力発電所を見、次に船着き場に行きアンガラ川を遡ってバイカル
湖まで行く水中翼船を見ました。更に砕氷船アンガラを見に行き、レーナの家に行きま
した。

 
砕氷船 アンガラ号              バイカル湖へ行く水中翼船

 レーナの家では今日、お母さんが亡くなってからの半年の法事をやるといって、近所
の女性達が手伝いに来ていて、台所で忙しそうに働いていました。まだ準備ができてい
ないので写真を見せてくれたり、ビデオを見せてくれたが、日本でも昨年公開された
「アナスターシア」があったので見ましたが、ロシア語吹き替えが一人の人の声でやっ
ているので全然雰囲気が出ていません。テレビで外国映画をやっている時も同じで、人
によって声の出演が変えてあるのはあまりありません。準備ができるまで子供達(カー
チャとアーニャ、アーニャの友だち)3人に雅浩と二人でコマの手のせを教え、雅浩が
コマの綱渡りをやってみせました。

   

 そうこうしているうちに法事の準備もでき、テーブルの上には見事な料理が並びました。
日本の法事とは違って、お坊さんはいません。近所の人たちやレーナの友だちが集まると、
まずレーナが挨拶をし、ウォッカで乾杯し、その後は飲んで食べての日本の法事と同じで
す。レーナの友だちが次から次からと新しく来るので、その度に乾杯をくり返し、すっか
り出来上がってしまいました。持って行ったデジカメで写真を撮ったり、日本の話をした
り、イルクーツクの見どころを教えてもらったりしました。ロシアで、子どものことで一
番心配なのは麻薬中毒のことで、学校に必ず数人は中毒患者がいるとのことです。

   
 子どもは近所の子供達と一緒に外に遊びに行ったり、近所の子の家に行ったりと子ど
も同士で遊んでいました。お互いに言葉はわからないながら何とかなったようです。

 朝11時にレーナの家に着いて、レーナの家を出たのは夜の11時を大分回っていま
した。ホテルまで車で送ってもらい、部屋に戻ると風呂にも入らずベッドにもぐりこみ
ました。雅浩はしっかり風呂に入って寝たそうです。

8月8日(日)
 昨日の夜が遅かったのと、さんざん御馳走を食べたのとで朝食はやめました。二日酔
いにはならならなかったが、朝起きられず、9時にスヴェータと会う約束をしていたの
で電話をかけて10時にしてもらいました。10時にスヴェータがホテルに迎えに来て、
1時にイーラの誕生日のお祝にいくので、それまで近くにある州立美術館に行きました。
スカチョーフという人が集めた絵画や彫刻を展示してあり、結構広くて全部見るのに1
時間以上かかりました。

 そのあとタクシーでイーラの家へ。タクシーで行ったのですが、もちろん白タクです。
ロシアではタクシーが少なく、白タクが全盛です。大体相場があって地元の人は知って
いるようです。今回はそんなに遠くなかったので30ルーブル(150円)でした。

 今回イルクーツクに行って、変わったていたのは路線タクシーがすごく増えていたこ
とでした。前回97年12月に行った時にも既にあったそうですが、その時にはほとん
ど気付きませんでした。最近になって台数が増えてきたようです。どんなものかという
と、路線バスと同じルートを同じ系統番号をつけて走っているんですが、乗るところは
バス停で、降りるところはどこでも言えば降ろしてくれるそうです。(ただし、路線上
の場所に限ります)使っている車はいわゆるワゴン車を改造して10人くらい乗れるよ
うにしたものが一番多く、他には小型のボンネットバスを使っているものもあります。
運賃は前者が4ルーブル(20円)、後者が3ルーブル(15円)と普通のバスの運賃
2ルーブルと比べると高いのですが、早くて頻繁に走っていると言うのでなかなか人気
があるようです。

 1時少し前にイーラの家に着き、彼女の誕生日パーティが始まりです。イーラの両親
はウクライナ人で、お母さんの作るウクライナ料理は最高です。でもいつも残念なこと
に、イーラのところに来る前日に食べ過ぎ、飲み過ぎで、せっかくのイーラのお母さん
の料理を全部味わえません。イーラの娘マーシャ(3歳5ヵ月)がすっかり可愛くなっ
ていてお土産に買っていった赤い靴を喜んではいていました。イーラはイルクーツク外
国語大学で英語を教えていますが、この8月に自分で旅行社を作って仕事を始めること
になったそうです。なかなかエネルギッシュな女性です。5時過ぎに彼女の家をおいと
まし、イーラにホテルまで路線タクシーで送ってもらいました。
   

 部屋に戻ると二人ともベッドの上にダウン。とにかくお腹がいっぱいだし、昨日、今日
とよその家にいって緊張していたこともあり疲れてベットの上でうたた寝をしていました。
もちろん夕食は食べる必要もないくらいイーラのところで食べてきました。

 ロシアでは前菜、スープ、メインディッシュ、デザート、ケーキと出てくるんですが、
日本人は前菜だけでもお腹が一杯になってしまいます。最後のケーキにいたってはもう
根性で食べるしかありません。せっかくの手づくりのケーキをいらないとは言えず、せ
めて小さく切ってと頼むのが精一杯です。

8月9日(月)
 夜中に風が唸っていました。朝食の後、ホテルの近くを散歩しましたが、寒い!天気
予報によると17℃といっていましたが、風がある分もっと低く感じられます。アンガ
ラ川のそばまで行きましたが、川は流れが早く、しかも水温が低くとても泳げるような
川ではありません。

 今日はバイカル湖にいるイーラ(前日にお客に行ったイーラとは名前が同じだが別の
イーラです)のところへ行き、バイカル湖のホテルで1泊し、翌日ナターシャのところ
へ行くという予定で、イルクーツクを出発しました。スーツケースは1階の荷物預かり
所に預け、リュックにお土産や着替えを詰め込みました。荷物の一時預かり所のシステ
ムはホテルによっていろいろで、ここアンガラホテルではホテルの会計でお金を払い、
その領収証を持ってガードマン風のちょっと恐いお兄さんに頼むと部屋を開けて荷物を
入れてくれました。そして引換えにアルミの札をくれました。

 11時に昨日お客に行った家のイーラが迎えに来ました。これから訪ねていくバイカ
ル湖のイーラのお母さんの夫(正式に結婚はしていないようだ。イーラのお父さんとは
離婚している。)ビクトルの運転する車(日本のカローラ)でバイカル湖へ。イルクー
ツクからバイカル湖までは約70Km、アップダウンの続く一本道を80kmから100kmの
スピードで飛ばします。道路は2年前に来た時に比べると大分きれいになっていました
が、イルクーツクから離れるに従って道路の改修は進んでおらず、途中で道路工事をし
ているところもあり、バイカル湖まで1時間かかりました。

 バイカル湖の見えるバイカルホテルにチェックインし、部屋にいるとイーラのお母さ
んがやってきて(彼女はこのホテルの医者として働いている)、今日は仕事なので夜、
家に招待するのでお昼はホテルのレストランで食べるようにと言いに来ました。

 レストランでは暖かいサラダ、ウハー(魚のスープ)、カツレツ、紅茶を食べ、2人
分で174ルーブル(870円)。安い!

 昼食後、散歩に。リストビャンカの港までは歩くと小一時間かかるので、途中までバ
イカル湖沿いに歩いて行きました。バイカル湖は世界で一番透明度が高く、また一番深
い湖です。大きさは琵琶湖の50倍もあり、海のように波が岸辺に打ち寄せているのを
見ると海ではないかと錯覚してしまいます。途中地元の少年達が魚をつっていました。
道路にはこの近くで飼われている牛達がのんびりと歩いており、車の方が彼等をよけて
通ります。岸辺から湖に石を投げたりして、ホテルへ戻る途中、いきなり黒い雲の塊が
来たかと思うと、雨が降り始めました。途中に雨宿りするところもなく、博物館の前に
あるバス停まで走っていきましたが、途中で雨は止んで、また元のよい天気に戻りまし
た。
   

 すると向こうから東洋人らしい小柄で坊主頭のリュックを背負った青年がやってきま
した。ロシア語で「どちらから来られたんですか?」と聞かれたので、やはりロシア語
で「日本からです」と答えると、「私も日本人です」と日本語で帰ってきて、それから
は日本語で話しました。エカチェリンブルグに留学していて、夏休みでバイカル湖に来
たと言っていました。昨日はリストビャンカで1泊30ルーブル(150円)の宿に泊
まったと言っていました。今、博物館を見てきてバイカル湖の水を買ってきたとペット
ボトルに入った水を見せてくれました。

 彼と別れて私達も博物館に行きました。私はもうバイカル湖へ来たのは6度目なので
すが、この博物館に入るのは初めてです。斜面に建物が建っているので入り口のある裏
側は2階で、博物館は階段を降りて1階にあります。入場料は外国人料金で大人と学生
で120ルーブルもとられました。展示室にはバイカル湖に住む動物、魚、鳥、植物等
の標本の他にバイカル湖の模型などもあり、なかなか見応えのある内容でした。展示室
に入ると、ちょうど4人連れの日本人のグループの人たちが通訳の説明付きでビデオを
見ていたので、しばらくそれにつき合わせていただきました。最初の展示室を出ると左
側にバイカルアザラシ(ロシア語ではニェルパといいます)の水槽が置いてある部屋が
あります。先に来ていたロシア人が水面に指をつけて動かし、アザラシと遊んでいまし
た。2頭のアザラシがいましたが、遊んでくれたのは1頭だけでした。これで博物館は
全てです。建物が大きいのでもっと大きなものだと思っていたんですが、たった2部屋
だけだったのでちょっとがっかりでした。博物館からホテルまでは坂を登って5分くら
いです。

 ここのホテルは値段も高いけれど(ツイン1泊朝食付きで約8000円)、設備も良
くて、バスタブはついているし、部屋も広く、眺めは良いし、それに衛星放送のアンテ
ナが設置してあり、CNNが見られるのです。ロシア語が全然わからない雅浩はまだ英語
の方がいいとCNNを見ていました。

 7時にホテルのすぐ隣にあるイーラの家に行くと、朝、車で迎えに来てくれたビクト
ルとイーラのお母さんのリーナ、そしてイーラが出迎えてくれました。いつもはこの家
ではあまりアルコールを飲まないのに、今回はウォッカをすすめられたくさん飲みまし
た。ビクトルがいたからかもしれません。少ししてからイルクーツクのイーラとアメリ
カ人の女の子が二人戻ってきて、一緒に食事をすることにしました。アメリカ人の女の
子達はモスクワに留学していて、夏休みを利用してバイカル湖に遊びに来ているという
ことで、イルクーツクのイーラの旅行会社のお客さんで、バイカル湖のイーラの家にホ
ームステイしているということでした。ビクトルの作った1匹丸ごとのローストチキン
やオームリ(バイカル湖でとれる体長25cm〜30cmの魚)の塩焼きを御馳走になり、
いつものように苦しいお腹を抱えて11時過ぎにホテルに戻りました。翌日ナターシャの
家に行ってそのままイルクーツクに帰る予定でしたが、ぜひイーラの家にもう1日泊ま
っていくようにとすすめられましたが、ビザの関係があるのでダメだと言いましたが、
何とかするからということで、翌日はイーラの家に泊ることにしました。

イーラーの住むアパート

8月10日(火)
 朝起きると雅浩がお腹が痛いと言うので、正露丸を飲ませて12時のチェックアウト
の時間までホテルで寝かせていることにしました。しばらくして頭を触ってみると熱も
あり、風邪をひいたかもしれないと、持って行ったベンザを飲ませましたが一向に熱も
下がらないし、お腹の痛いのも治りません。12時にホテルをチェックアウトし、イー
ラのうちに行き、事情を話してイーラにベッドを作ってもらい、雅浩を寝かせました。
2時にナターシャの家に行くことになっていたので、それまでイーラと写真を撮りに散
歩に出かけました。
  

 2時過ぎにビクトルの車でナターシャの家まで送ってもらい、5時に迎えに来てくれ
るように頼みました。ナターシャは以前住んでいた家にまた住んでいました。火事にな
って、全焼したのかと思っていましたが、ぼや程度の火事で、ペンキを塗り直してまた
住んでいるということでした。夫のサーシャ、昨年5月に生まれたマクシム、そしてお
母さんの3人が迎えてくれました。この家では働いているのはナターシャただ一人です。
サーシャもお母さんも仕事が無いのです。ナターシャは港で魚を売っているということ
で、白い肌が赤く焼けていました。いつもナターシャが売っているオームリの塩漬けや
燻製を御馳走してくれました。オームリの燻製はなかなか美味しく、帰る時にお土産に
もらって帰りました。食事の後、近くの林に散歩に行き、写真を撮りましたが、時間の
経つのは早く、5時にビクトルとリーナが車で迎えに来ました。

   

 一度家に戻り、雅浩の容態を見てみたが、相変わらず熱があり、お腹も痛いと言って
いました。可哀想だとは思いながらも、彼をひとり残しバイカル湖の夕焼けを見に、湖
のそばまで降りて行きました。モーターボートがあり、有料でのせてくれるというので、
シャーマンの石のそばを通って、対岸まで往復することにしました。料金は60ルーブル
(300円)。シャーマンの石までだったら30ルーブル(150円)。波があるのでモータ
ーボートで走るのはなかなかスリルがあり、もしここでバイカル湖に落ちたら、岸まで
泳いで行けるかななどと思うと恐くなりました。15分くらいでスリル満点のモーターボ
ートから降り、夕焼けを背に写真を撮りました。指輪やネックレスなどを売っている店
が1軒だけでていたのでイーラにネックレスを買ってやりました。陽が沈むのは9時過
ぎで、帰り道は半袖Tシャツのイーラは寒い、寒いと言っていました。家に戻ると、お母
さんのリーナはいなくて、イーラが夕食を作ってくれました。11時過ぎに寝たが、お
腹が痛くなり夜中に何度トイレに通ったことか。雅浩はもう1日ほとんど何も食べてい
ないので、お腹の具合は少しは良くなっているようだが、熱が39℃近くもありました。

8月11日(水)
 朝、二人ともお腹は痛いし、熱はあるしで10時近くまで寝ていました。この日もイ
ルクーツクに戻ってまたお客さんに行く予定でしたが、行っても何も食べられないし、
熱っぽいし、「行けない」と電話しましたが、「ダメダメ、来るだけ来てちょうだい」
ということでキャンセルはできませんでした。12時頃再びビクトルの車でイルークー
ツクのアンガラホテルまで送ってもらいました。ホテルに預けていた荷物をもらい(2
日で5ルーブルと思っていたら、1日5ルーブルで追加料金を10ルーブル払った)、
部屋で雅浩は横になったが、私はまだこれからスヴェータの家へ行かなければならない。

 1時半頃にスヴェータとお兄さんが車で迎えに来てくれました。近所の人も一人招待
してあり、お兄さん夫婦とお母さんとスヴェータ、そして先週の日曜日に誕生日に行っ
た家のイーラとその子どものマーシャも来ました。ごちそうをいろいろ作ってくれてい
ましたが、油ものはやめてトマトやきゅうりばかりを食べていました。あまり元気が無
いので、早めにホテルへ送ってもらいました。日本の家族にはこの日にスヴェータの家
に電話をするように言っておいたのですが、早く帰ってしまったので話せませんでした。

 ホテルの近くの店でヨーグルト(果物入の甘いもの)を買って雅浩にも食べさせまし
た。私も熱っぽかったので横になり、熱を計ると38℃もあり、早く治さなくてはと、
とにかく眠る事にしました。9時頃バイカル湖から今朝送ってきてくれたビクトルとリ
ーナが来てくれ、良く効く外国の薬というカプセルをくれました。リーナのお母さんが
イルクーツクに一人で住んでいるので、彼女の家に行っていて、その帰りに寄ってくれ
たようです。

8月12日(木)
 昨日もらった薬のおかげで、二人とも朝にはなんとか熱も下がり、腹痛もおさまりま
した。しかし、まだ食べることに警戒心があり、朝食はパスして、昨日と同じ店でヨー
グルトを買って食べました。午前中、スヴェータのお兄さんが車で町を案内してくれる
事になっていましたが、午前中は安静にしている事にして断りました。午後、スヴェー
タに安いお土産屋さんに連れて行ってもらい、マトリョーシカや琥珀、チョコレート、
イクラを買い、アンガラ川の遊覧船にも乗りました。途中、通りで12、3才の男の子達
が3人たばこを吸いながら歩いているのを見かけ、スヴェータに言うと、彼女が子供達
に注意していたが全然無視して吸い続けていました。アルコールも日本の子供達よりは
ずっと早くから飲んでいるという事でした。成長過程にある子どものうちからタバコや
アルコールの習慣を身につけるのは問題です。
   

 6時にイーラとホテルで待ち合わせ、3人で近くの教会やアンガラ川の近くを散歩
しました。イーラの父親は別荘に行っていて、母親は孫のマーシャをつれてクリミア
に出かけたし、弟はもう結婚して別に住んでいるので、今日は1人だと言っていまし
た。元気だったら彼女の家でお別れパーティでもやれたのに、残念でした。
     
 ホテルに戻り、久しぶりに風呂にも入り、荷物の整理をし、11時には寝ました。

8月13日(金)
 最後の日はホテルの朝食を久しぶりに食べました。食堂は込んでいて、フランス人の
若い男の人と相席になり、彼が何か話しかけてくるけれど、フランス語なので全然わか
らない。ロシア語や英語でこちらから話しかけても相手にはわかりませんでしたた。日
本語は試さなかったけど、通じたかも?!

 8時半にスヴェータと彼女のお兄さんが車で迎えに来てくれました。イルクーツク空
港までは車で30分です。空港では税関検査、搭乗手続、出国審査の順で行われますが、
ここに入るともう出られないので、見送りに来てくれると言っていたバイカル湖のイー
ラ達を待つ事にしました。イルクーツクのイーラも見送りに来てくれました。

 来る時も同じ飛行機だった石川県根上町の中学生や大人の50人程の団体の人たちと
また一緒になりました。大きな太鼓をいくつか持ってきており、テレビでも放映された
と言っていました。そうこうするうちにバイカル湖のイーラがビクトルとお母さんのリ
ーナと3人でやって来ました。写真を撮り、別れを惜しみ、また来年来るからと約束し、
税関検査の部屋に入っていきました。

 入る時と違って出る時は本当に簡単で、あっという間に全ての手続が終わってしまい
ます。スーツケースの蓋を開ける事も無く、レントゲン検査だけで税関検査は終わりで
す。搭乗手続の時に問題になるのは、1人の時に荷物が20kgを超える時です。20kgを
こえると法外な超過料金をとられます。50ドルとられたという人もいました。荷物が
20kgを超えそうな時は前もって荷物の少なそうな日本人を見つけて、同行者だという
ことにしてもらいます。そうすれば二人分で40kgまでOKということになります。今回
はかなり荷物がありましたが、2人だったので問題なくパス。そして最後にまた出国審
査のところでじろじろと見られて解放されるとほっとします。

 待合室には免税店ができており、きれいなパッケージのクッキーやチョコレート、タ
バコ、ウイスキー、化粧品、電気製品、そしてロシア土産などが売られていましたが、
高くて(日本と同じくらいの値段)とても買う気にはなりません。

 直ぐそばに停まっていた飛行機まで歩いて行き、予定通り11時05分に離陸しました。
いつもは名残惜しく空からバイカル湖を眺めるのですが、今回は体調を崩した事もあり
「ああ、日本に帰れる」という気持ちの方が勝っていました。

 飛行は順調で15時30分には新潟空港に着きました。税関、入国審査は簡単に終わり、
国内線の搭乗手続に行きました。20時00分発なのでまだできないかと思っていました
が、聞いてみるとできると言うので、荷物を預け、身軽になって新潟の町に出かけまし
た。

 久しぶりに日本の料理が食べられると、喜んで町に出かけましたが、「暑い!」。す
っかりイルクーツクの涼しさに慣れた体には日本のジトッとした暑さがたまらず、ハン
カチで汗を拭くはしからまた汗が出てきました。でも新潟の町で回転寿司を食べ、満足
し、本屋で時間をつぶし、万代シティバスセンターを最終18時30分のバスで空港に
戻りました。待合室で日本のテレビを見て、20時00分発の名古屋行きに乗り、日本の
飛行機はやっぱりきれいだなあと感心して1時間足らずで名古屋に着きました。
 
 

 


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