冬のイルクーツク  1997.12.24--31 

1日目、2日目、3日目、4日目、5日目、6日目、7日目、8日目
 

1997年の12月25日から31日までロシアのイルクーツクに行ってきました。
今回は文通相手や知人を訪ねる目的で一人で出かけました。

ロシア、イルクーツクの旅1日目
12月24日、シベリアのイルクーツクへ飛びたとうと、新潟空港に12時半には着い
ていたのですが、なんとイルクーツク行の飛行機はイルクーツクからの到着便が24時
間遅れとの表示にびっくり。最初は2、4時間の間違いかと思ったがやっぱり24時間
遅れ。アエロフロートが用意してくれた新潟グランドホテルに泊まり3食付だったのは
よかったけど、せっかくのロシアが1日短くなったのはくやしい。

ロシア、イルクーツクの旅2日目
翌25日、更に1時間遅れて17時30分やっと新潟を飛び立ちました。
tu-157という160人乗りの飛行機にお客はわずか20人足らず。3人掛けの座席を
一人で独占しゆうゆうと座って行けました。イルクーツクの空港には4時間半後の22
時(現地時間では21時)に到着。日本の空港のように飛行機から直接空港に入れるわ
けではなく、タラップで飛行機から降り、バスで100m程先の空港ターミナルに連れ
て行かれます。そこではいかめしい顔つきの入国審査官(女性)が待ち構えていて、じ
ろじろと不審そうな目つきで眺めまわしたあげくやっと入国を許してもらえます。さら
に税関審査を受け、やっと外へ。でも迎えの友人は空港ターミナルビルには入れず、マ
イナス15度の外で待っているのです。(車の中に入っているけれど)
今回の旅行は知人を訪ねて回る旅行でしたが、あいにく招待状をもらえなかったので、
ホテルに泊まるはめになり、1泊12100円も払いました。ホテルまで送ってもらい、
翌日以降の予定を確認し別れました。無事にイルクーツクに到着できたことを祝って同
じ飛行機で来た日本人の青年とビールで乾杯。彼は翌日の列車でモンゴルのウランバー
トルへ出発し、更に奥の騎馬民族のところへ行くと言っていました。

ロシア、イルクーツクの旅3日目
さて私は翌26日、文通相手のナターシャ(18歳)と12時にホテルのロビーで会い、
彼女のいとこのアパートへお客に行きました。イルクーツクの中心部にある市場で衣料
品を売っていたいとこのレーナは私たち二人を彼女のアパートへ連れて行ってくれて、
手際よく料理を作り私をもてなしてくれました。彼女は結婚していて、子どもも13歳
と10歳の女の子がいました。ロシアでは26日まで学校があり、冬休みは27日から
だそうです。子どもも夫もいない家でナターシャ、レーナと彼女のお母さん(糖尿病で
耳が聞こえない)と3人でもてなしてくれ、レーナと二人でウォッカを1本空けました。
ロシア女性のアルコールの強さには驚きました。
ところで、私とナターシャが文通を始めることになったいきさつを紹介します。
1990年、家族でシベリア旅行のツアーに参加し、バイカル湖観光のためにリストビ
ャンカという小さな村に行き、そこから遊覧船に乗ったのですが、その時港で遊んでい
た子どもをつかまえて写真を撮ってやったのがナターシャです。それから文通がはじまり
93年にもう一度家族でリストビャンカの彼女の家を訪ねました。その後、
94年の夏にも一人で彼女の家を訪ねました。彼女の家はどちらかというと貧しい家で、
89年にお父さんがバイカル湖に沈んで死にました。兄弟はお兄さんと弟が一人ずつい
ます。96年の2月、再度彼女の家を訪ねたのですが家が火事になって焼けてしまい、
彼女とお母さんはイルクーツクのお母さんの妹(糖尿病のおばあさんです)のところに
行っていました。弟に彼女の住所を聞き、彼女のおあばさんの家を訪ねました。そこで
は彼女とお母さん、おばさん、いとこのヴァロージャが一緒に住んでいました。ところ
が去年の6月、いとこのヴァロージャが胃癌で死んでしまいました。31歳でした。彼
女のお母さんはイルクーツクの息子のところに帰り。彼女は知り合ったサーシャという
男の子と同棲するようになり、糖尿病のおばさんは娘レーナのところに住むようにな
りました。そして驚いたことには、彼女はサーシャの子を妊娠していて今年の5月が予
定日だそうです。ロシアではよくあることだそうですが日本人には理解できません。
ビールとヴォッカですっかりできあがっていたところへ(酔いざましにマイナス15度
の外を少し散歩しましたが)レーナの夫と子ども達が帰ってきました。夫とロシアのビ
ール(アルコール度数が16%もあるというビール)を飲み、お人形さんのようなかわ
いい子ども達と写真を撮り時の経つのも忘れて、11時過ぎにホテルまで送ってもらい
ました。
こんなふうにイルクーツク2日目は終わりました。
ナターシャとおばさん

ロシア、イルクーツクの旅4日目
12月27日も知人の家へお客に行きました。今度の旅行中ずっと面倒をみてくれた
イーラ(27歳)の家です。彼女は4年前、インツーリストという国営旅行社の英語
ガイドとして働いていいて、同じインツーリストの運転手セルゲイと結婚しました。
とても幸せそうでしたが、セルゲイは浮気っぽくて彼女の留守中に他の女の子を自宅
に引っぱりこんだことがあり、一時もめていましたがイーラががまんして何とか結婚
生活を続けていました。二人の間に子どもができ、これで安心だと思っていたらとん
でもないことが起こっていました。彼女が出産のために入院していた(切迫流産の危
険があったので早くから入院していたのです)間に、またぞろ他所の女の子を家に引
っぱりこんで彼女と暮らしていたというのです。今度はイーラも切れてしまいました。
生まれたばかりの赤ん坊を引き取って離婚しました。彼は今42歳。イーラと結婚す
るときも過去に2度の結婚の経験があり、それぞれに一人ずつ子どもがいるというの
で彼女の両親は反対しましたが結婚してしまいました。最初の奥さんとの間にはもう
21歳になる女の子がいます。そして、今彼が一緒に生活している女の子が22歳だ
というのですから驚きです。ロシアの離婚率が高いというのは有名ですが、一人で3
回も離婚して離婚率を引き上げている男もいたんですね。離婚の原因の多くはやはり
浮気でしょう。ついで多いのは飲酒。飲酒のあとの家族への暴力という話しもよく聞
きます。

彼女は離婚して実家に帰り、今は家族5人で暮らしています。両親と弟、そして1歳
10月になるマーシャという女の子です。仕事はずっと前にインツーリストをやめ、
外国語大学で英語を教えています。彼女の家は市の中心部に近く、10階建てのアパ
ートの6階です。お父さんは職業軍人で4年前に退職して今は年金生活です。大きな
体でいかにもロシアの熊という感じの人です。さっそくシャンペンの乾杯に続いてウ
ォッカの乾杯が回を重ねられていきます。ウォッカの飲みかたを紹介します。アルコ
ール度数40度以上のウォッカをみんなのウォッカ用の杯(ぐいのみよりは少し細め
のガラスの杯)に注ぎ、「何々のために乾杯」と言って杯を合わせると、ぐっと一気
に飲み干します。日本酒のようにちびちびというのはマナーに欠ける飲み方です。し
ばらくつまみを食べているとまたウォッカが杯に注がれ、「何々のために乾杯」と言
って飲み干します。これに何回もつきあっていると、突然酔いが回ってきて、足をと
られ立つことすらできなくなってしまいます。過去に何度もこのような経験をしてい
るので今回は慎重に、かつ丁重に断わり醜態をさらすことにはなりませんでした。

ロシアのアパートは地域集中暖房で部屋の中は、酷寒の外の世界とは雲泥の差で暑く
て暑くて大変です。室温は25度以上あり、暑いので窓の上にある小窓を少し開けて
室温を調整しています。だから部屋の中ではみんな薄着で、イーラのお父さんなどは
ウォッカも入って暑くなってランニング1枚でした。初めてシベリアに行った時寒い
だろうと厚手のシャツやズボン下を持って行ったら、暑くて暑くて大変だったので今
回は大分薄着で行ったのですがまだまだでした。日本の秋くらいの服装でちょうど良
いのでは。でもコートはしっかり暖かいのでなければ外に出たときに凍えてしまいま
す。ズボンの下にもスキー用のタイツをはく必要があります。イルクーツクの外気温
は昼間は-15度くらい、朝晩は-20度くらいになります。

イーラの子どものマーシャは3月3日のひなまつりの日が誕生日です。今年の3月で
2歳になります。子どもはどこの国の子どもでもみんな可愛いですね。わが家には女
の子がいないので余計に可愛く感じました。お土産に持って行った猿のぬいぐるみを
とても喜んでくれました。この旅行のためにと12月に買ったデジカメでたくさん写
真を撮りました。テレビに接続するとテレビでも見られるデジカメなので大好評でし
た。テレビの映像の方式が日本とロシアでは違っているのですが、デジカメは見るこ
とができました。

この日は、少し早く8時にはホテルに戻りました。
イーラの子、マーシャ

ロシア、イルクーツクの旅5日目
さて今日はイルクーツク4日目。12月28日のことを書きます。

今回はホテルに泊まったので、ホテルのことも少し書きます。ロシアのホテルは概し
て高かろう、悪かろうで、日本のホテルに泊まり慣れている方には「何でこんなサー
ビスの悪いホテルに、こんな高い料金を払わなければならないんだ」と怒れてきます。
ちなみに私が今回泊まったのはイルクーツクでは最高(?)のインツーリストホテル
です。1泊朝食付で12,100円です。朝食は一応バイキング形式ですが、料理の品数
が少なく、私はいつもソーセージかハムのスライス、チーズ、キャベツのマリネ、丸
パン(結構良い味でした)、目玉焼(ホットプレートでおねえさんが焼いてくれてい
るので熱々が食べられます。いつも両眼くれました。)、ジュース、紅茶という朝食
でした。ピアノの生演奏をやっていてなかなか良い感じです。時間いくらのアルバイ
トのようでした。日によって弾く人が違っていたし、弾き終わるとそそくさとコート
を着て帰っていってしまいました。ロシアに行って、「コーヒーにしますか、紅茶に
しますか?」と聞かれたら、必ず紅茶と答えましょう。ロシアのコーヒーは日本のよ
うに入れるのではなく、どうも煮出しているようです。だから香りなどというものは
飛んでしまって、味も紅茶かコーヒーかよくわからない味です。日本のようなコーヒー
を期待して頼んで、がっかりした思い出があるので、ロシアでは紅茶に徹しています。
かといって紅茶がおいしいという訳ではありません。ただ期待を裏切らないと言うだけ
です。

ところで今回ちょっとしたハプニングがありました。ロシアのホテルは大体が1階にフ
ロントがあり、そこで部屋を指定され、部屋番号を書いた宿泊者カードをくれます。こ
れが朝食の時にも必要になりますし、モスクワなどのホテルでは入口のガードマンにこ
れを見せなければホテルに入れないところもあります。今回私が泊まったのは823号
室。8階にあります。エレベーターで8階に着くと、すぐ横にジェジュールナヤという
その階の係のおばさん又はおねえさんがいます。彼女に宿泊者カードを見せて、部屋の
鍵を受け取ります。外に出かけるときも彼女に鍵を返します。さてハプニングは28日
の朝、一人で町に出て買い物をしようと外に出る格好で鍵をジェジュールナヤに返すと、
もう出発するのかと聞くので、まだだと答えると、12時には戻ってくるようにと言う
のです。その日は知人の家へ行って泊まってくることになっていたので、そのことを
知っていて外泊してはダメだといっているのかと思って適当にあいずちを打って出かけ、
昼の1時半頃にホテルに戻ってくると、どうして12時までに帰ってこなかったと言っ
て怒るのです。よく話しを聞いてみると私の滞在予定は今日までになっている、チェッ
クアウトは12時だと言うのです。驚いて31日までここに泊まることになっていると
言っても、下のフロントに行ってきてくれということで、バウチャーのコピーを持って
1階のフロントに行きそのことを言ったのですが、きれいなおねえさんでは話しが通じ
ず、誰かに聞いてくると言っているところへ男の従業員が来て、バウチャーのコピーを
見て、「Sorry」と謝ってくれてやっと一件落着となりました。

さて話しを戻して、この日の訪問先のことについて少し。現在名古屋大学の大学院に留
学しているスヴェトラーナの家へ行きました。彼女のお父さんはスヴェトラーナが14
歳の時になくなり、弁護士をしているお母さんがひとりで15歳年上のお兄さんと彼女
を育てたのでした。お兄さんは建築技師でしたが、今は商売を始めています。スヴェト
ラーナはイルクーツク経済大学の学生の時に1年間名古屋大学に留学していて、その時
に私と知り合いになりました。そして今回は大学院に入るために、一昨年の10月に名
古屋へやってきて昨年の4月から2年間大学院で勉強しています。お兄さんは結婚して
別居しているので、今お母さんは一人で暮らしています。今年の冬もスヴェトラーナは
名古屋に残って勉強をしています。というわけでスヴェトラーナからお母さんやお兄さ
んへのお土産も預かって、お母さんの家へお客に行って、泊まることになった訳です。
4時にイーラ(スヴェトラーナの同級生で今回の旅行の間面倒をみてくれた)と一緒に
お母さんの家へ行きました。お兄さんの妻(マリーナ)も一緒でまたシャンペンで乾杯
のあと、お決まりのウォッカの乾杯へと続いていくのでした。お母さんは娘にこれもあ
れも持っていってくれと石鹸まで頼まれました。来るときはもってくるお土産で一杯
だったスーツケースが今度はもらったお土産や預かり物の荷物でまたまた一杯になって
しまい、日本から学生が来たときに運んでもらうように頼んであげるからというので、
もらった本の一部をスヴェトラーナのお母さんの家に置いてきました。

いよいよ明日はバイカル湖へ行きます。お楽しみに。

ロシア、イルクーツクの旅6日目

さて、シベリア旅行もあと少し。12月29日はバイカル湖へ行きました。前日スヴェ
トラーナのお母さんの家に泊めてもらったので、一度ホテルに帰ってお土産を持ってバ
イカル湖へ行きました。この旅行中ずっと面倒を見てくれたイーラが隣の人に頼んでバ
イカル湖まで車で連れて行ってもらいました。バイカル湖のそばの村はリストビャンカ
という小さな村です。イルクーツクの町中を出ると、New Rich と言われるお金持ちの
人達の新しい煉瓦造りの家々がいくつも見えてきました。来るたびにこれらの家が増え
ているということは、だんだん金持ちが増えているということなのかな。リストビャン
カまでは約70キロ。まっすぐな道を登ったり、降りたりしながら約1時間。突然右側
にバイカル湖が見えてきます。バイカル湖は世界一透明で、深い湖です。琵琶湖の50
倍というからとてつもなく大きいと思うけど、縦長なので対岸の山々がきれいに見えま
す。このバイカル湖畔の村、リストビャンカには日本のような観光地らしさは何もあり
ません。おみやげ屋さん一軒ありません。これがいいんですよね。でも日本のようにお
みやげ屋さんを作ったら儲かるだろうなどとつまらないことも同時に考えてしまいます
。まだバイカル湖は凍っていませんでした。2年前の2月に行ったときには厚い(1メ
ートル以上)氷におおわれ、その氷を通して湖の底が見えるというすばらしい経験をし
ました。今回は何の変哲もないただの湖でした。

バイカル湖まで来たのは、ここにも文通相手の女の子がいたからです。彼女の名前もイ
ーラ(正式にはイリーナ)と言い、今回面倒を見てくれたイーラと同じ名前です。ロシ
ア人の名前というのは同じ名前が日本人以上に多くて、知り合いがたくさんできると何
何のナターシャと形容詞をつけて区別しないとわからなくなってしまいます。よくある
名前はナターシャ、イーラ、スヴェトラーナ、アンナ、セルゲイ、アンドレイ等々です。
11時に行くと約束してあったのに、家には弟のジーマ(12歳)だけで、すぐにイー
ラがじゃがいもの入ったバケツを持って帰ってきました。しばらくするとお母さん(バ
イカル湖唯一のホテル「バイカル」のお医者さん)が戻ってきました。昼食の準備にし
ばらく時間がかかるので、教会の見学に行きました。

3年前に来たときは古い教会だったのに、今回は修理されきれいになっていました。で
も中にはいると内部はまだ以前のままでした。夏の間は教会の前でおみやげ売っていま
したが冬は寒くてお客も来ないので、おみやげを売っている人もいません。教会は小さ
な村の教会で、おばあさんたちが新年を迎えるために教会の中をペンキを塗るなどして
きれいにしていました。この教会でイルクーツクのイーラは娘のマーシャに洗礼を受け
させたということで、彼女の家に行ったときビデオを見せてもらいました。ソ連時代に
育ったにもかかわらず、ロシア正教を信じているんですね。ちょっと驚きました。

1時間ほど教会を見たあと、イーラの家(ホテルのすぐ横にある3階建てのアパートの
3階)に戻り、お昼をご馳走になりました。イーラは去年の9月からイルクーツクの大
学に通っており、土壌生物学を専攻しています。大学に通うために、イルクーツクのお
ばあさんのところに住んでいて、土、日にリストビャンカに帰って来ているそうです。
今回はちょっとはずかしがって、あまり話せませんでした。時間もなかったし。暗くな
る前にイルクーツに帰るため、3時半頃にはイーラの家をでました。イルクーツクのイ
ーラに聞いた話によると、イーラとジーマのお父さんは違っていて、今は同じホテルに
勤めるビークトルと同棲しているということでした。結婚しないで一緒に住んでいると
いうのは、今のロシアではよくあることだそうです。でもなかなかロシアにおける男女
関係というのは理解できません。そしてこの日の夜、初めて(ずっと帰りがおそかった
から?)「良い子がいるけどどうだい」という売春の誘いの電話がありました。断わる
とあっさり、引き下がりました。

イルクーツクの旅もあと2日。12月30日はサーカスを見に行きました。

ロシア、イルクーツクの旅7日目
12月30日、1時にホテルのロビーでイーラ(今回の旅行の間面倒をみてく
れた友人)と待ち合わせてサーカスへ。イルクーツクの町の真ん中にサーカス
場(日本だと常設のサーカス場というのは聞いたことがないのですが、ロシア
にはよくあるそうです。3階建てのコンクリート造の立派な建物です。丸い形
で真ん中がステージになっていて観客席はすり鉢状になっています。やはり子
ども連れが多く、子ども相手のおもちゃや風船をロビーで売っています。隣の
席の子どもも蜘蛛のおもちゃを買ってもらっていて、うれしそうに見せてくれ
ました。サーカスは来年の干支にちなんで虎のサーカスでした。大きなシベリ
ア虎(アムールタイガーというのかな?)が8頭でてきてまるで猫のようにお
となしく虎使いの命令に従っていました。チンチンをしたり、輪くぐりをした
り、細い平均台のようなところを渡ったりなかなか面白いものでした。ロシア
では有名なサーカス団だと言っていましたが、名前は忘れてしまいました。サ
ーカスは40分くらいで終わり、そのあと一番大きな虎と一緒に写真に写れる
というサービスがありました。もちろん有料ですが、希望者はたくさんいまし
た。50人くらいいたのではないでしょうか。ポラロイドで虎の横に立って、
虎に手を載せ1枚5万ルーブル(日本円で約1100円)。ロシア人にとっては
結構高い値段です。平均月収は150万から200万ルーブルですから。わた
しもちょっと恥ずかしかったけど写ってきました。
サーカスを終わって外へでるとブリヤート人(イルクーツク地方の先住民)の
家族が馬を2頭連れてきていて、それに乗せて写真を撮らせてお金をとるとい
う商売をやっていました。これにも乗って写真を撮りました。馬に乗るのはち
ょっと大変でした。あぶみに足をかけ乗るのですが、台があるわけではなく地
面から1メートルくらいのところのあぶみに片足をかけ、馬によじ登らなけれ
ばなりません。イーラの場合はもっと悲惨で彼女もロシア人の例に漏れず最近
ちょっと太りぎみなのです。ブリヤート人の家族総出で彼女を馬の上に押し上
げ何とか二頭並んで写真を撮ることができました。
サーカスの後、近くの公園で新年のお祭りの準備をしているところを見にいき
ました。氷の門をくぐると、真ん中にステージを作っている最中でした。1月
1日にはこのステージで催し物があります。ステージの横には高さ5mくらい
の雪の人形が二つ作られていました。さらに奥に、氷で作られた滑り台があり、
子ども達が楽しんでいました。立って滑っている10歳くらいの男の子もいれ
ば、下に段ボールの切れはしを敷いて滑っている子もいました。そしてプラス
チックの団扇状のものを敷いて滑っている子もいます(これを滑り台のそばで
売っているのです)。私も何もなしで滑った後、6歳くらいの女の子にお尻に
敷くものを借りて滑るとすごいスピードで他の子ども達にぶつかりそうでハラ
ハラしました。

ロシア、イルクーツクの旅8日目
そして12月31日、日本へ帰る日です。9時半の飛行機に乗るのに、ホテル
を出発したのは7時半です。まだ真っ暗な中をインツーリストのマイクロバス
で空港へ向かいました。イーラと私、日本人の男性2人、女性1人がお客です。
一番心配していたのは、お客が少なくて飛行機が飛ばないことでした。もちろ
ん、お客が少ないので飛ばないとは言いません。飛行機の故障だとか、天候が
悪いとか理由は適当につけられますから。でも幸いなことにこの日、イルクー
ツク州知事が新潟にいて新年をイルクーツクで迎えるために彼を迎えに行かな
くてはならないという事情があったおかげで、乗客わずか6人(日本人5人、
ロシア人1人)にもかかわらずほぼ定刻に出発しました。イルクーツクの空港
は出発ロビーには全く何もありません。税関を通り、出国審査を通り、普通な
ら免税店とか喫茶店とかあるのですが、イルクーツクの空港には何一つありま
せん。以前新空港ができたときは喫茶店らしきものがあったのですが、それす
らもありませんでした。がらんとしたロビーで(他の飛行機はないらしくて私
たち6人だけです)果たして時間通りに飛行機が飛ぶんだろうかなどと他の日
本人と話しながら待っていると、突然コートを着たおばさんがやって来て、
「新潟行の飛行機に乗る人は来てください」と言い、バスにのって50m程先
に止まっている飛行機まで行きました。定刻より20分遅れて離陸。でもロシア
ではこんなのは遅れのうちに入りません。

新潟空港には予定通り午後3時5分到着。ガラス張で温室の中にいるかのよう
な新新潟空港は暑くて、暑くて。夕方6時半にはもう自宅でくつろいで、新年
を家族と共に迎えることができました。

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