冬のイルクーツク2003(2003.12.19〜12.29)

12月19日(金)
 朝6時20分にタクシーで家を出発。早朝にもかかわらず車は多く、タクシーの運転手の話によると今日が年末のピーク で、車も早くから動いているそうだ。それでも30分もかからずに名古屋空港についた。お迎え料込みで3870円と安かった。

 初めてのインターネット予約で名古屋ー新潟の航空券を予約したが、どうしたらよいのかわからずに通路で案内して いる航空会社の職員に聞くと自動機のところへ案内してくれた。「予約している」、「予約していない」の画面表示で「予約している」を押すとカードを入れる ようにとの指示。ANAのマイレージカードを入れると「違う!決済に使ってカードを入れろ」というのでJCBカードを入れる。すると予約した便名、席数の 一覧が出て、確認ボタンを押すと、席はどこがよいかと聞いてきたので、通路側を選択。同じことを2回聞いてきたのは行きと帰りの便だと後で気がついた。最 後に航空券が2枚発行された。帰りの分はしまい、新潟行きの航空券を持ってチェックインカウンターへ。最初に預ける荷物のセキュリティーチェック。ショッ クアブソーバーの中身を聞かれ、自動車の部品だと言うとOKだった。チェックインカウンターで預ける荷物を2個載せると30.5kg。超過料金をとられる かと思っていたが、とられなかった。ショックアブソーバーをベルトコンベアーで流しても壊れないかと聞かれたが、大丈夫だと答えた。箱がしっかりしている ので大丈夫だと思う。2階に上がり、サンドイッチとコーヒーの朝食をとる。

 新潟行きの飛行機は空いていて、半分以上が空席だった。今日は気流の関係で飛行機が揺れるので飲み物のサービス はないとの放送があった。新潟の天気はくもり、気温は4度と言っていた。日経新聞に目を通し、旅行中に読もうと持ってきた文庫本の「ねじまき鳥クロニク ル」2巻を読み始めたが、機体がかなり揺れてきて読みにくくなってきたのでやめて寝た。8時40分、小雨の新潟空港に着いた。
 

 手荷物で預けたショックアブソーバーの箱は大丈夫だった。スーツケースとショックアブソーバーが入る大型コイン ロッカー(700円)に荷物を預け身軽になった。雨が降っているので外をぶらぶらもできないのでしばらく空港で「ねじまき鳥クロニクル」を読んでいた。9 時50分のバスで市内へ。雨が結構降ってきたのでダイエー、紀伊国屋辺りをウロウロして11時頃に万代シティバスセンターの2階にある「茶to」という喫 茶店に入り、ジャスミン茶(350円)を飲んだ。茶碗に茶葉の入った茶こしが入っていて、ポットのお湯注いで30秒ほどして飲むようにと飲み方を教えてく れた。お客さんは他には誰もおらず30分くらい本を読みながらジャスミン茶を飲んだ。

 11時55分のバスで空港に戻り、名古屋で以前ロシア語を一緒に勉強していた阿部さんを待っていた。12時40 分頃に彼女がやってきて、3階で一緒に食事をしながら、同じクラスだった人たちや先生の話をした。外を見ると大きな虹が見えた。曇り空だが、雲の切れ間か ら日が差してきたので虹ができたようだ。食事の後2階の喫茶店に行き、コーヒーを飲んだ。

 2時15分くらいに1階に行くともう搭乗手続きをしていた。荷物は30.2キロで追加料金8900円をとられ た。飛行機の席は20Cで、隣には若いカップルが大きな荷物を持って座っていたが、彼らが大きな荷物をどうしようと話していた。前の席には誰も座ってな かったので私が前の席に座るから、私の席に下に荷物を置けばいいと言って席を移動した。乗客はロシア人7割、日本人3割くらいだった。15時30分発なの に定刻を過ぎても一向に動き出さない。ロシア人の乗客が「どうして出発しないのだ」とスチュワーデスに聞いたら、「お客さんを待っている」という説明だっ た。確かに数人のロシア人が遅れて乗ってきた。彼等が乗った後もちっとも出発せず、離陸したのは1時間遅れの16時30分だった。下の方を飛んでいる時は 少し揺れたが、上に上がってしまうと全く揺れはなく、飲み物と機内食が出された。機内食はちらし寿司に野菜の煮物、そしてロールパン、ジャム・バター(二 つがくっついていて真ん中で折って押し出すもの)がついていた。斜め前に座っていたロシア人が出し方がよくわからず手を汚して苦戦していた。そして後で コーヒーと紅茶を持ってきた。食べ終わってしばらくするともうすぐハバロフスクに着くという案内放送があった。案内放送はロシア語と英語で日本語はなかっ た。ハバロフスクの気温はマイナス17度だという。

 毛皮の帽子と手袋を出し、完全装備で飛行機のタラップを降り、ターミナルビルまで100メートルほど歩いてい く。うっすらと雪が積もっている。空港ビルに入ると驚いたことに、すでに入国審査の窓口に職員がおり、しかも6名もいて、入国審査はとてもスムーズにすん だ。10分足らずで全ての乗客の入国審査が終わったようだ。飛行機が着いたらできるだけ早く降りて早く入国審査の列に並ばないと1時間以上も待たされると いうのは過去の話になったようだ。入国審査はスムーズに終わったが、預けた荷物がなかなか出てこない。飛行機が到着して20分くらいしてやっと出てきた。 私の荷物は最後の方に出てきたので、列の後ろになったが今年の2月から3000ドル以下の外貨持ち込みは申告不要ということになり、手荷物の預かり証を荷 物とチェックし、レントゲンに通すだけ、出口の所におばさんがいて一緒にいた日本人の人が3000ドル以上持っているので申告書を書いていたが、パスポー トの表紙を見るだけで早く行ってという感じで中身は何も見ずに空港ロビーへ出された。

 ホテルサッポロから迎えの車がきていた。お客は私一人だけだった。サッポロのワゴン車でもう中古で買ってから9 年たち、29万キロ走っているが元気に走っている、日本の車は良いと運転手が話していた。町はあちこちイルミネーションが灯っていてとてもきれいだった。 公園には大きなヨールカ(クリスマスツリーのようなもの)が立てられており、それもイルミネーションで飾られていて美しかった。氷で作られた氷像がいくつ も置かれており、帰りに時間があればゆっくり見たい。ホテルに着き、4階の411号室に入る。ショックアブソーバーは箱の先が破れていて部品の先端が出て いたので、直してもらうことにして預けた。目抜き通りは、改修されてきれいになった建物がライトアップされ、また通りに氷像やイルミネーションがあったの でホテルの近くを散歩した。寒かったし、カメラを持って滑って転ぶといけないと思い、15分くらいぶらぶらして写真を数枚取り、ちょっと買い物をして戻っ た。買ったものはサラダ、チーズ、ビール、ミネラルウォータ。部屋に戻り、バルチカ7というロシアのビール(500ml)を飲み、サラダとチーズをつまん だ。スプーンがなかったのでサラダは犬食いをしてしまった。新潟で阿部さんにもらったおにぎりも食べた。ちょっと食べ過ぎかな?

 明日の朝は9時の飛行機なので、7時半に空港までの送りを頼んだ。これはもちろん有料で1500円。朝食が付い ているがレストランは8時からなのでパケットに詰めて今夜持ってきてくれるという。なんと親切なことだと驚いた。後で部屋にレストランから電話があり、明 日の朝食は何々とオープンサンドで良いかと聞いてきたので、それでよいと返事をしたら、30分ほどしてお皿でふたをしてラップにくるんだ皿を3つと紅茶の ティーバックとスライスレモンを持ってきた。まだできたてで今食べるとおいしいだろうなと思ったが満腹なので明日の朝にとっておいた。日本製のユニットバ スに入りさっぱりとした後荷物の入れ替えをして11時に寝た。空気が乾燥していてのどが渇く。

12月20日(土)
 4時に目が覚めたが、もう一度寝て次に目が覚めたのは6時15分だった。6時半に起きて着替え、朝食を食べ出発の準備 をする。7時半に1階に降りていくともう昨日と同じ運転手が待っていた。箱の穴を塞いでくれたショックアブソーバーも持ってきてくれた。今日は昨日のホテ ルサッポロの車ではなく、運転手の個人のワゴン車だといっていた。彼によると、トヨタ、ホンダ、マツダは良いが日産は良くないそうだ。まだ暗い町の中を 走って15分で空港に着いた。外国人用の搭乗手続きの窓口に連れて行ってくれ、空港職員に声をかけてくれたので、雑踏の中で心配しながら緊張して待ってい なくてもよかった。

 外国人は私一人しかいなくて、めがねをかけたまじめそうな女性職員がやってきてチェックインをしてくれた、荷物 は29.5キロあったが追加料金は取られなかった。しばらくそこで待っていると、セキュリティチェックのちょっと怖そうな女性職員が来て、「こちらへ来 て」という。ところが機械の前でちょっと待っていてくれといって別の部屋に行ってカップにお湯を入れて持ってきた。たぶんこれから彼女の朝食か朝の紅茶な のだろう。それからおもむろに荷物のレントゲン検査と金属探知機の電源を入れ、私の荷物と私を通してくれた。荷物はおじさんが取りに来た。その待合室でし ばらく待っていると、飛行機へ案内するというので若い女性職員について行くと、外に大型トレーラーバスが待っていた。そこに一人乗り、飛行機まで運んでも らう。

 飛行機には既にロシア人乗客が乗っていて、私の席の3Гには他の乗客が座っていたので3Aに座らされた。3人掛 けの通路側には女性が座っていて、「論拠と事実」紙を読んでいた。9時になったが飛行機はまだ動かない。外は朝日が顔をのぞかせ、すっかり明るくなってき た。9時半に飛行機は離陸した。イルクーツクまでは3時間との放送があった。飛行機はイルクーツクから更にエカチェリングブルグ、クラスノダルまで行くそ うだ。上空に行くと機内食が出された。黒パンが2個、ワラビのゆでたもの、オリーブ2個、サラミ3枚、チーズ2切れ、ジャムとバター、クリームサンドクッ キー2個そしてアルミ箔に入った温かい料理を配ってきた。鶏か魚かと聞かれ、魚を選んだら鮭とコーンとご飯を焼いたものだった。3時間のフライトの後、 12時半にもうすぐイルクーツクに着くとの放送があった。イルクーツクの気温はマイナス17度と結構寒い。窓の下にはバイカル湖とそこから流れ出している アンガラ川が見えた。飛行機から降りてターミナルビルへみんな歩いていくのでついて行くと、前の人がここはトランジットの人達だけで、イルクーツクで降り る人は建物の右側にある出口から外に出るようにと言われていた。私も彼女と二人で建物の横へ回って板塀の門から外に出た。そこにはスヴェータのお母さんが 待っていた。スヴェータのお兄さんのワレーラも車で待っていて出てきた。手荷物はもう既に出てきており、私の荷物といくつかの荷物が取り残されていた。荷 物を受け取りワレーラの車でホテルルーシまで送ってもらい、22日は1時にスヴェータのお母さんの妹のアーラが迎えに来るということを聞いて別れた。ス ヴェータから預かってきた荷物もここでお母さんに渡した。

 私の部屋は3階の320号室。一番奥の部屋だった。バスタブもついていてまあまあの部屋だ。レーナの所に電話し たら3時に迎えに来るといった。その後イーラにも電話をしたらお母さんが出て、イーラは仕事に行っているという。明日何時にイーラが迎えに来てくれるかと 聞いたら、12時に行くと言っていたという。スーツケースから荷物を取り出し、今日持っていくおみやげを出した。3時に1階に降りていくとレーナが待って いた。レーナの長女のアーニャの彼氏がホテルの前で待っていた。彼の車でレーナの家へ行った。レーナの家に着くとまだ準備ができてなくて、しばらく待たさ れた。

 スヴェータの下の子のアーニャ(18歳)の彼氏サーシャ(背の高いがっしりとした若者で私が運んできた車の部品 は彼の車のものだった)、レーナの上の子アーニャの彼氏、スヴェータの甥と3人も若い男の子がいて面食らった。サーシャは早速ショックアブソーバーを交換 していたらしく、しばらくして手の指先に血を付けて戻ってきた。何でも自分でやってしまうのがすごい。肝心の誕生日の主役ボーヴァは職場で誕生日をやって いて、一杯やっているが5時頃には帰って来るという。4時頃にレーナの友達のリューダがやってきた。レーナの友達のオーリャは仕事で来られないそうだ。ス ヴェータの腕によりをかけた料理がテーブル一杯に並べられ、シャンパンの乾杯で始まった。2リットル入りの大きなワインの瓶があり、それをコップになみな みと注いでくれる。ワイングラスで飲むというエレガンスさはない。コップに半分以下になるとまた注ぎ足され、結構な量を飲んだ。ウォッカはボーヴァが帰っ てきてからにすると言って飲まなかったが、それでも結構回ってきた。ボーヴァが帰ってきて彼にプレゼントのマフラー(カシミヤ100パーセント)とマルボ ロ1カートンを渡すと、とても喜んでくれた。後はウォッカをぐいぐい飲まされ、すっかりできあがってしまった。スヴェータの家に行きたいかと聞かれたの で、行きたいと答え、車で送ってもらって彼女の夫にもあった。1年半前に両足切断した彼の健康状態は悪いようだとレーナが言っていた。でも見た目にはそう でもなく、一緒にウォッカを飲んだ。レーナの家に戻ってしばらくして、サーシャの車でホテルまで送ってもらった。スヴェータとレーナからだと言って森で小 熊が戯れている刺繍で作った絵をもらったが、1m×70cmくらいもあり、とても飛行機の機内に持ち込めないし、手荷物として預けるにはしっかりした梱包 がされてないし、それに家に持って帰っても飾る場所がない。とりあえずもらってホテルの部屋まで運んでもらった。すっかり酔っぱらっていて、何時にホテル に戻ったか覚えていない。

12月21日(日)
 朝、目が覚めてもまだ体の中にアルコールが残っていて気持ち悪いし、頭もぼんやりしている。今日は12時にイーラが迎 えに来るけど、それまでになおるだろうかと心配だ。10時頃歯を磨いていたら突然水が出なくなり、1階に下りていきフロントで聞いたところ、修理で3時間 水が出ないとのこと。事前に知らせておいてもらわないと困る。おかげで顔を洗うことができなかった。水をたくさん飲んで、昨日かっておいたトマトジュース を飲んで、正露丸を飲んだ。午前中ベッドの上に横になっていたらだいぶ回復し、12時に1階のロビーに降りていってイーラが来るのを待っていた。

 15分くらい遅れてイーラがやってきた。今やっているサーカスはあまりおもしろくないので止めにして、直接彼女 の家に行くことになった。16番のマルシュルートカ(路線タクシー)で彼女の家へ。お父さんとマーシャ(イーラの娘で7歳)、お母さん、そして13歳にな る犬のチャーナが出迎えてくれた。マーシャはこの9月に1年生になり、前よりもいっそう可愛らしくなっていた。色が白くて、青い目で、金髪。きっと大きく なったら美人になるだろう。お母さんの手作り料理をすすめられ、何とか気持ちの悪いのは収まっていたので食べることができた。お父さんがウォッカをすすめ るのでつきあって飲んでいたが、途中から昨日飲み過ぎたのでもういいと断ったが、最後の一杯だと言って2度ほど注がれた。最後はマーシャがウォッカの瓶を 持っていってくれたので助かった。マーシャの入学式のビデオを見せてもらった。1年生の中では背が高く、すぐにわかった。入学式は屋外でやっていた。その あと、イーラのパソコンを借りて妻にメールを打った。マーシャはおみやげのウォークマンを大変気に入ってずっと聞いていて、音楽に合わせて踊っていた。い つも踊っているのか、上手に踊っていた。夏に松江のルイス・C・ティファニー美術館で買った万華鏡も大変気に入って何度ものぞいていた。イーラが妻のため に花をかたどった天然石のブローチと革の財布、そしてイクラの缶詰をおみやげにくれた。6時頃イーラとマーシャに送ってもらって帰ってきた。イーラの家か らも、ホテルからもリストビャンカのリーナに電話したが一向に出ない。ホテルの彼女の仕事場に電話しても出ない。リーナに連絡が取れなかったら誰かにリス トビャンカまで送ってもらわなくては。リストビャンカにはナターシャもいるので、彼女の所だけにはどうしても行きたいので。

12月22日(月)
 今日もお客にスヴェータのお母さんの所へ行くので、朝食は抜きにした。昨日イーラのところでたくさん食べたのでまだお 腹もすいていないし。9時過ぎにリーナの職場に電話したら、やっとリーナが出た。今日はお客に行くけど、明日からは予定がないと言ったら、また夜に電話す ると言っていた。6時過ぎには帰ると言っておいたが、帰ってきたのは8時近かった。

 午前中、キーロフ広場にヨールカを見に行ったが、氷の像がたくさん作られ、子供たちは氷の滑り台を滑っていた が、肝心のヨールカはまだ飾り付けの途中だった。それから電車(5ルーブル)に乗ってデパートへ行き家族へのおみやげを買おうと見て回ったが、これはとい うものがない。歩いてホテルまで帰りながら、いろんな店をのぞいて琥珀のブローチ(600ルーブル)と天然石のネックレス(1200ルーブル)を買った。 ルースキー・コスモス(ロシアの宇宙)というタイトルのCD−ROM(80ルーブル)も買った。

 12時40分にホテルの戻り、買ってきたものを出してこれから持っていくおみやげをリュックに詰め1時に1階の ロビーに降りていくとアーラが待っていた。キーロフ広場で氷像とヨールカを見て、アンガラホテルの前から61番のマルシュルートカ(8ルーブル)に乗って スヴェータのお母さんの家へ行った。隣の人も来ると言っていたが、来られなくなったということで3人で始めた。スヴェータのお母さんのアパートはスヴェー タからの援助で壁紙と床を張り替え、明るくきれいになっていた。ワレーラ(スヴェータの兄)と妻のマリーナは4時頃に来ると言っていた。お腹がすいていた はずなのに、やはりあまり食べられなかった。ワレーラが来るまではワインを飲んでいたが、ワレーラが来てからはマリーナと3人でウォッカの1リットル瓶を 空けた。今日も飲み過ぎだ。帰りはタクシーでワレーラとマリーナ一緒に帰った。タクシーの中でワレーラにレーナの所でもらった絵を飛行機で持って帰れない ので、もらってほしいと頼んで持っていってもらった。

12月23日(火)
 今日はお客に行く予定はないので、初めてホテルで朝ごはんを食べた。1階のフロントで食券をもらって正面のレストラン で出すと、コーヒーか紅茶かと聞かれ、朝食セットが出されてきた。チーズ2切れ、バター、オートミール、ハンバーグ、付け合わせのキャベツを炒めたもの、 全然甘くない飲むヨーグルト、紅茶だった。これで結構お腹が一杯になった。

 テレビの天気予報によれば今日は雪でマイナス4度だという。このところ暖かい日が続いている、昨日はマイナス7 度で快晴だった。9時過ぎにリーナに電話したら、聞こえないのでかけ直してくれと言う。リストビャンカとの電話はいつも調子が悪い。しばらくしてかけ直す と今度はちゃんと話すことができた。リーナもイーラも仕事なので25日のインツーリストホテルの新年パーティに行こうということになった。リストビャンカ のナターシャの所にも行きたいと言っておいた。いつナターシャの所へ行くかは知らせていないと言ったら、25日に会ったときに決めようということになっ た。

 10時過ぎにホテルを出て、電車で市場へ行く。電車がやってきて乗ろうとしたら、ロシア人女性にこの電車はタル ゴーブイ・コンプレックスに行くかと聞かれ、市場のことだと思って「行くよ」と答えたが、本当に行くのかなと心配になった。だが市場に行って横のデパート と思っていたところの屋上にタルゴーブイ・コンプレックスという看板があったのでほっとした。今日は市場に寄ったがどのチョコレートがおいしいのかわから ず、結局買わずに市場を出た。市場を出て自然博物館に行って100ルーブル払ってあまり広くない博物館を見て回った。地下に水族館もあると言うので見に 行ったが、熱帯魚や金魚がいくつかの水槽で飼われていた。他にお客さんは折らず、一人で見て回った。そして外に出て歩いていて、電気ポットを買えばカップ ラーメンが食べられるし熱い紅茶も飲めると気づき、また歩いて市場へ行きタルゴーブイ・コンプレックスでスプーンを25ルーブルで買った。何故かそこには フォークは売ってなくて、店員に聞いてもこの近くの店にないかしらと言うだけだった。フォークを探して歩いているうちに松の実を売っている店を見つけ 100g34ルーブルで買った。血圧の高い兄のためにおみやげで買っていこう。日本で買うと結構高いので。道を挟んだ日用雑貨を売っている店で3本セット になったフォーク見つけ85ルーブルで買った。その後やはり同じところで小型の電気ポットを買った。皮肉なことに日本製のKENWOODのものだった。 609ルーブルだった。これで道具はそろったので、市場に行ってお昼を食べ、夕食を買い込もうとしたが、以前入ったことのある店を始め食べるところはどこ も満員だった。仕方なく昼も買っていこうかと1階に下りて韓国製の四角いカップラーメンを2個(ビーフ味とチキン味)買い、紅茶、ミカン、りんごを買っ た。果物屋の前にすぐに食べられるものと飲み物を売っている店が並んでいて、立ち食い用のテーブルがあってたくさんの人がそこで立って食べている。私も肉 まんを1個買ったて食べた。電子レンジで温めてくれたが、中の肉が冷たい部分もあった。肉まんを食べ終わると、温かいものが何か飲みたくなり、紅茶(3 ルーブル)と丸いケークスという固いケーキ(5ルーブル)を買って食べた。紅茶は使い捨てのプラスチックのコップに入れてくれるが、熱くてなかなか飲めな かった。あらかじめ砂糖が入っていてほんのり甘かった。

 お腹も満足して電車で帰ろうと停留所に行ったが、1番と2番の電車がちっとも来ず、4番の電車ばかりがやってく る。途中で1台、4番から2番に変わった電車があったが、すごい人が押し寄せていたので、次のがすぐに来ると思って待っていたが相変わらず4番の電車ばか りがやってくる。ようやく1番の電車が来たので、今度は何とか乗り込んだ。満員の電車の中でも車掌さんは運賃を取りに回っていた。市場を出ると雪が降って いて、電車を待っている間に帽子やリュックに雪が積もっていた。雪はそれほど多くはないがやはり雪に降られるのはうっとうしい。でも歩くときには新しい雪 が滑り止めの役割を果たしてくれるので歩きやすい。

 ホテルに戻って喜々として電気ポットを出し、読めない説明書を読んだつもりになって水を入れ、コンセントにプラ グを差そうとしたが入らない。テレビの横にある電灯のコンセントも冷蔵庫のコンセントも穴が小さすぎて入らない。喜びがショックにかわりかけかけた時、 ベッドの枕元にもう一つ、いつもドライヤーを使うときに利用しているコンセントがあるのに気づき、念のためにドライヤーのプラグを出して比べてみたら、や はり電気ポットのは太い。でもコンセントに差してみたらぴったり入った。ベッドのそばには何も台がないのでベッドの縁に置いて、手で支えてお湯が沸くのを 待っていた。220Vなのですぐに沸き、紅茶を入れて飲んだ。買ってきた松の実を食べ、リンゴとミカンを食べると幸せな気分になった。1回目のお湯は臭 かったので捨てて、2回目に沸かしたお湯を飲むと臭くなかった。コップは電気ポットにプラスチックのコップが2個ついていたが、やはり陶器のカップがほし くなり、買いに行くことにする。ついでにチョコレートも買ってみよう。3時に再び買い出しに出かけた。先ず本屋によって絵はがきと地図を買おうと思って 行ったが、絵はがきはなく、新年のカードばかりだし、すごい人混みで地図も探せなかった。市場の方へ歩いていく途中別の本屋で、村上春樹の「ノルウェーの 森」を見つけ、125ルーブルだったし、そんなに重くなかった(=紙質が良くない)ので買った。この本は5冊ばかり本棚の上に立てて置かれていたので目に ついた。やはり村上春樹はロシアで人気なのだと思った。サーカスの方へ行ってみたが何もなかった。大きな古い建物があったので写真を撮った。その後市場の 前にある日用雑貨の店に行きカップを見たが、今ひとつこれというのがなく、結局ここでは料理用の手袋を70ルーブルでかい、カップはタルゴーブイ・コンプ レックスで買った。探しているうちに、新潟の喫茶店でジャスミン茶を飲んだ茶碗(100ルーブル)が売っていたので思わず買ってしまった。これとは別に普 通のカップを74ルーブルで買った。次に市場に行き、金色のパッケージのアーモンドチョコレート(36ルーブル)とそれより一回り大きい(175グラム) 果実とアーモンドの入った35ルーブルのチョコレートを買った。これはテレビでもよく宣伝しているチョコレートだ。電車の停留所に行くとやはり電車はなか なか来ず、人の数はどんどんふくれあがるばかりなので、歩いて帰った。ホテルに戻ってチョコレートを食べ比べてみたら果実とアーモンドの方がおいしかっ た。チョコレートそのものもブラックチョコでおいしかった。風呂に入り、髪を洗い、日本に電話した。子どもたちは27日と28日に帰ってくるそうだ。

12月24日(水)
 テレビの天気予報によると今日も雪で、気温はマイナス8度という。寒くないのはありがたいが、雪はいやだ。今日は美術 館で絵を見て、インツーリストホテルで絵はがきを買ってこよう。果物とチョコレートを市場で買ってもよい。朝10時にホテルを出て、インツーリストホテル に行き、そこで100ドル両替し(2870ルーブル)絵はがきと地図を買った。絵はがきは1枚15ルーブルのものを8枚と印刷のきれいなセットもの (200ルーブル)を買った。地図は去年買ったのと同じものだ。アンガラ川の方へ行って川面から湯気が立ち上っているのを写真に撮り、アンガラ川に架かる 橋が見えるところまで行って写真を撮った。そこで電池がないという警告が出て撮れなくなった。屋外で写真を撮っていると温度が低いのですぐに電池がなく なってしまう。でも本当はまだ電池はたっぷり残っていて電池を暖めてやると使えるということが後になってわかった。

 次に泊まっているホテルルーシのそばにある美術館に行った。外国人料金で60ルーブル。昨日の自然博物館より安 い。1階に中国と日本の昔の絵や彫刻が展示してあり、2階にヨーロッパとロシアの絵や彫刻が展示してあった。途中でトイレに行きたなり、1階に降りてトイ レに行くと何と便座がない。幸いトイレはきれいだったので便器をティッシュで拭いて直接便器に座って用を足した。平日の美術館にはお客はほとんどおらず、 私が帰る頃、親子連れと若いカップルがやってきた。カメラの電池も交換しなければならないのでホテルに戻った。昨日買っておいた韓国製のカップ麺を食べ た。食後にリンゴとチョコレートを食べた。カップ麺はまあまあだったが、リンゴは予想していたよりもやわらかく、あまり美味しくなかった。買ってきた絵は がきを7人の友人に書いた。2時過ぎに絵ハガキを出し、市場でチョコレートと松の実を買おうと出かけた。

 1階のフロントでハガキを出したいと言うと、郵便局に行くようにと言われたが、郵便局がどこにあるかわからない と言うと電車通りまでいって右に曲がるとあると教えてくれた。電車通りまで行って、歩いている婦人にもう一度聞き、よく見ながら行くと郵便局があった。日 本のように郵便局の前にポストがあるわけでもない。普通の建物のようで入口の看板が読めなければ郵便局だとはわからない。中に入って窓口のおばあさんに日 本へハガキを送りたいのだけどと言って差し出すと、おばあさんが航空便のゴム印を押し、切手を貼ってくれた。1枚につき10ルーブル貼っていたので7枚で 70ルーブルかなと思っていたら、何故か73ルーブル50カペイカだと言われた。切手を貼って航空便のゴム印を押してくれた手間賃か?そういえばロシアに も5パーセント消費税があったので、消費税だとは後になって気がついた。切手を貼ったハガキを返してくれて、あそこの箱に入れるようにと言われ、自分でポ ストに入れた。

 その後電車で市場へ行く。先ずタルゴーブイ・コンプレックスでデジカメの予備電池4本(64ルーブル)を買い、 松の実を500グラム買い、市場へ。フルーツアンドナッツのチョコレートを買おうと思って探したが見つからず、METEORIT(中にクルミや蜂蜜、杏な どが入った美味しいチョコレート)があったので5箱(1箱40ルーブル)買った。そしてシポーブニク(ヨーロッパノイバラ)の紅茶があったので買った。何 かちょっと食べていこうかと時計を見たが、3時半だった。夕食にはまだ早いので昨日から食べてみたかったチェブーシュカという半円形の揚げパンを買って、 紅茶と一緒に食べた。中には肉が入っていた。チェブーシュカは10ルーブル、カリツォという丸いドーナツ型をして上にピーナツがのっている美味しいクッ キーが5ルーブル。その後市場の中をウロウロしてお湯に入れて10分間煮るだけというインスタントスープをキノコと鶏、牛肉の3種類買う。牛とキノコは8 ルーブル、鶏は6ルーブルだった。外に出ると屋外で果物を売っていて、柿やミカンが売っていた。柿は寒さのために痛みがひどくとても買う気にはならなかっ たが、ミカンはきれいで日本のミカンと同じ種類なので1キロ20ルーブルで買った。今日は時間が早かったので電車も空いていて、4時にホテルに戻ってき た。夕食はチキン味のカップ麺とカリツォ、そしてミカンと紅茶。夜レーナに電話して、土曜日にサーシャがお金を持ってくると言っていたが、土曜日はリスト ビャンカから帰ってくる日なので6時過ぎに来るように伝えてほしいと言った。月曜日にサーシャがお金を持ってきたかと聞くので、来なかったと答えた。留守 の間に来たのだろうか。ボーヴァが電話のそばにいてまたウォッカを飲もうと言っていた。レストランに行くか、家に来ても良いと言っていたが、出発の前日な ので荷物の整理もしなければならないし、翌日は朝が早いので飲まない方が良い。

12月25日(木)
 今日の朝食は肉の入ったブリンチキ、飲むヨーグルト(砂糖なし)、コテージチーズに砂糖とクリームのかかったもの、白 いおかゆ(何のおかゆかは不明、ポテト、穀物の粉?)、チーズ2切れにバター、紅茶。ちなみに昨日の朝食は麦のおかゆ(甘くて牛乳で煮ていて、バターたっ ぷり)、チーズ2切れ、ソーセージ2切れ、プチトマト2個、白くて丸くて酸っぱいのを焼いたもの2個、紅茶。今朝、テレビを見ていて、植物園で日本の椿が 咲いているというニュースをやっていたので、今日は植物園に椿を見に行くことにした。昨日買った地図で場所を調べた。ちょっと遠いけどバスかトロリーバス で行けるので午前中に行ってみることにする。

 雪のちらつく中で22番のバスを待っていたが一向にやってこない。バスはたくさん来るけどバス停のずっと手前で 止まるバスもあり、どこで待っていたら逃さずにバスに乗れるのかと不安になる。日本のバスのように前面に行く先表示板がないので、フロントガラスの角にに 小さく書いてある系統番号だけが頼りだ。20分ほど待っても来ないので、道路の反対側に回り、遠回りになるがトロリーバスに乗ることにした。しばらくする と7番のトロリーバスが来た。ダムの上をわたってアンガラ川の対岸にわたる。更にしばらく走ってたくさんの乗客が降りた所で車掌さんが「どこまで行く?」 と聞くので「植物園」と答えると、このバスは行かないからここで降りて乗り換えるようにという。全く知らない所でおろされ、これからどうしようと途方に暮 れ、近くにいた女性に植物園に行くにはどう行ったら良いか聞くと、7番か10番のトロリーバスに乗ればよいと教えてくれた。今7番のバスから降りたところ なのに、また7番にのるのかと思っていると、今度は10番のバスが来た。2両連結のトロリーバスだったが、途中からものすごく込んできて、植物園で降りる のがやっとだった。バスを降りたがどこに植物園があるのかわからない。バス停にいる人に植物園はどこにあるかと聞くと、ここだという。確かに「植物園」と いうバス停に立っているのだから仕方がない。温室はどこにあるかと聞いたら駅の向こう側にあると教えてくれた。

 丁度三叉路の正面に鉄道の駅があり、線路を渡った向こう側に植物園という看板の掛かった扉が半開きになってい た。その扉から雪の小道に沿って奥に進んでいくと、家が2軒建っていた。1軒の家から若い女性が犬を連れて出て行った。もう1軒のいえからおじさんが出て 行った。二人の出てきた家に入ってドアをノックしたが、誰もいない。しばらく待っていると先ほどの若い女性が犬を連れて戻ってきたので、温室を見せてほし いと言ったが、もう1軒の家の人に聞いてみてくれと言う。でももう1軒の家はさっきおじさんが出て行った後は誰もいない。植物園を守るために犬を放し飼い にしてありますという注意の看板もあったので、勝手にウロウロして犬にかまれたら大変なので退散することにした。植物園はどうも大学の施設のようで、一般 に公開している植物園ではないようだ。2時間もかけてやってきた苦労が無駄だった。

 帰りは市場へ行くと書いてあるバスに乗り、やはりダムの上を通って行ったので市場まで30分くらいかかった。お 昼は市場でピロシキ2個(肉、米入りー7ルーブルとキャベツ入り5ルーブル)と紅茶(3ルーブル)ですませた。その後、おみやげに「ノルウェーの森」をも う1冊買おうと本屋に行くつもりで歩いていると、少し手前に前から探していたスーパーマーケットがあった。万引き防止のためにリュックや手提げ袋は無料の ロッカー入れなければならない。リュックを預けて、チョコレートやテレビで宣伝していたレモンの歯磨き粉を買った。私の後を掃除のおばさんがついてきてう るさいなあと思っていたら、私の靴が汚れていて床を汚しているので、私が通った後をモップで拭いているのだった。この日は気温が高く、0度近かったよう で、屋根の雪が解けて、しずくが屋根から落ちていた。歩道も雪が解けてぐちゃぐちゃになっていて、それが私の靴が汚れていた原因である。本屋に行くと、そ こもやはりロッカーがあり、そこにリュックを預ける。「ノルウェーの森」は本棚の上にはなかったが、本棚の中にまだ2冊あった。本屋を出て、キーロフ広場 の方へ曲がると日本料理店「京都」という店があった。最初に見たときは小さな店だと思ったが、横にずっと伸びていて結構大きな店だった。でも値段も高そう な感じだった。キーロフ広場に出ると、きれいに改修された5階建てのロシア銀行の切り妻式の屋根の上に数人の人が登っていて、雪下ろしをしていた。よくあ んな高いところでやるもんだと感心した。キーロフ広場のヨールカの飾り付けを大きなクレーンを使ってやっていたが、ほぼ完成していた。写真を撮ってホテル に戻った。

 6時にリーナが迎えに来ると言っていたが、5時半頃にビクトルとリーナが部屋までやってきた。インツーリストホ テルでパーティの代金5人分、2700ルーブルをリーナに渡した。リーナとビクトルの部屋に行ってコートや帽子を置いて、2階のレストランへ。今年もバイ カルホテルのコーリャと妻のガーリャ、そして子供が二人(小学校高学年ぐらい)、ジェーニャ、オーリャが来ていた。リーナの子供たちのイーラとジーマも6 時頃にやってきた。ジーマは今年の9月に大学に入り、イーラと一緒におばあさんの家に住んでいるそうだ。パーティの司会は今年は男の人で、ロシア語がわか らない私はちょっと退屈だった。ダンスは踊っていればいいから楽しい。イーラがステージの上で踊っていたので写真を撮っていたら、近くのテーブルにいた中 央アジアの娘だというナターシャに声をかけられ、一緒に踊って写真を撮った。今日はウォッカを飲まずにいたのに、コーリャが一緒に飲む人がいないので寄っ てきてつきあわされることになってしまった。12時頃パーティは終わり、ジーマに送ってもらってホテルへ戻った。

12月26日(金)
 朝起きたら7時だった。7時半にリストビャンカへ行くインツーリストのマイクロバスで迎えに行くからと言われていたの で、慌てて準備をして何とか間に合った。バスには昨日のメンバーが乗っていた。ジェーニャは途中から乗ってきた。彼女はイルクーツクに住んでいるのだろう か。朝7時半のイルクーツクは出勤する人達の車で込んでいた。コーリャの家族はリストビャンカの手前で降り、また途中からホテルの従業員が乗ってきた。よ うやく明るくなってきたリストビャンカに着いたのは9時だった。リーナは朝ご飯を作ってくれて、仕事があるから、バイカル湖のビデオを見ていてくれと言っ て出かけていった。

 12時にビクトルと一緒に戻ってきて、ナターシャの家まで送ってくれた。ナターシャはレーナから火曜日に私が来 ると聞いて、準備をして待っていてくれたそうだ。12時15分に着いて、3時までいた。まだ準備が全部でいていなくて慌てて作ってくれた。ナターシャのお 母さんがマクシムを迎えに保育園に行ってくれた。マクシムは持っていったおもちゃをとても喜んでいた。サーシャができたてのオームリ(バイカル湖でとれる 魚)の薫製を出してくれた。焼きたてのまだ熱いオームリ薫製はとても美味しかった。大きなのを1匹食べたらそれだけでお腹が一杯になってしまった。テレビ があり、ステレオもあり、前より生活は良くなっているようにみえた。サーシャの顔色は悪く、心臓が悪いと言っていた。にもかかわらず、酒もたばこもやめな いでいる。話をしたり、写真を撮ったりしているうちに3時になり、ビクトルが迎えに来た。ナターシャからは妻にとガラスの靴を、私にはウォッカを飲む石で できたリュームカ(杯)のセット、バイカル湖のビデオとスライド、そしてマクシムからも猿のぬいぐるみをもらった。

 リーナの家に戻るとジーマが帰ってきていて、スノーモービルに乗ろうというので行った。バイカルホテルの横に、 そういう施設ができていて、スノーモービルの他に、スキー、スケートの道具も貸してもらえる。2人で1時間半2700ルーブルと結構高い。専用の服を着、 ヘルメットをかぶり、手袋、靴を履いて自分で運転して出発。メガネがヘルメットの中で曇って前が見えなくなり、いきなりぶつかってしまった。それからはヘ ルメットの目のカバーを開けて走ることにした。そうすれば曇らない。4,5回傾いて、脱出できなくなり助けてもらった。汗びっしょりになって帰ってきた。 時間オーバーで200ルーブル追加で取られた。8時頃から夕食で、おみやげの交換をし、リーナとビクトルと3人でウォッカを1本(500cc)空けて、 11時頃に寝た。

12月27日(土)
 リーナは仕事だと言って出かけるし、ジーマは一人でイルクーツクに帰っていくし、一人残されて午前中「ねじまき鳥クロ ニクル」を読んでいた。12時にリーナが帰ってきて部屋の写真を撮ってくれと言っていたので3つの部屋の写真を撮った。民宿のようなことを副業でやってい るので、そのチラシ用の写真に使うと言っていた。秋に壁紙を張り替え、台所のシステムキッチン、ソファー、冷蔵庫を新しくしたという。お昼は私のリクエス トのスープに入ったペリメニ(ロシア風水餃子)を作ってくれた。お昼を食べ、2時くらいだったのでさあ出発かと思ってコートを着ると、まだ仕事が忙しくて 行けない。3時か4時になるという。結局昼からも一人残され、あまり本を読むと飛行機が遅れたときに読むものがなくなってしまうので、昼からはテレビを見 て過ごした。3時か4時というのは4時ということだなと思っていたら、案の定4時に戻ってきてイルクーツクまでビクトルの車で送ってくれることになった。 途中警察の検問所があり、何の検問かと聞いたら、もみの木の盗伐の検問だという。森のもみの木をヨールカのために切るには許可証がいる。勝手にみんなが森 のもみの木を切っていたら、もみの木がなくなってしまう。もみの木は1年に5センチしか伸びないとサーシャが言っていた。

 イルクーツクの町に入り先ずインツーリストホテルで200ドル両替した。クリスマスパーティやスノーモービルで 一気に5600ルーブルも使ったので手持ちのルーブルが少なくなってきたので。まだホテルから日本へかけた電話代を払い、飛行機の手荷物の重量オーバーの 料金を払わなければならないので、両替しておかなければ心配だった。200ドル5920ルーブルでドルが少し値上がりしていた。その後ホテルルーシに戻る とホテルの前でイーラが待っていた。リーナが電話をかけてくれていたのだ。荷物を一度部屋に置いて、カメラだけを持ってイーラと話をしながらキーロフ広場 へ行く。ジーマはシベリア大学に入り、日本語と英語を選択しているそうだ。イーラは大学院に行くつもりなのかと聞いたら、なかなか難しいと言っていた。今 の仕事(親のいない子供の養護施設の職員)に興味がないのじゃないのかと聞いたら、そんなことはない、今のイルクーツクでは仕事のない人もたくさんいるの だからと言っていた。夕暮れのキーロフ広場はイルミネーションが輝いて昼間よりきれいだった。写真を撮りながらキーロフ広場を一周するともう5時45分 だった。6時過ぎに人が来るからと、30分足らずイーラと散歩しただけで別れた。

 6時にホテルに戻り、イルクーツクのイーラに電話したが、留守で誰も電話に出なかった。レーナに電話したら話 中。しばらくしてもう一度電話したらボーヴァが出て、レーナは家にいるかと聞いているのに何かわからないことを言って電話が切れてしまった。その後日本に 電話をかけたあと、明日は早く出発するのでフロントで電話代を精算してもらった。日本に3回かけて(延べ時間20分くらい)780ルーブルだった。思って いたより高くなかった。夕食はミカン2個とチョコレートかじって、松の実を食べてすませてしまった。8時頃、レーナから電話がかかってきて、サーシャはお 金を持ってきたかと聞くので、まだだと答えると、アーニャとサーシャに持っていくように言うといっていた。そばでボーヴァがホテルで30分も待っていたが 来なかったとぶつぶつ言っていた。来るなら来るとはっきり言えばいいのに、しかもいなかったらフロントに聞けば連絡してくれたのに。レーナは二人がお金を 持ってきたら電話をしてくれと言って電話を切った。9時をすぎても来ないのでもう来ないのかと思っていたら、9時45分くらいにアーニャが一人で部屋まで やってきて350ドルを渡してくれた。土曜日にホテルまで送ってくれたときに日曜日に持ってくると言ったそうだが、私は酔っぱらっていて全然覚えていな い。酔っていないときに聞いた土曜日に持っていくというサーシャの言葉を信じて、土曜日まで待っていた。しかも火曜日にも持ってきたそうだが、私が外出し ていていなかったそうだ。でも350ドルをもらえてお互いに良かった。アーニャが帰って風呂に入り、髪を洗って寝たのは11時だった。

12月28日(日)
 5時半に起きなくてはと思って寝たら、2時と4時に目が覚め、5時15分に起きた。冷蔵庫のイクラとキャビアをリュッ クに詰め、1階に下りていく。1回にはガードマンしかいなくて、昨日市内に電話したがお金を払わなければならないかと聞いたところ、市内ならいらないと言 われた。ソファーに座っていると外でドアをたたく音がしたので見に行くと、ワレーラが来ていた。ドアに鍵がぶら下がっていたので、開けて彼を中に入れた。 今日は自分の車ではなくてタクシーだった。まだ早い日曜の朝は道路もすいていて、10分ばかりで空港に着いた。

 国内線ターミナルロビーに入り、出発便を映し出しているテレビモニターを見ると、一番上にハバロフスク行き 358便があった。ところが画面を見ているうちに、遅れ10:00という表示が出た。前2回に続いて今回もまた半日遅れて、ハバロフスクの町は見ることが できない。6時半にレーナが来るといったので、ワレーラは帰っていった。ところがレーナは来ない。昨日はやはり酔っぱらっていたのだろう。1階のロビーの 端っこに山のような荷物を前にして、おばあさんが木のベンチに寝ていて、その横が空いていたのでスーツケースとリュックを持ってそのベンチに座って「ねじ まき鳥クロニクル」を読み始める。昨日よく眠れなかったので途中でウトウトしたが寝てしまってはリュックを取られるかもしれないのでがんばって起きてい た。9時頃にハバロフスク行きは12時20分に出ると放送があった。この飛行機は往きと同様、クラスノダルーエカチェリンブルグーイルクーツクーハバロフ スクという路線を飛んでいる。「ねじまき鳥クロニクル」も読み終わり、まだ時間があるのでスーツケースを地下にある手荷物預かり所に預けて空港の中をウロ ウロしてみようと思い、スーツケースを持って出発便案内のテレビの所でもう一度時間を確認していたら、そばにアーラがいたのでびっくり。ワレーラが飛行機 が遅れると母親に電話したので、彼女がアーラに電話して空港へ来てもらったらしい。2階の待合室で待っていようとスーツケースを運ぶのを手伝ってくれて、 2階まで行った。1階に比べて2階は暖かかった。日が差してくると暑いくらいになった。アーラは荷物を見てるから、コーヒーを飲んできてとか、朝ご飯がま だだろうから何か食べてくるようにと言ってくれたが、カフェはやってなかったし、他に食べ物を売っている店はなかった。おみやげ屋さんを見て回ったが町に 比べると倍近い値段だったので、とても買う気にはなれなかった。アーラの隣に座って、家族の話や家の話をした。アーラには3人の息子がいて、長男はイル クーツク郊外に最近自分で大きなレンガ造りの家を建てて住んでいる。次男はブラーツクに住んでいて、末っ子はアーラと一緒にイルクーツク市内のアパートに 住んでいるという。部屋は大きな部屋が二つあると言っていた。アーラが来てくれたおかげで、トイレにも行くことができたし、ぼっーと1時間以上も待ってな くても良かった。

 10時20分頃にハバロフスク便の搭乗手続きが始まるという放送があり、1階に下りていき、ここでアーラにお礼 を言って別れた。先ずセキュリティチェックを通り、チェックインカウンターのある部屋にはいるが、まだやっていないと言われ、ここで30分くらい待たされ た。チェックインが始まっても長い列なので、並んでいる人が10人くらいになってから並んだ。数人前の男の人が手荷物の重量オーバーで会計窓口にお金を払 いに行くように言われていた。私もああなるのかと思っていたが、何も言われずに搭乗券をくれた。ホッとして搭乗待合室の入り口で航空券をチェックしている 人に渡し、彼女がチェックしているのを横から見ているとハバロフスクー新潟のチケットがないではないか。返してもらって確認するとやはりハバロフスクー新 潟のチケットがなくて、イルクーツクーハバロフスクのチケットが残っている。すぐに航空券をチェックしている女性に言うと、一緒にチェックインカウンター まで来てくれて、間違えていると言ってくれた。ハバロフスクー新潟のチケットを返してくれてピンで留めて、落とさないようにねとチェックをしていた女性が 注意してくれた。ようやく搭乗待合室へ入り、おみやげ屋さんをのぞき、オームリの燻製の真空パックを買う。箱に入れますというので、箱はいらないけどいく らかときくと、箱代は無料ですと言われ、87ルーブル払った。リュックに入れようとしたら、箱入りなので嵩があり入らない。仕方ないのでレジ袋を出してそ れに入れてリュックに結びつけた。やがて搭乗案内が始まったが、クラスノダール、エカチェリンブルグからのお客さんが先に乗り、イルクーツクからのお客さ んはその後から乗った。飛行機までは歩いて行き、タラップを上って飛行機に乗る。席は自由席で、空いたところに座ってくれという。私は女の子を連れたお母 さんが座っていて通路側があいている席に座った。12時30分、飛行機は動き出し、長い滑走路の端までゆっくりと移動し12時45分イルクーツク空港を離 陸した。上空に上がると食事が出された。朝から何も食べていないので、待ちに待った機内食だった。丸パンが2個、蜂蜜、チーズ、オリーブ、ハム、バター、 クリーム入りのケーキ、チョコレート、紅茶またはコーヒーという定番のものだったが、お腹がすいていたのでおいしかった。食事の後に紙パックジュース(オ レンジとりんご)が配られた。

 15時35分ハバロフスク空港に到着。時計を2時間進め、17時35分に。出口から出ると19、20日に送迎し てくれた人と同じ人が迎えに来てくれていたので、すぐにわかった。荷物が出てくるまでに20分ぐらいかかるというので、荷物受け取り室の前で待って、イル クーツクの話をする。イルクーツクに日本食レストランができていたが、高そうだったという話をしたら、ハバロフスクには中国レストランがたくさんあって、 大皿で出てくるのでみんなで食べて飲んで一人300ルーブルくらいですむので安いと言っていた。手荷物のコンベアが回りだし、部屋が開けられたので入って いくとすでに私のスーツケースが回ってきており、とってすぐに出口に行くと、まだ入ってくる人がいて、その人たちが入り終わるのを待って1番に出た。ホテ ルへ行く車の中で運転手はヨールカを日本でも飾るのかと聞くので、日本ではクリスマスツリーなのでクリスマスがまでだ。子供が小さいときはプラスチックで できたのを出していたが、今はもう子供が大きくなったので出していないと言うと、うちはまだ12歳の女の子がいるので300ルーブルでもみの木を買ってき て、飾り付けをするといっていた。天然のもみの木は良い香りがして良いが、人工のものはだめだと言っていた。新年のプレゼントも買ってきて、車に積んであ るそうだ。ホテルに6時半に着き、チェックインをすませ、朝食のことを聞くと朝食は付いていないと言う。確かにバウチャーを見ると「with breakfast」という記載がない。12月19日に泊まったときは同じ値段で付いていたと言ったが(そしてそのときのバウチャーの控えには「with breakfast」と書かれていた)、調べてみるということで、結局なしになった。そういえば以前泊まったときも朝食は付いていなくて、自分で好きなも のを注文して食べたのを思い出した。12月19日の朝食が付いていたのが間違いだったようだ。

 荷物を置いて、子ども公園とレーニン広場に行くことにする。デジカメの電池が少なくなっているのでどこか近くで 電池を売っているところはないかと、スーツケースを運んでくれた男の子に聞いたら、大きな通りを10分くらい行くと売っている店があると教えてくれた。通 りを歩いていくと5分くらいのところにカメラ屋があり、そこで電池を4本買い(80ルーブル)、道を渡りバスに乗ってこども公園へ。この通りを走っている バスはほとんどがまっすぐ走ってこども公園へ行くのでとりあえず来たバスに乗った。バスはちゃんと私をこども公園に連れて行ってくれた。こども公園は親子 連れやカップルでにぎわっていた。大きなヨールカにはイルミネーションで飾り付けがされていて、光り輝いていた。また氷の像がいくつも作られていて、馬も いて公園を1周乗せて回ってくれるようだ。こども公園で予想通りデジカメの電池がなくなり、ベンチに座って電池を交換した。次に隣にあるレーニン広場の ヨールカと氷の像を見に行った。こちらもイルミネーションがあちこちにありとてもきれいだった。氷像の数はこちらの方が多く写真を撮りながら歩いている と、ところどころ1m四方ぐらいの大きさで雪をはがして下の舗道が出ているところがあった。ここなら滑らなくて良いだろうと思って足を踏み入れたら、そこ で転んで尻餅をついてしまった。それからはそういう場所を避けて歩き、レーニン広場の前に新しくできた変わった格好の歩道橋を渡った。上に上がるまでに2 回曲がらなければならない。でも段差も大きくなく、階段の奥行きもあり、年寄りにも上りやすくなっていた。

 バスに乗ってホテルに戻り、夕食は2階にあるレストラン「白樺」でカニのマヨネーズ添えとカツレツ「遠い東 方」、ビール、そして紅茶を頼んだ。パンはいらないかと聞くので欲しいというと、「黒パンだね」と笑いながら言う。2年前、ここで黒パンを分けてくれない かと頼んだのを覚えていたのだろうか。カツレツ「遠い東方」は以前ここに泊まったとき、これがこのホテルの名物だと教えてもらった。食べてみると確かにそ のとおりで、美味しかった。食事の後、部屋に戻り日本と同じような風呂に入って、昨日の睡眠不足もあったので10時半に寝た。

12月29日(月)
 朝、4時40分に目が覚めたが、早く起きても何もすることがないのでベッドの中でボーっとテレビを見ていた。レストラ ンは8時からなので7時半に起きて着替え、8時半頃レストランに行く。今日もお客は私一人だった。今朝はイクラのオープンサンドとスープ入りのペリメニ、 パン、紅茶を頼んだ。ペリメニは小さくてかわいいサイズで、スメタナがのってなかったのが、少し物足りなかった。朝食を済ませ、9時過ぎにホテルを出て、 バスに乗ってレーニン広場に写真を撮りに行く。昼間のヨールカは夜のヨールカと比べて淋しい。氷像の写真を撮った後、近くの本屋に入りハバロフスクの地図 とペトロパーヴロフスキー・カムチャツキーの地図を買う。さらに市場に黒パンとチョコレート、クッキーを買いに行く。滑る下り坂を気をつけて歩きながら市 場に着くと、まず手荷物で預けられるような袋を売っているところを探したが見つからず、うろうろしていて、ふと時計を見ると10時を回っていた。11時に 空港へ送ってもらうことになっているのでそれまでには帰らなくては。慌てて市場の中に戻りとりあえず新年の絵のついたビニール袋を2枚(1枚5ルーブル) 買い、二重にして使うことにした。パン屋を見つけて黒パンを探してもないので店員に聞いたら、角を曲がったところの店にあると教えてくれた。その店で黒パ ンを2個買い、お目当てのチョコレート(Fruit and Nut)はなく、カリツォというクッキーもなかった。仕方なく市場を後にして、レーニン広場前のバス停へ急いだ。ホテルのそばでバスを降りるとちょうど目 の前に食料品店があり、そこに入ると目当てのチョコレートがあったので3枚買う。赤い制服を着た若い女の子の店員は今ひとつ愛想がなかった。マグドナルド じゃないけれど、ほほえみを1つ注文したかった。

 ホテルに戻り、荷物を持って1階にエレベーターで下りるとき、ロシア人の若い女の子2人と日本人の男が一人2階 から乗ってきた。私が1階と勘違いして降りて、間違いに気づきすぐに戻ってきたら、その二人の女の子がロシア語で「勘違いしたのよ。日本人かしら?」と話 しているのが耳に入り、「日本人かしら」と言うことばに反応して「そうです」とロシア語で答えると今度は流ちょうな日本語で「ロシアが話せるじゃない。今 日の飛行機で帰るのですか。よかったら私たちの車で一緒に行きませんか」と返ってきた。私も彼女たちと一緒に行きたかったが、ホテルに車を頼んでいたので 断った。コートの下はへそだしルックで寒くないのだろうかといらぬ心配をする。今日、空港まで送ってくれる車の運転手は昨日と違って、年配の人だった。空 港の中まで重いスーツケースを運んでくれた。

 いつも早く着きすぎて、手持ちぶさたにしているのに今日はもうチェックインが始まっていた。まず空港使用料 800ルーブルを支払い(高い使用料だ)、チェックインカウンターに並ぶ。前の若い日本人の女の子が手荷物8キロオーバー(国際線は一人20キロまでなら 無料)で、隣にある会計窓口で追加料金を払うように言われていた。私も14キロオーバーで隣の窓口で追加料金1024ルーブルを支払った。思っていたより 安かった。新潟から来るときは10キロオーバーで8900円も取られたのに、今回は14キロもオーバーしているのに新潟で支払った額の半分以下である。続 いて預ける手荷物のレントゲン検査、そして出国審査。これが終わって搭乗待合室に入るとホッとする。イクラとキャビアも無事に持ち出せた。搭乗待合室には 免税店があったが、外国製品ばかりでロシアのものはなかったので何も買わなかった。待合室も禁煙になっていて、快適だった。

 ハバロフスクからの飛行機は定刻通りに動き出した。乗客は少なく私の隣の席も空席で通路側にロシア人の女性が 座っていた。上空に上がって飲物のサービス、食事が出された。メニューは四角い黒パン、卵にイクラをのせたのが2個、鮭の薫製が2切れ、レモン、バター。 温かいものはカツレツ(ロール状のものが2本)とライスとコーンが入っていた。そして大きなケーキにミニチョコ、コーヒーまたは紅茶。国内線に比べると ちょっと豪華だ。食事が終わってお茶のお代わりをしたときに通路側に座っていたロシア人が「ロシア語上手ですね」と日本語で言ったのでびっくり。それから 彼女と話し始めたが、彼女はカムチャッカ生まれで13歳までいたそうだ。その後ハバロフスクに引っ越したと言っていた。大学の時結婚した相手との間に13 歳になる女の子がいるそうだ。その最初の夫はけんかで刺されて死んで、再婚したが1年あまりで離婚し、今度は日本人と結婚するそうだ。今回もそのために日 本へ行くと言っていた。相手は60歳の日本人で会社の社長だそうだ。彼女の出入国カードを書くのを手伝っていて年は1971年1月14日生まれの32歳だ ということがわかった。今回は12月10日から3月10日までの3カ月のビザを彼の招待状でもらったという。どこで知り合ったのかと聞くと、日本の居酒屋 だという。本当にちゃんと結婚できるのかだろうか。相手の日本人は全然ロシア語が話せないし、彼女の日本語もうまいけれども、まだおぼつかない感じがす る。東京駅まで行けば彼女の夫になる予定の彼が迎えに来ているそうだ。彼女は日本でホステスのアルバイトもしていたが、あの仕事は身体をあちこち触られる のでいやだと言っていた。彼女との話に夢中になっていて旅行記を書いた手帳を6Aの座席の前ポケットに忘れてきてしまった。安全のしおりのとシートの間に 入ってしまったので気がつかなかった。入国審査、税関検査を終わって空港のロビーに出て気がついたので、慌ててダリアビア航空のカウンターに行って事情を 話した。しかし、探しても見あたらないというつれない返事だった。安全のしおりとシートの間に入っているのでと言ったにもかかわらず。27日からの旅行記 を書いたものなので、もう一度思い出して書けばすむことだけど。国際線で忘れ物をしたらどうにもならないという良い教訓になった。新潟の町に出ようとバス 停に行くと外はすごい雨。傘も持ってないし、あきらめて空港で19時35分発名古屋行きの飛行機を待つことにした。空港の売店で手帳とボールペンを買い旅 行記を書きながら4時間半を空港で過ごした。旅の最後は手帳をなくすし、雨で町には行けず、ちょっと残念だった。
 

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