IDAN RAICHEL INTERVIEW

イダン・レイチェル・インタビュー

イスラエル最高のポップアーティスト、イダン・レイチェルが、2006年秋にCD世界デビュー。パリで行われたそのお披露目ライブの直前に、イダン本人へのインタビューに成功。

Q:3年前にイスラエルを訪れたとき、テルアビブのレコード店で、あなたのファーストアルバム『IDAN RAICHEL'S PROJECT』を見つけたのですが、聴いて驚きました。イスラエルには凄いミュージシャンがいるんだと。今夜あなたのライブがあることを知り、それを観たくて、日本から来ました。

 まず最初に、お名前の正確な発音を教えて下さい。

IR:「イダン・レイヒェル」(とやや鼻にかかった発音で答える)。

(インタビューの順番を待っている間、仏クンバンシャ Cumbancha の担当マネージャーにも同じことを訊ねたのだが、どうやらこんな質問されたことがなかったらしく、ちょっと首をひねりながら、「英語読みだと『イダン・レイチェル』だけれど、ヘブライ語の発音だと多分『レイヒェル』なのかしら」と答えてくれた。)

Q:イスラエルには、よくあるお名前なのですか?

IR:イスラエルには10〜15年のサイクルで、東欧、南米、イエメン、モロッコなど、異なるエリアから移民が入ってくる。だから、非常に沢山の名前があるんだ。共通するのは宗教であって、国籍じゃないね。

Q:ご家族のオリジンは?

IR:東欧です。だけど、祖父はイスラエルで生まれたので、うちの家族は東欧との繋がりは感じていない。東欧は特に郷土料理があるわけじゃないし。音楽は、特有のクラシック音楽があるけど。

 世界中から人が集まってくるので、特定のイスラエル音楽とか、イスラエル料理っていうものもないんだ。モロッコのチリソース(ハリッサ)があって、南米からの肉料理があって、エチオピアの砂漠料理があって。日本からのユダヤ教徒が移住してきたら、寿司も入ってくるね。

Q:イダン・レイチェル・プロジェクトの音楽には、エチオピア、ソマリアや南アフリカなど、いろいろな国のサウンドと声が混じり合っていますが、そうなったのは自然な結果だったのですか?

IR:僕にとっては自然なことだった。始めは、アルバムを作ろうとしていたわけじゃない。

(ここで、打ち合わせが入って、いったん中断)

 22歳から23歳まで、プロダクション・プレイヤーとして、沢山のイスラエルのポップス歌手のために演奏した。キャリアをアップグレードしたかったから、親の家の地下室で、沢山の友達と自分の音楽を録音し始めたんだ。今までに70人ぐらいの人とレコーディングしたね。

Q:70人も!?

IR:そう。1つ1つの曲で、違う楽器を入れ、違うシンガーを入れているからね。皆、違った地域の出身の僕の友人だ。こうやって、僕のプロジェクトは、イスラエルの人種のるつぼになったんだ。アディスアベバの歌手、スーダンからの女性、イエメン人。小さな人種のるつぼだよね。

Q:そうした人種のるつぼを意識的に作りたかったのですか?

IR:いや、そうじゃない。哲学的に語るとしたら、メインゴールは、例えばイスラエルとヨルダンの間、あるいは、韓国と北朝鮮の間の和平条約を結ぶことではなく、世界中の人々が働ける工場を作ることなんだ。

 プロジェクトを立ち上げたから音楽でも作るか、というのではなかった。皆が集えるように、(意義のある)音楽をやりたかったんだ。

Q:このプロジェクトは、そうしたセッション・プレイヤーの経験があったからこその結果なのですね?

IR:いろんな経験すべてが反映されているよ。子供の頃はアコーディオンを弾いていたし。アコーディオンは世界中で弾かれている楽器だから、僕は世界中の音楽に耳を傾けてきたんだ。タンゴ、フランス音楽、ジプシー音楽、ブルガリア音楽などね。

 それから電子キーボードをやりはじめて、エレクトロニックな音も取り入れ出したんだ。それは今の音楽にも反映されているよ。ジャズや、インプロビゼーションとかもね。だから、いろんな音を取り入れられる能力も含めて、今の結果と繋がっているんだ。

 それから、東欧のルーツのことだけど、イスラエルに4世代ほど根を張って、イスラエルへの強いルーツを持っているのも、多くの音楽に対して寛容であることに関係があると思う。

Q:異なる音楽要素をミックスしたことについて、イスラエルの人々からの反応はいかがでしたか? それと、こうしたミックスするスタイルは、他のミュージシャンもやっていることなのですか?

IR:うれしいことに、これは僕が最初。他の人もそれぞれのコミュニティーで活動するきっかけとなったとしたら、それもうれしい。

 ゴールは、ティーンエイジャーが、人種差別もなく皆でサッカーできること。そして、それぞれのコミュニティーで「アイドル」が生まれて欲しいんだ。これは凄く大切だと思う。たとえば、エチオピア人の女の子が一人だけ学校にいたとする。でも、この女の子は、ラジオで流れている僕のファーストシングルを歌っているのがエチオピア人の女性だと知ったら、とても誇りに思うだろう。ジダンみたいに、マイノリティーのコミュニティーからアイドルを生み出すというのは大切なんだ。

Q:アムハラ語を使ったことに対して、リスナーは驚いたのでは?

IR:まあ、初めての試みではあるよ。でも、僕は別にアムハラ音楽をやってるわけじゃない。もし伝統的なアムハラ音楽を僕が演奏して、イスラエルのラジオで流したら、人々はいやがるだろう。でも、フュージョン・クッキングみたいに、いろんな要素を混ぜたから(受け入れられた)。基盤として、イスラエルというのは、イスラエル人であっても、いろんな人種・国籍をもっているからね。

 ところで、イスラエルで一番有名なダンサーって日本人なんだよ、知ってた? 日本からイスラエルに来て、すごく気に入って、移住したんだ。素晴らしいダンサーだよ。モダン・バレエのね。コンタクトしてみたら? イスラエルにはもちろん日本人コミュニティーはまだ無いけどね。

Q:セカンドアルバムで、ヒンディー語で歌ったり、南アフリカやアラブの音を取り入れた経緯は?

IR:セカンドアルバムは、1枚目のアルバムの続きだ。大きな1つの作品だと思っているし、クンバンシャから今回コンピレーションとして出したのもそのため。2部作の1作品なんだ。

 アラブの歌を取り入れたのは、アラブの文化はイスラエル文化の重要な一部だからね。重要な都市であるハイファ(やアッコ、ジャファ・・・※確認中)のアラブ・コミュニティーはイスラエルの一部なんだ。政治は関係ないよ。

 当然、70人のアーティストは70の意見を持っていて、政治的な意見にも大きな幅がある。ところが、このプロジェクトのマジックは、そういった政治的思想の枠を超えて、いろいろな文化から人々が参加していること。アラブ、モロッコ、イエメンなど、アラブのコミュニティーは大切な要素なんだ。

 ヒンディーについて言うと、インドから移住してきた、小さなユダヤ教のヒンディー・コミュニティーがあるんだ。

 一番興味深いコミュニティーは、フィリピンのユダヤ教徒。まだフィリピンに暮らしている。ウガンダにも小さなコミュニティーがある。どうやって始まったのかとか判らないんだけどね。不思議だよ。

 イスラエル国内でとても興味深いグループは、不法入国の労働者たちだ。すごい人数いるんだ。ガーナや南アフリカとか。で、(アルバムに参加している南アフリカのアーティスト、)ボンガニ・ウールー Bongani Xulu は、もちろん不法入国者ではなく、南アフリカから来たアーティストだけど。

 イスラエルの音楽として、いろいろな地域の音楽要素をアルバムに盛り込んだらおもしろいと思ったんだ。何世紀も昔、飛行機もなかった時代に、イスラエルは世界の中心だった。ヨーロッパとアジアの中間地点、アフリカとの唯一の接点だった。何世紀も経って、今、またそれが繰り返され、車で縦断したら6時間、横断したら40分で通り過ぎてしまうような、とても小さな地域が、大きな注目を浴びている。

Q:違う言語の歌を作る時、まずあなたが詩を書いて、それを他の言語に訳すのですか?

IR:いや、僕が詩を書いて訳すこともある。そうした曲の大概はラブソング。あるいは、それぞれが自分の言葉で詩を書くこともあるよ。ヒンディーの曲は、シンガーが書いたんだ。

Q:ヒンディーの入った曲を作ろうと計画して、歌手を探すの? それとも、歌手と出会って、歌が生まれるの?

IR:配役のプロセスみたいなものなんだ。たとえば、クラシックな雰囲気をイメージしていたら、東欧のピアニストが普通浮かぶんだけど、クラシックな曲をアフリカン・スタイルのピアノで演奏したほうが、人々はもっと興味を持つよね。

 コンセプトからスタートするんだ。ストレートな表現がいいのか、砂漠的な感じがいいのか、エチオピア的なのが一番フィットするか、そうやって英語的表現をするなら"weird"な(一風変わった)雰囲気を作り上げるんだ。

Q:アラブの歌について、もう少し教えて下さい。

IR:パレスティナ人のミラ・アンワール・アワド Mira Anwar Awad が歌っている。彼女は親しい友人。素晴らしい歌手だし、女優でもある。

 彼女が歌っているのは、ラブソング。アラブの歌いかたというのは、とても「気高い」んだ。ラブソングだったら、直接的に「Oh, ベイビー、愛してるわ、ベッドに来て」なんて言わない。もっと控えめで、気高い表現をする。美しいアラビア語の表現なんだ。

Q:これからも周辺の国々のアーティストを招き入れ、その中心にいながらの活動を行っていくつもりですか?

IR:特にそういったゴールはないよ。音楽活動をしているだけさ。世界中の人が興味を持って聴いてくれたらうれしいし、曲をリリースしても誰も好きじゃなかったらしょうがないさ。人々が僕のこういった活動に興味を持ってくれるのは、それが今のイスラエルの現状をしっかり捉えているからなんだ。音楽を作って、人が気に入ってくれたら、いろんなところで演奏する。それだけさ。

Q:これが今のあなたの状況なんですね、周りにいる友達と作った音楽。

IR:そうだね。「るつぼ」の結果といえるね。別にこれで世界を制覇したいとか、そんなんじゃないよ。

Q:メランコリーでセンチメンタルな曲が多いのはどうして?

IR:僕の曲は基本的にほとんどラブソングだ。ラブソングを書く時っていうのは、恋をして幸せに舞い上がっているときじゃなくって、たいていは愛が去って行ってしまう時なんだ。だからじゃないかな。

Q:失恋なんてしたことないでしょう(笑)。

IR:まさか。たくさんの去って行った女性の話ができるよ(笑)。

Q:イスラエルの音楽一般が悲しい曲調だというわけではないのですね。

IR:べつに全体的に悲しいわけではないね。

Q:「Bo'ee(Come With Me)」の歌詞について教えてくれますか。

IR:8センテンスの短い手紙みたいなものだね。自分の恋人に残すメモ。恋人に書いた手紙というこんなシチュエーションだ。・・・彼女は僕を欲しくなかった。少し会話を交わしたあとで、彼女は訊ね始めたんだ。「じゃあ、未来はどうなるの? 幸せはどうなるの? 戦争は? 家は?」

 Bo'ee とは、「さあ、一緒に行こう」という意味。「今、幸せのことを訊かないで、家のことを訊かないで。未来のことも訊かないで。僕と手を取り合って歩み出せば、問題は自然と解決するよ。」 唯一解決しないのは時だ。最後のセンテンスは、時は待ってくれない、と言っている。でも、マッチョな意味で言ってるんじゃないよ、「うるせー、だまってついてこい!」みたいなね。(笑)

Q:「Out of the Depths」は?

IR:ユダヤ教のお祈り(Psalms)でもっとも重要な一節、「Out of the depths have I cried unto thee, O Lord.」(Psalm 130) の現代的解釈だ。地の底から、神を思って泣いているんだ。大抵、神を求める時って、底にいる(落ち込んでいる)ときだよね。でも僕は、神を求めるのは、悲しいときだけじゃなく、いつだっていいはずだと思ったんだ。

 これは、恋愛として解釈している。愛する女性を求めて泣くのは、落ち込んでいるとき。でも、彼女がそばにいるときは、それが当たり前になってしまって、切願したりしない。

Q:曲中、「ナンノナンノエー」という印象的なフレーズが繰り返されますが、あれはどんな意味なのですか?

IR:あの部分は、アムハラ語の伝統的なラブソングで、元はもっとアップビートなんだけど、少しメロウに変えたんだ。ナンノナンノ...は、かけ声で意味はないけど、そのあと愛の讃歌になるんだ。

Q:今夜のステージはどんな構成になりますか?

IR:もちろん70人もステージにあげるわけにはいかないから、8人構成になる。半円になって座るんだ。ステージの大きさにもよるけど。各自がリードをとるようにするつもりだよ。男性シンガーが一人、女性シンガーが二人、それに4人のミュージシャン。僕も少し歌うよ。

Q:男性シンガーもラブソングを歌うの?

IR:うん。彼はエチオピア出身。スーダンの女性シンガーと、もう一人はイラン人コミュニティーから。ベースはテルアビブのロックシーンから(?)。

Q:サンプリングや独特なムードなど、「Tigsat」の音の作り込み方に、とてもこだわりを感じたんだけれど。

IR:「Tigsat」は、柔らかなメロディーを女性ボーカルが歌う。とても清らかな歌い方なので、演奏は攻撃的なのがいいと思った。映画でもあるでしょう、激しい殺人のシーンで、静かなクラシックを流して対比させ、緊張感やパラノイアを浮き立たせるような。落ち着いているけど、中で何かが燃えているとか、その逆とか。

Q:音の作り込みに対するこだわり方から、スタジオワークにも相当興味をお持ちかと?

IR:曲にとって最善のことをしているだけさ。アコースティックにするなら、そのままでいいし。エレクトロニックにやるぞ、というこだわりはない。曲があって、それに対して適切な「配役」をしなくてはいけない。大きいプロダクションにするのか、ギターだけにするのか。

Q:監督みたいなんですね。

IR:そうだね、その通りだね。

Q:そろそろ時間なので、これが最後の質問です。昨年エチオピアをツアーしたり、シンガポールのWOMADに出演されたりしましたが、そうした旅から影響を受けたこと、感じたことなどはありますか?

IR:自分の音楽と共に旅をして、人々がどう反応するかをみるのは楽しいよ。シンガポールでは、僕の曲がラジオで流れてたから、ステージのときには既に僕の曲が知られていたのがおもしろかった。だから、10時間も飛行機に乗るほど離れている所だけど、少しアットホームな気分で演奏できたよ。

 エチオピアではいつもと逆になったんだ。普段だとヘブライ語の歌がメインで、他はアクセント的に使うんだけど、エチオピアではアムハラ語がメインになったね。

Q:どうもありがとうございました。

(2006年10月、フランス・パリにて。当日のコンサートの様子や写真などは、後日追記/アップする予定。)

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Special Thanks to Raye/r-flux (通訳&翻訳)
(2007.06.18 & 07.01)