FOREST-BEAT 4TH ANIVERSARY SPECIAL <PART II> 28TH FESTIVAL MUSIQUE METISSES -2-

ORCHESTRA BAOBAB INTERVIEW 2003

(暫定版)


2003年6月7日
フランス・アングレーム市郊外のホテル・メルキュールにて

イッサ・シソッコ(IC)、バラ・シディベ(BS)、バテレミ・アティッソ(BA)の3人を中心に話を聞く。

(通訳:ニコラ・リバレ)



Q:昨日はリハーサルが終わった後にステージが壊れて、ライブが突然中止になったのは残念でしたね。ですが、その分ぜひ日本でよいコンサートをお願いします。
IC:日本にはユッスー・ンドゥールと2度行ったよ。
Q:横浜のWOMADなどですね。私も観に行きました。他のメンバーは、みなさん日本に行くのは初めてですよね。
BS:初めてだし、日本に行ったことのある人たちからも良かったという話をあれこれ聞いているので、とても楽しみにしている。
Q:皮ジャンを着ていますが、体調が悪いのですか?
IC:ちょっと熱っぽくてね。

Q:イッサ・シソッコさんに、まずデクスター・ジョンソンのことについてお聞きしたいのですが。
IC:(デクスター・ジョンソンの経歴について、予想外に詳しく語ってくれた後)デクスター・ジョンソンは名サックス・プレイヤーだった。彼はアフリカでナンバー・ワンのサックス・プレイヤーだった。
Q:以前どこかのインタビューで、イッサさんはデクスター・ジョンソンから大きな影響を受けたと答えていたように記憶しているのですが。
IC:いろいろなプレイヤーから影響を受けたよ(と言って、名前をたくさん挙げる)。それに、私は音楽一家で生まれ育ったので、そこからもいろいろな影響を受けた。最初はギターかジェンベに興味があったのだけれど、先生が私の手を見るなり、その手を叩いて、サックス向きの手だと言ったんだ。
(と、すでに有名になったこの話、サックスを手にし始めた経緯について、延々語り出す)
Q:それはいつのことですか?
IC:19歳のときだ。このとき初めてサックスという楽器を見たんだ。白いアルト・サックスだった。先生に指示されて「ドレミファソラシド」と吹いた。指示されてもう一度「ドレミファソラシド」を吹いた。上手く吹けたものだから、先生に「初めてだなんて言って、お前は嘘つきだ」と言われた。そして、もう一回もう一回と繰り返し言われたので、また吹いた。そのうちに先生たち全員が呼ばれて、今の経緯が説明された。イッサは初めてなのに音符を全部吹けたのだと。(長いので大部分省略)
Q:イッサさんの演奏を聴くと、あっという間にデクスター・ジョンソンを超えてしまったような印象を受けるのですが。
IC:当時は誰もが「デクスター・ジョンソンが最高だ」と言っていた。なので、デクスターと同じスタイルで演奏しなくては認められなかった。だが、私が登場したあとには、誰もが私と同じスタイルを模倣するようになった。それで私はだんだん自分のスタイルを出せるようになったんだ。
Q:あなたのサックス・プレイはまるでボーカリストがもうひとりいるみたいに、歌っているように聞こえるのですが。
IC:私はキューバ音楽からの影響を受けている。そして、最初はデクスターのスタイルから入るしかなかったのだけれど、世間から認められるようになってからは、少しずつ自分のスタイルを表に出せるようになったんだ。
(ほとんど質問を聞いていない? 「もういいね」といった感じで席を離れてしまった。)

Q:バラ・シディベさんはカザマンスのご出身で、それからダカールにやってきたのでしたよね。
BS:両親ともカザマンス生まれだけれど、もともとはマリの家系です。
Q:イッサさんと初めて会ったのは?
BS:もうずい分昔のことだからはっきりは憶えていないけれど、1969年か70年くらいのことだったかな。みなダカールで音楽活動をやっていた仲なので、お互いの顔は知り合っていたよ。
Q:最初はサフ・マナデムというグループだったのですよね。
BS:サフ・マナデムとは「よい気分だったら、どこへ行ってもいい」といった意味。女性に対して使うような言葉だよ。
(初期メンバーとの出会いについてしばらく語る、略)
Q:バオバブのメンバーのうちで、最初に出会ったのはルディ・ゴミスさんですよね。
BS:(当時のことについてしばらく語ってから、バオバブ結成の経緯について話し始める)
69年に1年間ミアミというクラブで一緒に演奏していた。ルディはいったん別のところに行ってしまったけれど、バオバブで再会することになる。まあ、会いたくなくてもいつも会ってしまうのだけれど。(笑) 同じダカールにいる音楽仲間なのだからね。
別のクラブ(バオバブ)から新しくバンドが必要だと言われ、そこで移るに当たって、これまでより高いギャラを要求してやろうということになった。みんなに連絡して、ミアミのオーナーにばれないように1回だけリハーサルして、それからそのオーナーに別のところでプレイしたいんだと話し、オーナーを怒らせてしまったよ。ルディ・ゴミス、バラ・シディベ、バテレミ・アティッソがバオバブの最初のメンバーだった。
Q:ライン・ンバオップは?
BS:ライン・ンバオップは後から入った、結成してからすぐ後のことだけれど。
Q:当時のヴォーカルはバラさんとルディさんの2人だったのですね?
BS:そう。
Q:その後、どんどんヴォーカリストが増えていきましたよね。
BS:メドゥーン・ジャロ、今は自分のバンドをもっているチョーン・セック、ンジャガ・ディエン、などが入った。
Q:どうしてそんなに多くのヴォーカリストがいるのですか?
BS:歌手はみんなひとりひとり自分のスタイルをもっている。いろいろなスタイルを取り込むことで、バオバブの幅広さが生まれ、それがグループの人気を高めることになったんだ。
(このあと、歌手ひとりひとりのオリジンについて説明してくれる。略)
Q:曲の奪い合いなんてことはなかったの? 自分にもっと歌わせろよだとかといった、、、。
(質問の意図が伝わらず、、。)
Q:「ON VERRA CA」という曲について教えてください。
BS:村の中で踊っていることを歌っているものなんだ、、、、。(以下略)
Q:ひとりひとりの名前を歌い込んでいますよね。
BS:それぞれの奥さんの名前も歌詞にはさんでいるよ。
Q:ひとりひとりについてどういったコメントを添えているのですか。
BS:ノー、ノー、ノー。コメントなんてしていない。
村の神様に感謝することから歌い始めているのだけれど、毎回同じことを歌うのもつまらないので、奥さんの名前をはさんだりして、毎度違うことを歌っている。
Q:「SUTUKUN」はどんな歌ですか。ユッスー・ンドゥールのバンドや、ガンビアのイファン・ボンディもレパートリーにしていたけれど。
BS:歴史についての話だ。ストゥクンはガンビアの村の名前で、、、、。(と、これもよく知られた話について詳述、略)、、、、という伝説の歌なんだ。
ひとつのバンドが新しい曲を始めて、それが良い曲なら他のバンドも始めるようになったものだ。
Q:『SPECIALIST IN ALL STYLES』について少し質問したいのですが、これだけレパートリーが多い中、どうやって9曲に絞り込んだのですか。
BS:自分たちで選んだのではない。ともかくレパートリーが多すぎて、、、。
あれはニック・ゴールドが選んだんだ。新しい曲を再スタートでやるというのも難しかったし。
Q:実はニックから私の方にときどき連絡があって、バオバブの古い曲を聴きたいと相談を受けているので、私のもっているレコードの音を聞いてもらうなど協力しているのだけれど、ということは、また昔の曲をレコーディングする考えなのですか?
BS:それはニックが決めること。だけど、ニックからは新曲も作ってくれと言われている。メンバーも新曲を作りたいと願っているしね。もうデモを作ってニックに渡したものもある。それで、今ニックから連絡が来るのを待っているところなのだけれど、早くレコーディングしたいと思っている。実は現在のコンサートでも新しい曲を演奏しているんだ。1、2曲だけだけれど。同じステージの繰り返しではつまらないからね。
Q:前作のように、ユッスー・ンドゥールやイブライム・フェレールのようなゲストの予定は?
BS:ユッスーやイブライムは、ニックが直接連絡して参加してもらった。イブライムはバオバブを聞いて最初本当にびっくりしていたよ。セネガルにこんなバンドがあったなんて、とね。


Q:この曲を憶えていますか?(大ファンク・ナンバーの「KELEN ATI LEN」をかける。)
BS:バオバブだ。
Q:本当にバオバブなの?
BS:これはほとんど遊びで作った曲。(席にいるひとりひとりを指さして)「決められない、決められない、決められない、決められない」と歌ったものだ。
Q:誰の作曲?
BS:作曲なんてしろものじゃあない。トビー・ムサカ(?)という、バオバブの最初のパーカッション奏者で、74年に脱退した男が作って歌ったものだ。
Q:なるほど。声を聞いて誰が歌っているのか分からなかったのは、そのためだったのですね。
BS:聞いてびっくりするような曲はまだまだいっぱいあると思うよ。レゲエだってやっていたし。
Q:確かに強烈なサバール(タマの言い誤り)が入っている曲なんかもありましたしね。
BS:サバールの入った曲はない。サバールやタマは入れていない。ニックからは入れてくれと言われたけれど。キーボードの音も入れないことにしたんだ。
Q:ところで、ウォロフ語でポップスを最初に歌ったのはバオバブだと言われていますが。
BS:どんなスタイルもバオバブが最初だった。他のバンドはサルサばかりだった。バオバブはレゲエなんかもやった。新しいスタイルをもってくるのは、バオバブだけだった。当時は誰もがバオバブに入りたかったんだ。
(ンバラもバオバブが作ったの?と聞きたくなったが、即座に「イエス」と答えそうな勢いだったので、止めにする。)
Q:次のアルバムがとても楽しみなのですが、いつ頃の予定ですか。
BS:まだ見せていないバオバブの顔がたくさんある。メンバーも早くレコーディングしたいと考えているよ。
Q:ニック・ゴールドとの仕事はどうでしたか?
BS:ニックから私に声がかかった。私がニックに再結成の希望を伝えた。ニックはメンバーがバラバラだと思っていたけれど、ダカールに多くいた。(この辺りの発言と通訳が不鮮明?) ユッスー・ンドゥールらの協力もあって、再結成に向かった。ニックが再結成を決断するまで2年かかったけれど。
Q:本当にみなさん楽しそうですよね。ところで、セネガルでライブをやる予定はないのですか?
BS:いや、今はない。

(通りかかったアサン・ンバオップをつかまえて)
Q:君はンバラのカセットをあれこれリリースしていたので、すっかりンバラのミュージシャンだと思いこんでいたのだけれど、そんな君がバオバブに加入したのは何故ですか。
AB:バオバブにはユッスー・ンドゥールの紹介で加入したのだけれど、とても勉強させてもらっています。
Q:ワールド・サーキットが作ったプロモーション・ビデオで、あなたがダカールのファス・マルシェのレコード屋の××さんや××さんを訪ねていくシーンがありますが、私も彼らからバオバブのレコードを買いました。実際あのような店に行っていたのですか。
AB:あそこでバオバブのカセットを買ったりして、音楽を憶えました。
Q:とにかく君がバオバブに加入したのには驚いたよ。
AB:仲間たちみんなからは「ずるい」と言われっぱなしです。

Q:バテレミ・アティッソさん、お疲れのところすみません。昨日は残念でしたが、その分日本でよいライブを期待しています。ところで、日本は初めてですよね。食べたいものなんかはありますか?(昨日メンバーが揃って「寿司! 寿司!!」と騒いでいたので、、、。)
BA:日本は初めてです。8月に行きます。
これは日本を発見するよい機会なので、食事の方もいろいろ挑戦したい。
Q:世界中をツアーして廻っていますが、エピソードなんかもいろいろあったのでは?
BA:昨日のような事故はこれまでなかった。コンサートが中止になったのも初めてです。
Q:最初にギターについて少し話をきかせてください。
BA:必要があったからギターを始めました。学生だったからお金が必要でした。生活のためにバンドに入ることにしたのです。ですが、もちろん後悔などしていません。世界中を廻ることもできたし。ギターは全く独学でマスターした。
Q:ご出身のトーゴにいたときからギターを弾いていたのですか?
BA:いいえ。勉強のためにダカールに行ってからマスターしました。
Q:イッサのサックスと同様に、あなたの歌うようなギターのフレーズが大好きなのですが。
BA:それは正しい。私はいろいろなスタイルを勉強しました。ウエス・モンゴメリーだとか、BBキングだとか、サンタナ、ジャンゴ・ラインハルトだとか。アフリカのギタリストでは、ニコ、フランコ、ハイライフのギターも勉強しました。マリやギニアのスタイルも研究しました。
Q:トーゴでは地元の民謡や外国の音楽を聴いていたのでしょうか?あなたの独特なギターの演奏にはそうしたものの影響もあるのでしょうか。
BA:子供の頃から音楽は好きだったけれど、当時は聞くだけでした。だけど街ではいろいろなバンドがライブをやっていて、そうしたものも聞いていました。こっそり家を抜け出して聴きに行ったこともあるし。こうしたものを聴いて音楽センスを磨いていったのです。
Q:チューニングなどの点が、他のギタリストとは違っているのではありませんか?
BA:ギブソン・レスポールを使っているけれど、次第に自分なりのチューニングに行きつきました。
Q:具体的には?
BA:(チューニング・ポジションなどの説明、略)
Q:先ほどのお話によると、ハイライフも聴いていたのですね。
BA:他の人は余り聴かなかったようです。ハイライフをやっていたのは離れた場所でしたから。ガンビアではよく聴かれていたようです。ガンビアは英語圏ですからね。離れたところではライブも聴けたようです。ともかく、ミュージシャンならハイライフのことを知っていたはずです。
Q:(回答が不鮮明だったので)ハイライフはレコードで聴いたということですか、それとも生演奏で聴いたということですか?
BA:トーゴにいたころからハイライフのことは知っていました。ミュージシャンになる前から知っていたのです。ハイライフはトーゴではよく知られていましたからね。バオバブもハイライフをやっていたし、ギニアのベンベヤ・ジャズもハイライフをやっていましたよ。
Q:イッサとの出会いは?
BA:スター・バンド時代の69年にミアミで出会ったのが最初です。
Q:サフ・マナデム時代ですね。(とLPジャケットを見せる)
BA:これはバオバブです。こっそりコピーされていろいろ出ているからね。(レコードのことか?)
Q:長い年月一緒に活動していると、面白い話もあるのではありませんか?
BA:67〜68年からなので、もう36年間も一緒です。
Q:70年代のバオバブのサウンドを聴くと、その素晴らしさがよく分かるのですけれど、やはりお互いの実力を認め合って生まれたバンドだったのですか。つまり、出会ったときから、お互いのことを凄いと感じたのか?
BA:バンドのメンバーは同じ方向に向かっていきました。(話がかみ合わず、、。)
Q:昔はかなりサイケデリックな演奏もやっていましたよね。
BA:ポップという意味ですか。ワウワウやディストーションも使っていましたよ。70年代はポップの時代だったですからね。サンタナ、ジミ・ヘンドリックス、ジミー・クリフなども聴いていましたよ。
Q:やっぱりいろいろなギター・スタイルを試していたのですね。それと、いろいろなところにも行かれましたね。
BA:チュニジア、カメルーン、、、フランスのマルセイユにも行った。今はツアーで世界中を廻っています。
Q:『SPECIALIST IN ALL STYLES』について聞かせてください。
BA:あれは人気のあるアルバムです。ユッスー・ンドゥールのスタジオで録音したもので、録音もいいし、、、。
ニック・ゴールドがいなければ、今のバオバブは存在しません。(再結成の経緯を語った後)バテレミ・アティッソがいないとバオバブにならないと他のメンバーが言い、私が呼ばれることになりました。トーゴで自分の仕事(弁護士事務所を経営している)もあったのですがね。
Q:ユッスー・ンドゥールとの仕事は今回が初めてですね。
BA:そうです。ユッスー・ンドゥールはバオバブが大好きで、それで今回協力してくれました。
そろそろ移動なので、もし最後の質問があれば、、、。
Q:いえ結構です。どうもありがとうございました。

(と言って移動バスの方へ去る)

(しかし、何故かホテルのバー・カウンターではイッサがビールを飲み続けている)
Q:さっきは寒気がするって言っていなかったかい?
IC:(何か言い訳していたけれど、忘れてしまった。)
Q:ところで、メンバーの中で酒を飲むのは誰?
IC:私とバテレミと時々ルディ(?)が飲むくらい。3人だけだ。私はインターナショナルな人間だから、酒を飲むんだ。

(なんて一緒にビールを飲んでほろ酔い気分で雑談を小一時間、、、)


前日、突然伝えられたインタビュー。準備不足、通訳との打ち合わせ不足、そして寝不足で頭がボケたままだったこともあり、折角の機会ながら満足なものには出来なかった。だけど、ブッシュマンの親指ピアノ奏者やガムラン奏者など、個人的関心に基づいて資料用に行ったインタビューは何度か経験あれど、こうした依頼されてのインタビュー、しかも時間制限あり(とは言いながら2時間以上雑談したが)というのは初体験。とてもよい経験をさせていただきました。

ここにアップした部分(これもまだ省略した箇所が多いが)の前後にも、マックに入れてきた60〜70年代の彼らのレコードの音をいろいろ聴きながら、他のメンバーともあれこれ会話してきたので、そうした部分も追加していきたい。それと私はフランス語を十分には解さないので、現場での逐語訳を記憶を頼りながら再現したものなので、厳密な正確さには欠ける点、ご了承下さい。

インタビューの中味の方は、予想通り、基本的なことや最近のことについては、もう飽きるほど語ってきたらしく、完全にストーリーが出来上がっていて、それを延々話すばかりといった感じだった。ひとつの質問に対して5分も10分も費やされたのでは、20分以内に制限された他のメディアの方々はお手上げだったことだろう。イッサに至っては、自分が話したいことだけ話して、さっさと切り上げてしまったし(だけど本番を始める前は1時間くらい雑談につきあってくれた)。

印象に残っているのは、今の自分たちのことを誇りに思っていること(だからか時として作ったような成功話に偏りがち)、ニック・ゴールドへの感謝の気持ち、そして何よりイッサとバテレミの好対照さ。この2人を比べると本当に面白い。イッサはいつも他のメンバーと離れたところでノリノリなのに対して、バテレミは至ってまじめ、そのくせ写真撮影など肝心な場面ではベスト・ポジションを押さえる。絶対に気が合わなさそうなこの2人が長年バンドを支え、そして音楽的にも代わるもののないバンドの中心として存在しているのだから、全く不思議だ。やっぱり、2人のステージでのインタープレイを観たかった。



(2003/07/04)