YOUSSOU N'DOUR LIVE IN NYC 2000/11/19


2000年11月19日(日)
ニューヨーク・ハマースタイン・ボールルーム


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20世紀のアフリカ音楽の到達点を直接確認しておきたい。やや大げさな書き方をするとそうなるだろうか。

今年(2000年)もニューヨークのハマースタイン・ボールルームにユッスー・ンドゥールが出演するという文面のメールを受け取り、1泊5日(2晩徹夜、1晩機中泊なので)の強行スケジュールで急遽アメリカに向かった。このハマースタイン・ボールルームには99年にも出演しているが、その時は「Seven Seconds」でスティービー・ワンダーが客演したこと、彼の地元ダカールでのライブに近い形で行われ、終演が3時半だったことなどがちょっとした話題となった。

99年5月にダカールを訪れたとき、ユッスーが所用するクラブ・チョサンで体験したライブは、実際東京で何度か見たものとは趣を異にするものだった。また、今年6月の東京赤坂ブリッツでの公演を見逃していることもあって、アメリカ公演を見ておきたいと考えた。

21時の開演と伝えられていたので、その少し前に会場に行ってみると、21時と伝えられていたのは開場時刻らしく、入口には列が出来ていた。さすがにウォロフ系と思しき黒人が中心で、バーバ・マールやチョーン・セックそっくりな人も多い。その一方で白人や日本人も結構混じっていた。それにしても初冬のニューヨークの夜は冷える。

日本を出発前にチケットマスターのウェブ・サイトを覗いた限りでは、当日券も十分手に入りそうな気配だったが、念のためにチケットは予約しておいた。セネガル人には長身が多いのでスタンディングのフロアからではステージがよく見えないだろうし、長時間立ちっぱなしというのも辛いので、椅子席を予約しておいたはずなのだが、チケットマスターのカウンターで受け取ったチケットにはスタンディングの文字が。参ったと思いながら、長い列に遅れて会場内に入っていくと、フロア最前列の中央にぽっかり穴が空いているので、取りあえず何も考えずにそこに収まってしまった。

今回、会場となったハマースタイン・ボールルームは、マジソン・スクゥェア・ガーデンから歩いてすぐ、リンカーン・センター内にあり、場内は結構広く、椅子席は二階席、三階席まである。収容人員ははっきりしないが、恐らく1000名を軽く超えるのではないだろうか。

開場と同時にDJタイムがスタート。これが1時間半続いた後、22時半ちょうどに主人公ユッスー・ンドゥールが登場し、いよいよライブが始まった。

今回のライブは3部構成で、ほぼ休みなく進行し、日が改まった20日の2時きっかりに終演となった。

(第1部)22時30分〜23時40分
ユッスーは黒のTシャツとパンツの上にカラフルなシャツという姿で登場。
「Baykatt」、「Immigres」、「Benn La」(The Same−Liggeeyのメドレー)といった、近年お馴染みのレパートリーが続く。いつになく動きがよく、表情も実に楽しそうだ。ステージの中央にはフロア・タムが置かれ、ユッスーはこれを再三叩きながら歌う。ただ、聴いている場所のせいか、ユッスーのボーカルがベストの状態にまでは届いていないようにも聴こえた。

(第2部)23時40分〜0時40分
ユッスーは青い民俗衣装に着替えて登場。
「Birima」で始まったこの第2部から、ウォロフ語でのMCが急に増える。「Set」、「My Hope Is In You」、「Medina」などを演奏。「Medina」のお終いで、ユッスーがメンバー一人ひとりの手を楽器から引き離しステージから退場させた後、最後にキーボード演奏をバックに静謐な「New Africa」で締める。

(第3部)0時40分〜2時00分
今度は純白の民俗衣装で登場。
最初の「Please Wait」でヴィヴィアンとデュエット。その後は「My Daoughter」など。最後は「I love New York、USA!!」という絶叫を残して退場。

印象的だった曲を並べてみたのだが、これを見て分かるとおり代表曲のオンパレードといえる内容だった。特にリズムを強調した曲が並び、「My Hope Is In You」でさえリズミカルなアレンジに変えられた上、彼の最大のヒット曲「Seven Seconds」でさえ演奏されないなど、躍動感溢れるステージの流れが阻害しうる曲が挟まれなかったことは良かった。

サバール(ババカル・フェイの他にもう一人)、タマ(もちろんアサン・チャム)、ドラムス(2人のドラマーが交代で演奏)、それにユッスーによるフロア・タム、これらパーカッション群のビートがとにかく強烈だった。まさにビートの洪水に飲み込まれると形容できる3時間半だった。そのことは2人のギタリストが最後列に位置する陣形に象徴的だ。

ユッスーと共に特に目立っていたのが、ババカルの張り切りよう。第2部では、ニューヨーク在住の親類を加えた総勢10名によるパーカッション・アンサンブルを展開したのだが、それは一糸の乱れもない見事なものだったし、ドラマーとのバトルでは、サバールを叩きながらネクタイ姿の服を脱ぎだし上半身裸になってみせるパフォーマンスを見せるなど、そのサービス精神は相変わらず楽しいものだ。

こうしたリズムの極端なまでの強調は、ダカールで体験したスタイルに非常に似通ったもので、サバールやラマのビートに延々包まれる感覚は、一種の快感だ。だが、音楽的に冷静に評価すると、空間を過剰なまでにビートで塗り込めたサウンドは、単調すれすれとさえ言いうるものだった。

今回はユッスーがダカールに所有するクラブ、チョサンで毎週末行われるライブに近い形式で行われると聞かされていたが、さすがに朝まで演奏が続くということがなかったにしても、集まった客が満足するまでやるといった姿勢は感じられた(アメリカ・ツアーの途中で、明日もボストンでライブがあるということが信じられなくなるタフネスだ)。それに、客の方も彼のライブについてよく知っていることが窺われた。客席から「Medina」の呼び声が上がると、本当にこの曲が始まったし、「New Africa」が終わってメンバーが退場した後も、アンコールの声が上がるでもなく、再登場するのが当然とばかりに誰もが待ち続けていた。そして本当に最後の曲が終わった途端、一斉に帰り始めたのだが、この光景は98年にチョサンで実際に目にしたのと全く同じ。集まったセネガル人たちは、ユッスーらのレパートリーを熟知しているばかりでなく、そのステージ進行についての情報も掴んでいることに関心させられた。実際、異国に集まった同胞を前にしてユッスー自身も張り切っている様子が、ひしひしと伝わってきた。

実は開演から3時間あたりまでは黒人達に揉まれながらも最前列で頑張っていたのだが、第2部で、これはセネガル人のための巨大なパーティーであると悟ったこともあり、最後の方は2階席に逃れた(後で気づいたのだが、開場は全てフリー・シートだったようだ)。ここから全体を眺めると、始めに散見された白人や日本人はほとんど見当たらず、自分が黒い渦に包み込まれていることがよく分かる。

全体に素晴らしいライブでアメリカまでやってきた甲斐は十分あるものだったが、中でも嬉しかったのは「Sama Dome(My Daughter)」が聴けたことだった。それもセネガル版カセット『VOL.12(JAMM)』に近いアレンジで演奏されたもの。80年代末から90年の作品『SET』にかけて、ユッスーと彼のバンドが音楽的にピークを迎えており、この『VOL.12(JAMM)』こそ、彼らの創造力が頂点に達した瞬間を捉えた作品だと個人的には考えてている。その演奏が再現されたことに興奮せずにはいられない。しかしその一方で、十数年前の曲に最も興奮するというのは、言い換えるとその後革新的な変化がなかったということでもある。つまりアフリカ音楽の到達点は80年代末に達した頂であるとも言え、この頂は後進ミュージシャンはおろか当のユッスー自身ですら越えられないものとなってしまっていることを改めて認識した。

ユッスーの現在の活動、それに単純に彼の年齢を考えると、今後さらに革新的な創造作業を見せてくることは考えにくい。それでも今回のライブは過去数十年間に見た様々なライブの中で最高のものであり、ユッスー・ンドゥールの健在振りを確認できた。21世紀、アフリカからどのような音楽が生まれてくるか関心を持ち続けたい。




『アンボス・ムンドス』用草稿に加筆。

(2000/12/05 Ver.1.0)
(2000/12/27 Ver.1.1)

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