オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 血涙
 
 走っても走っても足が思うように動かず、なかなか前に進めない。
 それでも必死で走った。
 足音も、荒い息も、周りの喧騒も、全ての音が聞こえてこない。
 自分以外の全てのものが動きを止めてしまった死の世界。
 それでも男は走る。
 ようやくたどり着いた我が家。そこにいるはずの愛しい妻。
 しかし、扉を開けた途端に目に入ったのは、武装した兵士たちの剣で無残に胸を
 貫かれた、血まみれの妻の死体だった。
 「…あぁ …わぁ ………あああああっっ―――――――っ!!!」
 
 
 
 「………また、同じ夢ですか………」
 夢の中の叫びとは違い、ゆっくりと目を開けた男は冷静だった。
 「ふむ… リッチと化しても夢は見るものなのですね。 …冷や汗はなしですか。」
 何度も見てすっかり慣れてしまった夢だが、いつもなら冷や汗だけはかいているのに、
 今日はまったくかいていなかった。
 そう言って、立ち上がった男の周りには何体ものアンデッドたちがうごめいていた。
 空が見えない部屋には、どこから侵入してくるのか、灼熱のマグマが流れ込んでいた。
 
 アスモデの宮殿……通称、死者の宮殿の最下層。
 屍術師と呼ばれる男は最後の戦いを待っていた。
 足音が近付き、扉が開く重い音が響く。
 
 「ニバスっ! 遂に見つけたぞ!」
 「……早かったですね。さすがに英雄と呼ばれるだけのことはある。」
 ゴリアテの英雄と呼ばれる男、デニム・モウン率いるウォルスタ解放軍の精鋭たち。
 デニムの隣にいるのは、かつてニバスの家族だったはずの2人……デボルドと
 オリアス。
 「父さんっ! もう、いい加減にしてくださいっ!」
 娘オリアスの悲痛な叫びが響き渡る。
 聞こえているのか、聞こえてないのか、ニバスの指し示した方向に向かって、
 アンデッドたちがいっせいに襲いかかった。
 
 
 
 「……また、失敗ですか。 いったい何がいけないというのでしょうね。」
 もう何度目か分からない、同じセリフが繰り返される。
 ここ1年間、何度も試みてきた死者を甦らせる実験。
 禁断の領域に手を染めたニバスであったが、目指す成果にはまだ到達していない。
 炎上するライムの町に倒れていた、いつもの実験体よりは屈強そうな男であったが、
 再生されたのは肉体のみで、精神までは届かなかったようだ。
 現に男は、声にならないうめき声をあげるだけで、具体的な言葉を発することは
 できない。
 
 これまでの結果も似たようなものであった。
 実験はほとんどの場合、2つの結果しか生まなかった。
 精神だけの存在…ゴーストとなるか、骨だけの存在…スケルトンになるかだ。
 それでは、古の昔より伝わっている『ネクロマンシー』と何ら変わらない。
 ニバスの目指すものは、精神と肉体を完全に甦らせることにある。
 それは誰も到達したことがない領域。
 すなわち神の領域とでも言えるものだった。 …あるいは悪魔の領域と言った方が
 いいか。
 
 肉体だけでも再生されるのさえ、まれなことだった。
 今、目の前にいる屈強な戦士だったものは、その1人である。
 しかし、それはニバスの満足できるものではなかった。
 唯一、成功に近付いた例がある。
 他ならぬ自分の息子デボルドがそうだ。
 肉体は100%再生、そして精神も70%は再生したと言えるだろう。
 デボルドは自分の意志で物事をある程度考えることができ、片言ながら言葉も発した。
 
 ガルガスタン王国の指導者、バルバトス枢機卿が進める民族浄化政策に反対して
 反乱を起こした者たちは、ことごとく抹殺されてしまった。
 それは、ガルガスタンの中で重要な位置を占めるニバスの息子とて例外ではなかった。
 なぜ、このような無謀な反抗をしたのか。
 父親の地位を考えれば、安穏と暮らすことができたであろうに。
 しかし、ニバスはその理由をよく分かっていた。
 それは先に、民族浄化政策の中で殺された母親と無関係であるはずがない。
 妻はウォルスタ人だった。
 
 ガルガスタン軍の中では、しがない魔法使いの1人だったニバスにとっては、
 ウォルスタ人である妻を脅かす、民族浄化政策は受け入れがたいものであった。
 それでも、表向きは従順を誓い、何事もないかのように暮らしていたのだが、
 疑わしき者は罰せよという枢機卿の方針には、いささかの容赦もなかった。
 密かに仲間たちと横のつながりを持ち、この政策に対抗する手段を持とうとしていた
 のが、どこからか伝わったのだろう。
 粛清部隊の出動を聞きつけたのは、かなり後のことだった。
 妻が無事でいることを願いながら、懸命に家へと走り続けたニバスだったが、
 帰り着いた時には、すでに妻は帰らぬ人となっていたのだ。
 デボルドとオリアスの姿はどこかに消えていた。
 おそらくどこかへ逃げ延びたのだろう。それだけが救いと言えた。
 
 ニバスは反乱軍に身を投じるだろうと誰もが噂した。
 しかし、ニバスの行動はまったく逆だった。
 これまで以上に王国への、軍への、枢機卿への忠誠を誓ったのだ。
 人々はそんなニバスを陰でさげすんだ。
 ニバスが始めたらしい怪しげな屍術の研究が、そのさげすみを一層激しくした。
 狂ったに違いないという人さえいた。
 それを聞いても誰も疑わないほど、ニバスの行動は常軌を逸していく。
 次々と生まれるアンデッドの群れ。
 単純に戦力となるがゆえに、ガルガスタン内での彼の地位は飛躍的に向上していった。
 
 ニバスの思いは別のところにあった。
 彼にとって、地位も名誉もどうでもいいことになっていた。
 人目を盗んで、極寒の地マドュラ氷原に閉じ込めた妻の肉体が滅びる前に、
 甦らせる方法を探すことだけが目的だったのだ。
 ガルガスタンで地位が上がることは、そのまま研究に没頭できる機会を増やすことに
 なる。
 人々の噂など気にするところではない。
 デボルドとオリアスも、人々と同じように、父親は狂ったと思うだろう。
 それだけがかすかに心を絞めつけた。
 
 ニバスの予想していない出来事が起こった。
 息子デボルドが民族浄化政策の犠牲となったのだ。
 その遺体はニバスの元へ運ばれてきた。
 バルバトス枢機卿は、いつものようにアンデッドにするようにと命令してきた。
 やはり、枢機卿の目はあざむけなかった。
 妻が殺された日からのニバスの豹変振りに疑いを持っていたのだ。
 監視の目が研究室の近くにいくつも潜んでいるのにも気付いた。
 今度は氷原に隠しに行くことはできない。
 こうしている間にも、デボルドの肉体は自然界の法則に従って崩壊していく。
 ニバスは決断するしかなかった。
 まだ未完成の実験の成果を、可能な限り、この息子の肉体に注ぎ込むことを。
 
 実験、いや必死の作業は身を結んだ…ように思えた。
 初めて肉体の再生に成功したのだ。
 そればかりか、デボルドは言葉を発した。
 しかし、しかしだ。 …100%の成功ではなかった。
 不完全な形での再生。 …いっそ死なせてやった方がよかったのではないか?
 思い悩む必要はなかった。
 目の前の男が、狂った父親だと認識できたデボルドは、ニバスに襲いかかった。
 殺されてやってもいいが、妻を甦らせるまでは……
 必死で攻撃をかわしているうちに、騒ぎに気付いた監視の男たちが駆けつけてきた。
 その気配を察したデボルドは、男たちを跳ね飛ばして研究室から抜け出した。
 突然の出来事だったので、監視の男たちもそれがデボルドだとは気づかなかった。
 まさか、死体が動くとも思わなかったのだろう。
 その場しのぎに用意していたアンデッドを見せて、難を逃れたがそんなに甘くは
 なかった。
 
 ニバスはアルモリカ城の監督官に抜擢された。
 制圧したばかりのウォルスタ地方を治める要の位置だ。
 しかしニバスには分かっていた。これが枢機卿の疑いの結果であり
 制裁だということが。
 ニバスが思いを断ち切れていない妻、その妻の出身地で民族浄化政策を進めさせる
 という陰湿な仕打ちであることを。
 残された猶予はあまりあるまい。
 ある日、アルモリカ城から、不意にニバスの姿が消えた。
 
 屍術に関係ありそうな場所を次々と訪れては、実験体に注ぎ込んでいく。
 その姿は正に狂気を体現しているように見えた。
 ニバス自身にも、妻を甦らせることが目的なのか、屍術そのものが目的なのか、
 だんだん分からなくなっていった。
 
 無差別にアンデッドを生み出していくニバスの足取りを追って、ウォルスタ解放軍が
 動いた。
 ガルガスタンの制圧から脱した今、この不気味な現象は放置しておけなかった。
 ついにニバスと対峙したウォルスタ解放軍には、ニバスが忘れかけていた2人の姿が
 あった。
 オリアスとデボルドがいることで戦意を喪失したのか、それともギルダスという
 アンデッド戦士が、かつての戦友だったことで怒りをあらわにしたウォルスタ解放軍の
 力に圧倒されたのか…
 ニバスは命を落とした。
 自分で自分に屍術を施すことはできない。
 ニバスはもう1つの生き続ける方法である、リッチと化して生きる道を選んだ。
 驚異的な魔力を得、ほぼ不死身の肉体を得る代わりに、人間ではなくなる。
 そうまでしてでも、ニバスにはやるべきことが残っていた。
 オリアスとデボルドと再会したことで、忘れかけていたことを思い出したのだ。
 
 
 
 デボルドの振るう斧が、遂にニバスの肩口から心臓へと食い込んだ。
 その姿に一瞬、気を取られたオリアスの目前に、アンデッドが突き出した槍の穂先が
 迫る。
 心臓が凍りついたと思ったオリアスだが、目の前のアンデッドは雷撃を受けて
 弾き飛ばされた。
 信じられないものを見たような気がした。
 雷撃は、オリアスが見つめていたニバスの手から放たれたのだから。
 新たな斧の一撃を繰り出そうとするデボルドをオリアスの叫びが止めた。
 「待って! 兄さんっ!」
 妹の声だけは聞こえるのか、デボルドはその動きを止めた。
 崩れ落ちるニバスの傍らにオリアスが駆けつける。
 「……父さん、 ……どうして、どうしてなのっ!?」
 
 ニバスはゆっくりと顔を、娘の方に向けた。
 「………リッチに…なると、……痛みも…感じ…ないらし…い…」
 母が殺された日からこの日まで、オリアスはこんなに間近に父の顔を見ることは
 なかった。
 ニバスの頭に巻かれたバンダナ。血のように真っ赤なバンダナ。
 人々はそのバンダナを見て、あれは死者たちの血を吸わせた狂気の証と噂していた。
 今、それを間近に見て、オリアスはそれが母が一番大切にしていたものだと気付いた。
 しかし、それは純白のバンダナだった。
 「…父さん、 …これは、まさか… まさか…」
 
 娘の言いたいことを察して、ニバスは答えた。
 「……母の…血…では……ない  ……あ、あの日…、わ…しが、流した…
  涙で…染まっ……た……のだ…」
 「…そ、そんなっ!」
 「…その…時…… から… 私は……、人間…を、捨てて…い…た…のだな…」
 「父さん、父さん! どうして、どうして、言ってくれなかったのっ!」
 崩れていく父の体を揺さぶりながら、オリアスは泣いていた。
 ニバスの目からも涙が一筋、流れ落ちた。
 
 「……な…み……だ……か?」
 「……そうよ、父さん、 私と同じ…… 透明な水よ……」
 ニバスの目が次第に閉じていく。
 そして最後の言葉を伝えた。
 「…………か…あ……さ……ん…に……そっ……くりだ……」
 「……父さあぁぁぁぁぁぁんっ!!」
 
 ニバスの肉体が塵となって消えていく。
 消え行く意識の中でニバスは、自分が求めていたものが何だったのか、やっと
 分かった。
 それは肉体でも精神でもなく心だったのだ。
 妻を、母を思う気持ちが同じであれば、3人で生きていけたのだ。
 気付くのが遅かった……
 それでも、ニバスの心は穏やかだった。
 
 ニバス・オブデロードは死んだ。
 人間として ……デボルドとオリアス、2人の父親として。
 

 
 
 
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