オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 運命共にし勇者へ
 
 荒れ果てた古城の石畳に描かれた魔法陣からオレンジ色の光が噴き上がる。
 もう何度目か分からない暗黒魔法イービルデッドが巻き起こす灼熱の炎だ。
 その炎に焦がされた空気は、暗黒竜アキシオンの吐き出す毒々しい瘴気と混じり合い、
 サイノスとアーウィンドの肉体と精神を容赦なく蝕んでいく。
 苦痛を味わいながらも2人の勇者に、全く退く気配は感じられなかった。
 「魔法の力が落ちてきているわッ!」
 「ああ、もう少しだ! いけるぞ!」
 荒れ狂う暗黒竜の咆哮が耳をつんざく。
 しかし2人はその声にひるむことなく、互いの瞳を見つめ合い、戦い続けた。
 
 
 
 サイノスはしばらくの間、自分の目の前の雪景色に気が付かなかった。
 いや、気が付いた時には、目の前が雪景色だったという方が正しい。
 ここにいることは、昨夜出会った1人の占星術師と無関係ではあるまい。
 
 サイノスという名前をいつから使っていたのか自分自身でもあやふやになってきている。
 記憶を思い起こそうとしても、ある時点… 15、6歳ぐらいから前が思い出せないのだ。
 自分がどこで生まれたのか、両親がいたのか、兄弟がいたのかさえも分からない。
 ある人は、何か大きなショックを受けて、記憶喪失になったのだろうと、物知り顔で
 言うが本当かどうか分かったものではない。
 今思い出せる記憶と言えば、傭兵として各地の戦場を渡り歩く毎日しかなかった。
 ハイランドが他の4王国に対して行った侵略行為を内心面白くないと思ってはいた。
 格別ゼノビアの王家に対して深い思い入れがあるわけでもなかったのだが、
 食い扶持を得ることだけを目先の目標として反乱軍に加わり戦った日々。
 負ければ生き残るために逃げればいい。
 自分がどの国の出身かも分からないのだから、そんな執着のなさも無理がない話だ。
 
 神聖ゼテギネア帝国の力が拡大した今、この大陸から反乱の火はほとんど消えて
 しまった。
 圧制という名の一時的な偽りの平和だが、人々にとっては戦争よりはマシなのかも
 しれない。
 我慢することさえ出来れば、簡単に命を落とすこともないのだから。
 傭兵の仕事がなくなっても、すぐに困るわけでもなかった。
 根無し草として各地を放浪するのも捨てたものじゃない。
 元々、この世の何とも縁がない男。
 その思いを再認識するだけの毎日。ただそれだけのことだ。
 
 いつものように行くあてもなく、人気のない街道を歩いていた。
 寒風は厳しかったが、体全体を包み込んだマントと鍛え上げた肉体のおかげで、
 それほど寒いとは思わずにいられるのが幸いだった。
 町や村が現れる気配もなく、今夜もまた野宿だなと思いはじめた時、
 街道脇にかなり樹齢を経たと思われる大木があるのが見えてきた。
 格好の野宿場所を見つけ、大木に近付いていくと、すでに先客がいるのに気付いた。
 
 その人物は、頭から足先まで灰色のフードにすっぽりと包まれた老人であった。
 サイノスが声をかけるより早く、老人の方から声をかけてきた。
 「サイノス殿……ですな」
 サイノスの動きが一瞬止まった。
 自分のことを知っている人間なんて一握りしかいないし、こんな辺境で見知らぬ
 老人から名前を呼ばれるとは夢にも思っていなかったからだ。
 「心配なさらなくてもいい。 ……私の名はウォーレン。占星術師をしております。」
 サイノスの驚きも予想していたかのように、老人は自ら名乗った。
 老人だと思っていたが、その声からは意外な力強さが感じられた。
 
 「占星術師……? なぜ、私の名前を知っているのですか?」
 「……星が告げてくれたのです。今日この場所であなたに出会うことを。」
 むき出しになった大木の根に、ゆっくりと腰を下ろしながら、ウォーレンは言った。
 「星……ですか…」
 「…はい、私はこの日を何年も前から待っていました。」
 まだ、話の内容がよく掴めないのに戸惑いながらも、ウォーレンという老人に、
 不思議な魅力を感じ、サイノスの心は我知らず引き込まれていった。
 
 「あなたは運命というものを信じますか?」
 「…………」
 「質問が唐突過ぎましたかな。」
 質問も何も全てが唐突なのだ。まだ思考がついていけていない。
 それでも、サイノスは言葉の意味を飲み込み、自分なりの答えを返してみた。
 「信じたくはないですね。…私の今までの人生を振り返ってみて、これが運命と
  いうのなら、それは余りにも意味のないものですから。」
 わずかに目に浮かんだ寂しさの色が、ウォーレンには手にとるように分かった。
 決して生きることに絶望したわけではないが、希望を抱いているわけでもない色。
 若者の目がこのような色ではいけない。
 しかし、それを諭すには、サイノスのこれまでの境遇を思うと酷というものであろう。
 
 全てのことを知っているかのように、ウォーレンはうなずきながら言葉を続けた。
 「信じていなくても運命というものは存在します。」
 「……では、私がこの先、何をしようとしてもその運命というものから逃れることは、
  出来ないと言うのですか?」
 馬鹿げた質問だと思いながらもサイノスは聞かずにはいられなかった。
 いや、もしかしたらこの老いた占星術師なら、人とは違う答えをくれるかもしれないと
 期待したからなのかもしれない。
 
 「そうではありません。」
 ウォーレンの言葉は、サイノスがかすかに期待していたものだった。
 「私は星の動きから、この世に起こる様々なことや、人の行く末をわずかながら、
  知ることができるのです。」
 「……わずか?」
 「そう、ほんのわずかです。」
 ウォーレンは目を細めると、遠くの方へ視線を移した。
 太陽はすでに沈み、地平線は鮮やかな赤い残光に染まっていた。
 「今夜は冷え込みそうですな。」
 そう言うと、ウォーレンは傍らに既に積上げてあった木の枝に向かって、手のひらを
 かざした。すると木の枝に火がつき、見る間に勢いよく燃えはじめた。
 占星術だけでなく、魔法もよく使えるらしい。
 
 わずかばかりの荷物を地面に置き、サイノスも焚き火の側に腰を下ろした。
 それを目で追ってから、ウォーレンが先ほどの続きを話しはじめた。
 「運命は人の行動や心がけによって変わっていくものです。私は、その運命の一端を
  示して、人を良き方向へと導くための案内人に過ぎないのです。」
 「……では、私の運命の一端はどういうものだったのでしょう?」
 最も気になるところをサイノスは聞かずにはいられなかった。
 少なくても自分の名前を知り、ここに会いに来たということは、この占星術師には、
 その運命の一端が見えたからだと思った。
 
 ウォーレンは静かに答えを返した。
 「今日ここで会うことは、あなたの運命でもあり、私の運命でもあるのです。
  星が告げたのは、2人が会わなければいけないということ、そしてサイノス殿の進む
  道が大きな意志へと向かっていくだろうということです。」
 あまりに漠然とした内容でサイノスには今ひとつ要領を得ることができなかった。
 「大きな意志……?」
 「もう少し具体的に言いましょう。それはゼノビア全土、……いえ、それ以上に広がる
  かもしれないものだと星は告げているのです。」
 「……ゼノビア全土!?」
 サイノスにとって、にわかに信じることができる話ではなかった。
 一介の傭兵として生きてきた自分がゼノビア全土に影響がある何かができるとは、
 とてもではないが、想像することさえできない。
 
 「……ご老人、からかうのも程々にして下さいよ。」
 サイノスの顔には苦笑いの表情が浮かんでいる。
 しかしウォーレンは真剣な眼差しで、さらに話を続けた。
 「明日、あなたはサージェム島という場所で、ある人と出会います。
  その方との出会いを大切にすることです。そうすれば自然に道は開かれるでしょう。」
 その気迫に押されてサイノスは黙り込むしかなかった。
 
 ウォーレンはローブの袖口の中に手を入れると、何かを取り出してサイノスへと
 差し出した。それは不思議な絵の描かれた、古びたカードだった。
 「タロットカードです。」
 「タロット…… 占いで使ったりするあれですか?」
 「そうです。しかし普通のタロットとは違います。これらのカードには力が
  秘められてます。」
 差し出されたタロット数枚を受け取ると、サイノスは表裏を見てみたが、
 そんなに変わったものには見えなかった。
 『世界』という文字が刻まれたカードを手に取っていると、ウォーレンが叫んだ。
 「そのカードを天高く掲げるのです!」
 不意に立ち上がったウォーレンが、手にした杖を振るいながら呪文を唱えると、
 それまで星が見えていた上空に、一瞬にして黒雲が起こり、強烈な光を放った。
 (稲妻…!)
 サイノスがそう思うよりも早く、無数の雷が自分の周りに降り注ぐ。
 思わず手を離した『世界』のカードが宙に舞う。
 するとどうしたことか、大きな雷鳴は聞こえるものの、雷はサイノスを襲わなかった。
 頭を抱えていた手をほどき、ゆっくりと天を見上げると、雷の雨はことごとく、
 サイノスの周りで見えない何かにぶつかって霧散しているところだった。
 呆然と見つめるサイノスの耳に、ウォーレンの声が届いた。
 「『世界』のタロットはあらゆる魔法攻撃を弾き返す力を持っているのです。」
 ウォーレンの持つ杖が下ろされると、雷は消え、再び夜の静寂が訪れた。
 
 「……………」
 残りのタロットを手にしたまま声が出ないサイノス。
 ウォーレンは優しい目をしながら、穏やかに話しかけた。
 「持っていて邪魔になるものでもないでしょう。必ずお役に立つと思いますよ。」
 サイノスは無言で何度も、うなずくしかなかった。
 
 残り数枚のタロットが持つ力をサイノスに説明し終わると、静かに、しかし力強く、
 ウォーレンは話しかけた。
 「運命を信じなさいと、私はあなたに強制はしません。ですが私は信じております。
  勇者となったあなたの力になれる日が来ることを。」
 
 
 
 いつの間に眠ったのか。
 サイノスが気が付いた時には、ウォーレンの姿はどこにもなく、周りは雪景色となって
 いた。
 昨夜、野宿をしたはずのあの大木もどこにも見当たらない。
 サイノスはしばらくの間、自分の目の前の雪景色に気が付かなかった。
 いや、気が付いた時には、目の前が雪景色だったという方が正しい。
 ここにいることは、昨夜出会った1人の占星術師と無関係ではあるまい。
 
 「運命か……」
 声に出してつぶやいてみる。
 昨夜のことは夢だったのだろうか?
 ………いや、やはり現実だったようだ。
 腰のベルトにいつもはない違和感を感じて探ってみると、それはタロットカードだった。
 ウォーレンの言葉によると、ここはサージェム島という場所だという。
 船に乗った覚えもないのに、島にいるというのも妙な話だが、事実なのだろう。
 難しいことは分からないがとにかく前に進むしかない。
 この決断の早さこそが、今日までサイノスを生き延びさせてきた最大の理由なのだ。
 
 しばらく歩くとやがてシーズリという町にたどり着いた。
 正確には、元々は町だったところと言ったほうがいいかもしれない。
 ほとんどの家が無残に破壊され、焼け焦げた形になっている。
 人間技とはとても思えない。
 ごく最近、何かが起こったのだということは、見た目にも分かったが、
 何よりも、わずかだが人の姿が見られることで、それが正しいということが分かる。
 沈んだ空気、曇った表情は、雪を降らせ続ける灰色の雲のせいばかりではないようだ。
 人々は壊れた家や焼け焦げた家の跡から、食料や家財道具を探しているようだった。
 とてもじゃないが、すぐに修理できるような荒れ方ではない。
 
 人を捕まえて何とか事情を聞いてみると、これは1匹のドラゴンの仕業らしい。
 そのドラゴン、人々がアキシオンと呼ぶ暗黒竜は、数十年に一度この地に現れ、
 ありとあらゆる破壊を行い、またどこかへ消えていくというのだ。
 「なぜ、どこか別の土地へ移らないのですか?」
 不思議に思い、そう尋ねるが、返ってくる答えはみな同じだった。
 「先祖が、親が、代々住んできた場所だから。」
 「色々な思い出があるから捨てることができない。」
 生まれた国も、家族も知らないサイノスには理解できないことだった。
 
 ならば暗黒竜を倒せばいい。
 しかし人々にはそのつもりが全くないという。
 それもそのはずで、かつて何人もの『勇者』と名乗る者が挑んだのだが、生きて
 戻った者はただの1人もいないというのだ。
 サイノスの姿を見れば、戦士だということは見て取れる。
 「悪いことは言わないから、倒そうなどと妙な気を起こしなさんな。」
 結局はその言葉をかけられることになるのだった。
 
 傭兵を仕事にしているサイノスにとって、人々が困っているから…というのは
 戦う動機にはならない。
 生きるために、食料を得るために戦っているに過ぎないのだから。
 いつもなら放っておくはずのサイノスだが、今回ばかりはこの暗黒竜を放っておけない
 気がした。
 それもこれも、昨夜の出来事のせいだ。
 苦笑いしながらも、サイノスは暗黒竜が根城にしている場所がラザールという町の
 古城だと聞き出し、そこに向かうことにした。
 
 見たことがない敵と戦うかもしれない以上、夜を戦いの舞台とするのは得策とは
 言えない。
 目的地にたどり着く前に、日が暮れかかってきたので途中地点にあるロンギスという
 町で眠れそうな場所を探すことにした。
 町なのだから本来なら宿でも探すところなのだが、この町も酷い荒れようであり、
 とてもそんなことを頼めそうな状況ではなかった。
 しばらく歩き周っていると町外れにある水車小屋らしきものを見つけた。
 長い間、使われていないような古びた小屋だったが、雪を避けられればそれでいい。
 近付いていくと、小屋の窓からかすかに灯りがもれていることにサイノスは気付いた。
 町の人々が避難してきているのかなと思いながら、軽くノックをしてから扉を開けた。
 中はほんのりと暖かかったが、サイノスの予想と違い、そこに居たのは1人だけだった。
 
 「遅いじゃないの、退屈しちゃったわよ。」
 そう言いながら近付いてきたのは、サイノスと年はほとんど変わらないと思われる
 女性だった。
 サイノスを映すつぶらな瞳は、綺麗な黒緑色に輝やき、唇はうっすらと赤味を帯びて
 いる。
 少女の時代を終えながらも、少女らしさをどこかにとどめているような雰囲気の女性
 だが、何よりも印象的なのは、肩よりも長く伸びた燃えるように赤い髪だった。
 
 「あなたがサイノスね。 ふ〜ん、本当に固そうな感じだわね。 まぁいい男で良かった
  けど。」
 遠慮なくサイノスのことを隅々まで見渡しながら、そんなことを言っている。
 (ウォーレンの言っていた人か……)
 自分の名前を知っているのだから間違いはないが、どこか面白くなかった。
 「……私には会う人の名前は教えてくれなかったのだが……」
 「聞かなかっただけじゃないの? わたしは気になるからいっぱい聞いたわよ。
  ちょっと迷惑そうな顔していたけど、大切な人なんて聞いたら知らずにいられない
  でしょ? 男なのか女なのか、どんな人なのかってね。名前だってそうよ。
  ゴンゴロスとか、ヘロヘロビッチとか、ゲジラスなんて名前だったりしたら会いたくも
  なくなるわ。」
 軽く人差し指で、サイノスの鼻を突っ突きながら、ニコっと微笑まれるとどうしようもない。
 そう言われれば、自分が聞こうとしなかっただけなのかもしれない。
 
 あらためて、名前を聞こうとする前に、答えられてしまった。
 「わたしの名前はアーウィンド。よろしくね。」
 元気よく差し出された右手を、サイノスも握り返した。
 その手は意外なほど柔らかかった。
 「で、どう? 相手が若い女の子で良かった? うふふ」
 「…あ、ああ。 爺さんが相手よりはな。」
 軽く返したつもりだが、もうすっかりアーウィンドのペースに巻き込まれている。
 「まぁ、ひどい。 お爺ちゃまと比べなくても、充分に魅力的だと思ってるのに。」
 そう言いながら、小屋の壁際に置かれている大きな袋の上にポンと勢い良く腰掛ける。
 水車小屋で挽いていた何かの粉でも入っているのだろうか。
 「…いや、そういうつもりで言ったのではなくて…」
 「うふふ…冗談よ、冗談。固い人だって聞いてたから、ちょっとからかってみただけよ。」
 まいったなぁ…と頭をポリポリかく姿を見て、アーウィンドはニコニコと笑っている。
 (太陽みたいな子だな)
 サイノスは不思議と楽しい気持ちになってきている自分に気付いた。
 
 「でも、良かったわぁ。本当に出会えて。 運命なんて言われたけど、ここで待っている
  間、心細くて仕方がなかったのよ。 また下手な詩でも書いて気を紛らわさなくちゃ
  いけないところだったんだから。」
 「詩を書くのかい?」
 自分と同じように、大きな袋の上に腰を下ろしたサイノスを見ながら、アーウィンドは
 心底ホッとしていた。軽く振舞っているがまだ少女と少しも変わらない年齢なのだから。
 (大地みたいな人ね)
 ちょっとユーモアは足りなそうだけど、意外としっかりしていて頼りにできそうに見えた。
 傭兵が仕事と聞いてたが、すれた感じもなく、何よりも優しそうな感じがする。
 自分も傭兵たちの間を渡り歩いてきたから、こういう人は、なかなかいないことを
 知っている。
 サイノスがアーウィンドを気に入ったように、アーウィンドもサイノスのことが気に入った
 らしい。
 
 「ガラじゃないって分かってるんだけどね。あちこち渡り歩いていると友達もできないし、
  寂しい時には、詩を書くぐらいしかすることがないのよ。」
 「見せてくれるかい?」
 いつもは、そんなものには興味がわかないことも忘れてサイノスは聞いていた。
 「あははは……ダ〜メ。 本当に下手なんだから。」
 あわてて羽根ペンと羊皮紙を片付けるアーウィンド。
 どうやら本当に書こうとしていたところだったらしい。
 
 「えっ〜と、お爺ちゃまは何て言ってた? わたしには勇者がどうだかこうだか
  言ってたけど。」
 「……そういえば言っていたかな。大陸全土に名を知られるとか何とか。」
 「夢みたいな話よね。」
 力を抜いたように足をプラプラさせ、目をパチクリしながら、アーウィンドが言う。
 「私も初めは夢かと思ったのだが……」
 そう言いながらサイノスは、ウォーレンから渡されたタロットカードを取り出して見せた。
 「あぁ、サイノスももらったのね。」
 「君ももらったのか?」
 アーウィンドは先ほど、羊皮紙を片付けた自分の荷物を何やらゴソゴソしていた。
 「ジャジャ〜ン! えっと、何て言ったっけ… 聖剣ブルブルンド…だっけ?」
 アーウィンドの取り出した剣は質素な造りではあったが、特別なオーラのようなものが
 感じられた。サイノスは少し驚きながらも剣を手に取って見せてもらった。
 
 「聖剣ブリュンヒルド…… 天空の三騎士の1人、フェンリルが持つと言われる
  あの剣か。」
 「あ、そうそうブリュンヒルドだわ。 なんだぁ、サイノス意外と物知りなのね。」
 「伝説のオウガバトルで悪鬼どもを打ち滅ぼしたと言われる剣だぞ。知らないのか?」
 「うん、ぜ〜んぜん。」
 ぺロッと舌を出しながら、頭をコツンと軽く叩く仕草をしてみせるアーウィンド。
 実際にブリュンヒルドを見た人間なんて、ほんの一握りしかいない。
 もちろんサイノスだって見たことはないが、この剣がただの剣でないことは感じ取れる。
 「聖剣ブリュンヒルドか。 …しかし、そうだとすると、やはりこれは夢なのかも
  しれないな。」
 「ふ〜ん、そんなに珍しい剣だったんだ。」
 ツンツンと剣を突っ突くアーウィンドはどこまでも無邪気だった。
 
 「ところでサイノスはゼノビアの人なの?」
 もう剣のことは忘れたとでも言うように、アーウィンドは話題を切り替えた。
 剣をさやに収めて返しながら、サイノスは答えた。
 「そうかもしれないし、そうではないかもしれない。」
 「……んん??」
 小首をかしげているアーウィンドには、もう少し詳しい話をしなければ分かるまい。
 「私には幼い頃の記憶が残ってないのだよ。生まれた国も知らなければ、
  家族がいたのかどうかも分からない。 自分の名前さえ覚えてないのだ。」
 サイノスの目が少し寂しげな色を帯びる。
 「じゃあ、サイノスって自分でつけた名前なのね。」
 「ああ、どうしてサイノスにしたのか分からないけどね。 …ゴロゴロビッチにしなくて
  良かったよ。」
 「ゴンゴロスとヘロヘロビッチよ。 …ふふっ」
 2人は顔を見合わせて笑いあった。
 ランプの灯りがゆらゆらと揺らめき、2人の影も笑っているように見えた。
 
 「わたしの方がサイノスよりは幸せだったみたいね。少なくても記憶は残っているから。」
 「ゼノビア人かい?」
 「うううん、違うわ。 多分、パラティヌス人よ。」
 「……パラティヌス。 確かハイランドよりも北にある国だったね。」
 サイノスは行ったことがないが、名前は聞いたことがある。
 確かゼノビアの5王国に匹敵するぐらいの国土を持つ国だったはずだ。
 
 「わたしを育ててくれたのは小さな教会の神父様なのよ。とても優しい人だった……」
 先ほどまでの元気さが陰を潜めて神妙な顔つきのアーウィンド。
 サイノスも黙ってその話を聞いていた。
 「パラティヌスの東に大きな教会があるわ。軍隊も手を出せないぐらいの力を持った
  教会。雪の積もった寒い夜、その教会の前に小さなかごが置かれていたの。
  そのかごの中には毛布に包まれた2人の赤ん坊が居たわ。
  燃えるように赤い髪の女の子が2人。それがわたしなんだって。」
 アーウィンドはおそらくは神父に聞かされたのであろう昔を思い出そうとするかのように
 どこか遠くを見るような目をしていた。
 
 「西方からはるばる教会を訪れた小さな教会の神父様が早朝、2人を見つけたの。
  そして司祭オディロン様と相談して、これも何かの縁だろうということで、お互いに
  1人ずつ育てることに決めたのよ。」
 「でも、姉妹だったら、2人一緒に暮らした方が良かったんじゃないのかい?」
 家族がいないサイノスでもそう思う。他の人も同じ質問をしたに違いない。
 
 「いいえ…… わたしは充分幸せだったわ。 あの日が来るまでは……」
 「……あの日?」
 「ローディスの奴らが攻め込んできたのよ。」
 「……ローディス?」
 サイノスは聞いた覚えがない国の名前だった。
 「パラティヌスの西側に接する大きな国よ。自分たちの信仰するローディス教を広める
  ための侵略戦争。あっと言う間だった。勝てないと思ったパラティヌスの王が従順を
  誓うまでに、西側にある教会は焼き尽くされて、神父という神父はことごとく
  殺されたの……」
 そこまで一気に話すと、アーウィンドは顔を膝の間に埋めて、低く嗚咽を漏らしだした。
 「………うぅっ…… ……うう………」
 
 サイノスはどうしていいか分からなかったが、アーウィンドの側によると髪の上に手を
 のせた。
 優しくて力強い不思議な感触が伝わってくる。
 アーウィンドは涙をぬぐい、顔を上げた。
 「……慰めなんて要らないのよ。
  言ったでしょ、わたしはあなたより幸せだったんだから…」
 強がりなのは分かっている。それでもそうとしかアーウィンドには言えなかった。
 その目を見つめながらサイノスは小さくつぶやいた。
 「……何も覚えてない方が幸せなこともあるようだ。」
 アーウィンドは思わずサイノスの胸に飛び込んで声をあげて泣いていた。
 誰にも言えなかった思い、この人だけは分かってくれる。そんな気がして仕方が
 なかった。
 弱い自分をどこまでも受け止めてくれる、そんな気がして仕方がなかった。
 
 東方教会にいるはずの姉妹をたずねていくことも考えたが、結局できなかった。
 それがなぜなのかはアーウィンド自身にも分からない。
 自分の手で、恩を受けた神父様の仇を討ちたいと思ったからなのかもしれない。
 気が付けば、いつかローディスと戦う日のために、ひたすら戦い続ける自分がいた。
 従属という形で一時の平和を得たパラティヌスを後にして、ゼノビアの反乱に加わった。
 それは戦争に参加する動機としては不純なものだったに違いない。
 ただ強くなりたかった。それだけだったのだ。
 
 
 
 サイノスのマントは大きかったので、小柄なアーウィンドが一緒に入っても寒くは
 なかった。
 「本当に一夜を明かしてしまったな。」
 「ばか。 そんなこと言葉にするもんじゃないわよ。」
 ちょっと恥ずかしそうにほほを染めながらアーウィンドが返す。
 窓から差し込む朝日を浴びて、その髪はますます美しく輝きを増していた。
 
 「さあ、勇者になるために出発しましょう。」
 「勇者か…… 大変だぞ。」
 マントから小鹿のように元気良く抜け出したアーウィンドが、素早く衣服を身につけて
 いく。
 「そうね、簡単になれるものじゃないわね…… わたし思うんだけど、多分勇者になる
  には色々なものを犠牲にしなければいけないのよ。」
 まぶしそうにアーウィンドを見つめながら、サイノスはうなずいた。
 「それは時間だったり、家族だったり、友人だったり、思い出だったり……。
  わたしとあなたは良く似ているわ。 …どこか孤独なところがね。」
 パチリとウインクしてみせるアーウィンド。
 
 「……だから、選ばれたと言うことか。」
 「分からない。 ……でも行きましょう。 2人で。」
 「…ああ。」
 
 
 
 「ああ〜もうやだやだ。 こいつなんでこんなにイービルデッドを放てるのよ〜!
  サイノス、魔法を防ぐタロットとかは持ってないの〜?」
 「すまない。持っていたんだがウォーレンに使わされてしまったんだ。」
 「むむむ〜 今度会ったら、あのお爺ちゃま、ただじゃおかないんだからっ!」
 
 荒れ果てた古城の石畳に描かれた魔法陣からオレンジ色の光が噴き上がる。
 もう何度目か分からない暗黒魔法イービルデッドが巻き起こす灼熱の炎だ。
 その炎に焦がされた空気は、暗黒竜アキシオンの吐き出す毒々しい瘴気と混じり合い、
 サイノスとアーウィンドの肉体と精神を容赦なく蝕んでいく。
 苦痛を味わいながらも2人の勇者に、全く退く気配は感じられなかった。
 「魔法の力が落ちてきているわッ!」
 「ああ、もう少しだ! いけるぞ!」
 荒れ狂う暗黒竜の咆哮が耳をつんざく。
 しかし2人はその声にひるむことなく、互いの瞳を見つめ合い、戦い続けた。
 
 残るタロットカードは3枚。
 サイノスが『節制』のタロットを天に掲げた。
 淡く輝く虹色の光が沸き起こると、瘴気に蝕まれ麻痺しかけていた体のあちこちが、
 嘘のように感覚を取り戻していく。
 そして続けてもう1枚、『審判』のタロットをアキシオンの頭上めがけて投げつけた。
 タロットがまぶしいばかりの光を放つと、あふれ出た聖なるエネルギーが容赦なく
  降り注いだ。
 審判の光に打たれ、暗黒竜はこの世のものとも思えない苦鳴をあげた。
 
 「今よ!!」
 アーウィンドはこの時とばかりに、聖剣ブリュンヒルドを正面に構え、真一文字に
 突き刺した。
 暗黒竜の腹の分厚い筋肉に阻まれ、なかなか深く刺さらない。
 アーウィンドはさらに剣を握った手に力を込める。
 その柔らかい手を、サイノスのガッシリした手が包み込む。
 2人力を合わせた聖剣に貫かれ、暗黒竜は断末魔の咆哮をあげた。
 光の筋が放射状に入り、悪魔の肉体が次々と剥がれ落ちていく。
 剥がれ落ちた肉体は、さらに蒸発するかのように、小さくなって消滅していく。
 そして暗黒竜の咆哮も聞こえなくなった。
 
 
 静寂がおとずれた古城。
 サイノスとアーウィンドの2人だけが手を握ったまま立ち尽くしていた。
 「……聖剣……消えちゃったわね。」
 「ああ、やはり夢だったのかな。」
 「うふふ、夢でもいいじゃない。 ……素敵な夢だったんだから。」
 「島の人々は喜んでくれるかな?」
 「ええ、多分。 きっと…ね。」
 後ろから抱きしめられた形のまま、アーウィンドが振り向いた。
 口づけを交わそうとしたとき、残った1枚のタロットが輝きはじめた。
 
 「ウォーレンが最後に使うように言っていたタロットだ。」
 「…そうなんだ。 …なんていう名前なの?」
 「運命の輪。」
 「いい名前ね。 ……わたし信じてもいいわ。」
 
 タロットから放たれた光が2人を包み込み、光の中に2人が飲まれていく。
 「……なぜかしら。 わたし、あなたには2度と会えないような気がするの。」
 「君もそうか。私もなぜかそういう気がしている。」
 
 唇と唇が光の中に消えていく。
 「さよなら……なの?」
 「それでもいつか君に会いに行くよ。 きっと会えるさ。」
 「待っているわ…」
 
 
 
 サイノス…… いやデスティン・ファローダは、パラティヌス王国に居た。
 運命というなら、これほど劇的な運命はなかっただろう。
 ゼノビア王国の復興を目指す仲間たちの中、自分もその目的に向かい進むことが
 できた。
 いつしか勇者と呼ばれ、ついには新生ゼノビア王国の建国を果たしたのだ。
 復興した後、王位についたトリスタンは、最大の功労者であるサイノスに対して、
 先の大乱で失われた名家、ファローダ家の名籍を継いでもらいたいと懇願した。
 むずがゆい思いがしながらも、サイノスはそれを受けた。
 国を、家を、家族を持たない自分に対するトリスタンの最大の気持ちの現れだった
 からだ。
 「家を継ぐなら結婚もしなくちゃね。 誰がいい? そうだわ、アイーシャがピッタリよ。
  悪いことは言わないわ、デネブだけはやめときなさい。」
 トリスタンとの結婚が決まったラウニィーのお節介でさえも、どこか心地良かった。
 
 そして、その時に名前まで変えた。
 あの日、サージェム島で起こったことから始まった運命(デスティニー)、
 本当の名前を覚えていない自分に相応しい名前。
 さすがに誰もが驚いたが、今ではデスティンという名前で通るようになっていた。
 
 アーウィンドのことを忘れたことはない。
 どこかの戦場で会うこともあるかもしれない。そう思っていたが遂にその日は
 来なかった。
 解放軍と言っても、人数は数え切れない。
 自分の知らないどこかで戦っていたのだろうか。
 
 
 パラティヌス革命軍の勇者マグナス・ガラントと共に訪れた東方教会があるという地。
 戦場でデスティンは、燃えるような赤い髪の戦士と出会った。
 「君は……?」
 思わず問いかけたデスティンに、その女性は答えた。
 「私の名前はエウロペア・リーダ。東方教会の神官戦士をしております。
  デスティン、あなたの名前は聞いています。 お願いです、私たちの力になって
  下さい。」
 
 「………………」 
 返事をせずに自分の顔を見つめているデスティンを不思議に思い、
 エウロペアはもう一度、言葉をかけた。
 少し目を閉じたデスティンが答えを返した。
 「すまない、君が私の知っている人に良く似ていたものだから。」
 その言葉を聞いて、エウロペアは何かを思い出したかのように、ベルトの辺りを探り、
 何かを取り出した。それは手紙のようだった。
 
 「あなたはサージェムという場所をご存知ですか?」
 思いも寄らぬ質問を受け、デスティンは一瞬驚いたが、はっきりと答えた。
 「ええ、知ってます。」
 エウロペアは少し笑みを浮かべながら、その手紙を差し出した。
 「良かったわ。本当にあるんですね。誰に聞いても知らないというものですから。」
 エウロペアがそう言うのも無理はない。
 あの後、デスティン自身も色々な人に聞いてみたが、誰もサージェム島を
 知らなかったのだ。
 もちろん、ウォーレンにも聞いてみたが知らないと言う。
 ウォーレンの場合は、大木の根元で会った覚えもないというのだから、何もかもが
 夢だったのだろうかと思いさえしたのだ。
 しかし、ウォーレンはこうも言った。
 「世界は1つだけとは限りません。別の世界に住む私が、そしてアーウィンドという
  女性があなたと出会っていたのかもしれません。」
 
 「2ヶ月ほど前のことだそうです。教会を訪ねてきた女性がこの手紙を私に
  渡すようにと、庭師に言付けていったのです。私が受け取ったのはつい最近のこと
  ですが。」
 「どんな人だったか聞いていますか?」
 「頭からフードを被っていたので、良く分からなかったそうですが、わずかに見えた顔と
  髪の色を見て、庭師はてっきり、逃げ延びていた私が戻ってきたのだと思ったそう
  です。」
 デスティンは無言でうなずいた。
 
 「勇者へ…と書かれてあるので。」
 エウロペアから渡された手紙の表には、線の細い文字でこう書かれてあった。
 
  『生まれ共にし君から、運命共にし勇者へ』
 
 デスティンの胸に熱いものが込み上げてくる。
 ゆっくりと封の中身を取り出してみた。
 そこには1つの詩が書かれていた。
 
   夢に見ゆ かの地に白き雪の舞い降りる
   誰に聞く 勇ましき者の出ずる事を!
   故に聞く 猛き者の生まるる時、剣に投げうつ己の身
   時を越えしや これなる地にて
   生まれ出で 天に昇る日の下に
   白き雪の舞い降りる 暁の地サージェムのある
   永遠に思う かの日誓いし約束の人よ
 
 
 顔を上げるとデスティンは問いかけた。
 「…手紙を ……詩を、読まれましたか…?」
 「…はい。」
 「……どう思いました?」
 「内容は良く分かりませんでした。 その…… あまり、うまくはないような… 」
 少し困ったように答えるエウロペアに、デスティンは微笑みながら言った。
 「ありがとう。 この手紙は確かに私宛のものです。」
 
 
 
 運命に抗い続ける生き方もある。
 しかし、デスティンは運命を受け入れる道を選んだ。
 彼は決してそのことを後悔することはないであろう。
 燃えるように赤い髪の輝きが、その胸にある限り。
 

 
 
 
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