オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 君影草(きみかげそう)
 
 クァスとカラムはお互いの首根っこをつかんだまま、大地を転がっていた。
 時々、ペチっというような軽い音を立ててどちらかの拳が、どちらかの頬を打つ。
 どこでも見られるような、子供同士の他愛もない喧嘩だ。
 原因はきっと些細なことに違いない。
 二人ともそんなことは忘れて、ただ夢中になっていた。
 いい加減、くたびれてきて、どちらからともなく手をほどくと、
 大の字になって地面に寝転がった。
 
 いつもそうだった。
 いつのころだったか、友達になった二人は思いきり遊び、時には喧嘩をし、
 また仲直りしてはお互いの友情を確かめ合っているように見えた。
 いつも遊んでいる場所… 住む人がいなくなり朽ちた感じのする
 どこか荒涼とした大きな屋敷の中庭が、二人の縄張りだった。
 その縄張りに今日だけは特別なお客さんが現れたようだ。
 
 「ダメじゃないの。スズランのお花が痛いって言ってるわよ」
 
 二人だけの秘密の場所に誰かが来たというのに
 寝転がった二人はあまり驚くこともなく頭を上げて声のする方向を見た。
 極寒の国ハイランドにも少しばかりの夏が来る。
 1ヶ月に満たないその間だけは、日の光が心地よく体に染み込んでくる。
 そんな日の光の中、その声は自然に聞こえてきた。
 まるでサラサラとそよぐ微風のように心地よい声だったのが、
 二人の驚きを消してしまったのかもしれない。
 
 いつから、そこに居たのだろうか。
 崩れ落ちた中庭の石壁の上に一人の女性が足を投げ出して座っていた。
 真っ白なドレスをまとったその姿を、上体を起こしながら見上げる二人。
 逆光を受け淡く光をまとった乙女は、天上の妖精のように輝いていた。
 幼い二人はその姿を、永遠の時に刻み込んだ。
 
 「スズラン……?」
 クァスはどこかぼうっとした表情で見てみると、確かに自分たちの周りの
 白い花のいくつかは、ひしゃげてつぶれていた。
 今日に限らず、いつものことで気にしたこともなかった。
 (スズランって言うんだ、この花……)
 慌てて飛び起きると、クァスはどこか気まずそうに話しかけた。
 「ゴメンなさい。 …この花、お姉ちゃんのだったの?」
 「ううん、違うわ。 ちょっと前はそうだったんだけどね。」
 
 「もしかして、お姉ちゃん、ここに住んでいた人?」
 クァスに遅れて起き上がったカラムが、眩しそうな目で問いかけた。
 「そうよ。」
 ニコっと笑いかけたその笑顔は、それでもどこか寂しげだった。
 「綺麗な花でしょ? 喧嘩するのなら、こっちへいらっしゃい。」
 そう言われてお互いを見つめたクァスとカラムだったが、
 悪戯をしかられたような、なんだかバツの悪い気持ちだった。
 「……もう、いいんだ。 ……でも、そっち行ってもいい?」
 「いいわよ。」
 
 純粋に美しいもの、美しいと意識せずにそれをありのままに受け止めるのは
 子供しかできないのかもしれない。
 二人はスズランをできるだけ踏まないように気をつけながら、
 ごく自然に、この一人の美しい女性の元へ歩み寄り、隣に腰掛けた。
 「ぼく、お姉ちゃんのこと知ってるよ。 エンドラっていう名前でしょ?
  このお屋敷は、王様が昔住んでいたって聞いたことあるんだ。」
 「よく知ってるわね。」
 そう言うと、今にも折れそうに細い手でカラムの頭を撫でてあげた。
 クァスが驚いたような顔をしているのを見て、カラムはちょっと得意気だった。
 
 「あ、あの、えっとね。ぼくも…… その」
 取り残されたような気持ちになって慌てて続こうとしたクァスの頭を、
 もう片方の手で優しく撫でながら、エンドラはニッコリ微笑んだ。
 急に頭が熱くなってきて、クァスの顔は真っ赤になった。
 「クァス、おまえ顔真っ赤だぞ〜 あ〜、お姉ちゃんのこと好きなんだろう〜」
 「ち、違うよ。 赤くなんかなってないよ!」
 「うふふふふ お姉さんのこと嫌いなのかしら?」
 顔をのぞき込むように聞かれて、クァスはさらに真っ赤になりながら答えた。
 「ち、違うよ。 そ、その… 好きだよ。」
 「うふふ、ありがとう。」
 コチンとおでこにおでこをぶつけられて、クァスは恥ずかしさでいっぱいだった。
 
 「ぼ、ぼくもお姉ちゃんのこと、好きだよ!」
 今度は慌ててカラムが大きな声をあげた。
 エンドラの手がその頭を抱え込んでくれると、カラムもちょっと恥ずかしかった。
 女の子が女になるのは男の子よりも早いと言うが、
 男の子もそれなりに、男としての意識を日々成長させているのかもしれない。
 
 「あ、あの〜 お姉ちゃんは、ここに戻ってきたの? 王様も一緒?」
 話題を変えようと、カラムは何気なく聞いた。
 それは本当に聞きたかったことなのかもしれない。
 
 一瞬、時間が止まったかと思うような沈黙があった。
 
 「………王様は死んじゃったの。 ……今日はね、思い出とお別れに来たのよ。」
 「……王様、死んじゃったんだ……。」
 「じゃ、じゃあ次の王様は、もしかしてお姉ちゃんなの?」
 「そうね、やっぱり次の王様は私なのかしら…………」
 そう言うと、エンドラは抱えた膝の間に顔を埋めて動かなくなった。
 
 すすり泣くような声が膝の間から聞こえてきた。
 かすかに上下する肩の上で、プラチナブロンドの髪がサラサラと揺れていた。
 わずかに顔を上げたエンドラは小声でつぶやいた。
 「……怖いの…… お姉ちゃん、怖いんだ…… 本当に王様なんてなれるのかな…」
 どうしたらいいのか分からず、お互いを見るだけだった二人も、
 その切実な声に、子供心にエンドラが困っているということだけは分かった。
 
 「…お父様も、お母様も死んで、私には兄弟もいない……
  ……お願い……… だれか…… たすけて………」
 苦しそうに言葉を吐き出したエンドラの瞳には大粒の涙がたまっていた。
 その涙には無数の花を吊り下げたスズランが映り、白く輝いていた。
 
 「ぼくが騎士になって守るよ!!」
 「ぼくがお姉ちゃんを助けるよ!」
 クァスとカラムはほとんど同時に立ち上がっていた。
 年齢なんて関係ない。困っている女性を見て助けずに見捨てられるはずがない。
 二人は男なのだ。
 
 真剣な表情で自分を見つめている二人を見ると、エンドラの心にぽっかりと
 開いた穴が、心なしかふさがっていくようなそんな気がした。
 手の甲で涙をぬぐうと、懸命に笑顔を浮かべて笑いかけた。
 「……きみたちの名前を教えてほしいな。」
 「カラム・フィガロっ!」
 「クァス・デボネアっ!」
 二人の声は、別人のように自信に満ちていた。
 
 まだ涙のあとを残しながら、エンドラは二人に向かってしっかりと言った。
 「フィガロ将軍、デボネア将軍、あなたたち二人は今日からスズラン騎士団の
  騎士として、エンドラお姉さんを守るために戦ってください。いいですか?」
 「え〜!? ス、スズラン騎士団なんて嫌だよぉ〜!」
 カラムはそれまでの勢いはどこへやら、ぷくぅ〜っと膨れっ面をした。
 「騎士…… 将軍かぁ……」
 クァスはまんざらでもなさそうな表情で握り締めた木の枝を高く掲げた。
 「うふふふっ… あはははっ……」
 無邪気な二人を見るエンドラの顔にもようやく無邪気な微笑が浮かんでいた。
 その笑顔を浮かべたのは、自分たちだと思うと、クァスとカラムは
 騎士として、何か一仕事やり遂げたような気分になって、一緒に笑っていた。
 クァス・デボネアとカラム・フィガロはこの日、騎士となった。
 
 「ここにおいででしたか。笑い声が聞こえるまで分かりませんでしたよ。」
 笑いあう三人の間に四人目の客人がやってきた。
 「エンドラ様、出発の準備が整いました。」
 「わかりました、ヒカシュー。 すぐに行きます。」
 エンドラは二人の騎士の頭を抱きかかえると、明るい声で話しかけた。
 「ごめんね、お姉さんちょっと行くところがあるんだ。
  帰ってきたら、また私のこと、守ってくれるかな。」
 化粧気のないエンドラの顔を間近に見て、鼓動が早くなるのを感じながら
 クァスとカラムはうなずいた。
 「任せてよ。騎士として"ちゅうせい"を誓います!」
 「…ちゅ、ちゅう…せい? ってなんだよ。」
 クァスがカラムを突っ突いたが、カラムも意味は分かってなかった。
 「こういう時は、こう言うもんなんだよっ!」
 
 
 屋敷の前にはいつの間にか、豪華な四頭立ての馬車が止まっていた。
 その周りを騎馬や徒の大勢の騎士たちが守るように囲んでいた。
 エンドラを見送りにきたクァスとカラムはその光景を見て驚いていた。
 馬車に乗り込む白いドレスを見上げながら、たたずんでいると
 背後から大きくゴツイ手が二人の頭をつかんだ。
 振り返ると、先ほどエンドラを迎えに来たおじさんだった。
 「エンドラ様は思い出を捨てた代わりに笑顔を手に入れた。ありがとう。」
 ギュッと手に力が込められ、少し痛かったが悪い気はしなかった。
 
 一行が遠く見えなくなるまで、じっと見つめていた二人の顔は立派な男だった。
 
 
 
 
 ヒカシューは後悔していた。
 目立たぬよう、なるべく少数精鋭で部隊を組み、裏街道を通ってきたのに
 待ち伏せはいた。おそらく内通する者がいたのだろう。
 両脇を森林に覆われた狭い街道に突如現れたのは、紅蓮の炎を吐く
 5匹のドラゴンだった。 人間はいない…
 ドラゴンであれば万が一、しくじっても何の証拠も残らない。
 何らかの方法でドラゴンたちの怒りを買い、あとは先導してくれば
 必然的にドラゴンはこの部隊を襲うことになる。
 まんまとその戦法にはまってしまった。
 
 不意打ちを食らった段階で、灼熱の炎が馬車を引く馬を焼いてしまった。
 馬車が焼かれなかったのは幸運としか思えなかった。
 白いドレスを埃にまみれさせながら、エンドラは騎士たちの先導で逃げていた。
 圧倒的なパワーで迫るドラゴンに対して、騎士たちは劣勢を強いられた。
 精鋭と言っても人間相手なら…という条件付きだ。
 ドラゴンを倒すには基本的に、全く別の戦闘術が要求されるのだ。
 
 かろうじてドラゴンを食い止めているのはヒカシューのみだった。
 部隊の半分が戦えない状態になりつつあるが、ようやくヒカシューは
 1匹目のドラゴンの首を斬り落としたところだった。
 エンドラまでの距離がかなり開いてしまっている。
 白いドレス姿を見つけたとき、正にドラゴンの鋭い爪が振り下ろされた。
 
 エンドラは横から激しく押され地に倒れた。
 振り向いたその目に映ったのは、ドラゴンの爪で胸元をえぐられた僧侶だった。
 その穴から激しく血が噴き上がった。
 たちまち、エンドラのドレスが深紅に染め上げられた。
 数人の騎士が駆けつけ、ドラゴンと渡り合っている間に、
 エンドラは無我夢中でその僧侶の体を引きずっていった。
 
 急速に失われていく命の中、僧侶は懸命に笑顔を作って
 今にも消えそうな声でつぶやいた。
 「……エ… ンド……ラさ…ま…」
 「……あなたの名前は?」
 「ラ、…ラウ……ニィ………」
 激しく首が振られ体が急に重くなった。
 消えゆく僧侶の体を抱きしめ、エンドラは涙をこらえて泣いていた。
 君主たるもの、簡単に涙を流せはしないのだ。
 「ありがとう、ありがとう…」
 
 ヒカシューが2匹目を倒した時、残る騎士は10人にも満たなかった。
 「こ、ここまでか……」
 不屈の精神を持つヒカシューが諦めかけた時、森から一塵の風が吹いた。
 いや、風が吹いたとしか思えないような速さで、一人の男が飛び出したのだ。
 その男が禍禍しい光を宿す剣を取り出すと、ドラゴンに怯えの気配が動いた。
 恐怖は逆に猛攻を生む。ドラゴンは灼熱の炎を浴びせた。
 しかし、その男は猛火を剣で斬り裂くと、疾風のごとく踏み込み、
 ドラゴンの首を斬り落としていた。
 鈍い音を立てて首が地面に落ちる音がする。
 その音が3つ聞こえるまでに、さほどの時間はかからなかった。
 
 
 「大丈夫か? ……とは言えぬようだな。」
 瞬時にしてドラゴン3匹をしとめた男が、ヒカシューに声をかけた。
 かなり使い込まれた感じの鎧を着込んだ騎士の肌は褐色だった。
 
 「助かった。礼を言う。 凄まじい。ドラゴンスレイヤーとはこれほどのものか。」
 「まだまだ、修行中の身だ。 偶然通り合わせたが少し遅かったようだな。」
 「その剣は妖剣だな。」
 「持っているだけで毎日が戦いのようなものだ。気を抜くと剣に支配される。
  成果は天竜の血を浴びても呪われなかったことで充分、果たされたがな。」
 
 ドラゴンスレイヤー… 騎士の中の騎士。ドラゴンをも一撃で仕留めると言う
 その力量は、その数が少ないだけに実感できる機会はあまりない。
 ヒカシューもこれまでに何人か見たことはあるが、これほど常軌を逸した強さを
 見たのは初めてだった。
 
 二人の騎士が言葉を交わしているところに、鈴のような声が割って入った。
 「見知らぬお方、ありがとうございました。」
 振り向いた男の目に入ったのは、深紅のドレスを着た麗人だった。
 しっかりした声をかけてきた女は、しかし顔面蒼白となり震えていた。
 元々、色白なのだろうが、血を浴びたドレスに浮かぶその姿は
 凄愴でありながらも、純粋に美しかった。
 一瞬、言葉を失った男は、それでも黙って礼を返した。
 それが精一杯だった。
 
 エンドラは黙って男を見つめ続けていた。
 男は慣れたといった感じで、言葉を交わした。
 「褐色の肌の騎士は珍しいですか。」
 
 極寒の地、雪を浴びているからなのか、ハイランド人は押しなべて色が白い。
 戦士は多くの地を旅してきたのだろう。
 その中で、褐色の肌は好奇の目で見られたに違いない。
 強ければ強いほど。
 その強さよりも、肌の色の珍しさから、高額の手当てで彼を雇おうとした
 上流貴族も実際、多かったのだ。
 
 「この地よりライの海を越えたガリシア大陸に住むというボルマウカの民だな。」
 ヒカシューがエンドラに説明するように男に尋ねた。
 男は黙ってうなずいた。
 「ボルマウカの民は肉弾戦を得意にし、その肉体こそを誇りとすると聞いたが?」
 「どこにも、はみ出し者はいる。肉弾戦には限界がある。
 私は強くなりたいのだ。だから騎士となる道を選んだ。」
 男はその言葉を聞かせると、行き先があるとでもいうように歩き出そうとした。
 
 「すでに充分の腕前と見受けるが、貴公の向かう道はいったい?」
 まだ聞き足りないのか、ヒカシューは言葉を続けた。
 足を止めた男が振り向いた。
 「貴公は格式ある家柄の騎士と見受けるが、私を騎士として扱ってくれるのだな。」
 「無論。貴公はそれに値する。騎士道とは心の道だ。」
 
 ようやく微笑を浮かべ、男は驚くべきことを話した。
 「私は天空の三騎士を探している。 …知っているか?」
 「……伝説ではゼノビアの上空に住まうと聞くが。」
 「ならば私はそこに向かう。」
 「向かって何とする?」
 「私は彼らと戦いたいのだよ。」
 「強さを求めるためにか?」
 
 男は大きく息を吐くと真剣な眼差しで答えた。
 「私は彼らの心が知りたいのだ。竜牙のフォーゲル、最強と呼ばれる竜騎士の心。
  氷のフェンリル、女性ながら頂点を極めた彼女の強さと慈愛の心。そして……
  私と同じくボルマウカ人でありながら、騎士を目指した赤炎のスルストの心。」
 「…………貴公は恐るべき男だな。」
 「単に変わり者なのだよ。」
 
 ヒカシューと言葉を交わしている間も、エンドラは瞬きもしてないかのように
 褐色の肌の騎士を見つめていた。
 男も視線に気付いていた。そしてその視線が好奇ではないことも感じていた。
 それは何かの決意を秘めた真摯な眼差しだった。
 騎士として仕えるならば、このような瞳を持つ者ではあるまいか。
 
 「話しすぎたようだ。 ……感謝する。ゼノビアに向かってみるよ。」
 踵を返し歩み去ろうとするその足をエンドラの言葉が呼び止めた。
 「あなたは騎士ではありません。騎士とは誰かを守るべき者ではありませんか?」
 「…………………」
 「私の名はエンドラ。 ……待っています。あなたが私を守りに来てくれることを。」
 
 黙って歩き始めた男の後ろ姿が遠ざかっていく。
 街道に消える影… だが、その声は確かにはっきりと言った。
 「我が名はデニス。 デニス・ルバロン。
   ……騎士の名誉にかけてあなたを守りに戻ってくる。」
 
 
 
 
 次の王を決めるための会談は既に始まっていた。
 いや、終わろうとしていると言ってもいい。
 
 五賢者の力により五王国に集約統治されたゼノビア大陸の治世。
 ハイランド地方を任されたのは、貴族の中で大勢力とは言えぬエンドラの父だった。
 そのカリスマ性と人民に対する慈愛の心を買われたのだ。
 しかし、その王は10日前に亡くなった。
 谷底で発見された馬車は、原型もとどめぬほど押しつぶされていた。
 事故でないのは明白だったが、今はそれを詮索することができない。
 それほどプレヴィア家の勢力が増大していた。
 
 元々、ハイランドの王が選出される際に、名門貴族であるプレヴィア家の当主を
 推す声は高かったのだが、その時には五賢者の一人、ラシュディの一声により
 プレヴィア家は一貴族として、王を補佐する立場に甘んじたのだ。
 その後、暗躍を続けたプレヴィア家の工作は今まさに実を結ぼうとしていた。
 わずか18歳の女性、エンドラが前王のあとを継ぐ可能性は低かった。
 
 この日、上都ザナドュで行われる会談にはハイランドの諸侯が集まっている。
 候補とされる数名の中から次代の王を選ぶことが目的だ。
 プレヴィア家の当主は初老の域に達しているので、その息子である次期当主、
 アルフィン・プレヴィアが実質的な候補といえた。
 対抗できるのは前王の娘エンドラただ一人というのが実状だった。
 
 カリスマ性の高い前王の娘であるエンドラがなぜ、こうも窮地に立たされたのか。
 北方の大国ローディスがハイランドの地を、さらにゼノビア大陸全体を
 狙っているという情報を、声高に言い続けていることがその原因と言えた。
 情報源は確かなものだったが、目に見える証拠はない。
 パラティヌス王国も属国的な扱いは受けているものの、侵略されたという程の
 感じはしなかったのが、プレヴィア家の付け入る隙となった。
 あらぬ噂を吹き込む者として異端者扱いをはじめたのだ。
 それでも、前王の政治を知る者は、肩を持とうとしたが、肝心の本人が
 死亡したとなると風向きは変わってしまう。
 どの貴族も保身のためには、プレヴィア家に従うしかないのだった。
 
 会談に向かうエンドラ一行をドラゴンに襲わせたのも十中八九、
 プレヴィア家の陰謀に違いない。
 エンドラを殺せれば良し。よしんば失敗しても会談に間に合わなければ
 後継者に選ばれないのは自明の理と言えた。
 
 予定された会談の時間が終了するまで、あとわずかという時、
 ようやくエンドラはその寺院にたどり着くことができた。
 馬車も鞍付きの馬もほとんど焼かれ、荷駄を引いていた裸馬に
 ヒカシューがまたがり、その後ろに乗せられ、近習の者達を含めて
 わずか六名でたどり着いたのだ。
 何かを決意した執念かもしれない。
 プレヴィア家が強行手段、暗殺に出た時には後は残されていないのだ。
 
 寺院の門をくぐったところで、一行を待ち受けていたのは、他ならぬ
 次期当主のアルフィン・プレヴィアだった。
 「おやおや、今ごろのこのこ現れるとは… 尻尾を巻いて逃げたと思いましたよ。
  それに何です、その薄汚れた格好は。今日の場を分かっているのですか?」
 
 見ればエンドラのドレスは血と泥にまみれ、とても会談に臨むものには見えない。
 対してアルフィンは真新しい赤の甲冑に、正装としてガウンを羽織った
 立派ないでたちであった。同じ赤でも輝きが違う。
 違うはずなのだが、アルフィンは自分の言った言葉とは裏腹に、
 深紅のドレスをまとったエンドラを食い入るように見つめていた。
 人の目を惹きつけてやまない、高貴さ、純粋さ、威厳さえ感じられた。
 争うことを知らないはずの乙女は、今日1日で別人と化していた。
 少なくても、今までアルフィンが知っているエンドラとは別人だった。
 
 「そこを、おどきなさい。」
 凛と言い放つエンドラはアルフィンにとって危険な存在だった。
 会談の場に入れてはならない。
 本能的にそう感じた。
 そして、もうひとつの感情が男を動かした。
 (………美しい。)
 
 次期王候補の二人の間に、一騎士が口をはさむ余地はない。
 焦りながらも、一歩さがって成り行きを見守っていたヒカシューは出遅れた。
 騎士としても卓越した能力を持つアルフィンは、素早く歩み寄るや、
 泥に汚れたエンドラの頬を押さえながら、その可憐な唇に己の唇を重ねていた。
 それだけでなく、舌を絡ませようと挿し入れた。
 純粋な欲望だけでなく、ここで辱めることで会談に参加させない…
 そこまでの計算を瞬時にしたのは計略家たるアルフィンならではだ。
 
 ヒカシューが後先考えず、「斬る」という決意を持って飛び出そうとしたが、
 寸でのところで、ヒカシューは飛び出さずに済んだ。
 アルフィンは口元を押さえて、後ずさっていた。
 押さえた指の間からもれた血が、手の甲を赤々と染め、地面に滴っていた。
 アルフィンの舌を噛み千切ったエンドラの唇は、いつもよりも赤く染まっていた。
 雪のように白い肌に浮かぶ赤い唇はどこまでも美しかった。
 
 何事もなかったかのように、黙々と進むエンドラの横にヒカシューが続く。
 これで精神的には同じ舞台に立てた。
 
 激痛に苦しみながらも、アルフィンはエンドラを追う目を離せなかった。
 (……ククククク 美しい。 あの女、必ず俺のものにしてみせるぞ……)
 妄執にとらわれた、その目は怪しく輝いていた。
 その目に映る小さな後ろ姿は、どこまでも美しかった。
 
 
 
 
 会談の結果、新たなハイランドの王はエンドラと決まった。
 会談の場に現れたエンドラの深紅のドレス、深紅の唇を見た時、
 全ての者が、その美しさに魅了された。
 この女性に従い、この国を繁栄させることこそが至上の喜びではないのか。
 その時点で、勝負は決まったと言っても過言ではなかった。
 それでもなお、野望に燃えてアルフィンを押そうとする者もいたが、
 ここで意外な後押しが入った。
 
 エンドラとヒカシューにわずかに遅れて会談の場に現れた男は、
 魔導士風の若者を従えていた。
 この場にいる者、全てがその目を疑った。
 それは遠くゼノビア城にいるはずの賢者ラシュディであった。
 ラシュディは数年前に自らが推した王の娘を今度も推した。
 それは決定的な後押しと言えた。
 
 会談の席を離れ人目がつかないところに来た途端に、
 エンドラはフラフラとよろめいた。
 かろうじてヒカシューがその身を支えたが、エンドラの顔は憔悴しきっていた。
 「………疲れました。」
 「見事でした。エンドラ様。ゆっくりとお休み下さい。」
 ヒカシューの腕の中で、安心したように目を閉じたエンドラの体は、
 女王と呼ぶにはあまりにも脆い華奢な体だった。
 なぜか、ヒカシューは熱いものが込み上げて来るのを覚えた。
 
 この女王を守るには、自分一人の力では足りない。
 ハイランドの諸侯がいくら支持しても足りない。
 真に忠誠を誓う屈強な騎士の存在が不可欠なのだ。
 前王が死去するのと前後して、ヒカシューは赤子を授かった。
 玉のように可愛い赤子だったが、惜しむらくは女の子だったことだ。
 男であれば、騎士ともなり、エンドラを守る存在にもなれたろうに。
 そんなヒカシューの気持ちを知っているかのように、
 エンドラは、かすかに目を開いた。
 
 「……ヒカシュー、頼まれていた赤子の名前が決まりました……
  ラウニィーです。きっと素晴らしい騎士になりますよ…」
 一言だけ言うと、エンドラは今度こそ深い眠りに落ちた。
 ヒカシューはあふれてくる涙を押しとどめることが出来なかった。
 何があっても、この方を守っていこう。
 ヒカシュー・ウィンザルフの全てをかけても悔いはない。
 
 
 
 
 玉座の前に二人の若い騎士がひざまずいていた。
 ここまでの道のりは決して長くはなかった。
 あくまで将軍という肩書きへの道のりとしては。
 しかし二人にとって、その女性の姿を間近に見れない日々は
 果てしなく長かったようにも思えた。
 
 士官学校をトップの成績で卒業し、戦場でも目覚しい活躍を
 繰り返したクァス・デボネアとカラム・フィガロの二人は、
 24歳という若さにして今日、将軍に任命されたのだ。
 「今、各地で反乱軍が蜂起している。ルバロン将軍、プレヴィア将軍に続き
  将軍となり、それを沈められる人物は、お前たち二人しかいない。」
 玉座の横に立つ大将軍ヒカシューの言葉を聞きながらも、
 クァスは大きな衝撃を受けていた。
 これほどの距離でエンドラを見ることができたのは、いつ以来のことか。
 思えばあの日、スズランの花が咲く中庭での出会い以来ではないか。
 
 王を決めた会談の後、急速に進んだ改革の中で、エンドラは
 二人にとって果てしなく遠いところへ行ってしまったのだ。
 士官学校を卒業し、正式に騎士団の一員となっても、
 遠目で見れる機会こそあれ、これほどの距離で会える機会はなかった。
 18年前の記憶を鮮明に覚えているクァスの目の前にいるのは
 漆黒の服を着て、同じく漆黒のマントをまとった女性だった。
 肩口から腕にかけては白骨のモチーフまで施されていた。
 全身から噴き出すオーラは禍禍しい雰囲気さえも醸し出していた。
 
 (まるでクロユリじゃないか、これがあのエンドラ様なのか)
 自らの記憶の中のエンドラは正にスズランそのものだった。
 はかなく、可憐で、純粋な、どこまでも白く美しい姿だった。
 自分の思いは幻想だったのだろうか。
 そう思うしかないような、あまりに大きな衝撃だった。
 (カラムはどう思っているのだろうか)
 チラリと見てみたが、カラムは微動だにせず、大将軍の言葉を聞いていた。
 
 どこか虚ろな視線で二人を見下ろしていた女王が、
 何か気になることでもあったのか、急に玉座を降りて近付いてきた。
 「それは何だ?」
 エンドラが示したのは、二人が今日の日のために新しく作った鎧の
 胸の部分に目立たないように刻まれた、一輪の花の模様だった。
 
 「スズランで御座います。」
 カラムは臆せずに答えた。その目がエンドラの目を捉えた。
 クァスもエンドラの目を見ていた。
 
 「…………大きくなったな。」
 エンドラはかすかに微笑んだ。それはほんの一瞬のことだった。
 
 (……忘れていなかった。エンドラ様は覚えていてくれた)
 クァスの胸に熱いものが込み上げてきた。
 しかしエンドラは続けてこう言った。
 「スズランは全て、戦火に焼かれた。もう咲きはしない……」
 
 「はるか東の国では、この花を"君影草"と呼ぶそうです。
  あなたを君主と仰ぎ、影となり、1本の草として尽くす覚悟です。」
 カラムがそう返した。
 それで、この日の任命式は終わった。
 エンドラは振り返ることなく、どこかに去っていった。
 どんな顔をしていたのだろうか?
 クァスはそれがたまらなく見たかったが、見たくないような気もした。
 
 
 「お前があんなシャレた言葉を言うとは思わなかったよ。」
 玉座の間を離れた後、クァスはつぶやいた。
 カラムは黙って歩いていた。
 しばらく歩いた後、クァスは沈黙に耐えかねたように、もう一度つぶやいた。
 「エンドラ様、変わったな……」
 
 クァスより少し先まで歩いて、カラムは振り向いた。
 「……"君"の本当の意味は、"思いを寄せる人"だ。
  俺などより、お前の思いにこそふさわしい。」
 クァスは黙ってカラムの目を見ていた。
 
 「俺は何があろうとあの御方を君主と仰ぎ忠誠を誓う。それが全てだ。」
 カラムはそう言うと、また歩き出した。
 クァスは動くことが出来ず、いつまでもそこに立ち尽していた。
 
 花の名前にも言霊が宿ると言う。
 スズランは何だったろうか。
 幼い時、憧れに突き動かされ調べたことがあった。
 スズランの意味するところは「幸福を手に入れる」だったか。
 同じ書物の同じページに載っていた花の言霊もなぜか覚えていた。
 漆黒の花、クロユリの意味するところは「呪い」だった。
 
 沈んでいく夕陽に照らされ、長い影が廊下に伸びていく。
 任命式で授かった剣、ソニックブレードの影がその影を斜めに貫く。
 それはクァスの心そのものを貫いているように見えなくもなかった。
 
 
 
 デニス・ルバロン
  帝国軍将軍。四天王の筆頭騎士として誰からも畏怖される。
  騎士としての"名誉"をかけて、女帝を守り続け、
  クリューヌ神殿にて、同じボルマウカの戦士スルストにその胸を貫かれる。
  妖剣ビゼンオサフネを託し、この地に眠る。
  享年51歳。
 
 アルフィン・プレヴィア
  帝国軍将軍。ハイランド名門貴族に生まれたエリート。
  暗黒道に魅入られ会得した力により魔法剣士と呼ばれる。
  "妄執"を行動原理とし、女帝のために戦った。
  ゼノビアの王妃フローランを幽閉、殺害したのち、
  トリスタン王子が奮うブリュンヒルドで首を断たれた。
  享年48歳。
 
 カラム・フィガロ
  帝国軍将軍。わずか24歳にて将軍に任命される。
  誠実な態度で誰とも接し、誰からも尊敬された。
  友情よりも"忠誠"を選び、極寒のガルビア半島にて、
  友の剣により命を絶たれる。
  将軍任命のおり拝領した愛剣デュランダルを友に託して。
  享年32歳。
 
 クァス・デボネア
  帝国軍将軍。若く血気にあふれた名将。
  "憧憬"の心を忘れずに女帝のために戦ったが、
  それゆえに真実に目覚め、後に反乱軍に加わり反旗をひるがえし、
  ゼノビア、ガリシア大陸の平和のために戦い続けた。
 
 ヒカシュー・ウィンザルフ
  帝国軍大将軍。軍の全権を支配し恐れられた戦士。
  "信念"を持ち、常に女帝を守り続けた。
  騎士として立派に育った娘ラウニィーと心ならずも刃を交え、
  思い出の地、上都ザナドュにて命の炎を消した。
  享年59歳。
 
 エンドラ
  黒き女帝。全ての者の憧れであり、恐怖の対象として君臨。
  かつては花のように美しかったという。
  反乱軍に破れ、激動の生涯を閉じる。
  享年46歳。
 
  ただ一人、生き残った四天王クァス・デボネアの手によって、
  そのなきがらは、古びた屋敷の中庭に埋葬された。
  君影草と呼ばれる白い花が、可憐に咲き誇るその庭に。
 

 
 
 
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