オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 石の花園
 
 かすかに水滴の落ちる音が聞こえる……
 漆黒の闇の中、それは意外に大きく響き渡った。
 そしてもうひとつ、聞こえてくるものが。
 それは声のようであったが、恨み辛みがこもったように不気味なものであり
 到底、人間のものとは思えなかった。
 「……聞こえる フフフ…… 近づいてくるわ」
 声が聞こえてからさして時間を置かずに、重い石の扉が開く音がした。
 
 
 
 
 レイチェルは秘宝探索の特殊部隊に選ばれて良かったと思った。
 
 ネオ・ウォルスタ解放同盟を取り込んだウォルスタ解放軍の進行は
 目を見張るものがあり、バクラムの前線が次々と崩壊している。
 10日ほど前にフィダック城が落城した。
 バクラムにとって残りの防衛線と言えば、暗黒騎士団が根拠としている
 バーニシア城の他には待ち伏せに使えそうな場所さえなかった。
 バーニシアを抜けられれば後は首都ハイムが攻められるのも時間の問題である。
 
 事ここに至って、バクラムの実権を握る司祭ブランタは、窮余の策とも思える
 幻の力の探索命令を矢継ぎ早に下した。
 かつてブリガンテスのロデリック王が使い、荒廃を呼び起こした禁呪。
 古代に一大文明を築いたという高等竜人が残した竜言語魔法。
 手にしたものは最強の力を得るという秘宝「ファイアクレスト」。
 
 存在するかどうかも分からないそんなものにしか頼れない……
 暗黒騎士団との共闘がうまくいってないとも聞く。
 国が滅びる時は得てしてそんなものなのかもしれない。
 しかし、バクラム軍に入隊したばかりのレイチェルにそんなことが
 分かるはずもなかった。
 
 バーニシア、ハイムを守るためには熟練した戦士たちは必要不可欠だった。
 必然的に探索の役目は老いた戦士と新兵に言い渡された。
 老魔法使いヴェパール率いる「ファイアクレスト探索部隊」に選ばれた時、
 その中に恋人のデッカードがいただけで、レイチェルは満足だった。
 
 出発する時に兄ヴェルマドワはこう告げた。
 「私は騎士だ。何があろうと最後まで騎士であり続けねばならない。
  だがお前はまだ騎士とは呼べぬ…… デッカードもそうだ。
  往くべき道を2人で見つければいい。時には流れに身を任せろ。
  ……生きろ。 そしていい女になれ。」
 
 今思えば、あれは別れの言葉だったのかもしれない。
 本国にいたレイチェルは、前線の戦況を理解していなかった。
 いざ探索に出発してみると、目標の死者の宮殿にたどり着くまでの間には
 ウォルスタ軍の斥候部隊との接触はもちろんのこと、野党にまで襲われた。
 バクラムの権威もそこまで堕ちていたのか……
 初めて兄の言葉の意味が理解できた気がした。
 
 厳しい現実に直面したが、その戦いの中でデッカードは懸命に
 レイチェルを守りながら戦ってくれた。
 レイチェルは秘宝探索の特殊部隊に選ばれて良かったと思った。
 
 
 
 異様に冷たい空気に身震いした。
 しかし真に震えたのは空気の冷たさよりは、
 そこに居るべきはずはない、一人の少女の姿を見たからかもしれない。
 その少女はどこにでもいるような普通の姿をしていた。
 ……ここが死者の宮殿でさえなければ。
 
 エクシター島の火山の噴火により出現した迷宮は、
 不定期に出現する迷宮として、古来より書物に残されていた。
 その中にはファイアクレストに関する記述もあり、
 それを頼りにここまでやってきたのだ。
 
 「……愛しき人のため ……死ぬがいい!!」
 そう一言呟くと少女はたちまち悪魔に変化した。
 頭髪は全て不気味にうごめく蛇、下半身も巨大な蛇のようにうねっていた。
 同時に現れた無数の魔物… 不死の世界の魔物たちが襲いかかってきた。
 
 戦いは熾烈で混乱を極めた。
 姉ファルファスが愛用する武器、凍てついた戦斧を振るいながらも
 デッカードは疲れていた。
 倒しても倒しても甦ってくるアンデッド達。
 自分とレイチェルばかりに敵が群がるような気さえした。
 しかし、そんなことを気にしている余裕などあり得るはずがなかった。
 
 レイチェルも懸命に矢を放ち戦っていたが埒があかない。
 蛇女と化した少女、あれがリーダーに違いない。
 なんとか倒さなくては……!!
 激戦の中、ようやく隙を見つけ矢を放った!
 しかし、無情にもその矢は頭髪の蛇達に食い千切られてしまった……
 次の矢、次の矢を放たなくては。
 しかし背に回したレイチェルの手は空を切るばかりだった。
 すでに矢は尽きていたのだ。
 
 近付いてきた蛇女は、血も凍るような声で告げた。
 「綺麗な顔をしているじゃないか…… ウフフ、花にしてあげるよ」
 その眼が緑色の光を増していく。
 逃げなくては… しかし体が言う事を聞かない。
 「死ねぃ!!」
 
 闇のエネルギーが迸る一瞬、銀の甲冑がその姿を遮った。
 「グワァァァァッ!!」
 うめき声をあげたのは聞き覚えのある声、デッカードだった。
 全身から血を噴き出しながらも、間一髪救出に駆けつけてくれたのだ。
 しかし、レイチェルはすぐに異様な様子に気づいた。
 銀色なのは甲冑だけではなかった。
 彼の顔までもが銀色に変わっていくのを見た。
 頭の先から石へと元素転換が始まっていたのだ。
 そんなことはレイチェルには分からない。
 分からないけど、叫ばずにはいられなかった。
 「デッカード!!」
 「く、来るな……!」
 まだ肌色を留めている口元がかすかに動いているのが見えた。
 
 必殺の石化攻撃をしかけた蛇女は、しかし動きを止めていた。
 その眼にはデッカードとレイチェルの姿が映っていた。
 かすかに震える声が、人の名前を刻んだ。
 「……ヒョ …ウ…… ガ………!?」
 
 最後の力を振り絞ってデッカードは凍てついた戦斧を振り回した。
 時間が止まったように見えた。
 うごめく蛇の塊のようなものが石床に転がる。
 見上げるレイチェルの眼の前には、斧を振るう勇者の像があった。
 
 
  山吹色の花々が咲き乱れる静かな花園……
  穏やかな陽光に包まれ、二人は幸せだった……
  いつまでもそんな日が続いていく……
  そんなささやかな望みでさえも叶うことはないというの……
 
 
 「……いや、いやよ、そんな… イヤァァァァァァッッッッ!!!!」
 無我夢中で石像を抱きしめる。
 冷たかった。ただひたすらに冷たかった。
 喪失感が溢れてくる。絶望的な喪失感が。
 その胸を叩き、涙を流し、嗚咽をもらした。
 どんなに嘆こうが、悲しもうが、石像はどこまでも冷たかった。
 
 
 強大な魔法ではあるが、詠唱するには長時間を要する。
 ヴェパールが神聖魔法を唱えたのは戦いも後半だった。
 スターティアラで放たれた星々の欠片が消えていくと、
 抵抗を続けていたアンデッド達の姿は綺麗に消えていた。
 
 「デッカードなのか!?」
 仲間の一人がすすり泣くレイチェルの傍らに立つ石像を見て
 驚きの声をあげた。
 すぐさまリバイブストーンを取り出して、その粉を浴びせた。
 その成分は石化された生けるものを元の姿に戻すことができる。
 しかし、石像は一向にその姿を変えようとはしなかった。
 「お、おかしいぞ…… なぜだ?」
 
 「妄執だよ」
 探索隊のリーダーである老魔法使いはボソリと呟いた。
 「あの蛇女、とんでもない執念の持ち主だよ。
  普通の石化なら生命活動を奪うだけで灯火までは消せやしない。
  けど、その像は心まで石にされちまってる。元には戻んないよ。」
 「それでは、デッカードは……」
 「あきらめな。さあ先を急ぐよ。」
 「し、しかし、レイチェルが……」
 「足手まといだ。置いてきな。いいかい妙な情けは無用だよ。
  ここは戦場なんだ。運が良けりゃ生き残れる。運が悪けりゃ死ぬんだよ。
  グズグズしていると、帰る国もなくなっちまうよ。」
 「……………」
 
 考えようによってはもっともと言える言葉を残すと、
 ヴェパールはさっさと地下4階への扉を探し始めた。
 さして時間も空けず隠し扉が見つかると、探索隊は先を急いだ。
 延々すすり泣き続けているレイチェルのそばには、
 仲間が残していった一つの手燭の炎だけがゆらゆらと揺らめいていた。
 
 
 
 「残念だったわね、あとたった13人だったのに……」
 どれほど時間が過ぎただろうか。
 手燭の炎も燃え尽きようかという時、暗闇の中に1つの影が浮かんだ。
 
 「そんなにその男が恋しいのかい?」
 虚ろな表情で顔をあげたレイチェルの前に1人の女が立っていた。
 白いガウンをまとったその姿は、わずかな炎に揺らめくたびに、
 幼い少女に見えたり、しわ深い老婆に見えたりした。
 
 ……悪魔かもしれない。
 混乱する頭にも、その異常さは感じられた。
 しかしもはや、逃げようという気さえ起きなかった。
 意外な言葉が降ってきた。
 「その男、甦らせてやってもいい。」
 
 光を失ったはずのレイチェルの目にわずかな希望の光が輝いた。
 「ほ、本当ですか…!!」
 「ここは暗黒の宮殿。アスモデ様の力ならたやすいこと。」
 「お願いします、なんでもしますから、この人を助けてあげてっ!!」
 アスモデとは暗黒神。そんなことは分かっていたが、
 レイチェルには少しの迷いもなかった。
 絶望の淵にいる人間が最後の最後に頼れるのは神だけなのだ。
 神に頼れないとしたら、悪魔に頼むしかない。
 
 「私はアスモデの宮殿を守る番人の一人、ベルゼビュート。
  さあ、これにお前の手を乗せるがいい。」
 淡く光った番人の手から1枚の紙が現れ、レイチェルの前に落ちた。
 それは六芒星を刻んだ薄汚れた羊皮紙だった。
 レイチェルは迷うことなく、その上に己が手を合わせた。
 石像を叩き続け破れた皮膚からもれる血が六芒星を赤く染めた。
 
 一陣の風が吹くと、わずかに灯っていた手燭の炎が消され、
 真の闇が落ちた。正に闇の気を凝縮したような真の闇であった。
 その中に紫色の光が浮かび上がり、レイチェルの体を包み込んだ。
 それを見つめる悪魔の目は冷徹そのものの爬虫類を思わせた。
 
 薄れていく光の中に不気味な影が浮かび上がった。
 それは頭髪はうごめく無数の蛇、下半身も巨大な蛇という悪魔だ。
 その面影はレイチェルと呼ばれていた女のものだ。
 「昔の名前は忘れることだ。アスモデ様を守る番人の一人、
  お前の名は今日からザドバだ。」
 「……ザ… ド…… …バ」
 「この宮殿を訪れる人間どもをたった100人、石に変えれば良い。
  ただし、悪の心を持つ者は通してやれ。イシュタルに通じる者に死を。
  見事、石の花園を作り上げた時、お前の思い人は元の姿に戻るだろう。」
 「…………思い…… び…と…?」
 「忘れたか。良い。お前の心のどこかにわずかな思いがあれば、
  それが執念となり目的は達せられる。 ……フハハハハ」
 
 高笑いとともに、白いガウンの女は闇の中へ呑み込まれていった。
 闇の中、床を叩く何か重く粘着質なものの音だけが無気味に響いていた。
 
 
 
 
 「まったく、こんなところで何を探しているのかしらね〜♪」
 「お前には関係のないことだろう。」
 「あら〜? そんなこと言っていいのかしら。あんたの悪巧みバラすわよぉん」
 
 暗い回廊を進むデニムの前を歩く2人の男女は、まるで緊張感のない
 会話をしながら先へと進んでいた。
 死者の宮殿の地下2階で仲間にした男、ラドラムと名乗る男はかなりの
 魔法力を持った魔法使いのようである。そしてその知識も多い。
 だからと言ってすぐに仲間にするほど信用したわけではない。
 
 魔女デネブの古い友人ということなので仲間にしたのだ。
 古い友人…?
 10代後半か20代にしか見えないこの2人にとって古いとはいつのことなのか。
 難しいことは分からないが、そのデネブの身元を保証したのは、
 他ならぬ解放軍の同志であり、最も頼りになる男カノープスだった。
 カノープスが大丈夫と言っている、それだけでデニムには充分だった。
 
 「ワッハッハッハ! これを見ろ、風の法衣だぞ。
  死者の宮殿にもぐってすぐに、こんなものが手に入るとはな。」
 「ワッハッハッハ! まったくだ、この調子でいけば、
  ハイム攻略用の武器も充実間違いなしだな。」
 デニムの後ろをついてくる僧侶と騎士の会話もおよそ緊張感がなかった。
 
 「ほんとう、困ったものね。」
 オリビアが少し眉をひそめながら小さな声でデニムにささやいた。
 「まあ大目に見てやれよ。こんな暗い宮殿なんだ、
  せめて気持ちぐらい明るくいってもバチは当たらないぜ。」
 そう言ったのは背中から大きな翼を生やした有翼人カノープスだ。
 「そうですね。」
 
 うなずいたデニムだったが、本当は焦りの気持ちでいっぱいだった。
 フィダック城を落としたものの結局、姉カチュアの姿は見当たらず、
 情報では暗黒騎士団と共にバーニシア城に行ったとも聞いた。
 一気に攻め込もうという提案もあったが、解放軍の損耗も激しかった。
 ここは隊を一時、整えることにして、その間に戦力の増強を図る。
 その一つが死者の宮殿の探索だった。
 何もリーダーであるデニム自身が動く必要はない作戦だ。
 しかし何もせずにいる方が我慢できなかった。
 落ちつかない心を持て余し気味だったのだ。
 
 そんな心を見通して、宮殿探索を勧めたのは友人ヴァイスだった。
 考え方の違いから一時は袂を分かちはしたが、今では昔以上に信頼できる。
 代償は大きかった。その代償を償うべく、いつも心を痛めている…
 そんなデニムの気持ちを誰よりも分かっているのがヴァイスなのだ。
 バクラム軍への備えを大神官モルーバとヴァイスに任せたデニムは
 数人の仲間たちと共に死者の宮殿へと向かった。
 
 
 
 異様に冷たい空気に身震いした。
 しかし真に震えたのは空気の冷たさよりは、
 そこに居るべきはずはない、一人の少女の姿を見たからかもしれない。
 その少女はどこにでもいるような普通の姿をしていた。
 ……ここが死者の宮殿でさえなければ。
 
 「……愛しき人のため ……死ぬがいい!!」
 そう一言呟くと少女はたちまち悪魔に変化した。
 頭髪は全て不気味にうごめく蛇、下半身も巨大な蛇のようにうねっていた。
 同時に現れた無数の魔物… 不死の世界の魔物たちが襲いかかってきた。
 
 戦いは熾烈で混乱を極めた。
 解放軍に参加した時から愛用する武器、スレンダースピアを奮いながらも
 ヴォルテールは疲れていた。
 倒しても倒しても甦ってくるアンデッド達。
 仲間達も先ほどまでの軽々しい会話をしている余裕はなかった。
 
 戦場に限らず常にどんな場でも寡黙だった。
 自分が不器用なのは分かっている。
 戦うことでしか自分の存在意義を見出せないのだ。
 そんな自分にもただ一人だけ、守りたい人がいた。
 解放軍に共に参加し、常に行動を共にしてきたサラ。
 彼女を守るため、それだけが理由で戦ってもいい。
 いつしか、それがヴォルテールの誇りとなっていた。
 
 サラも懸命に矢を放ち戦っていたが埒があかない。
 蛇女と化した少女、あれがリーダーに違いない。
 なんとか倒さなくては……!!
 激戦の中、ようやく隙を見つけ矢を放った!
 しかし、無情にもその矢は頭髪の蛇達に食い千切られてしまった……
 次の矢、次の矢を放たなくては。
 しかし背に回したサラの手は空を切るばかりだった。
 すでに矢は尽きていたのだ。
 
 近付いてきた蛇女は、血も凍るような声で告げた。
 「綺麗な顔をしているじゃないか…… ウフフ、花にしてあげるよ」
 その眼が緑色の光を増していく。
 逃げなくては… しかし体が言う事を聞かない。
 「死ねぃ!!」
 
 闇のエネルギーが迸る一瞬、銀の甲冑がその姿を遮った。
 「グワァァァァッ!!」
 うめき声をあげたのは聞き覚えのある声、ヴォルテールだった。
 アンデッド達の包囲網をくぐり抜け、間一髪救出に駆けつけてくれたのだ。
 しかし、サラはすぐに異様な様子に気づいた。
 銀色なのは甲冑だけではなかった。
 彼の顔までもが銀色に変わっていくのを見た。
 頭の先から石へと元素転換が始まっていたのだ。
 曲がりなりにも戦場をくぐり抜けてきたサラにはそれが分かった。
 叫ばずにはいられなかった。
 「ヴォルテール!!」
 「く、来るな……!」
 まだ肌色を留めている口元がかすかに動いているのが見えた。
 
 必殺の石化攻撃をしかけた蛇女は、しかし動きを止めていた。
 その眼にはヴォルテールとサラの姿が映っていた。
 かすかに震える声が、人の名前を刻んだ。
 「……デッ …カー…… ド………!?」
 
 最後の力を振り絞ってヴォルテールはスレンダースピアを突き出した。
 時間が止まったように見えた。
 うごめく巨大な蛇の下半身を持つ女は絶唱を放って動きを止めた。
 見上げるサラの眼の前には、槍を振るう勇者の像があった。
 
 
  薄桃色の花々が咲き乱れる静かな花園……
  晴れやかな陽光に包まれ、二人は幸せだった……
  いつまでもそんな日が続いていく……
  そんなささやかな望みでさえも叶うことはないというの……
 
 
 「……いや、いやよ、そんな… イヤァァァァァァッッッッ!!!!」
 無我夢中で石像を抱きしめる。
 冷たかった。ただひたすらに冷たかった。
 喪失感が溢れてくる。絶望的な喪失感が。
 その胸を叩き、涙を流し、嗚咽をもらした。
 どんなに嘆こうが、悲しもうが、石像はどこまでも冷たかった。
 
 
 プレザンスとベイレヴラの2人は次々と除霊魔法を唱えた。
 デネブとラドラムが己の魔法力を次々と送り込んだ成果だ。
 自分たちの魔法がアンデッド戦には無効と見るや、
 別の手段を考えるあたりは、さすがにカノープスが保証しただけある。
 無限に湧き出てくるのかと思われたアンデッド達の姿は綺麗に消えていた。
 
 「だ、ダメだ、リバイブストーンが効かない。」
 いつもはお調子者の騎士ペイトンが深刻な顔で告げた。
 「クリアランスでも石化が解けないなんて……!」
 僧侶としてのあらゆる術を身につけたオリビアが、どうしようもない
 絶望の叫びをあげた。
 石像と化したヴォルテールを元の姿に戻すことが出来ないのだ。
 
 「ムリムリ、無理よぉ〜ん。あれはタダの石化じゃないわよ。
  しいて言うならば執念ね。技の力に得たいの知れない闇の力が
  加わってるのよ。心まで石にされちゃ戻りっこないわよ。」
 魔女デネブは深刻そうな表情も見せずに淡々と説明した。
 「しかし、このままにしておくわけには……」
 デニムは泣き続けているサラの肩に手を乗せて心配そうにつぶやいた。
 
 「ベイレヴラ、サラが落ちつくまで一緒にいてやってくれ。
  落ちついたらいったん地上に戻って守備隊と合流するんだ。」
 カノープスがすぐに指示を出した。
 このままサラを連れていっても、無理だと判断したのだ。
 「しかし私一人だけで、もし魔物が襲ってきたら。」
 「短時間なら大丈夫だ。ここより上の階には魔物の気配はない。」
 ラドラムがそう告げると、さすがにベイレヴラも受けざるを得ない。
 
 結局、ベイレヴラとサラを残して、デニム達は先の階へ急いだ。
 何故か少しだけ羨ましそうな顔をしてペイトンが振り向き、
 ベイレヴラは照れくさそうな苦笑いを浮かべ見送った。
 地下3階に静寂が降り、サラのすすり泣く声だけが響いた。
 
 
 
 「今度のザドバは情けないわね、ほとんど花が増えてないじゃないの」
 どれほど時間が過ぎただろうか。
 ベイレヴラもいい加減うんざりしていた時、暗闇の中に1つの影が浮かんだ。
 ベイレヴラは振り向きも出来ずに刺し殺されていた。
 持っていた手燭が音を立てて石床に転がる。
 
 「そんなにその男が恋しいのかい?」
 虚ろな表情で顔をあげたサラの前に1人の女が立っていた。
 白いガウンをまとったその姿は、わずかな炎に揺らめくたびに、
 幼い少女に見えたり、しわ深い老婆に見えたりした。
 
 ……悪魔だ。
 絶望に落ち込んだ頭にも、その異常さは感じられた。
 しかしもはや、逃げようという気さえ起きなかった。
 意外な言葉が降ってきた。
 「その男、甦らせてやってもいい。」
 
 光を失ったはずのサラの目にわずかな希望の光が輝いた。
 「ほ、本当ですか…!!」
 「ここは暗黒の宮殿。アスモデ様の力ならたやすいこと。」
 「お願いします、なんでもしますから、この人を助けてあげてっ!!」
 アスモデとは暗黒神。そんなことは分かっていたが、
 サラには少しの迷いもなかった。
 絶望の淵にいる人間が最後の最後に頼れるのは神だけなのだ。
 神に頼れないとしたら、悪魔に頼むしかない。
 
 「私はアスモデの宮殿を守る番人の一人、ベルゼビュート。
  さあ、これにお前の手を乗せるがいい。」
 淡く光った番人の手から1枚の紙が現れ、サラの前に落ちた。
 それは六芒星を刻んだ薄汚れた羊皮紙だった。
 サラは迷うことなく、その上に己が手を合わせた。
 石像を叩き続け破れた皮膚からもれる血が六芒星を赤く染めた。
 
 一陣の風が吹くと、わずかに灯っていた手燭の炎が消され、
 真の闇が落ちた。正に闇の気を凝縮したような真の闇であった。
 その中に紫色の光が浮かび上がり、サラの体を包み込んだ。
 それを見つめる悪魔の目は冷徹そのものの爬虫類を思わせた。
 
 薄れていく光の中に不気味な影が浮かび上がった。
 それは頭髪はうごめく無数の蛇、下半身も巨大な蛇という悪魔だ。
 その面影はサラと呼ばれていた女のものだ。
 「昔の名前は忘れることだ。アスモデ様を守る番人の一人、
  お前の名は今日からザドバだ。」
 「……ザ… ド…… …バ」
 「この宮殿を訪れる人間どもをたった100人、石に変えれば良い。
  ただし、悪の心を持つ者は通してやれ。イシュタルに通じる者に死を。
  見事、石の花園を作り上げた時、お前の思い人は元の姿に戻るだろう。」
 「…………思い…… び…と…?」
 「忘れたか。良い。お前の心のどこかにわずかな思いがあれば、
  それが執念となり目的は達せられる。 ……フハハハハ」
 
 高笑いとともに、白いガウンの女は闇の中へ消えようとしたが
 そのガウンを引っ張る者がいた。
 贅沢にも風の法衣を着たゴーストだった。
 「……余計なものまで作ってしまったようだね。まあいい、着いてきな。」
 ゴーストは嬉々として悪魔と共に闇の中へ消えていった。
 
 闇の中、床を叩く何か重く粘着質なものの音だけが無気味に響いていた。
 
 
 
 
 かすかに水滴の落ちる音が聞こえる……
 漆黒の闇の中、それは意外に大きく響き渡った。
 そしてもうひとつ、聞こえてくるものが。
 それは声のようであったが、恨み辛みがこもったように不気味なものであり
 到底、人間のものとは思えなかった。
 「……聞こえる フフフ…… 近づいてくるわ」
 声が聞こえてからさして時間を置かずに、重い石の扉が開く音がした。
 
 重い心の扉が開く音は誰にも聞こえるはずがなかった。
 

 
 
 
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