オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 野望
 
 どこまでの広がりがあるのか、感覚が全くつかめない闇。
 なんの手がかりもない、無限の闇の中に小さく小さく光る白い輝き…
 やがて、その光が近付いてくると、その姿は可憐な天使の姿を形取る。
 見覚えのある愛しき女性…
 もう、何日もそんな姿を見ている、そしてこの先の展開も分かっているのだ。
 悲しげな表情を見せた天使は、闇に引きずり込まれていく。
 どこまでも、どこまでも続く無限の闇の中に、抗うすべもなく引きずりこまれ、
 最後に残った手が空を掴む。
 見えないはずなのに、確かに見えるのだ。
 そして飛び交う天使の羽根の1つ、1つ…
 最後に天使… ミザールが自分を呼んだ気がする。
 「……ラシュディ……」
 
 じっとりと肌にまとわりつく汗の感覚に、不快感を覚えながら、ラシュディは目覚めた。
 また、あの夢だ。ここ数日、同じ夢を何度も見ている。
 そして、日一日とその夢が現実のことのように思えてきていた。
 はじめはおぼろにしか見えなかったものが、もう少しで掴めそうなところまで
 来ているのだ。
 
 「……また、あの夢を見たのですか」
 衣擦れの音がかすかに聞こえ、ラシュディの隣からささやくような声が聞こえた。
 何か救われたような思いを感じながら、ラシュディはそちらに顔を向けた。
 月明かりがわずかに入り込む寝室。
 本来、そこにいるべきではない女。
 居てはならないはずの存在、ミザールという名の天使が心配そうにのぞいている。
 夕顔のように憂いをたたえた表情は、華やかではないが特有の輝きを放っている。
 その不思議な輝きが、心を捉えたのか。
 雪が舞い散る辺境の古城で、ラシュディはミザールに出会った。
 言葉はほとんどなかった。
 恋…… 愛…… どれにも当てはまらないような気がする。
 二人は極自然に、お互いをかけがえのない存在と認識したのだ。
 互いの血と血が呼応したと言ってもいいかもしれない。
 それから数ヶ月、ミザールは毎晩のように、ゼノビア城のラシュディの部屋を訪れ、
 お互いを求め合った。
 
 互いにかけがえのない存在と認めながらも、どこかに不安があった。
 人間と天使…… 本来愛し合ってはいけないのではないか?
 そんな思いがどこかにあったのかもしれない。
 人目をはばかるように逢瀬を重ね、その不安を消し去りたい一心で愛し合った。
 
 深く相手のことを聞いたわけではないが、ラシュディはミザールがただの天使では
 ないと感じていた。
 天使のことを良く知るわけではない。それでも分かるのだ。
 
 
 最初は、禁忌を破っているその罪悪感なのかとも思った。
 しかし、賢者と呼ばれながらも、自分自身がそれほどの聖者とは思っていない。
 たまたま愛した女性が天使だったというだけだ。
 それなのに、なぜ同じ夢ばかり見続けるのか。
 何かが変わっていく気がする。そう自分の中の何か。
 賢者と呼ばれるその陰で抑えつけ、隠してきた何かが。
 それはかつて、ラシュディ自身が最も恐れていたものだった。
 
 暗黒道。
 神のしもべとして生まれた人間は、神の全ての要求に応えるために、無限の可能性を
 与えられた。だが神はその無限の可能性を恐れ、その可能性に封印を施したのだ。
 封印を解かれた時、人間は人間以上の力を得ることができる。
 その反面、多くの人間は力の解放とともに冥い感情に囚われてしまう。
 これが暗黒道である。
 人間が人間以上の力を得るには強い精神力が必要なのだ。
 己の魔道を追及する道で、ラシュディはこの答えを見つけ出した。
 他人と比べて、あまりにも抜きん出ている自分の力。
 それを認識出来ているだけに、自分がこの道に入ることは避けなければならない。
 そう思い、封じ込めてきた。
 
 五賢者の一人として、乱立し衝突を続ける小国を統一し、五王国を建国した。
 そして今、その仲間の一人、剣士グランを王としたゼノビア王国で、その平和を
 維持するために力を貸している。
 ………………それで、いいのか? ラシュディよ。
 暗黒道に陥らずとも、己の力を自由自在に振るい、グランを、ロシュフォルを、
 全ての民衆をひざまずかせることが出来るのではないか。
 自分なら、その精神力さえ持っているはずだ。そうではないか?
 
 巡る思いと、繰り返される夢、その狭間で自分自身が変わっていくのが分かる。
 もう戻れないのか。いや戻りたくないのか。
 ……賢者、なんと悲しいものか。 自分自身の決意の恐ろしさが分かっていながら、
 それ以上に、自分自身の力の可能性を見てみたくて仕方がないのだ。
 
 
 今日がその日なのか。
 封印を解くには、冥い波動を強く発するものが陰にいなければならない。
 このゼノビアに、ラシュディほどの男に影響を与えるものがいるのか?
 否。では何者が導くのか。
 いつもとは確実に違う空気…… それを感じラシュディはようやく声を出した。
 「ミザール、今夜は去れ…」
 
 ミザールは黙ってラシュディの目を見つめていた。
 空気に闇の気配が混ざっている。彼女がそれを気付かないはずがない。
 それが分かっていて、ラシュディは自分に去れと言っている。
 迫り来る冥い波動から自分を守るためか。
 違う、違う…… ミザールはすべて理解しているのだ。
 だから悲しい目になってしまう。
 けど、すがりはしない。
 もう決めているのだ。何があってもこの人と共に生きていくのだと。
 
 動こうとしないミザールの横から立ち上がると、ラシュディは着慣れた柿色の魔導衣に
 身を包んでいく。40歳を過ぎてなお、その身体は精気に溢れていた。
 まるで、このまま人生を終わるなというかのように…
 
 ラシュディは黙ったまま、扉を開けると外に出て行った。
 
 
 あまり豪奢とは言えない、どちらかと言うと質素な作りの石段を降りると、
 自分の居室からも見下ろせる庭園へラシュディは進み出た。
 庭園には数々の木々が生い茂り、みずみずしい果実を実らせるものも多い。
 突如、その果実のいくつかが腐敗し、芝生の上へ落ちてつぶれていく。
 そして庭の片隅のわずかな闇の中から、血と闇を混ぜ合わせたかのような色の
 ローブをまとった何者かが現れた。
 
 「何者だ?」
 驚いた様子を少しも見せず、ラシュディは問いかけた。
 闇より現れた者のフードの隙間から、蛇のように鋭い目がのぞいた。
 「ゼーダと申します。 冥界の王デムンザ様の命を受け、参上しました。」
 声は女のものだ。若くはない…老婆とも思えるような声だ。
 
 「買い被られたものだな。 それほどの男か、このラシュディは?」
 「ご謙遜を…… あなた様の力は誰よりも、あなた自身がよくご存知のはず。」
 「フン… オウガバトルで数多の暗黒神を従えた冥界の王ともあろうものが駒不足か?
  魔神どもは封印されても滅んでない者がほとんどであろう。」
 「さすがに良くご存知で……」
 ゼーダは悪びれた様子もなく、落ちつき払っている。
 こちらの胆も座っていると言えよう。
 邂逅とはいつでも、こういうものなのかもしれない。
 長い交わりが深い理解を生むとは限らない。一期一会での理解もあるのだ。
 
 「前口上はいらん。用件は何だ。」
 先ほどよりも幾分重い声でラシュディが問いかけた。
 
 「力をつけていただきたい。魔神よりも強く。 …あなた様ならそれが可能なはず。」
 フードの中の邪眼も急激に鋭さを増したようである。
 「魔神よりも強くか。わしは人間だぞ。」
 「あなた様なら超えることができるはず。デムンザ様がそう言われたのです。」
 ゼーダが間髪置かずに返事を返す。
 
 しばし沈黙があり、ラシュディが続けた。
 「狙いは何だ、力をつけさせて何とする。」
 「デムンザ様の片腕となっていただきます。共に世界を支配するために。」
 ゼーダはひたすらラシュディの目を見つめ続けていた。
 見つめながら、この男の底知れぬ潜在能力に敬服しはじめている自分に気付いては
 いなかった。
 
 
 「面白いじゃないですか。」
 しかし、その声は目の前の賢者の口から発せられたのではなかった。
 ゼーダは驚愕した。まったく第三者の登場など予想をしてなかったからだ。
 周りには結界も張っているし、何より魔族の中でも実力者であると自負している
 自分に気配を感じさせずに近付ける者がいるとは思ってなかった。
 
 そこには20代後半のように見える青年が屈託なく微笑んでたたずんでいた。
 ゼーダが気付いた時は自分の周りを、小さな人形が歩き回っていた。
 屈辱的な仕打ちと言っても間違いではない。
 しかし背筋を走る戦慄が、動きを完全に止めてしまっている。
 
 「面白いか、アルビレオよ。」
 ラシュディは意にも返さず、その男に話しかけた。
 賢者はこの男が近くにいることに気付いていたのだ。
 そう思うと、ゼーダの緊張がさらに強まっていった。
 
 「あなたもご存知と思いますが、私は転生を重ねて膨大な知識を蓄えてきました。
  知識の蓄積こそ、魔法力においては重要。そう信じていたのですが、あなたは
  違っていた。何度も転生を重ねてきた私を、軽く超える力を最初からお持ちだ……
  そのあなたが、さらに力をつけた姿、見れるものなら見てみたいですね。」
 
 これまでの、この場の空気などお構いなしに、雑談でもしているように、
 アルビレオは軽い調子で答えている。
 
 ラシュディの一番弟子である妖術士アルビレオ。
 ただの男ではないことは、ラシュディも無論承知していた。
 転生について詳しく聞いたわけでもないが、ある程度重ねていることは予想がついた。
 冥い波動など微塵も感じさせず、ただ単に魔法力に優れている男。
 弟子入りを拒む理由がなかった。
 弟子にしてみて分かったことだが、冥い波動などあろうはずがない。
 この男、本当に魔法の探求にのみ興味を持っているのだ。
 だから、面白いという今の発言も本心で言っているのだ。
 
 「力をつけるには何が必要だ。」
 自分で分かっていることを、ラシュディはあえてアルビレオに問いかけた。
 「手っ取り早いけど関わりたくないのは暗黒道。多少準備が面倒ですが、確実に
  力をつけられるのが転生。あとは魔法力を増幅する武器か何かというところですか。
  もちろん、あなたなら暗黒道に落ちることなく自分を制御できるでしょう。」
 
 ここでアルビレオは心底楽しんでいるような目で賢者を見つめ、切り出した。
 「どうです? デムンザを片手にしてみませんか。 出来る限り協力しますよ。」
 言葉尻に付け加えた笑顔は一切の邪念がないだけに、逆に寒い気さえする。
 
 「フフフハハハハハハ…… デムンザを片手にか。大きく出たな。」
 「どうせなら、それぐらいはやらないと面白くないでしょう。」
 
 視線を闇の使者に向け直すと、ラシュディはあらためて聞いた。
 「ということだ。それでも構わぬのか?」
 「超えられるものならば…」
 そう答えながら、ゼーダは震えていた。
 
 この2人の人間の会話を聞いていると、実現出来るのではないかと思えてくる。
 いや、そんなはずはない。人間が冥界の王を超えるなどあるはずがないのだ。
 そう自分に言い聞かすことで、ゼーダはかろうじて返事を返すことができた。
 その間も、自分の周りを人形が歩き回ったり、舌を出してみたり、つまずいたりと
 落ちつきなく動き続けている。
 しかし、そんなものに気を取られている余裕などありはしなかった。
 
 「で、まずは何だ。 何のみやげもなく、使者としてきたわけではあるまい?」
 ラシュディの目が座ってきている。
 迷っていた己の思いは、デムンザの呼び水と、アルビレオの後押しにより消えていた。
 我ながら見事な心の切り換えと言えた。
 
 「13人目の使徒の話をご存知か?」
 今度はしっかりと声が出た。ゼーダは内心、ほっとしていた。
 
 「愚問だね。魔道を極めんとする者がドュルーダを知らないわけがない。」
 横からアルビレオが口を挟む。
 
 「その石のありかを知っています。」
 今度こそ、自信を持ってゼーダは言葉を発した。
 
 「ほう…」
 賢者が思わず、嘆息を洩らした。
 アルビレオも興味ありそうな表情を見せた。
 ようやく世界が正常に戻った。ゼーダはそんな気がした。
 
 「白き魔法を極め、究極の力を手に入れたドュルーダの力を封じ込めた石……
  悪魔の石キャターズアイは天界にある"悔恨の扉"に封印されてます。
  そこに立ち入れるのは、神と、天使長ミザールのみ。」
 
 「………………」
 ラシュディは沈黙したまま、妖女をじっと睨んでいた。
 ゼーダは蛇に睨まれた蛙のように動けなかった。
 アルビレオは、つまらなそうに遠くを見ていた。
 魔法にしか興味がないと言っても、男女の機微ぐらい多少は分かる。
 ラシュディがミザールを愛していることは確かだと感じていた。
 
 それらは全て、今日の日のために仕組まれたものだったのか?
 ラシュディとミザールの出会いすらもデムンザの手引きだったのか。
 
 しかしラシュディの表情に浮かんだ険しいものは、一瞬にして霧散した。
 過程はどうでもいい、今起こっていることを事実として認識すれば事足りる。
 魔道への果てしなき野望とは別に、紛れもなく自分はミザールを愛していると言える。
 いや、そう思いたかっただけなのかもしれない。
 
 「力をつけよう。 我が動き、一時たりとも見逃すな。」
 「はっ…………」
 思わずゼーダはひざまずいていた。
 とんでもない男を引き込んだのではないか? その心に一抹の不安が翳りを落した。
 
 
 突然、アルビレオの操る人形が妖女に飛びかかった。
 何の容赦もない、魔法力が充分に込められた一撃だ。
 ゼーダは思わず苦鳴を洩らした。
 
 「ここまでです。誰か来ました。 立ち去りなさい…」
 「うむ、用があればいつでも来るが良い。」
 アルビレオとラシュディが言葉を小さく発するのとほぼ同時に、赤い甲冑の騎士が
 庭園に飛び込んできた。
 「ラシュディ様、何かありましたか!?」
 その騎士の姿を見止めると、妖女ゼーダの姿はたちまち薄くなり闇に溶けていった。
 
 「妖しい奴め…… ラシュディ様、お怪我はありませんか?」
 赤い甲冑の騎士、2年前に先代の騎士団長パーシバルより、34歳の若さで
 その地位を受け継いだアッシュは、剣を収めながら賢者に尋ねた。
 アルビレオによって破られた結界から、流れ出る妖気を感じて駆けつけたのだろう。
 さすがに騎士団長に就いただけのことはある。
 
 その背後に静かに回り込んだアルビレオが振り上げた右手が輝きを集めていた。
 人形を本気で襲わせている姿は見せたはずだが、この騎士がそう捉えたかどうか。
 ここで殺しておいた方がいいのではないか。そう判断したのだ。
 
 その動きを制止するかのように、ラシュディが答えた。
 「大丈夫だ。貴殿のお陰で助かった。」
 「私の力などなくても大丈夫でしょうが…… いったい何者ですか?」
 「分からんな。 ……しかし、何か良くないことが起きようとしているのかもしれぬ。」
 そう言った時には、すでにアルビレオは右手を下ろしていた。
 集まりつつあった、魔法力の光は跡形もなく消えている。
 
 ラシュディにそう言われると、確かにそんな気がしないでもない。
 ああ、まさか、そのラシュディが元凶であろうとは……
 
 「明日の朝早くに城を出る。各地の動静を調べながらハイランドへ向かうと、
  グラン王には伝えておいてくれ。」
 アッシュにそう言うと、ラシュディは居室のある館の方へと歩き出した。
 アルビレオも黙ってそれに続く。
 人形だけが、赤い甲冑の騎士の周りを一回りしてから、急ぐように妖術士の後を
 ついて行った。
 どうにも好きになれない男だ。アルビレオのことをそう思いながら、アッシュは
 館のバルコニーへ視線を移した。
 
 真夜中におぼろに光る夜光草のような、儚げな雰囲気の天使が虚空を仰いでいた。
 ラシュディの元へ、世にも美しい天使が夜毎訪れていることは、アッシュも知っていた。
 こんなに間近で見たのは初めてだが、賢者に相応しい女性だと感じた。
 しかし同時に、滅び行く世界があげる悲鳴のようなものが聞こえたような気がした。
 何か、とてつもなく、大きなものが動き出すような気がして、アッシュはいつまでも
 庭園に立ち止まっていた。
 
 
 雪が激しく降る寒い朝、ラシュディはゼノビア城を後にした。
 翌年、神聖ゼテギネア帝国誕生。
 
 
 
 
 ―――― 帝国歴24年 旧ドヌーブ王国首都 バルモア城
 
 「これで、いつ死んでも大丈夫ということですか。それにしてもさすがに大賢者。
  転生先に自分の孫を選ぶとは、恐れ入りましたよ。」
 
 一見して10代後半にしか見えない青年、妖術士アルビレオは楽しそうに話している。
 相手は初老と言ってもいいかもしれない。 ……賢者ラシュディ。
 神聖ゼテギネア帝国の黒幕として20年を超える恐怖政治を行って来た男だ。
 
 「ゼーダは思ったより使えるな。マーリは無事にパラティヌス王子と出会えそうだ。」
 「その王子が、契約の子だというのは間違いないのですか?」
 「ああ、間違いない。魔界の者の幻視術によれば、子を宿すことも間違いないそうだ。」
 
 ラシュディの返事を聞いているうちに、アルビレオは益々陽気になってきた。
 「伝説の開闢王の血を引き、契約の子として覚醒する王子。そして生まれながらの
  大賢者と、天使長の間に生まれた娘。どれほどの力を秘めているやら……
  それが生まれ来る前に、乗っ取ってしまうという、あなたもあなたですけどね。」
 「何度もやっているお前に言われたくはないな。」
 ラシュディは幾分、苦い表情で言葉を発した。
 
 「確かに何度も転生してますが、仮死状態であったり、死ぬ寸前だったり。
  素材に意志がないことが条件だけに、あまり無茶はできませんよ。
  増してや生まれるかどうか保証もない赤子への転生だなんて、ああ恐ろしい。」
 アルビレオは大仰に身体を振るわせると、おどけた仕草で両手を挙げてみせた。
 
 「まあ、それだけの魅力が集まってれば失敗しても本望ですか。
  失敗しそうにないところが、また憎いですね。天使の血も引いてますから、
  うまくいけば長命を保てるかもしれませんね。空まで飛べたりしてね。」
 アルビレオの横で、愛用の人形がパタパタと羽ばたくような動きを見せる。
 すると人形は宙に浮かび上がった。
 もちろん、アルビレオが魔法で浮かべているのだ。
 この男、どこまでが本気なのか全く分からない。
 
 「それだけでは、まだ足りんな。」
 「キャターズアイですか。あの石のお陰で随分と手っ取り早く、大勢の人間を
  暗黒道に引き込めましたね。どうするんです? この前助け出したガルフにでも
  与えてみますか。」
 「あやつは駄目だ。中途半端な封印をされていただけに覚醒が鈍い。自分の力で
  反乱軍から聖剣を奪って完全に覚醒しろと言っておいたわ。」
 
 天使長ミザールが、天界より盗み出した悪魔の石は、冥い波動を放ち続け、
 女帝エンドラをはじめ、多くの人間を暗黒道に引き込んだ。
 そして広がる戦雲、戦火、憤怒、怨念…… あらゆるマイナスエネルギーを貪欲に
 吸収し続け、その魔法力を際限なく強めていた。
 ラシュディでなければ、とてもじゃないが持てる代物ではなかった。
 
 娘マーリの成長を待つためには、易々とローディスに侵略されてはならない。
 キャターズアイの力をより強くするためにも戦乱が必要だった。
 そして己に力をつけるための、あらゆる魔道の探求のための時間。
 ただ、それだけのために神聖ゼテギネア帝国が誕生し、そして今、その目的を達し、
 消えゆく歴史の一部になろうとしている。
 誰にそれが信じられようか。
 
 「ソドムの詩集の最終節を知っているか?」
 「暗黒神ディアブロへの讃歌を歌ったというアレですか。確か……
  我に身を捧げ、我の縛りを解く者、我の力により、闇の全てを与えん…でしたね。」
 「そうだ、時は来た。ワシは魔宮シャリーアへ向かう。」
 ラシュディの目は、その目的の黒さと裏腹にどこまでも澄みきっていた。
 それは悟りを開いた賢者のものと、少しも違いはなかった。
 
 「死んでも死なず… 魔界の力でも分け与えてくれるんですかね。」
 「失敗しても転生は出来る。 ……思いもよらぬ収穫があるかもしれぬ。」
 「魔界の力までも取り込みますか。本当にデムンザを超えるかもしれませんね。
  確かに失敗しても転生は出来るでしょうが、赤子とうまく出会えるかどうか。」
 「血が血を呼ぶのだ。案ずることはない。」
 とてつもなく恐ろしい野望なはずなのに、それを聞いても平然としているアルビレオも
 真に恐ろしい男だった。
 
 「その生まれ変わったワシ用の魔法、見つけられそうか?」
 「普通の魔法でも充分でしょうに。」
 なかば呆れたような表情を浮かべながらもアルビレオは続けた。
 「一応、目処はつきましたよ。古文書もほとんど残ってなくて苦労しましたが、
  古代高等竜人が使ったと言われる竜言語魔法。竜族の楽園と言われる島、
  ドラゴンズヘヴンに行けば、その手がかりがつかめそうです。」
 「さすがだな。では何年先か分からんが、またお前に会える日を楽しみにしているぞ。」
 最後はラシュディもわずかながら笑みを浮かべていた。
 その笑みにどのような意味が、意志が含まれているのか。
 
 「その前に、サラディンを説得してみますよ。まあ駄目でしょうがね。」
 半年ほど前に始まったゼノビア残党による反乱軍の逆襲は、すさまじいまでの勢いで
 またたく間に旧首都ゼノビアを解放し、いまや神聖ゼテギネア帝国の領地の半分まで
 その勢力を拡大していた。
 旧ドヌーブ王国の首都バルモア解放にあと一歩と迫った反乱軍は、2日前に近くの
 教会でサラディンという名の妖術士を仲間に加えた。
 かつてドヌーブの民を率い、ハイランドの侵攻に対して敢然と立ち向かった男。
 ラシュディの2番弟子でありながら師に背き、最後には兄弟子のアルビレオの手で
 石化されてしまった男だ。
 
 「馬鹿な男だ。なぜ、あの時殺しておかなかった?」
 「魔道士としての資質は群を抜いてますので殺すには勿体ない気がしましてね。
  それに何よりも可愛い弟弟子ですから。」
 「どこまでも食えぬ男だな。」
 さすがにラシュディも苦笑いするしかなかった。
 
 「20年間、石にされていて少しは頭も冷えたかもしれませんよ。
  ……う〜ん、逆に余計に石頭になってるかもしれませんね。…おおっ」
 自分で言ってて言葉の遊びが気に入ったものか、人形がひたすら拍手を送っていた。
 
 「まあ良いわ。何度死んでも必ずワシの元へ来い。面白いものを見せてやるわ。」
 「ええ、そう願いたいですね。 …ところで、ミザールはどうしました?」
 「……バルハラにおるわ。 死ぬならば…… 雪を見ながら死にたいらしい。」
 その言葉を言った時だけ、賢者の目に郷愁感の如きものがよぎったような気がしたが
 アルビレオは見て見ない振りをした。
 こういうさり気ない動きは苦手だ。
 アルビレオは我ながら下手な動きだと自嘲するしかなかった。
 
 
 
 
 ―――― パラティヌス歴252年 ケレオレス遺跡
 
 空は急速に元の抜けるように青い冬空に戻りつつあった。
 つい先刻までは、暗黒の瘴気が渦を巻き、異界の植物群が全ての地面を覆い尽くして
 足の踏み場もないほどだったのだ。
 半神ダニカの復活は、マグナス・ガラントが率いる蒼天騎士団の手により阻止された。
 激闘の終わった戦場に残された、一人の少女の遺体に目を向ける者はいなかった。
 
 その少女の身体から、しわがれた声がかすかに聞こえる。
 「…………ゼーダめ、焦りよって…… 最初に、片腕にするはずのダニカ神を
  失うばかりか、危うくワシまで産まれ損なうところだったわ……」
 
 
 ほんのわずかな間であったが、東部将軍の地位に就き、絶頂にあったケリコフは、
 進行してきた蒼天騎士団と東方教会の神官たちにより、その地位を追われた。
 天荒王ユミルの覚醒による混乱に乗じて、逃げ延びられただけでも僥倖と言えた。
 今、ケリコフはパラティヌスの情勢をローディスに伝えることで延命を図ろうと思い、
 ひたすら西に向かって歩き続けていた。
 
 先ほどまでの暗転は晴れ雷雨もおさまっていた。
 全く酷い目に合うものだ。
 毒づきながら歩いていると、街道の脇に一人の少女が倒れている。
 何ということはなく覗き込んだ時、その衣服の中から赤子が這い出してきた。
 場違いな光景に思わず立ち止まったケリコフの目の前で、赤子はゆっくりと
 宙に浮かび上がっていく。
 そしてまばゆいばかりの雷光を全身に受け、焼け爛れたケリコフは絶命した。
 
 「……感じる、感じるわ。確かに桁違いの力がこの身体に宿っておるわ。」
 光をまとい宙に浮かぶ赤子は、まるで神の子が舞い降りたかのように見えた。
 産まれてすぐ、一人の人間を殺したのに全く意にも介していない。
 当たり前だ。人間が蟻を踏み潰しても気にすることはないのと同じことなのだ。
 
 「待っていろ、ロシュ……ル…… 今、行くぞ……」
 身体にようやく馴染んできたのか、幾分若くなった声でつぶやくと、
 ケリコフの道程をなぞるかのように、赤子は西に向かって進み出した。
 その顔に浮かぶ笑みは、どんな天使の微笑みよりも美しく鮮やかに輝き、
 どんな魔神の邪笑よりも残忍な狂気に歪んでいた。
 
 
 数年後――――
 
 新生ゼノビア王国、ヴァレリア王国、パラティヌス王国の連合軍が
 ローディス教国への進軍を開始することになる。
 その地にも雪は変わりなく降り注ぐのだろう。
 あの日、古城で賢者と天使が出会った日のように。
 

 
〔小説に関連する年表〕
暦年
主な出来事
人物年齢
Rashidi
Albileo
Mizar
Saladin
Ashe
Zeda
Marli
207 ●ヴァレリア王国建国 22
転生a
40 41 18
不詳
 
216 ●第2次光焔十字軍
  遠征
31
転生b
49 50 27  
221 ●パラティヌス王国
  プロカス王即位
36 54 55 32  
226 ●ハイランド侵攻開始 41 59 60 37  
227 ●神聖ゼテギネア
  帝国建国
42
転生c
60
石化
38  
234 ●ユミル生誕 49 67 45  
235 ●マーリ生誕 50
転生d
68 46 0
239 ●パラティヌス西部を
  ローディスが占領
54 72 50 3
250 ●ゼノビアの反乱軍
  活動開始
65
転生e
83 61 14
251 ●新生ゼノビア王国
  建国
66 84 60 62 15
252 ●パラティヌス王国
  ローディス支配
  から脱却
●ハイム戦役
転生a 死亡 61 63 16

※暦年は現段階で最も長く判明している〔パラティヌス歴〕を使用しています。
※年齢はその年の神竜の月1日時点での年齢を現しています。
※サラディンとマーリ以外は全て推測です。

 
 
 
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