オウガバトル外伝
〜an Anecdote of Ogre Battle Saga〜
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 白と黒
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 「やめろっ!これが貴公らローディスのやり方なのかーっ!」
 青銅色の細身の剣が一閃されると、表情を読み取れない兜の下から苦鳴がもれた。
 赤黒い血が甲冑を汚し、無造作に倒れていく。
 いったい、ここまでに何人の騎士をこうして倒して来ただろうか。
 聖騎士と呼ばれる男の体は熱くなっていた。
 戦いに血をたぎらせているわけでなければ、街を焼く紅蓮の炎の照り返しでもない。
 怒り…… その感情が彼を突き動かしているのだ。
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 もとより暗黒騎士団が非干渉条約を守るなどと甘い考えは持ってはいない。
 デニムたちウォルスタ解放軍の主戦力がガルガスタンと決着をつけようとしている
 今が、ライム侵攻の最大のチャンスであることは明らかだ。
 それにしても、やり方があざとい。しかもこのあざとさの犠牲になるのは力のない
 多くの民衆だ。
 抵抗するしないに関わらず全ての者を殺害する。これは虐殺に他ならない。
 自分の目で見たわけではないが、知る限りでこれほど酷い虐殺は、降伏を申し出た
 ゼノビア市民を、アプローズ男爵が焼き尽くした『ポグロムの虐殺』以来だろう。
 
 自分たちはウォルスタの人間ではない。勝ち目がまったくないこの戦いから
 逃げ延びることは易しい技だ。
 しかし、今輝き始めた希望の光… このヴァレリア島だけでなく、ゼテギネア全体を
 救うかもしれない希望の光を消すわけにはいかない。
 何よりも騎士として、この非道の行為を許すことができないのだ。
 
 「それはゼノビアの紋章っ!!おまえが聖騎士ランスロットか!
  会いたかったぞランスロット!
  ハイランドを打ち破りしその力を、この俺に見せてみろっ!!」
 他のローディスの騎士とは一線を隔す鬼気を放つ巨漢の騎士が咆哮を放つ。
 
 (……コマンド級の騎士か!)
 巨漢はその体型に似合わず意外な速さでハンマー状の武器を振り下ろしてきたが、
 ランスロットは少しも動ずることなく、愛剣ロンバルディアの切っ先を合わせた。
 「ちぃっ……!」
 巨漢の騎士は舌打ちしながら次々と攻撃を繰り出してくるが、ランスロットは
 風を受けるかのように、わずかに剣を動かすだけで、打撃を左右に打ち払っていた。
 
 ハンマーからは、どす黒い意志が溢れかえっているように思えた。
 (この暗い波動…… どこかで感じたことがある…… 暗黒神ディアブロ?)
 一瞬、ゼノビアの大乱で戦った魔界の神の名が浮かんだ。
 (違う… 暗黒のガルフ、あの悪魔の波動に近いな。)
 
 かつてオウガバトルと呼ばれた伝説の戦いで、ディアブロと肩を並べた悪魔。
 そのガルフも先のゼノビアの大乱で、二度と再び甦れぬようとどめを刺した。
 とどめを刺したのはランスロット自身が振るった聖剣ブリュンヒルドだった。
 反乱軍に協力をしてくれた天空の三騎士たちは、最後の一撃を任せてくれた。
 それは花を持たせるという生易しいものではない。
 自分たちの未来は、自分たちの手で切り開かなければいけない…
 そう訓示されたような、重い手応えがあったのを今でもはっきりと覚えている。
 
 (未来を切り開くことは、できないかもしれないな……)
 ランスロットがそう感じたのは、目の前の騎士を畏れたわけではない。
 現に、全ての攻撃は聖騎士に触れることすら、ままならない。
 己の膂力と武器の威力に頼りすぎ、ともすれば武器に振り回されがちだ。
 しかし、数合打ち合っている間に、周りはローディスの騎士たちに囲まれている。
 例え、目の前の騎士を倒したとしても、ここで果てるのは時間の問題と言えた。
 
 (やはり… 落ちる星は私だったか… ギルダスとミルディンは無事だろうか?)
 どこか寂しげな、それでも満足そうな笑みを口端に浮かべたランスロットは、
 死の覚悟を決めた。
 「悪魔の落し物… サンシオン、貴公の身に余るようだな!」
 必殺の間合いを超えて一歩踏み込み、逆袈裟の一刀を脇に振り上げた瞬間、
 雷光をまとったかのような凄まじい勢いで、ランスロットと巨漢の騎士の間に
 白銀に輝く長柄の槍が地面に深々と突き立った。
 その槍に阻まれ、ロンバルディアが高い音を立て弾かれた。
 
 「それまでだ、双方とも剣を引くが良い!」
 どこか優しげな風貌の騎乗の騎士は、しかし力強く言葉を発した。
 とても、あの雷光のような一撃を放ったとは思えない、端然とした男だ。
 「ヴォラックっ! 貴様、どういうつもりだ!」
 巨漢の騎士が、大音声で叫び返すが、思ったほど言葉に力は感じられなかった。
 ロンバルディアが鈍く光った瞬間、確かに斬られたと確信した。
 その恐怖心が、いつもの勢いを削いでいたのかもしれない。
 
 「新生ゼノビア王国騎士団長、ランスロット・ハミルトン卿と御見受けする。
  私はロスローリアンの騎士ヴォラックと申す者。ここは剣を引いてもらえぬか。」
 礼儀を忘れず下馬した騎士は、地面に刺さった白銀の槍のもとへ近付きながら
 思いもよらぬ言葉を寄せてきた。
 
 剣を引いたランスロットは、それでも注意深く尋ね返す。
 「嫌だと言えばどうなる。」
 「聖剣は二度と再び、ゼノビアに戻ることはなくなるでしょうな。」
 聖剣という言葉を聞いたわずかな瞬間、巨漢の騎士の目が大きく開いたが、
 気付く者はいなかった。
 
 「…………選択権は残されてないというわけか。」
 「そういうことです。」
 ランスロットは無言のまま、ロンバルディアを腰に戻した。
 
 「この度の傍若無人な侵攻は、我が騎士団の総意ではありません。
  思慮のない者の暴走でした。我が団長の指示ではないことを承知願いたい。」
 「……言葉だけなら何とでも言える。」
 「後のことはバクラム軍に任せ、我らはここから引き上げます。
  もちろん、これ以上の虐殺も行わない。」
 
 二人のやり取りを聞いていた巨漢の騎士が割り込む。
 「馬鹿なことを言うな! これは戦争だ! 女子供だろうが、酔った野郎だろうが
  敵国の人間を斬るのに何の遠慮がいるものか!」
 「バルバス… 貴公は少しやり過ぎだな。民衆を弑虐しては、後の治世が
  行いにくくなると、ブランタ公も心配されよう。ここは引け。」
 「納得できんわ! 奴はただの傀儡に過ぎな……」
 先の言葉を吐けないままに、バルバスの動きが固まってしまった。
 先ほどまで地面に突き刺さっていた白銀の槍は、瞬きする間に引き抜かれ、
 バルバスの眼前に突き付けられていた。
 「あとで団長が話があるそうだ。覚悟しておくんだな。」
 一言、浴びせるとヴォラックは愛用の槍ロンギヌスを手元に引き寄せた。
 
 ちらりと上空を見上げ、ヴォラックは視線を聖騎士に移した。
 「ランスロット卿、幸い雲行きからして大雨となりそうです。
  街を焼く炎も鎮火しましょう。大人しく我らについてきてもらえまいか?」
 「フハハハ…… 本当に運がいい。火が燃え広がりそうな日を選んだというのに
  急に天候が変わるとはな…」
 バルバスがあざけるように言い放った瞬間、再び抜かれたロンバルディアの切っ先は
 バルバスの喉にわずかながら食い込んでいた。
 日に焼けた肌に、それだけは人並みに赤い血が尾を引いた。
 
 幸運などではない。
 ローディスの侵攻とともに放たれた火は、晴天が続き乾ききった街に容赦なく
 広がった。街全体を焼き尽くすのにさほど時間はかからなかっただろう。
 今にも雨が降りそうなこの暗天は、ウォーレンが変えたものと知っていた。
 ランスロットがギルダス、ミルディンとともに騎士を迎えうっている間、
 老魔導士は、街のどこかで黒雲を呼び寄せているのだ。
 
 敵一人を狙い撃つ攻撃魔法ほど容易い魔法はない。
 ライムほど大きな街全体を包み込む雨を降らすとなると、どれだけの魔法力が
 必要になるのか…
 おそらくウォーレンは決死の思いで、魔法力を振り絞っているはず。
 もしかしたら死に至るかもしれない、それほどの危険をおかしているのだ。
 
 ヴァレリア島に渡る前、占星術師でもあるウォーレンは言った。
 「この旅のうちに2つの星が落ちることになるでしょう……」
 ウォーレンはそれが誰なのかまでは見えないと言っていた。
 ランスロットは、それは嘘だと思った。
 今なら分かる……
 おそらく、その2つの星は、ウォーレンとランスロットだったのだろう。
 
 死ぬことは怖い。しかし命という名の責任を果たせばいつかは死ぬのだ。
 無意味に怖れれば騎士とは言えない。
 幸いにも、この島に来て希望の光を見出すことができた。
 その輝きを消さないために今、ウォーレンも戦っているのだ。
 それを愚弄する、この無神経な男が許せなかった。
 
 あと一押しすれば、命を止められる。
 そこまで来た時、ヴォラックが聖騎士を止めに入った。
 「バルバスを殺せば、我々も貴公を殺さざるを得なくなる。
  ゼノビアの前騎士団長は、屈辱に耐え20年も幽閉される道を自ら選ばれた。
  ランスロット卿も今は耐えてもらいたい。」
 
 「……アッシュを知ってるのか? ヴォラック… 貴公はいったい…」
 「悪いようにはせぬ。貴公に会わせたい人物がいる。」
 「………。」
 今度こそ、本当に剣を納め、ランスロットは踵を返した。
 さすがに崩れはしなかったが、バルバスは汗が全身を急激に冷やすのを感じた。
 「バルバス、貴公もいい加減に引くが良い。いいな。」
 
 バルバスが自らの手兵を引き連れ、この場を後にする。
 去りぎわに「ランスロットめ……」という呟きが、小さく聞こえた。
 ヴォラックはそれを、ハミルトンのことだと自然に聞き取ったが、
 ランスロット自身はそうは感じなかった。
 「あの男、ロスローリアンに災いをもたらすぞ。」
 冷たく言い放つランスロットを見やり、ヴォラックもかすかにうなずいた。
 
 「では、来てもらいましょう……」
 ヴォラックと数人のローディスの騎士がランスロットを囲み連れて行く。
 「剣は取らぬのか?」
 手枷もはめなければ、剣を取ろうともしないヴォラックに尋ねた。
 「剣は騎士の命。その剣も貴公の手を離れたくはありますまい。」
 
 去り行く騎士たちの後ろ姿が、雨に煙っていく。
 ランスロット・ハミルトン… 雨に打たれたその姿は、どこまでも白く輝いていた。
 
 
 
 
 薄暗く冷たい空間に、剣のあげる風音だけが唸りを上げていた。
 バクラム・ヴァレリア国の首都ハイムの地下牢に連れてこられたのは、
 すでに10日も前のことだったろうか。
 剣を取り上げられることもなく、食事も満足に供される。
 戦いに敗れた捕虜の扱いからは程遠い。
 ランスロットは瞑想するか、剣を降り回すか、ほとんど毎日をそれに費やしていた。
 何かの予感が、自然にそうさせているような気がした。
 
 食事の時間にはまだ早いが、鉄格子が開き男たちが入ってきた。
 (来たな……)
 一人はライムで自分を連行した… いや、命を救われたと言ったほうがいいか。
 壮年の騎士ヴォラック。
 もう一人は眼前の騎士の影に隠れて、この薄暗い場所ではよく見えない。
 眼前に立つ騎士、右目に黒い眼帯をした男。会うのは初めてではない。
 もっとも以前に会った時は黒い眼帯はなかったが。
 「やはり貴公であったか。 ……アルフォンス。」
 「その名を呼ばれるのは久しぶりだな。よくぞ覚えていた、ランスロット。」
 「一度しか会わなかったが、なぜか忘れることはなかったよ。」
 「私は忘れたくても忘れられなかった。」
 「そのために名前を変えたのか。」
 「貴公をタルタロス(地獄)に落とすまでは死ぬわけにはいかないのでね。
  ……今では自分に相応しい名前だと思っているよ。」
 
 男の名はランスロット・タルタロス。
 暗黒騎士団と呼ばれる精鋭騎士団ロスローリアンの団長であり、
 ローディス教国教皇サルディアンの右腕と呼ばれる男だ。
 そして、その右目を奪ったのがランスロット・ハミルトン。
 ハミルトン26歳、タルタロス24歳の時の話だ。
 
 右目を奪われ、地獄に落としたいほどの相手とはとても思えぬほど、穏やかな
 表情でランスロット・タルタロスは話を続けた。
 「いつ以来だったかな?」
 「第3次光焔十字軍遠征…… もう14年も前だな。」
 遥かな時の流れは、憎しみさえも忘却の彼方へ押しやってしまうのか。
 「あの時は手酷い目に遭った。」
 タルタロスは少し自嘲気味に笑みを浮かべた。
 
 「手酷い目に遭ったのは、こちらも同じだ。あの戦いでニルダム王家はほぼ壊滅し、
  私もまた逃亡の生活を続けるしかなかった。」
 「貴公には家族がいたはずだな。どうした?」
 「撤退戦はそれは酷い混乱だったよ。生まれたばかりの娘は南方への交易船に
  乗り込む、親切な夫婦に預けたが、妻は結局私について来た…
  シャロームの辺境に身を潜めている間に、その妻も失意のうちに亡くなったよ。
  今思えば、娘をなんとしてでも連れていくべきだったかもしれぬ……」
 
 少しの沈黙を破り、聖騎士が再び口を開いた。
 「放浪の身の私を騎士として遇してくれたニルダム王家には感謝している。」
 そう呟いた時、タルタロスの背後の空気がわずかに震えたように感じ、
 ハミルトンは目を凝らした。
 
 「……ア、アンドラス王子! まさか、本当にそうなのか!?」
 アンドラスと呼ばれた男が、ゆっくりと進み出てきた。
 「ランスロット殿、本当に懐かしい…… ご覧の通り、今はローディスの手先に
  成り果ててしまいました。弁解の余地もない……」
 暗黒騎士というには相応しくなく、上半身は鍛えられた褐色の肌が甲冑代わり。
 両手には細長い鉤爪のついた鉄甲がはめられていた。
 それは疑うことなく、ニルダム王家・ボルマウカ人の騎士の姿であった。
 
 「何が恥ずかしいものか。あの戦いをくぐり抜け、今生きてここにある……
  それだけでも充分ではないですか。」
 「ランスロット殿…」
 
 ゼノビア王国がハイランド王国の侵攻に敗れた時、ハミルトンはわずか14歳。
 騎士団に入団して間もない新兵だった。
 新兵の身にとって、ここからの放浪の旅は真に試練だった。
 ゼノビア残党の探索は厳しく、ゼノビアの地には身を隠せるところなどなかった。
 ハミルトンは老獪な騎士エストラーダ率いる一群に入り、ゼノビアを離れ北方の
 エストア地方へと避難せざるを得なかった。
 20歳までエストラーダに剣技を学んだ後、ハイランドの中心部の情勢を探るべく
 潜入したが、力及ばず逃げ延びた先が、ライの海を挟んだニルダム王家だったのだ。
 
 全てに絶望し、疲れていた。
 どこかに消えてしまいたい… そんな自分を騎士として迎えてくれた。
 王家の近衛騎士団の一員として暮らした日々は幸せだった。
 王家の末子アンドラスは彼を兄のように慕ってくれた。
 この地で妻を娶り、あまつさえ娘さえ授かった。
 ゼノビアの再興など忘れてしまいそうな毎日。
 しかし平穏は長続きしなかった。ガリシア大陸平定を目論む大国ローディスが
 聖戦の名の元、侵略戦争を始めたのだ。
 オウガバトルで神に助力し、この地を与えられたというボルマウカ人の誇りは
 ローディスに屈服せずに戦う道を選んだ。
 ハミルトンも力の及ぶ限り懸命に戦ったが、わずか1年余りでその抵抗も終わった。
 再び、放浪者となったハミルトンは、ようやくほとぼりの冷めたゼノビアの片隅に
 潜むことができたのだった。
 
 「あの戦いで、ボルマウカ人の誇り、ニルダム王家の意地を見せられなければ、
  私が新生ゼノビア王国の騎士団長になることなど、なかったでしょう。
  王子には感謝の気持ちでいっぱいです。こうして生きて会えるとは夢にも
  思いませんでした。」
 「トリスタン王子を助けてのあなたの活躍を聞いていました。誇りに思います。」
 「まさか王子がゼノビアから逃げ延びた仲間の中にいたとは気付きませんでしたが。」
 照れたように話し、ハミルトンは少し微笑んだ。
 
 「私が逃げていれば、同じように民は国を再興してくれたでしょうか……」
 ニルダムの兵士は卓越した戦士だ。
 王家の人々は国民を人質に取られ、国民は王家の人々を人質に取られ、
 どちらも身動き取れぬままに、ローディスの尖兵となっている事情は、
 ハミルトンにはよく理解できた。
 アンドラスの胸中を思うと、これ以上の言葉はかけられなかった。
 
 タルタロスに目を向けなおし、ハミルトンが問いかけた。
 「聖剣を奪い、このヴァレリアで何を目論む?」
 「貴公らが天空の三騎士の助力を得たように、我々もカオスゲートを開き、
  魔界の神々の力を得る。」
 「本気か? 我々人間が容易く操れるようなものではないぞ。」
 「上層部の考えでな。パラティヌスではオウガを呼び出し実戦投入したそうだ。」
 「オウガを呼び出しただと!」
 驚いたのはハミルトンだけではなかった。
 アンドラスも目を大きく見開き、ヴォラックでさえ少し動揺した気配を見せた。
 
 ローディスとゼノビアの間に位置するパラティヌス、その西部地方はすでに
 ローディスの占領下にあり、完全支配されるのは時間の問題と思われていた。
 パラティヌスを併合したローディスの力は真に脅威である。
 新生ゼノビア王国の建国から時を開けず、パラティヌスに向け先遣隊が派遣された。
 
 (デスティン、ギルバルド、デボネア、サラディン、アイーシャ…)
 かつて共に戦った戦友のことを思うと、焦燥感のようなものが湧き上がってくる。
 無事でいるのだろうか……
 
 「私はこの島で、聖剣を使う気はない。」
 タルタロスの言葉に一同は、もう一度驚いた。
 「聖剣を奪い、この島に渡ることは命令だった。
  しかし私の目的は別にあった。聖剣を奪えば騎士団長ランスロット・ハミルトンは
  必ずこの島にやってくる。それが狙いだ。」
 
 聖剣が奪われた後、元オファイス王国騎士団の忍者たちを使って、ヴァレリアに
 運ばれたという情報を掴んだ時には、その諜報能力の高さを感じたものだが、
 それらの情報もタルタロスが、わざと流していたものか。
 
 タルタロスに目を向けなおし、ハミルトンが問いかけた。
 「本題に入ろう。私を拘束もせず、食事も与えてきたのは何故だ?」
 タルタロスは即座に答えた。
 「あの日の決着をつけたい。」
 「……やはりな。」
 ゴリアテの港町でデニムたちに、同じ名前の暗黒騎士がいると聞いた時から
 覚悟はしていたが、こうして現実になると少し震えが来るのは何故だろうか。
 
 「決着は今、この場でつける。」
 「私が勝った場合は?」
 ハミルトンの質問を受け、タルタロスが視線を転じた。
 傍らで見守っていたヴォラックが光り輝く剣を取り出した。
 「聖剣を返そう。その上で貴公はゼノビアへ帰るがいい。この勝負、この者たちは
  手出しはしない。」
 
 アンドラスはともかく、このヴォラックと名乗る騎士を信頼していいものか。
 確かにライムでは、正統な騎士ぶりを見せてくれはしたが。
 ハミルトンの疑念を察知してか、ヴォラックが口を開いた。
 「私の名はヴォラック・ウィンザルフ。信用していただきたい。」
 (ウィンザルフ…!)
 「では、貴公は王妃ラウニィーの…」
 全ての言葉を聞き終わらぬうちに、ヴォラックはかぶりを振った。
 騎士としてこれほどの男なのだ。色々な事情があったのだろう。
 ハミルトンはそれ以上の詮索をやめた。
 信じるに足ると分かればそれで充分なのだ。
 
 「聖剣を返してもらっても、島を出るつもりはない。」
 「心配せずとも、ヴァレリアの覇権はゴリアテの英雄の手に落ちる。
  昨日、フィダックも陥落したよ。」
 ハミルトンは安心した。ウォルスタがヴァレリアの覇権を握るということではなく、
 デニムが生きていると分かったからだ。
 
 「しかし、ロスローリアンが残っている。」
 「本国から撤退命令が出ている。我々もすぐにこの島を去るよ。」
 初めて聞いた話だったのだろう。アンドラスとヴォラックは驚いた表情を見せた。
 「冥煌騎士団が敗れたのだ。パラティヌスの西部領も失ったらしい。」
 「冥煌騎士団が敗れるとは、いささか信じられませんな。」
 ヴォラックが半信半疑で問い返している。
 「オウガが自軍の中にいることに疑問をもった者が次々と離反したのだ。
  それにパラティヌス軍の中には、ゼノビアの勇者の姿もあったらしい。」
 それを聞いてハミルトンが笑みを浮かべた。
 
 ハミルトンの笑みを見て、タルタロスの左目がわずかに細まった。
 「友か… 羨ましいな。私にとって友と呼べるのは、教皇ただ一人だ。
  いや、兄のようだった。…思えば私には一人の友もいなかったかもしれんな。」
 その一瞬だけ、タルタロスの表情に寂しげな翳りが見えたような気がしたが、
 薄暗い牢の中でははっきりと確認することはできなかった。
 
 2人の話をアンドラスは不安な気持ちで聞いていた。
 ローディスとパラティヌスに挟まれたニルダムはどうなったのだろうか?
 その気持ちを読んだかのように、タルタロスが告げた。
 「ヴァドとかいう兵団長が、ニルダム兵団を率いて反乱を起こしたそうだ。
  もはや人質の意味はなくなった。貴公も帰って構わないぞ。ただし、
  ローディスの手先として働いた貴公を許してくれるかどうかは分からんがな。」
 どこまでもタルタロスの言葉に感情は感じられなかった。
 アンドラスの心はここにあらずという感じに見えた。
 おそらく、喜びや悔恨、苦悩や解放、様々な気持ちが走馬灯のように頭の中を
 駆け巡っているのであろう。
 
 ヴァドならハミルトンも知っている。
 アンドラスとは3歳違い。近習としてというよりは友として、アンドラスと
 仲が良かった姿を思い出した。
 若い力は確実に成長しているのだ。
 
 ロンバルディアを抜き直したハミルトンが、タルタロスに向かい敢然と言い放った。
 「さあ、始めようか!」
 ローディスの脅威は取り除かれつつある。
 この勝負で勝とうが負けようが、大勢に影響はないのである。
 そう思うと自然に覚悟ができた。
 しかし本当のところは負けることへの覚悟がついたと言うべきかもしれない。
 タルタロスがこれだけのことを話した以上、ここから帰すつもりはないのだ。
 つまりそれだけ絶対の勝利への自信があるということだ。
 恐ろしいまでの自信と言えるだろう。
 
 タルタロスも愛用の剣、アンビシオンを両手に持ち正眼に構えた。
 古代の王が神との契約により授かったと言われる神聖剣だ。
 「ローディスが負けると思っているのか? フフフフ……
  オウガより、魔界の神よりも恐ろしい者の助力が得られそうだと教皇は言われてた。
  まだまだ勝負はこれからだよ。」
 
 冷たい牢内の空気がさらにいっそう冷たくなっていくように感じられる。
 急速に2人の闘気が凝縮され、息がつまりそうな緊張感に満たされていく。
 狭い牢内、2人の距離は互いに一撃必殺、一足一刀の間合いだ。
 勝負は数瞬でつく。
 タルタロスの姿が歪んだ。剣が2本に見える。それは早さのせいだったのか、
 それとも異形の剣技だったのか。
 「ローディスに逆らう愚か者め…。わが奥儀を受けてみよッ!!」
 剣が打ち下ろされる場面はハミルトンにも見えたような気がした。
 完全にかわしたつもりだったが、聖剣から放たれる黒紫色の波動は、聖騎士の右腕の
 甲冑に重く食い込んでいた。波動だけがである。
 
 右手の感覚がなくなっている。
 もはや、時間を置く余裕はない。
 一瞬の判断でロンバルディアを左手に持ち変え、横殴りの一閃を叩き込んだ。
 「いぇぇぇぇぇッッッッいっ!!!」
 裂帛の気合いが空間にこだまする。
 長年の努力で補ったとはいえ、隻眼のタルタロスの視界は少しだけ右側が悪い。
 しかし剣は、波動と同じ黒紫色のタルタロスの髪を数条と、眼帯の帯を斬り落した。
 それだけだった。
 その刹那、腹部に重い一撃を受け、ハミルトンは倒れ込んだ。
 斬られたわけではない。
 だが、急速な喪失感が全身を蝕んで行くのが分かった。
 
 「教皇に教えを受け、鍛錬を重ねた我が奥儀、アポカリプス。
  2度使ったのは貴公が初めてだ。さすがに我が生涯の宿敵よ。
  しかし、もはやこれまでだ。貴公は身体だけでなく、魂や記憶までも
  冥界の淵へと飛ばされる。後は敗者らしくここで死に行くがいい。」
 
 頭上で話すタルタロスの声が、よく聞き取れない。
 (私は誰だ……? なぜここにいるのだ…)
 暗黒の波動は容赦なく聖騎士から全てのものを奪っていこうとする。
 家族…… 友…… 愛する人たち……
 
 「もし貴公が、あと数日生きていたら面白い人物に会わせよう。
  ヴァレリアの覇権を覆すかもしれない切り札だ。
  赤い首飾りをつけた救世主とな。 ……フハハハハ!!
  その時に貴公の信念は音を立てて崩れるだろうよ。」
 タルタロスはそう言うと、残された2人の騎士にも声をかけずに、
 牢の出口へと向かった。
 
 「首飾り……ま、まさか… ま、待て! ア、アルフォンス……
  光を… 光を奪わせはし… ……い… ぞ 」
 意識がどんどん暗闇に落ちていく。 ここまでなのか……
 
 立ち上がりかけ、しかし立つことができずに聖騎士は崩れ落ちた。
 その体から固い音を出して転げ出した1つの古ぼけた箱が口を開ける。
 それは妻の形見のオルゴールだった。
 何度も、何度も、繰り返し聞いたメロディが寒々とした牢に響き渡る……
 
 
 ……ランスロットの脳裏に、はっきりと浮かぶものがあった。
 それは妻でも娘でもなく、希望を託す少年の姿だった。
 
 「命という名の責任……」
 「死んではいけない、自分のまいた種の成長を見届けなければならない…!」
 まだ死ねない。その思いだけで踏みとどまれる。
 彼は聖騎士なのだ。
 
 物悲しく流れるメロディを背中に聞きながら、何を考えるのか。
 去り行く暗黒騎士の後ろ姿が、闇に飲まれていく。
 ランスロット・タルタロス… 闇に包まれたその姿は、もう誰の目にも映らなかった。
 

 
〔小説に関連する年表〕
暦年
主な出来事
人物年齢
Lancelot
Alphonse
Volac
Andoras
Vad
Tristan
Clare
207 ●ヴァレリア王国建国              
212 ●ランスロット生誕 0            
214 ●アルフォンス生誕 2 0          
216 ●第2次光焔十字軍
  遠征
4 2          
221 ●パラティヌス王国
  プロカス王即位
9 7 4 1      
226 ●ハイランド侵攻開始 14 12 9 6 3 2  
227 ●神聖ゼテギネア
  帝国建国
15 13 10 7 4 3  
238 ●第3次光焔十字軍
  遠征
26 24 21 18 15 14 1
239 ●ニルダム王国が
  滅亡

●パラティヌス西部を
  ローディスが占領
27 25 22 19 16 15 2
248 ●ランスロットの妻
  死去
●バルドルの乱
36 34 31 28 25 24 11
250 ●ゼノビアの反乱軍
  活動開始
38 36 33 30 27 26 13
251 ●新生ゼノビア王国
  建国
39 37 34 31 28 27 14
252 ●パラティヌス王国
  ローディスの支配
  から脱却
●ハイム戦役
40 38 35 32 29 28 15

※暦年は現段階で最も長く判明している〔パラティヌス歴〕を使用しています。
※年齢はその年の神竜の月1日時点での年齢を現しています。

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