》》》》》 管理人室
このサイトの管理人である私、バトラーのプロフィールです。
あと、真理子さんとの出会いも書いておきました。

 
ハンドルネーム バトラー
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(迷惑メール対策ですので、ご了承を)
誕生日 1968年12月12日
住処 大阪
家族 妻(同い年)、長男(2002年生まれ)、長女(2006年生まれ)

 
●真理子さんとの出会い
私が真理子さんのことを知ったのは、真理子さんがデビューした1987年の終わり頃になります。
その年、大学生になった私は、ミニFM放送をしているサークルに入りました。
同時にFMラジオ局でバイトすることになったのですが、これがなかなか美味しいバイトでした。
 
ラジオ局というのはTVと違って、とにかく音楽がメインです。その関係でレコード会社の人が、番組制作者に対して、色々なサンプル盤を持ってくるんです。番組で紹介してよ〜ということで。
その数たるや膨大なものなので、番組制作者が全てを聴けるものではありません。
結果的に、多くのサンプル盤が「要らないもの」として、山積みされていくことになります。
(原則はレコード会社に返さなくてはいけないのですが、レコード会社の人も回収する気なし)
 
それらのサンプル盤は、自由に持って帰っていいよ〜という状態になるんですね。
実際には、番組制作者⇒その他社員⇒レコード室バイト⇒その他バイトという序列(^^;)があり、その他バイトである私の段階では、売れているアーティストの作品は、ほとんど残っていません。
しかしながら、そんな状況を初めて体験する私には、宝の山のように見えたものです。
 
そして1987年の暮れ、本当の宝に出会えたんですね。山の中で見つけたのは、「元気予報」のLPレコードでした。
何せ聴いたことがないわけですから、持って帰るかどうかは、フィーリングしかないのです。
CDと違い、LPは非常に重たかったですし、何でもかんでも持って帰るのは大変です。^^;
「元気予報」は、あの渋いジャケットと、当時あまり見かけなかったボーイッシュな女性という点が、気持ちを引かれた点だったんじゃないかと思います。
 
そして、レコード盤に針を落とした瞬間に流れてきた「Mind Your Step」の印象的なイントロ、続いて聴こえてきた真理子さんの歌声に、私は引き込まれました。
「瞳・元気」の透明感… 自分自身を素直に歌い上げた「Mariko」…
一度聴いただけで、もうすっかりファンになってしまったのです。
けど、この頃はまだ、数多く聴いているアーティストの中の一人に過ぎませんでした。
ながまり×15%ぐらいだったでしょう。

●ながまり倦怠期
当時の私は、宝の山から偶然見つけたマイナー・アーティストを聴くということに浸ってました。
まだほとんどの人が知らないアーティストを知っているという点に酔ってたんですね。
B'zがまだデビュー・シングルしか出してない時に、B'zを他の人に勧めたりしてましたし。
 
ところが真理子さんのブレイクは、あっという間にやってきました。
「ロンリイザウルス」、「ミラクル・ガール」、そして「Zutto」と大ヒットが続いていきます。
こうなると私にとっては、「なんだか面白くない」という状況なんですね。^^;
そういう不条理な嫉妬心もあったのですが、それだけでなく作風にも飽きが出始めてました。
Tシャツとジーパン、元気いっぱい、さあみんな行くぞ〜!というステレオタイプ化。
そのコンセプトに合わせたと思われる似たような曲たち…
 
1991年に私は就職しました。バブル絶頂期の売り手市場なので、大手企業のどこでも行けた時代だったのですが、私が入社試験を受けたのは、FMラジオ局とレコード会社だけでした。
 
ファンハウスも受けに行きました。当時のファンハウスは、ソニーレコード、東芝EMI、ポニーキャニオンという3大レコード会社に次ぐような位置付けにありました。(一次試験が日本青年館!)
真理子さんを始め、私が好きな岡村孝子、辛島美登里、麗美などが所属していたので、その誰かの作品をプロデュースするんだ〜なんて大それた夢を持っていたんですね。結果は二次試験で落とされました。^^;
 
ファンハウスには行けなかったものの、別のレコード会社に無事就職できた(ただし配属は経理系)私は、音楽好きな職場の先輩や仲間に刺激され、ますます色んなアーティストに食指を広げていくことになります。
そんな状況もあり、「WASHING」の出来栄えにガッカリ(当時ですよ、あくまで当時の気持ち)した時、ながまり×5%ぐらいまでダウンしていたと思います。

●ながまり レボリューション
真理子さんの歌は好きでしたが、真理子さん自身のことをなんでも知りたいという気持ちはなかったので、あの有名な「野望の大陸」を読んだことがありませんでした。
なんと「野望の大陸」を読んだのは、このサイトを開設しようと思ってからなんです。
あくまで私の思いを形にしたサイトなので、自由に文章を書いていけばいいのですが、もしかしてすごく的外れなこと(特に真理子さんの気持ちとのズレ)を書いていると怒られるかもしれない… ^^;
(真理子さん本人が読むことはないでしょうが、少なくても他のファンの人の気持ちも考えて)
 
読んでみて、真理子さんの気持ちが、その当時の自分の気持ちに近かったのに驚きました。
決して、好んで送り出した作品ばかりじゃなかったんだ、ファン以上にいちばん悩み苦しんでいたのは真理子さん自身であり、伴侶となられた廣田コージ氏だったんだ…と。
なので、私も当時の気持ちをできるだけそのまま、遠慮なくこのサイトで表現することにしました。
 
「聴いて、驚くな。」 そりゃ無理です。聴いて驚きました。
私はシングル作品を買うことがほとんどなかったので、作風の転換を実感したのは「OPEN ZOO」でした。まずジャケットにビックリ。違う、違う、今までの真理子さんと全然違う!
曲を聴いて、二度ビックリ。違う、違う、今までの真理子さんと全然違う!
 
そう、これが当時の真理子ファンにとって、大きな分かれ道でした。ファンを続けるのか、ファンを辞めるのか…
私の場合は「ファンを続ける」でした。 正確には「本当のファンになった」だったのかもしれません。
まだまだ、他のアーティストもたくさん聴いてたので、ながまり×20%ぐらいだったと思いますが、今思えば、真理子さんに対する何かが、私の中で変わり始めていたのでしょう。

●私の中の淘汰
1993年にご結婚された真理子さんは、1996年にはご出産という人生の転換期を迎えられました。
同時期、ファンハウスとの契約切れもあり、新作の発売が一時的にストップしました。

私は1995年に、それまで勤めていたレコード会社から、ごく普通の会社へ転職。4年半の東京暮らしを終えて、地元・京都に戻り、翌1996年に結婚しました。
「レコード会社」と「ごく普通の会社」、この2つの間には凄い落差がありました。何の落差って、それまで当たり前のように入ってきていた芸能情報、音楽情報が全然入ってこないのです。その落差に愕然としつつ、いつしか私もその環境へ順応していきました。
 
1998年までの3年間で、それまで聞いていた数多くのアーティストが淘汰されていきました。
新譜を聴いても何か心に響くものがなく、その作品がそのアーティストの最後となってしまう連続。
いつの間にか、もう私はすっかり業界人ではなくなってました。^^;
そんな中、真理子さんの久々のアルバム「You're…」だけは違ってました。
心が穏やかになる、ちょっと元気になる、鮮烈さではない不思議な心地よさ。
来る日も来る日も、私のポータブルCDプレーヤーでは、「You're…」が回り続けていました。
 
2000年「ちいさなとびら」、2002年「そんな場所へ」、スローペースの新作発表、それでも私にとっては充分満足でした。この頃はもう、ながまり×75%ぐらいには、なっていたと思います。
 
そして、2002年には私も長男を授かりました。
この年まで車の免許を持っていなかった私も、ようやく免許を取りました。^^;
そのカーステでかかるのは、やっぱり真理子さんの曲ばかり。
私にとって、音楽と言えば真理子さんというぐらい、そのウエイトは高まっていました。

●そして、ながまり×99
かつて好きだったアーティストの中には、メジャー・レコード会社との契約が終わった後、新たな作品を出すことなく消えていった人も大勢いました。
嬉しいことに真理子さんはその道をたどりませんでした。たどってたら泣いてたと思います。(ToT)
「AIR」、「Sunny Side up」、生み出される新たな作品を聞くことが、本当に至上の喜びでした。
 
真理子さんの曲をもっともっと聴きたくて仕方がなくなってきた私は、これまでカバーできてなかったアルバム未収録曲も集めることにしました。
「そのうち収録されるだろう」とか、「ちょっとぐらい知らない曲があってもいいや」とか思って、シングルを買おうとしてこなかったもので。(これは真理子さんの作品に限らず)
 
ネット・オークションってホント便利ですよね。入手困難と思われる昔のシングルも、全て集めることができました。
聴いてなかった曲、どれもこれもいい曲ばかり! 今まで聴いてなくて損したよ〜
 
ポータブルCDプレーヤーにしても、カーステにしても、聴くのはCD単位になりがちです。
私の場合、「OPEN ZOO」〜「Sunny side Up」といった特定のアルバムに偏りがち。
せっかく入手したアルバム未収録曲にしても、もっともっと聴きたい!
 
……2007年、ついにiPodを買ってしまいました。真理子さんの曲を全部、ぶち込みました。真理子さんの曲だけを。
新しい曲、昔の曲をシャッフルして聴いていると、不思議なことが起きました。
昔はあまり好きでなかった曲にさえも、気付いてなかった良さを感じられるようになっていたのです。
 
「プリティ・ロックンロール」って、こんなにカッコ良かったっけ?
「ピンクの魚よ」、アコーディオンのアレンジが最高で、すごくいいバラード!
好きじゃなかったアルバム「WASHING」に入ってたのか… 「WASHING」もいいじゃない。
 
通勤の往復で約20曲を聴けます。ちょうどライヴのような感じ。毎日、毎日、仮想ライヴです。
「おお〜、オープニングがこの曲かよ、やるなぁ〜」 「この曲から、この曲につなげるなんてサイコー!」とか。
もはや、独り真理子バカ。 ←もちろん「バカ」なのは私ですよ。^^;
 
「ながまり×99」 このサイトの名前には、2つの意味を込めました。
1つは私が聴いている曲の99%が真理子さんの曲だということ。
iPodだと100%なんですけど、それ以外でごくたまに他の人のを聴くこともありますので。^^;
 
コンピュータの世界では、「最大数」とか「永久的」という意味で「99」を使うことがあります。
私にとって、真理子さんは最も大切なアーティストですし、これからも永久に愛し続けたいという気持ちも込めて、このサイト名にしました。
 
 
 
TBSで放送されていたTV番組「ザ・ベストテン」のヒット・チャートを、私は小学生から大学生まで10年間記録していました。常に流行の歌を把握し、その延長のようにレコード会社へ就職。
きっと、このままお爺さんになっても、最前線の曲を聴き続けるんだ…と何の疑いなく思ってました。
 
しかし現実は厳しいものです。^^; 2000年頃から音楽番組を見ていても、さっぱり分からなくなりました。
どこがいいのか分からない、なんで売れてるのか分からない、どっちが曲名で、どっちが歌手名??
 
そんな状況にあっても、私は自分が幸せ者だと思えます。真理子さんに出会い、真理子さんの曲を愛し、真理子さんが生み出す新たな曲にも、まだ出会える楽しみがあるのですから。
 
20周年記念アルバムに収録された「あいのうた」、真理子さんの気持ちが伝わってきて、じんわりと感動しました。
これまでファンを続けてきて良かったと心から思います。新しい一歩を一緒に歩いていく、その1人として、これからも真理子さんを応援し続けていきたいですね。
 
 
昔から真理子ファンを続けている人、何かのきっかけで真理子さんを思い出した人、新しくファンになった人……
今までにどんな作品が発売されていたんだろう? 全部聴いたことあるんだろうか?
そんな情報を探す時に、このサイトが何かのお役に立てれば嬉しいです。

 
 
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