摩尼山 今日は朝からいい天気だったので、昼過ぎから高野山の山にでも登ろうと、出かけた。 思った以上に高野の雪は多く、まだ街中の道の両側は雪がうずたかく積まれて、溶けていなかった。 せっかく来たのだからと予定通り高野三山を目指し、まず摩尼山からと登りはじめた。 普段、冬季の山登りにはアイゼンを持って来るのだがたまたま今日は持たずに来た。 雪の深さで滑りそうになること度々であった。 私は奥の院境内裏の車道のアイスバーンで滑り、転んだ。 摩尼峠の祠で、弘法大師の石像が祀られている。 雪は思った以上に深く、ずっと30センチくらいの深さがあった。 幸い真ん中が少し踏まれていたのでルートがはっきりわかり道を踏み外すことはなかった。 それでも時々膝まで沈み込むところもあり、時間が倍ほどかかった。 頂上についたがわずか1.6kmのところを途中休憩や昼食も含めて、一時間もかかった。頂上のかわいらしい祠には観音様の石像が祀られていた。 摩尼山は、奥之院の東北、約1キロメートルに位置し、頂上の祠はかなり昔からあったことが絵図などからわかるらしい。 大峯山を開いた役行者がここに住んでいたといった話や、弘法大師によって「如意宝珠(にょいほうしゅ)」が山頂に埋められ、それを龍神が護っていることなどが記されている。 そんなありがたい山なのである。 1004mの高さがある。 本当は三山をくるりと回りたかったのだが、あまりの雪の深さとアイゼンを着けていないのとで日暮れまでに奥の院につけないと判断し、摩尼山だけにして下山した。 山頂からは行きたかった楊柳山が見えた。 登りもかなり気を使ったが、下りの方が危なっかしく時間がかかった。 2回ほど雪で滑り尻もちをついた。 下山して道路に出た時、朝と同じ場所でまたこけてしまった。 下山してから奥の院の方にまわり、境内を歩いた。 手水場はカチカチに凍っていて、蓮座の下の丸いところは5㌢くらいの氷で覆われていた。そして流れ落ちる水の真下は凍らず、まわりが凍り、面白い造形になっていた。 いつも写真に撮る仲良し地蔵さんも寒そうであった。 今回の山は、ハイキング気分で行ったのが間違いであった。アイゼンのない雪道ではかなりハードな登りとなった。 やはり山登りは、特に冬季は万全の装備で行かなくてはいけないと、反省。 帰りの夕日はきれいだった。 (2014年2月23日)
転軸山 楊柳山からいったん車道に出て転軸山への入り口を探した。 すぐ見つかったが入り口の道をヤマカガシが這っていた。 この蛇を見るのは久しぶりである。それほど強い毒は持っていないらしいが、毒蛇である。かまれると危ない。 転軸山への道もアップダウンがあるがどちらかといえばアップの方が多い。木の根の階段が続き面白い。 転軸山頂上には4時50分についた。摩尼山や楊柳山の祠とよく似ている。 頂上では持ってきていた桃を食べた。奥之院の弘法大師御廟(ごびょう)に最も近い。 この転軸山には宝剣とお経の軸が納められているということである。 宝剣は弘法大師が不動明王の剣を埋納したともされ、その寸法は五尺(151.5センチメートル)であったともいわれている。 転軸山は、「巓(てん)軸山」と記す記録があるようで、「巓」はイタダキ、頂上という意味で、この「巓」の字がいつしか「転」に変化したと考えられる。 また別の説では、転軸山の頂上にまつられているのは弥勒菩薩なのだが、弥勒菩薩の別名は「転法輪菩薩」ともいわれ、この「転」と経軸の「軸」を合わせて「転軸山」としたのではないかという。 さすが霊地の山々、いろんな伝承や伝説があって面白い。 同じ道を引き返し、下山したのは5時25分であった。 山の夕暮れは早くかなり薄暗くなってきていた。 山は蝉が鳴いていたがカナカナと鳴いていてヒグラシと思うのだが、少し時期的に早い感じがする。 楊柳山から転軸山まで歩く間中、ずっときれいな鳥のさえずりが聞こえていた。 鳥の種類が分かればもっと楽しめるのかも知れない。 やはり山はいい。疲れるが自然とのふれあいで新しい発見があるので面白い。
楊柳山 摩尼山に登ってからかなり時間が経ったがやはり高野の全山を登りたくて出かけた。 まず楊柳山に登ることにした。 三山の内ではもっとも標高の高い山で本来は摩尼山から尾根づたいに黒河峠を越えて頂上となるが、摩尼山は雪の日に登ったので、奥の院から金剛峰寺の林道を歩いて登ることにした。車を三本杉駐車場へ駐めた。 なるほど大きな杉の木が三本立っている。ガイドブックには詳細は載っていないが、林道を北に行けば稜線で楊柳山に行き着くだろうと、ゲートを抜け歩き始めた。 12時50分であった。 歩き始めた林道はきれいな道で、周囲の林も公園にも匹敵するような美しさであった。 丸木で造った小屋もあった。 ゆったりと景色を見ながら歩いていると、山登りの常で上り坂がある。 これが結構きつかった。途中道が新しく造られていてルートが分からなくなったが、何となくこっちという感じの道をとり歩いた。 何度か休憩した。一組の夫婦連れが降りてきた。摩尼山から歩いてきたという。道は間違っていなかった。 急坂を上り尾根にでると案内板がある。少しほっとした。 楊柳山への道はいったん摩尼山の方に右折する。 道はいかにも山道という感じで快適である。適度にアップダウンがあり、歩きやすい。 程なく頂上に着く。 頂上には楊柳観音がまつられている。また一説には文殊菩薩がまつられていたという記録もある。楊柳観音は衆生を済度するのにさまざまな姿に変化して出現する三十三観音の一尊で、手に楊柳枝(ヤナギ)を持っていることが特徴という。 別名を「薬王菩薩」ともいわれ、あらゆる病を除く菩薩として信仰されている。 観音浄土は、「補陀洛山(ふだらくさん)」と呼ばれる山中であるとされているが、楊柳観音の浄土も、同じく山中であるという観音信仰から、ここ楊柳山もこうした観音信仰を背景として、奥之院後背にひときわ高くそびえるこの山を、楊柳観音の浄土であると信仰されるようになったと考えられている。 祠はデザインが摩尼山のものと酷似している。同じところで作ったと思われる。 頂上でコーヒーを湧かして飲んだ。山で飲むコーヒーはおいしい。 途中の道の分岐の看板に、蝉の抜け殻があった。 道はアップダウンのある快適な尾根道となる。アップダウンがあるので枝雀が落語の中でよく言っていた「緊張と緩和」がある。 一気に降りる急坂があり、下り終わると子継地蔵がある。 3時35分についた。 ここで転軸山と楊柳山の分岐となる。子継地蔵をから左にルートをとると道は下りばかりになり、細い川がありその回りに湿地が広がっている。材木の切り出しをしているということで、転軸山へのルートが変えられていた。 湿地をかわすための木道を歩き、木に貼り付けられたルート案内に沿って歩くと車道にでる。 本来ならでたところですぐに転軸山だが、この日は右に折れて車道を歩く。 しばらく歩くと転軸山の登り口がある。ここで楊柳山は終わる。時計を見ると午後4時15分だった。
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