周辺をウォッチィングして引き返した。 リベンジと2011年7月26日に以前と同じ笹の茶屋峠の休憩所のそばに車を置き、林道を西に入り近畿自然歩道から日光神社にむかった。 山地図にぽつんとある感じの日光神社は、小辺路を通過しての熊野詣でが盛んな頃信仰を集めた大きな神社で明治の神社統合で里に移されたいわれているが、当時は日光三十八社権現と称する由緒ある神社だったそうである。 この神社の氏子だった上湯川地区の保存会が再建し、以後守られていると案内板に書かれていた。 中世頃には、山伏や行者たちの修錬と宿坊の拠点として創建されたが、応永26年(1419年)頃の火災により焼失したという。 ![]() 昭和41・42年に、平惟盛ゆかりの旧家・小松家所蔵の「日光曼荼羅絵図」を参考にし、発掘調査が行われ曼荼羅絵図にも描かれていた寺社伽藍の礎石や多宝塔などの建物跡、経塚が発見され土器や護摩炉・鏡・銅製鈴なども多数の遺物も出土したという。昭和44年には、『史跡日光神宮寺跡』として、町指定文化財に指定されている。 そんな日光神社へは足幅に合わない歩きにくい階段が続いている。 ここだけではなく。あちこちに自然歩道として擬木等で階段が作られているが、歩きにくいものが多い。 それは山歩きのことを知らない業者が取り付けるからで、階段ひとつのステップを二歩で行かねばならず疲れる。 階段はない方が歩きやすい。 神社は木立に囲まれた薄暗いところにあった。 5時40分から歩き始めて神社に着いたのは、6時であった。夏とはいえ夕暮れが迫り少し薄暗くなっていた。 写真もスローシャッターになるので、ブレたのが多かった。 日光神社からは結構嶮しい山道を歩く。途中にいくつかの標識があるが、時間や距離などは普通に歩けば表示通りにいける。一応終点はアスファルト舗装された林道である。 伏拝山と書かれた看板があったが、今回は時間がなかったのでパスした。 2014年8月13日に登り残している伏拝山に登ることにした。 山の名は、 フシオガミヤマという。 登り口に、伏拝山の登山口を示す看板がある。 入り口付近は倒木があったり岩が転がっていたりで、かなり急坂を覚悟して登りはじめた。 ところが、頂上にはあっけなく着いてしまった。その間5分ほどだった。 少し物足りなかった。 時間が余ったので、草木やキノコのウォッチングをしながら頂上から東へ続く尾根筋を歩き、中間地点の少し開けたところで昼食にした。 写真のキノコのうちヒトデの触手のようなキノコはさわっても毒らしく、手で触れなくてよかったと胸をなで下ろした。 尾根に着いた時大きな足音がしたので見ると鹿がこっちを見ていた。 写真を撮ろうとしたがレンズが50mmマクロでアップは望めずかといってレンズを替えていると逃げてしまいそうなので、とにかくシャッターを押した。 それからすぐに谷に降りていった。たった一枚だけ撮れたのが上の写真で、トリミングをしている。 食事をした所にナラの実や松ぼっくり、そしてセミの抜け殻があった。 食事をし終わり下山したが山歩きをした感じがしなかった。 頂上の眺望も木に遮られて全く周りが見えなかった。 帰りは、上湯川を抜けあらぎ島を見た。ちょうどいい時期だったので棚田の稲がきれいであった。
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