消えた野上鉄道 |
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頑張ったけれどなくなってしまったチンチン電車 |
そのチンチン電車は少し疲れた走りをしていた。 スピードがのろいので、揺れ方も何となくよたよたとしていた。 しかし時間通り、きちんと動いていた。 走って、そして人を運ぶという本来の機能は全く失われていなかった。 和歌山県の野上電車は、海南市と海草郡野上町を結ぶ私鉄の路線だった。 延長11.4キロを30分近くかけて走り抜いていた。 地域の足として大正時代から80年もたくさんの人を運んできたが、経営難から廃業方針が打ち出され、結局は廃線となってしまった。 私はこの路線が好きで、よく写真を撮りに行っていた。 四季折々に周囲の景色が変わり、乗っている人たちも愉快で楽しかった。 駅舎や改札口の昔のままの風情が、写真をするものにとって楽しい光景であった。 終着駅は、生石高原への登山口だったが、駅前には食堂兼雑貨屋が一軒。 店のおばさんは、往時のにぎわいの懐かしさを語るが、乗り降りする人もなくなった終着駅周辺は、寂しい光景が広がっている。 撮影に行った折りなど、時間つぶしにおばさんの店でうどんなどをいただきながら昔語りをするのが面白かった。 |
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廃線当時、年間利用客は学童ら約60万人であった。 国などからの欠損補助金でしのいできたが、その打ち切りに伴い、会社側はとうとう廃線を決意したのである。 会社の経営努力に首をかしげる向きもある。 確かに廃線間際までツーマンで運行したり、乗る人を呼ぶための手だても何も打たなかったのも悪い。 しかし、路面電車が見直されている時代に、もう一踏ん張りしなさいと、補助金など出せなかったものか? また増収のための手だてを、会社と一緒に考えるコンサルタントを派遣したりして、何とかこのフォトジェニックでゆったりとした野上鉄道を存続させたかったと思うのは私だけだろうか? バブル経営破綻の貸し倒れにはふんだんにお金を使うくせに、こうした庶民の足存続のための、わずかな補助金が出せないのだろうか。 今、線路のレールはすでに撤去され、歩道や自転車道になっている。 電車に代わり、今は狭い「国道」を大型バスが走っている。 鉄道敷きは、あるところは自転車道や歩道に姿を変えている。 いつの日かこの電車が存在したことすら忘れられてしまうのだろうか。 あるものがなくなることはやはり寂しい。 折にふれ野上鉄道を撮影してきたが、なくなった今となっては懐かしい光景で、もっと撮影しておけばよかったと思う。 今は跡形もなくなっているが、人々の記憶にとどまっている。 環境問題がいわれている今、人や環境にやさしいこうした電車がなくなってしまったのはやはり惜しい。 |
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