奈良歴史散歩
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その1
飛鳥と難波を結んだ、大坂街道ともよばれる「竹内街道」を歩いてみたかった。
これまで京都から熊野の「熊野古道」、紀州から大和への「大和街道」と歩いてきたが、日本最古の国道であり、古代、大和(奈良)と難波(大阪)を結ぶ重要な道路であったのがこの「竹内街道」である。
613年、推古天皇により整備されたというこの道は、当時は遣隋使や遣唐使、渡来人らが往来し、まさに「大陸文化の通り道」となっていたことは、地図を開いてもよく分かる。
堺で熊野古道ともクロスしており、熊野参り、伊勢参り、長谷詣、當麻詣など、「信仰の道」としてにぎわったことであろう。往時を偲ばせる数々の古い民家と道標もたくさん残っていた。竹内街道は、堺市から竹内峠を越えて當麻町長尾神社に至る約26kmの街道である。
ここは長尾街道と葛城古道の分岐点でもある。

竹内街道は、長尾神社からスタートした。
車を市役所に置き、長尾神社まで歩きスタートした。
神社の周囲は木が生い茂り、いかにも歴史がありそうな神社である。
長尾神社は、近鉄・御所線磐城駅、南へすぐのところにある。かなり広い神域で、竹内街道は玉垣に沿った道である。
民家の向うに、二上山の雄岳・雌岳が見えている。
長尾神社はそんな太古からの伝説に登場する古社であり、かつて飛鳥京と難波を結ぶ日本最古の官道だった竹内街道と、伊勢・長谷街道が吉野・壺阪から下田・王寺を経て堺に至る長尾街道と交差する長尾の森に鎮座している。

杜は、木が生い茂っており遠くからでもよく分かる。祭神は水光姫命という。
鳥居の下にはカエルの石像がある。
神社の説明書によれば、むかし、大和に大きな蛇が住み、三輪山を三重にとりまき、その尾は長尾までとどいた。ということで、三輪明神が頭で、長尾神社はその尾にあたると言われている。
だから長尾というのかも知れない。
それに対してのカエルだろうか?

竹内街道
竹内街道
竹内街道
竹内街道
(おばあさんが手押し車で休んでいる)
竹内街道
(昔ながらの佇まいを見せる民家)
竹内街道
(何となく由緒ありげな地蔵堂)
竹内街道
(やさしいお顔の地蔵さん)

さて、竹内街道は二上山に向けて北に進む。きれいに整備されていて歩きやすい。長尾神社を出てすぐに、長尾街道との交差点があり、道標が立っている。道の両側は漆喰や黒壁、そしてうだつの上がっている家並みが続く。古い町並みの特徴である、格子戸の家も重厚な佇まいを見せている。道筋にはかなりの勢いで流れる側溝がある。これは昔は、ここを生活用水にしていたのではないかと思われる。
このあたりの家屋の特徴として屋根の真ん中に藁葺きの部分を配していることで、独特な趣を醸し出している。
途中の道はまだ新しい感じできれいに舗装されている。新しくする時、せっかくだから無電柱化にしてほしかった。雰囲気がまるで違ってくるはずである。 そうすればこの道の価値もより高くなっていただろう。これからの日本を考えるとき、そうした景観へのこだわりが必要になってくる。単に舗装をすればいいという時代は終わった。

途中に真新しい地蔵堂があった。
手押し車に座って休んでいるご老人に、
「これは何という地蔵さんですか?」と聞いた。
「名前もいわれもはっきりは知らないけれど由緒ある地蔵さんです」との答えが返った。ここは坂道がずっと上まであるため、お年寄りには少しきついかもしれない。それで手押し車に腰掛け休んでいた。竹内街道は「日本書紀」の推古天皇二十一年(613年)の条に、難波より京に至るまでに大道(おおじ)を置くと記されている。丹比道(たじひみち)と言われ、難波津から金岡、松原市、羽曳野市、太子町を経て竹内峠を越え、そして飛鳥へいたる官道である。
遣隋使もこの道を往来している。

司馬遼太郎さんは、この街道を国宝に値すると書いておられた。
周辺の町並みはやはり古い街道の姿を残し、往事を彷彿とさせる。違うのは当時は舗装されていなかったことである。
この道が舗装されてなく家も昔のままなら、世界遺産ものの情景であったろう。司馬さんの時代も舗装されてなかった。
竹内集落はかつて宿場としても栄えており、現在はほとんどが普通の民家になっているが、往事は宿屋以外にも鍛冶屋・紙屋など、様々な商いがこの街道筋で行なわれていたようである。

道はまもなく県道30号線と交差する。そこから数分で、綿弓塚がある。ここは芭蕉が訪れたということで、芭蕉自らが「野ざらし紀行」に収めている。さらに「笈の古小文」の旅の途中でも立ち寄っている。
旧家をここに移築し、休憩所としているが、なかなか感じのいい休憩スペースとなっている。建物の天井が高く、よく風が通り涼しいので、坂を上ってかいた汗が引いた。

中には司馬遼太郎さんの歌を書いた色紙や、小学校の生徒や近所の人のものらしい色紙が、いくつか飾られていた。そのどれもが、この古風な建物によくマッチしたものばかりであった。
30分ばかり休憩し外に出て少し行くと、先ほどの地蔵さんで休んでいたお年寄りが、地蔵さんのところで出会ったときと、全く同じスタイルで休んでいた。お年寄りのおうちはまだ上の方か。
綿弓塚からの町並みが、旧街道らしい風情をとどめている。

なお、綿弓とは弓形の棒に牛や鯨の髭(ひげ)の弦を張り、木綿の実を綿繰車にかけ、核を取り去っただけの綿を、弦で打って柔らかくする道具のことをいうらしい。
竹内街道
(これで電柱や電線がなければもっといい)
竹内街道 竹内街道 竹内街道
(記念碑)
竹内街道
(休憩所)
竹内街道
(建物から庭を。いい感じである)

綿引塚から竹内の在所を緩い坂道を登る。沿道にあるめぼしい旧家を撮りながら行く。竹内街道
途中に西光院がある。なかなかいい寺である。
西光院の裏手からは大和三山が見渡せる。西光院は、浄土宗で白雲山未来寺「西光院」という。法然上人が広めた本願念仏の道場として、天正年間に創建されたようである。
本尊は阿弥陀三尊像で、なかなか姿のいい仏様である。
綿引塚から、少し歩いたところに、古い大きな民家があり、竹内街道から外れたその民家の前の、狭い道を歩いた。

その道の脇は、竹内街道本道よりも、さらに趣のある家並みが続き、いかにも大和の町並みという感じがする。
柿が実を付けていたが、もっと秋が深くなって実に色が付くとさらに風情がますだろう。

竹内街道
(一部かやぶき屋根。いいですね)
竹内街道 竹内街道
 竹内街道  竹内街道
(側道脇の趣のある民家)
 竹内街道
(倉そして柿。いかにも大和)

竹内街道

道は国道166号線に突き当たるが、幹線道路らしく車の往来は半端でない。
道向かいに小さな神社があり、そこでコーヒーブレイクしようと思うのだが、車がひっきりなしにくるので横断に時間がかかった。やっとのことで渡り終えコーヒーブレイクした。神社の階段に腰をかけ大和平野を見渡せる。
今歩いてきた竹内の道もよく見える。瓦の甍が続いているのを見ると懐かしい気分におそわれる。コーヒーを飲みながら、昔の人も眺めたであろう大和の景色を眺めるのは、なかなかのものである。
階段に座っていると、ハイカーらしき一団がやってきた。どうやらjかいたくさんの人を連れてここを歩く下見に来たらしい。口々に道路の危険さを言っていた。それほどここは交通量が多い。せめて片側だけにも歩道がほしい。
途中にお地蔵さんがあったが、交通量が多く反対側から眺めるだけにした。
竹内街道 竹内街道

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