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October/2002

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Nov/4(Mon=Holiday)
このたびの公演。
アピオでの30分のステージ(注・実際は10分オーバーでした)、盛岡劇場での55分の上演。違う演目を2日続けて上演し、最後には地震で列車が止まるというおまけもついて、盛岡遠征が終了しました。さすがに打ち上げの時にはぐったりとしている生徒もちらちらといましたが。
誰ともなくステージを見て、出入り自由のアピオ公演をやった後、ホール貸切で、いろいろと教えてもらうことの多かった盛岡劇場公演。後者が余りにも恵まれた環境にあったので、午前中はのんびりと仕込むことになり、45分押しという羽目になります。午後、一気に攻めて、何とか公演時間に間に合わせたという感じでした。
100人ちょっとの観客、当日券が半数以上。PRしなければ、半分の観客は来なかったはずです。肝心の公演の出来は、
「あと二攻めぐらいほしい」(←この人は、たぶん去年の公演も見ているはずです)
のが正直なところだったのでしょう。県大会にでなかった甘さがあちこちに出ていたのは事実です。なんですが、圧倒的な差し入れと、アンケート回収率の高さ(半数以上は残って書いてました。表裏びっしりというのも珍しくありませんでした)に期待を感じます。
一関→盛岡と公演しました。そろそろ地元で公演を打たなければと思いながら、それぞれの場所での観客動員(とダメだしの数々)に、次年度以降の検討に迫られてます。
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Oct/24(Thu)
レッズは挑戦者なのだ。
Jリーグ2ndステージ前節まで首位だった浦和レッズ(オフィシャル)。鹿島アントラーズには1stステージで0-2の負け。ナビスコで2勝していたとは言え、その時のアントラーズには主力が欠けていたことを考え合わせると、きっちりと勝っておかなければいけなかった試合でした。しかし、負けた。
オフト監督になって、「8人で守って3人で攻める」という形ができ、それで勝ちパターンが形成されてきました。昨日も1-1までは勝ちパターンだったはずです。けれどもトゥットの退場でFWが2人(→後に福田が下がって千島が入り3トップに戻ります)になった時点でパターンが崩れます。ある意味、負けるべくして負けたのかもしれません。
思うに、レッズの形は1stステージとそんなに変わってないはずです。たまたま「勝つ」という形で成果が見え、いきなり優勝を争うところまで上ってしまったところに、ついこっちも錯覚したところがあります。ナビスコの初優勝は狙ってもらうとして、2ndをいきなり優勝できるだけのチーム状態かといえば、まだその域には達してないと思います。鹿島やジュビロ磐田ほどの経験が足りないのです。
レッズサポは「チャレンジャーとしてのレッズ」を後押しするのが任務だろうと思います。にわか首位だったことに浮かれているのは昨日まで。今日からは首位奪取を目指すべく、1戦1戦をサポートすることになります。そしてナビスコ杯を取りに行くため、決勝は私も参戦します。
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Oct/25(TGIF)
なぜ、盛岡劇場を目指すのか。
「なぜ盛岡劇場で、一地方の学校が独立公演をするの?」
ということを何度となく尋ねられました。それは盛岡市内の店でも聞かれましたし、職場の同僚や保護者からも聞かれます。
「そこにお客さんがいるからです。お客さんからダメ出しをもらうことで、次の段階が踏めるからです」。
そう答えます。当然
「地元にもホールがあるから、どうして地元のホールを使わないのか?」
と問われます。今回の場合は
1)たまたま前日に依頼された公演がある。
2)次の日のホールがたまたま空いていた。
3)県大会の会場が同じホールなので、そこを体験して置くことが必要。
4)地元のホールを借りるよりも、経費が3〜4割安くて済む。
5)何より、お客さんの動員が計れる。
という理由が成り立ちます。今回地元には、文化祭の一般公演という形を取り、在校生を含め100人弱の集客がありました。
そこにお客さんがいる。「盛岡演劇界至上主義」というが存在しているのなら、「盛岡劇場メイン」が桧舞台というのなら、体験できるうちにしておいたほうがよいというものです。わが方の劇団に足りないものはあれだ、と私は気づいているのですが、もしかするとそれ以外に決定的な部分が欠落しているのかもしれません。身内の声だけでなく、アウェイの声を聞くことで謙虚になれる。そう部員がわかっているのでできることなのだろうと思います。
高校演劇県大会に出られないわが部は、大会にわき目もふらず練習します。来週土曜日の夜、盛劇メインで公演します。ダメ出しください、お願いします。
Up
Oct/26(Sat)
高校演劇県大会1日目。
11校出場すれば11校分の出来事が存在するということを改めて感じつつ、2002年の岩手県高等学校演劇発表大会について記します。身内にやさしく、他人に厳しい見方になることをあらかじめお断りしておきます。
上演1盛岡市立高等学校
石原哲也作「シャドー・ボクシング」
計算された音響や照明だというのはわかります。それが役者の緊張を高め、アンサンブルに昇華していけば効果的だとは思います。けれども、台詞の間の取り方や声の調子が平板なために、脚本の力が伝わってこないのです。台詞の先にあるものが役者から見えないのです。
石原さんはこの脚本を書き直しているのですが、この脚本だと主人公が
「ばあちゃん、俺どうしよう」
というところで終わってます。
問いかけを観客にするのであれば、まず芝居を作っている側がどういう姿勢で芝居をするのか、その覚悟が見たいのです。主人公やばあちゃんだけでなく、スタッフを含めた全員から知りたいのです。
舞台空間の中で、使ってない部分が多かったことも残念でした。「静」の芝居だから、仕方ないのかもしれませんが。
上演2岩手女子高等学校
演劇部創作「Don't give up all hope」
岩女の主役を張る1年生は、例年しっかりした子が受け持ちます。今年も例外でなく、江梨花役の存在感が群を抜いています。その江梨花(軽い性同一性障害?)と犬・ケンが1人立ちする物語だったのですが……。
地区大会での問題点。「何を伝えようとしたいのか」というのが整理されないまま舞台に載ってしまいました。江梨花なりケンなりの葛藤を深めればもっと伝わってくるものがあったのに、踊り部のケンカ(←小ネタ)の部分が際立って、筋が見えてこないのです。客席が反応するネタと、ケンがときどき呟く
「それは違う」
という核の部分を線で結ぶことができないのです。
マイムなり舞台装置の部分を無難にこなしているため、脚本の吟味がされていればなぁと思いました。
注)これとほぼ同一内容を、後日「岩手・高校演劇の小部屋」に載せます。
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Oct/27(Sun)
高校演劇県大会2日目。
(承前)。
「自分たちが楽しんでいればそれでよし」
という芝居と
「これはよかった」
という芝居は違う。そう審査員が幕間講評で言っているようです(注・私は舞台裏)。
「それって、審査眼がないんじゃないの」
と高校生が解釈してしまうと、落とし穴にはまることになるのです。私の視点は、どちらかというと審査員寄りでしょう。きょうも濃いです。

上演3盛岡第二高等学校
清水恵利奈作「極めて普遍的なベルベット・カフェは存在するか?」
20世紀最後の「世紀末」なけだるい雰囲気。無気力で目的もなく、何気に幻想しているOL4人。2つのズレが気になります。1つは書かれた時代と現代とのズレ。もう1つは高校生がOLを演じることのズレです。
同じ劇を人気劇団が小さいホールでやれば、間違いなく受けただろう箇所が多かったはずなのに、客席の反応がないのが痛いです。台詞は言っている、4人のアンサンブルは取れている、時代考証もいい。でも伝わらないのは、芝居を観客に見てもらう作業が足りないからです。
例えば時計を出す間・「引田天功です」という間。舞台に合わせたリアクション。変えれば面白くなるはずなのに、もっとナンセンスさが見えてくるはずなのに。
上演4盛岡女子高等学校
北村想作「想稿・銀河鉄道の夜〜世界でいちばん最後にしあわせになる人のために〜」
去年に続いて宮沢賢治ものを取り上げ、正攻法で芝居を作り上げてます。紗幕の前を教室、後をベッド。つけっぱなしのサイドスポットでなく、切り替えのタイミングにも芝居心を感じます。照明・装置・音響・衣装が役者よりもでしゃばることなく、地区大会よりはるかに優れた集中力が見て取れます。キャラクターの違いも見えて、裏づけも感じられました。
キャスト全体が、もう一段階発声の心がけをしていれば、狙いが明確になったはずです。病人の声を喉で表現したり、「カンパネルラ」への呼びかけが舌足らずなのが気になりました。ジョバンニの背中がちょっと丸かったかな。
上演5盛岡第三高等学校
演劇部創作「無限回想録」
地区大会の方がパワーを感じたのですが、なまじ脚本に手を入れたあまり無難な作りになってます。無難な作りに終始するより、はちゃめちゃで押した方がよかった。それが残念です。そのことを断っておいて、一気にダメだしします。
王様の毒が足りない。狙いは劇団☆新感線で、そこを目指そうとするのはよいのです。彼らの芝居が成立するのは、肉体的裏づけがあるからです。しかしそれをしないで、喉だけで早口で語っても台詞が客席に届かない。同じことは女王などにも言えることで、立ち振る舞いが高校生のままなのです。
探検する3人のキャラクターの色分けはどうだったのでしょう(男2人の違いが薄くなってました)。登場する人物のベクトルはどちらに向かっていたのでしょう。何で王様が悪くて、女王が正当なのか。次から次へと出てくる場転で、創造が途切れるのです。舞台に落としっぱなしの指輪も気になったり、はらはらしたままで終わってしまいます。「位相」が定まらなかったってことです。
上演6大東高等学校
上田美和作・山本さと子脚色「トシドンの放課後より『茜色の空の向こうに』」
「学校謹慎」を言われたあかねが「別室登校」の平野と出会い、時間の経過とともにお互いを認め合い「一緒に進級できるようにしようね」という段階まで行きます。ずっと諭されていたあかねが、最後の最後で激を入れるところまでの変化が見え、そこは白眉だったのですが…。
役者がもっとがんばらないと、客席に伝わらないのです。「あっ、平野君」が「あひらのくん」に聞こえたり、「さてと」を早く言ったり、「申し訳ないんだけど」「今後の処分について」が全部棒読みだったりすると、台詞が生きてこないのです。「普通に話す」ことから「芝居する」ときへのフィルターのかけ方が半端なのです。さらに、音響・照明に思い切りが足りなかったため、芝居でなく独立したものと感じられるのです。芝居は3人だけでなく、全員でするという意識がやや甘かったように思います。
上演7一関第二高等学校
湯本香樹実作・演劇部脚色「夏の庭 The Friends」
小学生の3人がよそのおばあさんを見張り、いつの間にか出入りする仲となり、彼女の初恋の人まで発見することに。そして、いつものように3人が訪ねると…。
丁寧に物語を作っているのはわかりました。明かりが芝居をしているのも伝わります。セットも丁寧に作られ、キャストにも表情があります。しかし物語がいろいろと展開する中で、山場を追った時に見えてこないのが難点です。全体的にソツなく作っているのはわかるのですが、「若く見えるおばあさん」と「大人びた小学生3人」の落差があまりないのです。
話と話をつなぐ時、茜が状況を説明している作り方は、声質・音響ともども私は好まないです。
(たぶん、明日に続く)
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Oct/28(Mon)
高校演劇県大会最終日。
(承前)。
脚本・役者・演出・効果。芝居を見るポイントはいろいろあるのでしょうが、今年の審査員は左から順番に重視していたようです。なるほど最優秀に選ばれた2本(大東・花巻南)は脚本が1本筋の通ったものでした。では役者がその内容に迫っていたかどうかを考えると疑問符がつきます。基礎ができている肉体の上に芝居が成り立つということを見聞きしているのなら、この2校ですら相当の努力が求められるような気がします。流山児★の芝居がきれいに見えるのはそれが原因なんですよ。
てなわけで、最終日の感想です。
上演8花巻南高等学校
塚原政司作「つなげ!」
照明・音響・装置が洗練されているのが見えます。タイトルだけのためにスライドを出す颯爽さ。横向きになって走る姿の美しさ。どこまでもすがすがしく見せる舞台。そのことが空回りして、客席を動かすところまで行ってないのです。
駅伝部というなら、立ち姿・正面を向いたときの走る姿・苦しい表情がらしく見えてほしいのです。走った後の足がふらついて見えてほしいのです。
繰り返します。役者がしっかりしている上に、照明・音響・装置が来るのだと思います。助けを借りなくとも成り立つ芝居をしないと、感動という形に昇華はしないのです。
上演9盛岡スコーレ高等学校
飯塚のり子作「はしご」
男が音楽を「捨てなくてよいのだ」ということに気づくまでの変化が見えてこないのです。脚本が弱いのが第一の原因なのですが、役者が台詞を消化していないのも原因です。
女「いい意味で?」男「いい意味で!」。これを3回繰り返した台詞に変化が見えない。「てめえコラ」の台詞にドスがない。「エロ本」と文字で書いて、はて現物に見えない。
この脚本に限らず、舞台では嘘をついていい場面と、ついてはいけない場面があるのですが、その整理がつかないまま進行してしまって、最後の最後に「あぁ、これか」というポイントが見えてきた。見える時間が、もうちょっと早くなればよかったのですが。
上演10花巻農業高等学校
畠山かおる創作「Free Bird〜傷をとおる風」
幼児虐待を受けた主人公と、過去に陰りのある母。二人が受けた傷を認め合うことで、主人公の心に風がとおる――。主人公の内面に迫るときの3重4重の台詞の使い方。メールをスライドで見せる手法。そこに流れる"Any"。
重たいテーマが見る側に迫ってこないのは、役者が照明・音響・装置に頼っているからです(何度このことを書いているか!)。虚像を演じる役者が変化してないので、見る側に届かないのです。客席から見えないところでも芝居をしている心があるのですから、もう一歩踏み込んだ役者への変化を見たいのです。
上演11杜陵高等学校
小田島悠作「壜に満ちる銀河」
この大会最大の観客動員(200人弱いたか)。会場が素直に反応しているさま。「銀河鉄道の夜」の稽古に始まり、銀河鉄道の夜の現実にもどる姿。最後に登場人物を1人1人出す終わり方。物語が線になって見えて、その点は他の創作より優れて見えました。
エピソードを4場入れ、1場に作者=役者の見せ場を作ります。なるほど、彼が舞台に登場すると場の空気が変わり、彼のマイムは頭一つ抜けていて、唸ってしまうものがあります。全編それで押せばよかったのですが、それをやらずにもう3つエピソードを入れます。遊び心のあるエピソード。それを評価できるかどうかが審査の分かれ道になったと思います。才能が先行して、芝居が薄くなったために評価されなかったのが微妙です。なぜ啓太を死なせないといけなかった。そのことの説明がついていたら、山を越えていたのかもしれません。
(了)
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