コラムの目次
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Oct/1(Mon)
岩手県南演劇発表大会2001
明の使い方に伝統が生きていた千厩。全体のチームワークで抜けた一関二、実験の失敗をアドリブで乗り切った岩谷堂の3校が、今月中旬(19〜21・久慈)の県大会に進みます。ということで、きょうも演劇を取り上げます。
代表校と他校を分けたのは何だったのか、舞台袖にいながら考えたのですが、
☆脚本をどう選び(既成)、どう書いたか(創作)
☆どう舞台化しようとしたのか(分析・装置・演出)
☆どう、自分のものとしたのか(発声・台詞まわし)。
意外だったのは、このレベルに達している学校が少なかったことです。
例えば、そこそこの技術を持っていた学校があっても、脚本が未熟だったために届かなかったところ。技術が未熟でも、部員数と伝統でカバーしたところ。表向きはステージに現れるのですが、各校の仕込みを見れば、ある程度のことはわかります。つまり、スタッフ任せに動いていた学校は、演技そのものも動きが小さくなってしまうのです。
とは言え、裏方から見れば代表となった3校もまだまだです。舞台監督の指示が聞こえなかったり、あいまいだったり、照明・装置の棒が降りてきた時の返事が小さかったり(←知人は、私のそれが一番目立っていたと言ってました)、3週間で覚えなければいけないことはいっぱいあります。
「それは、ダメ出しされて当然のことだと思うんですよ。だって、ダメ出しされればいろんなことを覚えるでしょう」。
そう言ったのは、進学校の3年生でした(注・仕込みの段階で言ってます)。代表3校のうち、割と早い順番だったある高校は進んで舞台などの仕事をし、どんどん知識を自分のものにしてました。その貪欲さが、4年連続予選を通っている強みであり、顧問の指導力なのでしょう。
ともあれ、県大会まで時間が少しだけです。かなりレベルを上げないと県は抜けられません。各校の健闘を期待します。そして、私も県大会に行きます。

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Nov/6(Tue)
高校演劇県大会2001
会の評価基準を「創作脚本かどうか」「役者の技量があるかどうか」「スタッフが充実しているかどうか」という点で選べば、3つが抜けていて、そこから2校が残ったのだろうと思います。
創作かどうかと問われれば、わが方は創作ではなく、潤色で生きる道を選び、結果「脚本が整っていた3本」で選ばれた県南地区大会を抜け、「創作に近い脚本分析をした」おかげで県を抜けたわけです。
役者の技量で言えば、袖・モニターで聞いていた限り、とりあえずわが校は全員最低限の滑舌レベルをクリアしてました。A校は1年生と2年生の差が歴然でしたし、B校(=生き残り)も同様。まして他校は何言っているんだかわからないところがほとんどで、それにも助けられたような気がします。A校の照明・音響・装置は洗練されてましたけれども、それらを取り払った時に残るものが少なかったのがうちとの差でした。 B校の独特な雰囲気は、顧問色が全面に出ていたことの裏返しで、何人かの生徒は「あれってずるいよ」と思ったはずです。生徒の技術というより、顧問の技術が先行しているのは見え見えです。でも、あの作品の強みはいくらでも手が加えられることで、「これはまだ未完成」と彼は公言してます。
わが校の県通過を予想していたのは、そのC先生(日曜日の午前中に「(東北大会)行くよ」と予言してました)、D先生。D先生は土曜日の段階で「他校と講評のレベルがはっきり違っていたので、たぶん大丈夫」と教えてくれました。E先生は調光室で声を出して笑っていたそうですし、本番中思わぬところで笑いを取っていたのですから、ある程度手応えはありました。
去年県大会で終わった時、「どうしてこれだけの練習をして抜けられなかったのだろう」ということを思ってました。今年は、自主公演のあと「裏カルチャーキャンプ」をし、県大会1週間前のプレ公演も挙行しました。これらは顧問Fと私、どちらとともなく言い出し、気がつけば実行に移していたのですから、フットワークの軽さは結構なものでした。却下はされましたが、とりあえず顧問2人は脚本を書いてました。ついでに私は「もりげき演劇アカデミー」で5ヶ月修行させてもらいました。やるだけのことはやったというのはみんなも、Fも、私もだったろうと思います。さらに教頭、生徒会方面からの励まし、久慈まで声援に来たOB、保護者。それらががっちりとかみ合った結果だろうと思います。 「最優秀校。――上演4...」のアナウンスがあった時、袖で目頭が熱くなりました。ほどなく上演10のC先生が寄ってきて、がっちりと握手を交わします。賞状とトロフィを持ってきた演出と主演が袖裏で歓声を上げたのを抑えさせましたけど、あるいは抑えなかった方がよかったのかもしれません。いい笑顔でした。
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