1997/Nov

 
             
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NOV/1(SAT)
職業高校の普通高校化
徒数現象に伴って、今後の高等学校をどう再編成するかというのがメディアでも取り上げられつつあります。岩手県で行われている「高等学校再編会議」で各界からの意見聴取が行われ、高等学校側(岩手高教組)からは「現在の普通学科:職業学科(およそ2:1)のバランスが絶妙であり、学科の再編をする必然性はない」という意見が出されます。対して中学校側(岩教組)からは「生徒の普通高校志向が強く、もっと普通学科を増やしてほしい」という話が出ています。同じ組合でも利害関係の違いで考え方が違ってきているのです。もっとも中学校側では「職業指導」に時間をかけるわけにも行かず、「将来は大学へ」という意識が強くなればなるほど、普通学科思考は高まるのでしょう。けれども職業学科で優秀な成績を取り、推薦されれば大学への道が開かれているということが意外に知られてないのです。先日も中学の先生にその話をして感心されたのですが、普通学科=進学、職業学科=就職と一まとめに考えられているうちは、職業学校からの進学は亜流扱いされるのでしょう。
昨日の職場で話題になったことは、職業高校の切り札である「資格取得」は本当に切り札となりうるかということでした。それから話題が飛躍して某高校が専門教科の教員に代わって普通教科を補充したということに論点が移ります。
「それって、職業高校自体の否定につながらないだろうか。普通高校と同じになることに意味があるのだろうか」
と疑問を出します(現にその高校は舵をそちらに向けているようですが)。
「普通高校は0校時、7校時、8校時は当たり前で、某校は7:30にほぼ全職員が出勤する」
「別の高校は年間行事予定を決める会議を日曜日にして、代休も日当もないとか」
「別の高校で補習授業に力を入れすぎたため、人気がなくなったとか」
という事例が次々に出され、共通していたのはかの学校の異常さを浮き彫りにしていたということです。
「近くの高校は成績会議が5時から、クラブの打ち合わせはその後」
という話が入ってくるたびに、何かズレてないかと思ってしまうのです。
そういう「普通高校」化なんてまっぴらです。人が十人十色であるように、学校もそれぞれの進み方があって然るべきです。かの某高校の姿も生き残りの一つとして認められるべきでしょうが、各校はそれぞれの道を進むべきだと思います。(山田壮一)
注)1999年5月に岩手県教委は「再編計画」を示します。ここで書いた心配がかなり的中することになります。
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NOV/3(MON
勝って2位へ!
点取り、守る構え。あす、韓国戦−−というのが10月31日の朝日新聞に出ていた見出しです。記事の中で岡田監督が
「少し守備的な試合になるかもしれない」
というのを見て、(この人は今までの敗戦がわかってないんじゃないか)と思いました。不安を持ちつつ一昨日(1日・蚕室)のワールドカップ予選を見たのですが。
試合は仕事と関係なく行われます。戻ってからテレビを付けるといきなり「日本1−0韓国」と出ているじゃありませんか。しかも動きが格段に良くなってます。攻守の切り替えが早くスリリングな試合ではあったのですが、攻めつづけている。(でも最後の詰めがうまく行かないからだめだろうなぁ)と思っているとロペスのオーバーヘッド。長坂アナの実況はファンの絶叫と化してます。ほどなく欲しかった2点目がするすると入ります。テレビの前で「おぉーっ」と歓声が上がります。
この日のサポーターは7万人収容のスタジアムのうち8,000人〜1万5千人が日本についたとされてますが、いや、よく声が出てました。もちろんスタジアムの大半は韓国の応援で、シュートの場面になると地響きがしたのですが、終始スタジアムに日本へのサポートがされます。これは選手の力となったことでしょう。あっ、仕事にもどらなきゃ。でも、きょうは大丈夫でしょう。
そのまま2−0で日本が勝った試合。韓国のモチベーション(試合への目的意識)が低下していたのは事実でしょう。ただし、巷でいわれている「負けてやった」「負けてやろう」というのは、当てはまらないような気がします。そうであれば韓国のメディアに容赦なく叩かれてしまうので、あり得ない。モチベーションは日本側に強く、負けたら代表がどうなっていたかという開き直りが功を奏したのではないかと思います。勝てなかったゲームとの違いをもう一つあげるとすれば、北沢に代えて平野を投入したところ。守りに入らないで攻めつづけていた点が、2点差を付けて勝てた理由でしょう。
カズがつまらない小競り合いで、ロペスまでイエローをもらい、カザフスタン戦(8日・国立)に出られなくなってしまいます。2人なしでも日本はやれるところをサポーターに見せ、すっきりと2位を確保したいものです。そう、UAEとウズベキスタンはドローで、日本に自力2位の可能性がよみがえったのです。8日の試合、すっきり勝って、フランスへの道に近づきましょう。勝って2位へ!(山田壮一)
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NOV/4(TUE)
MIDIソフトの使いづらさ
がちょっとばかりキーボードができるので、知人が「MIDIソフトに打ち込みを頼む」と言ってきます。(そんなことしないで、自分でさせりゃぁいいのに)と妻には言ってみるのですが、彼女は週末から3日間、子育ての傍らパソコンに向かいました。最初にOS(Win95)の付属ソフトで打ち込みを試みるのですが
「オクターブに制限があって、だめ」
と難色を示します。しょうがないので、1時間かけてY社の体験版をダウンロードします。(何で、電話代とハードディスクに負担を強いらなければいけないのだ)。この社のものは、確かに付属ソフトに比べていい音を出します。うっとりします。しかし、再生はできても打ち込みができない。ハードディスクの残量(200MB)を気にしつつ、今度はR社の体験版ダウンロードします。ところが息子のキーボード襲撃にあって、残り20分で失敗。翌日ダウンロードをし直し、打ち込みを試みます。
ところが、この打ち込みがうまく行きません。「体験版」だから打ち込みづらいとは思いたくないのですが、5線にマウスがはまらない。GをクリックしようとするとFになったり、8分音符+16分音符2つが「16分2つ+8分」になったりと、まず妻が音を上げます。後を受けて私もやってみたのですが、1小節に11個打ち込みが済むまで、10分かかってしまいました。これを見て、妻はMIDI入力をあきらめて、キーボード処理にすると宣言し、2つの体験版ソフトは削除されたのでした。
たまたま使いづらいソフトを選んでしまったのかもしれません。世の中には鼻歌を自動的に楽譜に変えるソフトとか、フルスコア入力できるソフトもあって重宝しているという話も聞きます。しかし、これだけ打ち込みづらいとだめです。私の中では「再生して、ちょっとばかりいい音だと思わせるソフト」という認識、それでおしまいです。知人が同じソフトを使ってみて、どういう感想を持つのかも知りたいところです。自分のことは自分でしなさい、ってね。(山田壮一)
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NOV/5(WED)
県議会が賛成多数で採択した請願
議会委 賛成多数で採択、反対は社民議員のみ−−こんな議案があったのか??と、寝ぼけ頭で新聞記事を見ます。すると「夫婦別姓導入に反対する請願」という見出しもありました。これ、昨日の夕方のニュースで取り上げられてませんでしたよね?朝日・岩手版から見るとこんなふうになってます。
>(岩手)県議会の環境福祉委員会は(11月)4日、選択的夫婦別姓制度の導入に反対する請願を(社民党を除く)賛成多数で採択した。請願は、夫婦
>別姓について、
>「極端な個人主義的傾向を生み出す危険性が高く、家族の一体性を喪失させ、家族の崩壊に拍車をかけることになりかねない」とし、
>「日本の伝統文化を守り、国の繁栄と世界の共存共栄を祈る立場」から導入に反対するとしている。委員会の決定は19日に開会する>12月定例県
>議会で委員長から報告される。(11月5日付朝日・岩手版)
実は県内の市町村議会レベルでも同じような請願が採択されている(東山町など)のですが、今回の請願は神道関係者で組織されている「家庭の温かさを守り伝える会」が提出したものと出ています。
では質問。テレビなどのキャスターで、結婚しても同じ名字のまま出てくる人がいて、NHKにもそういう女性アナがいるんだそうです。彼女たちに「あなたのやっていることは日本の伝統文化に反し、世界の共存共栄を否定するのか」とは問わないのでしょうか。夫婦別姓で活躍しているカップルが多くなっている現状があります。彼女らが名字を変えることで不利益を被らないとも限らないのに、そのことを議員さんはどうみるのでしょうか。
ちなみに、この手の意見書をまとめた県議会は千葉・茨城・徳島・大分・長崎・熊本と6県あるそうです。(山田壮一)

注)とある方から、こんなフォローのメールをもらいました。
>かの昔(明治かな)夫婦同姓を法律で制定しようとした時に大審院あたりのおじさまたち(と勝手に想像)が「出自がわからなくなる」って大反対運動を
>展開したのですよね。「姓が変わると嫁の出自がわからない」---「近親婚のおそれもある!」とまで言って。要は現在の韓国のような別姓を推奨した
>わけですがこの手の話題にいつも「どこが伝統やねん!」と思わず関西弁で突っ込みたくなるのは私だけでしょうか??北条政子は源政子になってない
>じゃないか(笑)
で、5日の各紙を見たのですが、一応地元紙も取り上げてました。ただし、「採択した」というベタ記事で。朝日の騒ぎ過ぎなのかなぁ?
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NOV/6(THU)
学生たちの幼さ
ある生徒から出ていた「退部届」を受理することになりました。理由は省きますが、気になったのは「......だケド」とか「だって......」というように、何のためらいもなく友達ことばを使ってくることです。何年か前にも書き言葉に「......だケド」「しマス」というふうにした生徒がいてぎょっとしたのですが、今度の場合は実物を目の前にしてですから、(幼いなぁ)と正直なところ思いました。その子は曲がりなりにも中学の部活動をきちっとしてきたのですが、ね。
K大学のT君。ユニフォーム姿はかっこいいのに、一昨日の会見はすっかりイケてない顔でした。スポーツ紙など「最後まで悩んだ姿が見て取れた」と書いてますが、「悩んだ姿というより、父親のいいなりになっている情けない姿よ」と切り捨てたのが妻。「K大からプロ野球ドラフト1位で指名された選手で、大成しているのがいるか」と言ってしまったのが私。父親が行ってほしいというその球団は、またまた守備陣形を変えるそうで、N監督ならずとも「20人でどうやって野球をするか楽しみ」であります。実はT君は別に意中の球団があったそうです。しかし最後は「今まで誰がお前のために面倒を見てやってきたんだ」という一言が父親からあったのでしょう。断りきれなかった。心優しい彼とその家族、就職先に栄光あらんことを。
もう一つ、W大学の大学祭が大学当局によって中止させられたという一連のやり取りです。大学当局が「一方的」に中止を命じた姿と、やりとりを静観している学生たち、双方よくわからない存在です。「大学祭を実施しつづけるだけの懐の広さがW大にあってもいいんじゃないか」という学生の考え方に一理あるように思います。ただ「大学祭」実行委員長さんは、メディア向けと大学当局向けの顔を使い分けていらっしゃる。大学当局の出している疑問、「会計が不明瞭だ」ということに対しての答えを、彼らは出してないように私には思えます。そして馬脚を表してしまったのが、大学当局との交渉場面。彼は努めて平易に話そうとしていたにも関わらず、実は演説口調に変わっていたというのがテレビを通じてばれてしまいます。だから彼らの行為は一般学生の支持まで広がらないのじゃないかと思われます。
幼さ。他人に指摘してもらわないとわからないもの。こうやって生徒・学生たちについて書いてきましたが、もしかしてわれわれ自身もまた幼さを抱えながら生活しているのじゃないかと、思ってしまいました。ただ彼らと違うのはわれわれ大人の場合、幼さを抱えたままだと直接生活に跳ね返ってくる点、それが決定的な差です。(山田壮一)
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NOV/7(TGIF)
さる方のホームページ
名な方が、「私もホームページを作りたい」と言ったばかりに、某会議室ではそのことで話題が持ちきりになってます。その方がどこまでがんばってホームページを作るかにもよるのですが。私もシミュレーションを立ててみました。ちなみにここで紹介しているページは、連日ページを更新しているタフなものです。
その1)テキスト中心のシンプルなホームページ。例えば詩人・清水哲男さんの増殖する俳句歳時記
その2)業者に構成を任せてしまい、逐次連絡を取り合うというもの。中日ドラゴンズ・星野監督のHOSHINO★EXPRESSがその代表的なものです。
その3)その2と似ているが、編集者・イラストレーター・デザイナーを配置し、持ち主が随時メールの返信をしているもの。村上朝日堂にとどめを指します。
これらのページの中で、すべて自分で作成しているのが1)。電話でやりとりしているらしいのが2)。編集者と電子メールでやりとりしているらしいのが3)です。
私は1)のやり方を薦めました。何人かも同調しました。それから後に、別の人が「ホームページはフォーラムがないと面白くない。3)のような構成で連日更新する村上朝日堂はすばらしい」ということをのたもうております。
問題は著名な方が超多忙らしいので、どの方針で行くかなんです。頼めば、各方面で代行しそうな方が多くいらっしゃるようですし、出版社・プロバイダもイメージアップのために「ぜひやらせて下さい」と言いそうですから、そこに頼めばいいんでしょう。しかし、その人のイメージからすれば、小規模でもいい。あくまでも密やかな、心のこもっているページというのがふさわしいと思うのですが(←私が作っている虚像かも)。そして最大の難点は、いつ・どんな形でプロジェクトが動き出すか、そちらの方です。(山田壮一)

注)これを作ったあとに「村上朝日堂」に行ったところ、「11月11日をもって、いったんホームページの更新を休止する」発表が出てました。著作活動に専念したいということ。いや、ホームページを更新するのは結構エネルギーがいるのです。
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NOV/8(SAT)
職場のメールサーバーが動き出す
場でホームページを立ち上げてから1ヶ月経ちました。「工事中」と表示しているにも関わらずカウンタが200を突破し、私のページを上回るペースです(^_^;)。
ホームページそのものは学校紹介に終始している平凡な内容です。ただし、他のホームページを作っていない学校にはすごい内容に見えるらしく
「貴校ではホームページを学校教育にどう活用しているか?」
とか
「貴校のページを授業で使わせてもらった」
という恐れ多いメールがぼちぼち届くようになってきました。いや、突貫工事で作ったもので、まだまだこれからなんですが。
同窓生からも「懐かしい」というメールが届きます。
「生徒会誌のあのページを再現してほしい」
というものに混じって
「学校をかたる業者が寄付金を集めている」
というものまであって、学校側を慌てさせます。いや、ありがたく思ってます。
実はメールがブレイクしたのはつい2、3日のこと。ある学校の先生がページを見つけ出して、全国の学校一覧に載せてもらったことがきっかけではないかとにらんでます。さらに、生徒諸君から
「文通をしたい」
というメールがきたり、他県から
「リンクを張らせてほしい」
とあったり、ホームページを始めたころのやりとりがよみがえってきて、新鮮です。
ちなみに、このページは大手のサーチエンジンで岩手+高等学校で探すと見つかります。ここに書いてもよいのですが、そうすると私のアクセスカウンタが抜かれるので書きません。悪しからず(^^;)。(山田壮一)
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NOV/10(MON)
マレーシアで決めろ!
にかく1つ勝ってくれと泣きを入れてから、その願いが届いたのかどうか日本サッカーの風向きが変わったようです。実は土曜日のカザフスタン戦と謝恩会がぶつかってしまい、会場を出たのが8時30分ごろ。その時の仙台駅前の交通量がいやに少なく、しかも駅ビルのモニターテレビが作動してない(全国的に「暴動」を恐れてモニターを作動させなかったようです)。たぶん、3−0で勝っているんだろうが大丈夫なんだろうか、と思いながらラーメン屋に向かうと、やってました、サッカーを。得点が、おぉ、3−1で勝ってる。ほどなく井原がゴールを決め、高木が頭、でなく右のアウトで決め5点目。うまいっ。隣のおやじがぶつぶつ戦術について絡んでいたのですが、無視して試合終了を待ちます。主審がボールを触ったところで終了。B組2位確定でありました。
それから各局をはしごしてチェックするのですが、実はゴール前の詰めについてはそんなに変わってなかったりします。この日から入った中山・高木など、実は決め損なっている場面も結構多かった。高木は肝心のヘッドが決まらず、よろしくなかったのですが、サポーターの「たかぁぎたくや」コールに後押しされてゴール。中山は縦横無尽に走り回り、名波のアシストを誘った。今までやることなすことうまく行かなかったのが、韓国戦を境に変わるんですから、勝負ごとは何があるかわかりません。
何があるかわからない。16日の決戦でA組2位とぶつかるのですが、まだ相手が確定してません。フランスに行ったと錯覚してしまうのが恐いのですが、大丈夫。慢心してはいないようです。勢いも実力のうち。もう1つもらってしまいましょう。次もフジテレビが中継するようですし。(山田壮一)
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NOV/11(TUE)
謝恩会・同窓会
曜日、仙台で教授退官を祝う「謝恩会・同窓会」があって行ってきました。教授は数年前に病で倒れ、車椅子生活を送っているらしい。本当は定年を過ぎても嘱託で残るだけの人材なのに、残らなかったと聞いてます。
「教授も体がそんなに丈夫じゃないからねぇ」
という同期の一言が妙に気になり、この機を逃すと次どうなるのかわからない。ということで、万難を排して行きました。ところが同期(33人)で来ていたのは4人だけ。欠席通知を出していたのも数人と、こちらの気合が空回りします。
上は50代後半から下は20代前半まで、120人ほど集まったゼミ生に圧倒されつつ、われわれ同期4人は早々と教授のところにあいさつに行きます。左半身不随になってしまった教授を見るのは痛々しかったのです(注・あとで、いらぬ同情だと判明します)が、「まぁ、しっかりやりなさい」と逆に激励されてしまいます。その後、1年上の先輩から「集まりが悪い」と指導を受けたり、近況の交換をしたりします。まだ雰囲気に圧倒されている私は、唖然と見ていたのですが。
同期から出たのは
「今年、ゴルフに40回行ってきた」
とか
「次男だから、そろそろ家を買わないと」
という話題が出てきます。どちらも無縁(前者は行かないし、後者は転勤があって当分考えてない)なんですが、そんなことも考えなければいけない年代になってきたということでしょうか。
そうこうしているうちに、教授の「記念講義」が始まります。
「倒れた時、仙台はずれの総合病院に連れて行かれたが、そこで1日何も措置されなかったので、病が運動神経にまで転移してしまった。あまりあれこれ言いたくはないが、何とかならなかったんでしょうかねぇ」
という調子で始まります。医者から講義することを止められていたそうですが、いったん講義を始めると、先ほどの心配は杞憂だとわかります。
「この体で良かったなぁと思うのは、資料を向こうから送ってくれることだ。......とにかく、やり残していることがいっぱいあるので、体の続く限りがんばりたい」
とやって、一同の拍手を受けたところです。
「10年だよなぁ」と一人がぼそっといいます。そう、大学4年だったころから10年経っていたのです。世の中も変わりましたし、われわれもまた変わりました。私は相変わらず「変わってない」そうで、喜んでおけばいいのでしょうか?(山田壮一)
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NOV/12(WED)
楽器屋さんの嘆き
んにちは。はい、アンサンブルコンテスト(注・3人〜8人編成で楽器を演奏する、吹奏楽連盟主催の発表会をいう)の楽譜ですか。どうぞ。金管4重奏とサックス5重奏の楽譜を探すんですか。自分たちのやりたい曲のイメージはないですか?よくわかんない。うーんと、とりあえずこちらでできるのは曲のリストを拾ってFaxすることですので、調べてFaxで送りますね。
(1時間後。同じ学校の生徒がもう1度電話をする)
はい、お電話代わりました。今度は金管5重奏とクラリネット6重奏ですか?金管5重奏とクラリネット6重奏っていっても、リストを拾うだけでものすごくいっぱいあるんですよね。ただお願いしますって言われても、困るんですよ。だって、さっきの楽譜をリストアップすることだけに構ってられないし、そんなことをしても、曲のイメージが全然出てこないでしょう。最近、そういう楽譜の探し方が多くなって、私指導しているんですけど、「自分たちでCDなどを聴いて『あっ、これいいな』という曲があったらそれを探すことはできるんですけど。そこを何とか、って言われても、時間がかかりますよ。もっと自分たちで曲を聴いて、それから探して下さいね」。
−−うわぁ、きついわぁ。というのが会話のやり取りを聞いていたわれわれの感想でした。いや、彼女たちの目的は楽譜のカタログを送ってもらい、そこから曲を探すことだったのですが、楽器屋さんはそれをしませんでした。で、彼女らもまた「指導」されたわけです。妻にこの件を話したところ「楽器屋の応対は当然」とあしらわれます。
「だって、今の子たち、何でも人任せでしょう」
確かに。「アンサンブルコンテストに向けてのやる気」はあるのだそうです。ただし「曲、どうしよう、どうしよう」とは言うものの、「過去に取り上げられた曲から探すのは嫌だ」というのです。探すのが面倒なのか、そういう曲をやることが嫌いなのかわかりませんが。で、(CDなどのソフト絶対数が少なく、近くに楽譜を扱っているところもないので)カタログから探す羽目になるのです。顧問が見繕うという手がありますが、それとても最終決定が自分たちにないので「人任せ」には変わりないのです。
試験前・修学旅行前ということで、2年生の部活動期間もあと1日となりました。戻ってきて3週間弱で曲をさらう。なかなか厳しいものがありますが、楽器屋さんの嘆き・労力をむだにしないよう、精進させたいと思います。(山田壮一)
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NOV/13(THU)
9時から佳境のピアノレッスン
ある集合住宅に住んでいるもので、近所の怒鳴り声・泣き声などよく聞こえてくるのですが、どこからともなく聞こえてくるピアノの音。3日前は10時近くまで鳴ってました。昨日も9時30分ごろまで練習の音がします。直接言ってやろうかという私を、妻がさえぎります。
「こういうことは管理人から言っておかないと、あとあとよろしくない」
はあ。で、うちは何となく聞こえる程度だからいいとして、よそでもっと響き渡るところがあるのでしょう。
「そう。隣り合っている家は寝室とピアノが隣り合っていて、壁1枚なのよ。よそで9時といったら子どもを寝せる時間なのに、そこでは子どもを寝せてからピアノを弾いているみたいだから、その時間しか取れないらしいんだけれども」
そのピアノはデジタルピアノだから、ヘッドホンを使えるはず。
「だからさぁ。9時というのがどういう時間か、ちょっと考えればわかるのに。あのねぇ、私音大にいて、確かにピアノはいっぱい練習したけれども、音大生がいる寮(注・近所の理解はそれなりにあったらしい)でも、10時になったら音を出しちゃいけない暗黙の了解があるのよ。1分でも過ぎるとすぐ苦情の電話があるの。後輩たちにやかましく指導して、嫌われもしたけれども、これはマナーなの。でもかの人は、自分のことしか考えてないのかしら」
と続けます。
百歩譲って9時にならないとピアノに触れないという事情があっても、集合住宅は民家のすぐ近くだったりします。仮に教員仲間が「まぁ、いいか」とみなしても、住民がそれで納得するかどうか。
「やっぱり、教師っていろんな意味で常識ないと思う」。
その言葉は私にも向けられているのですが、いや、気をつけないと。(山田壮一)

注)妻は最後の1行を見て笑ってました(^^;)。肝心の弾き手は夕方やってきて、「常識がなくてごめんなさい」と家にあやまりに来たそうです。
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NOV/14(TGIF)
やさしい時代
稚園の先生から妻が聞いた話。福音館書店から出ている「こどものとも」(月間絵本)シリーズを購読できるようお願いして、それはよし。さらに「母の友」(同社)はどうなっているかたずねたところ、帰ってきたのは「意外と不評なのよねぇ」ということば。
「そんな、あの本面白くて見るところがいっぱいあるのに」
「うーん、字がいっぱいで読む気がなくなるからかしらねぇ」。
新聞を購読しなくなった層が多くなったことを考えれば、別段不思議じゃないのですが、不評なんですか?あの本、子育てのこととか、絵本のこととか、一通りのエッセンスは詰まっているのに。少なくとも「週刊金曜日」よりは読みやすいぞ。
ですから2日前に紹介した楽器屋さんのような人が煙たがられ、ビジュアル的・直感的に応対する人が好かれるということが、どうも世の中のようです。洪水のような情報は流れてくる。その中で問われているのは「自分は、何をなすべきか」ということなんですけれども、人に言ってもらった方が楽。あるいは、誰かのフィルターを借りて行動してもらった方がはるかに楽なのです。
就職が決まらない生徒がまだいます。進路室に足を運ぶ生徒はまだいい方で、固まってしまっている生徒も相当数いるのです。一つの失敗で次の対応をどうやっていいかわからず、そのまま放っているという状況の生徒は、こちらにしてもものすごくやりづらいのですが、しかし一定数います。彼らを叱咤激励して就職までさせる。どうも、最近は草加煎餅よりもソフトせんべいが売れる時代のようです。(山田壮一)
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NOV/17(MON)
細心・大胆。そしてフランス
ルジオ越後さんが各局でサッカーワールドカップ予選(対イラン戦)の分析をしてました。その中で「ケンカは先に仕掛けた方が勝ち」「負けたらフォワード2人を代えに行け」「カズにこだわるな」ということを言ったあと
「でも、日本は勝てるチャンスだ」
とまとめてました。岡田監督がそれらを全部聞いていたのかどうかわかりませんが、彼はこれらのカードを全部使い、その結果フランス行きの切符を日本代表がもぎとったのです。
昨日の試合のポイントは2つ。1−2とされた場面でFWのカズ・中山をロペス・城に変えたこと。もう一つ、運動量の多いMF北澤をFW岡野に変えたことです。岡田監督は「FW第6の男」をここまで使って来ませんでした。私がチェックした限り、どの局も「岡野」の名前を出してきませんでした。2週間前と同じように、監督は身内をあっと言わせ、勝利に結びつけてます。「騙し合い(イランFWが怪我の芝居をしてました)」とまで言われた情報戦を制するために、岡野投入をぎりぎりまで待った。その岡野、
「仕事をしなかったら日本に帰れない」
という危機感を持ってピッチに出ます。たまりにたまったもやもやをグランドで爆発させ、決めたのがVゴール。「野人を出せ!」と願いつづけた母の思いが、日本をフランスに連れて行く力となったのです。
われわれはさまざまな思いを重ね、ワールドカップ予選を見てきました。街の若者に覇気がない、景気の回復も見通しが立たない。さらにサッカー界自体もエスパルスに象徴されるJリーグそのものの危機、レッズの前社長の暗躍など、サポーターを失望させる状況が揃ってました。だからこそ、メディアは一斉に日本代表を煽り、一時出口が遠くなった時は、みんな自暴自棄になってました。その時岡田監督を支えたのは「家族」だと、彼はインタビューの中で答えてました。
2002年ワールドカップ開催国として、最低の責務はこれで果たしました。われわれもフランスの風に当たり、もっとサッカーをサポートできるよう力をつけようではありませんか。勝ってフランスへ。現実に変わったのは、選手の頑張り。そしてあきらめなかったサポーターへのごほうびだったように思います。(山田壮一)
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NOV/18(TUE)
そんなに慌てずとも...
ンターネット、パソコン通信どちらにしても、会議室(ニュースグループ)にはそれぞれの空気が流れています。ですから、ある会議室は1週間何もなかった。別の会議室は日/20書き込みに達しなかったことで「きょうは少ない」という。それはそれでよいと私は思ってます。大局的に見て、全体でバランスが取れていればよいとも思います。それを某旅客鉄道会社のように「儲かるところには手を出すが、赤字を出すところは機を見てつぶしたい」と考えるようではよろしくない。余計なところに手を出さないで、本業に徹すればそれでいいのです。
さて、私が関わっている会議室で「**について教えてほしい」という書き込みがありました。こちらは
「そうさのう、きょうは頭が働いてないから、明日子どもたちが落ち着いて、資料が整った段階で書こうか。のう、かあさんや」
「それがいいですとも、とうさんや」
という調子でのんびりとしていたのであります。ところが翌日かあさんに天の声がします。
「さっさと書かなきゃだめだべさぁ」。
家に戻ってその話を聞き、慌てたとうさんは、食事もそこそこに机に向かいます。そのとき
「とうちゃん、えほんよんでちょうだい」
という声がします。とうさんは慌てます。やっとの思いで一つ書き、もう一つは伝言板に寄ってから考えよう。それから、やっとの思いで伝言板にたどり着きます。すると、すでに先回りしている伝言があって、
「なんだかなぁ。無理に時間を割いて書くのも疲れたなぁ」
と、とうさんはその後の思索をやめたのであります。
−−ともあれ、ネットワークは1人では作動しません。各自の善意に頼っているところもあり、余白で動いているようなものですから「機能しない」とぼやきたくなる時も正直あります。特に最近は会議室の深化に伴って、横のつながりがなくなってきているのも事実です。「会議室のトピックス」を扱うところに、どこの室長も出てこないのが時代を象徴してます。が、
「あそこの会議室は、まめにやってますのぅ、じいさんや」
「いや、やり過ぎるとよくないですから、やめませんか、ばあさんや」
という調子の会議室に
「書けぇ。書かなきゃ会議室の職務を果たしたことにはならないぞー」
と説いたところで、反応があるんでしょうか。いや、それは大家の仕事でしょう。
書かなきゃ会議室がつぶされる。そうだとしても、煽られっぱなしは心労が増えるばかりです。ぼちぼちやることが長続きの基本だと思いますが、いけませんか。(山田壮一)

注)これへのコメントが複数きて、意外なところで読んでもらっていることを実感しました。ありがたい限りです。
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NOV/19(WED)
新聞協会への疑問
聞協会が「インターネットと著作権」について見解を出していることは知ってました。正式文を見るまでは
「ホームページに書かれている内容は、引用の度を超えている。注意されたし」
程度のものだと認識してました。そうだとしても、
>昨日の朝日新聞によると
という書き方も制約される。新聞ネタが使えないじゃありませんか(このことについては、もう一度触れます)。加えて、これは知人に教えてもらったのですが
>新聞協会加盟のホームページにリンクすることも断りを入れてほしい
のだそうで、確かめに行きました。要は新聞協会加盟の社によって考え方が違うのだけれども、メールで確認してくれということなんです。それって、インターネットの現状をわかってないと思うのですけど、いかがでしょう。
だいたい、多くのリンク集は個人が作成しているものです。「セレクション」とか「今世紀最大の」「セレクト」というものをリンク集に入れて、あちこちでリンクできるようになっているのが現状です。仮にリンク集の編集者が新聞協会にお伺いを立ててOKをもらい、彼が「このページはリンクフリーです」とやったら、どうなのでしょう。また新聞協会がリンクの条件として
「このページはリンクに制約があります」
としたら、リンク集そのものに人が来なくなります。リンク集で広告料をもらっている人は、いったいどうなるんでしょう(注・私は広告料をもらってません。念のため)。
もう一つ疑問なのは、テレビ・ラジオなどで新聞を取り上げている番組が多くあるのですが、あれらの番組にいちいち新聞協会は許可願いを書かせているのでしょうか。ラジオでいうと
>けさの岩手日報によると
というのはまだいい方で、
>最近女子高生の間でこんなことが流行ってます......
とちょっとした話題を取り上げるのに使っているのが、実はその日の朝刊だったりします。しかも取り上げる方はクレジットを入れないので、気をつけてないと「新聞からの引用」だというのがわかりません。
一方でメディアのもたれ合いを放置しておきながら、個人のインターネット利用には厳しい態度で望む新聞協会。著作権の扱いには慎重を期すことは大前提ですが、リンクの考え方で頭が固い彼らを見るにつけ、新聞は「旧型媒体」なのだと思ってしまいます。(山田壮一)

注)そんなわけでもっとリンクから新聞協会加盟社のリンクを一度引き揚げてました。改めて伺いを立てたところ、毎日新聞AULOSはメールを出したその日のうちに「どうぞ、どうぞ」と3者(!)からメールしてきました。日刊スポーツは申請書を書いてOK。河北新報も1週間で返事が来ました。しかし岩手日報は未だ(25日現在)返事待ちです。
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NOV/20(THU)
誰が偉人を生み出すか
の前触れもなく、いきなり親戚がりんごを送ってきます。宅配便が届いた時点で妻がお礼の電話をするのですが、電話口に出た叔母から返ってきたのは
「まぁ、あんたってなんだこと。(親戚の)家には顔を出さないばかりか、(旦那の)家にも足繁く通わないで、嫁なんて言えないわ」
という内容のことだったそうです。おびえてしまった妻は、一方的に話を聞かされ、やっとの思いで電話を切ったそうですが、憤まんやるかたない様子でした。
「どうして人をけなすことしかしないのだろうか」
というのが叔母への疑問の最たる所であります。
−−いや、彼女はどの親戚にもあんな調子だから、だんだん人が遠ざかっていくのだ。
と答えましたが、妻は納得しません。
「そう言われて親戚関係はどうなるの」
−−徹底して足を運ばなくなるか、彼女に隷属するかどちらか。
もちろん、妻は前者を選択することは言うまでもありません。そういう社会と関わりを持たざるを得ない人は、実は結構います。「それが嫌だから、俺は結婚しない」と誓っている知人すらいます。
西澤潤一・岩手県立大学長は「岩手には偉人を生み出す土壌がある」と折りにつけ言っているそうです。思うに、宮沢賢治にしても新渡戸稲造にしても、今でいうと「反減反」を打ち出した(その後潰されてしまいましたが)東和町長などに共通するのは、「閉鎖的な社会への不満」が、後で「偉人」と呼ばれる(であろう)原動力になっていることです。生きている時は、地域性で逆に足を引っ張られてしまう。むしろ外(他県)から評価され、気がついたら地元でも評価されているというのが、彼らに共通する点です。地元企業を誘致しても若者が定住しない理由がここにもある。改めてそんなことに気づいたのであります。
蛇足。「義理の母に言われるのならまだしも、なぜ親戚関係にまで不義理を言われなければいけないのか」と、妻はかんかんであります。もうお礼の電話なんてしない。お礼は書状でするものだと、改めて実感したそうです。(山田壮一)
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NOV/21(TGIF)
祝・「こどものとも」500号
日の昼、宮古市内で「こどものとも500号記念フェスティバル」を見ました。フェスティバルといっても、大型店の2階の片隅で月刊物語絵本「こどものとも」のバックナンバーと関連書籍を並べて置いているだけなんです。それでも500冊以上の絵本がある光景は壮観でした。会場には他に親子連れ1組がいただけで、番をしていた店員が「創刊記念パンフレット」を私のところまで持ってくる余裕もあります。
500冊のラインナップを見ます。私が知っているところでは「きつねのよめいり」「ぐりとぐら」といったオリジナルがあります。それから「セロひきのゴーシュ」「スーホのしろいうま」(注:小学2年の教科書で、私は知りました)といった名作あり。「しょうぼうじどうしゃじぷた」「そらいろのたね」は傑作集で息子が読んでたりもします。
ここ何ヶ月か「こどものとも012」などを読んでいるのですが、彼らは飽きません。こちらが音を上げるくらい、何度も「よんで」「よんで」を繰り返します。うちにビデオがないのも原因なんですが、絵本からいろいろなものを貪欲に吸収していることは確かです。
もちろん「ベビーブック」「げんき」といった雑誌も読みますが、「トーマス命」「コニーちゃんLOVE」という感じでもなさそうなのです。それはポンキッキーズを彼らにあまり見せてない(私は隠れファンなのですが、妻は頑として教育テレビを見せるのです)こともありますが、彼らは甘ったれですから、ママのそばにいたいわけです。ママがいなくてもテレビは進行します。けれども絵本は読み手がいないと成り立ちません。もちろん、2歳7ヶ月にもなると、ある程度のことは自分でも読みます。しかし、彼らはそれでも「よんで」とせがむのです。
そういう親子が全国に点在しているからこそ、こどものともは成り立つのでしょう。うーん、そろそろ職場にもどらなければいけない時間となりました。渡されたアンケートに
「1000号、2000号目指して....」
と書いておきました。こどもたちへの良心が途絶えることなく、今後の発展を願うものであります。そうそう。1冊ぐらいこどもに絵本を買っていかなければ、とばたばたと選び、会場を出てきたのでした。このフェスティバル、宮古のマリンコープDORAで24日まで開かれてます。もちろん入場は無料です。(山田壮一)
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NOV/22(SAT)
一枚岩を崩すもの
年度は労働組合・上部組織の幹事として会合に出席することも多く、さる晩も来年市議会議員選挙についての会議がありました。組織で推す政党は私の考えに近いので、基本方針に異論はなかったのです。しかし聞いているうちに疑問点がどんどん増えてきます。
「かつて党推薦だった現職(=5期)に引退を勧告したのだが、無所属で出ることを決意し、立候補するらしい」
という件で、経過説明が求められます。要は辞めたくない、組織に頼らなくても当選できると彼が判断したからでしょう。彼は党の幹事までやったらしいのに、党を袖にする。組織が弱体化していることを一番よくわかっているのは、むしろ彼の方かもしれません。
−−ともかく彼は推薦しない。前回の市議会選挙で党候補者に寄せられた票が3,000弱。今回も3人候補を立てるので、1人1,000票が当選の最低ラインである。候補を落とさないためにも、組織ごとに票割り(要するにこの職場はA候補に、別の職場はB候補に投票しなさい、ということ)を徹底したい......。そこまで話が進んだところで、今度は「組織での推薦決定」を12月上旬までするように求められます。各単組から「中旬だ」「厳しい」などという意思表示が続いている時、某労組がわれわれの労組を名指しで
「定期大会の代議員の発言はおかしい。組織を信頼できない」
と言います。さすがの私も
「幹事として、議員が当選できるよう最大限努力する」
と発言しましたが、思い返すたびに不快になります。つまり
・定期大会で「政党支持の自由」が可決された
・それを受けて、支部でも「特定の候補を支持するよう組織で意思統一を図らず、候補者から要請があったことには応じる」
ということが問題だというのです。某労組幹事の発言は「それでは、労組間の信頼関係にひびが入るから、とうてい認められない」という考えを表しているのだと思います。
さて組織率でいうとわれわれの方が95%、某労組が50%だと言われてます。「組合活動らしいことをしてない」とか「節操がない」とかわれわれは言われています。しかし考えが多様である分だけ、時流に敏感なのがわれわれの方で、「投票要請、1人=10票を集めろ」とまださせられている某労組の方が、実は古いのではないか。その政党が労組に依存すればするほど、民意から遠ざかってしまうということを、むしろ「市民派」議員はよくわかっていると思うのです。
某労組がわれわれを「おかしい」と名指ししたことが、あとで命取りにならないことを願います。私は名指しされた支部長に、会議の顛末を忠実に報告するつもりです。(山田壮一)
注)翌年2月の選挙で、われわれの組織が動かなかったためか、その党のある候補者が落選。無所属から出た候補も落選でした。
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NOV/25(TUE)
さぁ、安全モードへ
れわれの身の回りには多くの危険が存在します。それでも大人はある程度経験で予測できる部分がありますが、子どもの場合は何をするかわからない部分があるので、事が起こってから慌てることが多くあります。
昨日実家を出て、本屋・おもちゃ屋・ファーストフード・洋服屋・総合スーパーと買い物に行ったのですが、帰宅してから子どもの様子がおかしい。下の子はいつもと変わらなかったのですが、上の子が落ち着きません。絵本を読む時も、一つの本をテープの巻き戻しよろしく何度も読ませてましたし、食後の運動も足がおぼつかない。そのうちに絵本を踏み台にしテレビを触ろうとしたところ、テレビ(14型)が足の上に落ちてきます。幸い大したことはなかったのですが、われわれは青ざめます。
「大人でもよそに泊りに行くのは疲れるし、まして子どもだけれども彼なりに気を遣っているところがあるから、ねぇ」
というのが妻の見解です。その予兆はいろいろなところに表れているのですが、「本当に恐いのは翌日以降」ということですから、それも心配です。
さて、今週も慌ただしくなりそうです。大人は早く立ち直って、安全モードに突入できるようにしましょう。(山田壮一)
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NOV/26(WED)
画竜点睛を欠く
年の年賀状プリントについてのチラシが毎日のように入ってます。ここ宮古では1枚=50円(税別・官製はがき代別)前後の争いになってます。
ところでかつて年賀状プリントを頼んでいたのはA店でした。しかし「山田壮一」の「壮」を「荘」にしたばっかりに、この店は取引停止とされてしまいました。はがきプリントを作成する時にできる印刷の原版を渡して置き「この通りに作って下さい」と言ったにも関わらず、ご丁寧にも作り直します。さらに「ハガキを作成したのはうちじゃなくて、現像所の方」と口走ったために妻の怒りを買い「引き取り拒否」を通告し、1字のミスのためにやり直しをさせたことがあります。
そう言えば、別の店から「閉店のお知らせ」のはがきを受け取りました。はがきを出すだけ誠意があってよいかなと思って、裏を見ると山田「荘」一になっている。私、この店でカードを作りましたけど、「荘一」なんて書いた覚えはありません。そんな店は撤退して当然です。
お前、人のこといえるのかよ−−という囁きが聞こえます。(試験問題を作った時、教科名が違っていたのに気づいたのは、問題が刷り上がってからだったではないか。)うわぁ、その通りです。(だったら、人のことを責めるばかりでなく、他山の石にすればよいことではないか。)ははぁ。
画竜点睛を欠いたばっかりに、その代償が大きいということをよくやってしまいます。妻にもよく言われます。ともあれ、きょうも心して1日を過ごしましょう。(山田「壮」一)
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NOV/27(THU)
3年前の幻
れにしても最近の金融市場再編の速さには唖然とするばかりです。三洋証券たくぎん山一證券→徳陽シティ銀行と続いた一連の動き。さらに韓国などアジア諸国で起こっている金融不安。教科書で扱っている事例そのものであり、あまりのダイナミックさにこちらがついていけなくなってしまいます。
徳陽シティは、実は何年も前から「危ない」と言われつづけてきました。9月中間決算で、日経が「不良債権588億円」と中面に小さかったとはいえ見出しをつけ(なかなか厳しいなぁ)とうなったのは、つい数日前でした。義父も徳陽に口座を持っているので、決して人ごととは思えないのです。
3年前、徳陽と殖産(山形)・北日本(岩手)の合併が持ち上がった時、北日本銀行の労組が強硬と思えるほど「合併反対」を打ち出し、流れてしまったことがありました。表向きの理由は「山形・宮城への広域異動がある」ということで、その時(なんて後ろ向きの組合なんだ)と思ったものです。その後の新聞報道で「実は徳陽が危うい性格の不良債権を相当抱えており、手を出すとまずい」というリークが組合幹部にあったそうです。知っていても敢えて合併を進めようとしたのが上層部、強硬に反対したのが組合で、結局「自行を守ろう」といううねりを止めることができず、合併は流れてしまいました。
大蔵省はこれらの事例を知っていながら、抜本的対策を打てなかった。大蔵大臣不信任案が可決されてもおかしくなかったのです。そういえば、三塚大蔵大臣は宮城から選出されている議員でした。(山田壮一)
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NOV/28(TGIF)
さようならFM仙台。そして...
日のラジオ欄を見て、思わず声をあげてしまいました。来週のラジオ欄を見て絶句し、今日のラジオ欄を見て納得します。FM仙台が15周年を控えて、デイタイムの番組をいじってきました。赤間ちゃんの「ワガママ・フライデー」も今日が最終回なんですが、仕事と電波の関係で聞けるかどうか微妙であります。
前回のリニューアルも12月1日でした。その時はたまたま出張で「JOJU-FM Good Vibrations!」の初日を聞くことができたのですが、パーソナリティの板橋恵子さんがいきいきと仕切っていたのを覚えています。まだ当時は珍しかった「ノンストップ・パワープレー」「レストーク・モアミュージック」(おしゃべりを少なくして、かける曲を多くする)、Faxリクエスト(今はどの局もやるようになりました)など、5年前は画期的な内容でした。何回か聞いて全貌が明らかになると「これは外せない」と思ったものです。
それから5年。かの局は「JOJU-FM」の名を捨て、「Date fm(デイト・エフエム)」と愛称を変えることになりました。板橋さんは昼休みの1時間を担当することとなり、1時からの3時間はイノウエタカシアナが担当するようです。彼がやるともっと若向きになって、もっと尖った感じになるんでしょうね。慣れるまで大変です(^_^;)。
実は、宮古というところはFM仙台の電波が届かない地域の方が多いのです。聞こえる場所は山の上・海岸線・橋の上という3ヶ所で、あとは西か南に車を出さないと難しいです。辛うじて、妻の実家(=宮城県某所)に行った際にチェックできるので、よいのですが。ちなみに新番組が始まる12月2日(月曜日は特別番組)は、車で移動するので、もしかするとリニューアル初日を聴くことができるかも知れません。その報告はまた、あとで。(山田壮一)
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NOV/29(SAT)
See you、赤間ちゃん
。3時30分に仕事をあがって、宮古でFM仙台を聴くことができるポイントまで車を走らせました。「ドメスティックラジオ・ワガママフライデー」の最終回は、準レギュラーのインフィクス・長友仍世(じょうせい)と番組を進行してました。いつものようにソツなく天気のコーナーをこなし、交通情報のクレジットも終わり、さぁ残り10分。
赤間智美は『アンサー』(ちなみに、これはインフィクスの曲)、いま新しい旅立ちを迎えます」
と長友が紹介します。
「きょうはいつもの倍、ファクスが来てます。忙しくてなかなかファクスができないというリスナーからも届いています」。
赤間は、言います。
−−ワガママフライデーを(1993年から)4年8ヶ月やってきて、今までの(彼女の持っていた)番組(=午後は気ままに、コットンキャンディなど)はミキシングから全部自分でしなければいけなかったんですけれども、この番組ではじめてスタッフをつけてやってきて、私はアナウンスに専念することができました。スタッフがいたことで、いろいろと大胆なこともできたんだと思うし、一人じゃしり込みしてしまうこともできたような気がします。
長友はねぎらいます。
「いままで全国いろんなところをプロモーションして、もっとも弱いところが仙台だったわけ。正直、仙台が嫌いだったけれども、最近街を歩いていると『インフィクスの長友仍世だ』って声をかけられるようになったわけ。それはこの番組に出してもらったからだと思うし、ぼくを始めとして赤間さんを慕っているアーティストは多いと思うし、リスナーも、ほら、こんなに来ている」。
たぶん、スタジオの外(いきなり歩道)には多くのリスナーがいたことでしょう。何人かはスタジオに入って花を渡したといいます。番組は続きます。
「赤間は今まで、フリーになっても局アナを引きずっていた部分もあったと思うけれども、これ(=番組の終了)で本当に吹っ切れるんじゃないかな。赤間ちゃんは10年間局のためにひたすら走ってきて、がんばってきた。結婚してフリーになっても局アナと変わらなかったけど、ここからが本当の旅立ちなんです」。
思い起こせば、相当クサいことを長友は言ってました。このあと鼻に付くくらいに「お疲れさまでした」を連発するのですが、そこは赤間ちゃんに免じて許します。曲は「愛と青春の旅立ち」に変わってます。
赤間ちゃんの10年は私の10年でもありました。彼女が短大を卒業してから局アナとして採用されたころ、私は大学4年でした。彼女の2年目から、私は岩手に居を変えましたけれども、「コットンキャンディ」「午後は気ままに」はしっかり聞かせてもらってました。最初の1、2年。上司には「ニュースを読ませてもいいんだけれども、殺人・汚職などどぎついものが多くて、まだ読ませられない」といわれていたこともありました。5年前の番組リニューアルで「JOJU−FMグッドバイブレーション」の金曜担当になった時も、月−木の板橋アナの色が強くて、彼女の独自性が出なかったように思います。ですから彼女の今を築いたのは「ワガママフライデー」であることには違いないのです。芳本美代子を世に送り出した渋谷ディレクターは、赤間のパーソナリティを前面に出すべく、「月−木は洋楽」「金曜日は邦楽」というようにコンセプトをはっきり変えてきました。番組の色がついてきたとき、彼女が独り立ちできたように思えます。
昨日は新幹線の事故で、長友の到着が遅れました。レコーディングの最中に駆けつけたそんな長友をねぎらいつつ、番組を終了した赤間ちゃんを、リスナーは決して忘れないでしょう。芳本美代子の結婚披露宴に呼ばれ、素人のような立ち振る舞いをしてしまったこと。「ハニー赤間のGS天国」といういかにもなコーナーを赤面しつつやったこと。新年1回目の放送で埼玉からのリスナー(?。だって、この人は一度も赤間ちゃんの番組を聴いてないそう)の電話にたじたじだったこと。リスナーはそんな赤間ちゃんが好きでした。あなたはまちがいなくFM仙台の花でした。もっと大きくなってリスナーの前に姿を現すことを確信し、宮古からエールを送ります。じゃ、また。(山田壮一)
注)後日、この文を義理の妹さんが読んで、メールを頂戴しました。「姉さんがこれほどまでに思われていたと知って、感激しています」という内容でした。
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NOV/30(SUN
クリスマス・ウェブを始めるにあたって
(ヨハネの黙示録22.18−21)
降節になりました。世界中で最大のイベントといっても過言ではない「クリスマス」が目前です。アメリカでの大イルミネーションを見た雑誌の読者が「まぶしくて正視できない」と投稿するほどに、世はクリスマス一色となります。
さて、この年末。「クリスマスを迎えるほど、余裕がない。勝手に楽しんでいればいいんだ」という心境の方もいらっしゃるでしょう。でも待ってください。
「わたしはすぐに来る」
と言っている人は、何のために、誰のために来るのか知ろうとは思いませんか。
12月に用意されるこのページは、まず「アドベント・カレンダー」のように、クリスマスに備えて1日1日を待ち望むという目的があります。第2にGospel Japanが企画している「クリスマス・オン・ザ・ウェブ」に連なること。第3はホームページを持ち得た1年に感謝すること、これらが目的です。
明日からは「百万人の福音」で出している日課に沿って、できごとと共に聖書を見ていきます。そして、みなさまにとって今年のクリスマスが豊かに祝されるよう願いつつ、このページを始めます。
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