1999/March

         
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Mar/1(Mon)
強風の中の運転
大瞬間風速が10〜20メートルという中、見舞いや打ち合わせがあったので、2週続けて盛岡に出ます。強風に恐れをなした家人は同乗を拒否します。実は最大瞬間風速、宮古で24.4メートルにまで達したというのは、乗車直前に実感するのですが、運転して30分もすると慣れてしまって、それほど感じなくなります。
そうまでして盛岡に出たのは、知人の入院を見舞うこと(幸い、元気でした)。オルガンの打ち合わせがあったことの2点(今回、やっかいな打ち合わせがあり、電話・Faxというわけにいかなかったのです)でした。そのこと自体はすんなりと終わり、宮古へと戻る時、まだ交通情報で「高速道全面通行止め」という報が残ってました。言われてみれば、区界近辺で地吹雪。積雪がちょっと増えていたか?とおっとりと構えてました。恐怖は川井・新里の境でやってきます。
トンネルとトンネルの間にある道路標識は「強風注意」を示す吹き流しでした。後方にスピードを出した車がぴったりと付いています。用心してブレーキを踏み、10キロ減速で通過したところ、いきなり突風が来て流されます。後ろの車も用心していたので大事には至らなかったのですが、これならば高速道が閉鎖になるのもわかります。
とりあえず何事もなかった強風での運転。いいえ、実はけさの寝覚めが悪く、実は相当まいってたと体が教えてくれたのであります。

注)3月6日、所用で盛岡に向かったのですが、この日も嵐が吹き荒れ、60キロ以上で走ろうとすると車が流されます。その反動は翌日表れたのでした。
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Mar/2(Tue)
だんごな気分
:最近「だんご」だかタンゴだかよくわからない曲がよくかかっているけど、あれ、何?
鯉:熊さん、知らないのですかぁ「だんご3兄弟」を??
熊:知ってるけどさ。ちと、回りがはしゃぎ過ぎなんだよ。
鯉:CDの売り上げが500万になりそうだという話も、もっともらしく出ています。
熊:たかだか、「おかあさんといっしょ」の中で、アニメーション付きの歌でかかっていただけの話なのに。
鯉:昨日はニッポン放送の交通情報BGMとしてかかってました。
熊:ブロードキャスターでも紹介されていたんだろ。あたしゃ、寝たけど。
鯉:NHKは総合テレビでジングルのように使ってます。
熊:こっちから言わせれば、NHKははしゃぎ過ぎだと思う。
鯉:でも民放も勝手に便乗している感じです。
熊:それもだんごな世の中だ。で、CDが明日発売だということだけど...。
鯉:私のところには断片的な話しか入ってこないのです。
熊:木梨憲武と森尾由美が歌うという噂があるけど?
鯉:えーっ?この前のFMではうたのおにいさん・おねえさんだったのに。
熊:明日の新聞広告を待て、ということか。
鯉:森尾由美が「この歌、感動するわぁ」といったのは、そのため?
熊:そうかも知れない。しかし、ネットのあちこちで散発的に「だんご3兄弟」で盛り上がってねぇ。
鯉:この間、つい、だんごを買ったんですが、
熊:君も好きだねぇ。
鯉:盛岡あたりだと「『だんご3兄弟』で、評判のだんごっ!!」という売り方をしていないのです。
熊:君のとこの子どもは、串に4つだんごだと「これは4きょうだい。だんごは3きょうだい」というねぇ。
鯉:一部、3兄弟で売り出しているところもあります。
熊:まっ、ともあれ、だんご屋さんにとってはこの歌が救世主になりそうで、ご同慶の至り。
鯉:熊さん。なんとなく、まるちゃんの長沢くんみたいなこと言ってません?
熊:「ふん、君たちで勝手に言っていればいいのさ」。
鯉:似てる(^_^;)。

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Mar/3(Wed)
現場をわかってない「本部」
合の話。例年の3月には中央委員会が開かれていて、そこで1年間の活動を取りまとめるという形になっていました。規約には「中央委員会は年2回以上開かれなければならない」とあり、昨秋に一度ありました。さて、今度の中央委員会の議案書が回ってきて、(何話し合うんだろうか?)と思っていたところ、表紙を見てびっくりします。「りんじたいかい」?
再び規約を見たところ、大会を開くための条項があって、中央委員会が認めたとき・組合員の1/3が要求したとき、に加えて
「執行委員長が必要と認めたとき」
という文言があるのです。???
要は「統一地方選挙で、組織内候補を推したいが、定期大会で『政党支持の自由・選挙活動の自由』が通ったために、ままならない。大会決議には大会で対抗したい」という主流派の意向が強く働いているからだ。そう、古参分会員が解説してました。「議案を見たけれども、十分中央委員会で対処できる」。私もそう思います。
問題は、中央委員会の決議には中央委員の「委任状」で対応できるのに、大会は「代議員」の出席しか許さない原則があります。分会会議でもこのことでもめます(だったら、大会で紛糾するのは明白です)。ある代議員。いつもなら大会好きで、積極的に議論をしかける方にも関わらず、「成績会議があるから」と欠席を明言してます。中央委員会を大会に変えるより、そちらの方がよっぽどのことと話を聞いて感じました。しかし分会三役は「本部の指示ではできないことになっている」と。
詳細は省きますが、この件に関して同僚たち、「現場を取りたい」という代議員の意向を圧倒的に支持しました。ひたすら本部からの指示事項を伝達する三役に「規約のために組合があるんじゃないでしょ?」という声も飛んだのですが、採決まで気づいてくれなかった。同じように本部も、この時期の大会開催に無理があることに、大会になってから気づくのじゃありませんか。あちこちの分会から「本部がやっていることが見えない」という声が出されやしないか心配です。実は本部、大会流会の危険も感じているという噂も入ってます。ならば、やっぱり本部は現場をわかってないのです。

その後、「新年度の代議員を派遣することができる」という見解が出ます。ところが分会三役は代わりを立てずに「大会」代議員が1名欠席という状況が出てきます。三役にとって組合は「規約のため」のものだということでしょうか?
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Mar/4(Thu)
エンジンルームの警告灯がついた
日。パトカーが走っているわいと対向車線を見、急カーブをさばいたところ、いきなり異常を示すランプがつきます。このランプの意味は何だったか?と動揺しつつ、ガソリンスタンドに直行します。「異常ないですよ。」
実はバッテリーに異常じゃなくて(これは取り替えたばかり)、エンジンルームについた警告灯だったと知ります。すわ、エンジンの差し替え・車の交換・借金増大か??
覚悟して、ディーラーに車を持っていきます。ついでに12か月点検も頼みます。まる1日後に、出された診断が「冷却水のセンサーがおかしくなったので、交換しました」と。合わせて15,000円で済み、安堵します。ちょうど12か月点検の時期と重なっていたのもラッキーでした。
さて、12月点検の方だったのですが、オイル交換もバッテリー交換も済んだばかりなので、異常箇所はほとんど見つかりませんでした。しかし、「ボルトが緩んでいる」「ベルトの調整」といったところがチェックされてましたから、やはり点検時期だったのです。
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Mar/5(TGIF)
狭い世の中にタイムスリップ
器を返しに、出身校の生徒を連れて中学校に向かいます。非常におとなしく、かつてまともに話したことがなかった生徒とあれこれ会話しているうち、実は姉が卒業生だと判明します。卒業生の名前を聞いてピンと来ました。何でも姉さんは結婚して子どもを産み、現在里帰り中なそう。それでは中学校に寄った後、家まで送っていこうということに相成ります。
その前に、中学校に寄ると、中学の同級生が職員室にいました。いや、うっかりしてました。彼は宮古に来て2年になるというのに、連絡も取らずに失礼しました。一方生徒は丁重にもてなされ(卒業後、初めての中学訪問だったそう)、お礼を言って失礼します。
さて送りつつ生徒の家/卒業生の家を訪れます。
「先生、こんな格好で悪いねぇ」
−−いや。悪いのはいきなり訪問した私の方です。それはさておき、高校時代とさほど変わってないような、でも風格が出てきたような彼女は、3か月にしては大きめの赤ちゃんを見せてくれます。
「どうしてあたしのこと印象に残ってたの。うん。騒いでばっかりいたからねぇ。応援歌練習の時、K子と写真撮ってくれって言ったっけ?そんなことあったかなぁ...。」
という調子で話していた彼女が、表情を曇らせたのは、担任と連絡が取れないことでした。
「でも、担任は野球ばっかりしているからねぇ。(子どもに向かって)おい、おじやん(=おじさん)がいるぞ。面白い顔してるねぇ」
−−おじやんはやめてくれ(--;)。
彼女とK子。直接授業は担当しなかったものの、向こうの方から声をかけてきて、その突き抜けるような明るさに感心したものです。それは生徒たちに共通の気風だと後で悟るのですが、中でも彼女たちは群を抜いてました。6年前の彼女たちを担当した同僚は、ほとんど転任してしまい、埼玉に居を構える彼女が学校に遊びに来ることは、もはやないでしょう。しかし、いきなり押し掛けた私に対して、子どもを見せてくれ、気さくさが変わってない点に安堵しました。
「じゃ、おじやん。ばいばい」。
−−おじやんじゃないって。でも、私の目は笑ってました。

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Mar/6(Sat)
3年生が卒業していく
業式予行。「中学の卒業式練習の方が厳しかった」と1年生が感想を述べてました。礼法とか、発声とかがいい加減だったことに、でしょうか。それは個々の指導で対処すればいい、というのが当方の進行役の考えです。それから中学生と高校生の成長の違いもあって、こちら高校生はツボを心得ているのです。もっとダラダラしてもおかしくない生徒たちが、こういう儀式で「まじめな高校生」にもどるのがとてもうまく、いつも感心することです。
感心したことといえば、卒業式予行の前に諸々の表彰が1時間ぐらい続きました。3年生のある生徒。壇上で賞状を受ける生徒に対して終始、率先して拍手をし、回りもそれに引っ張られ拍手するという状況でした。去年までは、後半で拍手が切れたのですが、今年は最後まで途切れることがありませんでした。休憩の時に、その子と二言三言話したのですが、彼女は淡々と「えぇ、まぁ」と言います。意外な発見でした。
放課後、部の3年生を呼んで、ささやかな記念品を渡します。3年間部活を支えたことへの感謝と、定期演奏会の手伝いを願う”買収”みたいなものです。とはいっても、今年の3年生は16人いたので結構な負担だったのですが。
「先生、大変だったんじゃないですか?」
そういうことを聞いたのはさすが准看進学の子。−−いや、去年と今年と人数が違っても内容を変えるわけにいかんでしょう。3年間接していたつもりでも、私が見ていたのは彼女/彼らのほんの一面にしか過ぎなかったのだと改めて知ります。それは、2年生部員が職員室に持参した「3年生への色紙」でよりはっきりします。16人へのメッセージを書いている間、彼女ら/彼らの人となりが垣間見え、色紙に名を連ねることができて感謝したのでありました。
3年生と過ごした日々。あと1日は少なかったのかどうか、夢にまで現れてきます。バンド演奏に向かう3年生と、殺到する在校生たち。笑顔のすてきな女子を、なぜか口説いていた私。ヤボ用のために3年生をゆっくり送れない私を、神は哀れんでくれたのでしょう。昨晩の嵐が嘘のように穏やかな宮古の朝。きょうは勤務先の卒業式です。

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Mar/8(Mon)
新国歌・国旗を提示すべし
わゆる「君が代・日の丸」問題について。
「君が代・日の丸とも戦前の『軍国主義の象徴』を引きずっており、国歌・国旗になじまない」
「君が代の『君』は、天皇を指しているのは明らかであり、国民主権との矛盾がある」
というのが個人的な見解です。そのへんを曖昧にしつつ「法制化」を官房長官が持ち出すのは、無理があります。しかし、反対陣営の弱いところは、君が代・日の丸の代案を示さないまま戦後50数年をずるずると過ごしてきた点です。ただやみくもに「反対」を繰り返してきただけでした。日教組には「緑の山河」という「国民歌」候補があるのですが、組織内部も、友党でも、本気で「君が代から替えよう」と思っている人はありますまい。
さて、共産党まで「絶対君が代・日の丸反対」を捨て(「国民の合意のもとに「君が代・日の丸」が残ったら、それを認めるということ)、らしくなくなってしまった昨今。ハンターイ!と声高に言っても盛り上がりません。ここは反対陣営、起死回生の一発を放ち、世に問う段階に来ているでありましょう。一つの案をぶち上げるので、その筋の方検討してみてください。

☆「君が代・日の丸に変わる「新国歌・新国旗プロジェクト」
☆「国歌」として代用されている「君が代」に代わり、21世紀を生きるにふさわしい「国歌」を募集する。「国旗」も「日の丸」に変わる斬新なデザインで世に問う。
☆「新国歌」「新国旗」の案に採用された作品にそれぞれ1,000万を支払う(注・これぐらいのインパクトがないと、だめです)
☆案は公募を募り、「国民投票」、もしくは「各界からの審査員」によって決める。
☆採用作品がない場合、K室哲哉のような著名作曲者、H比野克彦のような著名デザイナーに案を委嘱する。
☆これらの過程を経て、メディアに集中的にスポットを流す(注・「だんご」ぐらいのインパクトを与えないと、だめでしょう)
------
最低これぐらい仕掛けないと、なんだかんだといっても「君が代・日の丸」は残るでしょう。その前に「そんなにしてまで、新国歌・新国旗プロジェクトを進める性質のものなの?」と尋ねられそうですが。

8日のJNNの調査では、「君が代・日の丸」を支持しない割合がほとんどなく、「プロジェクトを進める性質」からはほど遠いようです。世に問う段階を過ぎてしまったということでしょうか?
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Mar/9(Tue)
BSでポールモーリアを見た
年、ポールモーリアが「最後」の来日公演をした際、盛岡にも寄ったらしいのです。しかし地元紙を読んでいない、主催テレビ局はあまり見ないというありさま。気づいて、おっとり刀でプレイガイドに行くとすでに「売り切れ」という状況でした。フレンチポップスの大御所・イージーリスニングの第一人者・華麗なるラブサウンズ......という形容詞で、20数年前の日本にブームを巻き起こしたポール。10年前あたりから「ポールモーリア?誰、それ」という世代が増えてきたことに、こちらは参っていたのですが、最後の公演が盛況だったことに安堵したものです。何せ、20数年前にはFMレコパル(すでに休刊)のコミックで「ポールモーリア物語」というのがあったんです。
さてポールも70代後半に差し掛かり、年を取ったことを画面は容赦なく伝えます。しかし、10年ぐらいのコンサートに比べて、彼はがんばって指揮をしていたように思います。半分から2/3は彼がステージ中央にいました。曲も、らしい曲が多く、昔のポールを知る層にとって懐かしいものが多うございました。10数年前、ガストン(ゲストで呼ばれてました)がやったショーが今回もあって、あのころと同じレベルのショーを見せてもらい、ジャン・ベルナールのピアノの腕、芸も見事でした。
で、ハンガリー舞曲からオリーブの首飾りというおなじみのメドレーも相変わらず。そこで終わるのがいつものパターンなのですが、「第九」で締めたいというのがポールの思いでした。彼の思いが客席に伝わっていたのかどうか。「オリーブの首飾り」で終わってほしかったと、テレビ桟敷の私は思いましたし、客席の多くもそうだったのではないでしょうか。
たまたま実家にBSがあったから、ポールを見ることができました。しかし、地上波で放映するときは深夜帯なんだろうな、NHKよとつぶやきつつ、モニターを消します。それはそうと、来日記念アルバムでも買っておきましょうか。

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Mar/10(Wed)
DMの引っ越し手続き
勤の内示が出て、職場で発表がありました。当然、引っ越しを余儀なくされます。目に見えるの引っ越し手続きはまだよいとして、パソコン・インターネット関係の登録変更がどの程度あるのか、手続きに入っているところです。「転勤してから」と悠長なことを言っていると、どうしても後手になってしまいます。とりあえず、1日=10数通来るメールから、変更を書き出し、手続きに入ります。
連絡先がわかっていて、1時間=15社。書き出したら、少なくても40社あることがわかり、いかにあちこちに手を出したか、自分でも愕然とします。これ、インターネットのメールアドレス/URL変更でも同じなのだろうなと。1社1社住所を打って(個人情報を売ってることにもなります)、同じような作業を繰り返します。実際、引っ越しはまだですから「3月某日から新住所」と打つわけですけれども、それを記す備考欄がありません。で、住所脇に強引に「3月某日から」と加えます。また「アパートの号室まで記入のこと」という項目が入ってますから「**アパート▽▽号室」と一々書きます。郵便屋さんにとっては、必要項目なんでしょうが。
そんなわけで、帰宅してから連日各サイトを巡る日々が続いていて、まだ道半ばです。職場の残務も加えて、「本当に終わるの?」というのが正直なところです。

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Mar/13(Sat)
どこまで手出しするか
:異動の発表があって、ここにきて君もばたばたしてきた。
鯉:いや、ありがたい限りです。しかし、体がもたない(;_;)。
熊:今回は引継事項が多いから、しっかりと残しておかないと。
鯉:そこなんです。昨日も、書類記載のため、10カ所近く生徒に電話して取材しました。
熊:2時間近くかかった。
鯉:合間に卒業生関係の葬儀に出て、別の卒業生へ書類を出して、
熊:別の卒業生からの問い合わせ電話に応対し......。担任は忙しくて、仕事のやりがいがあるねぇ。
鯉:今回「即断即決」を目標にしているのですが、
熊:来週前半で目処を付けたいんだろうけどねぇ、むずかしいだろうねぇ。
鯉:で、私のところに仕事が回ってくるのはありがたいかぎりです。
熊:皮肉じゃなくて?
鯉:これは本当です。とりあえず、10カ所近い電話も会話が成り立ってますし、直接の担任でない生徒からも電話があったり
熊:その件では同僚に助けを受けていたようだったけど。
鯉:です。で、卒業生に出す書類に裏付けがほしいので、電話取材と面談を試みたのですが
熊:まぁ、君の性格ならそこまでするだろうねぇ。
鯉:「そこまでする必要があるの?」って言われました。
熊:で、実際は?
鯉:近況報告を聞きがてら、話をして、書類に加えました。
熊:何でも、君の配偶者の母校にはそういう先生が多かったそうだねぇ。
鯉:だって、そういうプラスアルファの部分こそ生徒は認めてほしいわけでしょ?
熊:「それは、余計な仕事だから」というのが、一般的現場の考え方だよ。
鯉:前任校でも言われました。「手の出し過ぎ。同僚から嫌われるから気をつけな」って。
熊:で、今の職場では?
鯉:赴任直後、「あー、この職場はよその部署に対する理解がないな」って思いました。
熊:今は?
鯉:もう、慣れてしまいました(^^;)。で、自分の管轄に忠実にやってきたつもりです。
熊:しかし、いろいろと突発的なことが起きてくるわけだから、
鯉:ありがたいかぎりです。
熊:もっと、言いたいことあるんじゃない?
鯉:この間、転任先の...、いや、やめておきます。私も保身に長けてきたので。
熊:ここから先は、当人に直接聞いてください。

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Mar/15(Mon)
IBCトップ40が終わる
方5時を回り、山道から市街地に車を走らせていると、突然告知がありました。
「実はIBCトップ40があと2回で終了することになりました」
−−えっ?だって、いつものように「ベスト3予想コーナー」やら「リクエストの宛先」やらを言って、進行していたじゃありませんか。そんなことには構わず、戸田信子・江幡平三郎が進行します。
「IBCトップ40は3月28日をもって25年間の番組を終了することになりました、最終回は、歴代のパーソナリティ−−大塚(富雄)さん、千輝(ちぎら・順子)さんをはじめ、玉ちゃん(=玉井明子さん)、神ちゃん(=神山浩樹アナ)が勢揃いします......」。
5時30分、番組が終わっていろいろなことに思いを寄せます。よく25年続いたという思いと、最近はマンネリ化したような嫌いと、でもリスナーのパワーは相変わらずだなという印象がまとめて押し寄せてきて、複雑な心境でした。
25年前。私にとってのトップ40は大塚・千輝コンビを指すわけですが、番組からは「昭和枯れすすき」が流れてました。ドリフの歌にリクエストしたもののかからず「なぜ?」とずっと疑問に思ってました。ダウンタウンブギウギバンドの「カッコマンブギ」にリクエストしたところ、「きょうはB面の『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』をかけます」と言われ、そのままB面の方がブレイクしてしまったこと。桜田淳子の曲をリクエストし、私と妹の名前(=声色を使った)で出したところ、名前を呼ばれたのは妹の方だったこともありました。
20年前、トップ40全盛のころ(聴取率が25%だったのは、今も語り草になっています)、月曜の学校の話題はトップ40のことでした。
「『ザ・ベストテン』でピンクレディが透明人間になる仕組みはどうなのかなぁ?」
と何気なく口にすると、複数の同級生が
「それ、トップ40で言ってたよ」
と口を揃えます。そのころのリスナーへの影響力は絶大なものがありました。
高校生のころ、1度だけトップ40のスタジオから声を出したことがあります。イベントの告知を知人に依頼したところ、巡り巡ってこちらが通知することになり、IBC到着後5分も経たないうちにスタジオで声を出してました。生放送、何が何だかわからないままの出来事でした。17年前のことです。
「およげたいやきくん」も「TOKIO(注・沢田研二の歌)」も、「季節の中で」も「めだかの兄妹」も、すべてトップ40が最初でした。岩手に生を受け育った30代と40代、それにその周囲でラジオを聴いていた家族は、トップ40に何らかの思い出があるはずです。いまでこそ、民放FM局、コミュニティFM局の裏番組が出てきましたが、少なくとも10年前までの岩手の音楽界を語る時、トップ40を外すことはできませんでしたし、許されなかったことでした。こういう「思い入れたっぷり」の濃いラジオ番組が看板を下ろすことに、時代の変化を感じるものです。

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Mar/16(Tue)
体は嘘つかない
末、700キロほどドライブしてました。引っ越しの打ち合わせで急遽出かけなければいけなかったもので、勤務先・新居とチェックして回ります。帰りの道で止せばいいのに山道を通ってしまい、「通行止」の表示で慌ててUターン。燃料と時間のむだ遣い、運転の疲れも増します。で、昨日は入試の監督でしたから這々の体でありました。
ここ1週間ほど、眠りが浅い状態が続いています。そんなわけで昨日は、パソコンに向かっていてもしょぼい感じでしたから、そそくさと床に就きます。ところがそういうときに限り、羊が100匹になっても眠れない。感覚がおかしくなっているのです。3時ごろ目が覚め、東北地方の気象通報が流れていたラジオを聞きます。「このまま起きられそう」というのが鈍っている感覚の象徴で、もう一度眠りに戻り、起きたのが6時30分でした。やはり、疲れてたんです。
さて、ある日の昼食。焼き肉屋で「スペシャル」を頼み、メニューがさりげなく変わっていたのにも驚いたのですが、出てきた肉の数々を見て、嫌悪感を覚えた自分にも驚きました。前は、これだけの分量を見ると無条件で喜びひたすら食べたのですが、めげてしまいます。そんな私を見た妻は「じゃ、私食べるから」と肉をもらっていきます。うーん。冷麺にすればよかった。他にも、夜の丼ものにゲンナリ・おやつの大福にウンザリ......という現象が出てきています。「粗食にしているから、それ以外のものを体が受け付けなくなったこと。いいことじゃない」と、妻は付け加えます。思いました。体は正直、嘘つかない、って。

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Mar/17(Wed)
パソコン通信、書きづらい。
:ただごとならない見出しですなぁ。
鯉:どんどんパソコン通信が低調になっていて、ちょっとしたジレンマです。
熊:何も、インターネットに生きる君が苛立ちを感ずることはないと思うんだけどなぁ。
鯉:書きたいことはあるんです。でも、ちょっとしたズレが相当なズレになっているんじゃないかと思うんですよ。
熊:そのズレもパソコン通信の醍醐味なんだけどなぁ。
鯉:私、会議室はドメスティック的な要素、必要だと思うんですよ。
熊:そうじゃなければ「地域限定」「内容限定」にならないからねぇ。
鯉:一方で開かれた要素もいると思いません?
熊:インターネットをやっていればねぇ、「限定」というのは諸刃の剣になりかねない。
鯉:でしょ?書き込みが増えそうにないんですわぁ。
熊:それって、モデレーターが書かないことには始まらんのでしょ?
鯉:でも、モデレーターだけ書いているのも、読まれているのかいないのかわからなくて、イライラするのです。
熊:会議室、内輪のものになってないだろうか?
鯉:「内輪受け」ってやつですか。それはそれでいいんですけど、外に広がらないもどかしさを感じます。
熊:他会議室とのネットワークは?
鯉:元気な会議室は、ネットワークとフットワークが軽いです。
熊:ならば、結論は出ている。
鯉:「よその会議室でPRして、相互乗り入れを図るべし」
熊:その通り。ところで、「書きづらい」原因は他にもないかい?
鯉:今、ブラウザとメールソフトを分けているのです。
熊:で、ニューズグループのソフトが3つ手元にあるようだけど、
鯉:メールソフトほど使いやすくないのです。そこで、書くのが面倒になって、どうしても後手後手になるのです。
熊:「今までのコンテンツを有効活用する」といえば聞こえはいいのだけれども。プロバイダの技術で何とかならないの?
鯉:BBBがありました。そういえば。でも、ニフティなどのように他プロバイダからの乗り入れはできないのです。
熊:パソコン通信のような画面か。うーん。でも、あの画面まで行って書き込みしようとする人がどれくらいいるのかどうか。
鯉:それよりも、うちのプロバイダに入る際「会議室での交流を図りに来た」という人が、どれほどいるでしょう?
熊:非常に厳しい現実。もう、会議室には人が戻ってこないんじゃないかしら。
鯉:というわけで、ドメスティックになればなるほど、袋小路に入ってしまう感じがして、ジレンマに陥ってしまうのです。
熊:こんなことばっかり書いているから、「ホームページコンテスト」の上位に入れないのだよ。
鯉:いや、他プロバイダの力を借りているから「コンテスト」と「コンテンツ」が注目されないのだと思います。
熊:御託並べてないで、一抜けたら?
鯉:うーん。そういう時期なのかなぁ......。
熊:激励・お叱りがあれば、ゲストブックまでどうぞ。

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Mar/18(Thu)
罪の報酬は死
のころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が
下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たち
に返そうとして、「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯し
ました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お
前の問題だ」と言った。そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで
立ち去り、首をつって死んだ

日本聖書協会・新共同訳:マタイによる福音書27章3-5節)
超有名タレントの母が親戚に殺され、その親戚も自害した−−というメールが入ってました。そのタレントが誰で、背景がどうだということは省略します。私が注目したのは殺害をした彼が、自ら死を選んだことに対してです。
タレントの母が殺されたことについて、彼には
「我々の知ったことではない。お前の問題だ」
というメディアからの大合唱が待っていたことでしょう。その事態に、彼は耐えられなかったと察します。
罪の中に生きているうちは、罪の支配から免れ得ないのです。そこに神の光を見いだせない限り、争いは続くだけです。遺族に主の慰めと平安を祈ります。

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Mar/19(TGIF)
「新幹線で京都へ」にはまる
の杜から送られてきたメールの中に「新幹線で京都へ」というフリーソフトが更新された、とありました。隠れ鉄である私は、どんなもんかとダウンロードしました。したら、はまる、はまる。「東京駅新幹線ホーム」まで落としてしまいました(^^;)。
要するに、1日に走っている新幹線(こだま・東京〜新大阪間)のうち5本を組み込んで、画面(アニメーション)上で車窓を流し、到着時には減速。発車時には加速を繰り返す、ただそれだけのソフトです。しかし、車窓の情景が昼と夜とで変わっていて、東京近辺と静岡の車窓がしっかり別物になっています。途中、何度か「のぞみ」「ひかり」に追い抜かれたりとか、バーチャルトイレ・バーチャル電話ができるとか、それは至れり尽くせりです。フリーソフトだぜ。そこまでやるか?>鉄。
ところが、画面上に置くと、思わず見入ってしまいます。うちの子もじーっと見ていて、お気に入りです。「何だかなぁ、もう」と言いながらも、妻まで見てます。始まりは「本日も新幹線をご利用いただきありがとうございます」という表示が画面に出ます。モニターには新幹線の頭部が見えるの。くーっ(;_;)。そして、鑑賞が一通り終わってソフトを終了すると、退場も画面の左から右に流れるの(T_T_)。あまりの芸の細かさに、脱帽であります。
というわけで、モニターでは品川通過ということになっています。当分の間、子どもたちともども「新幹線で京都へ」で乗ったつもりになるのでしょう。

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Mar/20(Sat)
送別会、ただいま折り返し地点
別会も第3ラウンドに入り、折り返し地点に差し掛かります。昨日は卒業生が勤めているところでたまたま1次会。別の卒業生が勤めているところでたまたま(?)2次会というセッティングがされます。本来は私、1次会完結型なのですが、送られる立場もあって、久しぶりに2次会まで出ます。
1次会の入口でいきなり卒業生を見つけ「今度これこれこういうわけで転任する」と告げると、「さよなら」とあっさり言われます。いやにあっさりしている応答だと思いつつ、会合に出ると、仕事を終えたはずの彼女から花束とメッセージが届けられます。軽い驚きが、感謝に変わります。何か、催促したみたいで悪かったかという思いも少々。
2次会。なぜか卒業生が2名働いているバーに連れられます。彼女たちの話し方がぜんぜん変わってなくて、正直安堵します。
「いろんなところから同級生の話を聞くけれども、地元に残ってセンセイたちと話をできるのがうれしい。高校の時にまじめに過ごしていて、今は転落してしまった人たちと比べたら、あたしたち、まともだと思う」。その話し方、高校の時のままです。気がついたら彼女たちと歌っていて、メッセージカードやらプレゼントまでもらっていて、家が花束だらけになっていたのでありました。
上司が「転勤したくないだろう?」と水を向けます。いや、実感が伴わないのです。まだ送別会が2つ残っているのと、仕事が片づかないのとで回りを見渡す余裕がない。しかし先日、部活動の生徒に「学校を離れる」と言った際、不覚にも声が詰まってしまった状況がありましたから、離任式の時平静を保てるかどうか怪しいのです。そして、引っ越しの時も。

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Mar/22(Mon・Holiday)
IE5.0を落とす
ラウザの一つ、InternetExplorerを5.0にバージョンアップしました。数分でダウンロードが済むというコピーは大嘘で、しっかり2時間近く電話代を払ってしまいました。
現在も私、基本的にはNetscape Navigator4.5の方を使っています。あれはJavaを使う際に画面が凍り付くことが最大の欠点ですが、それ以外は慣れの問題で、ネスケの方がいいのかなぁといったところなんです。しかし、IE5.0を入れて、動揺しました。オート・コンプリート方式(ID・パスワードを覚えていて、2回目からは自動でページを突破できる機能)がもっと使いやすくなって、使い慣れたらネスケに戻ることはできなくなるでしょう。キャッシュ(記憶装置)にいくらか容量を使うのでしょうけど、機能的に追いつけるのか>ネスケ?
雑誌の記述を見ると「IE5.0にバージョンアップすることは、健康体にメスを入れるようなものだから、くれぐれも注意」とありました。しかし、3.0から4.0になったときのトラブルほどではなく(注:所要時間・現象は、あの時と同じ)、むしろ「点滴を打ったようなもの」という表現が合っていると思います。マイナーチェンジだけれども、買い。これがIEの印象です。でも、当方は慣れの問題があるので、8:2でネスケを使い続けるでしょうが。
月末に各誌のCD-ROMにIE5.0が付属になってくるでしょうから、それまで待った方がいいでしょう。ダウンロードは、万人向けじゃありません。
注)というわけで、勇んでIE5.0を使ったのですが、いくつか5.0に対応してないページ・ソフトがあるのが難点です。ネスケとの操作性を考えると、まだIE4.0の方がいいのですが、5.0を選ぶことはネスケとの違和感を増すことになります。
2)MSソフトのパブリシャーを使ったところ、フォント等のいくつかが消滅・書き換えられてました。なんとか印刷が終了して、コピー&ペーストしようとすると今度は立ち上がらない(;_;)。まっ、あたしゃ代わりのソフトを持っているからいいんですけど、MSベッタリの方は大変でしょうねぇ(3/25現在)。
3)1年後、9割までIEの使用となってしまいました。最大の原因はWin2000に変えたからです。
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Mar/24(Wed)
地吹雪とアイスバーン体験
22日から、諸々の手続きのため盛岡・水沢江刺方面に行ってました。超強行軍で
>23日早朝出発・午前盛岡・午後水沢江刺・夜は送別会
でもよかったのですけど(←よくない、よくない)、スケジュールを緩和するため、前日夕方から盛岡に入ります。
ところが、それがいけなかった。というのは、22日はご存じの通り強力な低気圧が日本列島各地で猛威をふるい、
>会津若松と福島を結ぶ高速バスが、予定より十数時間遅れて到着が深夜になった。
>高速道路が閉鎖、秋田新幹線も遅れ・運休相次ぐ
というように、移動にとっては最悪の環境だったのです。
当方。22日の夕方4時30分に宮古を出て、国道106号の大峠から区界の間、強烈な地吹雪に遭遇します。前方を走る車なし、日没で視界不良。ガードレールの脇、あるいは道路脇のポールが辛うじて道路端を示し、それ以外は運転席から把握できない状況が続きます。対向車も感覚を取れず、お互いに道路中央に寄って走るものですから、サイドミラー数センチ単位まで接触はざら。光を見ると寄ってしまう本性が、こうさせてしまうのです。双方とも時速30キロで流していたので、何とかなったのですが。本来なら道の駅・区界で休憩を取るところなのですが、車がいっぱいでそのまま直進します。以降、盛岡・梁川郵便局までの10キロほど・下りを、ノロノロ(=時速25キロほどの)運転を強いられます。盛岡に入って給油したところ、燃費がリッター=8キロしかなかったのでした(;_;)。宿について、さすがにその日の外出は控えました。
翌23日。盛岡の朝(特に裏道)は道路がツルツル、鏡状態になってました。除雪車が雪かきをするも、道の真ん中しか除雪してなく、歩行者は道路の中央を歩いてます。ひぇーっ。老人は横断歩道に関係なく、雪のないところを歩きますし、歩行者になってみるとぐちゃぐちゃの路面で歩くところがないんです。雪道になると、盛岡の人はみな淑女・紳士的な運転になるので、それはありがたいことです。ということで、一気に真冬に戻った連休明け。その状況を垣間見ることができたのは、これからの内陸暮らしを把握できた意味ではありがたいことでした。

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Mar/25(Thu)
机を追われる
張を終え、戻ってきた私を待っていたのは、残務整理の数々でした。今の職場には机が2つあって(注・私がそういう部署にいただけで、本来は1つです)、2カ所に分散していた物を1カ所に減らして半日。その間に、送別会の案内・集金・挨拶回りの打ち合わせ・成績の記入が回ってきます。今年は「離任式の日(=25日)、午後1時に座席移動をする」というお触れが出て、何だかもう「異動する人は早く荷物整理してね」と言われている感じです。いいけど、残っている大きな仕事が荷物整理だけだから。
残り半日。1カ所にまとまった荷物を捨てに捨てます。当方、担任が正・副2人とも転任なので、突発的な仕事に対応できないのです。それでも通知票郵送(そう、勤務先は卒業式を除いて郵送処理です)の切手がいきなり置かれ(かなり早い段階から請求していたぞ)、その添付あり。クラブの引き継ぎでファイリングのやり直し(注・全部やるには膨大なので、一部)。あぁ、荷物が減らない、時間がない。お客よ来ないで、また明日−−そう相成りました。
今週は連休・出張が入ったために、実質3日で仕事をやっつけなければいけなかったのです。しかし、明日の仕事場がない。きょうは各方面の応対と送別会でおしまい。さぁ、机の上と下にある諸々のものを、どう始末しましょうか。最後は段ボール2箱まで抑える予定ですが。

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Mar/26(TGIF)
吹奏楽顧問・最後の日
日は離任式。でも、一足早く吹奏楽部の生徒たちには、「異動通知は新聞発表(3/23)の後」という暗黙の了解を破り、先週の段階で「顧問を辞め、転勤する」と伝えてありました。本来、こういう仕事は3/31まで全うすべき性格のものなのでしょうが、距離90キロの引っ越しが待っているのと、直前に結婚式に呼ばれていることもあって、「ごめん、もう指揮台には立たない」と申し渡します。
式が終わって、楽譜編集作業で来室した生徒が、突然こぼします。
「クラリネット、もっと教えてほしかったな」
......。別の生徒が知らせた二言目。
「風邪、ひいてほしくなかったな」
(--;)。これは1月末、インフルエンザにかかって、訪問演奏の指揮をキャンセルしたことを指します。他にも要所要所でダウンして「頼りのない顧問」って思われていたんでしょう、きっと。
生徒には、顧問を辞める際に正直に告白しました。
>やるだけのことはやったつもりだったが、いかんせん40数人のクラブを1人で束ねるには、あまりにも負担が大きい。
>担任の仕事があり、進路指導の仕事もある(=レベルは全然違いますが、青森のH校の先生も同じことを言ってました)。
>そういう中で合宿をして、予選を通るレベルに仕上げ、さぁこれから練習というときに、バンドが息切れしてしまった。
>その時点で、「顧問を替えないともっと上のレベルは狙えない」。
>そう思い、校長に頼んで、異動願いを出した。
そんなダメ顧問に生徒3が言います。
「あたしたちのように気を使う生徒に恵まれたから、センセイ、顧問をやって来れたのよ」。
−−その通りです。でもね、そういう顧問だからこそ、あなたたちはある程度のところまで自分たちでやって来れたんだし、市内の中学生たちから支持を得て、多くの部員たちが入ってきて、大編成クラスに出られるようになったんだよ。ねぇ、聞いてる?
−−聞いてないのです。そんなことよりも、彼女らは次にする曲をどうするか、譜読みに入っていたのでありました。きょうは、新旧顧問の打ち合わせをして、生徒と対面します。
勤務先は新年度から、吹奏楽部を2人顧問とすることを決めました。

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Mar/27(Sat)
おともだちとけっこんのかべ
のあいだ、しりあいがあたしのとこにあそびにきて、そうだんしたいことがあるってどらいぶして、そのときいろいろきかされたの。
「ぼく、はなしあいてがいるけど、このあいだけんかして、まだなかなおりしてない」。
なんで?ってきいたら
「あいてがしごとをいそがしくして『そんなしごとなんかやめちゃえ』っていったら、おこって、でんわきっちゃった」。
「そのあと、むこうからなんかいかでんわがあったみたいで、むこうもこっちもだまっていた。そのあとでんわがかかってこなくなった」。
うーん。それは、ごめんっていってほしかったんだよね。でもねぇ、そのあと、べつのしりあいのところにつれていって、じゃ、っていったら、かれがしりあいをきにいったみたいなの。どうして?
そんなことおもいだしながら、「ウリナリ」(にほんてれび)みてたの。てるのぴあの、ひさしぶりにないたわぁ。−−あっ、うどちゃんとじゅんこちゃんのことね。じゅんこちゃんにふられたでしょ>うどちゃん。じゅんこちゃん、きょうかいに30ぷんおくれて、けしょうもいつもとちがってきつかったでしょ。あれがかのじょなりのけついよねぇ。おんなはつよいわぁ。
「ともだちとしてのうどちゃんはいいけど、けっこんはかんがえられない」。
ほら、でんわでおかあさまがでてきたでしょう。
「さらりーまんだったらもんくなしにさんせいしたんですけど、げいのうじんはねぇ」
って。あれをみて「長野=教育県」というもじが、かんじでうかんできたの。あれは、げいのうじんとやまがたにたいするさべつよ。うーん、じゅんこちゃんはおとうさま・おかあさまについたのよねぇ。
そこまでみおわったら、ひーちゃんからでんわがあったの。あっ、さっきのしりあいとはべつね。
−−うどちゃんのあれみた?
「みたみた。ふられちゃったね」
−−なんかさぁ、ふじさきななこが<わたし、くらっときちゃう>っていってて、そうちはばんぜんだったよねぇ。
「うどちゃんもしょうぶにでたし」
−−でもだめだった。なんで?
「そっとふたりのこうさいをみまもる、といっても、てれびかめらがまわっているわけでしょ?」
−−それは、しょうがないじゃない。みんな、かんじんのばめんではひいていたし。
「でも、きのうだってきょうかい・おーけすとらあんさんぶる・ゆびわ、とだんどりがあったじゃない」
−−あれ、かんぺきだったとおもうよ。
「それがいけなかったの。だって、すべててれびかめらにさらけだされるわけだから『あれ、じゅんことちがう』っていわれたらおしまい」
−−ともだちとか、りょうしんとか、じぶんじしん?
「そう。けっきょく、てれびきょくのはめたれーるにのってしまうわけでしょ」
−−うりなりはもともとそういうばんぐみでしょ?
「だから、そのなかにいるのがたえられなかったのよ」
うーん。とおもって、でんわをきったのね。
でねぇ、「ともだちでいること」と「けっこんすること」とどうちがうのかというのは、むずかしいのよね。わたしもよくわかんないんだけど。ただ、もしじゅんこちゃんがうどちゃんのことをすきだったら、どうして2つのあいだにあるかわをうどちゃんとのりこえられなかったのかなぁって、わたしはおもうの。
あっ、いけない。きょうはけっこんしきですぴーちするんだったわ。なにをはなしするかきめてなかったの。どうしよう。
(この項、明日は漢字になって続く)

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Mar/28(Sun)
友達と結婚の壁(2)
。新婦20歳という結婚式に、来賓(=35歳)として呼ばれました。席次表(170人規模)を見ると、新郎側6列、新婦側2列で、そうそうたるメンバーの中で「2番目にお話願います」と言われます。さぁ、困った。上座の席には「水」が置かれていて(注・周囲にはなし)、隣の席は空いたまま(最後まで埋まることはありませんでした)。そうこうしているうちに、仲人の話が始まり、新郎側からのスピーチが続きます。
「先人が話しました。人生はこれこれこういうふうなものである......」。
すぐ、私の番が回ってきます。35ですもん。大所高所から話してもしょうがないので、
・新婦の高校入学に当たっての決意
を話し、具体的にどう生活を送ったかを話します。大病になった母親を看病しつつ、卒業式を迎え、こういう卒業生を出して幸せだ、と話し、壇を降ります。ふーっ。
***
前置きが長くなりましたが、この新郎新婦は「友達」→「結婚」の間がわりと短い方でした。当人に聞くと
「すべては自分たちにとって自然な流れ」
で、6月出産なそうです。新婦友人(つまり、私の教え子)は袴姿の新郎を見て
「きゃーっ(@_@)」
と女子高生化してましたが、私から言わせれば、どこにでもいそうなタイプです。でも、新婦側からアタックして、ゲットしたんですって。「教育県」に住む人々からは信じられないことでしょう?
迎えのバスで卒業生4人と同乗し、もう1人近々結婚するらしいという話し、驚かれます。
「私たちも早く結婚しなきゃ(=まだ20歳そこらだろ?)、焦っちゃう」。
と口々に2人が言い、もう1人はしばし考え込んでいます。
--かの新郎新婦、それはさておき焦ることなく「自然な関係」を貫き通してきました。友達から結婚への壁を乗り越えるとき、焦ってしまっては壁は乗り越えられない。これが私が見てきて(あるいは体験してきて)思ったことです。すぐ結果を出そうとするときに限って、「ごめんなさい」となりかねません。厄介なのは、その時間がカップルによってまちまちなのと、パターンが人によってさまざまなことで、こればかりはマニュアルじゃだめです。It's automatic なんです。で、壁は1人じゃなく、2人で乗り越えること。これが結婚への鉄則です。

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Mar/31(Wed)
ネガティブ思考の元
動中に寄った店で、たまたま見た『週刊文春』で、解剖学者・養老孟司がこんなことを書いてました。例によってうろ覚えなんですが...。
>一代にして名を上げた大メーカーの会長が「苦労している学生のために」といって
>奨学金制度を作っている。
>「それはおかしい。彼のように苦学しないと大人物にはならない」という発想になぜ
>ならないのだ−−。
>そう言ったら妻にたしなめられた。しかし「自分のように苦労させたくないから」と
>言って奨学金を出す発想は、甘やかす人間を増やす以外の何ものではない。
目からウロコとは、このことを言うのでしょう。実は、身内も同様の発想の持ち主で、
「自分はこれこれこういう苦労をしたから、子どもにはそういう苦労をさせたくない」
と言い、子どもからの
「独立して、新聞奨学生で働きたい」
という申し出を頑なに断り、自分で面倒を見たのです。労組のチラシ配りのことで尋ねると
「ちょっとやそっとじゃお前らにはさせられない」
とも言ってました。一般的発想だと「ありがたい、いい人」ということになるのでしょう。
養老は続けます。
>自分がやってきたことに誇りを持つことができたら、
>「私のように苦労させたくないから、奨学金を出す」
>という発想ではなく、
>「俺はこれだけやってきたから、お前も努力しろ」
>という発想になるはずだ。それを日本人がして来なかったから、今日「私が悪うご
>ざいました」的日本になっている...。
最後の2行が文春してましたが。
さて、引っ越し移動の車内でこのことが話題となります。このネガティブ発想は当方の身内のみならず、実は近代日本に蔓延してたのかとぼやくと、連れが
「こうやってみるとうち(=彼女)の身の回りは、そういう人が少ない。珍しい方なのか?」
と考え込んでました。確かに私自身の20代、
「ぼくのような生き方をしないでね」
と周囲に言っていたような気がします。ところが最近、私への評価は「ポジティブ」(=同僚)だ、ということになっています。ネガティブとポジティブを分けるものって、いったい何なんでしょうね。

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