1997/March

 
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MARCH/5

「ラブ&ポップ」を読む

n−anなどで、村上龍(むらかみ・りゅう)のエッセイを読んだことはありますが、単行本を買って読んだのは初めてのことです。読んだのは『ラブ&ポップ』(幻冬舎・刊)。2月25日の『朝日新聞』文芸時評で池澤夏樹(いけざわ・なつき)が記していたこともありましたし、生徒と接していて「ことばが伝わらない」もどかしさもあったものですから、ぜひ読んでおこうと思ったのです。
この小説をどう読むか。1996年・夏を記憶するために読む方法もあります。忠実な状況説明を追うのは、『マタイによる福音書』の最初と同じように大変でした。しかし、それは49ページからを読むために不可欠なものだと知ります。
>大切だと思ったことが、寝て起きてテレビを見てラジオを聞いて雑誌をめくって誰かと話をしているうちに本当に簡単に消えてしまう。去年の夏、『アンネの日記』のドキュメ
>ンタリーをNHKの衛星放送で見て、恐くて、でも感動して、泣いた。次の日の午前中、「バイト」のため『JJ』を見ていたら、心が既にツルンとしているのに自分で気付いた

という部分は、高校生の一面をつかんでいて、そこに「くやしいほどうまい」(吉本ばなな)描き方が見えます。読み進んでいって、149ページ。「伝言ダイヤル」について、ごく普通の女子高生・裕美はこう気づきます。
>どう見ても女には不自由しないと思われる二十五の男が、どうして女の子を買うのか。お金を払うことのない、普通の付き合いをする彼女の前では、男達はたとえばぬいぐ>るみに話しかけるというようなことをしにくい。たぶん、隠す。自分は金で買われた女なのだと裕美は初めて自覚した。
そこに行くまでの過程がどこにでもありそうで、事実、伝言ダイヤルの記述を見ていると、あまりにも簡単に事が成立しそうで、虚構と現実が一瞬わからなくなります。
村上は
「私は、あなた達(=女子高生)のサイドに立って、この小説を書きました」
とあとがきで記します。その試みは、私から見ると成功しているように感じます。ただ、読み手にある程度の分別があって、『たましい』(河合隼雄)ということばが通じることが「成功」と言える最低限の条件だと思います(前掲「文芸時評」)。
「ことば」が本当に通じるかどうかについての考察は、稿を改めて記します。(山田壮一)
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MARCH/6
いい日旅立ち
る学校の「国際」という名の学科を受け持ち、いよいよ卒業生を出します。「予行」があっさりと終わり、このまま卒業式も過ぎていくのかと思うと、複雑な心境でありますが。
彼らと歩んだ3年間に、「文化」を感じることが多うございました。
1年生の時、簿記検定でまがりなりにもほぼ全員に3級を取得させることができました。
2年生の時、彼ら(他の学科の生徒もいましたが)のがんばりで「吹奏楽コンクール県大会」に行くこともできました。修学旅行で生徒が自主研修をしている間、私は美術館巡りをします。安心して任せられたのです。
3年生の時、オリジナルよりも引用記事がはるかに多かった学級通信を、彼らは我慢して読んでくれました。就職/進学への取り組みを早くから行い、ある生徒が早々に信用金庫から内定をもらった時、あまりのあっけなさに放心したこと。9月になって次々と内定/合格通知があり、何人かの生徒が握手を求めて手を差し出したのも、まだ記憶に新しいことです。
もっとも文化的だ、と私が位置づけていた朝の読書。目をつぶった点が少なからずあったにせよ、集めた感想文を見る限り「成功」(同僚の評価)だったことは、「次」の挑戦に向かって勇気が湧く事柄です。
振り返ると、「国際」という虚像に飛び込み、実像とのズレに気づいた3年間でもありました。新しいことを追い求めるばかり、基本的なこと、伝承しなければいけなかったことをどこかに置いたまま過ごした3年間だったのかもしれません。「学級通信」を打つ暇があったら、仕訳理論の1つでも研究しておいた方が、実は正解だったかもしれない。しかし、あえてそれをしなかったのは、通信という媒体を通して伝えたかったことがあったからです。
私は生徒からどんな評価をされるのでしょう。傲慢な言い方を許してもらえるならば、彼らの生き方にどう関われたのでしょう。それはこれから様々な形で表れるのでしょうが、媒体としていつもあったのは「ことば」です。
ことばは使い方によっては人を生かします。また殺すものでもあります。生きた形でことばが伝わっていたことを念願するものです。伝わっていたら、それはことばの力。伝わっていなかったら、それは私の力不足です。
3月は旅立ちの季節。4月は出会いの季節。谷村新司は「日本のどこかにあなたを待ってる人がいる」と詩にしました。いい日旅立ち。それでは、いってらっしゃい。(山田壮一)

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MARCH/7

さらっと卒業式

日の卒業式があっさりと終わったので拍子抜けしています。
勤務校ではここ何年か、卒業生が会場にクラッカー・紙テープをもってパフォーマンスをして去っていったので、実は今年も何かあるんじゃなかろうかと勘ぐっていました。実際、式典は「卒業証書授与」「式辞」「祝辞(市長など)」...とつつがなく進み、「謝辞」の後に来賓が退場。その後に「卒業生を激励する会」が生徒会主催であって、エール交換も無事終了。−−いつもの年なら何かあるよ−−。「卒業生退場」。あれ、パフォーマンスがなかった。と呆気に取られている私に対して、「顔色が青い」と男子生徒が言います。女子生徒も微笑んでいます。いぶかる私は会場を出た後今年は、何もなかったのか?と尋ねます。すると、計画はあったが、圧力が強く出来なかったという返事。そのことを、同僚は「いい卒業式」と評価するのであります。
式後、自動車学校の卒業証明書、名前のゴム印を返し、保護者の到着を待って卒業証書を渡します。ただ渡すのもしゃくだったので、一声かけて、握手して(えーという声をあげるものがいましたが、全員握手はしてくれました)、簡単に話をします。
われわれはどのクラスよりもモダンであったが、無意識であったにせよ日本の伝統を軽んじてしまい、そのことが「礼儀作法がなってない」という評価につながる。そこが一番の弱点だから、なお精進するよう。もう一つ、会社/学校を1日で辞めてしまった卒業生が去年いたが、会社だって退職金の計算をする都合がある。少なくとも1ヶ月前に退職通知をするのが暗黙の了解になっているのだから、頭に血が上ったら深呼吸して、電話の一つでも入れよと話す。それじゃさようなら。−−最後のホームルームは20分ぐらいで終わりました。さらっと終わったのはよかったのでしょうか。
卒業学年は、学年長がおおざっぱな方だったのも手伝って、各クラスの担任によって終わる時間がまちまちでした。私は早い方から2番目。ある担任は私が話し終えた後、なお75分も話し続け、袴姿の副担任が戻って来れなかったと、最後までばらばら。しかし、それは私にとって非常にありがたいことでもありました。
その後クラブの生徒1人1人に記念品を渡し、合間に調査書を発行し(いたんです。進路変更の生徒が)、アルバムにサインをし、昼食の寿司を食べ、学級日誌にサインをし。2時−−今ごろ、生徒は焼肉パーティだ−−と思いを巡らせながら教室にもどったところ、一気に暗転します。清涼飲料水の空缶に灰色が混じっていたのを見、吸い殻を発見。やってくれました。
その後、入学式に電話をくれた保護者から卒業式のお礼の電話をもらいます。この方は一時死線の淵をさまよった方でした。すっかり忘れていて、申し訳ありませんでした
「いいえ、生徒さんに囲まれていたからあいさつもそこそこに失礼しました。まさかきょうの卒業式に出られるとは思ってませんでしたから...」。
生徒の持ってきたアルバムのサインを見ると、「この組は授業がやりやすかった」という同僚のコメントがありました。それを見て、安堵しました。そんな卒業生たちは、母校をどう見守ってくれるのでしょう。早い卒業生は明日から社会人としての第一歩を踏み出します。(山田壮一)
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MARCH/10

部分日食。その後に

分日食をご覧になりましたか?たまたまつけたテレビがモンゴルからの中継をやっていたので、さわりだけ見ることができたのですけど、所要で移動しなければいけなかったので、日食の進行とともに車を運転することになります。出発が9時35分です。
仙台郊外から北に向かい、泉が目的地。宮城県内に暴風警報が出るものの、天気は快晴です。県道10号線を北に向かう途中、目が幻惑するのに気がつきます。太陽は高く燦燦と輝いているはずなのに、なんか変。気温が上がりきらないのは気圧の谷の通過だから仕方ないとして、明るくなり切らない空が妙です。部分日食のこの「いずい(注:東京語だと「おさまりがわるい」となるのでしょうけど、仙台人はこう表現します)」感じ、仙台空港わきを通っても、名取川を渡っても全然変わりません。ラジオの「お日さまが欠けてますよぉ」という案内に黙ってられなくて、信号待ちに手でかざして太陽を見るのですけど、直視できなくてだめ(下手すると目が焼けるしね)。結局風が強いのと、道路の選択を誤ったのとで、1時間ほど部分日食の下で車を走らせたのであります。
と、こうやって部分日食を思い出して、BBSにも書いたのですが、気のせいか目がぼんやりとするのですよ。これがデ・ジャ・ブなのか、本当に目が焼けてしまったせいか。それとも単に疲れているせいか、いったい何だったのでしょう。
蛇足。ヨドバシカメラが仙台駅東口に新装開店し、東口への道路が5キロ渋滞だといってました。イトーヨーカドー泉店開店の時も似たような現象がありました。伊達者の、新し好きって、今に残っているのですね。(山田壮一)
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MARCH/11

立つ鳥、跡を...

日から「仕事始め」の卒業生も中にはいますけど、大部分は「最後の春休み」を謳歌しているはずです。送り出した側は暇になるか。全然なんですねぇ。進路先の事情もあるのでしょうが、今日になって立て続けに2本「卒業証明書を作ってくれ」という依頼の電話がありました。どちらかというと大人し目の女子2名。1人はとっても大人しく、教室でいつもうなだれていて、クラスに溶け込めなかったそんな生徒でした。ところが
「あっ、先生。卒業証明書を作ってください」
といった公衆電話からの声が異様に明るうございました。そんなに学校を卒業したのがうれしかったのか?
そういえば、クラブの生徒がクラスになじめず、休学・転校という進路を選んだことがありました。担任との面談を終え、廊下に出た彼女は私を見るなり
「センセー元気ぃ?」
と妙に明るい声で言うではありませんか。負けそうだったので、こっちも手を大きく振ってお返しをしてやりました。すると
「じゃぁねぇ、ばいばぁい」
ですって。休学前の彼女からは考えられない明るさではありませんか。
担任に言わせれば、彼女はクラスの雰囲気になじめず、転校するしかないと思い込んでいたのだそう。もちろんクラブの生徒は必死になって止めたのですけど、翻意することができませんでした。それでもそんな彼女の変化を話したら、部員はほっとしてましたっけ。
▼金曜日が高校入試になるので、クラスを明け渡さなければいけません。ぼつぼつクラスの整備でもしようかと空き教室に入ります。あれほど道具は持ち帰れ、いらないものは捨てろといったにもかかわらず、ロッカーに中途半端に残っていた道具を見つけ、しばし唖然としてました。
「結局、やつらはわがままなんだよね」
という同僚の声が私の耳にこだまします。
小学校・中学校と「来た時よりも美しく」「立つ鳥あとを濁さず」ということを教わってきたのでしょうし、ここ1、2ヶ月は私も口をすっぱくして繰り返しました。生徒を信用して、あえてロッカー点検はしませんでした。「明日、片づけます」という言葉を信用してました。それは大甘。残された者が尻拭いをする羽目になります。
▼気を取り直して、ほっとする話を。高看入学者名簿の「補欠」に載っていた卒業生に、つい先日「合格」通知が届きました。昨日ぐちった「高看と大学と二股かけるな!」ということに反するのですが、おかげでいい思いをさせてもらいました。彼女は頭の回転を粘り強い努力で補ったのです。
▼宮古の津軽石川に渡り鳥・白鳥を見に行ったら、すでに北に向かった後でした。もう、そんな季節になりました。(山田壮一)
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MARCH/12

学級通信にエール

うしたものか、学級通信。気がつくと年間で130号近く発行したことになります。続いたのは、何より生徒に伝えたいことがあったのが第一。第二に学年長が「学級通信」の発行を奨め、自らも「学年通信」を出し続けていたこと。担任1年目は数号発行したものの、2年目は1号でおしまい。3年目は−−と心中期するものがあったので、「打倒学年通信」を目標にがんばったこと。第三に、2年生のあるクラスも学級通信を年40号以上発行したこと。これらの存在が励みになったのは確かなことです。
▼その先生は、クオリティを守るため、クラスの生徒と副担任分以外は発行しなかったのですが、私には「学級通信の友」として随時分けてくれました。クオリティの高さは、学級通信を編集した文章から「朝日新聞」「世界」に出した投書が採用になったこと、寺山修司・芥川龍之介・大江健三郎...といった文が散りばめられ、それを生徒にわかるようにかみ砕いたことなどからも察しがつくことでしょう。「世界」に採用になったのは「和魂洋才の意味を書け」というむちゃくちゃな問題を課した看護学校の試験官を喝破した号。「朝日」に載ったのは重油流出事故に駆り出されるボランティアを滅私奉公とは違うと憤慨した号を焼き直したものでした。
▼これだけの内容を週1回とはいえ出し続けるのはきつかったと彼女は言います。週末にワープロを自宅に持ち帰り、家族が寝静まった後、日曜から月曜は徹夜に近い状態が続いたそうです。合間に家庭訪問があったり、もちろん授業もしなければなりませんから、膨大なエネルギーを使ったとも言います。そんなことを知ってか知らずか、彼女の受け持ちの生徒が面談できついことを言ってたのが聞こえてきました。「先生の学級通信は、知識をひけらかしているような気がしてやだ。ワープロは心がこもってない。心を込めるなら手書きじゃなくちゃ...。」
▼3/11付・学級通信題字の脇に「最終号」とありました。その号はいつものように、メディアの取り上げる事象をちょっと違うよねと問い、村上龍の「ラブ&ポップ」に文学の可能性を見つけ、それは芥川龍之介が「羅生門」で扱っていたテーマと変わらないことを指摘します。そして星野富弘のカレンダーに会った「私も強い茎になろう」とまとめ、伝えたかったのは知識をひけらかすことでなくて、ハートだったのよということで締めます。
▼こういう「通信」を扱っていると、直接的反響があるのは生徒の方からでなく、教師の方からなんです。私のもでしたが、彼女が作る通信もそうでした。でも、われわれが考えている以上に、生徒は通信を読んでいるみたいなのです。彼らは通信が読めなくなった時に、初めて「文章」の力に気づくと思います。その前に、もう1年彼らの力を強めてあげてはいかがでしょうか>I先生。(山田壮一)
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MARCH/13

それぞれの文体

入りの教会が4月から「讃美歌21」(日本基督教団出版局)を採択する方向で検討に入っています。多くのバプテスト(注:洗礼は水に全身を浸すべき、と考えるキリスト教の一会派)教会は「新生讃美歌」を使っているのですが、著作権の関係で英語の詞になっているものも多く、それよりは日本基督教団で出している「讃美歌」「讃美歌第2編」を使った方がよい−−というのがその教会の考え方です。規模が小さいこともあって、新しい試みを積極的に取り入れられる、ある意味ではうらやましい教会です。
讃美歌21の93−5に「主の祈り」というのが載ってます。現在、多くの教会が祈っているのは1880年に訳された
「天にまします我らの父よ」
で始まるものです。なお2つ新しい訳が載っていて、一つは
「天の父よ/み名があがめられますように...」
という日本キリスト教協議会統一訳。もう一つは
「天の父/私たちの父よ。み名があがめられますように...」
という教会音楽祭委員会訳がそれぞれあるのです。
一人の女性がこう言いました。今まで「天にまします...」で祈り慣れているから、他の2つにはなかなかなじめないのじゃないか、と。もう一人の女性もそれを支持します。私もその場ではあとの二つは定着しないだろうと言った記憶があります。話はなお続きます。
私、年配の方が文語訳(の聖書)を引用するのを聞いて、「あっ、拡張高いなぁ」と思うんですよ
−−それでも、ミッション系大学で配布される聖書が口語訳から新共同訳に変わったと聞きますが。
なんだかねぇ、それぞれに慣れ親しんだ文体があるから、変えられると違和感を覚えるのよねぇ。
−−だったら、聖書を輪読する時、口語体・文語体とそれぞれの聖書で頑として読めばいいのですよ。
なるほど、それはいい発見かもしれない。
という感じで話は進んでいったのです。それから4日経ちました。
讃美歌21を使う各個教会での「主の祈り」がどういう形になるのかよくわかりません。おそらく、当分の間は1880年訳が主流になると予想されます。しかし、各教会が議論を重ねた上キリスト教協議会統一訳・音楽祭委員会訳に切り替えていった時に、讃美歌21が輝きを増すと思うのです。確かに、文語訳を基調とした1880年訳は拡張高い。聞いていてうっとりします。でもそこにとどまっていては「今を生きる教会」になり得ないのではないか。現代人に響く祈りから遠くなってしまうのではないかと、ふと思うのです。そんな邪念に対して、讃美歌21の409番(「ともにうたおう」だと1番)・2節。プロテスタントの由木康(ゆうき・こう)は、カトリックの高田三郎(たかた・さぶろう)の曲にこんな詞をつけてます。
>時代はうつり/風土はかわり、主にある民は/分かれても、みことばをのべ/ともにパンをさく/主の教会は/ただひとつ
(「すくいの道を」より)
そうでした。文体が変化しても、教会は今を生きていることに変わりはないのです。(山田壮一)
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MARCH/14

コンビニのむだ

在、妻子を実家に返しているので一人暮らしを続けているが、いまさら独身時代のように炊事をしようとは思わない。朝はパンを焼き、昼は弁当を注文するとしても、夜は何とかしなければいけない。外食を取るかテイクアウトするか、はたまた材料を買ってしまうかで、ふらふらとスーパーに寄ってしまう−−という生活を3ヵ月して気づいたことがある。コンビニは高くつくようにできていることだ。
例えばスーパーだと食パンが1斤=100円〜160円で済んでしまうのだが、コンビニだとダブルソフトしか残ってない。200円だ。パンにのせるスライスチーズ、スーパーで10枚198円なのに対して、コンビニは6枚198円。ペットボトルのお茶がスーパーは268円、コンビニで300円...。気づいたのは、スーパーでの買い物がメインになってからである。ちょっと、スーパーよりずっと高いよ、これ。
最近はコンビニにしか置いてない商品も多くなったので、それはそれで侮れない。しかしこうも価格が違うと、コンビニに行くことがおっくうになってしょうがない。この感覚はいつか来た道。あー、そうだよ。仙台に出て一人暮らしを始めた時に感じたこと、どうして仙台にはスーパーがなくてコンビニしかないんだ、という感覚だ。
コンビニは、行けば当座の用が足りてしまう。ありがたいのだけれども、よく考えてみるとゴミになる商品が主流のような気がしてならない。ペットボトル・プラスチックの入れ物に入った弁当。さらに、売れ残った弁当は捨ててしまう...。
われわれはコンビニという便利さを手に入れた。しかしその代償(歪み)がいろんな形で表れてきているような気がしてならない。一日に何度も入ってくる弁当をインタイムで処理しようとするあまり、配送車が渋滞を引き起こしてないかどうか。正月に開いているおかげで、おせちに飽きなくなったが、家族団欒を失わなかったのかどうか。便利さはありがたい。もう後戻りできないのだが、でも失ったものも少なくないと思う。それは、コンビニ一辺倒だと決して気づくまい。(山田壮一)
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MARCH/15

秋田新幹線開業まで1週間

月22日、所用で上京することとなり、せっかくですから「こまち」の座席指定を取ろうとしました。しかし、だめでした。じゃぁ、こまちと同じ日にデビューするE2系の「やまびこ」の座席指定はどうか尋ねると「Yes」。ただし、1番前のCということで、出入りを気にしなければいけない位置なのですが、新型車両の運用初日に座れるだけでもましです。この経過報告は、画像付きで後日お伝えしようと思います。
「旅」4月号は「鉄道新世紀〜秋田新幹線開業記念号」と題して、特集記事を組んでます。全国紙に広告が出た翌日、宮古のどの書店を回っても「旅」が見つからなかったので、「そんなにマイナーな雑誌なのか、売り切れてしまったのか」慌てたのですが、昨日書店を覗いたら何冊か置いてました。私が知りたいのは、今度の新幹線開業を秋田県人はどう考えているかということなんですけれども、その一端が「旅」41ページに出ています。
>山形新幹線が通った時に(引用者注:1992年のことです)、山形のある政治家が、開通したことで何が
>一番重要かと言えば、これで山形まで線路がつながっていることがわかってもらえたことだと話したの
>は有名である。この思いは秋田人にもひとしおらしく、秋田でぼく(注:筆者の平塚晶人を指す)は、大
>学時代に東京に出ていたという人の何人かから、秋田が日本のどこにあるか誰も知らないので困った
>という話を聞かされた。彼らは、秋田は陸の孤島ですから、と言った。
ですから、秋田からの始発が東京に着いて10:40。11時からの会議・結婚式に間に合わない。という彼らの不満は、裏を返せば「こまち」への期待の大きさなのでしょう。秋田に勤めたことのある知人の新聞記者は、当日休みを取って「こまち」に乗るのだと、それは張り切ってます。反応の鈍かった岩手のマスコミも、秋田との2元中継で開業熱を盛り上げようと、ようやっと報道し始めたところです。静かなBBS・カフェテラス東北(ASAHIネット/People)でも、夜7時から「バーチャルこまち」をすることで、少しは盛り上がってくれるのでしょうか?
秋田は、知事のご乱行でイメージを悪くしてました。辞職を決めても、「こまち」開業のテープカットは自分がやるのだと言います。ともあれ初期不良は知事だけにしてもらって、営業運転が無事進行しますよう。(山田壮一)
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MARCH/17

ネットワークが機能しない

曜日、朝日ネットで「バーチャルこまち」を企画し、4時間30分ほどオンラインで「こまち擬似乗車」体験をしました。結果は、明らかに失敗です。
最大の敗因はPR不足にあったのですが、これ、一歩間違えるとインターネットの入り口をふさぐことになりかねなかったので、PRを自重したのです。加えて、オンラインでBBSに次々に書き込むのは本来邪道。会議室の私物化と紙一重なので、大々的にPRできなかったのです。それでも、多い時には4人で進行できましたから、よしとすべきなんでしょう。ただ、最近BBSについて思っていたことと、昨日の「バーチャルこまち」での現象と奇妙な一致を見たことがあったので、それについて記します。
今回、相互乗り入れ会議室の進行役にメールして「会議を手伝ってほしい」とお願いしました。その方からは好意的な返事をもらったのですけど、彼の仕事がものすごく立て込んでいたので手伝えない。ただしメンバーに話をして、サポートできたら寄らせてほしい−−そんな返事でした。「バーチャルこまち」が近づいて、その会議室にあいさつに寄ったら相手にされませんでした。確かにふだん全然書き込みをしないで、唐突に「バーチャルこまちに来てほしい」といったお願いに無理があったかもしれません。しかし、その前後の書き込みにコメントがついていて、私のに反応がなかったのには参りました。明らかに進行役とそれ以外の方に温度差がありました。
じゃ、相互乗り入れじゃない朝日ネット自体についてどうだったかというと、もっと失望しました。私は朝日ネットが1万人時代からの会員でしたから、ここ1、2年の会員数膨張に戸惑っているのですけど、「こまち」に寄ってもよさそうな方が寄らないで、別の会議室。あるいはチャットで時を過ごしているのを横目で見つつ、しかしオンラインの書き込みを進行しなければいけない。ONして会員数の一覧を見、CHATで会話しているメンバーの動向をチェックしつつ、朝日ネットの細分化を実感したのでした。
4年8ヶ月前。「バーチャルつばさ」をした時は、BBSだけでした。「企画に無理がある」という指摘もあったのですが、そこは各方面からのサポートでなんとかできたのです。それから、あるメンバーはインターネットにシフトしました。別のメンバーはプロバイダを変え、アクティブだったメンバーは世の中の変動に追いつけなくなってしまいます。擬似乗車をサポートした参加者の大部分は20代でした。
私が思っている「ネットワーク」が年々機能しなくなっているように感じます。インターネットにシフトすることで、BBSが衰弱し、ネットワークも変わってきている感じがします。少なくても20代にイメージしていたネットワークは、遥か彼方に行ってしまったように思うのです。(山田壮一)
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MARCH/18

異動、送別会

月1日付の人事異動に向けて、職場では最後の調整が行われています。新年度の配属先が、早ければ今日にも発表されるようだが、どうも担任を外れるらしく複雑な気持ちです。ほっとしたような、物足りないような。
この時期の学校は、生徒は暇なんですが、われわれは入試の処理(明日合格発表)、指導要録の作成、転任者の送別会が連日続きます。土曜日・商業科の送別会、昨日は英語科(注:「英語実務」のスタッフだったので呼ばれました)の送別会。今日は組合の昼食会。水・木と空いて、金曜日が進路指導部の昼食会。来週に全体の送別会と忙しいです(^_^;)。
否応なしに寂しさを感じるようになったのは土曜日あたりから。今まで一緒に仕事をしてきた同僚に送別の言葉が寄せられ、職場の雰囲気が変わることへの不安、授業の進行状況への不安、住居への不安などをぶちまけられると、彼らとの離別が近いのを察するのです。土曜日「バーチャルこまち」で早めに退散したのですが、ある同僚から私に抜けられて場が持たなかったことを言われ、何か悪いことをしてしまった気になります。
商業科が18人(うち6人が昇任・転任)という規模だったのに対し、昨日の英語科は6人(転任1)というこじんまりとしたものでした。職場全体の雰囲気とは違う上品さを漂わせながら、転任者を中心にお互いよくしゃべりました。あんまりよくしゃべったもので、久しぶりに3次会までつきあってしまいました。
転任する彼女。1年間、私のクラスに副担任として入ってくれました。一緒に仕事をした4年のうち、2年間「英語実務」でティーム・ティーチングにあたりました。さばさばとしたひとだとずっと思ってましたが彼女、最近は転任が名残惜しいのか、少しハイになっています。英語科の後輩への突っ込みも脂が乗ってきました。そのことがよけいに異動の現実を表すものです。
どちらかというと私自身、内側を固めるより外に目を向ける方が多いのであります。でも、最近、人となりがよくわかってないまま異動されてしまうのは、もったいないのかな、と。(山田壮一)

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MARCH/19

志を刻んで

い物を終えて帰宅しようとした背後から、呼び止める声がします。卒業生でした。5分ほど立ち話をして、長くなりそうだったので給茶機のあるところに移動して話を続けます。彼の赴任まで1週間。「引っ越しの準備はいつでもできるから、何もしてない」と言いながらも、卒業生の動向をいくらか知っているようです。今年も聞いてしまいました。
「よその組の卒業生で、1日で会社を辞めたそうだ」と。「はっきりしたことはわからない」とは言ってましたが、何なんだもう。
ちなみに受け持った生徒でいうと、
・上京して就職試験を受け、理想と現実の差に恐れおののき入社を辞退した。
・三者面談の時に「専門学校に行ってもよい」と親が言っておきながら、気が付いたら地元に就職を決めた。
・専門学校に合格したが、学校で寮の斡旋をしているのかどうかあいまいで、入学する気を失っている。ちなみに学費は支払い済み。
・心変わりを起こし、就職の内定をもらっておきながら「進学」へと進路を変えた。
という状況の者もいました。ただ、初期不良は早い段階で出ておけばまだよいのです。
件の卒業生は自衛隊に進むことになっています。最初の半年にする訓練がきついと聞かされたそうです。ただ「週休2日だし、有休も使わせてくれるから、定年まで勤めたい」と言ってます。自衛隊の広報そのままの応答なのが気になりますが。それと現実と、ギャップがあるように思うのですけど、1ヶ月すると休ませてもらえるようなので、その時に様子を聞きましょう。
そういえば彼の姉は宮城の旅館で、むちゃくちゃ労働基準法に反した勤務を続けているようです。辞めたいとずーっと聞かされているのですが、「ホームスティ先に再度行くだけの費用を工面するまでは辞めない」と方針を変えて、今日も仕事を続けてます。それはホームスティ先のコーディネーターから言われたことを心のどこかに刻んでいるからでしょう。「今度カナダを訪れる時は、両親の負担でなく、自分で働いたお金でね」。(山田壮一)

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MARCH/20

小事に忠実なものは...

試合格発表の準備をとりあえず終え、次に何をしようかと思案した時、進路指導室をノックする音。入ってきたのはクラスの卒業生2名でした。「赴任前にあいさつにくるように」という教えを忠実に守ったのは、卒業証明書を取りに来た卒業生を除いては、彼女たちが最初でした。あとは、あいさつする間もなくあっという間に赴任した面々が大部分です。Hの顔を見て「明日入寮日だったね」と切り出します。付き添いのIは週末に引っ越し。学校に入るのは4月になってからだといいます。元・副担任が転任するので、あいさつをさせたかったのですが、入試関係の事務処理が終わらず、その間職員室と進路室をたらい回しにしてしまいました。いや、申し訳ない。
改めて進路室に招き入れ、進路主事などと心境を聞きます。研修期間・おおよその配置先などを会社から聞いていたらしく、実は不安を抱えていたのでしょう。Hは私が知っている流通業界のことについて真剣なまなざしで聞いていましたし、Iは運転免許の必要性についてそそのかされ、それもまたまじめに聞いてました。30分ぐらい進路室にいたでしょうか。それから元・副担任のところにあいさつに行かせ、彼女から新住所のメモをもらい、それから昇降口まで見送りに行きます。なお立ち話で卒業生のゴシップとか妻子のこととかたわいもない話をし、実は彼女たちはまだまだ話し足りなかったようだったのです。が、入試の合格発表の時間が近づいたので、引き取ってもらいました。わざわざあいさつに足を運んだのは、赴任前・引越し前で不安だったからでしょう。やや、無下にしてしまったのが悔やまれるところですが、在学時と同じようなトーンで話をしたことで、いくらか不安も減ったのだろうと察します。
彼女たちとは、3週間カナダに行き、ホームスティをしました。その体験が彼女たちをたくましくしました。Hはそれからバレーに励み、Iは悩んだ挙げく母親と同じエレクトーン講師の道を選びます。学年末考査で目的を見失い成績を下げた生徒が大部分だったのに対し、彼女たちは最後までひたむきに授業に取り組んでました。あいさつにくるよう、という教えに忠実なのですから、かなりの大人だとわかります。
アンバランスな部分も持ち合わせてはいます。ただ、そのことを自分たちでわかっているからこそあいさつにきたのでしょう。H,I。「小事に忠実なものは大事に忠実である」ということをよく覚えておきましょう。組織に入ってそのことは正当に評価されるし、あなたたちにはそれができると思います。(山田壮一)

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MARCH/21

子どもの体調がおかしい理由

日、妻の誕生日を祝うべく電話をしたところ、久しぶりのせいもあったので向こうが一方的にしゃべってました。その中で、「子どもの体調がおかしかった理由がわかった」といいます。「仙台の高山書店にしか売ってない本なんだけれども......」で始まります。
「下の子のアトピーねぇ。母親の食生活に問題ありなんだと。私さぁ、コーラにポテ(ト)チ(ップス)だったでしょう。あれで、毒素が子どもにいっちゃって、だめ」
「上の子が食事をしないのは、2歳弱にして牛乳600ccを飲ませることに問題があるんだって。大人の体重比でいうと1日2リットルってことさ。だからご飯を食べないんだ」
「パパが血液検査で肝機能が高いっていうのは、清涼飲料水の飲み過ぎ」
と一気にまくしたてて、理由をきちんと示しているから、すべて納得したのだといいます。
「ママがお菓子をぼりぼり食べて、そのままおっぱいを飲ませると毒素がどんどんたまってしまうから、まず母親が食生活を改善しないといけないんだとさ。あとはミルクをやめて母乳だけにして、毒素を体内からなくしていけばアトピーはひどくならないんだそうだ。ただ、1回湿疹が消えたからといって油断して元の食生活に戻すともとの木阿弥になるから、そこは気をつけないと」
「あとはねぇ、LL(ロングライフ)牛乳がどうして体によくなくて、低温殺菌牛乳がなぜよいか。とかバナナやみかんのような南方系の果物は体を冷やすようにできていて、りんごのような北方系の果物が体を暖めるとか、一通り書いてあって、目からうろこがぼろぼろよ」
「昔はさぁ、体に湿疹が出てきた場合、食事もそんなに複雑じゃなかったから、原因がはっきりとわかったのよ。それに、1日=30品目を採りなさいっていうのもうそ。だって、昔の人は粗食だったわけだし、ご飯と味噌汁と漬物だけで死んだという話を聞かないでしょ」
−−と聞かされました。
それはもっともだと思いながらも、もとの本にあたってみないことにはコメントできません。ただ、はっきりしているのは、データと因果関係がばっちり重なっていること。あまりにもはまっているので、夕方の買い出しは神経質になってしまいました。本の題名・著者・値段等、はっきりしたらお教えします。(山田壮一)
注)「体質の良い子に育てましょう〜これからの世代のために」(亀山静夫・著1,300円)はフジ・カンパニー(有)から出てます。詳しくはメールで。
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MARCH/22

106急行の攻勢・JRの守勢

まちが走る−−。その結果、秋田−盛岡間は最短1時間24分で結ばれます。127.3キロ(時速90.9キロ)なので、在来線だとして考えると十分速い方です。しかし、それより短い宮古−盛岡間は102.1キロ、1時間56分(時速52.8キロ)かかります。片や新幹線、こちら快速・ディーゼル車という違いはあるものの、あまりの格差に愕然とします。同僚と話をする時、二言目に出るのが「東京−盛岡はあっという間だけど、盛岡から宮古は遠いんだよねぇ」ということ。最速やまびこに乗って、ますますそのことを実感することになるでしょう。
今回は盛岡に出るまで、JRでなく岩手県北バス・106急行を使うことにしました。往復だとJRで3,700円。バスで3,600円になるので、あらかじめ窓口が開いている時間に往復乗車券を買いに行きます。あぁ、バスもJRに合わせてダイヤ改正になるのですね。それを見ると、106特急(200円増。片道だと2,150円)の休憩時間を見直して、到着時間を5分詰め、1時間55分で宮古−盛岡を結ぶこととなりました。2時間を切ることで、心理的負担が随分違ってきます。言わせてもらえば、宮古から特急を使うと、新幹線との接続に間が出来て、宮古側からの恩恵はそれほどでもないんですけど、ね。
盛岡側から出発の「106特急」はJR山田線「快速リアス」にぶつけてます。乗り換えの手間・乗り継ぎ運賃を考えなければ、むだなく宮古まで移動するには106の方がいいことになります。東京方面から見るとこうなります。

東京発 盛岡着 盛岡発 宮古着
8:00 10:26 10:40 12:35
11:06 13:09
10:52 13:31 13:40 15:35
13:44 15:42
15:32 19:02 19:11 21:41
16:40 19:21 19:30 21:25

注)1997年3月現在の、黒はJRの場合。青は岩手県北バス106特急の場合。それから、詳しく記しませんが、宮古−盛岡間はバスが21往復、JRは4往復です。進路先に移動する交通手段を選択する場合、卒業生の8割は盛岡までバスを使いました。安くて、学割が使えても、です。宮古と周辺の首長はJRに「やる気のあるダイヤ」の設定を陳情するのですけど、「客が少ない」ことを理由にダイヤを増やす様子がありません。
観光客のかなり多くは、それでもJRを使います。周遊券を利用できるからです。しかし、帰省客は2便・3便を出すバスを利用します。便利だからです。県北バスの攻勢を「こまち」シフトを敷いたJR東日本はどう、受け止めるのでしょう。(山田壮一)
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MARCH/24

「こまち」乗車記

道愛好家のはしくれとして、ダイヤ改正のその日に新型車両に乗ることができたことを非常にうれしく思います。
「こまち」については後で書くとして、新型E2’系「やまびこ」号から記します。床には薄いじゅうたんが敷き詰められていて、何となくシートピッチも広く感じられました(ただし私が座ったのは5号車の1C。前に椅子があれば印象が違っているかもしれません)。いくつか初期不良がありました。行き先を示す電光板が「試運転」のままだったこと。車内アナウンスの自動放送が作動せず、車掌の肉声で行ったこと。電光掲示板も盛岡−東京間、一度も作動しないままでした。車内販売は盛岡から乗っていたはずだったのですが、仙台まで一度も売りに来ません。仙台からはワゴンが回る前に、デッキで次々に商売が成立し、相当の売り上げでした。やまびこ1〜6号に乗る時は、あらかじめ食料を補給しておいた方がよさそうです。
新車の天井が高く感じられたのは、窓を下に大きくしている分なんでしょう。慣れればこの視界も悪くないです。ただ、時速275キロ運転なので、あまりの速さに体がついていけないかもしれません(それは「のぞみ」の第一印象とよく似てます)。さらにブレーキ系統からゴロゴロという異物感を伴う音があるのが気になります。
E3系「こまち」。「座席指定はほとんど売り切れ」という報道にもかかわらず、土曜日も日曜日も座席指定の恩恵にあずかりました(普通車・禁煙席)。東京駅での自動券売機には「秋田新幹線」という欄があるので、そこを操作すれば問題なし。仙台駅での自動券売機は「東北新幹線」としかなく、まず「やまびこ」についてパネルに出るのですが、下の方に「こまち」がある(ただし空席状況が出ません)ので、そこを触れると「特急券(乗車券)は2枚出ます」というように表示されます。−−なぜそこまで記したかというと、「こまち」の方が「やまびこ」より快適にできているからです。
「やまびこ」の普通車は3列+2列シートなのですが、「こまち」は2列+2列シート。これだけでゆったりした感じがあります。実際は在来線も走るので、(ワゴン販売の時の)通路の通り抜け、(新幹線)ホームのステップに若干の難があります。しかし、E2’系をはじめとする「やまびこ」がビジネスライクした冷たさを感じるのに対し、「こまち」は配色・車内の設備などに暖かさを感じます。車内の広告も東北新幹線のものと違っていて秋田をPRするもので埋まってます。座って、「秋田新幹線こまち沿線ガイド」(持ち帰り可)とワゴン販売のメニューが入ってます。ワゴン販売はJRのもの、というより小田急ロマンスカーのイメージに近いです。例えば、紅茶・日本茶など、ティーバッグですが提供するようになりました(注・やまびこにはそんなメニューはありません)。味噌汁・スープもフリーズドライですがあります。クッキーセット、秋田沿線のおみやげもあって、それだけでも旅行気分を楽しめます。飛行機に対抗するには、こういう部分しかないでしょう。ちなみに「こまちグッズ」も売っていて下敷き=350円からエプロン=3,800円(←けっこう機能的だとは妻の評価)と取り揃えてます。よく売れてました。
というわけで、「やまびこ」と「こまち」の両方に乗ったのですけど、こまちの自由席がそれほど混んでないんですよ。日曜日の昼、仙台駅で見たのですが盛岡行きに空席が結構あったので、あきらめないで乗ってみることです。私は、また乗りたくなりました。今度は秋田方面まで。(山田壮一)
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MARCH/25

アトピーの原因

月21日付「子どもの体調がおかしい理由」のもとになった本を入手しました。『体質の良い子に育てましょう〜これからの世代のために』という題名で、亀山静夫が記したものです。発行所がエル・メディカル」(電話・FAXとも022−223−9486)、発売元が高山書店(電話022−263−1511、FAX022−267−6870)。本体が1,262円でこれに税が加わります。
どうも下の子がアトピーらしいのですが、この本を読んだ妻は次の部分を読んで愕然とします。
>赤ん坊の姿は、母親の妊娠中の食生活の総決算です。皮膚の異常は自業自得と言わざるを得ません。妊娠中に食べたいだけ
>食べておいて、アトピー性皮膚炎に気がついてから食事制限を始めても遅いのです(やらないよりはマシ)。(中略)食事制限と
>言っても、悪いものを減らすだけです。良いものは食べても構わないのです。特に、家族にアレルギーが多い場合は厳重に、ア
>レルギーがいない場合は緩やかにすれば良いのです。
21日の繰り返しになりますが、子どもの皮膚には妊娠中にコーラとポテチを食べた証拠のぶつぶつがいっぱいです。最後まで読破した妻は「あとは責任を持って母乳で育てる」と宣言してますけど、そう言わせるだけのことは記してあります。ただし、あまりにも正直に記しているために、酪農業界をはじめ、いくつかの業界を敵に回してしまってます。「牛乳普及協会の商売のために病気になるなど、全く迷惑な話です」というトーンは、酪農業界の内情を知っている私には抵抗のあるくだりです。
それはそうと、著者の言いたいことを要約するとこうなります。
>体質を悪くするものは動物性食品(牛乳・卵は「体格」は良くするけれども、「体質」は悪くする)。
>もっと悪くするものは冷える食品(砂糖・果物・牛乳)。
>一番悪いものは化学物質(添加物・農薬・薬品)。
ただし、書いている大枠はまっとうなことなので、著者の書いていることすべてが実行できなくとも、アトピーで苦しんでいる方にとっては一読する価値があると思います。実行に移せるかどうかは「毒は体に甘い」ということをどう捉えるかでしょう。妻も恐ろしい本を入手したものです。(山田壮一)
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MARCH/26

勤務先のホームページ

は勤務先でもホームページを作る構想があります。「学校要覧」を少々手直しすればいい−−と言われるのですが、見る側からすればそれは面白くない。素材とコンテンツをどう組み立てるか考えると、なかなか先に進まないのが現状です。教師が作るページと生徒が作るページ、どちらが面白いかといえば、私は躊躇なく後者と答えます。教師はどうしても「こういうページを作らなければならない」という枠にとらわれてしまいますから、それでは学校名が違っても表紙を変えただけといってよいでしょう。
その点、岩手県立岩泉高等学校田野畑校はおもちゃ箱のようなページでいい線を行っています。しかし、一人の先生が必死にがんばっているのを「学校のがんばり」といってよいのか躊躇することがあります(←ひがみだね、それは)。また他の学校がおもちゃ箱のようなページを持つこともないと思いますし、なにせそれだけのエネルギーと余裕が各校スタッフにないのも事実でしょう。例えば私がホームページに関わったら自分のページの更新が遅れてしまいます(←しぶちんだね、それも)。
「素材作成が問題だ」とホームページ編集委員に言ったところ、スキャナがあるからそれで画像は取り込む。デジタルカメラを買ってもらうから、あなた作りなさい。ということになってしまいました。
というわけで、私のホームページをどう維持管理するかとも関わってくるのですが、ALT(外国語指導助手)の力を借りて2か国語対応にしなきゃいけないだろうと思います。コンテンツを組み立ててしまえば、ある程度見通しは立つでしょう。というわけで、何か他にいいアイディアはないでしょうかねぇ。(山田壮一)
注)その後すったもんだあったのですが、10月初旬に職場のホームページができました。
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MARCH/27

お疲れさまでした、石井先生

国の済州島から、毎日日本向けにキリスト教の放送が流れています。もちろん日本語で夜9時30分から10時45分まで、AMラジオの1566kHzで放送されています。その中で16年近く番組を担当していた石井正治郎牧師が、昨日の番組で最終回となりました。私の手紙も何度か取り上げてもらい、高校生の時は電話対談にも出演したのが、つい昨日のことのようです。
この番組のスポンサー、キリスト改革派教会はもっとも多い時で毎日15分の枠を持っていました。しかし円高の進行でアメリカ・カナダからの献金レートが厳しくなったことと、編成サイド(日本FEBC)からの「教派バランスよく」という要望で、現在は週2回、水曜日と木曜日の10時30分からが改革派教会提供の枠です。
昨日の番組で、愛聴者の名前をイニシャルで呼んだのは本意ではなかったはず。編成サイドの「プライバシーを守るため、名前は匿名で」という要望について、一言をお持ちでしょう。できれば実名でお礼を述べて、番組の締めくくりにしたかったと察します。実際、何度かお茶の水の事務所で懇談した時、先生はそうおっしゃってました。
ここ1、2年は千葉での伝導所勤務と改革派教会ラジオ伝道部、2足のワラジで激務だったでしょう。3月いっぱいで番組を降りると聞いた時に、もしかするとラジオ伝道部も辞してしまうのではないかとつい勘ぐってしまいました。もちろん「すべてのことには時があ」りますから、いずれはその時期も来ると思います。ただ、「これからも手紙には返事を書く」と聞いて、正直安心もしているのです。
私がカナダに行って、はや2年が経っています。わずか3週間の滞在でしたが、向こうでのキリスト教放送局の多さに驚き、イースターカードの種類の豊富さに驚き、教会が地域の一部になっているのに感心したのを思い出します。おそらく、先生が若いころ渡米した時にも、同じように、いやもっと新鮮に感じられたことでしょう。さぁ、日本ではどういうラジオ伝道の仕方があるだろうか、と先生のことですから今でも考えてらっしゃると思います。今度上京した際、そういう話ができればうれしく思います。
ともあれ、お疲れさまでした、石井先生。担当が立石先生になっても、番組は応援していきます。(山田壮一)
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