コラムの目次
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June/2002

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Jun/1(Sat)
Pさんの行方。
とある劇団に押しかけ、練習をさせてもらいます。いや、私じゃなくて生徒が。昨年段取りをしたのがPさんで、私は後を受け継いだだけです。去年の押しかけ隊4人は卒業したり日々の糧に忙しかったりで編制できないので、新押しかけ隊を結成。こちらから劇団のBBSにあいさつし、製作担当とメールをやり取りし、なんとか見学実現にこぎつけます。
「Pさん、来る?」
と連絡したところ、彼は2つ返事でOKします。
大学に入ったはずの彼は、サークルをほどなく抜けます。「方向性の違い」と言い、多くを語らないのですが、要は劇団が彼の欲求を満たさなかったのだと思います。
「生活が落ち着いたら劇団Qを見学して、そこに入るつもりです」
という彼の思いは、変わってませんでした。昨日の練習後に確認したところ、事実を認めます。
「何か、違うんですよ」。
という彼の視線は、
「もっと向上したい」
というものに見えました。決してぎらぎらしたものではなく、でも彼の澄んだ瞳を正視することはできなかったのです。
彼の輝きを見抜いた劇団関係者が連絡を入れます。けれども、応じるかどうかは微妙です。とりあえず、関係を持っておいたほうがよいと私は思うのですが、決めるのは彼自身です。彼の視線の先に見えるのは何なのでしょう。
注)彼は2つ返事でOKを出しました。「何かやってみたい」という思いが残っていたからだと思います。
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Jun/3(Mon)
それでもラジオがほしい。
地上波が入感するラジオがうちに6台あります。なのに彼は
「小さいラジオがほしい」
と言います。具体的には
「FM文字多重チューナー(=見えるラジオ)がついているもの」
と指名してくるのですけれども、あれは2万円前後なのでどうにも手が出ません。他のどれかを使ったら、というと憤然として抗議します。
「そういう問題じゃない」
と妻が通訳します。いろいろと察するに、自分専用のもので、イヤホンがついていて、好きなときに好きなものを聞けるのがほしいということらしいのです。それなら1,000円前後のもので手を打とうということになり…という家族会議の結論が出たのは8時を回ってました。
盛岡は彼には冷たいところでした。家電店K、量販店Hとも閉まってます。コンビニのLは開いてましたが、親に難色を示され、断念させられます。
通訳に再度たずねたところ
「カード式の新しいラジオがほしい」
のが彼の意向です。他の小型ラジオじゃなくて?そう。
自分の幼少時を考えてみれば、そんな時代も確かにありましたが、パソコンを与えるよりはとりあえずよいのか。
注)というわけで、780円で売っていたものを買いました。嬉々として使っております。
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Jun/4(Tue)
略称で書くか?
帰りの電車で、たまたま福島で発行されているローカル紙に目を通す機会がありました。中面に高校総体の競技別結果一覧が出ていたので眺めます。ほどなく妙なことに気づきます。校名をフルネームで書いてないらしいのです。例えてみるとこんな感じになりましょうか。
一関一 →関一
大船渡工→大工
盛岡女子→盛女
もっと妙なことに、テニスなどの個人戦ではこう書かれてます(以下、フィクション)。
広末涼子・真鍋かをり(岩農)4-3田中麗奈・山川恵理佳(久商)
フルネームです。これが勝ち上がっていくと
広末涼子・真鍋かをり4-2飯田香織・安倍なつみ
−−このように学校名が消え、フルネームだけが残るのです。
2面・紙面下部に広告が載ってない状況で、延々と記されている記事を見て、妙な印象が消えないのです。それは、福島県人が理解すればそれでいいドメスティックさにあります。
これと似たような記述を河北新報(宮城)もします。ただし、河北の場合は
仙台育英→育英
とはしますが
古川女子→古女
泉館山→館山
とはしません。なぜ育英だけ略称なのか不明ですが、そうなってます。話を戻して福島の某紙が理解できないのは、「三高」「花北」というような略称で紙面を通していることです。
学校自体と転勤者のような地域事情をわからない人にとって、大変失礼な紙面に見えます。
「活字が大きくなって載せるスペースがない」
というのなら、なぜ個人ペアの名前を1回戦からフルネームで載せるのか(注・岩手日報の場合は優勝者を記事で載せるときフルネームになります)。どこかポイントがずれてるように見えるのですが、どんなもんでしょう。
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Jun/5(Wed)
チケットがほしい。
埼玉スタジアム2002に日本代表の旗をまとった「餃子のおばちゃん」が出没(←asahi.com)とか、レッズサポが集結したという話があると聞くと、「ワールドカップに冷たい」はずだったレッズサポでもそこそこ感心があったことが伺えます。小野伸二の横断幕がかなり出てましたから、それなりのサポートがあったように思いました。しかし、観客席のうちのせめてゴール裏片側だけでもBOYSが埋め尽くせば、もっとまっとうな応援になったでしょう。
それはさておき、ワールドカップチケットがまだオンラインで買えるらしいということを聞いた同僚Iは金曜日の札幌・日曜日の宮城などに目を付け出します。
「妻に電話して、行ってもいいかどうか聞こっ」。
「仕事の見通しがついたら行こっ」。
本当に行きたい人は、万難を排して最優先でスタジアムにかけつけるものですが。
よくないことに、周囲もIを焚きつけます。
「ここで見ておかないと、一生のうちに日本で見られる機会なんてないぞ」
「ほーら、だんだん行きたくなってきた」
「仕事なんか放っておいていいからさぁ」
などなど。Iがその気になるのがはっきりとわかるので、どんどん煽ります。
Iの運命がどうなるのかはこれからなのですが、明日以降のチケットの状況が見えません。インターネットで売るのか、ぴあの特電で行くのか。二転三転するのが、どうも納得できないのですが、ここでも情報戦なんですかね。
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Jun/6(Thu)
情景が見えない。
高校総体開会式・午前授業・ほどなく定期考査・・・。そのような流れの中で、ぼつぼつ次回上演作を決めてしまわなければならない状況になってきてます。一向に決まりそうにない中で、さすがの私も「脚本読み」に立ち会う状況が続いてます。これが
「創作作品で芝居を作る」
という覚悟を決めればもう後戻りできなくなるのですが、そういう状況ではない。どこか
「何とかなるだろう」
という空気に包まれているのです。
緊迫感が希薄な中で、候補の脚本が読まれ続けてます。ト書き・王子・姫・通りすがりの男・女・・・。日本語で読まれているはずなのに、情景が見えてこないのです。それはひたすら棒読みなト書きのせいなのか、過剰に役にのめりこんで読んでいる役者が原因なのか。どうも情景が絵になって見えてこない。私ですらこうですから、まして部に入ったばかりの1年生は何をやっているかわからない状況なのじゃないかしら。
「読んでいるのと、聞いているのとでは全然違う」
「字を追っているのと、音だけで聞くのも違う」
という中で、想像力を働かせているはずなのに、見えてこない。そんなこんなの中で残された日数は片手で数えるだけとなってます。このままの状況なら、覚悟を決め強権発動もあるのかと思ってます。発表会に載せられる脚本ってありそうでないのですよ。
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Jun/7(TGIF)
彼女、ケータイを検討す。
あたしの身の回り、みんなケータイになったのよ。ピッチ(PHS)をもっている人がいないの。固定電話にかけることやピッチにかけることを考えれば今のやつ(機種)でいいけど、そうじゃないよの。それに、着メロで好きなのが落とせないでしょう。どうしてケータイじゃないと着メロが落とせないわけ?
ここにカタログがあるんだけど、211iかなぁ。504iかなぁ。iアプリなんていらないのよ。そんな使うわけでもないし、知り合いに番号を教えるのが面倒かなって感じ。えっ、ピッチでも着メロ落とせるの?だったら、そこを教えて。どんな音なの?ふーん。そんな感じか。オペラのサイトなんてあるの?落として(ダウンロードして)くれる?あぁ、これならいいか。
ってことで、とりあえず彼女の乗り換えは延期になったのですが、そこまでケータイ包囲網が進んできたのです。そういえば1人ケータイからピッチに乗り換えて、現在に至っている知人がいますが、稀有な例なんですかね。
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Jun/8(Sat)
イングランド→浦和
この試合が注目カードだというのは妻ですら知ってました。同僚は「べっか〜ぁむ♪」と何度も言ってました。去年のコンサドーレレッズ(←リンク先はオフィシャル)戦で、レッズサポをフーリガンに見立てたのは、この試合のためだとまことしやかに言われてました。私のサイトにふらっと遊びに来る方は「札幌ドームまで行ってくる」とさりげなく現場に向かいました。
今回のワールドカップで90分きっちり見た最初の試合アルゼンチン×イングランド(注・ベルギー戦は移動中でラジオ)。最後まで見るつもりになったのは、テレビ画面いっぱいに張られていたイングランドの横断幕。アルゼンチン国歌が流れているときの強烈なブーイング。イギリス国歌が流れていたときの声のでかさ。真っ先に思ったのは
「あぁ、これ駒場(注・さいたま市にあるレッズのホームスタジアム)じゃん」
ってことで、次に思ったのは
「まるでイングランドのホームみたい」
ってこと。私はあれを見て一発でイングランドに肩入れします。
イングランドの赤、コンサドーレの赤、レッズの赤。イングランドの旗からURAWA BOYSの旗を連想し、そのイングランドサポに絶賛されたさいたま市のパブ・URAWA POINT。それはサポーターの魂が相通じるからだと私は思ってます。
サッカーの試合にあそこまで熱くなれるイングランドサポ、数は少なかったけれどもアルゼンチンサポ。終わった後、街に繰り出してサッカーを熱く語り合えるサポ。Boysがあこがれていたのは、たぶんそういう光景なのであり、ワールドカップでひとまずそれが現実となりました。
イングランド1−0アルゼンチン。オーウェンへのファールを誘い、ベッカムがPKを決められたのは、明らかにサポーターの力でした。それをフーリガンで括られるのはたまったもんじゃないだろうなと思ったのは、私がレッズサポだからでしょうか。
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Jun/10(Mon)
日本対ロシア
またまたギョウザ屋のおばちゃんがNHKニュースに映っていたという6月9日。サッカー日本代表が1-0で勝利しました。夜8時30分。めったにサッカーを通しで見ることがない妻ですら、テレビの前に向かいます。前半、まったりした試合の動きを見て、(面白くないなぁ)と思いつつも、(それがニッポンの勝ちパターンなのだ)ということも漠然と思ってました。大量に流れるワールドカップ情報の中で語られた「ロシアは後半になると、湿気の高さゆえ運動量が落ちてくる」ということも、ぼんやりと信じながら、気がつけば前半が終わります。0-0。フジテレビの長坂「必勝」アナに清水・風間という取り合わせは、意外とオーソドックスな中継を醸し出し、ハーフタイムに続々と流れる各社のCMに感謝しつつ、さて後半。
対ベルギーは見ていて怖いものがありました。それは、意外なところからあっという間に点を取られる(実際に2点奪われました)状況があったからなんですが、ロシアにはそれがなかった。とりあえずイングランド−アルゼンチンの、「後半雨あられのようなシュート打たれっぱなし」状況にはなったのですが、ロシアの攻撃パターンが読めてました。いや、攻守の切り替えが早くなって冷や冷やしたものの、守りに対する集中力が切れてなかったのと、GK楢崎の思いきりのよい守備が見ていても気持ちよかった(やっている方はもっとでしょうに)。
FW柳沢が決められなかったというのが見ていてイライラしましたが、「彼は信念のパスの人」(朝日)ということであれば、それはそれで納得できます。
さて、決して楽観はできないのですが、16強が見えてきました。というよりも、ここで負けてしまうことがあれば、日本の政治・経済が停滞していることがまともに見えてしまうのですよ。もうちょっとワールドカップに刺激してもらわないと。
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Jun/12(Wed)
長距離通勤事情
問い合わせがあったので、身の回りで知っている長距離通勤について記します。
最初に、私自身について言えば、盛岡から数十キロ先の駅まで新幹線通勤をしてます。この場合ですと
家から20分
乗継5分
乗車30分
乗継5分
移動10分
単純合計で70分になりますが、それに渋滞やら余裕時間が5分〜10分加わります。
その列車にはもう一駅南まで行く面々も乗り合わせ、途中からは仙台まで乗車する人々も乗ってきます。一頃に比べて、学生が多くなっているように感じます。
知人で、駅からさらに30キロを運転して、都合2時間弱通勤に要している方がいます。本来は単身赴任という選択になるのですが、彼は盛岡での生活基盤ができあがっているのと、年度途中での転勤だったため、そんな形を取っています。もうじき4年目に突入するはずです。
その他、新幹線を使わずに高速道路で数十キロ通ったり、沿岸を100キロ近く車で通ったりという例はいくらでもあります(かつての同僚もそうでした。市内に住んでいるということになっていても、実際は5時台に家を出て、19時台に家に向かうことを続けてました。言わせれば
「家に帰って一人でぼーっとしているより、車を運転したほうが疲れない」
ってことらしいです。
さて、何かのはずみで新幹線ではなく在来線で移動することもままあるのですが、ロングシートは1時間なら何とか持ちます。1時間を超えると、疲労度が増してきます。もっとも、座れるだけまだましなのですけど。
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Jun/13(Thu)
「情報」教科書選択。
2003年度から高校で「新課程」による教科書が使用されます。最大の変更点は、普通科などで新科目「情報」が導入されることです。専門高校では今までの「情報処理」でよくて、一見、両者に違いがないようにみえるのです。
「それは、センター試験の受験教科になるかどうかという違いがあるのです」
と営業の方は言います。でも、2年後には新しい教科書になるそうじゃないですか。
「その時に、足りない部分を補おうと思ってます」。
別の業者に言わせれば、どういう内容にすればよいかあいまいなところがあって、
「思うところを書いたら、そのまま検定を通ってしまった」
のだそうです。すなわち
☆専門高校の「情報処理」に近いA社
☆中学の「技術」を受け継いでいるB社
☆「現代社会」の流れを汲んでいるC社
☆数学系統に力を入れているD社
☆新参入で気合満々のE社
−−というように科目によっては13社(情報A)の教科書があって、各社の売り込みも力が入ってきました。
こちらが教えやすい教科書と、生徒に受け入れやすそうな教科書は別物です。ポイントをどこに置くかでも違う。記述が丁寧なものと副教材に力を入れた社。どうしよう、というのが正直なところです。
しかし、教科書そのものが選択基準になるだろうとは思ってます。13社、まっさらな条件で比較し、最終的な結論を出そうと。(この項、たぶん続く)
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Jun/14(TGIF)
舞台での「安全管理」。
「舞台に乗ることは年に何回もないにしても、舞台上でちょっと気をつけるだけで事故を予防することができます」。
舞台を催す現場、というより会館側の要請で行われた「安全管理講習」。
「顧問には、絶対必要な項目ですから参加してくださいっ!」
という呼びかけが効いて、加盟校のうち2/3の参加となります。あまり深く考えずに講習を受けたのですが、終わってみれば怖さを思い知らされたものへと変わります。
舞台では例えば
「1サス(注・照明の明かりを吊っている棒)降ります」「はいっ」。
というやり取りがあります。この時に「『はい』と返事をする」約束がなされていたとしても
☆1サスがどこかわからない生徒がいる(!)
☆返事をしても、その方向を見ない
傾向がある。よって管理者は、上手・下手両方向の袖から確認しないといけない、と。生徒には
☆声のした方を確認する
くせをつけろってことです。
もし仕込みのミスを発見したら?
・当事者に連絡する
・目視で確認
・実際に直す
――当事者が目を三角にしているので、袖からチェックしてないとならないのであります。
その他、装置を吊るバトンにしても、吊り物の重さをわかってないと綱が簡単に動いてしまうので、ストッパー(=7kgほど)を使う。ロープでしぼる。−−去年、その(視界の悪い)綱場に1人きりにされて、えらい目にあったので
「危険なところ」
というのが痛切に理解できます。
会館職員は操作盤の近くにいて、緊急事態に備える必要がある。ならば舞台スタッフが袖についてないと人手が手薄になるわけです。袖に入る時に
「モニターでなく目視しろ」
と言われたのはそのことだったのです。
実際、袖が手薄になった時ちょっとした事故を体験してます。スタッフとして舞台に関わることの責任を、いまさらながら感じた講習でした。
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Jun/15(Sat)
演劇的「情報」の伝え方。
「私、Jリーグを見ても高校サッカーを見てもノレないなぁって思ってた」
という面々からはそれほどワールドカップの話題は出ず、もっぱら
「高校生のコミュニケーションはいかにあるべきか」
という話題に終始した演劇部顧問の昼食時。有名な「女優」が準備・後片付けをしたがらないとか、「友だちがいるから私も演劇部に入ってきたという輩が増えてきた」というような話題が次々に出てきます。
「あたしんとこで、生徒同士が直接話さないで、いちいち担任を通して話したがるのよ」
「それ、ほんとぉ?」
「そうです。中学校が違うのは『文化が違う』ってことみたいです。絶対話そうとしない」
「なにそれぇ??」
「うん。その中学は1学年20人そこそこだから、みんな顔見知り」
「顔見知り以外には話そうと思わない」
「だから、担任ってことになるの」。
「今年のクラスにエンカウンターで、名前をつながりで言わせてみたら、クラスがうまくいった」
「もう一歩踏み込んで、試験問題に『クラス全員の名前を書け」っていうの、どうだろう」。
話はそこからコンピュータ社会というところに行って、「来年から新教科『情報』を担当する」ところに飛びます。
「コンピュータがない場合の情報の伝え方っていうのをやるのは面白いと思うよ」
「コンピュータがないところに2,3日いて、どうやって情報を得るか学ぶ」
「手旗信号や狼煙を使うとか」
「伝言ゲームをするとか」
――そのあたりが演劇部顧問です。しかし教科教育法を習ってない面々が、情報リテラシー(使い方・モラル)というツボを押さえているのですから、侮れないのです。
「コンピュータを使って情報検索する」
のでなくて、
「数ある手段からコンピュータも利用して情報検索する」
ということを目標にするのであれば、彼らがいう授業構成も理にかなっているのです。
「演劇ワークショップで3時間はつぶせるぞ」
というのは、教科としての情報を理解する上で、あるいは情報そのものを理解するために必須の要素なのかもしれません。
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Jun/17(Mon)
ファミレスでのしつけ。
日曜日の昼下がり・ファミレス。お店にとってはもっとも賑わう時間帯でしょうが、もっともわがままなお客様でいっぱいになる時間帯でもありましょう。われわれはただの客だからよいものの、店長をはじめとする従業員にとって、一番忍耐を要すときだろうと同情するものです。
家族5人(両親・5歳ぐらいの男子・3歳ぐらいの男子・数ヶ月の乳児)・で来店したそのお客がテーブルに通されます。3歳男子が「子ども用椅子」を拒絶したところから嫌な予感がします。母親は乳児をだっこし通しで、当然父親は2人の男子を面倒見なきゃいかんところを、座ってぼーっとしてます。ほどなく、3歳男子が椅子に座るのを拒否。「大人用椅子」を後ろに倒します(都合、母親の隣の長椅子に腰掛けます)。注意をしたのは、手の離せない母親。落ち着かない3歳男子はぎゃぁぎゃぁ騒ぎ、挙句の果てには椅子に立ち、背もたれの上に立ち、見ているこちらがはらはらします。
ほどなく店員は、彼らの隣に別の客を誘導し、男の子が悪さできないようプレッシャーをかけます。しかし、3歳男子の悪さはエスカレートし、長椅子の上で暴れだし、バランスを崩して椅子から落ち、頭上のシャンデリアが揺れます。この間、父親は何もせず、彼が落ちてからようやく乳児をだっこする始末です。
とーちゃんもしつけ、きちんとせい。と私は思うのですが、これしきで
「子どもを育てるのは大変なの(うるうる)」
と言われ、それが少子化の進む原因になるのでしょうか。
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Jun/19(Wed)
デジャブ
サッカー日本代表が決勝トーナメントに残り、ゴールシーンやら応援する姿が何度もテレビに映し出される。職場でテレビを見てよいという何度かの暗黙の了解。20代前後が一同に熱狂する姿。
「選手に何か一言ないですか?」
−−(ちょっとした間の後)よく頑張ったと思います(と言って涙ぐむ)。
というインタビュー。
実力はそんなになかったけれども、一戦ごとにうまくなって、一丸となって戦う姿に美しさを感じる。サッカーを知らないおばちゃんたちが、「稲本はねぇ」「宮本がさぁ」「ベッカム好き♪」と口々に言う光景。
ここ数日で思い浮かべてたのは、高校野球の「甲子園大会」目指して、地域代表を応援するというあのノリでした。野球とサッカーを一緒にしてはかなわん、という声が聞こえてきそうなのですが、「あれはお祭りだ」という仮説を立てるのなら、それに向かって熱狂するさまは、いつか見たこと。しばらく忘れていたこと。
ならば、「東洋の魔女」以来だった60パーセント台の視聴率はどこから来たかというと、一つのものを、一つどころに集まって、みんなで応援するという原風景がよみがえってきたからだろうと思います。ワールドカップで否応なしに国際化が進む、という仮説の一方で、一種のレトロな情景がよみがえった。デジャブ。
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Jun/21(TGIF)
あるダメだし。
○月×日。演劇関係の集まりがあり、「ワークショップに何を求めるか」という話になって、ふとしたことに突っ込まれます。
☆ワークショップに参加するたびごとに、自分の表現力のなさに打ちのめされる。
――あのさぁ。最近ワークショップを勘違いしている輩が多くなってきているようだけれども、もとはといえば「自己解放」ってことなんだよ。自分を出せるようになるのがワークショップなの。その辺の認識を何とかしてもらわないと、ただ受けるだけではダメなんだな。おたくが目指している芝居と、今度のワークショップの講師は全然別の方向だし、どう変わるか楽しみだぜ…。
他のことは和やかに友好的に進んだのですが、どうもこの文言が引っかかっているのです。彼が芝居を3本同時進行で進めていることに比べれば、自己解放できない男の言っていることなど戯言にしか見えないのでしょう。
同期のS君は劇団の照明を頼まれ、その後芝居小屋プロデュースの8月公演に出ることが決まり、あちこちから声がかかってます。「あちこちに『はい、やります』と返事をするな」と怒られたそうですが、そういう部分を楽しんでいるところがあります。Hさんは「自分の中で『いい』と言える芝居をしたことがない」と言い切ります。だからもっと舞台に出たいのだ、とも。
自分の前に他人の心配をしなければいけない現状で、自己解放しきれないところがあります。それじゃまずい、というのもわかってます。だから芝居をしてなんぼ、っていうのもわかります。しかし、言い訳の材料をいっぱい探しているような現状では、このダメだしを消化するのに時間がかかりそうです。
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Jun/22(Sat)
この夢は何?
こんな夢を見ました。
一軒家の郊外に住んでいて、家族が出かけている。まだ明るい土曜の夜8時ごろ、近所に出て行って、中心地をぼんやりと見ている。足元に目を移すと、「転勤してきた方へ」という市からの配布物と、なぜかこの近辺に立てられるであろう住宅物件のチラシ(西側にあるテーブルにまとめておかれてありました)。ふと北側に目を移すと、盛岡中心部の建物案内が1枚の板に書いてます。他の建物はともかく、一番左側に「資生堂」とありました。
そんなこんなになって、3人の私服を着た中学生ぐらいの女の子が西側におしゃべりしながら登場します。こちらに挨拶をするわけではないのですが、ちらっとは見ます。ほどなく、スポ少帰りの一団が北側に現れ(なぜか愚息もいます)、団長が売り物であるはずのサッカーレプリカツを取り出し、なおかつ少年たちに売ります。大部分の子は、すでにレプリカ姿になっていたのですが、うちの子だけは別のものを着ていて、「買ってくれ」とせがみます。ただ、ふらっと来ただけの私は、レプリカを買い与えることをせず、子どもは先に帰ります。品物をチェックした私は、買わずにもどります。
まだ明るさが残っている外なのに、家族3人はすでに寝てました。
――さて、これは何を反映しているのでしょうか。
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Jun/24(Mon)
東北新幹線との20年
盛岡と大宮を結んだのが、20年の始まりでした。そういえば、仙台までの試運転電車に乗った記憶が蘇ったり、「リレー号(注・大宮と上野を結ぶノンストップの列車)」を使わないで高崎・東北線を使ったり。東京開業後もしばらくは上野駅で乗降したり、新宿・池袋に移動するときはやはり東京駅に出ないで大宮から移動したり…。
とにかく20年はあっという間でした。受験の際に乗ったのが最初だとして、学生時代には古川〜郡山間のフリーパスに意味なく乗ったり、そうかと思うと就職試験でそんなに使わず、20代の残りに毎週のように一ノ関〜仙台に乗車(←当然6枚綴りの回数券を買ってました)。
2階建て新幹線は当初グリーン車にしかなく、眺めを見るために何度か乗ったことがあります。現在、Maxの登場で2階建ては珍しくなったのですが、来れば2階に乗る習性は変わりありません。
定期で通っているこの数年を差し引いたとしても、東北新幹線には乗っているほうなのだろうと思います。それが岩手県内や岩手〜宮城というドメスティックな区間が大部分だとしても、恩恵を享受していることは確かです。都内まで6時間かかって行ったという記憶がどんどん遠のき、大宮まで2時間、都心まで3時間弱で行けることは、いろいろなことにアクティブになったということですし、もろもろの密度が増したともいえます。上京するときの高鳴り、戻ってくるときの安堵感。そのスピードが速まったのがいいことなのかどうかは微妙ですけど。
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Jun/25(Tue)
発泡酒の選択
コンビニの棚でビールと発泡酒の割合が、いつから逆転しているかは定かでないのですが、だんだんビールが隅に追いやられている現状があります。それは外食先でビールを出さずに発泡酒を出す店が増えてきたこととも関係があるのでしょう。うちが発泡酒にシフトしたのは、とりあえず飲むに耐えられるだけの味になってきたからです。
さて、昨日飲んだ某社の新商品は、飲むには堪えられたのですが、食事後口にしたとたん、いっぺんにまずさを感じました。
「だから発泡酒なんだよね」
という会話が出てきます。別の社の発泡酒は、飲むには堪えられないが、食事後そこそこOKというものなのですが、
「だったら、別の社のものがよい」
という結論に達します。臭みはないがビールと別物の発泡酒・味がしないことが長所でもあり欠点でもある発泡酒・泡はよいかもしれないけれども後味がぱっとしない発泡酒。
「結局どこの社もこれっていう決定的なものがないから、おまけで選ぶんだよねぇ」
「そうそう」。
それを非価格競争といいます。一方で、130円前後(350ml)をめぐる攻防だったりして、そちらは価格競争だったりします。飲めればいい、って言えばそれまでですが、しかし何か味気ないです。
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Jun/26(Wed)
経験のなさを何で補うか。
それはどんどん組織の中に飛び込んで行って、ぐいぐいとやることなんですよ。理論がどうのとか言ってないで、若さなの。とはいうものの、その若さも失われつつあり、実践が足りない昨今。どうすりゃいいの?だから、一緒になって体を動かすことでしょう。そうすれば回りもついてきますって。
ほとばしるだけの情熱を持てない。あっても空回りする。持てる人と持てない人の差がどこにあるのか考えているのですが、「考えているよりも、動きなさい」という声が聞こえてきます。「目標を持ちなさい。実現めがけて計画を立てなさい。そうすればかなうから」という声も。
連日のように勝者と敗者をあぶりだすワールドカップを見、関連記事を見、ヒディングとトルシエを分けたのは何だったかを考えます。それは「経験」だということのようですが、なかった経験を「ある」に変えるのは何なのか…。
だから、考える暇があったら、経験を積めばいいんですよ。自分であちこちに他流試合を申し込んで、いい状況を招き寄せるんですってば。ほら、悩んでないで、行動することですって。
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Jun/27(Thu)
夕方のそぞろ歩き。
出張を終え、そそくさと盛岡に戻ります。どうしても買っておかなければない本があった(注・インターネットで「在庫がないので2週間かかる」と言われたのでキャンセルします)ので、街中を歩きます。ところが夕方5時台の盛岡というのは結構人が歩いていて、ショルダーバッグ1つを持って街を歩くと、周りにぶつけそうになります。ぶつけそうな相手というのは、例外なく携帯大事のビジネスパーソン。
モス盛岡菜園店の営業時間が来月から朝10時に変わるとか、パブロのケーキバイキングが1380円(だったような)でまだ続くとか。カワトクに宮城県の小学校が修学旅行に来たとか、6階のヴァージンレコードに「ケロヨンの歌」のCDが1枚だけあったとか。スクランブル交差点を渡ると、高校を出たばかりの知人が2人連れで歩いていたり、北日本銀行大通支店の工事現場に、鉄骨が急に出来上がったとか・・・。ふだん、そのような時間に戻ってきてないので、世の中の事情にどんどん疎くなっていきます。いや。戻ってきたとしてもそそくさとバスに乗って移動するので、車窓でしか街を認識してないのです。
盛岡に流れる「時」の緩さにある時はいらだちを感じつつも、その緩さを体感できる幸せも感じる矛盾の中で、平日のこんな時間に街を流せた幸せを感じたのが昨日でした。
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Jun/28(TGIF)
続・「情報」教科書選び。
承前。次年度からの高校での新科目「情報」教科書選び。13社の教科書をそのまま採用するわけにはいかないので、全社のを精読します。斜め読みで決めるのときっちり読むのとでは、考え方が変わるだろうという予測を立てたところ、事実その通りでした。各社の癖も見えてきます。
基準を何にするかで、選ぶ教科書ががらっと変わってしまいます。
「週2時間の授業のうち、1時間は実習をすること」
というお触れがあったとして、現実問題
「各自、メールのやり取りをしましょう」
という授業ができるのか。その場合、生徒(最低でも各パソコン)にアドレスが行き渡っていることが必要になってきます。パソコンの扱いが中心になっているとはいえ、それのみの記述となっているのか、「パソコン以外の情報」にも力を入れているのか。前半は講義、後半は実技という構成なのか、講義→実技→講義…というローテーションなのかでも違ってきます。それから
「センター試験の教科として用意されている」
ということを考えると、実技優先の教科書でよいのかと考えてしまいます。
数社の教科書を候補から外しました。「パソコンのマニュアル」と化している教科書。モノトーンの教科書、2色刷りの教科書。手にとって地味な教科書に優れたことが書いてあっても、多様な高校生がおとなしく教科書を読んでくれるかどうかは別問題です。それから旧課程を焼き直しただけの教科書も候補から外します。
「ワードとエクセルを教えていればよいわけじゃないんです」
という指導主事の言葉が頭を離れません。
「新しいぶどう酒には新しい皮袋を」
ということであれば、新しくてかつ将来に向かっての思想が感じられる教科書を選ぶことになるでしょう。そうなると、こちらが教えやすい従来型の教科書でなくて、スタンダードな記述に長けている社を選ぶ可能性がでてきたのです(この項目、もう何回か続く)。
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