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新居から、残務整理のため宮古に向かいます。3月31日はFMも最終回の日で、6年続いた「モーション&エモーション」が終了。それを惜しむFaxが次々と読まれます。こういう日に106号でDate fmが入感するのも不思議なものです。 6年宮古にいて、転会することのなかった教会にお礼をいい、一度も足を運ばなかった料亭で昼食を取る。横断歩道橋が地下道と化した4車線道路を右折し、春雨が降る無人のグランドを見ます。 「『ただひたすらに甲子園』の看板、変わったね」。 帰り際に卒業生が言います。そういえばバックネットも改装工事のため、看板を替えたのでした。年度末でばたばたしている職員室へのあいさつもそこそこに、最後の3年間、主に仕事をしていた進路指導室から出ます。この日丁重な挨拶を受けたのは、進路指導主事と事務長の2人からでした。浜の人は、大きな人でした。 卒業生を車に乗せ、最後の最後に生徒の家に向かいます。息子がカナダから戻ってくる前日だったのですが、迎えにいけない非礼を詫びつつ、丁重にお礼を言って磯鶏を後にします。ほどなく宮古駅に着き、卒業生と別れます。この日も、宮古駅はいつもの人通りでした。多くもなく、少なくもない人出でした。さよなら、宮古。 盛岡からの雨上がりの夕日が運転席に強く射し、それが涙目を防いだようなものです。 さよなら、宮古。 6年間の宮古暮らしが、昨日終わりました。 Up |
鯉:16日のご無沙汰でした。 熊:いや、よく直球ばかり続いたなと。 鯉:「字ばっかりで、つまらない。だから新聞みたい」。 熊:その心は? 鯉:だから「新聞を購読しないで、ニュースはテレビで見る」層が増えるんだそうな。 熊:鯉ちゃん>疲れている。文脈が読みとれない。 鯉:人気のあるほめぱげは、画像や音声をフルに活用し... 熊:ホームページのコンテンツのことね。 鯉:そそ、内容。文字ばっかりのところは虫も寄りつかない。 熊:「完全無視」。なーんちゃって(^_^;)。 鯉:寒い(--;)。とにかく、気張ってたんでしょうね。きょうは、熟睡でございました。 熊:「早めの仕事、ムリ・ムラ・ムダのない仕事」と言われていた調子が、狂ってきたのでございましょうね。 鯉:ところで、人事の挨拶はそろそろ出せそうなのですが、コメントを書かないとどうにもならないのです。 熊:「もう100枚必要」って、それ、出しすぎじゃないの。 鯉:いや、転居の挨拶も兼ねてしまうと250枚規模になってしまいましたねぇ。 熊:ムダじゃないの? 鯉:いや、世のマナー教本には「お返しはいいから、転任あいさつはしっかりしなさい」とあります。 熊:転任あいさつを出さないで、お返しをする人はいた? 鯉:数の中にはいましたねぇ。でも、あいさつの線引きって難しいです。 熊:メールで済ませられないの? 鯉:済ませた知り合いはいます。仲人さんにメールを送って、けさほど返事が来てました。 熊:仲人さんっていくつ? 鯉:62ぐらい? 熊:その人、ずいぶんモダンな人(^_^)。 鯉:えぇ。アナログ手紙と同様、「今後の仕事に期待」し「家族の繁栄を祈」るとありましたから、ムダがないです。 熊:鯉ちゃん、仲人さんのような生き方にあこがれてないかい? 鯉:うーん。そうかも知れません。 熊:宛名印刷をパソコンで済ませ、あとはハガキを書くだけでいいんだから、ぼつぼつやりなさい。 鯉:えぇ。段ボールの前に、そっちでしょうね。 熊:では、書きなさい。 鯉:鈴木健二みたい。 熊:あの人も、新聞には一家言持っていそう。 鯉:新聞ってオールドメディアなのかしらん? 熊:うーん。それより、転任あいさつっ! Up |
転居シリーズがまだまだ続きます。 4月11日は統一地方選挙の第1ラウンド「知事選・県議選」で、われわれのように、同一県内の引っ越しだと投票権がそのまま残ります。3か月前の選挙人名簿に記載されているところ。つまり、岩手県宮古市で投票する権利があるのだそうです。 「でも、それだけで宮古に行くのもやだ」。 はい。不在者投票制度があります。で、3月27日、宮古市の選挙管理委員会に足を運びました。とりあえず、県知事選挙の分は投票できたはずですから。理由の欄に「転居」と記し、受付に出します。 −−盛岡で「転出証明書」を発行してもらって下さい。 はぁ?!。その段階で不在者投票は拒絶され、盛岡行きを強いられます。 3月30日、盛岡の選管に行きます。8階まで行かされます。 −−ここでは転出証明書は発行しないので、1階の窓口で証明書を発行してもらって下さい。 宮古は、そういうお役所的対応はしなかったぞ。ぶつぶつ。 4月2日(県議選の告示日)。再度選管に行き、県知事選・県議選の投票手続きを取ります。不在者投票には2種類あり、 1)宣誓書と転出証明を持参し、宮古で投票する 2)宣誓書と転出証明を郵送し、盛岡で投票する。 われわれは2)を選択します。 −−それでは、ここからは郵送してもらいます。 「選管の事務じゃないんですか?」 −−うちでやるのは、盛岡の投票が済んでからです。遅くなると間に合わなくなりますから、早めに手続きを済ませて下さい。 どうして、自前で切手を用意するの?責任者出てこい!(←このネタを知っている人は、相当の年代の方です。)で、封筒は盛岡市のものをくすねて、切手を買って妻のと2通送ります。 順当に行って、投票用紙が届くのが月曜日。それから投票ですから、職場帰りに市役所に寄らないといけません。それにしても、この手続きは相当面倒です。「広報みやこ」に丁寧に掲載されていて、かつ投票用紙に「転居時における投票について」の説明がされてあって、うち(=盛岡)まで郵送されてきたので投票する気になったのですが、でも、面倒です。面倒なのは悪用(例・組織ぐるみの転居)を防ぐためなのでしょうが、ねぇ。これもまた、エネルギーがいることです。 注)2日後の4日、速達簡易書留で宮古市選管から一式が届き、その日のうちに不在者投票が済みました。なんでも、県議選前に手続きを取り始めてもよかったのだそうです。ただ、投票できるのが県議選の告示の2日以降のようです。それはそうと、宮古市選管のスムーズな対応に敬意を表するものです。 Up |
浦和市役所の机の上には、物がないそうです。合い言葉は「机の上は滑走路」。物いっぱいの私の机からは想像できない合い言葉です。 これができたのは、職場のOA化が進み、情報の共有ができたから可能になったということ。 「あっ、あそこの机に紙がのっている。ちっ(--;)」 というレベルまで進んでいるのだそうです。あな恐ろしや。 で、物いっぱいの私の机には、本棚が2つあって、なおかつ未処理のものが山積みされ、足下もいっぱい。それが机2つ分(注・前は2カ所で仕事ができたのです)あったものでしたから、異動に伴って捨てまくりました。その結果、段ボール2個ちょいまで収まったのですが、これ、机とロッカーに入りますかね? 辞書や時刻表などをCD-ROMに変え、紙をデータベース化すればパソコン1つとちょっとで済みます(=でも、ノートパソコン買う金がないぞ)。あらためて段ボールの中を見直すと、重複する文具があって、これは何とか始末できるでしょう。 というわけで、何日で挫折するかわかりませんが、机のどこかに書いて張っておきましょう。「机の上は滑走路」って。そういえば、3年前の上司も同じようなことを言ってました。こちらは、すぐに挫折しましたが。 注)で、新職場でやってみました。段ボール2つちょっとのモノで残ったのは1つちょっと。つまり、段ボール1つ分を持ち帰る羽目になったのであります。ひーっ。 注2)一応個人的には、1年「滑走路」状態を守りました。新年度は担任が入って、どこまで守れるか怪しいですが。 Up |
この年になって定期を持つことになりました。これまでの生涯で定期を持つとすれば、小学校・高校と機会があったはずでした。ところが、 「小学生はとにかく歩く」 「高校生はともかく自転車」 ということで、真冬の轍の中を徒歩・自転車通学で凌いだこともあって、ずっと定期とは無縁でした。 時は流れこのたび、自宅と職場の間が70キロほどとなり、職場の基準。すなわち 「通常の交通機関で、所要時間が90分を超えるものについて、『新幹線定期』の支給対象者になる」 という項目に該当し、めでたく定期を持つことと相成ったのです。 家からでいうと、駅まではバスがあるのでよし(徒歩を含めて20分)。駅と駅の間は新幹線で31分。この後の、駅と職場の間を結ぶ交通機関がないのが難点なのですが、そこは、駅の青空駐車場(ここもなかなか空かないのです)を利用します。というわけで、乗り継ぎ時間を含めて、およそ70分です。70分といえば、高速道路を使ってもほぼ同じ時間で着くのですけれども、こちらは「交通費全額支給」にはならず、自己負担を伴います。で、新幹線通勤となったわけです。 昨日、歓迎会を抜け出し、駐車場に止め、駅の改札を定期券で通過します。やってみたかったんだ(^_^;)。出口は自動改札なので、そちらを抜けます。この通勤時間、その気になればどうにでも使いようがあります。これをどう活用するかも、今後の楽しみです。 Up |
職場が変わって、何日か経ちました。まだまだローギアで、のろのろ発進ですが、何とかやってます。 で、170キロ職場を移動すると、習慣・考え方ががらっと変化します。私がもっとも違和感を覚えているのは、職場のシステムや、トップの言動、長距離通勤......といったことではなく、周囲のネガティブな言い方・考え方です。 われわれ新任者は 「この職場はいい」 と思うことが多くあります。新鮮です。しかし、それをぶち壊すのが 「この職場のもっとも悪いところを見せてしまいました」 という発言です。ほぼ、どの同僚も同じことを言います。 それは、養老孟司が言ったことにつながるわけですが、あまり「自分のところは悪い、悪い」と言われると謙譲を通り越して傲慢に聞こえます。うーん。岩手県内陸に巣くっているネガティブ・シンキングなんでしょうか。 ある中学校教師が 「あちこちけなされて、人が鍛えられ、育っている側面がある」 という投稿を地元紙にし、読んだこちらが苦笑したことがありました。18年沿岸で育ったある少年は、内陸のネガティブ・シンキングを 「いや、とても勉強になります」 と言ってましたが、それは、彼(=沿岸育ちと言ってもいいかも)が心の広い持ち主だから言えることです。 この職場、外国語指導教員(=ALT)が非常に人気があると聞いています。それは、彼女がポジティブ・シンキングの持ち主だからに他なりません。 「お前はあれもしないからだめだ、これもしないからだめだ」 ということじゃなくて "Try!" "Challenge!" "Good!" "Excellent!"(<<<It's true??) と言われりゃ、悪い気はしないでしょう。 おだてて木に登らせる−−という接し方が、この職場には似つかわしい感じがするのですが、ねぇ。 Up |
ときどき、私のへそ曲がり病がふつふつと沸いてきます。周囲がノートパソコンに向い、黙々と入力している姿を見て、違和感を覚えます。それでも情報が共有され、ネットワーク化されれば「あっ、そんなものか」と納得するのですが、そうでもない。以前仕えた上司の影響が大きいのですが、 「紙に書いて早いことがらは、パソコンを使うことはない」 という考えが私を支配しているのです。今もその考えに代わりはないのですが、四方をノートパソコンに制覇され、周囲がひたすら仕事している光景を見せつけられると「あれっ」と動揺します。ある同僚、今までワープロで仕事を済ませてきた方なんですけれども、このパソコンの波に怯え、彼女もノートパソコン教に宗旨替えする気配です。 いや、ノートPCにしてもいいんですが、 「この資料はワードで処理」 「この資料は1-2-3でまとめる」 というのが示されて、持っている人がそれでやりとりするようになれば、私もノートPCを購入しなければいけないでしょう。しかし、既存のデスクトップPCが職場に何台か残されています。実習場所もデスクトップで、しかもDOS版で動いていたりします。それらが遺物になりつつあり、持っている機能を充分果たさないまま、その役割を終えようとしている。周囲の会話が 「ハードが6ギガで、メモリが64ある」 ノートPCだということを聞かされると、こちらはため息をついてしまいます。 当方、たかだか3年半しか使っていないデスクトップに向かってホームページの更新作業を続け、それがRAM48、ハード5ギガだという現実を見るにつけ、 「ノートPCを買っても、消耗品」 という思いに襲われ、空しくなります。職場の机をタワーにしてパソコンを置いてもいいのでしょうが、上司が 「デスクトップは机に置かないように」 ということを言うのでしょう?勘弁してくださいよ! Up |
4時30分起床に変わり、夜は9時30分就寝という状況が続いています。2時に目覚め、3時に意識を取り戻し、4時にうつらうつらする、という毎日です。 今朝3時ごろ、めずらしく娘が布団にごそごそと入ってきます。ふだん決して私のところに入らず、むしろ「いらない」といって拒絶する娘が、きょうに限って来ます。4時過ぎ。「もうちょっと寝てようか」というこちらの思惑をよそに、息子が半べそで 「はやくあさがこないかなぁ?」 と言います。しょうがないので、起きました。明かりをつけると彼、ほっとした顔に変わります。それからもごそごそするのですが、こちらが手を振ると彼も手を振り、寝相が悪いことを指摘すると直すので、彼もストレスがたまっていたのでしょう。もっとも、きょうはちょっとばかり冷え込んでいるようであります。 朝が来ることで、つらかったこと、不安だったことが忘れられる気がします。暗かった表情に明かりを当てただけでほっとした顔をする。そういう事柄ってけっこう多いよなぁと、こどものしぐさを見て思います。新職場で一見おとなしい人種が多いのは、実は声をかけられたい裏返しなのかもしれません。そういえば、こんな話を思い出しました。 「朝は誰にでも平等に来る。差がつくのは、それを有効に使おうとするかどうかだ」。 早く朝が来ないかなぁ−−。そう、心から言える一人になりたいと念願するものです。 Up |
顧問が吹奏楽から弓道へと代わり(=このことについては、他の新任者ともども一家言あります)、最初の大会があったので、顔を出しに行ってきます。「武道館」。この響きだけで恐れをなし、更衣室と会場を行き来する高校生たちに怯え、ガラス越しに見える袴姿の役員に驚き、「うわぁ、そういう人々の集まりなの」? −−それは違います。 そう、別の顧問が教えてくれます。 −−ああいう格好をしているのは、自らも弓道競技に出る人々で、たいていの顧問は平服で、脇で見ているものです。 ということで、両脇の見学者席に連れて行ってもらいます。ここはやや雑然とした感じだったのですが、競技場に目をやると12人の高校生たちが、的に向かってひたすら矢を放ちます。で、顧問の仕事とは何です? −−矢の数を数えたり、記録したりするの。 これを把握できたのは1時間競技を見て、あっ、こんな感じかなということです。 それから気づいたこと。大部分の選手は4射中1〜2射当たればいい方なのですが、4/4の場合は拍手するということ。的に当たったら「ヨシッ」とかけ声をすること(←各学校によって、声・様式が若干違う)など、おぼろげながら見えてきたところです。さて、当方の出番も終わったことだし、帰ろうとすると、知人がいたのであいさつします。向こうもこちらも顧問なので、遭遇するわけです。 生徒たちとは一言二言交わしました。向こうはこちらの寝癖を見て私だとわかったそうです。うーん、そんなに寝癖、目立ってたのかしらん。 Up |
この人のオフィシャルな発言を一昨日からずっと注視していました。一昨日の当選あいさつ、昨日の会議と、こんなことを言ってます。 「職員は机に引きこもってばかりでなく、現場に行って県民と触れあいなさい」。 彼は、隣県の知事がそうしたように、選挙戦で「集票マシン」を使うことなく、辻説法に徹し、働く県民を見てきました。いや、それは対立候補も同様で、むしろ辻説法という手法は、この政党の方が古くから行っていたような気がします。それはさておき、現職の知事が集票マシンの作動を断ったことについて、「各方面で反発があった」と新聞は記しています。 投票率71.88%(前回は75.27%)という数字をどう見ましょう。前回は候補者が4人だったように記憶してます。ですからこの数字はむしろ、正常なのでしょう。集票マシンが作動しないと動かない・投票できない人が投票所に向かわなかっただけで、彼が言うところの「物を言わないけれども、額に汗して懸命に働く県民」が、辻説法をする2人に対して1票を投じたのだ。そう、私は解釈します。それを、ある記者は「あたらしいうねりを感じる」。そう記してます。 対立候補者に「自分の政策を入れさせることに成功した」と言わせたところが、この知事の強いところです。自分の目で現場を見、自分の言葉で語り、それを訴えることができる人。岩手県知事の増田寛也(ますだ・ひろや)はそのような人だ、と私は理解します。 ついでに、都知事に石原慎太郎が選ばれたのは「自分の言葉で語」ることが、他の候補者に比べて優れていたからなのでありましょう。ただし自分の目で現場を見ていたかどうかはわかりません。もし、知事の資質の差を4年間の実績で問われることがあれば、 「増田さんは進んで自分の目で確認したが、青島さんは役人任せにしていた」 と答えたでありましょう。青島さんにそのまま石原さんを当てはめて正解なのかどうか、遅くても4年後にわかることでありましょう。 注)これを書いた直後に朝日・岩手版を見ると、増田知事が「対立候補も自分の言葉で主張すればよかったのに」とコメントしていたようです。 注2)石原都知事が、2000年のこの時期に「三国人」云々という発言をし、波紋が広がっています。都民が彼を選んだことが正解だったんですか、ねぇ。 Up |
熊:どう。新天地は慣れた? 鯉:いやぁ、体がエライです。 熊:鍛え方が足りんぞ(--;)。 鯉:そうなんですけどねぇ、6年ぶりの運動部は堪えます。 熊:とりあえず、連日道場に足を運んでいるみたいだけれども、 鯉:昼の応援歌練習もまじめに行ってます。 熊:どこの職場もそうだけど、行く人は行くし、行かない人は行かないねぇ。 鯉:「事件は机の上では起こらない」。名言です。 熊:さて、新幹線通勤はどうなの? 鯉:4時30分起きの、9時30分就寝です。 熊:いや、そうじゃなくて... 鯉:最近、修学旅行生が多くなってきました。 熊:いや。そうじゃなくてねぇ、 鯉:そろそろ沿線から桜が見られないかと期待しているんですよ。 熊:「新幹線通勤に慣れたの?」って聞きたいの! 鯉:慣れるも慣れないも、座れるからよいのです。ただ、自由席が減らされると、ストレスがたまることがあります。 熊:世の人は、もっとストレスの中で生きているのです。 鯉:だから、同僚の1人は「俺は、車の方が性に合っている」って言います。 熊:しかし、君は定期を持つことに喜びを感じているようだが 鯉:それはそうです。運転に神経を使わなくていいですから、楽です。新聞も読めますし、勉強もできます。 熊:勉強してる? 鯉:なかなかその余力がないのです。せめて英会話のテープを聴くようにしてます。 熊:ともあれ、いままで体を鍛えていなかったのだから、せいぜい通勤で体力を養わないと。 鯉:それに期待してます。それでも「春先は寒いもの」と6年ぶりに実感してます。 熊:6年前はテニスコートだったから、オーバーを羽織るわけにもいけなかったんだよね。今度はまだよい。 鯉:でも、外の競技が続いてますからねぇ、雨でも弓を射るんです。 熊:君は弓をやらないの? 鯉:もうちょっと様子見です。一式を揃えると4万なそうですから。 熊:4万ねぇ。楽器よりは安いかもしれない。 鯉:PUFFYのCDを揃えた方が安いかも。 熊:それは亜美と由美(--;)。 Up |
ひょんなことから、うちにケーブルテレビが入りました。30チャンネル近い画像をああでもない、こうでもないとやっていたのですけれども...。 実際は、伝書鳩みたいな生活に入ってしまい、それほどケーブルを見る時間がありません。ゴールデンタイムは、どうしても地上波を見てしまいます。朝も地上波を見て生活してましたから、ケーブルのニュース専門チャンネルだと違和感を覚えるのです。それに、チャンネルが多すぎて、かえってストレスがたまってしまいました(^^;)。それなら「地上波つまんない。ラジオでも聴こう」という考えになります。 ケーブルテレビを入れようと思ったのは、CNNやBBCといったところのニュースを見る、という目的もありました。ところがニュースの大半はユーゴ情勢で、それ以外のニュースになかなかならない。副音声の英語は聞き取れず、主音声の同時通訳はこなれてないというのが気になってました。で、実際は子どもたちがアニメを見るためのケーブルと化したのであります。しかし、彼らはそれほど番組に執着もしていないようだったので 「じゃ、止めようか」 ということになりました。 最大の理由は、ケーブルテレビを入れてもそれほど番組を見なかったということ。ケーブルテレビに体がついていかなかったことです。「惜しい」という気持ちより、「これで元通りになる」という安堵の方が強いです。 Up |
日本道路公団(JH)の施設では、ほとんどクレジットカードが使えます。もっとも、実際クレジットでインターチェンジを出ようとすると「クレジットカードかい?」と言われることも、かつてはありました。最近は領収書も簡略化され、こちらでもスムースにクレジットが使えるようになりました。 さてJRはというと、JR四国・JR九州に続いてJR西日本でもクレジットカードで切符が買えるようになったようです。東方面はどうかというと、JR東海がハウスカードのみ、JR北海道とJR東日本が一部窓口のみで、西方面とは対照的です。東日本区域に住んでいる私は、JRのハウスカードを2度解約して、3度目の作成にしなければ事情ができ、作りました。しかし、3か月定期を1度購入するといきなり限度枠になり、使用前から早くも 「実用的じゃない」 という結論に達しつつあります。実際、「一部窓口」では他社クレジットも利用できました。JR以外のところではハウスカードが役立たないことを考えると、ハウスカードを使って当方の情報を売ることもないか、と考えているところです。 Up |
このたびの転任に際して、お返事ありがとうございました。あなたから激励の電子メールを頂戴したとき、取り急ぎ「お返事まで」と書いたのですが、2信でバーチャル花束まで頂戴し、恐縮してます。 盛岡から70キロ先の職場まで通勤することが実際どんなものなのか、「地図で調べた」というのは義理の父ぐらいかと思ってましたが、あなたのお父様まで地図を取り出したと聞いて、またまた恐れ入ってます。 「通勤時間に1時間半以上要する場合、新幹線通勤・高速道通勤代(の一部)を支給する」 ことを聞いていたので、こちらは通勤に乗ったわけです。36歳にして定期を持つことを決めたのは、実家に戻ったということではなくて、とりあえず1カ所に落ち着こうと、家族会議で結論が出たからでした。冬場の通勤が「大変」かどうかはわかりませんが、まだ春ですし何とかできるかなと楽観的に考えてます。 件の 「アップダウンクイズがANBからTBSに移ったみたい」 には唸ってしまいました。同じ世代を生きているのだと、妙なところで実感したものでした。妙といえば、最近のワープロテキストで 「らびっとせきね/るーおおしば」 と入力させる課題があり、ある生徒は「恥ずかしかった」と告白してました。きっとコサキンのリスナーが編者だったのでしょう^^;。 あと数日すれば、盛岡でも桜が咲きそうです。代わりに風が強い。でも、春の香はその風に乗ってやってくることを考えると、今が季節で一番よいときなのかもしれません。それでは、また。 Up |
熊:今の子たちに、ラジオを聞いて育った面々っているのかい? 鯉:あまり聞いたことないです。最近は、そちこちにBS/CS/CATVがあるでしょ? 熊:そっちの方を見るわな。 鯉:でしょでしょ。なまじ鉄筋やモルタルの家にいると、ラジオの電波が入らなくなって、 熊:聞くのが面倒くさくなる。だいたい、家でもFMがステレオで入ってこない。 鯉:それはアンテナを張れば、何とかなりますって。地元局でしょ? 熊:そう。でも、それが面倒くさい。 鯉:ラジオフリークなら、苦もなくアンテナを買って、いろいろと工夫します。 熊:そのラジオフリークがどこかに消えたの。 鯉:日中のラジオを聞いていると、耳を傾けている人はそれなりにいます。 熊:でも、何かラジオ業界の人は、テレビに対する「後ろめたさ」を感じているような気がするなぁ。 鯉:就職試験の時に「下宿にラジオしか入れなかった」と答えたら、非常に不思議そうな顔をされました。 熊:今なら「下宿にビデオを入れない」人、持ち物に携帯/PHSを持たない人になるか。 鯉:私、どっちも持ってません(--;)。 熊:で、今、東京地区では「聴取率調査」の期間だよね? 鯉:局からのメールに「今、聴取率調査なんです」と大っぴらに書かれるようになってきました。 熊:毎週調査すればいいのに。 鯉:まさか、ラジオに測定装置をつけるわけにもいかんでしょ。経費もかかりますし。 熊:それはともかく、プロ野球中継にしても「てってーてき」とCSが言うようになってきた。 鯉:前は、ラジオの独擅場でした。 熊:世の中のスタンダードが地上波から衛星波になりつつある。 鯉:ラジオはテレビの補完なのでしょうか? 熊:そんなことはない。ラジオの良さをわかっている人はいっぱいいる。 鯉:世のラジオパースンは、どう聴取者に訴えているんでしょうねぇ? 熊:その辺の訴求をテレビに頼っているのがいけないんじゃないのかなぁ? (この項、続く) Up |
鯉:(承前)あんまり久しぶりなんで、承前の仕方を忘れました。 熊:で、最近の若い子で「私、ラジオを聞かない人なの」というのも珍しくなくなったと? 鯉:というより、私がラジオについて知りすぎているのかも。 熊:うーん。板橋さん(Date fm)というよりも、宗さん(ミヤギテレビ・Oh!バンデス)を知っている人が多いだろうし、 鯉:コガ(FM IWATE)よりも雅さん(TVI・5きげんテレビ)を知っている人が多いだろうし。 熊:藤井隆(吉本興業)より、藤井フミヤを知っている人が多いだろうし...。 鯉:フミヤって、九州のコミュニティFMの社長でしたっけ? 熊:副社長だったかも。でも、ラジオのパワープレーからヒットしている曲は結構多いんですよ。 鯉:そう。FMはそれなりに元気。ローカル局も、それなりに聴取者を引きつけているような感じがします。 熊:で、鯉ちゃんが苛立ちを感じているのは何? 鯉:若い子向けの番組はあるからいいのです。高齢者向けの番組もそれはそれで存在しているからいいのです。 熊:つまり? 鯉:30〜40代が楽しめる番組が少ない。で、我慢できなくてテレビを見るのです。 熊:本当に、そういう番組ってないの? 鯉:ありますけど、鉱山から原石を取り出すほど難しいです。 熊:この季節だとナイター中継か。裏番組は? 鯉:あの、某局はリスナーに媚びているトーンがあって、あまり積極的に聞きたくないのです。 熊:それは、ニュースに「局アナの研修」を取り上げるテレビと似たような感じなんだな。 鯉:ともかく、媚びはいらんのです。ステーションイメージをきちんと持ってもらいたい。 熊:それは、コミュニティーFMにも言えることです。でも、ミニFMって、新聞の番組欄に載せてもらえないのね。 鯉:そこを逆手にとって番組を作っているんじゃありませんか。 熊:まぁ、いろいろ書きましたが、期待していることの裏返しです。 鯉:レイティングじゃないときの番組が聞きやすいんですけどねぇ。 熊:↑これも、期待の裏返しです。 Up |
月曜日に盛岡・石割桜が咲いて、同じ日に職場(=岩手県南部の城郭)のソメイヨシノがほころび始めます。ついこの間開花したばかりだと思いきや、昨日のうちに両者とも満開になってしまいました。 「秋田と宮古では開花から3日で満開になりました」(火曜日のNHKニュース) いや。盛岡は2日で満開になってしまいそうな勢いです。聞けば、仙台の桜は1週間持ったか持たないかなそうですから、こちらの桜もどうなるか怪しいものです。その潔さが桜らしいといわれればそうなのですが。 職場の窓から見える桜があまりにも見事なもので、 「○○の時間に花見をした」 という話がまことしやかに語られてます。一昨日、そういう話が私のところにもあったのですが「もう1週間待とう」といったのを後悔してます。もう、ぽかぽかした感じで、あまりにもうららかで、かの国の戦火やさる国の乱射事件など想像も及ばないのです。 「職場の第一印象は?」 という取材が回ってきたとき「霧の中」を訂正して「立派な庭園」としたのです。後者に直して大正解でした。あちこちの窓から見える桜並木(松や梅などもあります)が見事に咲き誇っている姿は圧巻です。そこから田園が一面に広がり、新幹線が高架を通っていく。海が見える風景とはまた違った志が生まれてくる、そんな感じです。 Up |
昨日は高校総体の地区予選。ほとんどの競技はきょう(場合によっては明日)も予選が続きます。6年ぶりに運動部を担当することになった私は、某校の道場に向かいます。 道場内での出来事は私を驚かせるに充分でした。弓道のしきたり(開始と終了に神棚に向かって一斉に柏手を打つこと。壮観を通り越して、呆気に取られます)を、私がいきなり担うことにです。「進行係」とあるのは何事かと思ったら、 ・選手入場時に「起立・始め」を宣告する。 ・競技終了時に「以上を持ちまして第3回戦を終了します。引き続き、順位決定戦を行います」と通告する。 文言は簡単なのですが、宣告のタイミング(=悪くて、頭ごなしに他の先生に宣告をされました;_;)、立ち位置、声の大きさなどなど、すべていきなりです。隣の顧問に「どのタイミングで宣告するのか?」尋ねても、「わからない」と言われる始末。うーん。 そういうプレッシャーもあったのですが、もう一つ。道場の隣で吹奏楽の「インターハイ合同練習会」があって、競技中ずっと合奏を聞かせられます。教職12年のうち10年を吹奏楽顧問している私にとって、これは拷問以外の何物でもありません。目は的に向けられても、 「この曲のチューバが走る(--;)」 「この曲は時代にそぐわない(>_<)」 「この曲は棒振りさせてくれ(@_@)」 −−競技そっちのけになります。で、川向こうの学校が集まっての練習だったようですが、川こちらの学校に呼び出しがかかってない。この近辺じゃない吹奏楽顧問が呼ばれている。なぜ、なぜ?? 道場に話を戻して、肝心の生徒はこれまたプレッシャーにつぶされてました。ちゃらちゃら練習している面々が的に当て、筋のいい生徒が的に当てられない。1つ当てると、安心して3つ続けて当てる。それを見て「他流試合を申し込まなきゃいけないのかなぁ」と素人は考えてました。 「インターハイで忙しいと言っても、就職/進学の選考時期は決まってます。備えをしていた人のみが、先に進めます。」 確か、そんな講評でした。終わった後、ミーティングを開くかと思いきや、うちの生徒は三々五々移動になります。そういう形ができてない部分が他校との差なのでしょうか。 注)1ヶ月後の本選で、それなりに練習した面々と、そうでない面々と、はっきりとした差になって表れました。「ちょっとはいい薬じゃないの」とは、第一顧問。 Up |
たまたま1時間遅れで出勤してもよくなって、じゃ停車するから「やまびこ」じゃなく・こまちに乗ろう。と、いつも向かう前寄りの車両じゃなくて後ろ寄りの車両に向かいます。200系(=緑色)の車両はいつも乗っているので、気分を変えたかったというのもあります。実際、いつもの200系が先に入線していて座れる状態だったのですが、無視して後ろに向かいます。あれ、売店が後方にはない。で、新聞を買いに戻ります。 発車15分前に、16号車(=自由席・禁煙)に並ぶ人はいなかったのですが、10分ほどで7,8人並びます。15号車(=自由席・喫煙)も数人の列ができるのですが、なぜか16号車の列が長く伸びます。学生よりもサラリーマンの姿が多うございました。定時より早めにホームに入ってきたこまちは、ゆっくりと連結作業を行い、それから客の乗降がありましたが、結論は全員着席できました。これならもう10分家を遅く出ても大丈夫です(=冬、寒いホームで待つのは適いませんから)。 盛岡駅を出ます。いつもは1・2(まれに6)号車から見ていた車窓を16号車から見ると、「ここも盛岡駅だったのか」という発見をします。さらに、窓枠の位置が在来線仕様なので低くなっていて、上向きの視線を取らなくてもよく、楽です。ごつい感じの200系とは違っていて、走行音も揺れも柔らかで、あっという間の通勤時間でした。いや、毎日そんな感じの通勤になればよいのでしょうが、なかなか現実は難しくて...。 Up |
Yomiuri On-Lineに東大総長の入学式式辞・全文があります(もちろん東京大学のページからも入手できます)。この式辞が賛否両論だと聞いて、つい、全文を読んでみました。つい、といっても全5章。読売のページからプリントアウトした紙がA410枚。私がざっと読んでも10分を要した代物です。 よく準備され練られている文章だ、というのが私の印象です。それを「難解」で「抽象的な文章」であり、「エリートエリートしている」と片づけてしまうには、もったいないくらい示唆に富む場面が多くあります。第2章から。 >しかし、本来、儀式の場に流通する言葉には、気心の知れた仲間同士 >の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学が働いており、それが有効 >に機能した場合、そこには、共感とは異質のある種の齟齬感が、同調か >らくる納得ではにわかに処理しかねる違和感が、あるいは、親密さでは >なく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たりの意識が、意味の生 >成に深くかかわるものとして浮上してまいります。 言語学の授業を聞いているようです。事実、彼は >教室であなたがたと親しく接する機会を奪われた(5章、最後の部分) と言ってますから、ここで式辞を読む(=授業する)ことが >かろうじて許された贅沢(同上) なのでしょう。 このテキスト。高校なり予備校で「講読」として読むに耐えられる充分な内容です。というよりかつて、大学入試の現代文を解くには、この程度の内容は読みとれないといけなかったのでした。もう少し読みます。 >実際、具体的な国際性とは、野蛮と呼ぶほかはない不幸な推移を示して >いる現在のコソボ情勢がそうであるように、無数の差異がまがまがしく顕 >在化される過酷な空間にほかなりません。(2章) といって、「国際的な相互理解」という美辞麗句にだまされるな、と具体例を出して説明しています。他にも3章では、「諸君」「皆さん」「あなたがた」という2人称についての変遷について。 >初代総長が口にしたほどのあからさまな国家的な期待を、「諸君」と呼び >かけられても不思議ではない >あなたがたに投げかけようとはしていないわたくしの式辞を、あなたがた >はどのように聞き届けられるのでしょうか。 と、新入生の意識を問います。もっとも、このあたりになると−−早く式辞を終わってくれよな、という呟きが聞こえてきそうでもあります。こちらは続けます。4章。 >例えば、文化省が独立した官庁として存在していないがゆえに、芸術家 >たちの個人的な華々しい活躍にもかかわらず、国家としての日本の文化 >的プレゼンスが世界でも相対的に低く、それが外国と比べてただでさえ少 >ない国家公務員の中でも、文化を専門とする公務員の数の極端な少なさ >に正確に対応しているという深刻な事態は、責任ある人たちによって議論 >されたためしがありません。 そこから、「モダン」「ポストモダン」まで言及されるのであります。 他にも紹介したい論が何カ所かありますが、紙幅の都合で省きます。 こういう話を聞くことが許された東大新入生は、私からすると幸せ以外の何ものでもありません(←文体が、やや式辞調になってきてます)。この式辞(論文)は、抽象的・退屈という代物ではなく、具体的・機知なものであり、1999年を語るには格好のテキストだと思います。ぜひ、お試しください。 Up |
なぜ高校生に携帯電話が必要なのか。そのことを議論する間もなく、現実はかなり(=勤務校では7割が携帯orPHSを持っているそうです)の数で保有されてます。昨日の夕方、盛岡駅前の道路を強引に横断した男子高校生2人組が手にしていたのも携帯電話でした。そういう制服の一帯が、コンビニ周辺にたむろしています。驚きを通り越して、寒気すらします。こちらが 「携帯電話は不要。学校で使うな」 という指導をしても、テキはその上を行っているのですから、まだまだこちらはアタマがカタいのでしょう。 さて、昨日は青森行きの飛行機から振替輸送された人々が新花巻で一斉に乗ってきました。2列シートを4人用の座席配列にして1人でボックスを独占していた若い男がいたのですが、そのまま眠り通します。車両(=1号車)に20人ぐらい乗ってきたにもかかわらずです。男は悪びれた様子もなく、盛岡で何事もなかったかのように降ります。自由席は何をしても自由席という考えなんでしょうなぁ。 その後乗った、宮古行きのバス。後方に座った男が2度携帯を使います。1回目はバス発車前。外に出てかけてくれよな。2回目は走行中。さりげなく車内アナウンスが変わっていて、以前あった「携帯電話の使用はご遠慮ください」というのがなくなってます。って、バスの中で携帯を使わないのはマナーでしょ。 携帯電話の便利さが強調されるあまり、マナーは後回しになってきました。酒・たばこは「おとなのもの」としても、何らかの形で高校生は「指導」されるのです。携帯については「指導」があったかどうか。公共交通機関についてはどうか。なければ、大人が範を示さなければいけないのに、示せないのが実状です。彼らのマナーを言う前に、われわれが襟を正さなければいけないことが多そうです。(念のため言っておくと、筆者は携帯電話を持ち合わせてません。当分の間、購入の予定もありません。) 注)1年後、携帯を買う決断をするのですが、それについてはこちらを。 Up |
5年間、妻は月1以上の割合で宅配便を送ってました。何回か例外はあったものの、ここ3年間は業界トップクラスのある社にお願いしていたようです。何でもその業者、電話1本で段ボール1つの荷物でも取りに来てくれる存在だったそうです。さらにトイレットペーパーを買ったり、引っ越しを頼んだり、サービスをしてもらったり、それは蜜月関係でございました。 さて、担当営業所が変わりました。妻は同じように「段ボール1つを取りに来てくれ」と電話したところ、こう言われます。 ★何時に来るか、約束できない ★近くに取次所があるから、そこに言えば引き取ってもらえる。 このこと自体は(営業所が大きくなったから、小回りが利かないのか)と納得できたそうです。実際、取次所の人が取りに来ましたから、問題なし。 「でも、高飛車な言い方が、許せないのよね」。 と。こちらから早さがウリの某社を挙げたところ、翌日には早速出入り業者が変わってました。 ☆何時に来るか約束はできないが、とりあえず行く と、まず宛名ラベルを届け ☆引き取りの時間を事細かにドライバーと当方が打ち合わせる。 その姿勢を妻がいたく気に入り、次の瞬間には動物印の大量の伝票が、人が運ぶ印にとって変わったのです。 「しかも、値段が半額以下なの」。 これは、料金体系の違いだと思いますが。というわけで、うちでは業者を変えました。店で買った荷物を送るとき、どうするかという問題が残ってはいますが。 Up |
15年間(実質10年ちょっと)使い続けてきたヘッドホンステレオが、このたび作動しなくなりました。通勤方法が車から鉄道に変わったことで、ヘッドホンステレオを使う毎日でした。ここ1週間ほど、早送り・巻戻し機能がおかしくなってきたので、妙だとは思ってました。しかし、再生には問題なかったのでそのまま使い続けます。ところが......。 月曜日。再生ボタンを押すと、電源モニターのランプは付くのですが、動かない。オートリバースをかけてもだめ。もちろん早送りも巻き戻しもだめです。ラジオは聴けるのですけれども、消してもモニターが付きっぱなし。電池を抜く以外に方法が残されてませんでした。 妻に報告します。「15年も使ったら、だめだわ」と、更新の許可が出ます。そういえば、前回の短波ラジカセも何だかんだと15年使ったのでした(これも、テープの録音・再生が先に使えなくなります)。修理して長持ちさせようにも部品が残ってないので、捨てざるを得ません。そんなに、むちゃくちゃ使ったわけじゃないのですが。ともあれ、機種の選定に入ります。15年前と違って、1万円あれば買えるんです。ただ、私がほしいのは多機能タイプなので、それがいくらで売っていますか。加えて、長持ちしますかどうか。これを更新すると、次は16年もののテレビが待ってます。 (注)というわけで、29日にダイエーで2,980円のラジオ付きヘッドホンステレオをゲットします。長持ち、という点が不安ですが。 Up |
4月最後の日。ホームページの更新を飛ばし、出勤前、時間に余裕があったのが妙に引っかかってました。そうであれば、さっさと出勤し、一列車早く乗ればよかったものを、なぜか胸騒ぎがして、結局いつもと同じ時間(6:35)に家を出ます。 6:55。新幹線改札を入ると、次の列車が「6:35発やまびこ32号」、その次が「7:06発やまびこ34号」とあります。あれ?やまびこ60号仙台行きはどうしたか、と思いつつホームに上がると、列車が止まってません。ホームでは何か放送があったようですが。よくよく放送を聞くと 「盛岡の車両基地で停電が起こり、復旧に1時間ほどかかる見込み」。 で、ホームの表示から「やまびこ32号」「やまびこ34号」が消え、「やまびこ・こまち2号(7:30発)」「やまびこ・こまち4号(8:11発)」となります。2号はいつも利用する駅に止まらないのです。困って、とりあえず待合室に降り、在来線の時間を確認します。すれ違った同僚が 「在来線は動いているから、そっちの方が早く着く」 と駅員から聞いたそうです。しかし、在来線の駅から移動するのと、4号を利用するのを比べた場合、待ってても4号に乗った方が早かろうと判断し、もう一度ホームに戻ります。改札口に目をやると、いつも乗っている新幹線通勤の仲間が駅員に判断を求めていたのでした(結局、通勤客の半分は結局在来線に流れます)。 ほどなく「こまちが仙台までの各駅に停車するらしい」という業務連絡が伝わり、迷わず16号車乗車口に並びます。で、ホームの表示は「こまち2号」「やまびこ・こまち4号」と変わります。正式な放送(7:30発の「こまち<6両>」は本日単独で東京に向かい、仙台までの各駅に停車するという主旨)があったのはその後で、自由席の15・16号車の列が長くなります。幸い、こまちは1番電車でしたから、盛岡に着いたときはそれほど混んでなかったのです。しかし、北上・水沢江刺と進むに連れて、列車に乗る人数が多くなり、デッキに立っていたカップルが唖然とします。 影響を受けた乗客の数、およそ1,500人。早朝だったからその程度で済んだのです。JRの対応が柔軟だったのと、乗客ものんびりしていたので、大騒ぎにはなりませんでした。でも、同僚はカッカしていたようで「あたし、JRを信用できなくなったわ」と憤慨していました。まだ、4連休(5連休)に入る前だったからよかった。これが連休中だったら、各方面を怒らせたでしょう。まっ、1か月も通勤を重ねると、いろいろとあるのです。 Up |