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APRIL/1
もう、笑うしかない
徒たちが海外研修(イギリス)から戻ってくるというので、早起きして宮古駅まで迎えに行きました。家を出たのが4時45分。空がすっかり明るくなっていて、ヘール−ボップ彗星が見えなくなってます。ただ半月がぽっかりと浮かんでいるだけでした。この時期の宮古はいい天気なんですけど、朝は冷えます。防寒装備をして行ったのですが、それでも底冷えして、つい自動販売機のお茶に手を出してしまいます。
寒さに耐えられず、バスの待合室に入ると卒業生が母親と一緒にいました。今日が短大の入寮日なそう。何人かの卒業生の動向を聞きながら、逆に取材されたりして、20分ばかりあっという間に過ぎていきます。彼女を見送って、いつ着くかわからない成田からのバスを待ちます。
その間、駅前の交差点と待合室を何度も往復しますが、バスは来ません。夜明けとともに交通量がどんどん多くなります。盛岡行きのバスが2本出たところで、今度は入社式に向かう別の卒業生と会います。足元がスニーカーなのに驚きましたが、彼はしっかり革靴も持参してました。
そのうちに学年長も来て、生徒たちの到着を待ちます。東京からの夜行バスも順調に着き、3本目のバスも盛岡に向かい、どうして海外研修の生徒たちが来ないんでしょう。飛行機が時間通りに着かないから?そういえば校長もいません。7時まで待ってバスが来なければ、電話をしようということになり、該当の先生宅を電話帳で探すと載ってない。じゃ、困った時のS先生ということで電話すると、眠そうな声で応対します。それをやりとりを聞いて、唖然としてしまいました。
−−予定が変わって、未明の1時ごろ一行は着きました。だから、誰もいないですよ。
こういう展開は(よく考えれば予想できたのですが)、意外でした。本来だったら連絡が来なかったことに対して怒るところなんでしょうが、ご同輩がいたことで、いつしか2人は力なく笑ってました。だってもう、笑うしかないじゃありませんか。えぇ、きょうは4月1日ですもの。(山田壮一)
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APRIL/2
こどもの情緒不安
月1日から新しい組織で新しい歩みが始まった−−というのを横目で見ながら、われわれ家族は子どもとの新生活にあたふたしているところです。31日、1歳11ヵ月の息子をあいさつ方々職場に連れていったら想像以上のぐずりようで、全然仕事にならず退散。昨日は家であやしていたものの、まだまだ情緒不安定です。今日はこれから仕事しに行きますけど、残される妻が大変でしょう。
どう不安定だったか。妻は11月から病院でしたから、義理の母に育てられていたので、すっかりばあちゃん子になってしまいました。なにかあると「ちゃーちゃん(=ばあちゃんということらしい)、ちゃーちゃん」といい、どたどたと母のところに行きます。家事をやっている時も、散歩の時も相当時間一緒にいましたから、日曜日の離別では延々泣いてました。母も泣いていたようでしたが。その後も「ちゃーちゃん、ちゃーちゃん」の連呼は続き、われわれを嘆かせています。
どたどたと家を駆けずり回る息子、すやすや眠る娘。一昨日の「ニュースステーション」を見ながら妻が言います。「でも、この子たちは平和なところに生まれてきた」と。ちょっとだけ考えました。子どもは周囲の愛情をまともに受けてさえぐれる。まして事情で受けられなかった子は......。子育てがぼつぼつ見にしみてくる昨今です。(山田壮一)
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APRIL/3

仙台高裁判決から6年

日の「愛媛玉ぐし料訴訟」の判決を法廷で聞きたかったであろう方が何人かいらっしゃいます。1人は被告の白石春樹・前愛媛県知事。彼は30日に亡くなられました。もう1人は「岩手靖国訴訟」の原告であった井上二郎(日本キリスト改革派教会)牧師です。「岩手」での訴訟で違憲を勝ち取ってから6年と聞かされて、もうそれだけの年月が経ったのかと思う一方、仙台高裁に通ったのがつい先日のことのように思い出されます。
井上牧師とは2月に電話で話す機会があり、被告側を「事前漏洩」と嘆かせた共同・朝日のスクープ「最高裁違憲判決へ」についてもやりとりをしました。その時最高裁判決はいつごろになるか聞いたのですが
「今まで大法廷が水曜日毎に開かれてきたから、たぶん今度も水曜日でしょう。そうなると祈祷会があるから行けないんですよね。」
ということで、昨日も水曜日。テレビ岩手のインタビューは電話で行われてました。
さて、昨日の判決要旨を新聞で見直しているのですが、
>「目的が宗教的意義を持ち、効果が宗教に対する援助、促進または圧迫、干渉になるような行為」だけが、憲法が禁止する「宗教的活動」にあたる(朝日新聞)
という「目的効果基準」を使っての判決です。20年前の「津地鎮祭訴訟」と同じ基準を使って、結果は違憲。ですから、今度の判決は多数意見よりも少数意見を精読すると、この問題の複雑さが浮き彫りになってきます。「目的効果基準があいまいだ」という意見が違憲側にも合憲側にもあります。
テレビ岩手では「岩手靖国訴訟」の弁護団と原告にインタビューをし、判決の意義を聞いてました。最高裁の判決を引き出したのは、実は「岩手」のメンバーが緻密な組み立てで論戦を行い、仙台高裁で「違憲」と言わせたのが原因でした。あれから5年。最高裁が久々に仕事をした−−そう、ニュースが伝えてました。(山田壮一)
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APRIL/4

「5きげんテレビ」vs「夕刊テレビ」
海道がルーツとされる地元テレビ局制作の夕方ワイド番組。東北では宮城で民放3局がし烈な争いをしています。青森・秋田・福島などで同様の番組が現れ、3月からは岩手にも飛び火してきました。先鞭を切ったのはテレビ岩手(日本テレビ系)「5きげんテレビ」(平日午後4時55分〜7時)。今週から参入したのがIBC岩手放送(TBS系)「幸見の夕刊テレビ」(平日午後4時54分〜6時)。岩手にはもう2局民放があり、NHKもあるのですが、それらの局はこの争いから距離を置いています。
番組の構成は似ていて、ニュース・天気予報・街頭からの中継・今晩のおかず・FAXテーマがごった煮になってます。「5きげんテレビ」を仕切っているのは30ぐらいの平井雅幸アナ。彼はスポーツ実況を中心にやってきました。アシスタントに1年生アナを付けてます。「夕刊テレビ」のメーンは30代半ばの菊池幸見アナ、脇は30ぐらいの女性アナが3日、フリーの戸田信子(菊池と採用が同期らしい元IBCアナ)が2日となってます。で、1週間番組を見たのですが......。
5きげんテレビが1ヵ月先行しているだけのことはあります。ニュース・天気に加えて交通情報を入れ、地域ニュースの後に「今日のリクエスト曲」を入れるところはツボを心得ている感じがします。これは「ズームイン!朝!!」でのノウハウが生きているのでしょう。平井のキャスターぶりは慣れてない分だけ新鮮に映り、今後テレビ岩手の顔と化ける可能性大です。さらに水曜日、ミヤギテレビの「OH!バンデス」と相互乗り入れすることで、視聴層が広がっているのは大きなメリットです。
夕刊テレビ。画面に時計表示があり、岩手日報デスクから中継があったりとIBCらしい律義さが伝わってくるのですが、ラジオ・テレビで培われたノウハウがまだ出てないように思います。例えばラジオ肌の菊池がテレビに馴染んでないこと。報道局の人が出てニュース解説をしても、夕方の忙しさをわきまえない、じっくりした解説になってしまうこと。つまり「報道」と「情報」を区別するのかどうかという点で、ジレンマが出たままになっています。幸見が一番らしさを出しているのが、番組の終了部分だったりして。ところが、メーンよりもサブが生き生きしているのに木曜日気づきます。そう、戸田が古巣に帰ってワイドを担当することで、番組がまるで変わってくるのです。
「5きげんテレビ」のスマートさと「夕刊テレビ」の泥臭さ。今後どう進化して視聴者をつかむかが番組存続の鍵でしょう。
昨日、他局の地元ニュースを見ました。ワイド番組がある局と明らかに差がついてます。(山田壮一)
注)1年半後、視聴率8%台の「夕刊テレビ」が終了し、残ったのは「5きげん」だけになります。夕方のニュースゾーン民放首位を奪還したのはテレビ岩手となりました。ある意味では当然のことです。
注2)2000年4月現在の5時台。岩手ではテレビ岩手とNHKが「情報番組」をするようになります。他局がニュースゾーンに力を注ぐようになったのに対して、NHKはどうも…。
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APRIL/5

同居後1週間
の子(3ヵ月)が風邪を引いていて、夕べから痰が絡み彼女、寝付くのが遅れてしまいました。未明に泣き声で起こされてあやし、それからもなお泣き続けてました。現在(6時過ぎ)は落ち着いてますが、ホームページの更新も再起動に乗ったかという見極めは、どうも厳しいようです。
上の子(もうじき2歳)の甘ったれぶりにも拍車がかかり、1日2回は車に乗せろといい、要求がかなわないと牛乳をこぼし、薬を自分で顔中に塗り、鼻をいじるという退行を取ります。そのくせ下の子が気になり、彼なりにあやそうとしているのがいじらしい。
そんなこんなで毎日の生活がどう変わるか1週間試したのですが、子ども中心にシフトしたのは間違いありません。テレビ番組(そろそろ減らさなきゃ、と思います)にしても風呂の入れ方、お金の使い方にしても、です。家族不在の時に購入したコンサートのチケットが見つかっただけで妻の「教育的指導」が入ります。おかげで消費税率が5%になってからお金を使ったのは、ガソリンスタンドでタイヤ交換をした時だけです。景気が回復しない原因はここにも存在します。
インターネットとパソコン通信で2度おいしい(とされる)朝日ネット。こんな現状ではどっちか片方に関わるのが精いっぱいです。IDを持っている妻は余裕がないということで退会の検討に入ってます。ネットワークを作ることは道楽プラスアルファがあると私は思ってます。しかし現実は微妙です。とりあえず明日はBBSを徘徊してきます。(山田壮一)
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APRIL/7

34歳
日、34歳の誕生日を迎えました。インターネットのおかげで「花束プレゼント」に当たったり(現物はまだですけど)、桜の花の画像が入っているメールをもらったりしてありがたい限りです(すみません、お礼もしてないで)。この年になって、子どもが2人風邪を引いたりしますと、家族でとりたてて「誕生日おめでとう」ということもないのですけれど、逆にそれが「34歳」を感じさせ、さびしくもあります。
私が子どものころ、30歳から上は想像できない世界であり、ずいぶん先のこと。まして30から年を取るなんて未知のことだったのですが、実際体験してみると30から34なんてあっという間です。それは子どもが立て続けに生まれ、自分のことそっちのけでやったからなんでしょう。でも34歳と聞いて「そんな身分にふさわしいのだろうか」とふと思ってしまいます。それとは関わりなく生徒はジェネレーションギャップを突いてきます。困ったことに、そっちが「34」を体感する大きな原因になりそうです。(山田壮一)
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APRIL/8

学校が動き出す
んだかんだといっても、学校は生徒が来なければ始まらないところです。職場では昨日が始業式、今日が入学式で、新年度が本格的にスタートしました。生徒たちは校長の話まではおとなしくしていたものの、「分掌紹介」で歓声と悲鳴が交じるのは、女子の多い高校ならではです。赴任当初は相当戸惑いましたが、5年目ともなると慣れっこになり、「新しい気持ちでがんばりましょう」というあいさつが遠くに行ってしまいます。
一番盛り上がったのは担任紹介・部活動顧問紹介でなく、副担任紹介でした。2年生の発表の時もどよめきましたが、3年生の某クラスの副担任が変わると大歓声が起こり、別のクラスの副担任が知らされると悲鳴が起こり−−いや、そのクラスは私が副担任なんですけど。ただ半分自惚れでいうと、こういう悲鳴は喜んでもらっている裏返しなので、「喜んでもらって、どうも」とホームルームあいさつをしてきました。
そんなわけで、今年も同じ学年・同じ部署に残留したもののスタッフが入れ替わり、そのための微調整をしているところです。前任者から受け継いだ仕事が多く、消化もそこそこに1日が過ぎてしまいます。これで授業が加わったら(週17コマ)どうなるのだと一抹の不安を覚えつつ、1週間が7日でよかったと、先人の知恵に感謝であります。(山田壮一)
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APRIL/9

子どもがダウン。そして...
の子(まもなく4ヵ月)は病院通いの成果で風邪も下火になってきました。それと入れ替わりに上の子(まもなく2歳)が熱でうなされ、彼は悶々とした夜を過ごしました。こういうときに彼が必要とするのは父親ではなく母親です。熱さましを飲むのも父親でなく母親から。もちろん、添い寝も母親とです。
兆候は数日前から現れていました。便が出ないこと、顔色がよくなかったこと。咳込んでいた下の子と比べると一目瞭然でした。昼寝をしなかったこと。外に連れ出してしまったこと。そうしないと、彼のストレスがたまってしまうので、やむを得ない選択ではありましたが。夕べは8時ごろ、いきなり睡魔が彼を襲いました。たたき起こして体を洗い、寝せます。そこから彼は何度もうなされ、一晩風邪とたたかうこととなりました。今(朝6時)は眠ってますから、彼が勝利する日もやがておとずれることでしょう。
それと比べて次元はぐっと下がるのですが、ファイルの削除でまたまたWindows95のインストールという事態になりました。すわ、ハードディスクの再フォーマットかと覚悟を決めたのですが、今回はバックアップフロッピーでなんとかなりました。原因判明から2時間半、子どもの寝つきを横目で見ながら、フロッピー30数枚の出し入れをしたのが夕べでした。原因はハードディスクの容量確保のために「重複するファイル」を削除してしまったこと。同じ失敗をいままで何度やったことでしょう。
つまり、物事は肝要な部分を押さえておかないとよろしくない。パニックに陥った時こそ冷静な判断が求められるということです。よく考えればわかることなんですが、これが案外むずかしいのです。(山田壮一)
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APRIL/10
ストレス、ストレス

日は、前任者が残した仕事の処理にかなり取られてしまいました。本来なら「対面式」「部紹介」に顔を出さなければいけなかったのですが、ほとんど出られません。5分だけ見た「対面式」。新入生が在校生の前で1人1人自己紹介をする場面では受け狙いの発言が続出し、例年より時間がかかったようです。その後の部紹介は、なぜかファッションショーに変質し、ウケたそう。そんなさなか、こっちは模擬試験の日程を調整し、申し込みまでの段取りを立てていたのでありました。
学校週5日制で行事そのものが減り、中には行事を喜ばない生徒も出てきています。それでも行事は日常のストレスを軽減する役割があります。ふだんの生活では見せない素の姿を垣間見ることができます。われわれもまた同様。出張することで新しい空気を吸うことができます。
ところで、上の子は風邪がひどく昨日のドライブを取りやめてしまいました。愛情の半分、妹に取られてしまった彼も外に出ることで新鮮さを取り戻すことができるのです。かなわなかった昨日は、ずっと母親のところにいましたが、それもストレスの表れなんでしょう。
きょうは身体測定。ストレス、昨日の分まで減らさなくっちゃ。(山田壮一)
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APRIL/11
どれが我々の生きる道?

擬試験の段取りを一通り組み、生徒を集め、業者に申し込みを済ませ、試験当日の時間割を組む段階でクレームが付きました。「5教科5科目を受験させるのは、本校の実情に即さないのではないか」という点です。「本校」は国公立大学入学ゼロ、ほとんど推薦入試で大学合格を決めてしまう専門高校(=実業高校のことを今はこういいます)。カリキュラムなどを考えれば受験させること自体無謀だといえましょう。ただ、しばらく聞いていなかった次のフレーズが引っかかってやまないのです。「どうせ受けさせたってダメなんですから」。それって、何か変。「ダメ」と引導を渡すのもわれわれの仕事ならば、「馬には乗ってみよ」というのもわれわれの仕事だと思うのです。
上司は常日頃いいます。「これからは専門高校からも大学に行けるようにならなきゃだめだ」と。そのために専門教科(この場合は商業)の担当者を減らし、普通教科(いわゆる受験教科)担当者を増やしている学校も多くなってきてます。この流れで行くと、専門高校が総合単位制高校(大学のように単位を自分で選択できる高校)にシフトすることは目に見えてます。そこまではしょうがないとして、岩手県教育委員会に注文を2つ。
1)社会科(地理歴史・公民)受験者を「商業」「国語」で。理科受験者を「数学」で採用するのはおかしい。こんなことをやっているのは岩手ぐらいでしょう。
2)「英語実務」を商業科で担当させる、と言っておきながら、スタッフの養成を怠り英語実務の性格付けもあいまいなまま、最後は英語科に任せることもおかしい。これは「国際経済科」を設置しておきながら、「定員に満たない」「他の学科でも充当できる」という姿勢にもつながります。
ですから、なんだかんだいっても専門高校は普通高校の下に位置づけられてはしないか、という疑問を拭い去れないのです。カリキュラムで「普遍性」と「専門性」をどう両立させるかという難題があるのですが、このままでは「近ごろ私たちはいい感じ」どころではなく、気がつくと「それでは、さようなら」になってしまいます。
そういえばテレビで「アジアの純真」作詞・井上陽水をほめちぎった黛敏郎が亡くなりました。時代のスピードは恐ろしく先へ行ってます。(山田壮一)
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APRIL/12

面倒な手続き
らく都市銀行と取り引きをつづけていたが、家計引き締めのため、近い将来解約する運びとなった。そのため給与振込・公共料金の引き落とし・カードの決済などを別の金融機関に移しているところである。この手続き、どうも2、3ヶ月かかるのがふつうらしく、新しい口座から引き落とされるまで双方にお金を用意しておかなければいけないようである。今回の事例をいくつか記す。
(その1)クレジットカード会社の奨めに応じて、カードのランクを上げた。パンフレットに「提携カードの場合にはカード番号が変わることがあります」という文があり、今回それが適用されたらしい。その手続きは覚悟していたのだが、貸し出し限度額を見て唖然とする。旧カードよりも新カードの方が融資限度額が下がっている。火に油となったのが提携カードの提携を打ち切ってクレジットだけ残す手があったこと。だったら、カード番号が変わらなくて済んだかも知れない。うぅ。
(その2)給与振込の変更を頼んだら、第2口座(勤務先では2ヶ所にまで給与振込が可能)の指定先にクレーム。「この口座は別方面からお金が入ってくるので、給与を入れるのはまずい」。確かになぁ、昔組合某銀行だけが潤うとクレームをつけたような気はしたが、まだそんな一文が残ってたのね。
(その3)別のクレジットカード会社からの変更届を見ると、新しい口座のある金融機関と提携してないようである。これも解約しなければいけないのか。
本当はこんな変更、面倒でしたくないのだけれども、支店まで90キロ、2時間かかるのだからしょうがない。経費削減には当然痛みが伴うのだけれども、それにしても「行政改革」はどうなってるのだ。(山田壮一)
注)1年半後、担当者が代わったところ、(その2)第2口座へのクレームがなく、あっさりと通ります。何なんだか。
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APRIL/14

......が風邪ひいた
族全員が風邪をひいたのは先週のこと。それでも先週は緊張モードで仕事をしていたので休まなかったのでありましたが、今回の敗因は薄着で過ごしたことでした。午後から喉に痛みを感じ、とりあえずのど飴でごまかします。その後赤ワインを飲んだのがもっといけません。体内にアルコールを入れるとほてったようになるのは実は錯覚で、本当は体温を下げるのだそうです。そこから悪寒が走り、いっぺんに悪化してしまいました。のどの回りにタオルを巻いて解熱に努め、着替えもしたのですが、とうとう頭痛が治らず、起きられなかったのでした。
朝、ずっと寝ていたのですが、起きたはずの上の子が「ねんね」を連発。彼は朝からずっと寝ています。彼については極力薬を使わず、自力で治させる方針で臨んでいたのですが、そこは2歳の子。親の姿を見てねんねしたくなったのでしょう。
幸か不幸か、明日もお休み。せいぜい養生します。(山田壮一)
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APRIL/15

続・カードの手続き
月12日「面倒な手続き」(カードの改廃に時間がかかるっていうあれです)に対して、メールが来ました。「フォローに参りました」ということなので、紹介します。あっ、もちろん匿名にしますが、内実そのものを出すのはまずいってことでしたら、またメール入れてください。その時はバックナンバーで消去します(いいのか、事後承諾で?)。それではメールから引用します。
>なぜ手続きにやったらと時間がかかるのかというあたりなのですが、それは一枚の紙をみんなでまわしっこするのに時間が
>かかるからなのです。(なーんかものすごく大まかな説明ですが。) まず変更届けをカード会社に送る。これは普通カード会社
>の作った葉書なり封書なり(電話で申し込んでも口座変更は印鑑がいるのでおなじことです。)で送るのではないかと思いま
>すが。まず、これが届くのが遅い。驚異的に遅い。料金受取人払いが大量に出る会社は郵便局が料金計算しなきゃならな
>いから遅いのではとにらんでますが。私の最高記録では市内在住の友人が投函してから4日、かかったことがあります。ほ
>とんど気分はエアメールです。で4日かかってつきます。同じ用件のものをまとめて担当にまわします。しかし量は膨大です
>のでもちろんすぐに見てもらえるわけではありません。ここで登録まで3,4日。そして何日間かに一度それをまとめて銀行に
>回す日があります。まぁ通常ここまでで2-3週間はたってます。それでもってまた銀行でも同じ道筋をたどるんですがここで
>印鑑相違などがあったら悲惨。それは郵便で送り返されてくることになります。それをさらにお客さんに連絡とって正しいもの
>を出してもらうのですから1ヶ月は遅れますね。しかも銀行側にも「今月の口座振替に間に合う」ものの締日がかなり早くに
>あったりするから。やっぱり安全なほうをとると「2ヶ月」という数字がでるんですねぇ。最先端のようでいてひじょーにアナログ
>なんです。(原則としてメールのまま)
まぁ、ころころとカードを改廃されたら会社も困るでしょうから、そんなもんでしょうが、でも、ねぇ。なにより、義理と人情で作らされるカードが日本では多い。銀行から借金するために作らされたカードあり、協同組合で持たされているカードあり、ガソリンを入れる時に使わされるカードあり......で数枚持たされるわけです。問題は、カードが現金払いより信用されていないこと。「カード」のステッカーを貼っているにもかかわらず、「現金は持ってませんか」という店が、決して少なくないのです。
去年、1年生の「流通経済」でクレジットカードの申し込みを実習しました。授業の後、42人のうち41人は「クレジットカードは作りたくない」と言います。最大の理由は「手続きが面倒くさい」点にありました。宮古で使える店も少ないのも確かなのです。(山田壮一)
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APRIL/16

巨大SCが来る
週のIBC(岩手放送)ニュースエコーは「SC(ショッピングセンター)がもたらした影響」についての特集を組んでます。一昨日が岩手・北上の実例、昨日が宮城・古川郊外と青森(たぶん三沢郊外でしょう)のSCを取り上げ、レポートしてます。番組20周年ならではの骨太企画です。
衝撃的だったのは北上にある商店街の映像です。市中心部にある商店街は、土曜の午後にも関わらず人がまばら。どの程度かといえば、そこでバドミントンをやっている人がいる−−と書けばわかるでしょうか。幼少のころ、母の実家の近くにあるその商店街に何度か行ったことがありました。しかし、現在はアーケードが完備されているにも関わらず、商店街の1/3は閉店に追い込まれているようです。商店街の核となるはずのショッピングセンターは、「合理化」で岩手から撤退してしまいました。そこも空き家になっているのが、8万都市の光景です。じゃ、北上市民はどこで買い物をしているかというと、北上江釣子IC近くの大型店(もちろん駐車場完備)か、JR北上駅前の大型店(ここも駐車場完備)でまかなっているようなのです。一方、古川郊外の店は東京ドーム2個ほどの敷地に「ショッピング・モール」を形成していて、古川近辺はもちろん、仙台市民も買い物に来てました。
さてニュースエコーがSCを取り上げたのは他でもない、盛岡(人口29万)にSCが3つ一気に開業することを受けてのものです。場所は滝沢IC・盛岡IC・盛岡南ICとうまいこと分かれているように見えますが、一つ一つの規模がでかい。盛岡・大通り商店街を優に呑み込んでしまう規模で、対応を間違えると既存の商店街は吹っ飛んでしまいます。対応、というのは買い物をするまでにストレスを感じるかどうか。大通りをはじめとする既存商店街には駐車場がないという致命的欠陥をかかえてます。これは裏を返すとSCまでのアクセスとも関わってきます。そこで渋滞を起こしてしまっては同じこと(既存の道路を使う点)ですから、どう知恵をしぼるか。その点、あと3日間の番組にヒントがありそうです。
商店街が現状に甘んじていると消費者に「無策」と取られ、客足を戻すことができない。そういうのは高校生が一番敏感なんです。彼らを流出させないための工夫を打ち出さないと、人口は減るばかりなんです>市長選立候補の方。(山田壮一)
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APRIL/17

身内の意識
べ、メーデーの打ち合わせがあって「労働福祉会館」に向かいました。ところがこの名称、電話帳のどこを見ても見つかりません。辛うじて調べ上げた「港湾労働福祉センター」に向かうと「ここじゃない」と言われます。蒼くなって、ガソリンスタンドから元締めに電話を入れると、電話先からの説明が通じません。ともあれ、車を指示された場所に置いて会館を探すことにします。
「1階が屯所(消防分団があるところ)になっています」という説明を当てに探したら、ありました。ここは第二分団ですね。建物が3階建てと聞いていたのですが、ここは2階建て?様子が変なので、もうちょっと回ってみます。外は春の雨にしては冷たいものがあります。5分ほど一回りをすると「第一分団」の上にありました。「宮古地区労働福祉会館」と、よく見れば書いてます。2階に旧総評系と旧同盟系の専従室がそれぞれあって、3階が会議室です。会議室は30人も入るとぎっしりといった規模です。
会議のおしまいになって、労働福祉会館の設立された意義についての説明がありました。なんでも、宮古に労働金庫を持ってくるために各組合から基金を募って30年前に建てたものなそう。法人化を経て、今は法人を取り消されているそうです。......と雲をつかむ感じの中でその会議は終わってしまいました。
思ったのですが、会議を企画・進行する方(50代でしょう)と参加者の一部(20代、30代が数人いました)には、明らかにギャップが存在してます。昨日の議長はそのことを認識していたからまだよかったのですけど、そのことを忘れるといよいよ労働組合も危うくなります。「97春闘」を「きゅーななしゅんとう」といったり、「『連合』と連帯できない労組については」という用語、やや翻訳が難しくなってきてます。わかっているつもりで、そのまま話してしまうこと。私も授業で陥ってしまいます。気を付けないと。
それよりも、「労働福祉会館」。電話帳に載せられなかったら、せめて地番だけでもつけてくださいな。わかっている人だけで進められるとついていけないことがあるんです。だって、支部長も分会長も場所、知らなかったのですから。(山田壮一)
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APRIL/18

ニッポン放送のばか
曜日のラジオ欄を見ます。プロ野球中継で、TBSとニッポン放送(それにラジオ日本)が広島−巨人を放送とあります。解説者欄を見るとRCC中国放送契約の解説者じゃなくTBS・ニッポン放送契約の解説者がそれぞれ出ています。それは聴取率週間なので理解できなくもないのですが、唖然としたのはネット局の中継カードに目をやった時です。「ヤクルト−横浜」とありました。なぜ?
その前に、キー局とネット局の関係を整理します。民放ラジオ局のプロ野球中継はTBSとニッポン放送がキー局となって全国30局近いネットで放送されてます。もっと詳しく言うと火曜日・土曜日・日曜日がTBSがキー局となるJRN、水曜日から金曜日がニッポン放送キー局のNRNというネットになります。都道府県に民放が1つしかないところは、原則として巨人戦中心の番組をもらってます。例外なのは愛知(中日)・大阪(阪神)・広島(広島)・福岡(ダイエー)といった球団を抱えた地域です。
水曜・木曜とNRNがヤクルト−横浜を中継したのは、ニッポン放送がヤクルトと横浜の優先放送権を持っていることが第一義で、「ヤクルトが首位だから」ということはたぶん二の次、三の次だと考えられます。だって、ヤクルトが劇的に地方のファンを増やしたなんてことを聞いたことがありませんもの。
で、今まで「ヤクルト−横浜」/「広島−巨人」が重なった場合、ニッポン放送が前者を放送したということはありました。しかし、ネット局には広島−巨人を流していたのが去年までの主流でした。何回か「ヤクルト−横浜」を中継したこともありましたが、その時は必ずキー局・ネット局での放送でした。今回許せないのは、去年までの原則をひっくり返して、放送権優先の姿勢を地方ファンに向かって振りかざしたことにあります。ヤクルト−横浜はニッポン放送でしか聴けないのですから、ニッポン放送でやればいいのです。それなのに、ニッポン放送で巨人戦を中継したのを、首都圏のヤクルト・横浜ファン。および地方の巨人・広島ファンにどう説明するのでしょう。特に、昨日のゲームはいいところでテレビ中継が終わってしまったのです。
「いいとこどり」のニッポン放送は聴取率調査で今回もナンバーワンになるでしょうから、なお「ナンバーワンレディオ」をジングルで連呼するでしょう。しかし、あまりにも露骨な利益誘導に、お台場からの怪しい風を感じるのであります。(山田壮一)
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APRIL/19

風邪、大流行の兆し
ごろ、岩手・沿岸地区では風邪がはやりだし、隣の村では「学級閉鎖」が取られたようです。勤務校の生徒はどうかというと、あるクラスで42人中8人が風邪のため休むというところまで出てきました。クラスによっては「欠席ゼロ」を続けているところもありますが、2年生から各クラスに広まりそうです。たまたまある生徒からかかってきた電話を受け取ったのですが、発熱・のどの痛みといったところは、私のひいたものと同じ(これに鼻詰まりが加わります)。うつしてしまってごめん、と思いながら、応対したのでありました。
原因はいくつか考えられるのですが、最も考えられるのが気温の変動。宮古の最高気温一つをとっても20度だった次に7度、翌日は13度という繰り返しで、ふと気づくと体がまいってしまうことがあります。それからうちのように、密室で生活していると換気がよろしくない。そうなると1人風邪にかかると家族全員にうつります。ちなみに現在、うちでもっとも症状が重いのは妻です。これは学校の教室でも同様で、暖房が切られてしまったので密室の中で授業になります。やはりそこからうつることが考えられます。休みこそしませんが、1年生の教室に行くとあちこちで咳の音が聞こえます。
沿岸地区、と書きました。内陸ではそれほど流行してないみたいです。結局、空気が乾いているので余計に風邪が流行する素地を作っているようなのです。今週は養生もそこそこに、仕事の処理に追われました。きょうは模擬試験の監督で、土曜なのに平日勤務のようなものです。早く風邪、抜けないかなぁ。(山田壮一)
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APRIL/21

なぜ盛岡に冷麺なのか
ンクをはっているはるさんのホームページに「なぜ盛岡冷麺なのか」という疑問が書いてあり、答えらしきものを何度かメールしました。概要はそちらに書いている通りなのですが、少し補足します。
もとは朝鮮民主主義人民共和国(いわゆる北朝鮮)の首都・平壌(ピョンヤン)の地を取って「平壌冷麺」と言われることが多かったのです。実際、焼肉屋をやっている人に「在日」の方が多く、たれも秘伝のものを使ってらっしゃる。それをモダンな盛岡人が喜んで食べはじめたというのが、盛岡で「冷麺文化」が始まった最初だといいます。これがおよそ30数年前のこと。それまでは冷麺をメニューに載せても、「こんなもの食えるか」という苦情が相次いだそうです。それを盛岡人の味覚に合うように工夫を重ね、出来上がったのが麺が透明の、「盛岡冷麺」の原形です。ここまでが「第一世代」、食道園の青木さんが築き上げたものです。
「平壌冷麺」が「盛岡冷麺」に変わるまで、20年ほど要します。今から10年ほど前「第1回ニッポンめんサミット」という企画が盛岡であり、仕掛人の馬場さん(この人はそば屋の店主です)が知人の辺(ぴょん)さんに話を持ち掛けます。その時辺さんは冷麺を「盛岡冷麺」と呼んでしまおうと考え、実際めんサミットで「盛岡冷麺」の名で出店します。それから彼は盛岡IC近くに店を出し、現在では「ぴょんぴょん舎」ブランドであちこちに冷麺を置いてます。
−−はるさんは「生き字引」と私のことを評してますが、ここに書いているかなりのことは、何年か前の朝日新聞・岩手版「冷麺物語」で小西記者(当時。現在は転勤してます)がまとめたのに基いています。ですから、記憶もあいまいですし、事実誤認もあるかもしれません。で、標題に対する答えがもう一つあって
「盛岡は平壌と同じ北緯40度なので、気候も当然似てくる。キムチのような辛さが寒い時刺激になる。」
という説もあるのです。事実、地元民がこよなく愛する「じゃじゃ麺」も中国大陸から伝えられたものです。辛み味噌にねぎですから、その説も当たらずとも遠からずといえるでしょう。世の中、私よりも詳しい事情を知っている方がいると思います。ご一報願えれば幸いです。(山田壮一)

筆者注)はるさんがこの「冷麺シリーズ」をいたく気に入っているみたいで、トップページで取り上げてもらって(4/27現在)、恐縮してます。
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APRIL/22

外の社会に向かない?
日の朝日新聞「きょういく’97・私もひとこと」という投書の中で考えさせられるものがありました。神奈川に住む35歳の男性が書いた投書を、全文引用します。
>「春、先生も『1年生』」(4月7日付)の記事で、新任先生2人の志望動機を読んで相当に驚いたのは私だけだろうか。契約社員
>として企業に勤務しても電話とりひとつ満足にできず、学校の外の社会に向かないから−−、また人に頭を下げる営業のような
>仕事はいやだから−−、教員になったと述べている。
>相手の人ときちんと応対することは職業の適不適を論じる以前の問題ではないか。また場合によっては自らが一歩下がって状
>況を見直すべき時はいくらでもある。それすらまともにできない(しない)人を教育の場に送り込むのは先輩教員に失礼であり、
>余計な負担をかけることにもなる。さらに最も迷惑を受けるのが、一方通行で教えを受けさせれる子供たちだ。
この方が勇ましくいっているのと裏腹に、営業職がいやで教職に就いた方が、学校現場には私を含め少なからず存在します。そして、外線が直接かかってこない部署に
いれば、電話とりを満足にしなくても何とかなります。しかし
「人に頭を下げる営業のような仕事はいやだ」→「自らが一歩下がって状況を見直すべきことをしない」「彼らを教育の場に送り込むのは同僚・子どもに迷惑だ」
と短絡的に考えてしまってよいのでしょうか。
恐らく「自らが......しない」の部分は新任先生にかかっているのだと思いますが、そういう状況は仕事を覚えるにしたがって改善されるはずです。営業職だって同じことでしょう。いろいろな場面に遭遇すれば、頭を下げなければいけない部分も存在しますし、「営業のような仕事はいやだ」と言い続けてきた自分が傲慢だということに気づきます。
彼が指摘しているような教員が多くなったせいなのか、現在は教員1年目に「初任者研修」をすることで、先輩教員に「指導」されてます。
「最も迷惑を受けるのが......子供たちだ。」と言われてしまえば、「教員は子供に育てられる」という考えがどこかに吹き飛んでしまうのですが。でも、子供たちは危なっかしい教員に共感する部分があるのですよ。
☆実は、「教員の人たちに漂う、奇妙な社会性」という投書が続くのですが、これについては明日以降触れます。(山田壮一)
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APRIL/23

石割桜で見た少女
年度最初の出張は盛岡行きでした。
火曜日・昼の盛岡はそれほど道路が混んでいません。しかし盛岡地方裁判所前だけは別でした。「石割桜が咲いた(トップページの写真参照)」のをどこでどう聞きつけたのか、観光客(高校生の集団もいました)が次から次へと写真撮影をします。なかなか撮影隊が切れそうになかったので、一人裏手に回って写真を撮り出します。その時、「こんにちは」という声がします。若い女の子です。卒業生?似ているけど、もっと若いぞ?−−怪訝そうに見る私を、彼女は両親に紹介してました。
「この人ショーギョーの先生なの」。☆あっ、どうもこんにちは。行き先が決まったんですね。
実は彼女。高校2年生相当で、事情があって転学をすることになった生徒です。詳しくは割愛しますが、とにかく行き先が決まって両親ともども石割桜を見に来てたようです。
「先生、こんなところに来てどうしたの」。☆あぁ、きょうはこっちに出張なんだ。
「ふーん。あっ、いいもの持ってる」。と目ざとく私のデジタルカメラを見つけ、撮ってくれるようせがみます。☆こんなのでよかったら、いいよ。と私はにわかカメラマンになります。
桜の前でポーズを取る彼女は、とても笑顔がきれいな子でした。モニター付のカメラはすぐ再生できますから、当人と母親に画像を見せます。それを見て無邪気に喜ぶ姿は、今までにないの明るい姿でした。ほどなく、あいさつもそこそこに別れましたが、あの明るさはいったい何だったのでしょうか。
石割桜。石というよりは岩の割れ目から八重桜が咲いて、数百年といいます。私が卒業した高校では、それを「石桜(せきおう)精神」といってました。困難が岩の形だったり寒さだったりして、しかも念入りな世話をしないといつ枯れてもおかしくない。しかしそんな努力のかいあって、見事な花を咲かせる。それが石桜精神なのだと、私は解釈してます。
彼女が石割桜に何を見たのかわかりません。けれども、石割桜の美しさに感じるだけの心は持っていたようです。あらためてモニターを見ると、きれいに写っていたのは、石割桜よりも彼女の方でした。(山田壮一)

筆者注)23日夕方、テレビ岩手「5きげんテレビ」によれば、石割桜の樹齢は推定350年以上。八重桜ではなくて「エゾヒガン」の一種なそうです。割れ目が年々大きくなっていく、ということは年々たくましくなっていることでもあります。地裁前は旧国道4号だったので、交通量も結構多いのですが、いや、たくましい。
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APRIL/24
教員の奇妙な社会性
昨日に続いて朝日新聞・教育欄(21日付「私もひとこと」)から取り上げます。29歳の主婦が書いたものです。
>もと学校講師職についていた者ですが、現場を離れて数年たった昨今、教員の人たちに漂う、奇妙な社会性が見えて
>きました。彼らはどうも、職場内と職場外(市井)における自分の立場を混同しているように思えます。
>一般の対等な大人同士の人間関係においても、一方的な命令・断定・指示的口調を乱発し、頼みもしないのに強引で
>独善的なリーダーシップを執ろうとするのです。健全なコミュニケーション能力に欠けているのではないか。特に初等教
>育の教員にこの傾向が多いように思われます。
>幼児・児童の指導のためには、絶対的立場が必然的な要素になるのかもしれませんが、相手が成人の場合には、はっ
>きりと区別して臨んでほしいものです。私も教員を続けていたら、感覚がまひしかねかったと、自戒を込めてその危険性
>を指摘する次第です。
教員になり立てのころ、ある方が言ってました。「教師はどこに行っても一生『先生』と呼ばれ続ける。そのことがどれだけ教師をダメにするか」と。ですから私は意図的にそうじゃない部分を作り出し、いろいろな人と会おうと試みてきました。以前パソコン通信で「教師における名刺の必要性」がちょっと話題になりました。人に会わないか、超有名(総理とかミスターとか)でなければ、相手に認知してもらうために名刺を用いられる部分があるんじゃないか。ということで、結局議論をした相手も名刺を作ってしまいました。同じように、私がパソコン通信で知り合った(そして実際に会った)教員(中には小学校の先生もいます)は、例外なく良好な社会性を持っていると思うんです。
幼児・児童の指導のためには、ある程度絶対的立場を持っていないとクラスをまとめられませんから、「奇妙な社会性」というのは「職業病」ともいえなくありません。けれども同僚が自戒を込めて言っていました。「飲み屋で『○○先生』といっていたら、素性がばれてしまう。『○○さん』と呼ばなきゃ」そう、提案してます。これに直ちに同意できないのが私の職業病なんですけど、どっぷり浸かってたら異様なんでしょうねぇ、やっぱり。
この手のことが出てきたら、繰り返し自分にこう言い聞かせます。−−もっといろいろな人に会って、いろいろな話をし、いろいろな体験をすること。それしか奇妙さを克服する方法はありますまい。(山田壮一)
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APRIL/25
「初期」のサザエさんを見る
店に「長谷川町子全集1・2」が並んでます(朝日新聞社・1260円)。余談になりますが、このシリーズを印刷している川口印刷工業は岩手・盛岡の会社で、朝日から文庫版刊行の時も印刷を担当してました。好調な売り上げに新社屋を完成させ、別の会社に生まれ変わったようです。どんなルートで印刷を受注したんでしょうね。
閑話休題。1巻でいうと姉妹社版「サザエさん」1〜3巻をよりすぐったものです。サザエさんのイメージとしてどうしてもアニメ(日曜夜6時30分〜フジテレビ系)の印象が強いので、なかなか初期の作品を見る機会がなかったもので、今回の刊行を楽しみにしてました。
驚きました。長谷川晩年の連載よりも初期の作品には迫力があるのです。それは彼女が若かったこともあるでしょうし、「夕刊フクニチ」といった地方紙の連載だったこともあるでしょう。加えて、戦争直後の息吹−−どう表現したらいいのでしょう。たくましさとでもいうのでしょうか−−が作品から伝わってくるのです。
「代用食」を作ろうとしてニワトリのえさを作ってしまったこと、配給の魚を捕りに来たら猫がさらっていったので追いかける主婦。しょじょじの節で「カームカームエーブリバディ」(注:NHKラジオ英会話のテーマだったと聞きます)とワカメに歌わせ、後ろには「立て!!ゼネスト」とある。漢字や仮名遣いも過渡期にあったことが伝わってきます。けれども、当時を知らない私でも笑うことができるのは、戦後の混乱期に明るい明日を待ち望む人々の迫力がそうさせたと思うのです。
実はサザエが両親のことを「パパ・ママ」と呼んでいたこととか、ワカメがまだ幼稚園前だとか、タラちゃんが生まれてなかったりと、そんなころの発見もできて面白く読ませてもらいました。意外と現代史の教材に使えたりして。(山田壮一)
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APRIL/26

広島投手陣、もしかすると...

島東洋カープで年に1回オフィシャル・ファンマガジン「YEARBOOK」を出しています(税込¥700。消費税5%で変わっているかもしれません)。
昨日デビュー戦を飾ったカープドラフト2位黒田博樹(くろだ・ひろき)は1/3ページの扱い。ドラフト1位の澤崎俊和(さわざき・としかず)がほぼ1ページの扱いを受けているのに比べると地味です。黒田のインタビューを聞いたOB山本浩二(やまもと・こうじ)は「謙虚なことば」だといってましたが、なに。澤崎に対するライバル意識は相当のものだと察します。ともあれYEARBOOKから黒田についての記述を見ましょう。
>(前略)(フォームが)ダイナミック男は昨年、神宮球場を大いに沸かせた。同球場に掲示されたスピードが何と150キロ。神宮の
>最速として名を広めた。150キロ男はサラブレッドだ。父親の一博さんは南海(現ダイエー)時代、鉄砲肩が自慢の外野手。母親
>の靖子さんは、東京五輪の強化選手に選ばれたほどの砲丸投げ選手。黒田はこの両親から地肩の強さを譲り受けた。(後略)
5回、5−1となったところでカープの勝利を確信しました。少しもひるまない投球、速球だけでなくてフォーク・スライダーの変化球も決まります。松井・清原といったところを次々に三振に斬り、最終回もバックの盛り立てで完投。こんなにカープから新戦力が出てきていいんだろうかと思うくらい、気持ちがいいです。
浩二さんが岡田(ジャイアンツのピッチャー。敗戦処理でした)に代打を出さなかった時ぼそっと言ってました。
「ジャイアンツのピッチャーは豪華なんだけれども、こういう場面になったときに、木田とか川口とか(もったいないから)出すわけにいかんでしょう。そこがね...」
といって言葉をのみこみます。そう、ジャイアンツは負けることを想定してないから、「豪華」なピッチャーしかいないのです。
カープの投手陣で、「1勝」をあげるピッチャーが続きます。横山・ペルドモなんてYEARBOOKには写真しかないのです(1/3ページは一緒なのですが、記事がありません)。実績のないピッチャーに頼らなければいけないところがカープの弱さなのですが、それを強さに変えることができる若鯉投手陣。もしかすると、今シーズン広島投手陣は大化けするかもしれません。そんな楽しみが出てきました。(山田壮一)
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APRIL/28

「コンビニ」食品が食べられない
子を実家に帰して、1ヶ月ぶりに単身の夜。冷蔵庫にあったインスタント雑炊を暖めます。食べようとしたら、辛い。というより調味料が大量に使われているらしく、とても食する気になれず、半分以上残してしまいました。それから慌てて夕食を買いに行ったところ惣菜が消えてます(8時を回ってましたから)。その場は何とかしのいだのですが、驚きました。「加工食品」についての書籍を斜め読みこそしてましたが、体そのものが受け付けなくなっていたことにです。こういう場合、以前は雑炊+ビールで済ませていました。しかし肝機能のデータが高めに出、妻の監視が厳しいこともあって、そういう食生活を忘れてました。なんて正直な体なんでしょう。
ところで、周囲には頑丈な体の方が多く、週3度以上外で飲んでらっしゃる方もいます。そうなると朝食もままならないので、合間にサンドイッチはいいほう。中にはカップ焼きそば(しかも大盛り)を嬉々として食している方も。唖然としている同僚は隣で「インスタント食品の罠」という資料を作ってますが、現実の前に資料もかすんでます。
私が「守り」に入っているだけのことかも知れませんが...。缶コーヒーも「体を冷やすからだめ」と止められて久しいです。原材料表示の最初に「砂糖」と書いている缶コーヒーの多いこと(あれは表示の順に原材料が多いことになってます)。最大手の製品はほとんどそう。「コーヒー」と表示できるのはコーヒー豆を5グラム以上使っている製品のみなのですが、その前に「砂糖」とある場合、砂糖がそれ以上あることになります。缶コーヒーのポイントは甘さにあるのだそうですが、「あー」とため息をついているうちに砂糖を取り過ぎていることになるのです。
なんか過敏に書いているようですが、でも体の反応には勝てません。父の世代が「インスタント食品はだめだ」と口やかましく言っていたり、筋ジストロフィーの障害を持った方が徹底して「生食療法」をやったことを思い出すと、正直な体に納得してしまうのです。(山田壮一)
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APRIL/29

聖書の書き換え
ンセン病を「大辞林」で引くとこう載ってます。
>[癩菌(らいきん)を発見したノルウェーのハンセン(1841-1912)の名にちなむ]癩菌の感染によって起こる慢性伝染病。伝染
>力は弱い。皮膚に結節・班紋ができ、その部分に知覚麻痺がある。また、まゆ毛・まつ毛の脱毛、手足や顔面の変形、視力
>障害などがみられる。かつては不治の病とされたが、新薬の出現により治療可能。日本では新患者の発生はほとんどない。
>癩病。レブラ。
続けて「imidas’97」の357ページ、「憲法・司法」の「法令の改廃」を見るとこうあります。
>先の第136通常国会では、議員提出法案を含め、合計110件の法律が成立したが、ここに特筆すべきものとして、らい予防
>法の廃止と民事訴訟法の全面改正などがある。まず、1953年に制定されたらい予防法は、患者の所定療養所への強制的
>入所措置を定めていたが、害悪発生のおそれがほとんどないことは早くから指摘されており、最も基本的な権利である人身の
>自由などからみて憲法違反の疑いのある法律であった。このたびの「らい予防法の廃止に関する法律」(平成8年法律28号)
>は、その点を考慮して、国家補償的な意味合いをもった援護措置をも定めている。(後略)
さて、新約聖書(新共同訳)「マタイによる福音書」8章を見るといきなり「らい病を患っている人をいやす」と出てきます。1節から3節まで引用します。
>イエスが山を下りられると、大勢の群集が従った。すると、一人のらい病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して、「主よ、
>御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」
>と言われると、たちまちらい病は清くなった。
もちろん、ここでのテーマはイエスがいやすことです。そのあとにも百人隊長や多くの病人、悪霊に取りつかれた人、中風の人、盲人、口の聞けない人と、弱い立場の人を癒し続けています。「丈夫な人に医者はいらない」という喩えもここから出てきました。もう、お気づきでしょうが、このあたりは聖書が何度も書き換えをした個所です。差別・偏見がないつもりで接していても、健常者の視点には限界があるのです。
「皮膚病としては文脈がつながりにくい」(朝日新聞4/28第2社会面)新約聖書18個所に、日本聖書協会は「らい病」の訳語をあてていたそうです。それでも、4月1日付発行の新約聖書から「重い皮膚病」と標記を改めたそう。厚生省ですら「らい病」を使わなくなったのですから、当然の措置でしょう。しかし聖書の中にも、何より私自身の中にも書き換え・認識を改める個所が多くあるように思います。そういうところに限って、自分ではなかなか気づかないのが、厄介なところです。(山田壮一)
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APRIL/30

映画「シャイン」を見る
ーストラリアに実在するピアニストを映画化した「Shine」を見に行ってきました。私はめったに映画を見ないのですけど、たまたまテレビで映画紹介を見て、行ってもよかろうと判断し、足を運びました。妻子もいなかったし。
ミニシアターという感じの映画館は全部で60席。シートのピッチを広く取っていて、昨日は半数以上の客で埋まったのですが、ごみごみした感じがなくて、途中入場もさせず、好感が持てました。2人の従業員がもぎり・パンフの販売・上演のアナウンスといった仕事を全部行います(もしかして映写機も回したのでしょうか?)。
インターネットで「シャイン」を検索すると「3月に公開された映画」と出てきます。東京だと上映を終え、盛岡や仙台といった、地方都市に映画館が十数館あるようなところじゃないと見られない映画だと思います。パンフレットを買わなかったので、人名など諸々の状況を把握してない部分がありますが、おそらくピアニストの生涯に忠実な描きかただと思います。
父親の英才教育を受けて育った主人公。「一番じゃなければだめだ。この世は弱肉強食」ということを叩き込まれます。あまりにも息子を溺愛する父親は、何度か主人公の留学のチャンスを握り潰します。何度目かのチャンスで主人公はイギリス留学を決断し、家を飛び出します。イギリスで彼が特訓したのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲3番。子どものころから父親の前で何度となく弾き、「お宅のお子さんにはまだ早い」と言われ続けていた曲でした。特訓の甲斐あってコンクールで優勝を決めます。しかし......。
映画を半分ぐらい見てから暗示がわかるもどかしさ。オーストラリア訛りの早口の英語が聞き取れないもどかしさ。この映画が目指しているのは娯楽か音楽性か、あるいは伝記的要素なのかということを考えると、ややはっきりしない点があります。それでも全編に流れる音楽が、映画で効果的に用いられてます。
オーストラリア映画、1時間50分。前売りで1,000円で見ました。評価は★★★☆☆。(山田壮一)
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