2001/April

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Apr/2(Mon)
ステキなサヨナラのしかた。
想主義者なのかなぁ。それとも、職業病なのかもしれない。
あのね。人と別れるときに、形式ってとっても大事なものだと思う。
「出会いはある日突然やってくるから、別れもそうだ」
って?でもねぇ、いついつ別れる、というのがはっきりしていたなら、きっちりと別れの儀式をしたいって思うの。変かなぁ。あっ、私的な部分っていうのはいろいろな形があると思うから、まだ許せる場面っていうのがあると思う。納得できなくても
「これがこの人の生き方」っていうのがあるだろうから。だけど、私には私の生き方があって、
「こういう形で、きっちりとお別れしよっ」
というのを認めてほしいんだけどなぁ。ねぇ、私ってナルシスト?
話を戻すね。私の目の前から、何の予告もなしに消えていった人がいるの。こっちは、
「さぁ、おわかれよっ」
って紙テープを用意して、旗も用意して、
「さよーならぁぁぁぁ。またあいましょうねぇぇぇぇ。」
って準備してたの。あっ、大部分の人は気持ちよく受けとってくれたわ。これ、ただの自己満足かもしれないけれども、お世話になった人への感謝の気持ちの表れなの。でも、その人。ふっと視界から消え、そのまま濃霧の中にまぎれてしまって、行方がわからなくなったの。当人がその気になれば接触も取れたと思うんだけど、それを拒否したのね。
こっちがたたたたたっと駆け出して
「これ、受けとってくださぁい」
って言えばよかったかもしれない。送りつける方法もあったかもしれない。でも、それは無粋ってもの。顔を見て、手を握り
「元気で暮らしてください。また、お会いしましょう」
ってやるのが、真っ当な仕方よ。あっ、それが嫌だから濃霧に消えたのか...。
すべてにおいて、「ステキなサヨナラ」っていうのはないかもしれない。ラブコメに影響受けすぎかなぁ。
そうそう。昨日、ラ・テ欄を見て「千輝順子(ちぎらじゅんこ)」の名前を発見したの。エイプリル・フールじゃなくて、IBCトップ40が1日だけ復活したの。あれを聴いて
「あっ、再会もあるんだ」
って改めて思った。千輝さんの調子がなかなかでなかったんだけど、声に艶っぽさが増してた。
えっ、もうこんな時間?!。じゃ、今度は「ステキな出会いの仕方」で、また。

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Apr/3(Tue)
軌道に乗るまで、もうちょっと。
事異動や個人的事情などで、サイトの状況も激しくかわってます。わがサイトは筆者の怠慢のため滞っていたのですが、リンク先もまたいろいろあるようです。
☆充電中
☆退社し、実家に近い場所に転職
☆引越しをやめる
☆結婚
...。これにプロバイダの引越しを告げるメールやら、妻扱いのメールが混じります。よくあることだって言われればそれまでですが。
さて、またまた新入生のクラスを受け持つことになりました。この4年間で3年間が正担任、1年が副担任で、去年と今年は連投です。つまり、
「さぁ、みんな。はりきっていこーねぇ」
という学級通信をもう1回作ることになるんだな、これが。
これを書くとき、コラムを通信に使わせてもらう場合と、通信をコラム化する場合。もう一つ、有効活用できない場合が混在して、面倒になったのが昨シーズンのパターンでした。1年間に100ちょっと通信を作った年もありましたが、
☆そのころはサイトを運営していなかった
☆通勤時間も15分だった
☆書籍・新聞からの引用が多かった
からできた芸当でした。通勤時間が1時間ちょいになって、モバイルもできなくはないのですが、一気に増してだめ。書籍・新聞の引用をそのままここに書くわけにもいかない――。とにかく、制約が多くなっているのです。
なおかつ、4月中に少なくても2つやらなければいけないこともあって、と今のうちに言い訳しておきます。じゃ、また。

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Apr/4(Wed)
7時間の探検。
るやすみってあるの、こどもとがっこうのせんせいぐらいなんだよねぇ。
――とわかったような口を利いていた昨日。サービスを兼ねて上の子を職場まで連れて行きます。2時間遅れで家を出ると、道路は混むわ、人は多いわというのは朝だけ。通勤先の駅はガラガラ、街中もガラガラ。ついでに職場も閑散というありさまです。
そのような中で、彼は大歓待を受けました。同僚からキャンディをもらい、別の部屋ではせんべいをもらいます。昼寝する間もなく、デパートの大食堂でお子様寿司を食べ、20センチソフトの半分を食べ、ローカル線で帰ります。ほどなく、向かい合わせになった婦人から、子どもの顔ぐらいあるメロンパンの半分を頂戴し、食べてしまってから
「おなかいっぱいになって、だめだぁ」
と言います。
というわけで、7時間の探検を終えたのですが、
「あしたはあたしがいくの」
と下の子が宣戦布告をしています。しかし、彼女はまだ夢の中...。
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Apr/14(Sat)
男の恋愛感情って...
の恋愛感情はわかるんですよ。女ですから。でも、女が男をやるときに男の感情がわかってないとだめじゃないですかぁ。何とかなりませんかねぇ?
――と言われて、部の生徒たちに
「男って何なの?」
というのを答えます。1/3おねぇことばになっている私に聞いていいのかぁ?
「いや、男ですから」。
はぁ。

☆男とは諸星あたるのようなものである
「それは、10代でも20代でも、年を取ってもですか?」
そっ。70代になっても「ラムちゃーん」といっているのが男。
「じゃ、結婚なんかしなきゃいいじゃないですか?」
でもねぇ、一人でいると疲れるんだよ。
「でも、相手に対していろいろと気を使って、我慢できないんだったら結婚しなけりゃいいじゃないですか」
まっ、そうなんだけど、結婚しないと得られないこともある。
「例えば子どもができなくてもですか?」
そういう夫婦だっているよ。
「あと、世間では男は浮気しても構わないけど女はダメだっていう感じあるじゃないですか。あれって、私ゼッタイ許せないんですよ」
男って、小心者なんだよ。
「あっ、それから好きだった人とわかれた後『トモダチ』としての付き合いってできると思いますか?」
☆松田聖子(←なぜか先)と郷ひろみの関係があり、って思えばできるんじゃないの。
ただし、われわれ(30's)は「もう、勝手にすれば」と思うけどね。
......ということをべらべら1時間30分話して、気がつけば部活の時間が過ぎていたのでした。一般論で話していたはずが、こちらの結婚観・倫理観を問われていたようで、しんどかったです(注・あくまで脚本分析のための話し合いで、「正しいあり方」と「結婚の現実」と「本心」は別々です。念のため)。
注)本来の脚本分析から狙いが大幅にずれ、公演までのスケジュールに微妙に影響が出たのでした。
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Apr/24(Tue)
民意を読み誤ることなかれ。
泉純一郎氏が自民党総裁に選出される見通し。すなわち、新首相になるという流れを読めなかったのですが、裏を返せば自民党員の危機感がかなり深刻だったと言えましょう。遅ればせながら、永田町にも伝わった。日経「春秋」によれば
>小泉氏の勝因が反自民という皮肉。
加えれば、小泉氏は現首相のお膝元・森派に属してました。
さて、日本の政治を支えてきたのは、利益誘導型と呼ばれるものでした。
「○○に会館を建てることによって、地域を潤し、業者を潤し、結果として議員に一票」。
これは55年体制を支えた自民党・社会党(=当時)などに共通する事柄です。
「われわれの要求を聞き入れるところと団結し、協定を結び、選挙戦を頑張ろうではないかっ」
ということのみで縛りがきかなくなったことが、この総裁選予備選でますますはっきりしたと思うのです。55年体制が生き残っていたはずの自民党内部においてこうですから、ましてよその党においてをや。
ところで、参議院選挙後のカギを握るのは小沢一郎氏ではないかと睨んでます。彼が言っていた
「55年体制を崩すことが、政治を変えることだ」
ということが、おぼろげながら有権者にも浸透してきたのではないかと思うのです。小泉氏に1票を投じた自民党員(にわか党員も含む)が、氏の言動に注目します。それで結局何も変わらなかったら、政治の世界はもっとドロドロになることでしょう。
「要求を実現するためにする選挙は間違っているのでしょうか?」
という問いが、新聞の投書欄に出てました。その答えを確認してないのですが、いたずらな投票行動を取るような時代ではなくなってきていることを、体制側は察知するべきです。かつて、時代の風を取り込んできたことに成功してきたのは、むしろ自民党の方でした。3か月後に迫った参議院選の状況が見えないだけに、小泉氏が短期決戦で何を訴えるかが今後の焦点です。

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Apr/30(Mon)
今年の桜
見をする間もなく、あっという間に桜が散ってしまいました。では、駆け足で今年の桜を振り返りましょう。
水沢江刺駅の2001年シダレザクラ。
4月2週の水沢江刺駅西口駐車場のシダレザクラです。このころは、あっという間に咲いてとは思ってなかったのですが...。
江刺・館山地区のソメイヨシノ
翌週、ほどなく江刺の高台でも咲きます。「そのうちに写真撮影でもしよう」
と思いながらずるずると過ごしていたのです。このころは20度台の気温が続いていたのです。
石割桜、夜景。
そのころ、各局では盛岡地裁・石割桜前に中継を出してました。そのライトを使わせてもらって夜の石割桜を撮ります。かえってわかりづらいですか、ねぇ。
胆沢・徳水園付近の桜。
水沢から国道397号線を西に進み、20分ほど進んだところに桜並木道が7キロほど続いています。その東側の入り口にある桜です(4/24撮影)。このころが県南部・山沿いの見ごろでした。

参考までに2000年の桜1999年の桜もどうぞ。
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