私の意見

 


・煙詰における食われ駒は良いのか?(2002年07月23日)

煙詰とは、言うまでもなく初形の盤面に全ての駒を配置して、詰め上がりには3枚になって 詰め上がるという詰将棋のことである。駒捌きの極致的表現として非常に美しい詰将棋である。 一昔前までは非常に困難な条件作であったが、そうした魅力故に現在では何百局も創られて いる。

ところで、初形の盤面に全ての駒を配置するという条件を満たすために、只相手の玉に 取らせるだけで意味のない駒を置いた作品が見受けられる。 その何が悪いのか、と言われればそれまでである。煙詰作家でも「取られる場所にうまく置く のもテクニックだ」と開き直る方もいる。

まず、意味のある駒とはどういうものなのか?初形から盤上のある駒を省いたとき、 本手順が変わってしまう場合、と私は定義している。 詰将棋とは、まず、一意な詰手順が存在して、それを実現する上での必要最小限の駒で 表現したものである。不要な駒は全て玉方の持駒として扱う。というのが基本的な考え ではないのか?となると、煙詰に関してのみその原則的な考えを当てはめないという理屈は おかしなものである。

以上のことから、私は、基本的には、煙詰に不要な駒を置いた作品は評価は出来ないのだ。 その他にも、煙詰の減点事項として、自陣成駒や銀桂香の成駒、変化同手数で詰め上がりが 4枚以上になる作品などもあるが、いずれよりも不要駒は減点が大きいと私は見る。 次に減点が大きいのは、変化同手数で詰め上がり4枚以上のものだが、玉方は攻め方の駒が 少なくなるように受けるのが自然なので、不要駒よりは減点が少ないと見る。

過去の作品を全て調べ上げるのは難しい。この駒は要らないのでは、と思うものがあっても 実際は変化に役に立っていたりするので断定することが大変だ。

1図 将棋図巧99番途中図

1図は、伊藤看寿の「将棋図巧」99番の途中図である。攻方4五歩は、取られるだけの駒 であるが、これを省くとこの局面で玉方が4五玉と5四玉の2通りの逃げ方が発生してしまう。 このように少しでも作意の精度を上げる配置であれば許されると思う。

2図 7色煙 帰去来の途中図

2図は、添川公司氏の「帰去来」の途中図である。7九香は7七玉と逃げる手を防いだ配置のように 見える。が、実際はなくても早詰があるのだ。(7九香がなくて7七玉と逃げた場合、 ▲5七龍 ▽7六玉 ▲6五銀 ▽同玉 ▲6七龍 ▽6六金 ▲6四銀成 ▽7五玉 ▲7四銀成 ▽8六玉 ▲9六と ▽同玉 ▲6六龍▽8六歩 ▲9七金 ▽8五玉 ▲8六龍 ▽9四玉 ▲8四龍 迄)7九香が不要との指摘は、詰パラ85年7月号サロンで藤本和氏より既にあるだが、私はそれを 見た瞬間は、まさかと思った。しかし、確かに詰む。コンピュータで調べても確かに詰む。とは言え、 7七玉の変化は非常に厄介であり、7九香を置くことで、変化がスッキリする。余りに厄介な 変化は解く側にとって美観を損ねるのも、また事実である。私は、煙詰に不要な駒は置かないと いう原則を堅持したいが、こういう場合までも原則を当てはめるべきか、非常に悩むところである。 見識あり方のご意見を賜りたいところだ。

上記のようなケースは、例外としても、やはり全ての駒がきちっと意味を持ってこそ詰将棋の 美が引き立つのではないかと思う。あまりに安易な置駒は避けたいものだ。


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