しげぼうの言いたい放題


・論理的に物事を考えられない日本人(2019年05月01日)

時代は、平成から令和に移ることとなった。 令和という名前は、日本の万葉集から取ったセンスの良い名前だと国民は絶賛している。 安倍内閣支持率も数パーセント上昇したようだ。

1.和暦年度の定義の曖昧さ
私としては、名前自体はどうでも良いと思っており、改めて内閣を支持するほどのことではないと考えている。 むしろ、今回の5月改元ということについて大いに不満を持っている。
今回、問題だと感じたことは、元号そのものより、和暦年度をどう扱うか、ということである。 役所や多くの企業の会計年度、学校の年度単位は通常4月1日から翌年3月31日までとなっている。 年度の途中で元号が変わった場合、どうするのか。

2.和暦年度の過去の事例
平成改元時の場合は、1989年1月1日から7日が昭和64年で1989年1月8日から平成元年、だった。 このため1988年4月1日から1989年3月31日は「昭和63年度」だった。 1989年4月1日から1990年3月31日は「平成元年度」となり「昭和64年度」は存在しなかった。 1月に改元のため、仮に平成の方を取ると「昭和63年度」は「平成0年度」となってしまい明らかに不自然だ。
昭和改元時の場合、1926年1月1日から1926年12月24日が大正15年、1926年12月25日から1926年12月31日が昭和元年だった。 このため1926年4月1日から1927年3月31日は「大正15年度」と扱っていた。 そのため、昭和元年度はなく、昭和2年度以降が存在することになった。 この前例に従えば、4月1日時点の元号を採用することになりそうだ。 只、昭和の初期は無論アナログの時代だったため公式書類も「大正15年度(昭和元年度)」となっているものもあり100%参考にはならない。 また、1926年度の場合、半分以上が「大正」だったため、今回と状況が異なる。

3.政府の統一見解がなかったことによる混乱
政府が、2019年度(2019年4月1日から2020年3月31日)を和暦では何年度と扱うのかを見解を国民に明かさなかったことは大失態と言ってよい。 唯一、2019年度の予算を令和元年度と表現して、各省庁役所もこれへ習えと暗黙宣言したくらいである。 「何、そんなこと。平成31年度(令和元年度)のように両方記述でいいじゃん」と単純に考える方も多いと思う。 だが、それはアナログ的な考えだ。コンピューターではそんな曖昧なことは出来ない。 私が仕事で某役所から請け負ったシステムの元号改修では、データを和暦年度で入力、検索、表示するような仕組みになっていた。 その際、年度の元号のところは、プルダウンで初期値に平成(既存のデータでは昭和もあり)を表示するようになっており、 平成31年度とするには今後1年を「平成」で表示しその後は「令和」を表示、令和1年度にする場合は今年の4月から「令和」を表示するようにしないと不便なのだ。 普通なら、4月1日時点の元号をその年度の元号とするのが一般的だった。 年度に関しては、今年4月になる前に役所の方に何回も確認した。 しかし、「4月になるまでわかりません、取り敢えず平成31年度にして下さい」と言われそのように改修した。 そして4月に入って、「令和の方が長いし事前に元号がわかっているので令和1年度にする」、と言われ、再び改修となった。
5月1日改元と決めた以上、このような混乱は想定できたはずで、年度はどうするかということを政府はもっと早くアナウンスするべきだった。 だったら最初から4月1日に改元とすべきではなかったのか?

4.論理的思考に乏しい日本人
5月改元なら平成は1か月だけで短い、令和は11か月と長くなるから、令和にするんですか? では、その長い、短いの根拠は何なの?6月改元だったらどうなの?7月改元だったらどうなの? そもそも令和って本当に11か月も続くの?もしかしたら1か月で終わってしまうこともあるんじゃないの? ならば4月1日の元号で1年を統一した方がよくない?
そもそも、和暦自体ってやる意味があるの? 異なる元号の年月日の比較するのも大変じゃない? いつ変更があるかさえわからず変わったら、印刷物全て作り直すの、無駄じゃない? 和暦は日本人独自の文化だから? その割に中途半端にアルファベットを盛り込んで「H31年」とかおかしな表現方法も活用してるよね。 そして、コンピューターのデータにまで取り入れているよね。 今回は、明治、大正、昭和、平成の頭文字のM,T,S,Hに被らない元号を選んだが、次はどうするの? M,T,S,H、R以外から選ぶの?そうするといずれ元号を選ぶ選択肢がなくなり昔の元号とだぶってしまうよね?
元号を考える時間にしたって、 たまたま、昭和天皇は最後の4か月は病気で寝たきりになってしまい、平成上皇は、生前退位ということで、元号を考える余裕があったのだが、 今後の天皇はどういう最後になるのかわからない。生前退位もせず、前の日まで元気だったのに突然この世を去ってしまったら1日で簡単に元号を決められるの? どう考えても今の和暦制度は無理があるんじゃないの?
こういう発想が日本人には出来ないのである。

5.意義のなき10連休
また、この時期に改元して、10連休にする意味も不明だ。 10連休にしたら、銀行もろくに使えない、医者も長期休みになるし、様々な問題が出てくるのは明白だ。 長期に海外旅行へ出かける人も多くなり、レジャー等で経済が活性化すると見たのだろう。
だが、ちょっと待て!本来は、天皇の即位を祝うための祝日ではないのか? 国民が海外旅行に行ったり遊びに夢中になって皇室の事を忘れてしまっては本末転倒じゃないのか? 周辺の休みとくっつけて強引に10連休にする必要があったのか? むしろ、6月1日とか7月1日とか祝日と重ならない所で改元した方が皇室に対する注目が集まるのではないのか? 天皇を祝うことと経済を活性化することは別次元のことである。
こうした矛盾することを矛盾すると認識出来ないところが日本人の劣る点なのだ。 私からするとGW10連休なんて迷惑以外の何物でもない
特に、前から言っていることだが、4月29日の「昭和の日」はなくすべきだ。 過去の天皇の誕生日をその時々の国民の空気で永久祝日としたりしなかったり、もっと原理原則をしっかりすべきだ。 無論、日本では現在まで125人の天皇が在位し、それぞれ個性があり、国民としてもあの天皇は好きだとか嫌いだとか有能だとか無能だとか、思いはあるだろう。 しかし、そういうことはあくまで個人の心にしまっておくことであり、国民全体に強制すべきことではないし、それこそ皇室に対する冒涜である。 天皇に関する祝日はその時点での天皇の誕生日のみを祝日とし、過去の天皇の誕生日は例外なく平日に戻すべきである。 特に、昭和天皇に関しては、内外ともに甚大な犠牲者を出したアジア太平洋戦争の当事者であり、誕生日を永久祝日とするのは「アジア太平洋戦争は日本が正しかった」と世界に発信するようなものである。

6.矛盾に満ちた平成の政治
平成は日本が戦争しなかった時代であったが、経済が落ち込み、少子高齢化が進み、社会不安が進んだ時代だったと言われる。 改革、改革と色々やってみたが結局どれも成功しなかった。 この原因も先程言った、矛盾することを矛盾すると認識出来ない日本人の特性である。
企業の論理で人件費は減らす方向で進めたい、人は減らして、残った人を極限まで働かせたいという企業の論理で構造改革を行い、 しかし、国民にはどんどん消費して子供も産み増やして欲しいと、金融緩和を行った。 しかもカネのない人にカネをあげるわけではなく国債や大企業の株式購入という形で通貨を増やし、 我々一般国民に対しては給与はそれほど上がらないのに貯金の利息を限りなく削減し、株式や投資信託などリスク資産を買わせようとした。 カネが回らないのに消費が増えるわけがないし、ましてや子供など増やせるはずもないのに、こうした矛盾する政策を平気で続けてきたのが平成時代だったのだ。 やろうとしていること自体に矛盾があるわけだから、何もうまくいかなかったのは当たり前である。
原発の問題にしてもそう。 いずれウランも石油も枯渇するのは明らかで、原発のゴミは地中で何万年も埋めておかないといけないのに自然エネルギーを作ることを考えもしない。 処分する場所はどうするかということも先送りして、いまだに原発が必要だと考えている人が多数だ。 本当にこの国の国民は先を読む力がないんだな、と情けなくなる。

7.論理的にものを考えないと何も変わらない
平成時代の日本の政治家が行ったこと、今回の改元に至る経緯などを見る限り、つくづく日本人て論理的に物事を考えるのが苦手なのだな、と感じた。 それが出来ない限り、元号が変わっても何の問題も解決出来ないと思う。 何となくその時々の集団の空気で、原理原則を無視して物事を決めてしまう国民性。 それを改めることがこの国には肝要である。


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